一週間
一週間
僕には猶予が残されていない。時間で言うと後168時間。今日も含めれば174時間。丁度明日から数えて、一週間しか使える時間が無い。だから、僕は何をしようか迷っていた。
今日は驚くべき告白のあった日だった。彼氏彼女が出来たとかいう喜べるものではなく、むしろ嘆くべき出来事が。僕達クラスメイト一同はそれに対し驚きを隠せなくて、現に今も僕はボーッと天井なんかを見上げていた。立ち直ろうにもやる気が出ない。時間が無いのにも関わらず、僕はそれを認める事自体に時間が掛かっている。何をしよう、何をやろうという焦りのある葛藤が、むしろ思考を鈍らせているようだった。
『元気出してよ』と、彼女は僕に言ったけれど、それは無理な話だと思う。むしろ、今元気が出せるならどんな状況でも出せる気がするくらいなのだから。◎
「はぁ・・・・・・」大きく溜め息を付いて寝返ると太陽の匂いがする干したばかりの布団が僕の下敷きとなり、小さな音と共に少し埃をたてた。障子から入る赤い斜陽は気持ち良いけど、今はそんな気分ではないのだ。
全ての始まりは今日だった。そして、僕はこの今日を永遠に忘れないと思う。今日なんて日は一生来ない方が良かったに違いないのだ。思うと、僕はこの時の一瞬を大事にする気持ちがあれば、もしかしたらもっと幸せな形で彼女を救えたのかもしれない。
だが、今更後悔しても遅かった。
◎
「転校します」
ザワめきが教室中に広がった。皆、耳を疑うかのような表情で、中には顔を見合わせている者もいる。
教室の一番前には彼女、『安城舞』が儚げに立っていた。そして、間違いなく今の発言は彼女からのものだった。
「今まで有り難うございました」
安城さんが続けてそう言い、頭を深く下げる。いままでありがとうございました。たった十五文字でおさまるはずのない感謝を、僕達は彼女からいともたやすく表現されてしまう。
僕達はそこまで聞いてもまだ呆然としていて、何一つ音を出すことが出来なかった。閑寂に包まれた教室がとても恐ろしいものに思える。
「先生、どういう事ですか!?」
と、突然、喧騒を両断するような大きな声が響き、その声は少しずつザワめきを見せていた教室を、再び静かにさせた。声の発信源を見ると学級委員長が堪えきれずに立ち上がり、声を出したようだった。
「なんで彼女が転校なんかになるんですか!? 昨日のアレは、私達が悪くて・・・・・・!!」
「・・・・・・いや」
しかし、先生がその剣幕を右手で制して首を振る。いつも元気の良かった先生のその弱々しい声は、今世紀最も落ち込んでいるのではないかと思える程だ。
「これは安城の両親が決めた事だから。どんな理由にせよ、俺達に口出しする権利はない」
「両親が・・・・・・・?」
委員長が驚いた様子で固まり、僕も重ねて耳を疑う。まさかそんなはずが無い。というのが、その時の皆の心情だったと思う。実際僕もそうで、信じられないという気持ちが、とにかく誰かに質問をしたいという感情を涌き起こしていた。
「そう、両親が。俺も心底残念だとは思うけど・・・・・・決まってしまったことだから、仕方ないんだ。安城には家庭の事情があることは皆知ってると思うけど、そういうのも今回の転校には関係してる」
「・・・・・・そんな」
先生のそこまでの言葉を聞いて、クラスの誰かがそう呟いた。それは僕達全員の気持ちを代弁してるかのようだ。
窓際では静かにカーテンがそよぎ、教室では静かに委員長が立ち尽くす。今までにない光景が僕達を覆っているというこの状況は、この先一体どうなってしまうのだという不安を僕達に襲いかからせた。
「確かに俺達にとって悲しいことだけど、一番悲しいのは安城だからな。察してやりなさい」
先生が最後に呟くように言い放ち、委員長と先生の会話が終わる。委員長は絶望したように俯き、僕達はそれを見ても何も言えなかった。
僕も委員長のように言いたいことはあったけど、それ以上に唖然とした気持ちが強かった。委員長が今どんな心境かを考えれば、必然と発言するべきでないことも分かってくる。ただ見守ることしか出来なくて、またそれは他の皆も同じだったと思う。
バサッ。
暫くの静寂の末、一冊のファイルが床に落ちた。そして、それと同時に儚く散ったプリントが、僕達の足下へと舞っていく。まるで僕達の心の表れのようであった。バラバラになり、もう自らの力で元に戻る事は二度とない。一人一人がそれぞれの道を歩み、止まる事もない。
風で揺れるそれらはもしかすると、これからの僕達の運命を暗示していたのかもしてない。と、今考えればそんな気がする。僕達の未来は、このプリントと同じだったのではないか、と。
僕達2ーBが散り散りになった今日。この日が全ての始まりだった。
◎
夕闇に紛れた明るい光がある。夜道の電灯のような、そんな光だ。形はぼんやりしてるけど存在はハッキリと見えていて、僕達の足元を照らしてくれる。
いつもそうだった。僕達を励ましてくれるのは、例えどんな時でも彼女だった。そう、それが後一週間で転校するような状況だとしてもだ。
安城舞。彼女は僕達のクラスから本当に慕われていて、どんな時でもクラスの中心にいた。彼女を嫌いな人なんて居なかったし、彼女と友達でない人も居なかった。人間とは思えない人望が人間とは思えない容姿と組合わさって、絶大な人気をほこっていたのだ。
だから、僕達が唖然とし、どうしようもない絶望感を抱えている理由は、やはり彼女の転校が原因だった。アイドルのような存在を失ってしまう悲しさが、2ーBを襲っている。
「気にしないでよ~」
放課後、午後6時帰り道。
住宅街が辺りにならんでいて、大きな迷路を突き進むような感覚の中。ポツポツと街灯がつきはじめ、夕暮れが覆い始めるような時間。そんな中に不思議な空間があった。 青春。言葉に出すと安っぽくて、身体で捉えると筆舌に尽くしがたいもの。表現する方法は色々あるかもしれないけど、やはり僕は体感するのが一番早いと思う。あの空気や、会話や、もどかしい距離。全てが青春への材料となる。
考える事は沢山あるけど、口に出すことは出来ない。頑張って考えた精一杯の言葉は、頬の赤みに溶かされ消えてしまう。雪のように儚く、子供の記憶のように懐かしい。
「無理だよ。今までずっと一緒だったのに、急にだもん・・・・・・」
俯いて、呟くように僕が言った。僕の得意技は地面を見ながら歩くことだ。昔から馬鹿にされてきたけど、安城さんだけはそれを全く気にせず、ずっと僕と一緒に歩いてきてくれた。
「大丈夫だって! 会えなくなるけど・・・・・・応援してるからね?」
「うん・・・・・・」僕はその慰めの言葉にむしろ気分を落とした。なんだか、さらに現実を突きつけられた感覚である。
会えなくなるということがこんなにも身近に起こるとは考えてもなかった。今まで僕達のクラスは一人も欠けることなくやってきたというのに。
「なんとかなるから、ね?」
僕達二人は学校から帰宅途中だった。今日の突然の転校宣言で安城さんは忙しかったみたいだから、この時間だけが僕達が唯一話せる時だった。僕達は帰り道が同じで、一緒に帰ることはいつもの習慣になっている。
「なんとか・・・・・・かぁ」
僕はまだ安城さんの転校を受け入れられずに居た。彼女がこの世界から消えるなんて考えられないし、想像したこともなかった。いつもそこに居るのが当たり前で、一緒にいることに対しての有り難みとかもあまり感じてなかったのかもしれない。
僕達が安城さんを異常な程に慕い、尊敬しているのにも理由がある。だけどそれは皆口にしないし、口に出さない。それは僕達のクラスの掟ともいえた。
僕が横を見ると、彼女は楽しそうに歩いている。僕はそれを疑問に思い、質問をした。
「ね、安城さんは寂しくないの・・・・・・? 平気な顔してるけどさ。本当は辛いんでしょ?」
「ん・・・・・・? まぁ、ねぇ」
僕は僕に対して励ましの言葉ばかりを掛ける彼女が不思議だった。それは純粋な疑問で、だけど内心を打ち明けて欲しいという既望もこもった言葉だ。
「辛くないの?」
「や、そんなことはないよ!」
僕がもう一度質問すると彼女は手を振り、焦ったように僕を見た。少し不自然な気がしたけど僕は気にせずに、やはりそうだよなと納得しながら会話を続ける。
「だよね? なら、転校を止めるように親に言えないの・・・・・・? 安城さんにとっても悪い話じゃないと思うけど」
「いや・・・・・・」◎
僕が続けて質問を投げかけると、彼女はゆっくりと首を横に振った。結構勇気を出した行動だったのに、あっさり断られて、少し気が抜ける。
「そういう訳にはいかないの。私は転校しなきゃいけないの」
「・・・・・・なんで?」
転校しなくてはいけない理由って。
「それって、もしかして、やっぱり昨日の責任を取らされてるんじゃないの?」
僕が問いつめる形で言うと、彼女は驚いた顔を見せた後に俯いた。そしてか細い声でゆっくりと、「違うの」と言いながら、ふるふると首を振る。僕は突然変化した安城さんのそんな様子が尋常じゃないと感じ戸惑いながらも、頑張って切り返す。
「いや、違うっていっても・・・・・・。やっぱそれしか考えら・・・・・・」
「・・・・・・違うからね・・・・・・?」
しかし、安城さんは今度は念を押すように、僕の目を見た。長い前髪を垂らしながら瞳だけをこちらに向けた、鋭い視線。それは困った顔や誤解を解こうとする顔というより、僕に対して威嚇するかのような顔。その、甘い考えを捨てろとでも言いたげな顔。・・・・・・たぶん、見間違いだとは思うけれど。
そして、そこで僕たちの会話は切れた。
その後はただ立ち並ぶ住宅街を無言で歩くだけの帰宅路だった。僕と彼女の距離間隔は遠い。友達の友達と共に帰宅してるかのような、そんな気まずさがある。ただ、僕はそんな中ずっと、今さっきの事を思い出しながら帰っていた。
彼女は、昨日の件を何故か必死で否定した。昨日のが原因なら僕達だって納得するのに、それは違うという。否定する理由も分からないし、もし違うとしても、それならば転校の理由はなんなのだろうということになる。突然決まったような感じだったし、安城さんの両親は転勤するような仕事ではなかったはずだ。わざわざ転校する意味など、あるのだろうか。
とにかく、僕は彼女の言葉が信じられなかった。クラスメイトの大半は昨日が原因だと考えているし、むしろそれ以外に特に理由も無い。彼女といえば問いつめようとすれば様子がおかしくなるし、僕は断定は出来ないけれど、彼女はなにか隠し事をしていると思う。
僕は安城さんと帰宅道の途中で別れた後も、ずっとそのことを考えていた。彼女は人気者だけど人に弱みを見せないし、どことなく隠し事をしている雰囲気がある。
家庭の事情。僕達も深く知っている訳でないけど、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
僕はふと思い立ち、その瞬間にはもう走り出していた。気になったことは調べ尽くす性分で、今回の謎もまた然りだ。真実を知るための努力は怠らないのが、僕の特長だった。安城さんを失いたくない一心が、僕の気持ちを更に掻き立てていた。
◎
一週間