I am learned

式波・アスカ・ラングレーは眉間に深い皺をよせた。

「ヒカリ」
「どうしたの?アスカ」
「これあげる」

机に置かれた弁当箱を目の前に座っている洞木ヒカリへと押し付ける。
ヒカリはアスカの弁当を覗く。御飯の部分に卵のふりかけがかかっており、おかずの部分は玉子焼きとウインナーとミニトマトとほうれん草が綺麗に隙間なく入っていた。

「ちゃんと食べないとお腹すくよ?」
「だって、いらない」
「嫌いなものでも入ってるの?」
「そういうわけじゃないけど」
「なら、食べないと」

ヒカリはお母さんのようにアスカをなだめた。
しかし、アスカはヒカリの元へ押し付けた弁当箱を自分の所へ引き寄せようとしない。それは本当に食べたくないから、と言うよりも意地でも食べないという感じの我侭な抵抗だった。
そんなやりとりをしている中、教室の扉が開いた。現れたのは鈴原トウジだった。彼は教室を見渡しヒカリを見つけるとそばに近寄り声をかけた。

「いいんちょ」
「鈴原」

ヒカリは2年A組のクラス委員長なのでみんな、特に男子から「委員長」と名を呼ばれる。トウジも例外ではなかった。ヒカリとしてはトウジから委員長と呼ばれるのに少し不服があったがその不満を口にする勇気は持てずじまいである。

「根府川先生が呼んどったで」
「根府川先生が?」
「あぁ、昼休みか5時間目の後に来いやて」
「分かった。ありがとう」

6時間目は根府川先生の社会の授業。ヒカリが呼ばれたのは授業で使う資料を運んで欲しいということだろう。いつものことである。
普通の先生は授業で使う資料などは生徒のパソコンにメールで送信している。その方が先生もコピーなどの手間を省く事ができるし生徒も資料をなくした忘れたなどの事もない。しかし、根府川先生は手間も苦労も惜しまず授業の度に資料をコピーし生徒に配布している。
歳ゆえかの古風的なやり方、そんな根府川先生の授業は10年以上前に起こった災害・セカンドインパクトについての事しか語られた事がない。教科書に載ってない被害状況から復興に至るまで自分の見てきた日本を毎時間つらつらと語っている。
最初は自分が生まれていない過去の歴史に興味持って聞いていた生徒達だが、それが毎時間続くと1人また1人と興味が失せていき渡されたテキストをパソコンに打ち込みながら独学で学習するに至る。余った時間を別科目の内職またはこっそりと睡眠の時間に当てるようになり根府川先生の話に耳を傾ける者はいなくなった。
このアバウトすぎる授業の実態を聞けば教育委員会が騒ぎだしそうであるが、使徒という敵で大騒ぎな今の世の中。小さな学校の授業1つ問題あってもそこまで手が回らないのが現状。根府川先生はその点を把握して授業を行ってるのか分からないが、もし把握してるならそうとうの狸かと思われる。

「じゃ、伝えたで」

トウジが自分の席へと歩きだそうとした時、ヒカリは「ありがとう」と共に1つの事を聞いた。

「鈴原、今日もパン?」

トウジの手には焼きそばパンとメロンパン。彼は4時間目の終了の鐘が鳴ると同時に教室を飛び出し購買部へ駆け込んだ。反則スレスレのスタートダッシュのおかげで彼は校内1・2番の人気を誇る惣菜パンを手に入れる事ができた。これがトウジの昼食だった。

「あぁ、妹もおらんからな。親父も仕事で帰ってこんし」
「…………お母さん、いないの?」

トウジの「妹も」という言葉でアスカは疑問に思った。妹の他に誰がいないのだろうか?父はいる、ならば母?アスカは2人の会話に割り込んでトウジに質問した。
トウジは目を大きく開いた。まさか彼女が自分について質問してくると思わなかったから。真面目に答えるべきか、答えをはぐらかすべきか彼は悩んだ。
悩んでトウジは思い出した。それはアスカとの初対面したあの日。

先々週の日曜日、エヴァンゲリオンを間近で見れるチャンスがあると友人・相田ケンスケがしつこく言うので2人で軍直属の輸送基地へ向かった。そして新たな使徒と遭遇。直ぐにシェルターに非難……その時、空から赤いロボットが海を渡り歩く使徒に向かって落下しているのを見た。
非難警告が解除され、地上の空気を吸った彼らはエヴァンゲリオンのパイロットである友人の碇シンジと連絡を取った。彼が無事か否かを確認する為に。シンジは出撃していなかったが別の意味で死を体験していた。そんな事を知らないトウジとケンスケはパイロットとして戦地へ足を踏み入れなかったシンジの無事に胸を撫で下ろし、偶然にも上司の計らいで目的地である輸送基地へ招待された。
輸送基地にはシンジが乗る初号機は残念ながら無かったが、先ほど空から舞い降りてきた赤いエヴァンゲリオンがそこにあった。ケンスケがシンジの上司のお姉さん(と言っても血の繋がりはない)からこのエヴァについて聞こうと思った時、

「このエヴァンゲリオンは最強なのよ!」

突然現れ自慢げに説明してきたのがアスカだった。

「サードチルドレンは誰?」

そう聞かれて彼の友人であるシンジが「あのぅ……」と自信なさげに名乗り出た。その気弱な態度にイラッとしたアスカは即シンジに近寄り足蹴りして転ばせた。女王様な態度、上から目線で「あんたバカぁ?」と高飛車な姿勢でパイロットの自覚なしとシンジを言い詰める。その姿に上司のお姉さんは何とも云えない顔をし、トウジは「女っておっかねぇ」と思った。ケンスケも興味なくその場を立ち去ったもう1人のパイロット含め「女って(いろんな意味で)凄いねぇ」と苦笑いをした。


あの日を振り返ったトウジは『変な答え方をして蹴られたり殴られるのは嫌だ――――』と結論を出し、自分の家族について素直に、そして簡潔に話す事に決めた。

「あぁ、おかんは3年前に亡くなってな。妹は入院しとる。やからつい自分の飯が簡単になってしまうんや」

沈黙が流れた。
聞かなきゃ良かったと後悔したアスカ、なんやこの空気?と湿っぽい空気を感じたトウジ。
トウジはそのような空気になると思って話したわけではない。アスカも自分に母親がいないので少し興味あって聞いた。それだけのこと。しかし内容が内容だった為、その後の会話の糸口が見つからない。
ヒカリは思った。なんとかしないと、この空気を変えようと気の利いた言葉を探す。しかし、うまい会話が思いつかない。焦りばかりが募った。

この沈黙を破ったのはヒカリでもなく、アスカでもなく、トウジだった。

「そういう事でこの玉子焼きは頂くで」

喋りながら手付かずのアスカの弁当に手を伸ばし玉子焼きをひょいっと奪った。奪った玉子焼きはそのままトウジの口へ収まる。

「ちょっと!誰が食べて良いって言った?!」
「ん、うまい。でももうちょい甘い方が好みやな」
「そんなこと聞いてない!」
「この玉子焼きがわしに食われたいと言うとったわ」
「玉子焼きが喋るわけないでしょ!」
「ひねくれもんには聞こえんのや」
「私のどこがひねくれてるっていうのよ!」
「弁当作ってくれるもんへの感謝なく食べようとせんとこやな」
「うっ……」
「ほな」

トウジの言葉に反論できないアスカ。こんなバカに……と貶しながらトウジの言葉を反芻する。アスカは口をぎゅっと結び玉子焼きが1つ抜けた弁当を見つめた。
ヒカリはトウジを目で追った。トウジは窓側の後ろの席、シンジとケンスケがいる場所へ迷いなく歩いていく。
ヒカリはトウジがシンジとケンスケに声をかけたところで彼を目で追うのをやめた。お弁当に集中しようと目線の戻そうとした時、ヒカリは気付いた。

クラスメートの綾波レイがお弁当を食べている事に。

(綾波さんがお弁当食べてるなんて珍しい……)

レイは御飯を口に入れゆっくりとかみ締めている。まるで高級料理を味わうかのように。いつもお昼休みは窓の外をじっと見ている彼女がお弁当を食べているなんて珍しい。いや、珍しいというより御飯食べれるんだとヒカリはびっくりしてしまった。

「ヒカリ」
「な、なに?」

ヒカリは名を呼んだアスカの方へと視線を戻した。アスカはお弁当を食べていた。ふりかけがかかっている御飯を美味しいともまずいとも云えない表情で黙々と口に運んでいる。

「から揚げと玉子焼き、交換して?」
「う、うん!」

アスカは箸を動かし自分の玉子焼きをヒカリの弁当箱へ移した。ヒカリも自分のから揚げをアスカの弁当箱へ移す。ヒカリはアスカが置いた玉子焼きを箸で掴み一口齧った。自分が作った玉子焼きより甘かった。でも、

「美味しい。これって、一緒に暮らしてる人が作ったの?」
「……バカシンジが作ったのよ」
「い、碇君が?」

ヒカリは驚いた。作ってるのはアスカの保護者だと思っていたから。

「ミサトは作らない、というか作ったらとんでもない料理になるから。ミサト、って一緒に暮らしてる保護者なんだけど……その人とバカシンジと暮らしてるの」
「ミサトさんは親戚?」
「違う」

否定した言葉を紡いだアスカだったが、少し間をおき首を振って答えを改めた。

「違うけど、ミサトはお姉さんって感じする。バカシンジはよく分からない」

それがアスカの中で納得がいく答えだった。ヒカリは「そっか」と言いながら玉子焼きを胃に収めた。
アスカはヒカリがくれたから揚げを食べた。衣がカラッと揚がっていて隠し味のしょうゆとにんにくのたれがアスカの舌を唸らせた。

「……美味しい」
「それ、私が作ったんだ」
「ヒカリが?」
「うん。お父さんもお母さんも忙しいから」

ヒカリのお弁当箱はアスカより先に空になった。赤と黒のチェック模様のハンカチで蓋を閉じた弁当箱を包みながら会話を続ける。

「私、三人姉妹の真ん中なんだけどお姉ちゃんは仕事で忙しくて。妹はまだ小さいの」
「なんの仕事してるの」
「んーっと、ネルフって分かる?」
「うん」
「そこでお父さんもお母さんもお姉ちゃんも働いてる。確か鈴原のお父さんも一緒。使徒って怪物がやってきて、エヴァってロボットが退治してくれるんだけど……後片付けとか修復とかが忙しいって言ってた。残業したり、夜勤になったり」
「…………」

アスカの箸の動きが止まった。目を逸らし何かを考える。唇を何度か動かし戸惑っていたが、意を決して言葉を述べた。

「ヒカリは、使徒のことどう思う?」
「できれば来てほしくないかな」

弁当箱を包み終えたヒカリは視線を窓の外へと向けアスカの質問に静かに答える。

「使徒がこなければ平和だし、家族が一緒になる時間が増える。疎開とかで仲良かった子と別れることもない」

鈴原の妹も怪我を負うことにならなかった。
碇君も綾波さんも危険な目に合う事もない。
使徒が現れてから悪いことばかりが起きている。
使徒がいなければ、と思ったことは数え切れない。

「でもね、こうやって家族の為にお弁当や食事を作る事が嬉しいんだ」

仕事が忙しくてもお父さん達は必ず帰ってくる。本当は帰ってくる余裕なんてないのかもしれない。無理しないでねと言うと『家族の顔を見たい』『無事な姿を確認したいの』と帰って来る理由を話してくれた。その理由が嬉しかった。
そんな母や姉の負担を減らす為にヒカリは家の家事の一切を引き受けた。最初は失敗ばかりだったけど、失敗を経験に変えたり教えられたりで上手くなり今ではそんじょそこらの主婦に負けない家庭料理を作る事ができる。
そんなヒカリの楽しみは朝、ご飯を作る前に流し台を見ること。そこには必ず弁当箱が3つ水に浸かっている。お弁当箱の中身を確認して空であると笑顔になる。どんなに忙しくてもちゃんと食べてくれたんだと嬉しくなりその日の御飯作りの励みとなるのだった。

「お父さんもお母さんもお姉ちゃんも皆、地球の平和の為に命かけてるって言ってた。それがどれだけ凄くて大変なのか分からない。でも、私の御飯で元気になれるって、美味しいって喜んでくれる。こういうのって普段はお母さんがやってくれることだから……平和だったら気付かったと思う」

これが本当の「家族」の姿なのかもしれない。家族の為に何かしないと、ではなく一緒にいたい、その為の時間を作る事が家族なんじゃないかなと思った。
それはお金では買えない、気を抜けば失ってしまう大切な時間。
ヒカリは自分が一から作った、から揚げを頬張るアスカを見つめた。

「それに、アスカに食べてもらって美味しいって言われたし」

嬉しそうに微笑んだヒカリ。それを見たアスカも笑った。

「ヒカリは凄いね」
「そんなことないよ」
「私も……」

アスカは何かを言いかけた、その時だった。

「式波さん」

後ろの席にいたシンジがいつの間にかアスカの後ろに立って声をかけた。アスカは体をびくっと震わせ、笑顔を消した。後ろを振り向き眉間に皺を寄せて不機嫌な声でシンジに声をかける。

「……なによ」
「いや、今日の夕御飯何がいい?って聞こうと……」
「それだけ?別に何でもいいわよ」
「いやぁ、何でもだと困るんだよ……」
「何で困るのよ。好きなの作ればいいじゃない」

いつも御飯のリクエストなんて聞いてこないのに……アスカは目の前で困っているシンジを不思議と思いながら後ろを見た。目に映ったのはニヤニヤと面白そうな顔でこっちを見ているトウジとケンスケ。
2人の表情でアスカは察した。

コイツら、私をターゲットにして何か企んでいる。

「……さては、アンタ。何か企んでるでしょ?」
「そんな事は……」
「吐きなさいっ!どうせくだらない企みでしょうがっ!」
「ひぃ!」
「ちょっ!待ちなさいよ!!」

椅子をカタンと引き、立ち上がるアスカ。いきなり立ち上がった事にびっくりしたシンジは思わず逃げ出し、後ろで笑いながら様子を伺っていた2人の元へ駆け寄る。シンジ、そしてアスカがこっちに来た事でヤバイと感じた2人は教室を飛び出した。シンジも2人を追いかける。その3人をアスカは追いかける。

こうしてお昼休みギリギリまで使う事になる4人の追いかけっこが始まったのだった。

因みに三バカは「アスカが食べたいもの」で放課後のアイスを賭けていた。トウジは「肉」ケンスケは「魚」シンジは「ジャンクフード」どれかが当たれば外れた2人から2日間かけてアイスを奢ってもらう、そんな小さなお遊び。その為に彼らは短時間で体育の授業並の体力を消耗することになるとは企画時点で思いもしなかった。

取り残されたヒカリはアスカの弁当箱を見る。お弁当箱に残されたのは少量の御飯とほうれん草のみ。4人の追いかけっこは長引くだろうと思ったヒカリはアスカの弁当箱を片付けた。桜の刺繍が入った白いハンカチで丁寧に包む。綺麗に包み終えた弁当箱をアスカの席の真ん中に置いた。
そして自然にヒカリはレイを眺めた。レイもちょうど御飯を食べ終えたようで両手を合わせてごちそう様をしていたところだった。
その姿はいつものように冷静で妙に大人びた姿ではなく、等身大の少女の姿。合わせた両手が下ろされた時、彼女の口元が緩んでいたのを見逃さなかった。その微笑が子供のようで可愛いとヒカリは思った。

「そうだ」

ヒカリは急いで自分の席に戻り机の中から可愛いメモ帳を取り出した。筆箱からペンを取り真っ白なページに言葉を記す。それはヒカリにとって重要な事柄だった。

「これでよし」

書き終えたメモ帳を閉じ、そのまま机の上に置いたままヒカリはお昼休みの間に根府川先生の用事を遂行しようと教室を後にした。


クラスメートの誰かが教室の窓を開けた。開け放たれた窓から風が吹き込みカーテンはふくらむ。女子が髪を押さえたりお弁当に埃が入らないようガードしたりとそれぞれが突然の風への対応をする。
頬に当たる風にレイは反応しない。弁当箱を片付けた後、彼女は窓の外をじっと眺めていた。彼女の赤い瞳に写るのは青い空と白い雲。夏の風景だった。その風景をただじっと眺めていた。

風がヒカリの机のメモをパラパラとめくる。とあるページで風が止んだ。
それは、ヒカリが先ほど書いた重要な事柄であった。

『鈴原は甘い玉子焼きが好き』

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■ ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 アスカとヒカリの御話

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-28

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二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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