それでも涙はこぼれない

最後に泣いたのはいつですか?僕は覚えていません。
人間は何故、泣くのでしょう?
簡単なことかもしれないのですが、ふと疑問を覚えて書き始めました。
僕(主人公)と彼女、そしてその他の登場人物たちがそれぞれ涙やそれに関することを語ります。
僕は果たして涙について、なにがしかの答えを得ることができるのでしょうか。

公園の2人

 僕たちは、いつの頃からか泣かなくなった。
それはもう随分と昔のことで、僕の祖父の世代では泣くことはそれほど珍しくない日常の一部だったそうだ。
でも今を生きる僕たちにはそれは遠い世界の話で日常とは言えなかった。僕たちは涙や泣くことを知らない。
かつて人はこの世に生まれ出たときに始まり、病気や怪我による苦痛、あるいは出会いと別れ、悲しみや喜びに対して、涙して泣いたという。
 古い映画で人生の悲喜こもごもに涙する俳優たちの姿は、僕たちにとってどこまでも異邦人でしかなかった。祖父はそんな映画を見ながら、不思議そうに自分を見る僕の頭をいつも優しく撫でていた。今を生きる僕たちは、常に笑っている。誕生のその瞬間から笑い声を世界に響かせ、悲しいときも苦しいときも苦しいときも笑顔を絶やさない。
それが普通というものだった。。

涙(なみだ、淚、涕、泪)は目の涙腺から分泌される体液のこと。
眼球の保護が主な役割であるが、かつてはヒト特有の現象として
感情の発現として涙を流すことがあった。現在ではそういった感情の
発現として涙を流すことはほとんど見られなくなった。それがヒトの進化
なのか、それとも異常であるのかについてはさまざまな論争を呼んだが
原因は解明されていない。

いつだったか涙の意味を調べると、こんな風に書かれていた。確かに埃が入ったり、煙が目に染みれば生理的な現象として涙を流すことはある。
けれど、ヒト特有の現象とされる感情の発現としての涙が流れることは、ほとんどないと言っていい。
以前、テレビ、ネット、ラジオ、なんだったかは覚えていないが、涙を流せる人が紹介されていたが、それを見聞きした所で何があるわけでもなく(少し驚きはしたが)興味は芽生えなかった。
たとえ悲しくても哀しくても、苦しくても愛おしくても、怨もうが怒ろうが、僕らは泣かない唯、笑う。

「そうね。何故、そうなったの?

 僕の座った公園のベンチに、同じく座った彼女がこちらを見ずにそう言った。
その言葉が僕への質問なのか、独白なのか解らず、僕は黙って彼女の横顔を見つめた。艶やかな黒髪が、ひとすじだけ乱れて頬に流れていた。
そのひとすじを、しなやかで長い指が(改めて気づくのだけれど、彼女の人差し指は、中指と同じくらいに長い)撫で付けて整える。彼女はベンチの端に座った僕の、反対側の端に座っている。ちょうど真ん中にひとり分のスペースが空いていた。
その近くも遠くもない距離が、僕たちの関係を端的表していた。
僕と彼女、互いに名前も知らない2人。
ただ顔だけは知っている。
友人とも知人とも言えない、曖昧な顔見知りというだけの関係。
そんな僕たちが、今日、この場所、この時間に出会い、立ち止まり、どちらからとも言わず、
白いベンチに座っていた。 

葬儀にて僕、涙を見る

 彼女を始めて見たのは半年前、高校時代の恩師の葬儀でのことだった。

 僕は高校生の頃、今から3年前になるのだけれど美術部に所属していた。とは言っても、特段芸術というモノに才能や情熱があった訳でなく、部活動をしていれば、少しは進学に有利に働くだろうという姑息な考えからであった。
まぁ、絵を描くことは他の物事に比べて(箸にも棒にも引っかからない無才な僕ではあるが)少なくとも好きだったし、誰かに言われた訳でもないがその頃の僕は愚かにも自分には埋もれた才能があるのでは・・・と恥ずかしながら期待していた所があったからでもある。結局は自分はピカソにもゴッホにもモネにも荒木飛呂彦にもなれない、そんな現実に気づいただけだったのだが、美術部に所属していた3年間が僕にとってなんの意味もなかったかと言えば、嘘になるだろう。それなりに楽しかったのである。あの頃の、いや今も現在進行形でそうではあるのだけれど、『今が楽しければ』いいのである。
 そんなわけで僕は3年間これといった成果を上げるでもなく適当に絵を描きちらし、適当に友人達と遊び、歌詞の意味も良く解らないながら洋楽を聴いてはへたくそなギターを掻き鳴らし、周囲の不況もどこ吹く風で過ごしたのだ。その不朽の黄金時代はあっという間に過ぎ去り、大学受験という壁を這い上るのに僕は他人よりも1年間、余分に使い己に磨きをかけて、京都の大学に滑り込んだのであった。つまる所、1浪したわけである。「あぁ、この回り道の1年間は得難い、人生の貴重な1ページになるのだ」と地元の予備校に通いつつまだ来ぬ栄光の未来を僕は思い描いていた。決して無益な1年ではなかったはずだ。断じてない。だが栄光の未来もまだ訪れていない。未来とは未だ来ぬという意味であるから、永遠に来ないのかもしれないけれど。
 
 どうも話が随分とそれてしまったが、その美術部の顧問であったのが、僕の恩師で赤鼻とかトナカイとか呼ばれていた先生である。何故、そう呼ばれていたのかと言えば丸い鼻がいつも酒でも飲んだかのようにテカテカと赤かったからである。先生は大学時代は美術史を専攻していたそうで、美大に行きたかったが、やむを得ぬ理由でその道を閉ざされたのだそうだ。先生は芸術家にはなれなかったが、話は滅法面白く物を教える事に関して雄弁な語り口とその知識の豊富さで僕たちを楽しませてくれた。ちょうど僕たちが卒業をして翌年、定年になり教職は辞めたものの美術部での指導は続けていたそうだ。
 トナカイ先生の遺影は僕の記憶と変わらぬ自信に溢れたからりとした陽気な笑い顔だった。祭壇は七色の照明でライトアップされて眩いばかりである。抹香臭くもなければしめやかでもない。南洋を思わせるカラフルな花々が祭壇を飾っていた。
キレのいいタンゴに合わせて三人の坊主が煌びやかな袈裟に身を包み、経を唱え始める。陽気な銅鑼の音に、アップテンポな木魚のビート、坊主トリオはノリノリだった。遺族も弔問客も口元に小さく笑みを浮かべて、瞑目するものや、足を軽く踏み鳴らす人もいた。
近年の葬儀はこんな風で、まぁ今回は年輩者の葬儀でもあり比較的落ち着いたものである。かつてしめやかに行われたという葬儀に近い形ではないだろうか。
僕たちぐらいの世代の葬儀であれば、喪服よりもアロハシャツや派手派手しい色合いのスーツ姿の一群が、ギターやベースを掻き鳴らしドラムを打つ坊主を先頭にパレードすることもあった。ときにはそこにダンサーまで加わり、、さながらリオのカーニバルのような天地をひっくり返さんばかりの騒ぎに発展する。そうなるともう、町をあげてのお祭り騒ぎである。終いには打ち上げ花火が空高く花開いて、晴れやかに故人を送る人の群れがそれに歓声を上げる。笑顔で葬送の列は華やかに続いていく。陽気に包まれてどこまでも。

さてトナカイ先生の葬儀が、そろそろ喪主の挨拶に移ろうとしていた。喪主は先生の長男で赤い鼻ではなかったが、意志の強そうな太い眉が良く似ていた。彼は仰々しく、胸を張り周囲に一礼して、破顔一笑、挨拶を始めようとした。もしかすると自慢の喉でも披露しようと思っていたのかもしれない。学生時代に先生が息子は歌手になるかもしらん、と
嬉しそうに語っていたからだ。しかし先生の息子の歌声のほどを、僕が知る機会は失われた。(知りたかったわけでもないが・・)
閉め切られていた式場の両開きの扉が、ふいに開けられたかと思うと喪服の女が、式場の陽気な空気に爪を立てるように姿を現したのだった。

彼女を見た誰もが、その姿に呆気をとられた。
なぜなら彼女があまりにも、悲しげな顔をしていたからだ。場にそぐわない人物の出現に喪主は言葉を失い口をパクパクさせていた。
艶やかな黒髪は腰の辺りまであり、化粧っ気はないが、鼻筋の通った顔立ちやその凛とした佇まいは一枚の絵を思わせた。
唖然とした人々の間を、まっすぐ前を見据えた彼女がいく。その先でトナカイ先生の笑顔が待ち受けている。彼女は静かに歩みを止めて、周囲と親族に一礼した。それから遅れて現れ場を乱した事を詫び、焼香をしたい旨を告げた。

それでも涙はこぼれない

少しずつ書き進めていきます。最後までお付き合いして頂ければ、幸いです。

それでも涙はこぼれない

いつの頃からか、その世界からは感情の発露の涙が消えた。 ある日、僕は恩師の葬儀の中、突然入ってきた女が静かに泣くのをみる。 その日から僕は涙や何故、人が泣かなくなったのかを考え始める。 ナキ女や先輩たちとの対話の中で、僕は涙の理由を知ることができるのだろうか。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-27

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  1. 公園の2人
  2. 葬儀にて僕、涙を見る