はやぶさ

はやぶさが帰ってきた。
そのニュースに一番心を馳せたのはミサトさんでもなく、アスカでもなく、僕。
帰って来たその日は少し色が薄い青い空でとても熱い日だった。僕は彼の方向の空を見上げながら呟いた。

「おかえり」





蛸の占い師が次に勝利を予言したのはスペインだった。
テレビに齧り付きながら固唾を飲んでその一部始終を見守っていたアスカは「くっだらない」と言い放つとテーブルから即座にリモコンを奪いとチャンネルを変えた。

「タコの占いなんて当たらないわよ」

決勝に駒を進める国が母国でなかった事が気に食わなかったらしい。僕はサッカーのルールに詳しくないのでワールドカップなるものは最初から観戦離脱。先ほど開けたばかりのポテトチップス(コンソメ味)を食べながら次々と番組が変わるテレビの画面を黙って眺めていた。

「――――調査機はやぶさから回収されたカプセルは先日……」

とあるチャンネルで僕の目は釘付けになる。画面に出たテロップ、はやぶさ探索機の映像、そしてアナウンサーの台詞。思わず口元が綻んだ。
けどすぐに「つまんなーい」って言ってアスカはまたチャンネル変えるんだろうなと考えたら眉毛を八の字に下げて大きいため息を1つついた。

「はやぶさって何してきたのよ。小惑星の欠片回収だけ?」

チャンネルは変わらなかった。アスカを見ると僕を見ていた。その表情は全く読めない。

「それだけじゃないよ。イオンエンジンの実用と長期稼動実験。それから惑星への探索着陸と合計9つのミッションを実践してクリアしてきたんだよ」
「……いつになく饒舌ね」
「そう?」

アスカは顎を上げ、ふーんと僕を見下したと思ったら急にしかめ面してリモコンを投げつけてきた。
アスカのコントロールは正確なもので、リモコンは見事に僕の顔に見事ストライク。

「な、何すんだよ!!」

リモコンを顔から引き離して叫んだ時はアスカは消えていた。キョロキョロと周りを見渡すと自分の部屋へと歩く後ろ姿を見つけた。右手には僕がさっき開けたばかりのポテトチップス(コンソメ味)
「僕のポテトチップ!」とアスカに向かって叫ぼうとした時、台所から僕の不幸を笑う声が聞こえた。

「アスカはね、自分より知ってるからちょっと悔しいだけよ」

この家の主、ミサトさんが台所のテーブルに寄りかかりながらこっちを見ていた。
ミサトさんは後ろの冷蔵庫に歩いていきカパっとドアを開けた。

「大丈夫よ。心配しなくても」

冷蔵庫から取り出したのはビールではなく僕のオレンジジュースだった。
……この家には他の人のものを勝手に食してはいけないというルールはないの?アスカといい、ミサトさんといい僕のおやつ奪いすぎ。しかし、本人の目の前で堂々と奪い断りなし。
でも僕は喚き立てる気概が湧かない。湧いて騒いだとしても無駄だって何となく分かってるから。僕はこの人達には勝てないってのをちゃーんと理解している。
ミサトさんはぷしゅっとプルタブを開けてジュースを一口飲んだ。さよなら、僕のオレンジジュース。

「でさ、はやぶさはどこへ調査しに行ったの?火星?金星?」
「いえ、1998SF36……イトカワです」
「イトカワ?」

ミサトさんは首を傾けジュースをまた一口飲んだ。

「イトカワは太陽系惑星のひとつで、地球に近い軌道で太陽の周りを回っている惑星のひとつです。イトカワは不思議な惑星で、普通天体の形は球型じゃないですか?でも、イトカワは楕円形であると推測されてます。その理由に惑星の表面物質が他の惑星と違う事が上げられて、その予測を実証させるために……」
「要するに、はやぶさはイトカワって惑星の物質サンプル回収目的で飛んだって事?」
「だと思います。それプラスでイオンエンジンの実証実験ですね。因みにサンプル回収できたかはまだ分かってません。もしかしたら空っぽである可能性もあります」

ミサトさんはニヤニヤと僕を見ていた。どうしてそんなニヤニヤと変な顔で僕を見つめるんですか?と聞こうとしたときミサトさんが片手を挙げて叫んだ。

「はい先生っ!」

とても小学生っぽいしぐさで僕はどう答えればいいか分からなくて困ったけど、自分の中で無難だと思う答え方で対応してミサトさんの質問を聞く事にした。

「はい、なんですか?」
「やっぱイトカワって惑星は火星並に大きいんですか?」
「いえ、小さいです。直径300mくらいで『機体が着陸した最小の天体』と言われてます」
「へぇー」

ミサトさんは右手を上下に動かした。目に見えない何かのボタンを押しているかのように見えた。

「1億年内に太陽か地球、近くの惑星に衝突する恐れがある惑星です。もし、地球だったら6500万年前に恐竜が絶滅した隕石以上の被害が起こると言われてます」
「……サード・インパクト?」

今まで御気楽モードだったミサトさんの顔が急に怖くなった。セカンド・インパクトを経験したミサトさんは昔の嫌な記憶を思い出したのだろう。

「1億年内に起こる話で今日明日とかに簡単に起こる事じゃないんです」
「……私達が生きているうちは起こらない災害なのね?」
「はい」

自信満々にそう返事をするとミサトさんの顔から怖身が取れた。
もし明日イトカワが落ちてきますって言ったらどうするんだろう。
きっと僕は最期の時を望む場所で終えたいと逃亡という旅に出るかもしれない。
でも、ミサトさんなら「エヴァで食い止めます!」とか言って空から降りてきた使徒と戦ったとき見たくエヴァを配置するかもしれない。そうなったら僕は――――無謀とかバカらしいとか思いながら乗っちゃうんだろうなと苦笑いした。

「ミサトさん、はやぶさってどのくらいの距離を旅したと思います?」
「さぁ?」
「60億キロです」
「漠然とした数字で分かりにくいわ」

そして「リツコならこういう話理解できて盛り上がるんでしょうね」とちょっと寂しそうな顔で呟いた。

「地球1周は4万キロと言われてます。それで計算すると15万周する事になります」
「んー……、まぁとんでもない距離って事ね」
「そうですね、地球帰還まで7年かかってますし」

テレビの番組はいつの間にかお笑い番組が始まっていた。僕は手元にあったリモコンの先端をテレビに向けて赤いボタンを押す。テレビはぷつんと切れた。雑音が消えた事により辺りが一気に静かになった気がした。

「まっすぐ行ってまっすぐ戻ってきたわけじゃないんです。本来なら2007年に帰還予定。でも2005年にトラブルが起きて、今の今まで帰還を延長」

テレビのリモコンをちゃぶ台の上に置いた。ミサトさんは空になったジュースの缶を口に咥え僕をじっと見ていた。ジュースの缶は顎の動きに合わせて小刻みに動いている。とてもチャーミング(?)な仕草(じゃないと思う)だけど、ミサトさんの目だけは僕をしっかりと捕らえて離さない。

「……科学燃料は全て故障、バッテリーは放電、イオンエンジンもボロボロだったし」

はやぶさにはそれらの事は全て想定内でバックアップや自動復旧がプログラムされていた。でも、

「はやぶさが地球に帰ってきたこと自体が『奇跡』なんです」

ミサトさんは口からジュースの缶を離し、テーブルの上に置いた。顎に手をやり何かを悩んでいる。沈黙が続く。僕は黙ってミサトさんの動きを観察していた。手で隠しきれていない唇が頻繁に動いている。震わせたり噛んだりして何かを考えてる。
顎から手を離し、言葉がまとまったミサトさんは柔和な笑顔を僕に向けた。

「ねぇ、シンジ君。はやぶさはどうして奇跡を起こせたと思う?」

言葉が詰まった。
今まで僕がアスカやミサトさんに語った事は本やニュースでの『知識』
だからスラッと答えれた、語れた。
でも、この質問は違う。ミサトさんは明らかに『知識』ではない答えを求めている。

「…………はやぶさは88万人の思いを抱えていた、独りじゃなかった」

はやぶさには149ヶ国88万人の署名入りターゲットメーカーが積み込まれていた。そのメッセージはイトカワに残され、様々なミッションを果たしたはやぶさはみんなが待つ故郷へと帰って来た。

長期間の「生存」と「帰還」こそがはやぶさの最大のミッション。
みんなの希望を乗せて宇宙の星空を渡り、待っている人がいるこの場所へ帰ってきた。
――――待ってる人がたくさんいたから、はやぶさは地球に帰って来たんだ。

「みんなの想いが、はやぶさの勇気になって、奇跡を起こす力となったんじゃないでしょうか?」

ニュースで語られたことがない、本には載ってない、僕の言葉、思い。
ミサトさんは僕の『答え』を理解し満足したらしい。一目で分かるくらい幸せそうに微笑んでいた。

「シンジー!」

アスカの呼ぶ声が聞こえた。呼ぶ声に反応するか迷った時「ほら、呼んでるわよ」とミサトさんは僕の背中を押してくれた。僕は腰を上げてアスカの部屋へと歩いていく。
アスカの部屋に辿りつくと、アスカは机に向かっていた。名前を呼ぶと振り向いて顎で僕を招いた。部屋に入る時に「お邪魔します」と断りを入れて机へと近づく。アスカの脇に立つと机の上にパソコンに目が行った。画面は開いてあってどうやら何処かのサイトに繋がっているようだった。

「これ」

アスカが見せてくれたのははやぶさの機体映像から宇宙の写真。そして、

「……なんて書いてるか分からないんだけど」

書かれている言葉は全て英語。一応英語は授業で習っているけどそれは基礎的なもので英文和訳レベルじゃない。多分はやぶさに関して書いてるんだろうけど全く読めない。もどかしくて悔しくなった。
そんな僕を見てふっ、と鼻で笑ったアスカ。右手の人差し指をパソコン画面へ押し当てる。そして英文をなぞりながらアスカは語った。

「はやぶさが持ち帰ったカプセル内から微粒子が発見されたことが分かった。ごく微量。地上で混入した可能性もあるので慎重に分析をしている。プロジェクトマネジャーは『分析結果が出るには数ヶ月から半年はかかるだろう』と話している」

日本のメディアにはまだ流れてない情報よ、とアスカは自慢げに言った。

「本当にそう書いてるの?」
「私を信じないなんていい度胸してるわね、バカシンジ」

髪をざっと掻き揚げてにっこりと笑ったアスカ。その笑顔がとてつもなく怖かった。

「いや、そういう意味じゃなくて」

最後まで話しきる前に左足を思いっきり踏まれた。鈍い痛みに涙が出た。でも、叫び声は出なかった。多分靴だったら叫んでた、ヒールの踵だったら絶叫。今が夏で、室内で、アスカの足がはだしでよかったと心底思った。

「なぜか米国の方で先に報道されちゃったけど、多分明日には日本のメディアでも報道されるはずよ」
「そっか」
「イトカワの物ならいいわね」
「大丈夫、絶対そうだよ」

もし、イトカワの物質粒子でなかったとしてもそれは『絶望』ではない。次への『希望』になると思う。だって、失敗は成功の元とよく言うじゃないか。サンプルが回収できなかったとしても次に生かせばいい。次への成功への糧にすればいいんだ。そうやって人は前へ、未来へと歩いていく。

「ねぇ、アスカ。日本語のサイトではやぶさの情報見れない?」
「んーー、多分ググればいっぱいあるわよ」
「ググ、る?」
「あー、用語。気にしないで」

慣れた手つきでマウスを動かし新しい画面を開き入力画面で文字を打っていく。検索のボタンに矢印をあわせてクリックすると次のページが開かれた。

はやぶさ検索:2200000件

「アスカ、これ、全部見ていい?」
「ぜ、全部ぅ?バッカじゃない?」

同じサイトとかはやぶさ繋がりで探査機とは関係ないものが全部検索に引っかかってるのよ?とネット検索について詳しく教えてくれた。そうしてアスカは、はやぶさの他に何点かのキーワードを追加して再び検索してくれた。それでも1万くらい検索された。

「見る?」
「うん!」

アスカはうんざりした呆れたような顔をして、踏みっぱなしだった僕の足をようやく離してくれた。

「30分だけね」

椅子から降りて席を提供してくれた。「ありがとう」とお礼を言ったらと「今日のご飯はカレーにしてね」と近くにあったファッション雑誌を手に取りベットの上に寝っころがった。僕はその要望に素直に「うん」と答えてパソコンの画面を見る。


○ 小惑星探査機「はやぶさ」(MUSUS-C)
6月13日に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」のカプセルがこの夏、・・・・・・

一番最初の検索されたページに書かれてる言葉、ちょうど気になる部分で文字が途切れていた。僕はマウスを操作してカーソルをリンクされてる部分に合わせる。

マウスをクリックと共に新しいページが開かれ、僕の世界が少しずつ広がっていくような気がした。

はやぶさ

はやぶさ

■ ヱヴァンゲリヲン新劇場版 祝はやぶさ帰還コラボ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-09-02

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work