月光に濡れた夜に
日常というのはある者にとっては心地よい我が家のように己を迎え入れてくれるのかもしれないが、ある者にとっては確実に醒めることのゆるされない悪夢の延長線上にあり、その闇夜のような空間で、泥土のようなところを足を引っこ抜き、引っこ抜き歩いているような感覚を与えるものである。それは何時果てるとも知れない苦行のようなものだ。どこに向かって歩いているのかさえわからなくなってしまった。足をその地面の上に留めていると、ぶすぶすと体が沈んでいってしまうから、それを阻止するために重い足を動かしているだけだ。
月明かりの夜だった。月光が木々の葉にたまった夜露をきらきらと反射させていた。
窓の外を眺めていると、昨日と変わらぬその日常の世界が、もう帰ることのできない場所であるかのように、なんだかある種の懐かしさを感じさせた。
「今の自分は昨日までの自分とは違うモノになってしまったんじゃないか」
そう思うといっそう不安で、いても立ってもいられなくなった。
どうしちゃったのだろうか・・・・
数ヶ月前、意識が戻った私は救急病院のICUにいた。
「お目覚めですね」とだれかが声をかけた。
「あなたは約一週間、意識を無くしていたのですよ。」
とその声の主は云った。
脳挫傷だと云った。私はどうやらひき逃げされたようであった。その前後のことは未だにいっさい思い出せないのだけれど。
約2ヶ月のリハビリは目を見張るものがあった。若さの賜物だと私の主治医は云った。
いまだに右半身の感覚が麻痺していているが、なんとか手足は動かせるようになった。そうして、数週間前から松葉杖の助けを借りながらもなんとか歩けるまでになった。
しかし今、私の身体の右半身の感覚が麻痺している事も、
病院の廊下を歩いていてふと気がつくと右足だけスリッパを履いておらず、ここまで裸足で歩いてきたのだと気付いて
「チェッ またスリッパどこかで脱げちゃったぜ」と独りごちて、はるか廊下の先でポツンとしているそのスリッパを取りにゆく事も、
病院のシャワー室で熱さを感じる事のない下肢に何分間もシャワーのお湯を当てて呆然としていることも、
そんな事どもは私にとっては、取るに足らない実はどうでも良いことなのである。
それは約一ヶ月前、最初の脳のリハビリの時であった。その時まで足の感覚の麻痺や手足の運動能力の方にばかり気を取られていた私はまさに打ちのめされたのである。
此処での私の現在のリハビリは「歩行」「作業」「言語」というカテゴリーに分けられている。一ヶ月前その最初の「言語」の時間、若いきれいな理学療法士の先生は、「ではこの昔話の文章の中から「あ、い、う、え、お」の文字だけを抜きだして○印を付けましょう。」と云った。A4の紙にびっしり書かれた文章を目でおいながら、私は言われたとおり「あ、い、う、え、お」の文字に○印を付けて行った。
作業が終わって先生と見直してみた。
私は抜きださなければならない文字の実に40%程度しか抜き出せていなかった。
「これって尋常じゃないよね」と私が恐る恐る聞くと先生はちょっと困惑をした顔をして、「正直健常者はほぼ100%できます。これは注意力のテストでもあるのですが、85%程度出来なければ自動車の運転がままならないといわれています」
脳を損傷して頭が正常であると思っていた自分がなんだかとても悲しかった。
了
月光に濡れた夜に