暁に祈る(第1稿)

暁に祈る(第1稿)


           暁に祈る(第1稿)


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  第1章

『今夜は寒いのだろうか?』
 片足を鎖に縛られ、僕は思った。僕は木に括られている。夜気はだんだんと本物になりつつあるようだった。足下から冷えを感じ始めていた。
 50歳代ならば、全て死ぬ。40歳代ならば、20%ほど生き残る。30歳代と20歳代は30%ほど生き残る。この刑では、たとえ生き残ったとしても、ペニスが凍傷を起こし、千切れ落ちてしまう。零下三〇度を越える夜を全裸のまま片足を長さ1m程の鎖に縛られ、朝まで生きているかどうかという面白半分の刑である。
 この刑を考えついたのはソビエト共産党の極東支部の副長である、あの毎朝、朝礼で顔を合わせるあの男である。アンドレアノフと言う。そして奴等はこの刑になった捕虜が朝まで生きているかということで賭をしているという。僕たちはこの大東亜戦争で極東で捕虜になった。捕虜になってもう二年を過ぎたのにまだ日本に帰してくれない。このままこの石切場でずっと働かせていたいのだろう。
 それにしても僕たちの隊は偶然にこんな大変なところに運ばれたのだろうか? 他の隊は何処に? そこでもここと同じ刑が行われているのだろうか? 
 もしかしたら他の隊は日本にもう帰っているのかもしれない。

ーー寒さに苦しみながら僕は、そんなことを考えていた。ペニスが凍傷でやられ、根本だけになり、そうして小便をしている人を何人か見てきた。シベリアは寒い。暑い地方に戦争に遣られたかった。
 夜は未だ長いのに、もうペニスが冷えてきた。鎖に縛られた右足首が痛い。
 今まで、この刑にあった人たちは全て大声で軍歌を歌いながらこの寒さと戦い続け、しかし夜が明けようとするとき、暁に、力尽き果て、『お母さん』と日本の母を思い、祈る。その姿を見て、番人の誰が言い始めたのか、おそらくこの刑を考えついたソビエト共産党の幹部のアンドレアノフだろう、『暁に祈る』とこの刑の名を番人たちは言い始めた。
『神風よ、吹け。』と僕は念じていた。冷気が暖気に変わらないことにはペニスが凍傷を起こし、この刑になった人全部がそうであるように、僕のペニスも千切れ落ちてしまう。
『神風よ、吹け。』


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       第2章

 丸裸にされ凍れる地面に横たわりながら僕は思った。『今夜、死ぬかもしれない。日本のお父さん、お母さん、ごめんなさい。』
 故郷には父と母が居る。父と母の老後を看てやらなければならない。ここまでとても苦労して育ててくれたのに、お父さん、お母さん、ごめんなさい。
 いつもこの刑にされた人は朝方には軍歌を歌うのも疲れ果て西南の方角の日本に向かってうなだれ、そして死んでゆく人が大部分であるが、ペニスや手足の指が凍り付いたままで朝、日本人であり番人助手をしている奴がやって来て生きているか死んでいるかを確かめるまで生きている人もいる。賭けが当たった番人は喜び、賭けが外れた番人は悔しがる。日本人である番人助手は例え生きていても逃走や殴り掛かることができないことを知っている故に、1人で来ることが多い。死んでいると午前の作業が終わって昼飯の時に我々が死体を司令室の前まで運ばねばならない。生きていても半死半生がほとんどであるため、これも我々が昼飯時に司令室の前まで運ばねばならない。
 そしてそこで行われるのは共産主義への洗脳と拷問である。一夜の寒さに耐え抜いた非常に体力の強い人もここでの拷問には耐えかね、共産主義を礼賛するよう告白するのが全てだという。ここで共産主義を礼賛するよう嘘でも良いから言うことと、先輩に当たる人から忠告されていた。 
 僕を戦争時から庇ってきてくれていた三船のおっちゃんは、夜明け前の極寒時に亡くなったのか、それとも拷問で殺されたのか、はっきりしない。ソビエトの方に寝返り、通訳と番人助手になった裏切り者はすべて拷問も何も受けず、自ら番人に通訳と番人助手を願い出た者ばかりである。
 その拷問の責任者はソビエト共産党幹部のアンドレアノフであり、アンドレアノフの監視下で拷問が行われる。どのような拷問が行われるかは、生きて帰ってきた人が数人しか居ないため、僕は知らない。
 寒い。今夜は寒い。『神風よ、吹け。』神風が吹かないことには今夜はいつになく寒く、凍死を免れることは無理なようだった。
 足から冷たくなってきた。僕も暁どき、今までのこの刑にあった人たちのように、暁どき、日本の母を思い、祈るような姿をし、そのまま死んで行くのだろうか。
 お母さん、僕のために苦労して寒い冬も働いてくれていた。寒い朝も僕たちのために一生懸命に働いてくれていた。これからは僕が母や父の面倒を見る番なのに僕はこうして死んでゆく。日本に帰れず、こうして死んでゆく。ものすごく寒い。でも母はとても寒い朝も僕たちのために起きて働いてくれていた。僕たちのは地獄の寒さだけど。
『神風よ、吹け。』そうでないと僕は死んでゆく。神風が吹けば僕は助かる。今までとても苦労して育ててくれた恩を返すことができる。お母さん。
 土は冷たく、僕はこのままこの夜、死んでゆくようだった。死んではいけない。母のため、父のため、僕は死んではいけない。
 暁どきまで死んではいけない。しかし僕のペニスはもう氷尽きて千切れてしまうだろう。そして子供を生むことが出来ない。
 ペニスがそのままで、日本に生きて帰って、そうして母と父に孫をつくって喜ばせたい。孫はとても可愛いという。そのためにも神風よ吹け。日本に生きて帰って、孫を造って母と父を喜ばせたい。
 みんな、大声で戦歌を叫ぶように夜中じゅう寒さに耐えるために歌いながら、暁どき、力尽き果て、日本の方角に、母親を慕い、祈るようにして死んでいった。

 夜明け方、僕も日本の方角に、母を慕い、祈るようにして死んでゆくのだろう。寒い冬も僕たちのために朝早くから働いて僕たちを育ててくれた母。寒い冬も僕たちのために夜遅くまで手に霜焼けを造りながら尽くしてくれた母。僕は戦争に捕らわれてこうして親孝行を果たせないまま死んでゆく。この寒いシベリアで僕は死んでゆく。
 遠い日本の母を思いながら吹雪に凍えて死んでゆく。もし生き残っても僕のペニスは千切れ落ち、とても日本には帰れない。帰っても母を悲しませるだけだ。日本に帰っても子供を造れない。それにこんな酷い刑を受けたことで母を悲しませてしまう。それに寒くて、僕はもう今夜、死んでしまいそうだ。とてもこの夜の寒さに耐えきれない、生き残れない。
 戦争が終わって僕は日本に帰りたかった。母や父に久しぶりに会いたかった。僕が帰ったとき、きっと父と母は豪華なご馳走を振る舞ってくれただろう。でも僕は日本に帰れず、この極寒の夜の中、死んでゆこうとしている。母は毎日、僕が無事に帰ってくることを祈っていると手紙の中に書いてあった。でも僕はこの寒さの中に死んでゆく。母の祈りの内に死んでゆく。この極寒の中に苦しみながら死んでゆく。
 たとえこの刑に生き延びても、次にはソビエトの門兵からの拷問が待っている。門兵からの拷問では指まで鉄杭で叩かれ千切れ落ちてしまう。
 明け方、日本の方角に母を慕い、祈るようにして、みんな死んでいっている。しかし、僕は生きて帰るんだ。生きて日本に帰るんだ。

             完

                                 
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暁に祈る(第1稿)

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  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-22

CC BY-NC
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