『申し訳ございます!』 ~曾瀬乱造 勝手に綴るの記~
『総勘定元帳』
今思えば不思議な分岐点のお話。
学校を出て最初に勤めた会社で、総務・経理部門の仕事に
携わりました。クリーニング会社で、とある地方の支店で
働いていました。
入社して数年は工場だったり営業だったりと、流転の感じも
あったんですが、ある日突然支店長に呼ばれて「明日から
君は総務に職種変更だ」とのこと。
総務と言えば『山口六平太』(ご存知かな?)を思い浮かべて
いたのですが、そこは小さな支店。現金出納から決算まで、
すべてこなす謂わば総務&経理の仕事でした。
あわてましたよー。現金のゲの字も知らない。当然簿記の
資格もなければ勉強したこともない。定年退職者との兼ね
合いで、前任者の退職までの一年間。みっちり指導を受けました。
勉強もしたことないんだから、借方も貸方も分からない。
「左側が現金で・・・」などと言ってはよく叱られました。
1年後、前任者が退職して、対外的に役職なんぞもついて、
あわただしい毎日が始まりました。それからも失敗は数知
れず。会計監査も毎年受けて、会計士さんの前で「総勘定
ガンチョウ」(正解はモトチョウ)などと平気で読んだり
も・・・。
分からないことだらけで残業また残業。休日出勤・・・。
幸い、他の支店の総務課長・経理課長から電話で指導を
受けたりして、それなりに成長するまで3年。部下を持ち、
それから、あっと言う間に5年が過ぎ、アルバイト時代から
縁のあった、好きな会社だったけど、将来性を考えて思い
切って退職しました。
それからは流転の生活。生活のために他の会社に総務と
して入ったけど、社風になじめずこれも退職。事務畑で
やってきた・・・やって行きたいと言う気持ちはあったも
のの、そう簡単に仕事が見つかるはずが・・・と思いつ
つ、経理の仕事があったので面接を受けてみました。
幸いにして明日からおいで、と言うことになりましたが、
それまでやってきたのは商業簿記。今度は機械メーカー
なので工業簿記です。
習ったこともないのに応募するとは大胆ですが、厳しくも
あたたかい先輩に鍛えられまもなく2年が経とうとして
います。以前よりは多少自信がついたのでしょう。また
自分がこの仕事をはじめ(させられ?)た頃のことも、なつ
かしく思えることがあります。
今週は11月度の月次決算の真っ最中です。仕入先からの納
品書をみていて、「これ、なんだ?」と思ったものがあり
ました。
納品書には、品名と単価と数量と金額(合計)とありますが、
鉄の仕入れなどは、「キロいくら」という書き方になり、
もうひとつ単位の欄が必要になります。
ただ、もとからワクは設けていないので、たいてい納入先の
ほうで「@」のマークを書き加えてきたりします。
その納品書には、とてもかわいい(たぶんに女の子が書いた
ものと思われる)文字が並んでいました。
一所懸命かいてるなと思ったけど、これは「@」って意味が
分からなかったんだろうなあと思いました。
それはどう見ても"◎"でした。
なんだか勝手にほのぼのしてしまいました。
『ロゴノーセツ』
本棚の隅っこに、本らしきものが挟まっているのを発見
しました。
プーシキン・・・
ロシアの詩人、妻に手を出した相手と決闘して撃たれて
死んだ・・・というくらいしか知りません。
あとは太宰治が、愛読していたということ。
せっかく買ったのに、ほとんど読んだ形跡ありません。
1989年の初版でしょ・・・
あのとき22歳だったから・・・アレ~
しかし、ロシアの人の名前ってムツカシイのねえ・・・
プーシキンの父はセルゲイ・リヴォーヴィッチ
母はナジェージダ・オーシポヴナ
当然 プーシキンもアレクサンドル・セルゲービッチ・
プーシキンで・・・
ああ・・・・脳噛みそうだ
『犯罪者私観』
大学のとき、犯罪社会学という講義があった。
社会学科というと、世の中の大学は、社会に関する学問
という膨大な範囲を設けているけれども、僕の行っていた
ところは、同じ社会学でも、社会病理を主体とする色彩の
ほうが強かったようだ。
青少年問題やら自殺に関する問題など、そういう問題を
論じてるところだった。
そんな中で「来年から犯罪社会学の講義がある」という
話があって、無論単位の取得にはならないが、他の学科から
も希望者が殺到した。多少の調整があったほどである。
講師は関西の大学で犯罪社会学を教えてらっしゃるH先生。
卒業したあと・・・ネットでいろいろ検索できるようになっ
てから知ったのだが、その世界では中心人物なのだそうだ。
あるとき、H先生、「犯罪者に多いタイプ」のハナシを
された。
顔の目の位置から耳までの距離・・・統計学的にこれが
長い人が犯罪者に多いという話。
「たとえば眼鏡をかけてる人で・・・」
先生、ご自分も眼鏡をかけてらっしゃる。
それを外して、「このツルの部分の部分が長い人・・・
つまりは僕みたいな人には犯罪者が多いということです」
これには生徒も大笑い。
顔が大きければ目と耳の距離が長くなるというワケでは
ない。比較的耳が後ろについているタイプに犯罪者が多い
とおっしゃる。
なんでも先生ご自身も、既製品の眼鏡ではツルが短くて
いつも買うときにツルを伸ばしてもらうそうだ。
「そんなこと普通ないよねえ」なんて生徒はこれまた大笑い。
教室で笑えない生徒がいる。
「そうだよね、普通伸ばさないよね」なんて隣の席の
人に言われて、「ウ、ウン」なんてうなづけない生徒、
3年生の曾瀬サン、21歳である。
顔が大きいとは思わないが、いつも眼鏡を買うときはツルを
伸ばしてもらう。
既製品では距離が足りない。
「こんな感じですか?」
なんて眼鏡買うとき、ツル、温めて、耳にかかる部分を
少し加工してもらう。
「うーん・・まだまだだなあ・・・」なんて言いながら
耳にかける部分が足らなくなるんじゃないかというくら
いまで伸ばしてもらう。
眼鏡を新調するときに、いつも思い出されるのは、この
H先生の「目の位置から耳までの距離が長い人には犯罪者が
多い」という話。
『俺と俺のサル以外はみんななんか隠している』
サルの話。
中学2年生のときに大好きなビートルズの2枚組のアルバム(当時、
LPとはべりけり)を手に入れた。
これまで買っていたアルバムは1枚2,500円。たしか小遣いが
3,000円だったから、稲田堤のレコード屋へ自転車を走らせて
LPを前カゴに入れて帰ってくれば、手許にはわずかなお金しか
残らなかった。
自転車こいで、ノドかわいて、忘れもしない80円のビンのコーヒ
ーを買えば、より少なくなっている。
毎月1枚ずつ、ビートルズのアルバムを買うのが何よりの楽しみ
だったから、この2枚組みアルバムを買えた理由が、正直、
思い出せない。
もしかすると、修学旅行の写真を買う、なんて言って、オヤから
もらったお金をにぎりしめ、レコード屋へ走ったのかもしれない。
この2枚組のアルバムは原題『ザ・ビートルズ』。
ただ、真っ白なジャケットに”THE BEATLES”という文字だけが
書かれてあって、その印象から、ホワイトアルバムと呼ばれている
ものだ。
中に不思議なタイトルの曲がある。
『Everybody's Got Something To Hide Except Me And My Monkey』
ジョンのペンによるロックナンバー。
カタカナで書くと、
『エブリバディズ・ガット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプ
ト・ミー・アンド・マイ・モンキー』
見てるだけで舌を噛みそうである。
でも、あのころ、このタイトルをソラで言えるのがうれしかった。
『俺と俺の猿以外はみんな隠し事を持っている』なんて、日本語に
してみると、まったくもってヘンテコリンなテーマであるし、
この「モンキー(猿)」には一体どんな意味があるのか、ビートルズ
ファンの友達と議論したモンである。
「モンキーは毛深いポールじゃない?」
「イヤ、ヨーコさんに対する不満を、サル扱いにすることで
昇華させたとか・・・?」
「そうだね、ピカソだって、惚れたばかりの女性はものすごく
美しく描いて、次に素敵な女性が現れると、前の女性は馬とか
犬そっくりに描かれてるんだよねえ」
・・・なんて生意気な会話をしてた。
今年のはじめあたりに、イランが宇宙に送ったロケットには猿が
乗せてあったらしく、 その実験の成功を証明するために、「帰還
した」とされるサルを 公開したところ、
「送ったサルと違う」と海外のメディアからツッコミが入ったそ
うだ。
『往きのサル』は右目の上にデキモノがある。
『帰りのサル』の目の周りはきれいだし、毛並みも違う。
日本人なら『猿芝居だ!』と揶揄しそうだけど、アメリカの
メディアは「猿は宇宙で整形した」と報じたらしい。
なるほど。
『夏への扉』
自分には、似合わないからという理由だけで敬遠してきたものが
ふたつある。
ひとつは海。
もうひとつは、かき氷。
あんなもん歩きながら食べるくらいならお祭りなんか行かないよ、
なんて頑なに決めていたのですから、これまたおかしなもの。
特別な理由もないといえばない。
ただ、いつぞやの屋台で、覗いたかき氷の店が、これまた
なんとも不可解なシロップをかけさせていたので、
「ああ、僕の子供時代とは、もはや違うのだぁ」とひどく
狼狽し、迷い、「お兄さん、早く決めてよ!あとがつかえちゃう
でしょ?」と店のお姉さんに声をかけられたりもした。
「ブルーハワイ」
「マンゴー」
「オレンジ」
「コーラ」
「グレープ」
「スカッシュ」
・・・と、見慣れたものは、やはりそこになかった気がする。
そんなことがトラウマになったか、屋台でかき氷をみると、
僕らが楽しんだ古典的な、メロンやイチゴ味があるのかなあ、
なんて不安げに覗くことになる。
あるニュースに、世代によってかき氷のシロップの好みが
違うとあって、なるほど、と思った。
今は宇治抹茶のかき氷でも、「いいねえ、この渋さが重要なのだ」
なんて言いながら口に運んでしまいそうだが、20代のころは、
こんなエゲツない色したかき氷を食べるのは、年寄りのやる
ことだと思っていた。
少なくとも、見ただけでは甘さも涼感もしないような気がしてた。
20代女性の60%が、イチゴ味のかき氷を選ぶのに、これが
30代では50%、40代では40%を切る。
そしてその次に何が来るのかと思えば、これが意外の宇治(抹茶)。
およそ500人に調査をしたところ、上のような順位で、世代によって
また差が出るが、僕が小さい頃、その色に胸を躍らせたメロンは、
これまた少数派らしい。
イチゴ、宇治抹茶、レモン、ブルーハワイ、みぞれときて、
ようやく6位にメロンは顔を出すのだが、ここまでは順位が
変わってもチャートインするものは同じ。
まあ、それくらいしか選択肢がないのも事実だけど、今はこれだけ
いろんなジュースも出てきているし、こないだも、「あたらしいミネ
ラルウォーター」かと思って買ったら、お酒を割る炭酸水だっ
たなんて失敗もあったけど、この夏は、もっとにぎやかな色彩で
我々を楽しませてくれるのかも知れない。
あのころ、町の祭りで見かけたS子ちゃんが、イチゴのかき氷を
食べてたからって、僕もそれにしたなんてこともあったっけ。
一緒に見て歩いてるわけでもないのにね。
ただ、夜店のライトに照らされた浴衣姿のS子ちゃんの横顔が
とても美しかった。
そんなことをいつまでも覚えていたりするんだからね(笑)
『現実味』
もう30年も前のことだろうか、僕が小学校時代、登山用に買ってもらった大きなリュックに、オフクロが乾パンやら、ミネラルウォーターをいっぱいに詰め込んで、押し入れに入れているのを発見して、笑った。
たしか小学校四年生、身長百五十センチ台だった僕には、ずいぶんと重くて、やもするとバランスを崩しそうだった黄色いリュック。
一度きり使って、ほったらかして、それをオフクロが地震が来たときのために、いろいろ詰め込んでいた。
「こんな荷物、誰が担いで逃げるのサ?」と小柄なオフクロに尋ねれば、「お父さんよ」と答えたので僕は、
「そうだよね、こんな重そうなのはお父さんしか担げないネ」と僕は納得した。
とはいえ、親父はサラリーマンである。帰ってくるのは早くても夜八時、朝は六時半には家を出る。働き盛りのサラリーマンが家にいる時間はホントに短い。
そんな数時間に大地震が来て、お父さんだけが巨大なリュックを背負って、家族とともに避難するなんて確率は非常に低い。
家に子供しかいなかったら、重いリュックに手をかけて、担げず、難儀してるところで逃げ遅れてしまうかもしれない。
つまりは、あまりいい準備ではなかったのだ。
あれから歳月が過ぎ、今は老父母には荷物なんて持たせられない。
齢八十の親父なんぞ、逃げるだけで精いっぱいだろうから、こないだの東北の地震以来、ヘルメットを買い与えて、枕頭に置いて寝ろというだけ。
そして僕が老父母の分も含めたおっきなリュックを玄関に置いている。
もしかしたら、僕が昔笑った黄色い登山用のリュックかもしれない。
・・・待てよ?
これでは昔、「お父さんだけが担いで逃げるリュック」と同じではないか!
最近は、家にいた場合、地震でどの部屋・その場所が倒壊するか分からないから、各部屋になるべく小分けにして置いておくのが
主流だそうである。
当然、リュックを取れない部屋も出るはずだ。
ひとりがヒョイとその部屋にある小さなリュックつかんで、パッと逃げる。
老父母でも持てるような大きさ、あとは火事場の馬鹿力に任せるほかない。
ひとまとめに入っていたリュックには、とりあえずのものは入って
いる。
水・ビスケットの類はもちろん、お湯を沸かす固形燃料に、小さな
ナベまで。
カップラーメンまで入っている。
水を入れれば炊きあがる五目御飯の類まで。
オフクロに、みんなが持って逃げられるよう、3つに分けておいて
よと伝えて、後日、おのおののリュックを見てみたら、
ひとつには水だけ。
ひとつには固形燃料とカップラーメン。
ひとつにはナベ鍋だけ入っていた。
「あなたはアホですか?」とオフクロに訊けば、
「お父さんは脚が弱いでしょ、だからいちばん軽いナベだけ入った
リュックを持って逃げてもらうのよ」
避難場所に鍋だけ入ったリュックと家族って・・・・!!
『ことば知らず』
太平洋戦争中、イギリスの植民地であったシンガポールを
日本軍が占領したとき、イギリス軍のレーダーに関する
書類を押収して、その書物の中に、やたらと出てくる言葉
があった。
日本軍の技術将校が読んだが、そこに出てくる「YAGI」
の意味がどうしてもわからない。
「アンテナは4つのYAGIを・・・」
「送信はYAGIの空中線を使い・・・」
YAGIが「ヤギ」なのか「ヤジ」なのかもわからない。
たまりかねて、イギリスの捕虜にその書物を見せて、
「このYAGIとは何のことだ?」と聞いたところ、
「お前たちはYAGIを知らないのか? 八木は日本人
じゃないか」と一笑されたそうだ。
今日、テレビやFMラジオに使われているアンテナの基礎を
作ったのは八木秀次という工学者であって、レーダーの原
理を発見した人物でもある。
広い海の上にあって、軍艦にレーダーを取り付ければ、数百キロ
先の敵を察知して先制攻撃できる、その有効性に
ついて説いたのに、当時の軍部は、「自分から信号を出すのは
敵に自分の位置を知らせるようなものだ」と言って取り合わな
かったらしい。
そもそも、敵を攻撃する兵器の研究には熱心だったが、レー
ダーはいわば防御兵器だとみなされ、勇ましくないのが日本
軍には合わなかったのだろう。
もうかれこれ30年近く前の話になるが(古い話で恐縮デス)、
高校の英語の教科書に、これまたわからない単語が出てきた。
当時、僕はビートルズが大好きで、彼らのためなら嫌いな英
語もいとわず勉強したものだが、いくら辞書を引いても、そ
の単語が出てこない。
図書室にある英語の辞書、薄いのから厚いのまで調べた。
されど、出てこない。
「Ikaho」という言葉。
思いきって先生にお尋ねした。
「先生、この『アイカホ』という言葉、どの英和辞典にもないんですけど・・・?」
先生、笑って、
「ああ、これは伊香保・・・伊香保温泉だね。『Going to~
何々』とあるから、どこかへ行くってことだよね」と説明して
下さる。
文脈をしっかり読めばわかったことなんだろうけど、当時の
僕にはそんなアタマはなかったのだ。
昼間の姿は小さな会社の総務担当者 曾瀬乱造サンは、伊香保温泉への
社内旅行の通知を作りながら、この日記のことも一緒に考えた。
そんな一日。
『E電に乗って』
読売新聞に「能率手帳」ブランド名変更「NOLTY」に
という記事があった。
ビジネス手帳のロングセラー、日本能率協会マネジメントセンターの
能率手帳。
前の会社にいたときに、勤続年数に連れて、社員等級が上がり、
毎年のようにもらっていた能率手帳。
これを持っていると、ビジネスマンになったような気がした。
今はスマートフォンに押されているかと思えば、手帳の市場というの
は、年々拡大傾向にあるそう。
もっとも、この手帳の購買層は、40~60代なのだそうだ。
僕は学生時代から雑記帳代わりにいつも手帳を持ち歩いていた。
あのころ、三文小説を書いていたので、そのネタや、フレーズを
思いついたときに書き留めていた。
だけど、たいてい読み返しても思い出せない(笑)
日本能率協会マネジメントセンターのホームページによれば
能率手帳の新ブランド名「NOLTYY」には、次のような想い
が込められている、とある。
New Style - 新しいスタイル
Original - そしてたったひとつの存在で
Life Time – ずっと毎日
Your will – あなたの想いを叶えたい
日本能率協会マネジメントセンター・・・
この団体名が、実は舌を噛みそうではあるのだけど?
『どうぞこのまま どうぞこのまま』
大変深刻な問題であるとは思うけど、せっかく浸透していることを
なんで変えようとするのか、これもまた不思議なことであります。
「振り込め詐欺」に代わる新名称を一般から募集した結果、
下記の作品が最優秀作品に選ばれたそうだ。
いわく
「母さん助けて詐欺」
優秀作品は
「ニセ電話詐欺」
「親心利用詐欺」
これからキャンペーンなどでこの名前を使って浸透させるというのだが、
「おれおれ詐欺」や「還付金詐欺」など、いろんなパターンがあるから
どれも一言でまとめるのはむずかしいだろう。
でもねえ・・・「母さん助けて詐欺」ねえ。
間違えて「母さん振り込め詐欺」って言っちゃいそう。
「母さん、間違えてドンドン振り込んで」にとれないこともないのだがなァ。
『やられたッ』
結構お金には頓着なくて、だからと言って多く持ってることも
まずありえないのだけど、めずらしく財布の中に5千円札が2枚も
入っていた。
千円札を財布に多く入れるのが僕の習慣で、いちばん浪費しや
すい入れ方らしいが、千円札がこんなにあるのに、5千円が
2枚なんて珍し・・・と思う。
よく見たら1枚は5千円で、もう1枚は2千円札だった。
不幸のお札と言ったら、故小渕元総理大臣に申し訳ないけど、
ウーム、やられたなあ・・・
たぶん、晩メシに寄った「な〇卯」の券売機だな。
明日、また、なか卯で使うことにしよう。
この金種だけ払出専用だったりして(笑)
『びゅわ~ん びゅわ~ん びゅわ~ん』
田舎に住んでるものだから、地元の駅ではよく通過電車に
遭遇するのだが、通過する際の風圧を感じながら、ふと
頭の中で鳴る歌がある。
『はしれ超特急』という動揺。
♪ビュワーン ビュワーン ビュワーン はしる~
という出だしが印象的な歌だが、これは昭和42年に
発表されたもの。
♪青いひかりの 超特急
時速250キロ
すべるようだな 走る
ビュワーン ビュワーン ビュワーン はしる~
目の前を電車が駆け抜けてゆく!
そんなイメージだ。
この時代、東海道新幹線は210キロで営業運転をして
いたらしい。
僕が新幹線の実物を見るのは、中学校3年生の修学旅行が
はじめてのこと。
たしか4歳ごろ、家のレコードプレイヤーで『はしれ超特
急』の「ビュワーン ビュワーン」を聞いては、やたらと
胸躍った記憶がある。
それから40余年。
今月半ばには、東北新幹線「E5系」が320キロで運転
するそうだ。
ますますリニアモーターカーの時速500キロはかすんで
ゆくような気がしないでもない。
youtubeなどでリニアモーターカーの試乗風景をみると、
車内で撮影した映像には、不気味な風きり音がする。
振動は抑えられたものの、あのブーンと低くうなる音は、
慣れるまでが大変そうだ。
国の威信をかけてのことなんだろうけど、すでに中国では
350キロで走る超特急もある。
せまい日本、そんなに急いでどこへ行くという懐かしい
標語があるが、どうなんだろう?
10年後には東京都・名古屋間でリニアモーターカーが
走るそうだが、どんなもんだろう?
まだまだお金もかかるだろうに。
JRの切符売り場・・・120円入れても切符買えず、
駅員を呼びつけると、
「お客さん、ヒトケタ間違ってますよ」
・・・と鼻で笑われる時代も近い?
『黒く塗れ』
81才の父。
人工透析を受けるために週3回乗る
病院のバスから、新しい医院ができた
のを見たらしい。
帰宅した僕に向かって、
「今度、病院への通り道にクリニックが
できたんだけど・・・」
そこまで言って、何かを思い出したように、
「なんか薬を塗って治すのかね?」と
言っていた。
後日、僕がそこを通ると
「山田ペインクリニック」という看板が
見えた。
それからしばらくして、そこを通ると、看板には
「山田ペイン(痛み)クリニック」と書いてあった。
『イッカセイの話とも思えず・・・』
オランダの非営利団体が火星への移住者を募集し始めたそうな。
2016年から探査機を使って移住可能な場所を探し、2020
年には、生命維持装置が準備され、2022年9月に地球から
初の火星移住者が出発して、2023年4月に火星に到達。
但しコレは火星から戻らぬもの・・・つまりは永住になる
そうだ。
火星というと、どうしても『カプリコン1』という映画を
思い出してしまう。
アメリカで、火星へ有人ロケットを送る、まさにその打ち
上げの段になって、宇宙服に欠陥が発見され、宇宙飛行士は
ロケットを降り、無人のままロケットは発射される。
国の威信をかけての事業であり、また、ソ連との宇宙開発を
競っていた時代の話だから、まさか失敗したといえず、アメ
リカの片田舎の撮影所に「火星」のセットを造り、そこで撮影
した映像を国内へ流し、全国民を欺くという話。
それによれば、火星は赤くて、なんとも土煙がすごい場所。
でも、いつかはそんな時代が来るのかもしれないね。
2022年に火星移住かァ・・・
日本はたしかその年に、リニアモーターカーが東京大阪間で
開通するのだよね?
・・・ホントにできる?
『狂った過日』
たいへん、むずかしい時期にかかってきた、僕の姪っ子。
妹夫婦のところのひとり娘。
只今、中学3年生である。
つい何年か前まで、遊びに行くと、
「にいにい(妹の兄なので、[兄々]らしい)がきた!
にいにいがきた!!」
・・・と玄関先まで飛んできたのに、近頃は、妹の
ところへ顔を出して、 その所在を尋ねると塾へいっ
てるよ、とは母親である僕の妹の弁。
「あれま、部活が終わって7時くらいに迎えにいく
んじゃなかったっけか?」
と聞くと、もう迎えにいって、今頃は塾で眠りなが
ら勉強してるんじゃない?
と答える。
夜の7時半に帰宅して、どこへ入ったかわかんない
ようなご飯を食べて、そのあと妹が塾まで送ってゆ
き、自宅へ帰れるのは11時手前。
それから風呂に入って、ベッドにもぐりこむと深夜
0時を超える。
ふだんはこんな生活らしい。
平均点でも県立高校は入れない時代になっているそ
うだ。
つまりは私立へやるだけの経済的余裕のある家庭は
限られるし、妹のところも例外なく、
「絶対県立に入ンなさいよ!私立は無理だからね!」
と模擬試験であやしげな点数を取るたび念押しされ、
姪っ子も少し参ってるようだ。
加えて、自分の親がきらいな時期でもあるらしい。
ましてや父親となるともっとキライで、顔を見たくな
いから自室に閉じこもったり。
飯も食わぬまま、である。
先日、妹のところへ顔を出すと、塾も部活も無い日と
のことで、めずらしく姪っ子は家にいた、が、学校から
帰るなり、たまたま休みだった父親とけんかして、自室
にこもったままらしい。
いっしょに食べようと買ってきたマクドナルドのポテト
フライも、妹から状況説明を聞いているうちにしなしな
になってくる。
「あいつが10歳くらいのときに、100円で背中に乗
って1時間もマッサージさせていた関係だ。兄である僕に
任せなさい」と笑いながら僕はポテトと、妹がついだジ
ュースをお盆に載せて、姪の部屋がある2階へとあがる。
(まるで天の岩戸だな)・・・と部屋の前まで来て、ドア
をコンコン。
「キミは~ 完全に~ 包囲されてお~る。おとなしく
~ ドアを~ あけなさ~い」と呼びかけてみたが無反応
なので、「オイ、にいにいがきたぞ」と言ったらドアを
開けてくれた。
なんでも進学の問題もさることながら、実は学校でカン
ニング騒ぎがあって、姪っ子が試験中に先生に名をあげて
前の席をのぞくなと言われたそうである。
正直なところ、姪っ子は高校進学すら危うい。
塾は、受験のための補講みたいなものだ。
だからそんな嫌疑がかかったかもしれない。
ポテトを差し出すと、パクパクと食べるので、僕も部屋に
腰をおろして話を聞けば、いつもテスト中に、ふざけて人
の答案を覗く・・・
これは姪のクラスではやっているそうだ。
ただ、もはや中学3年生。
ホントに覗かないまでも、そんな素行を内申書に書かれて
はならない。
「瓜田(かでん)に沓を納(い)れず、って言葉があるよね?
学校で習っただろ?」
僕はそんな話をした。
中国のことわざで、疑惑を招くような行為は避けた方が
よいという譬(たと)えだ。
瓜の畑で靴を履き直せば、瓜を盗んでいるのではないかと
疑われるから、姪が後ろから、そーっと答案を覗き込むの
は、たとえふざけていても大人には通じないことだから、
と説明した。
「あー なんか習ったねえ。カデンニクツイレズって」
姪は少し気を取り直したようだ。
このことわざが入試に出たらいいのに、などといっていた。
後日、姪っこからメールが来ていて、先生に、
「こないだ、ふざけて人の答案を覗いたのは間違いでした。
まさに、カデンニ クツイレズでした」と言ったら、先生は
びっくりしたらしい。
そんな内容が記されていた。
そして文末に、
「ところで、にいにい? なんで家電に靴を入れると怪し
まれるの? フツー、靴なんて冷蔵庫とかレンジには入れ
ないじゃん?」とあった。
今度部屋に閉じこもったら、ポテトとことわざの本を差し
入れよう。
『なんにもないけど 水でもどうです』
何年か前に、ふるさと納税という制度ができて、僕は
長いあいだ、思い違いをしていた。
すなわち、自分が住む市町村に納めるべき住民税を、
思い入れのある地域へ、その一部なり半分なりを納めて
いいものだとばかり思っていた。
そんなことがあっては、東京へ移り住んだ人が、
都知事は嫌いだから故郷へ住民税を納めようということ
になり、都の財政は大変になるなあ、とひとり心配していた。
つまりはこれは、自分の思い入れのある各市町村への寄付
金であり、払うべき住民はしっかり払わないといけない。
市町村によっては、一口いくらと決めた寄付金の申し出が
あれば、地元の特産品を寄付へのお礼(お礼という言葉は、
もしかしたらいけないのか・・・)として送るところもある。
これが非売品であったりすると、寄付をする人には愉しみの
ひとつかもしれない。
もちろん、必ず物品でお返しがあるところばかりではない。
市町村の「ふるさと納税」のページに寄付者として名前が
掲載されたり、そんなこともある。
僕が今回思い立ったのは、山梨県都留市への寄付だ。
5,000円・・・・これが僕にできる限界。
都留市は僕の青春の地。
大学最後の夏休みを、ここへ合宿免許を取りに来た。
なにしろトロ臭さは今以上だったから、なかなか教習が進まない。
早くここを出て、卒業論文を書かねば・・・などと思っている
うちに、7月の半ばにここへきた僕の夏休みも、そろそろ終わり
そうになり、なんとか脱出したのは9月の第1週目だったかも
しれない。
もちろん、その間ずっと都留にいたわけではないけど、途中、
自宅へ戻って現金を補充してまた都留へ逆戻り。
その間に都留のお祭りも、となりまちのお祭りも見てしまった。
地元の短大生と仲良くなって、秋になってから学園祭にお邪魔した
なんて青春の記憶もある。
夏の暑さと、夜になってからの涼しさ、それから夜中に、どう考
えてもオバケの仕業だろうという、いきなり布団をめくられて、
闇の中で、何かの物体が僕をさすっていたあの怖い記憶。
たまたま当時、教習の状況を小さなノートに書いていた。
それが見つかって、とてもなつかしくなった。
都留市からは、特産品である水とグラス、それから広報と
「ふるさと都留志民」(「志し」の「民」とはシャレている)の
志民証が来ていたけど、今夜はそれをしみじみ眺め、ふとあの
頃を思い出している。
『ナツフク!』
6月、3週目・・・いよいよ暑くなってくる。
そんな気配。
古い母親(母やも古いが・・・(笑)の裁縫箱から、ワイシャツに付ける校章が出てきた。
僕の高校時代の制服、 冬はブレザーに、バッヂ式の校章をつけるけど、
夏はワイシャツの胸ポケットに、この布切れを縫い付けなさいということだろう。
「校章」が刺しゅうされたものが5枚で、ひと一組。
下のほうに、ハサミで切り取ったあとがある。
残っている枚数を考えると、たぶん一枚くらいしか付けな
かったのか、あるいは毎日同じワイシャツを着ていたのか。
校章なんか付けてなくとも、何も言われなかったから、たぶん
つけないで過ごしていたんだろう。
16歳の夏に初めて付けたとすると、もう30年も前のもの。
まるでタイムマシーンのような裁縫箱だ。
飲みては、あのころを語り合う同級生もあるけれど、ウン、そうだ、
ステキな時代だった。
薄目をあけて見るような、そんなまぶしい時間。
夏の日差しに汗がにじんだワイシャツ。
背中から見ては、
「おおっ!T子ちゃんは水色のブラだな!!」と友達に
教え、呆れられていた男・・・そいつがあの時代の僕 (笑)
『 チョーク休暇願い』
子供の頃、同居していた祖母は、金曜の夜8時になると決まって
プロレス中継を見ていた。
アントニオ猪木をはじめ、坂口征二、ジャンボ鶴田に天龍源一郎・・・
今でもその雄姿が眼に焼き付いている。
母親が「プロレスごっこはいけません! 間違って友達の目を
つぶしたりしたら一生の罪よ!」なんて厳しく言っても、僕が
プロレスをカッコいいと思ったのは、やはり勧善懲悪の感があった
からだろう。
憎むべきは外国人プロレスラーで、僕はこの祖母とタイガー・ジェット・
シンの登場をいつも楽しみにしていた。
サーベルを持って登場するのである。
観客席に向かってサーベルで威嚇し、あわててよけたり、かえって
ヤジをとばす観客が面白かった。
「あんなモン、控室で取り上げちゃえばいいのにねえ・・・」と
祖母はいつも言っていた。
そのタイガー・ジェット・シンだったかどうか定かではないが、
外国人レスラーはいわば悪役であって、これまた卑怯な手を使う。
チョーク攻撃である。
マットの上で手足をバタつかせる日本人レスラーを見て、アナウ
ンサーは「あ、チョーク攻撃です!レフェリー、止めに入った!」
と叫ぶ。必ず叫ぶ。
僕はチョーク攻撃の意味が分からず、祖母に訊く。
「ねえ、チョークって、黒板に書くあのチョーク? あれで相手を
殴ってるの・・・?」
それが締めるという意味だと知ったのは10年も後のことである。
ギターを始めて、教則本に「チョーキング」という言葉があった。
チョーキングとは弦を弾いたあとに、その弦を押し上げたりして
音を変える演奏技法である。
実はギターを覚え始めの頃に、先に始めていた友人にいろいろ
用語について教わったのだが、チョーキングについてウソをつかれた。
「チョーキングって、ギターのネックにチョークで印をして
場所を間違えないようにすることだよ。最初はみんなやるんだ」と
言われ、教室からチョークを拝借して、ホントに印を描こうとして
(はたして、みんなこんなことやってるんんだろうか?)と
そこで初めてだまされたことに気がついた。
チョークを握った指で、そのあと鼻でも掻(か)いたのかもしれない。
僕は昔から鼻炎に悩まされていて、チョークの粉っぽい感じが
して、その晩はくしゃみが止まらなかった。
ここ数年、花粉症の治療を受けているが、花粉の季節になると、
不思議なことにあのチョークの感じがする。
花粉が鼻や喉の粘膜に付いているのだろうか。
鼻で息をするとチョークの匂いがする。
口で息をすれば、喉元がカーッとなるような気がする。
10年おきに、体質が変わっているようで、良くなったり悪しくなっ
たりする。
今年は、ずいぶんひどい気もするのだが・・・
『かわいいネ!』
ときどき、中高生の掲示板を覗きます。
「バンドをやりたい」や「楽器を始めたいけど、ギターに
ついて教えて」なんていう掲示板。
いわば音楽の趣味を始めたい彼ら・彼女らのお悩み解決
掲示板でしょうか。
たとえば「ギターを始めたいけど、本体のほかに何が
必要ですか?」という問い。
これは某県の中学3年生の質問です。
僕の周りに、やはりギターは中学時代から始めましたなんて
人も多いのですが、そういう人と同じく、既に楽器を始めて
いる中高生がその質問に答えています。
「ギター本体と、ピック、アンプ、チューナー、ストラッ
プ、シールド、とりあえずこれだけあれば大丈夫です」
と大真面目に答えてあげています。
それに応えて質問者曰く
「あのー スミマセン、シールドってなんですか?」とくる。
今度はまた別の経験者がカキコミをする。
「ギターとアンプをつなぐコードのことだよ」なんてこれも
丁寧に答えてます。
ふたたび質問者からカキコミがあって、
「たびたびスミマセン。ストラップは「携帯」のでもいいん
でしょうか?」・・・
これには読んでいた僕も大爆笑。
ストラップはギターを肩から提げる、あのベルト状のもの
です。
若くてかわいいアイドルと見間違うようなシンガー(死語
か?)がたくさん出てきて、自分もギターをかきならして
歌ってみたいと思う・・・これはよくあることですね。
僕だって、ジョン・レノンの真似して、ギターも弾けない
のに、家にあったホウキでガニ股で歌う練習を先にしたくら
いですから(笑)・・・・
これは偏見なんでしょうけど、先に楽器をやってる中高生
くらいのコは、まだ何も知らない・・・それこそギターの
ストラップも携帯のストラップもわかんないような初心者を
ないがしろにするかと思えば、きちんと大真面目に答えてる。
非常にほほえましく思います。
あるとき、同じ掲示板にこんな書き込みがありました。
「バンドをしてる方へ」というタイトル。
読んでみると「バンドを組んだんですけど、何から始めて
いいのか分かんないんですよ」とあります。
高校1年生のカキコミです。
ちょいと暇つぶしにレスしてみると、「詳しいこと聞きたい
んでメールしてもいいデスカ?(←ママ)」とのこと。
こんな中年バンドで参考になるのかと思いつつ、フリーの
アドレスを書き込むと早速メール来ました。
「バンド組もうってことになって集まったんですけど、
こないだ何もしないで終わっちゃったんですよ」とのこと。
何の曲をやるかも決めず、ただおしゃべりして終わっちゃ
ったそうです。
曾瀬乱造氏、答えて曰く、
「そうですねえ、まずリーダーを、決めないといけないかも知れませんね」。
意外の返事のようでした。
友達関係の中にあっても、バンドとして音楽的に信頼され
てる人をリーダーとして定める・・・僕は常々そう思って
いるんで、そういってみたものの、「同級生の中では決めか
ねるよ~」とのこと。
「難しく考えなくていいのよ。しいて言えばピアノを
やったことがあるとか・・・ある程度音感のある人・・・
たとえば「ミ」を鳴らすときに「ファ」が鳴っていたら
「違うよ」って言える人が必要なのです」と添えてみると
納得したようでした。
僕の音楽の歴史も惨めなもので、最初にいたビートルズ
バンドを抜けたのも、あまりにも音程が外れてるのに、
それに気付かない人がいたというものです。
それがリーダーだったんで許せなかったんですねえ。
自分の音感が優れてるとは決して思わないけど、やっぱり
そういうのを指摘してテキパキと曲をまとめてゆく人って
必要だろうなと思っていたもので、ついそんなことを
言ってみたのでした。
僕がギターを始めたのは、それこそ20代にかかるか
どうかという頃で、ずいぶん恥ずかしい思いもしたけれど
やっぱり初歩的な質問に答えてくれる友人がいたように
思います。
その掲示板では、「ギターとベースの違いはなんですか?」
なんて質問もあって、中にはつっけんどんに「そんなもん
自分で調べろっ」なんて吐き捨ててあるときもありますが
(まあ、一理あるとは思う・・・ネットにカキコミできるくらい
なんだから)、そういう人を見捨てずに丁寧に答えてる
諸子を見かけると頭が下がります。
いつの世も、こういう人は必要です。
(あ、ハナシの焦点はどこだったんだ?!)
『進化する 対価する』
僕の、世を忍ぶ仮の姿(笑)は、ちいさな建築会社の総務
担当者です。
現在の仕事は4つ目ですが、これまで働いたどの会社でも
総務・経理の畑を歩いてきました。そのころの話です。
***********************
10年も前のことになりますが、機械製造メーカーに
勤務していて、本格的に経理を教わったことがあります。
それまでは片手間・・というか、総務・経理系だったので
経理一本で仕事をしたのはこれが初めて。
それまで専門に勉強したこともなかったけど、ここで
これまたいい上司にめぐりあい、いろんなことを教えて
いただきました。
やたらと印象に残ってるのは「対価」のことです。
よくサービスの対価として・・・なんて言葉がありますが、
「お金を払う代わりにどんな対価を受けるか、これによって
消費税の判定(課税・非課税)が変わるんだ」ということを
ずいぶん教えていただいたような気がします。
ちょっと(少なくとも僕には)難しい話になってしまうけれど、
勘定科目(費用科目)で会費は課税か非課税か、なんて
話で、上司いわく「年会費 21,000円なんてものは明らかに
課税(本体2万円 消費税1,000円)って見えるよね。
では総額で2万円の場合、どうだと思う?」
どこの業界でもあるように、その分野をまとめる会が存在し
て、年会費の納入があります。
それもまたたくさんの会があるもので、会費も結構支払が
あったり。
「総額2万円の会費は課税かどうか、ですか・・・・?」
そんなことすら分かりません。
それまで基本的に金額を逆算して本体と消費税にわけてま
した。
ただ、その上司(経理課長)によれば、「対価性があるかどう
かで消費税の判定をすればいいんだよ」とのこと。
つまり年会費を払うことで年に何度かの講習を別途費用を
払うことなく受けられることや、会報の発行を受ける
など、お金を払ったことでその対価があるものは課税。
反対に納入するだけ納入して、更に何かの会合の際には
別途会費は徴収されるというようなものは非課税。
そんな話でした。
無知だった自分に、懇切丁寧に指導して下さったこの
上司のことをよく思い出します。
まあ、経理マンには、提出した書類の間違ってるところだけ
にマルくれて、ポンと返す人が多いのも確かです。
それどころか「間違ってんじゃンか!」と感情的になる
つまんない人も多く存在します。
しかしながらこの上司は、「どうしてこういう答えになっ
たのか、それを考えてみよう」という人でした。
計算の基礎を残しておくのは当然のことだけれども、どこで
どうしたから、ここでこういう答えになったという検証をし
っかりして下さる方で、「次回ここを間違えないように。
ここでしっかり見直さないと同じミスをするよ。いいか
ね?」と最後にポイントを指導してくださる。
喫煙所で一緒になったとき、突然こんな話をされました。
「ウン、僕は工業高校を出て、生産管理の仕事をしていた
けれど、経理に欠員が出たんで、志願して経理になったん
だよ。働きながら夜間学校で簿記を覚えて・・・まあ、
ずいぶん苦労もしたけどネ」
只今、あわただしい決算の最中ではありますが、そんなこと
を、ふと思い出すことがあります。
『ふちび、とは何ぞ?』
『ウソ読みで引ける難読語辞典』のという書物があって、
巻末に3000語の難読漢字に5000の「ウソ読み索引」が
ついているとのこと。
たとえば「不知火(しらぬい)」の読み方を知りたいときは
「ふちび」で検索すれば「不知火」が発見できるという
ような仕組みになってるらしい。
考えてもみれば、僕がちょっとむずかしめの漢字の読みに
これまたちょこっとだけ強いのは、小学生の頃、日本の
軍艦のプラモデルばかり作っていたことによるのかも
知れません。
戦艦の名前は昔の日本の国名から採択されることが常で
あり、奈良県の旧国名『大和』、東京都支部のあたりをいう
『武蔵』などがある。
巡洋艦の名前は、日本の山や川から採った『最上』 『鳥海』
などがある。
そして駆逐艦となると、隻数も300余を有していたので、艦名は、
気象、 自然現象から採られたものが多いのだそうです。
当然、先の『不知火』や『陽炎』などもありまして『東雲』 (しの
のめ)、『夕雲』なんて、源氏物語に出てきそうな名前もたくさん
あります。
でもこれからは「ふちび」で『不知火』が、「ようえん」で『陽炎』
が引けちゃうんでしょうねえ。
いい言葉はたくさんあるのに、読み方が難しすぎ・・・
でも、それがまた日本語のいいところだったりしてね。
僕の子供には「初音(はつね)」ってつけようと思ってるけど
そうだなあ・・・・ 少し迷う。
塩にするか、タレにするか・・・
串に3つの時もあるし、4つの時もある。
それ、「つくね」じゃん?
『幼き頃、先の丸い新幹線は連結したらどちらかの先頭が、たまごのようにつぶれると思ってた(笑)』
新幹線も飛行機も、旅が好きなわりに、ほとんど乗ったことが
なく、むしろ特別なものととらえている人のほうが珍しいのかも
しれませんが、どうにもかしこまってしまいます。
いつぞや羽田空港へ行くと、みな、電車に乗るがごとく、あっちの
ゲートへ走り、こっちのゲートからたくさんの人が出てきます。
出入国がなければ、それはもう国内の交通手段が何であるかという
だけなんでしょう。
たぶん、新幹線などは17歳の時、乗ったのが最後でしょう。
修学旅行で、一路、山陰を目指す新幹線の中で、気圧に耳がツーンと
ならぬよう、つばを飲み込んでは、流れる車窓の景色を眺めていた
記憶があります。
なにせ、時代は『国鉄』の時代。
今だったら大惨事か、大きな問題となるでしょうけど、僕、中学3年
生の時、京都への修学旅行で乗る新幹線の、搭乗訓練をさせられたん
です。学校で。
「3年生は、放課後、校庭に集合」なんて号令がかかって、出てみると、
コートにあの赤い箱(ラインパウダーと呼ぶらしい)で線が引かれている。
目的を知らされてなかった僕ら、この細長い線を不思議に思います。
「新幹線は~ 小田原には1分しか泊まってないぞ~
ただいまより~ その間に226人・・・先生含めて234人、乗る訓練
をする~」と、学年指導の先生が訓示をする。
グランドに描かれていたのは、新幹線の車両と、1メートルほどの幅の
ドアが4つ。その平面図でした。
都合2両分が、我々の学校のために割いてあるらしいので、そこは
整然かつ迅速に飛び乗らなくてはいけない。
このころの国鉄は、失礼ながら、時間が来たら、誰かの目の前でドアが
スッとしまってしまうような勢いでした。
そこからは体育教師が手にストップウォッチを持って、
「いいか~ よーい、スタート!」
「かばんは横に持つな! 胸のところへ抱える!」
「前の人との間は20センチ! どんどん奥へ入る~」
・・・と、秒数に余裕を残すまで、何度も乗る訓練をさせられた。
「バカモノ!小林っ!そこは窓だ!間に合わないからって窓から入る
ヤツがあるか!」
・・・などと、みな、叱咤されつつ、本番に臨み、あれが競技なら
満点をもらえるような速さをもって、乗車訓練を行った。
JR四国が、新幹線を模した1両きりの観光列車を走らせるそうです。
ディーゼル機関車をデコレーションしたもので、流線型のイメージは
なく、カクカクしている。
時速85キロしか出ない、日本で一番のろい新幹線を売りとするらしい
ですが、そうですねえ、乗り込むのも走るのも、あまり焦らずというのは、
たまにはいいですね。
「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」は、まだ生きていると信じたい。
昭和48年、高知県の警察官が考えた交通標語だそうです。
『いきゃーめらー』
胃カメラを嚥(の)んできました。
もちろん、その場でお返ししてきましたが(笑)
先週あたりから、胃が痛む。
ストレスには強いほうなので、胃潰瘍とは縁がないだろうが、トシもトシだし。 考えられるのは、そもそも暴飲暴食の傾向にあって、タバコをやめてからというもの、一気に4キロ近く太り、自分でも驚いているところ。
さて、普段からそんな感じで、好きなものを好きだけ好きなときに食べるという、不摂生きわまりない生活なのに、それをすっかり忘れて、この下腹部の痛みは、もしや胃に穴でもあいたか、あるいは腫瘍でもできて、それが痛むのかと。
もう8年も前になるが、胆石をやって、あまりの痛みに昏倒し、 脂汗をかきながらエコー検査を受けたことを思い出し、 先週はエコーだけにして、今日は胃カメラ。
これも胆石のとき以来、呑んでいない。
僕はもともと意気地がないから、最近、胃カメラを呑んだと いう人に「最近は、チューブも細くなったから苦しかないよ~」と言われて、すこしなめてかかっていたかもしれぬ。
自分で運転して行ったので、全身麻酔はかけず、喉の麻酔として、うがい薬みたいな液体をしばらくのどで転がし、胃の動きを一時的に止める注射を打たれて、さらに口中を 固めるような麻酔のスプレーをしてから、プラスチックの 部品を口にはめて、いよいよ胃カメラ。
チューブの先端が光っているのが分かる。
顔のほうへ持ってきたときに、まぶしいなあと思いながら、あとは口のプラスチックからチューブが入って行く。
想像していたよりもはるかに太い。
8年前に呑んだのと、さして変わってないような気もするし、 あるいは黒いビニールテープでも巻いて補強してるんじゃないかとも思う。
何度か吐き気を催しながらも、ぐーっと喉を通るのが分かり、 そこからは楽になる。
でも、入っているときの感じは嫌なものだ。
鯨飲馬食で胃は結構くたびれているはずだけど、当の中身は意外ときれいで先生もびっくり。
潰瘍や腫瘍はみあたらないとのことだが、逆流性胃炎に
かかってるそうだ。
先生が「食道の壁は本来透明なんですが、白くなっています」とおっしゃる。
つまりは胃酸で食道が焼けているのだ。
この病気にかかっている人は多いと聞くけど、胃酸が逆流して食道に「ざっぷーん」とかかり、しぶきをあげる姿は、なんだか東映映画の冒頭みたいだなあと、ひとり、先生の前で笑いをこらえていた次第。
『未来は程よく近くになりにけり』
「あれから40年!」とは、綾小路きみまろさんが、
甘い新婚時代から、年月を経た熟年夫婦を描くシーンで、
冒頭に使われる言葉。
ウルトラセブンが初めて放映されたのは、昭和42年10月
のことだそうだ。
僕が生まれた年に始まっているのだから、ウルトラマンごっこ
に幼年時代を費やした僕は、たぶんいく度かの再放送を見て
育ったのだろう。
数年前から、このウルトラセブンの中で描かれる腕時計型の
通信機が実際に開発されるというウワサがあった。
腕に巻いた通信機のフタをあけると、ウルトラ警備隊の
本部とつながり、むろん相手の顔を見ながら話せるものだ。
ところが、本部とつながってるだけではなくて、どこかの
現場へ出動している隊員と連絡を取ることもできる。
つまりは通信したい相手を選んで、相手の顔を確認しながら
話せる。
電話で機能があり、当時、未来の者といわれたテレビ電話の
機能であり、かつそれが超コンパクトであるのが、彼ら
ウルトラ警備隊がつけていた腕時計型通信機である。
サムスン電子が、いよいよ腕時計型端末を発売するようだ。
腕時計型電話ではない。端末。
無論、電話もできるし、メールもできる。ラインもできるし、
腕時計のベルト部分にはカメラが内蔵されているそうだ。
高校受験の時、はじめてデジタルの腕時計を手に入れた。
15,000円だったろうか。
当時の腕時計には文字入力ができるということで、受験会場
では、腕時計は机の上に並べて、試験管の目につくように
厳しく言われた覚えがあるが、ハテハテ、21文字しか入らない
腕時計で、どれだけのことができたのやら(笑)
『that's!』
子供のころ(1975年あたり)、真夏に自転車を駆って新聞配達をして
いた大学生は、長髪で、無精ひげが生えていて、汗が走る自転車から
飛んでいた。
いかにもむさくるしい感じがあって、大学生というのは、7ツの僕には
ひどくオジサンにみえた。
どこかのニュースにあったのだが、20代の小学校教諭が、担任を
している5年生の女性児童からバースデーカードをもらい、
そこに
「24か25回目のお誕生日 すてきなすてきな日になりますように」
と書かれていたのを見て、その写真をフェイスブックに掲載して、
「24か25って雑。笑ってしまった」とコメントした。
別の保護者が、それを見たのだろう。
学校へ連絡して発覚して、女性教諭は掲載を削除して、校長と
女性教諭が児童側に謝罪したというニュース。
たしかに女性にとって、24か25というのは大きな違いかも
しれない。
先日まで45歳だった僕も、46になって、50への扉が開いた
ような気がする。
いけないのは、
「友人だけに見せるつもりが操作を間違えて全体に公開してしまった。
子供に失礼なことをして申し訳ない」とコメントしていることだ。
雑、という表現がいけなかったのだと思う。
「友人だけに見せるつもりだった」もマズイ。知らぬところで
子供に恥をかかせるのかと反駁されるかもしれぬ。
バースデーカードをもらった喜びだけつづる・・・そんな
気にもなれなかったのだろう。
とはいえ、喜ぶべき誕生日で、謝る結果になるとは・・・。
女性教諭は今後、子供に対して、「私は永遠の18歳!(はあと)」と
武装するしかないのだろうか?
『幸せの黄色いTシャツ』
大学の頃、とても素敵な男がいた。
純情、といえばいいのだろうか。
ずっと男子校生活だったから、大学に行って、はじめて出来た彼女。
その彼女のためにクリスマスプレゼントを、と思い立ち、
学業そっちのけでアルバイトしていた時期がある。
もちろん、普段から生活費も仕送りに頼らず、アルバイトでまかなっていたから、昼夜を
問わず、週に何度か入る交通誘導員のバイトのほかに、空き時間を利用して吉野家で
アルバイトを始めた。
学校の近くに吉野家があって、講義が2時間あけば、都合180分は空くことになる。
文系の大学生は、3年生以降は意外に時間が空くものだ。
朝から講義を受けて、11時になると10分ほど歩いて駅前の
吉野家へ行く。
そこで昼時のいそがしい時間にバイトに入るのだから、店としては歓迎であろう。
そして2時ごろに、いったんお客さんが引いた頃を見計らって
抜け出し、また大学で講義うけて、夕方6時からまた吉野家で
アルバイト。
深夜は深夜で生活するための交通誘導員のアルバイト。
そんな生活をしばらく続けていた。
吉野家では、カウンターもやれば厨房もやる。
真冬ですら、あがる蒸気に汗をしたたらして働いてる。
快適なカウンターと違って高温なのだろう。
男子校あがりなので、最初は店で働く女性の背中が気になって
仕方がなかったそうだ。
当時、吉野家のユニフォームは、黄色いTシャツにオレンジで
「YOSHINOYA」と染め抜かれたもの。
汗をかけば、ブラジャーが透けてしまい、女性店員には不評だった。
それでも時給がいいから、女子大生が働いていたりする。
彼のつとめる店でも二人の女子大生がいた。
学生街であったから、どこの大学生か知らない。
でも、彼には刺激的過ぎた。
昼間、汗で濡れたTシャツを後ろから見ては、
(お・・・こっちのコはシロ、こっちのコはピンクだな・・)
と思った。
学校に帰ってからも目がチカチカする。
あのころ、僕らは「岡田(友人の名)がヨシギュウで働いてるゾ、
よし!ひやかしに行ってやれ」なんて言って、わざと友人たくさん誘って、
彼がカウンターに立つ周辺に座り、配膳を苦労させ、
それを愉しんだ・・・そんなくだらない過去が僕にはある。
彼は彼で、アルバイトでちゃんとクリスマスプレゼントを買った。これまでで
一番高価だったかもしれないし、たぶんそうだ、初めて女の子に贈るものだった。
彼は戸塚にあるお寺の跡継ぎで、彼女も埼玉のお寺の娘だった。
大学はお寺の子女が多く通い、お互いに4年間のうちに生涯の伴侶を探すため
に入学しているなんて言われたものだけど、今はやはりあのときの彼女と一緒に
なっているんじゃないか。
冷たい風が吹きはじめて、ふと、ヨシギュウに立ち寄ると、厨房で汗をかいてる
友人をふと、思い出したりする。
『ここに幸なし』
お前、オレの愛を疑った、ってこと?」
明彦は優をそんな眼差しで見た。
「イヤ・・・そんなつもりじゃ・・・」
とは優。
放課後の空き教室。
夕日が差し込んで、クリーム色のカーテンも橙に染まる。
そんな優の口から、本当の気持が、ふと口をついて出てしまった。
「だって、明彦君、3組の杏奈ちゃんに夢中だって聞いたよ!
バレンタインだってチョコもらったというし、それに、お返しした
って言うじゃない。すごいうわさになってるんだよ。それ聞いて、
すっごく悔しかった。涙出ちゃったもん」
「そんな・・・一応、もらったら返すのが礼儀かと思ってサ」
明彦のそんな言葉に優はさらに感情を昂ぶらせて、
「杏奈のどこがいいの?あんな、お高くとまったツンデレなんかの。
色気に負けたの?化粧ばかり濃くてさ、香水がぷんぷんして、
そばを通るだけでムカムカする!明彦クンのそんなウワサ聞いて
から、受験勉強なんか手につかない!このままじゃ浪人しちゃう。
せっかく明彦君と同じ大学で、手をつないでキャンパスを歩くのを
夢見ていたのに・・・ひどい!」
そこまで言い終わるか終らないかのうちに、優は明彦の強い
抱擁と熱い接吻を受けた。
頬が紅潮して、気が遠くなりそうだった。
こんな高揚感は、しばらく得てないような気がする。
少しは抵抗したものの、がっちりとした明彦の体躯とその腕に
抱かれて、優はしばらく唇をふさがれたままだった。
そして耳元でささやいた。
「な? 優? これでもオレの愛が信じられないのかい?」
もうその言葉にあらがうことはできなかった。
「ウン・・・やっぱり明彦が好き。もうあなたから離れられない」
そういって、今度は優が明彦に抱きついた。
明彦は言った。
「マサル、毎朝ヒゲだけは剃ってこいよ・・・・チクチクするぜ!」
『バカの包みのなんたら屋』
どちらかと言えば、のんびりしているような僕ではあるが、
会社にあっては、冷酷なところもあるなあと思うことがある。
僕の働くのは、30人ばかりの小さな会社ではあるけれど、
特殊な事業であるため、これまた取引先への日頃の挨拶は
欠かせないところがある。
金額を言ったら笑われてしまうかもしれないが、会社の総務・
経理担当者として思うのは、年間100万円からの交際費を以て
お中元・お歳暮を贈ることは大変なことなのだ。
申込みの手間を厭うのではなく、ここ10年来取引している
Tなる百貨店に対し、僕は今、少し腹を立てている。
支離滅裂だと笑われない文章を書こう。
僕はこの会社に勤めて、丸7年が過ぎた。その間、このT百貨店へ
お中元とお歳暮を、向うが送ってくる申し込み用紙に記入して、
あとは配達があって、代金をT百貨店へ支払っておしまい。
こういうことを繰り返していた。
カタログを見ながら、ふと思ったのだが、こういう百貨店は、
会社(法人)との取引を専門とする外商部というものを持っている。
ところがその担当者というものに会ったことがない。
僕が前任者から、仕事を引き継いだときに、前任者も会ったこと
がないと言っていた。
その年数をカウントしないとしても、僕の知る限り、7年は担当
者と会ったことがないのだ。
金額のことをまた言うと、たいへんいやらしいが、こんな中小企業が
仕事のために年間100万円をお中元・お歳暮に充てている。
10年で1000万だ。
当社でいちばん長く勤めている人、それは社長を退いた好々爺の相談役
だが、この方も面識がないと言っていた。
何もT百貨店に言わず、今年のお中元はI百貨店にお願いした。最初は
町なかの小さな企業だと思われ、先方から示された支払条件も悪かったが、
上場会社の子会社と知って、これもまた態度が変わった(笑)
でもそこは許せる。
腹立たしいのはT百貨店だ。
今年のお中元の発注がないことを気づかぬだろうか?
気づいていても、年間100万しか買わぬ客かと思われているの
だろうか。
実は今日、T百貨店から当たり前のようにお歳暮のカタログが来て、
憤怒のようなものを感じ、担当している外商部へ電話をして、
声を聞いたこともない担当者という方に、
「この夏から他社に替えたので、今後カタログの送付は不要です」と
ストレートに伝えた。
おどろくべきは相手の「わかりました」、それだけである。
以前、同じようなことがあって、ある会社へ断りの電話を入れた。
その際、何度か顔を見たレベルの担当者が、
「後学のために教えてください。弊社では何が欠けていましたか?」と
いう返答をされたので、小規模ながら取引を継続したことがある。
上から目線かもしれないが、会社も消費者であり、相手先へ注文する
担当者も人間である。
そんなふうにT百貨店には思って欲しかった、のだが・・・?
『それだけの理由はあるのだ』
世の中、たいへん面白いもので、昔、連絡がつかなくなった
友人をネットで見つけることがいともたやすくなった。
「自分はネットなんて面倒だから開いたこともない」という
ひとですら、誰かに自分の事を書かれていたりするのだから、
それも手伝っているのだろう。
フェイスブックで親しかった友達や、はたまた別れた彼氏・
彼女を見つけた人もいるだろうし、一歩進んでメールした人
もいるだろう。
たまたま・・・ホントにたまたまなのだけど、大学時代の一つ
年上の先輩をネットで見つけて、うれしく思った。
カヨコ先輩と言ったのだ。
大学2年の春、図書館学の講義で一緒になった3年生。
そのころ、年上の女性には興味を持ったことはなかったけど、
涼しげな眼と、頬の赤みが印象的な先輩だった。
図書館学を僕と並んで一緒に受ける同級生がいた。
石川県生まれのナカムラ君。
彼にとってもカヨコ先輩は、初恋の女性なのだ。
いつだったか・・・たぶん僕が中学時代からやっていた古典
的な方法なのだけれども、ワープロでアンケートを作って、
「よかったら答えてください」というのを渡した記憶がある。
カヨコ先輩は、翌週の図書館学の講義の際に、そのアンケー
トにつぶさに答えて書いてきてくれた。
趣味やアルバイト、高校時代の姿、それから、好きな男性の
タイプ・・・
僕は、このカヨコ先輩が好きでたまらないナカムラ君のため
にアンケートをこしらえて、
「カヨ先輩、よかったら答えてくださいな~」と渡した気が
する。その返事を、講義の始まる前に、僕をそっと廊下へ呼
び出して渡してくれた。
僕は昔から、友達に、
「あのコが好きなんだ。いろいろとあのコのことが知りたいか
ら聞き出してくれないか?」と頼まれることが多かったから、
よくそんな手を使っていた。
あるいは、その気になる「あのコ」に近づきにくかったら、
その友達と仲良くなって、そこからいろいろ聞いてみたり。
友人は「まだかよっ?頼んでから、もう半年もたつぜ!」と
僕をせかすこともあったが「将を射るには馬を射よ、という
だろ?」と答えた。友人は何を勘違いしたのか、次の日、馬の
ぬいぐるみを気になる「あのコ」に廊下で手渡して、玉砕して
いる(笑)
さて、カヨコ先輩からアンケートの返信をもらった僕は、友人、
ナカムラ君のためにそれを渡してあげようと思った。
本当に彼女の事を知りたかったのは、ナカムラ君なのだ。
時代も時代、直筆である。
でも僕は、ナカムラ君に、
「すまん!もらったけど、どっかへやってしまったよ」と、答え
たように思う。
手帳に挟んであることは絶対にみせられなかった。
そんなカヨコ先輩の最近の姿を、ネットで発見した。
一般企業に就職されたところまではしっていたけど、最近はお
ひとりで、埼玉県のSという町に自然食品のお店を持たれているそうだ。
ある方のブログでそう、紹介されていた。
中田カヨ子(仮名)という当時の名前で検索したら、そのブログ
に行き当り、そこにあった写真は、たしかに、あれから25年後の
カヨコ先輩の姿だった。
僕の風貌もだいぶ変わってしまったから、名札をつけてゆくかどうかは
別として、近く、そのあたりを散歩してみようかとも思う。
『俺だよ俺』
これほど警察や金融機関や地域が注意をうながしても
減っていないのが「振り込め詐欺」。
こうして字にしてみると大変妙な言葉ではあるが、
詐欺による被害額は過去最高の水準なのだそうだ。
2012年の被害額364億円が最高だったのだが、2013
年は486億円。
正直なところ金額が大きすぎてピンとこない。
「オレオレ詐欺」を「母さん助けて詐欺」と名称変更したところ
から、警戒は停頓の感じがありますが・・・
学生の頃、年賀状に「横浜市緑区○○ ○○団地 〇-〇-Bの
なんたら」と書くのが面倒くさくて、差出人のところへ
「俺だよ俺!」と書いた。
学校が始まってから「今年、年賀状くれなかったねえ?」と
言われたっけ。
やはり「俺だよ俺」は「どこかの誰か」なのかも。
『華麗なる、』
いつぞや入浴剤と小説がセットになったものが発売されたという
話を書いた。
淡い初恋を描いたものとレモンの入浴剤、自然をテーマとした
雄大な話には森林の香りのする入浴剤。
入浴剤がよく溶け込んだお湯につかりながら、小説を読めば、
臨場感も湧いてくるかもしれない。
今度は「華麗なる小説」という小説が付属するカレーである。
本屋街として有名な神保町の名を冠した神保町スタイルという
ものがあるらしく、いわく、片手に本、片手にカレーライス
なのだそう。
右手に缶コーラ、左手には白いサンダルと歌っていたのは
聖子ちゃんだけど(←フルイネ!)、カレーと共に読む本が、
これまた太宰治、芥川龍之介、夏目漱石と、「文学」である。
カレーが主か、本が主かよくわからぬが、東京みやげ土産と
して、これからもいろんな作家の本をつけたこの中辛カレー
が出てくるそうだ。
てっきり『華麗なる一族』(山﨑豊子:著)とカレーがセットに
なっているものかと思ったけど・・・・
これがあたれば、ベッド付きの官能小説が、出る?(笑)
『better or greater』
僕には高2になる姪っ子が一人いるんだけど、外孫
いえども唯一の孫なので、まあ、可愛がられて育っ
たから、わがままなのはともかく、あまり頭の出来は
よくない。
それでも英語だけは得意としてるらしい。
かくいう僕も劣等生の模範たるような成績だったので
「伯父さんはもう少し勉強できたゾ?」なんて言えない
のだが、先日、妹夫婦が遊びに来たときに、会話の中で、
何かの拍子に「good」という言葉が出た。
そこで僕は姪に
「goodの比較級、言ってごらん?」という。
姪が中学生のとき、試験に出たそうだ。
たとえば、「big」は、big、bigger、beggest
・・・・というあんばいに変化する。
しからば「good」はどうか。
「いい?伯父さん?『good』でしょ?・・・簡単だよ。
good、gooder、goodest!だよね?」と得意げな顔。
実は「good」は「better」「best」と変化するのである。
中学生になって、将来役に立つからといわれ、
「ヒズ、ヒム、ヒー。 シー、ハー、ハー!」と何度も
暗唱させられた。
英語はボキャブラリィもさることながら会話する勇気が
大事らしいから、gooder、goodestも外国人相手に話せる
のなら正解にしてあげたいと、思う。
おふくろさん
春が来て、学生さんがアルバイトを始めるのも、この季節
あたりだろうか。
学校生活にも慣れる必要があるだろうし、もちろんアルバイトも
適度に楽しみながらがんばって欲しいのだけど。
ファミレスなどでは、ぎこちなさが目立つ、まるで卒業式の
壇上で、手と足が同時に動く光景にも似ている。
とかく、同じ年齢の人と接することが多かった彼らも、
ここへきて、いろんな年代の人と接しては、「接客はイヤだなあ」
と思いながら働く人もあれば、人と接することによろこびを
感じる人もあると思う。
惜しむらくは敬語だ。
さすがにタメ口を利くアルバイトはいないけど、「失礼します」を
連発するのも気持ち悪いし、ただ口にしてるだけのようにも思う。
どこかで教えてくれるといいなあ。
とりあえず、「おふくろにお入れしますか?」はやめてくれい。
3,600gで生まれた男の子も、今や80kgで毎年、健康診断を敵視してる。
あなたの力では、もう、戻れないと思うよ(笑)
『今は昔』
「黒田ですよ、黒田しほり。覚えてないですか?
ワタシ、ちゃんと覚えてますよ?背が高くて、色白で
井田充造さん。まあ、当時は名前すら呼ぶのが恥ず
かしかったけど・・・」
そんなメールがきて、戸惑う。
ここは婚活サイト。しかも再婚者専用のサイトである。
世の中には幸せいっぱいで一緒に暮らし始めたものの、
やはりいろいろあるのだ。
僕が登録しているプロフィールには、年齢、居住地から
始まって、年収、仕事の内容、趣味と続く。
写真の公開も、男性は積極的に行っているのだが、
女性は、やはり悪用を恐れて、メールのやり取りの中で、
その相手だけに公開できるような設定もあるし、会員には
公開になっている人もある。
悪用というのは、出会い系サイトに 「すぐに会える男性が
いいです」なんてふれこみで写真を掲載されることである。
だからこういう婚活サイトには、厳重な細工がされていて、
パソコン上で右クリックしただけでは画像を保存することが
できない。
どうしても、という人なら、プリントしてスキャナーで読み取る
なりするかもしれぬ。
さて、そんなメールが、突然来たのである。
いや、僕は確かに同じ年齢なんで、話も合うかと思います、
というようなことを書き送った気がする。
たいていは、無視されたり、社交辞令的な挨拶がきて、
「今は忙しくて婚活に集中できません・・・」などと、やんわりと
断られる。
だから、こんなことを書いてあるのには驚かされた。
黒田しほり・・・思い出すのは簡単なことだ。
たしか、中学の途中で転入してきて、何かの集合写真を撮った
ときは、まだ以前の学校の制服で、黒い丸襟のきていた気が
する。
白いブラウスに黒のひもタイが映えていたのを思い出す。
それからしばらくして、今の学校の制服が出来たのか、あの、
紺色の制服に赤いネクタイで登校してきたのを覚えている。
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・・・・・・・なーんて、ここまで書いて、おしまい!
ふと、青春小説を書いてみたくなっただけ。
先日、youtubeで『君に届け』(映画版)を見た。思わずきゅんと
なってしまう。
(← 腹が減ったワケではない)
主演の多部未華子さんがカワイイ(笑)
僕は、あれほど熱情的ではない、さめた青春時代を送った気も
したが、青春映画の類は何を見ても涙が出てしまう。
大学時代、何か思いつくと、ジャケットにしのばせた、小さな
原稿用紙に書き留めていた。
一杯になると、そこからいくつか選んでワープロで打って、ペラペラ
の本を作っていた。
そんな趣味を20代後半まで続けていた。
実は27才から書き始めた青春小説を、まだ書き上げていない。
どうしよ?!
そのうち腰の曲がった主人公が、杖をついて登校するシーンに
書き直しているかも(笑)
『モシモエッセンス(Mosimoessence)』
歴史の ”IF” は禁物である」
二十代の頃、夢中になって読んだ仮想戦記の解説に、よく
用いられていた言葉だ。
「でも、面白いんだからしょうがないじゃないか」みたいな結
末になる。
『戦国自衛隊』と、どちらが先だったか忘れてしまったが、太
平洋戦争中において日本の敗戦のきっかけとなった ミッドウ
ェー海戦にUFOが闖入するという話があった。
日本軍と米軍のどちら味方するかで懊悩する、話だったような。
「もしも・・・だったら」という想いは誰でも一度や二度、考えた
事があるのではないだろうか。
高校生のとき 「将来この人と結婚したら、こんな名前になる
んだよな」なんて想像して、そのあまりの語呂の悪さに、自分が
ムコに行くべきか、なんて思案したこともある。
昔から想像力を働かせることが苦手で、「もしも・・・だったら」と
いうような文章を書くのは、なおさらである。
でも、ときどき思うのは、「あのとき、告白していたら」なんて
レベルの話。
どこかに時間を巻き戻すような妙薬、「もしもエッセンス」は落ちて
いないかな・・・・?
付記
太宰の短編 『フォスフォレッセンス(Phosphorescentnce)』というタイトルに
あこがれて、駄文を書いてみたけど、ダメだったな(笑)
『真夏の夜の、』
ドライバー歴もそろそろ25年。
大学4年生の夏休みになって、就職するに当たり、やはり車の
免許は持っていたほうがいいよなァと思い、山梨県は都留市
にある教習所に入校した。
すでに8月の半ばになっていたと思う。
今もさして変わらないが、ドン臭くて、入校時に受けた適性検査
では、D判定が出て、あと一歩で「運転には向いていません」の
Eランクに入るところだった。
古くからの僕を知っている人は、エキセントリックで、落ち着きの
ない僕を思い浮かべて、判定結果は正しいと思うことだろう。
とにかく(女性を含めて)気が多く、面白いものには何でも飛びつ
いて、「それ面白いから、実行」なんてノリで、友達との遊びも
そんな感じだった。うわっついていると言えばいいのだろうか。
ともかく、判定結果が出た。D判定は「慎重に運転しないと
大事故を起こす可能性が高い」というものだった。
そんなふうだったから、教習所の中で車を走らせていると、
汗が吹き出た。急激な緊張を強いられるからである。
いわゆる合宿免許だったから、僕は3週間分の荷物をまとめて
教習所のそばにある寮に入った。男性ばかり20人は寝起きして
いただろうか。
山間部独特の昼間の暑さ、夜の涼しさは今でも忘れがたいが、
胆まで涼しくなる記憶がある。
こんな寮にはつきものらしいが、入校してくる生徒が増えても、
8室あるうちのひとつだけは、いつもカーテンが掛かっていて、
人を入れることがなかった。
1階の、玄関入ってすぐ右手の部屋。
やれ教官にいじめられて自殺した教習生の霊だとか、はたまた
技量が未熟で教習が遅々として進まず、思い悩んで首を吊った
大学生がいるとか、そんな噂があった。
誰も見たことがないのだが、この寮のどこかに、心霊写真が
しまいっぱなしになっているという。
教習所へ県内はもとより県外からも集まってきた人は、一期一会
とばかり、毎晩、どこかの部屋に集まっては酒を酌み交わした。
その日も教習生が酒を酌み交わしていて、記念写真を撮ろうと、
カメラに写ったものを後日見てみたら、部屋に二基あるずつある
二段ベッドのすこし薄暗くなったところに、見覚えのない顔がある。
薄笑いを浮かべているその顔は、水に浸かっていたかのように、
やや膨らんで不気味な感じがする。
そんな写真。
やはり、この寮には霊がいるんだ、と、開かずの間のウワサと
相俟って、先に入った者は、あたらしい生徒が来るたび、そん
な話をして怖がらせていた。
僕の暮らす部屋には4人の生徒がいて、僕のほかは皆、夜中に
必ずトイレに起きる。廊下に続くドアのそばのベッドにいた僕は、
古びたドアノブをあけてトイレに行って帰ってくるのがうるさくて
仕方なかった。
ある夜のこと、3人が続けてトイレに起きて、代わる代わる
ドアを開けて用を足して戻り、またドアを開けてベッドに
もぐりこむのがわかった。
深夜・・・3時くらいだろうか。ノブも回らないのにドアが開いて
明らかに誰かが部屋に入ってきた気配がある。
だれか、トイレに起きて、戻る部屋を間違えたな?
自分のベッドだと思って行ってみてびっくりするぞ、と真っ暗な
中で思っていたら、突然、掛けていた布団をはがされたのである。
しかも正確に布団の四隅を持って、一瞬にしてパッと布団を
取られた。
足音もしないで部屋に入ってきた気配だけなのに、それについで
これである。
僕はびっくりして「わぁ!」とわめきながら布団を奪い返した。
頭から布団をかぶって、でたらめなお経を唱えていたかと思う。
ところがすぐに消える様子はなく、今度は布団かぶったままの僕を
布団の上からさするのである。
膝で載っているような、そんな感じなのだが人間の重さのようにも
思えない。
とにかくわなわな震えていたのだろう。異常に気がついた他の人が
電気をつけてくれた。
「曾瀬(僕の名)さん、なんで夜中にお経よ?」と他の二人も起きてきて、
震える僕を不思議に思ったのだろう。
起こったことを話すと、
「そういや、今日、あそこで煙が見えていたけど、未練があるのか、
なかなか上に昇ってゆかないのがあったな。まだ地面を歩いていると
でも思ってるのかねえ・・・?」と言った。
あそことは、教習所から見える近くの山に建つ火葬場である。
25年たってもあの布団に乗ってきた感触を忘れないでいるのは、
よほど怖かったんだろうね。
『申し訳ございます!』 ~曾瀬乱造 勝手に綴るの記~