甘い出来事、嘘ばかり
パソコンに向かい解析、数時間後一休みで煙草と珈琲補充してまたパソコンに向かい解析、お腹が空いたのでサンドイッチを食べながら解析。自信の限界を感じ仮眠室で数時間睡眠、寝る前にセットしたアラームで起きてまたパソコンに向かい解析。その繰り返し。
そういえばネルフから外に出たのは何日前だったかしら?今回のプログラムの解析に手をつけてからろくに休みを取った覚えはない。女としての喜びより科学者としての謎を解き明かす楽しみが私を支配する、今日この日。
そして今日も解析、プログラムを操作する。眉間に皺を寄せながらずらりと並んだ細かい数字をチェックした後、思いっきり背伸びをした。めどがついた、ここまですれば後はレポートにまとめるだけ、ゴール地点がようやく見えた。
書類で埋もれた机を少し整理し携帯を探し出す。充電コードと繋がった携帯は電源が落ちていた。PWRボタンを押し電源を入れる。数十秒後、無事に電源が復活した携帯の日付を眺め「あら、こんなに日が過ぎていたのね」と他人事の用につぶやいた。
そんな時だった、後ろから肩を叩かれたのは。
「はろーリツコ」
後ろを振り向くとミサトがいた。お気楽な調子で私の名前を呼ぶ。
「ハローって、ミサト?」
「ひさしぶりー!」
「な、何でいるの?」
「私もわかんない」
私は驚いた。何故ドイツ支部にいる彼女がこの日本にいるのだろうか。仕事に疲れ果てて私は幻覚を見ているのだろうか。思わず自分の頬をつねりそうになった。
その夜、学生の頃よく通っていた箱根市付近のバーに行った。もちろんミサトと一緒に。店に入って席に着くと彼女はまずはこれよねと店の雰囲気かまわずビールを頼んだ。「そういう頼み方、昔っから変わらないわね」と言いながら私も昔から始めの一杯はこれにしているリキュールベースのスプモーニを頼んだ。ビール、そしてカクテルの順番に飲み物はやってきて私のカクテルを見たミサトは「リツコだって変わらないじゃない」と言った。言い訳気味に笑って「そうそう昔の習性は変えられないわよ」と言うとミサトも笑って「そうね」と答えた。私達は乾杯を交わしお酒を口に含んだ。ミサトに至っては一気に飲み干しお代わりを要求する。
「で、なんで帰ってきたわけ?」
「だから私も知りたいのよー」
「どういう意味よ」
「ほら、これ見て」
ミサトはカバンの中から一冊の手帳を取り出した。表紙にはネルフのロゴが入っている年始に職員全員に支給された手帳。デザインがシンプル過ぎて一部の女子職員から可愛くないと不評な黒皮の手帳。ミサトは中を開いてあるページを開く。そこは今月の予定が書き込めるカレンダー、所々に文字が埋まっていて活用しているのねと関心しつつ一番目立っている右下の赤丸に注目した。赤丸が点いてるのは11月20日から22日の3日間。大きく『日本に帰国せよっ!』と大きく赤ペンで書いてある。ミサトはその部分を指差す。
「この日に何故か帰国せよって書いてるのよね」
「大晦日と間違えて書いたんじゃないの?」
「それはない、絶対ない」
手帳をテーブルに置き右手の人差し指を一定のリズムでトントンと叩く。この謎を解けないとお酒が美味しく飲めないじゃないとつぶやきながら必死で記憶を思い出そうとしている。
「11月20日帰国ねぇ…」
「20日に何かあったかな…」
「明日なら…」
「明日なら?」
「………さて、何の日でしょうか」
「えーっ!教えてよー!」
あんまり口にしたくない。
しかし隣の友人は言いなさいよと目が据わっている。私はカクテルを一口飲み「ま、大した事じゃないんだけど」と明日21日が何の日か告白した。
「明日三十路なるのよね、私」
「………ぁぁぁぁあああああ!!思い出したぁぁぁぁ!!」
長い沈黙の後、ミサトは徐々にテンションを上げて叫んだ。周りがびっくりしてこちらを見た。恥ずかしい、と私は頭を抱えて下をうつむく。ミサトは周りの視線を気にせず記憶を思い出した喜びで高揚している。
「うん、三十路になるリツコを祝おうと帰国するって書いた、うん書いた記憶がっ!」
「………ミサト」
三十路の言葉に反応して私は顔を上げた。そしてミサトを見て笑う。
「何それ、私が三十路になるのがそんなに嬉しいわけ?」
うふふと口元は笑うが目は冷ややかに笑わず。サプライズだか何だか知らないけど計画していた本人がすっかりその事忘れて、びっくりさせる本人の前でその事を思い出す失態なんて世界は広くてもそんな事するのは貴女だけよ、ミサト。
「あ……まぁ…リツコ飲んで飲んで♪バースディイブ、奢りますから!」
「ありがとう」
流石に彼女も自分は間抜けだと気づいたらしくご機嫌取りに来た。プレゼントをこの場の会計にしてしまうという事は本当に今の今まで私の誕生日を忘れていたのだ、少しは演技だと思っていたけどそんな考えは無駄だったのねとがっかりした。私はテーブルの向こう側にいるバーテンダーに「この店で一番高いの貰えるかしら」と注文した。バーテンダーは「かしこまりました」と店の奥へと消えた。「リツコさん?」私の注文に彼女の顔が少々青くなる。そんなミサトに向かって私は微笑み「バースディプレゼント、ありがたくいただくわね」と喜びを表現した。こう言ってしまえば今日のミサトは引き下がれない。そうしてバーテンダーが1本のワインを持ってきて帰ってきた。開けてもらい新しいグラスにそれぞれ注いで貰う。綺麗な赤ワインが8分目まで注がれるとバーテンダーはグラスを私達の前に静かにおいた。私はそのグラスを持つとミサトに向けて
「ありがと」
「……誕生日おめでと」
再びグラスを合わせて乾杯をした。
先に酔いつぶれたのはミサトだった。ミサトは「こうなりゃ今日はとことん飲みましょー」と、ワインの半分以上を飲んだ上にビールやらカクテルを何杯もお代わりした。会計を済ましバーの外に出てタクシーを呼ぶ。タクシーが到着しミサトを後ろに乗せて何処に行けばいいのかしら?と聞くと今日は最寄のホテルに泊まると呂律が回らない喋り方で教えてくれた。運転手に「○×ホテルまでお願いします、着いたら無理やり下ろしていいですから」とお願いした。それを聞いたミサトは「何それ、ひどーい」と言葉を返してきた。それくらい文句が言えるなら大丈夫ねと私はタクシーから離れた。自動で車のドアが閉まって私はようやく肩の荷が下りた気がした。全く、どっちが祝われる立場なのか分かったもんじゃないわ。
「リツコ」
「なに?」
「誕生日おめでとー!」
出発するかと思ったタクシーは発進せず後ろの窓が開いた。そうして私に向かって元気よくお祝いの言葉をくれた。まだ日付が……と左手の腕時計を見て気づいた。11月21日0時3分。誕生日を迎えてしまったと。
「来年のミサトの誕生日は盛大に祝ってあげるから」
「楽しみにしてマース!」
今年ではなく来年、その意味にミサトは気づかない。来年になれば貴女も人のこと言えなくなるわよ、なんてったって来月はリーチかかるんだから。酔っ払った彼女は一晩寝てしまえば忘れてしまう、この約束。今日の飲みも下手すれば忘れてしまうかもしれないけど。でも私は覚えているから安心してね。来年の12月は加持君も誘って徹底的に祝ってあげる、今日の思いを込めて愛憎たっぷりに。
「じゃ、おやすみ」
タクシーの運転手に「お願いします」と言うと後ろの窓が静かに閉まった。中からミサトが元気よく手を振っている。私も右手で軽くミサトへ手を振った。車が動き出しタクシーは走っていく、私はタクシーが信号機で右折して見えなくまでその後姿を見つめていた。
ミサトを乗せたタクシーが去った後、1台の車が私の横に止まった。何となくだけどそのその車に見覚えがある気がする。後ろのドアのスモークが張ってある窓がゆっくりと下がっていく。窓が半分まで下ると「何故ここににいるのですか」とびっくりして口が開いてしまった。窓の向こうにいた人はいつものサングラス、黒のタートルネックにネルフの制服、顎から顔の周りを覆う整えられた髭。
私は断りもせず車のドアを開き彼の隣に座るとドアを閉めた。
ドアが閉まるのを確認すると窓は自動的に閉まり車は走り出した。
行き先も何も告げず走る車の中、私は彼に行き先を聞く野暮なことはしない。
既に彼の中でこれからの予定が決まっていて私がどんなに言ってもルートが変わることはないという事を知っているから。
私は彼に寄りかかる、貴方に全てを託しますの意を込めて。
「珍しいですね、こんな時間に出歩いているなんて」
「たまたまだ」
「たまたま、ですか」
「そうだ」
車の中で私から話したのはそれくらいだった。彼もそれ以上何も話さない。車内は走るエンジン音だけが響く。ふと外の景色を見ると夜の暗闇の中でネオンと街頭の光が光り輝いていた。そして再び車へと視線を戻す。この車の中は緊迫した空気とかそんなのは流れていない、そこに流れている空気は男と女がようやく出逢えた満足感と安心感。不器用な彼なりのバースディプレゼントを受け取った私の心は嬉しさと楽しさの最後の1ピースが埋まりようやく幸せに満ち足りたのだった。
甘い出来事、嘘ばかり