I am hesitated
「僕はもう、笑えません」
僕の口からそう言われてミサトさんは言葉を失ったようだった。僕もこれ以上喋る事がない。
数秒後、厚さ1cmのドアが僕とミサトさんの間に割り込んだ。今の僕達の気持ちをはっきり形にしたようなドアの閉まり方。視界は断たれた、追ってくる気配もない。
一歩足を踏み出す、さよならミサトさん
一歩足を踏み出す、さよならトウジ
一歩足を踏み出す、さよならケンスケ
一歩足を踏み出す、さよなら
さよなら、綾波
「レイね、あの時のお食事会に司令も呼んでいたの」
本当だったらあの時間、綾波と父さん、ミサトさんとアスカとリツコさんとみんなで仲良く食卓を囲んでいた。
綾波の手料理を楽しみながら、僕は勇気を振り絞って父さんに話し掛ける。僕がどんな会話をしても父さんは「あぁ」としか答えてくれないんだろうけどそれでも僕は嬉しいんだ。
アスカがそんな僕を見て「バッカじゃない」とツッコミを入れる。ミサトさんは持参したビールをぐいっと飲み、リツコさんはそんなミサトさんを見て少々飽きれてる。綾波は「碇君、おかわりは?」と聞いてくれて、僕はおかわりをお願いする。そんな、時間にして2時間くらいのお食事会。
その機会はもう二度とやってこない。
僕が使徒という名の参号機を、アスカをぶち壊したから。
弐号機に首を絞められた時、僕は『死んでもいい、アスカに手をかけるくらいならこの命くれてやる』そう本気で思った。
そしたら電源が落ちた。苦しさから開放された僕は体内に不足されていた酸素を一気に吸い込む。何度も小刻みに、吸って、吐いて、吸って、吐いて。
気持ちが落ち着くと自分の命が助かった、なら外にいる参号機……アスカはどうなったんだ。電源を落としたこの初号機はこのままなのかといろんな事を考えた。
そうすると後ろのエンジン音が再び音を立てた。
……そうか、父さんはまだ諦めていないんだね。
初号機が動く事への恐怖、そしてアスカと対峙、自分の死をもう一度覚悟する。
でも、違った。後ろの機械が目の前に下りて視界がふさがれた。両脇の触手のような部分が操作レバーを僕の両手ごとがっちりと固定した。
まるでここから離さないかのように。
「何するんだっ!何をするんだっ!!父さん!!」
叫んでも反応してこない、僕の意思を無視して世界は進んでいる。手の平の感触でレバーが勝手に動いているのが分かる。ボタンに触れているわけでもないのにカチャカチャと動いている。初号機が僕の手を離れて何をしているか分からない、いや違う、分かりたくない。だから必死に叫んだ、言葉にした。
「止まれっ!止まれっ!止まれっ!止まれっ!!」
しかし、触手のような機械は僕の指1本動かす余裕を与えない。ボタンの音が耳、いや掌から聴こえる、エヴァがどんな風に動いているか聴こえてくる気がする。目の前に降りてきた機械が邪魔で、どうにかして前を見たいと体を大きく左右に動かす。機械の壁の向こうは光の粒子が流れていく映像だけで外の様子がわからない。でも、何か恐ろしい事が画面の向こうで繰り広げていると言う事が分かってる。それを阻止したくて必死に止まれっ!離れろっ!と両手を、体を動かした。
初号機の上から何かをがっしりと固定するかのような音が聞こえ、僕の頭に1つの想像が浮かんだ。この機体が、何かを口にくわえたイメージ。上下に圧力を加えたようなギギギという音がコピック内に響いた。
「やめろっ!やめろぉぉぉぉ!!!」
血が出るんじゃないかと思うくらい両手を引っ張った。しかし、びくともしない。
神様!
仏様!
母さん!
誰でもいいっ!
この初号機という悪魔を止めてくれっ!!
そしたら、堅いものを砕いたような鈍い音と女の子の叫び声が聞こえた。
僕は参号機のエントリープラグが破壊されたと瞬時に理解し、今まで全身に込めていた力を開放するかのように、泣きながらアスカの名前を大声で叫んだ。
僕はエレベーター前にたどり着くと下へのボタンを押した。やってきたエレベーターに乗り込むと振り向いて1Fのボタンを押す。閉じるのボタンは押さない。自動的に閉まるまで僕は一点を見つめる。そこは先ほど出てきたドア、扉は閉まっているがその向こうにはミサトさんが立っている。アナウンスが流れドアが閉まり始めた時深々とお辞儀をした。僕は二度とこの場所に戻らないと決意を新たにして。
駅のホームに着いた。夕方前のこの時間は電車に乗る人って少ない、と考えながら電車を待つ。やってきた電車に乗り込み椅子に座る。ここから5つ目の駅に着いたら乗り換える。その駅に着くまで僕は黙って座って待っていた。
3つ目の駅を過ぎた後、突然だった。
車内が一気に赤色に染まった。それはまるでエントリープラグのように。赤灯の点滅を繰り返しアナウンスが流れた。「これから緊急体制に入る」と。
「使徒だ」
体が動きそうになった。戻らなきゃと。だけどすぐに僕はもう違うんだと気持ちを抑えた。
『そんなに行きたいなら行けばいいのに』
頭の中に声が響いてきた気がした。「そんな事、言うな」と自分に言い聞かせ幻聴を追い払った。
電車がガコンと大きく揺れて路線が変わった。アナウンスによれば近くの駅で住人を乗せた後、シェルターに向かうらしい。そのシェルターの場所はネルフ本部の近くだった。
戻りたくなくても僕の道はそこへ繋がっている、少し愕然とした。だからと言って僕はそこから動く気も逃げる気もなかった。
『なんで乗りに行かないの』
また、声が聞こえた。幻聴を振り払う為に外の世界に意識を持っていく。
電車が止まった。名前が分からない見知らぬ駅、人が一気に乗り込んできた。
「まったく、また得体の知れないのが来たのかよ」
「何とかしてくれよ」
「政府の奴一目散に逃げるくせに」
「税金の無駄遣いじゃないか」
「本当に終わるのか、こんなの」
「最近頻繁だよね」
「あ、通帳忘れた」
「都心から離れようか」
「帰れる?」
「うぁぁぁぁぁん」
「ろくでなしが」
周りの話し声が煩くて、僕は自分の心の奥へ逃げ込んだ。そうすると、嫌でも頭に響く声とと対面する事になる。声はさっきの質問を繰り返した。
『ねぇ、どうして?』
「答えたら君は消える?」
『答え次第』
「答えなんかもう知ってるだろ、君は僕なんだから」
恐かったんだ。
アスカを壊したのは僕じゃなくても、エヴァと言う機体の中で僕は誰よりも近くでアスカを壊していった。自分の意思は尊重されず、僕の大切なものが消えていく。僕がエヴァに乗るだけでこれからの戦い、大切な何かが壊れていくのかもしれない。
それはトウジやケンスケかもしれない。
それは綾波かもしれない。
それはミサトさんかもしれない。
僕の大切な人達がエヴァで失っていく、その犠牲の上で成り立った地球の為に戦う。そんな考えで戦うなんて僕にはできない。地球の平和よりも、僕は僕に関わっている人の方が大切だ。だから僕はエヴァに乗らないと決めた。これ以上この手で大切なものを壊さない為に。
ねぇ、ミサトさん。僕の今の気持ち、正しいのかな?自信を持っていいのかな?失いたくない人がいるから戦わないなんて、間違っている?
エヴァで暴走して、自分の意思関係無くミサトさんをこの手の中で殺す事になったとしても「平和の為。だからやりなさい」って僕に命令できますか?
あの別れの時、僕はミサトさんと一度も目を合わせなかった。僕を掴もうとした手から逃れてあの家を出た。ミサトさんはきっと今頃、ネルフ本部へ駆けつけて使徒対策を立てているんだろう。
直線上に進んでいた電車がいきなりスピードを落としたかと思ったら下がる感覚に陥った。窓の外をみると斜め下へ降りているみたいだ。どうやらジオフロント内のシェルターへ行くようだ。周りの声は先ほどと変わらず、人を貶したり絶望を感じたりした内容だった。
もう、関係ない。僕はもう舞台から降りた人間。
この人の波の行くところに腰を落ち着けたら、もう動かず黙って待っていよう。なんだかもう疲れたから。そうして僕は目を瞑り電車が止まるまでの時まで静かに待つことにした。
I am hesitated