るりと宇宙と氷結と
第1章 乾杯!
「乾杯!」
私とそらは、声をそろえて、私は宇宙とラグジュアリーな天草のホテル「ガレリア」のスイートルームで、新鮮な地物の魚を前に、こう言ってビールグラスの音を高らかに鳴らした。ビールグラスの中身は氷結だ。しかも、グラスもギンギンに冷やしてある。
私は、諏訪るり38歳。目の前にいるのは、私の夫諏訪宇宙。宇宙と書いて、”そら”と読む。このホテルのチケットは二人で3万5000円。しかも、「火の国保育園」の先輩の寺崎かおるさんから、プレゼントされた。
なんでも、かおる先輩の失敗を私がかばったことのお礼の意味もあるらしいけど、実はかおる先輩が彼氏と二人で行くつもりだったのに、急な法事のために行けなくなったのだ。
私は、一旦断ったし、一度は「じゃあ、せめて万札だけでも受け取ってください」と言って1万円を差し出したが、これも受け取ってくれなかった。
しかも、このホテルに着いてみると、ワンランク上の部屋が急にキャンセルになったということで、結局7万円の豪華な、豪華な部屋に、1万円で一晩泊まれることになった。
加えて、明日は月曜日ということで、先輩は連泊を予約していたので、明日も私はそらとここに泊まることになっている。こんなのって最高!!
もうこれは、お祝いをするしかなかった。
私とそらは、腹一杯に食べて飲んだ。もちろん、ビールの後に、氷結でもう一度乾杯した。いや、一度ではなく、2度も、3度も。
「ねえ、そら、少し前に、男性のタロット占い師に出会って、「運命の輪」というのが出た。って言ったよね。そして、そのカードの意味は『これまでにないくらいの運命、幸運とかのめぐり合わせが来ている』だったじゃない。それはこの豪華な豪華なホテルに泊まれたことかなあ?」
と私はそらに言った。そらは
「きっとそうだよ。星も目も揃ったのかもしれない」
「ええ、どういう意味?」
と聞いたが、そらは意味ありげな笑みを浮かべるだけで、それ以上は何もに言わなかった。 この後、私とそらは、ふかふかの布団に入り、抱き合ったり、囁きあったりした。
「ねえ、そら?天草五橋を一つ渡るたびに、ひとつづつ悩みを捨てようっていったじゃない。
一つ目が”お金”
二つ目が”病気”
三つ目が”仕事”
四つ目が”将来の不安”
って祈るようにしてきたじゃない。
よかったねえ、ほんとにその通りになったねえ。
「そうだ、そうだ、ホントに思ったことがそのとおりになった」とそらはつぶやいたが、そのつぶやきは、いつの間にか私の耳元から聞こえていた。
そして、やがて、新婚以来というくらいの甘い甘い抱擁を心ゆくまで楽しんだ。
*****
翌日、私とそらは、せっかくだからということで、シーカヤックにトライしてみることにした。私もそらも、数年ぶりというくらいに開放的で、無心に喜べる時間をともにすごしていることが、運命の輪というものなせる業かもしれなかった。
*****
(天草灘沖合、シーカヤック船上にて)
二人で乾杯したのは、昨晩のことだ。今、二人っ切りでいることは間違いない。しかし、場所が違っていた。ここは天草灘の沖合い。天草の島影がはるか遠くに見える。じりじりと太陽が熱くて熱くてどうしようもない。
そらの話だと、いまの場所は、陸から10キロは離れただろうと。
二人乗りのカヤックに、私とそらしか乗っていない。牛深のハーバーを出たきたときは、2人のインストラクターが私とそらを守りながら、余裕でカヤックをこいでいた。しかも、それぞれに、インストラクターと初心者という組み合わせにしてくれた。
コースは牛深沖の「築ノ島」を一周するもので、片道90分、帰りも90分というものだった。
ところが、ちょうど折返し点に着いたところだった。インストラクターの一人宮崎さんが呼吸困難になった。「はっと」息をのむ音がしたと思ったら、次に胸を苦しそうに押さえている、宮崎さんの姿を見た。
それはまったく突然のことだった。後は、インストラクターの原島さんが一生懸命に宮崎さんを介抱する姿ばかりが目立っていた。どちらかというと原島インストラクターの方が、あまり元気がなかったんだ。
結局、原島インストラクターが
「君たち、ここにいてくれ。私は、宮崎インストラクターを病院に連れて戻るから。戻ってくるときは、高速ボートで戻ってくるから何も心配しなくていい」
と言い残して、私たちを海に放り出してきたんだ。いや、放り出したわけではないだろうが、結果から見ると、そう思いたくなった。
*****
第2章 漂流
私とそらがインストラクターと一緒に出発したのは、島原湾の一番外海に近いところだった。もうすぐ天草灘に出て行こうかとする、島原湾の縁であった。そこからさらに、南寄りは、ほとんど外海という海域に置いてきぼりにされたのは、午後3時ちょうどくらいだった。
乗り換えのとき、私が前方に座っていたカヤックの後部席に、そらが乗り込んできた。
私がカヤックの前席で、そらが後部席になった。乗り換えるときに、荷物も入れ替えた。
私もそらも、それぞれ携帯電話を持ってきていたが、それぞれの防水ケースにいれて、カヤックの収納部分にもう一度入れ直した。もう一台の携帯は私がライフジャケットの防水用のポケットに収納していた。
二人だけ取り残されて30分までは、そらも私ものんびりいていた。すぐにでも原島さんが高速艇かなにかで迎えに来てくれるか、せめて携帯に電話してくるだろうと思っていた。だが、何もなかった。
私は次第に不安になり、そらに愚痴を言い始めた。
「あのさあ、そら君、ぼうとして上ばかり見るのやめてくれる。なんかのんびりしてるけど、そんな場合じゃないんだよ」と私の後ろに座っている、そらに愚痴った。
「ええ、でも心配しても仕方ないじゃないか。空を見上げると、青空がとてもきれいだ。それに遠くに黒い雲ができているから、あの雲がこちらに来たら、ここも雨が降るだろうって分かるし、こうしてなにもないところで、空を見ていると、地球って生きているんだなあと分かって楽しんだ。」
とそらは、むしろ今の状況を楽しんでいるかのような感じだった。
私はますますイライラした。「そんな空をのんびり見て、雲の流れに納得するような場合じゃないでしょ、なんとか陸地に戻れるようにしないと」
「でも、空を見ていると、雲が形を変えていくんだよ、美しく変えていく変化の様がたまらなく素晴しいんだよ」とそらは言った。
「はいはい、それは素晴らしいんでしょうね。ところで、携帯どうするの?」
「ああ、携帯は電池がもったいないので、おれのは電源切ったよ。るりちゃんのは収納ケースから出して、ライフジャケットのポケットに入れたままでいいよ」
となんでもないようなことのように言った。
「ああ、そう、じゃあ携帯で連絡を取って助けを呼ぶことができるじゃん。」
「あたし、ちょっと電話かけてみるわあ」
と携帯をポケットの収納ケースから取り出して、アイフォンで警察を呼ぼうとした。
ところが、電波の状態を示す、アンテナは5本中1本しか立っていなかったし、その1本も消えたり出たりしてていた。
「あれええ、これじゃあだめよ。」
「でも、まあどこかに発信してみたら。ただ警察とかよりも友達とか方がいいかもしれない。いま掛けたら、すぐに受けてくれそうな友達とかの方がいいかもよ」
とそらが言ったので、私は考えた。こんな時間には友達は遊び行っており、携帯が鳴っても取っててくれないだろう。それなら、実家のお母さんなら確実にとってくれると違いないと思った。
「八代にいるお母さんに電話するね」
「いいけど、自分たちだけで漂流していることはいわずに、牛深の岸壁にいるくらいにしておいたら、心配させないようにするためにね」
「分かった、そうする」
私は、発信レベルが1本立ったところで、お母さんに発信した。
だが、ビーンビーンと2回の呼び出し音で、すぐにお母さんは受けてくれたけど、電波の状態が悪くてすぐに切れてしまった。私はもう一度発信してみたが、今度は呼び出し音もならなかった。
「まったく、全然届かないよう。どうしよう、そら。」
と言ったが、そらはうつらつらと上を向いていた。
「あんたねえ、こんな大事なときによく眠い顔ができるねえ。もっとしっかりしてよ、まったく」
「・・・」
「ちょっと聞いてるの?大体ねえ、カヤックやろうって言ってたのは、そらなんだからねえ。ちゃんと責任とって、私を連れて帰ってよ。あっ忘れていた。昨日のホテル連泊予約したじゃん、このままだとキャンセル料がでちゃうよ、3万円くらいキャンセル料とられるんじゃない、ああ、もったいない。それに冷蔵庫に私の大好きなスイカをいれておいたけど、このままじゃあ腐っちゃう、ああどうしよう。」
うつらうつら寝ていたそらだったが、私が怒って次第に大きな声を上げたので、目を覚ました。
「あのさあ、帰れるかどうか分からないときに、そんなこと考えないでくれる?そんな冷蔵庫のスイカとかキャンセル料とか、そんなことは全部帰れたらの話しっしょ。」
「ええ、帰れないかもしれないの?」
「そう、もうすぐ一時間になる。北西の風が結構強いから、かなり流されて段々陸地から遠ざかっているよ。そして、北西の風はなんかもっと強くなりそうだ」
「ええ、どうなるの?」
「最悪、陸地に自力で戻れないくらいに沖合いに流されて、あとは海上保安庁が見つけてくれるかタンカーでも通りかかるしか助からなくなる」
「じゃあ、オールで漕ごうよ、そして陸地に戻ろうよ」
「そうだけど、陸地は北西側に牛深市があるけど、北西風が強いからそちらには戻れそうもないけど。このままだと僕らの背中側にどんどん流される。」
とそらがいうので、私は背中側を見た。そこには
海だ海、海しかない。陸地などまったくない。
そちらに向かって流されるんじゃどうしようもない。
「どうしよう、そら、背中の方向にはなんにもないよう、海しかない」
「仕方ない。」
とまたそらは、落ち着いた口調で言った。私はまたむかついた。
「だから、落ち着かないでって、もっと焦ってよ、まったく」
*****
第3章 タンカー近づく
それから、1時間が経ち、午後4時半くらいになった。携帯の呼び出し音は全くならない。私は10分おきに携帯を見たけど、見るたびに電話の線は1本立ったり、1本も立っていなかったりだった。
私はさっきよりもっと焦っていた。このままじゃあ暗くなる。のども渇いた。まだペットボトルの予備も2人で2本、つまり1人1本づつあったけど、今晩までは持ちそうもない。太陽は暑い。もちろん日陰もない。全く日陰のないところで肌を焼かれると鉄ごてを当てられたように暑い。むしろ痛い。波は黒い雲が近付くにつれて高くなっていた。私は何か来ないかと遠くを見た。すると、白い船が次第に大きくなってきた。
「後ろを見て、そら、あれタンカーじゃないの?きっとタンカーだよ」
と私はかなり期待した声で出してしまった。
「ああ、そうだ、でも遠すぎるよう」
私とそらは、それから10分くらいはオール使って精一杯漕いで、カヤックをタンカーに近づけた。タンカーはその針路自体こちらに向かっていた。どんどん近づいてきたが、それでも私たちのカヤックのそばを素通りするくらいだろうと思われた。私もそらも一生懸命にオールを漕いだ。やがて70メートルくらいに近づいたので、オールで漕ぐのを止めて声を出し始めた。
「おーい、おーい。助けて」
と二人で声を上げて大きく手を振った。タンカーの甲板にはだれもいない。そして、タンカーは速度を変えることもなかった。私たちはもっと声を出した、枯れるくらいに。
「おーいおーい、助けて、私たちはここにいる。助けて」
とこれまで出したことのないくらいの大声を出した。だが、タンカーは私たちに気づくことなく、30メートルくらいを通り過ぎていった。
ところが、タンカーのほうから白波が近づいてきた。それは近づくにつれて、私たちから見て壁のように見えてきた。このままだと波にのまれて、転覆するかもしれないとやっと分かった。
「カヤックの方向を変えよう。波に対して正面に向けよう」
とそらが真剣な顔で言った。
「オールを右にこいで」
と叱りつけるような言い方で言った。わたしはちょっとカチンと来たが、そんなことを口に出している暇はないと分かった。
「あと、10秒で1波がくる。オールで波を抑えるようにして。転覆するかどうか、ぎりぎりかもしれない」
とそらが言った。その声からそらの必死さが伝わってきた。
前の席の私は、近づく波の大きさに驚いた。カヤックは海面から低い。腰のところで海面から約20センチくらいしかなく、目線は70センチくらいしかない。だが、近く波の高さはちょうど1メートルくらいだ。
幸い、カヤックは正面を向いている。1波が来た。私は転覆しないようにと祈った。怖くて頭を下に向けた。波を見れなかった。
すごくゆれた、木の葉のように持ち上げられては下に落とされた。カヤックは波に対して正面を向いていたので、なんとか転覆することなく、1波は乗り切った。
「次も来るからオールで波を抑えて」
とそらが後ろから叱り付けるように言った。私も必死になっていた。
「はい」
と応じた。
2波が来た。1波よりは小さいがかなり揺らされると思った。『来た』またまたカヤックが50センチくらい持ち上げられて、私はスピードの遅いジェットコースターに乗っている気分だった。
「また来るよ」とそらが言った。私はオールに力を入れて構えた。今度は乗り切れそうだったから、私はジェットコースターに乗る気分で波を待った。
「へーーい」と歓声を上げた。
「へーい、わおーー」
なんだ、そらもジェットコースターと思って遊んでるんじゃん。
だいぶ小さくなった3波が近づく頃には、私たちは完全に、波で遊ぶモードだった。
「次はどれくらい持ち上げられるかな」
「まあ、せいぜい30センチだよ。来た。へーーい」、「わおーー」
って子供みたいな声を上げて遊んだ。
「めちゃ、面白かったねえ」
「そうそう、面白かった」
*****
第4章 夕立が来て、次第に暗くなる
「けどさあ、もう6時過ぎたよねえ、まだ暗くはないけど、大丈夫かなあ、陸に帰れるかなあ、携帯とか全然つながらないし。」
「そうだねえ、でも、うーんなんとかなるよ、なんとか」
「なんとかってどうなって次にどうなるの?」
「だから、なんとかって」
「だからなんとかの中身を聞いているの?」
「救助艇が迎えに来て。。。」
「だから、いつどうやって、私たちを見つけて、いつ迎えに来るの?今晩、それとも明け方、それがだめなら明日の朝?どれよどれ?」
「そんなこと分かるわけがない。僕は、全然だめな場合と少しよくなる場合を考えているけど」
「もう、もう」と私はまた焦ってしまった。陸地は遠くに見えていて、遠ざかっているのか、遠ざかっていないかさえ分からなかった。
遠くで、なにかが光った。しばらくすると、また光った。
「あの黒い雲の下は夕立ちだ。きっとあと30分くらいで来る。るりちゃん、最後にもう一度電話掛けてみて」
「最後というのは取り消してよ、生きて帰りたいよう。まあとにかく掛けてみるよ」
私は、さっきのお母さんへの発信をリダイヤルした。でも1回だけ呼び出し音が鳴ったがすぐに切れた。
「じゃあ、るりちゃん、携帯とか電源切ってカヤックの収納ケースになおして、それから上着は脱いで、カヤックの収納ケースにしまって」
私はそらから言われたとおりにした。
「あのね、るりちゃん、海の上での夕立ってはんぱねえと思うから覚悟して、急に寒くなるらしいから。雷が鳴るはじめたら、頭を抱えてひざの中に入れてじっとしているんだ。」
「ええ、私身体硬いから、そんなきついよう。上着はどうして脱ぐの」
「夕立が去って寒くなるから、そのときのために濡れないようにしておく」
意外としっかりしているんだ、と思った。ピッカの雷の驚かせるような光だけでなく、「ごろごろ」という音も鳴り出した。それは、しばらく前までは、遠くて他人事だったのが、私の「遠くに行って」という願いを少しも聞いてくれず、確実に近づいてきた。
風が鳴ってきて、カヤックが揺れ始めた。風が強くなると同時に、次第に冷たくなってきた。
ピッカーーと光って、その光の筋がはっきりと見えた。そして次のドスンというような地響きの音、「ごろごろ、ごろごろ」音は、さっきのは人の大きさくらいの岩が転がったようなものだったのが、直径5メートルの大岩が転がる音へ変わった。雷雲はやはりここに来るのは間違いないと思った。
「そら、そら」
「ええ、なに」
「怖いよう」
「うん、怖い。カヤックは揺れているし、波も高くなってきた。最後には顔の高さくらいになるかもしれない」
「ちょっとちょっと最後には言わないでよ、怖いよう」
「絶対に大丈夫だから、こんなときのために、おれ、日頃からるりに甘えているんだから、おれに任せて」
「うん、分かった」
「いいか、これから10分でめちゃめちゃひどくなり、そしてそれが10分くらい続く。絶対にカヤックを転覆させちゃいけない。それさえなければ助かる。あの雲だけだったら」
「あの雲以外にもっと来るの?」
「来るかもしれないよ、そのときはやばいかもよ」
「もう全然、安心できない、まったく、もう」
「おれが合図したら、オールを使って波を抑えて、カヤックが揺れないようにするんだ、それとカヤックを波の正面に向けること、分かったね」
「分かった」
と私はそういったものの、カヤックの揺れ方と風速10メートルを超えてきた風とだんだんと木の葉のように揺れはじめたカヤックの上にいると、とてもそれどころではなかった。 生きて帰れるんだろうか、転覆してそのまま海の藻屑となってしまうかもしれない、と頭の隅に入れざるを得なかった。もう、ホテルのキャンセルとか考える余裕など全くなかった。
ピカッ、ごろごろごっろろろろ
今度のピカっはまるで、すぐ近くで爆弾が破裂したような強烈な光だった。続けて、「ごろおおおおーー」と小山がそのまま転がってきたような振動だった。
私は思わず、頭を下げてひざとひざの間に、頭を入れた。身体が硬いからできないと思っていたけど、怖さのあまり簡単に腰から曲がった。
私はじっとしていた。しかし、風は強くなり、雷の音は大きくなるばかりだった。
ピカッドン、ドドン
と閃光に続く雷鳴は、大砲を打つようなもの凄いものだった。
「わああー」
私は、頭を膝と膝の間に入れたまま、叫んでしまった。
「来るよ、思ってより大きいみたいだ」
ざざーーと雨が降り始めた。次第に、雨はシャワーのようになり、目いっぱいにコックを開いた状態になった。
私はひたすら通り過ぎるのを待った、オールを必死でつかんで波を抑えた。しかし、カヤックは、情け容赦のない波にもまれるままに木の葉のように揺れ始めた。
・・・・ ピカッドン、ドドン
・・・・ ピカッドン、ドドン
すぐ近くに雷が落ちたと思った。頭を下にしていたから見えなかったが、閃光の強さとドンの音の大きさからして、落雷したのは間違いないと思った。
あの雷が次には、私たちに落ちるかもしれないということが、落雷を近くで見て、実感せざるをえいなかった。私もそらも、自然の猛威の前に唖然としてもう声も出せず、ひたすら屈んで、オールで波を抑えて、雷雲が遠ざかるのを待つしかなかった。ただひたすら祈るしかなかった、祈るしか。
・・・・ ピカ ・・・ドン
・・・・ ピカ ・・・ドン
次第に、閃光とドンの音との間隔が大きくなってきて、雲が遠ざかっているのが分かった。また、波も次第におさまってきて、大きくてゆるやかなうねりに変わってきた。
やっとおさまり、私たちは話巣気持ちになってきた。だが、その頃あたりは暗くなっていた。
*****
「生きているかい?るり?生きてる?」
「ああ、生きているよ。よかたったね、お互い」
「さっきの雷はなんか海の上の突起物に落ちたみたいだよ。落ちた方に行ってみよう」
とそらが言い出した。
男の子ってこんなときでも、好奇心のままに行動するのかと不思議な気持ちになった。私は反対する気力もなく、言われたとおりにオールを漕いだ。
すぐになにか鉄のようなものが見えてきた。
3メートルまで近付くと、それはなにか鉄でできた漂流物と分かったが、落雷のため、一部が焼けていた。
「やっぱりブイだ」
とそらが言った。
*****
第5章 救助艇?
「もしかしたら、助かるかもしれない」
「ええ、どういうこと?」
「見てみろよ、ブイの名前が書いてあるだろう。牛深浜崎漁連8号って、ブイのがん合田番号だよ、きっとこのブイの位置は固定されていて、海上保安庁も」それは分かっている。だから、このブイにつかまって救助を待つ。」
「ええ、でも携帯はつながらないのよ」
「まあ、見てろよ」
と言いながら、そらはこのブイにカヤックくぉロープで括り付けた。
ブイも揺れていたが、なんだか一つ安心できるのを得たような気がした。
そらはカヤックの収納ケースからそらの携帯を出して、身をかがめてどこかに発信していた。
「もしもし、海上保安庁?こちら・・、あっ切れちゃった」
「ええ、なんで繋がるの。」
「さっきと違って雲がないから。携帯の電波って雲があったりすると飛びにくい。それにここにブイがあるだろう、電波はブイの突起物に影響されて着信しやすくなる」
私は「へえ、そうなんだ」と思いつつ、機械ものに詳しいそらを尊敬する気持ちが起こってきた。
「ちょっと、5分おきにかけてみるから」
「うん、まかせるよう」
「ねえ、るりちゃん、上を見てごらん、めっちゃ星がきれいだから」
そう言われて、私は上を見た。星が驚くほど近くて、手が届きそうだった。
「僕らのほぼ真上にあるのが、夏の星座「大三角形って言って、わし座のアルタイル、こと座のデイブ、白鳥座のベガの三つ。この中の二つが織姫と彦。この二つは繋がることはないけど、近くにいることに意味があるらしい。近くにいることで輝いていて、地球の人間たちの海の道しるべになったり、ロマンスを語ったりしている。」
とそらが言った。
*******
第6章 乾杯は最高?
天草のホテルは、キャンセルされないで残っていた。けど、私とそらがホテルに毛襟付いたのは、翌朝の午前4時だった。部屋に入ってから、私たちは、敷かれていた布団のかけ布団の上に寝転がってそのまま寝てしまった。寝ることがこんなに心地よく快感とは知らなかった。
翌日の夕方になって、起き出し、それからばたばたと支度をして、熊本の自宅に帰ってきた。
その週はもう仕事だった。私は、保育園で同僚や先輩に、休み中にあったことを止めどもなく話した。園児には、主に星がどんなにきれいかを話したが、力がこもりすぎていたせいか、園児の一人から
「先生、なんだか遠い宇宙にいたみたいな話をしている。でも先生の話、おもしろい」
と言われた。
その週末まで、私とそらは、ただそれぞれ仕事から帰ってきても、ろくに話もせずに、食事をしテレビを見て、そのまま寝てしまった。あの一日の疲れが取れなかったのだ。
水曜日に、そらが氷結を買ってきて、夕食の時にテーブルの上に置いた。一缶とグラス2個。
しかし、氷結の缶の水滴が増加するだけで、プルを引きことはなかった。
私たちは、急速に現実に戻った。あの天草の最高級のホテルのスイートルームでの一夜も、カヤックで漂流した末に、雷が近くに落ちたのを見たことも、すべてが過去のことだった。そして、現実に戻るうちに、また私の愚痴っぽ生活とそらの子供ぽくって、パチンコをやめられない生活に戻るのではないかとちょっと心配になった。
その週末の土曜日、私は仕事を終えてから、通り町筋をぶらぶらとしてツタヤ書店によって、そらのために「夏の星座」という本を買った。帰り道、そらに星座のことを教えてもらおうと思いつつ、家路を急いだ。玄関前に立った時、家の中は真っ暗だった。そらはまだ仕事をしている時間なんで、それは当然だった。
私は玄関のかぎを開けて中に入り、電気のスイッチを入れた。
ぱーーん、ぱーーん。
と大きな爆発音がして、私は雷でも落ちたかと思った。
「おかえり、るりちゃん」
とそらの声がした。明るくなったキッチンのほうを見ると、テーブルの上に、ほか弁が二つと氷結が一缶、それにグラスが2個置かれていた。
「まあ、どうしたの?」
「いやあ、1週間無事に過ごせたことを祝おうと思ってさあ。それに氷結で乾杯したかったし」
とそらは、小学生みたいにあどけない顔をしてそういった。
私たちは、テーブルに向い合せに座った。そらが氷結の缶に手を伸ばした。
「あっちょっと待って、プレゼント買ってきたから」
そういって、私はツタヤで買ってきた「夏の星座」という本をそらに渡した。
「ええっありがとうございます」
とそらはちょっと涙声になってそう言った。
そらは、氷結の缶を開けて、私のグラスとそらのグラスに注いだ。
「おれ、一番祝いたかったのは、この1週間パチンコに行く気がしなかったこと。仕事でいらいらしても全然パチンコで紛らわそうって気が起きなかった。普通に仕事して、普通に夜るりと一緒に過ごせるのがうれしくて、それだけで満足して、全然パチンコする気にならなかった。だからそれを祝いたかった。ありがとうって、るりに言いたかった」
「乾杯!!」
そらも私も一気にグラス一杯分の氷結を飲み干した。
「ああ、うまい」
氷結って、こんなに甘かったかなあ、と一人そう思った。甘いよね、うれしくらいに甘くて美味しいなと思いつつ、カヤックで、恐ろしくて、海の藻屑になってしまうかもしれないって心細い思いをしたことを思い出すと、鼻の奥が湿っていて、のどに涙が流れ込んできた。
涙の味はやっぱり塩辛かった。
口の中に、涙の塩味が残っているときに、そらが注いでくれた氷結を今度は味わいながら飲んだ。
放血の氷結の甘さが涙の塩味でちょうど良いアクセントになって、さらに美味しくなっていた。
私は
そらと一緒に美味しい氷結をずっと飲んでいければ、それだけで十分かな
と思った。
そらがまた氷結を私のグラスに注いでくれた。
the END
るりと宇宙と氷結と