ひとりぐらし -一、虫愛づる少女
八月某日。夏。大学生の頃よりA県へ住み始め、海の近い土地ならではの、湿気の多くじっとりとした、咽返りそうな暑さに毎年辟易する。地元N県は、暑いといえば暑いのだが、からっとした暑さは、A県と比べると体感温度は涼しい方。そろそろ実家に帰りたいが、残念ながら、今年も盆は仕事で終わる。せいぜい離れた土地より、別世界に発った祖父の元気を祈るぐらい。
この日は連勤明けの休日で、久しぶりに漫画が読みたくなった。何処かに行くには金が無いし、かといって部屋でぼうっとしているのも勿体無い。そうだ、漫画を読もう、という魂胆である。こんな二十三歳の女、果たして一緒に家庭を築こうとする男性が現れるのか、他人事のように「無いわあ」と鼻で嗤える。さて、車を所持してより、近場でさえも車で移動する習慣となってしまったが、職場が変わってより運動不足である。今日は徒歩で出かけてみようかと、歩いて十五分ほどの大手古本屋チェーン店へ向かう。歩いて数歩ですでに後悔の嵐。咽返る暑さ、滲み出る汗。わざわざこんな日に出歩くとは、余ほどのアホか、と心折れる。そんなこんなで、古本屋に到着し、暫く漫画を漁る。この日は兎に角″楠本まき″の漫画を読みたくて仕様がなかった。繊細な画、グロテスクなまでのエロティックさ、作品の中に漂うタナトス。何故か今現在、とても求めている。好きな作家の作品ほど、新品で買うという主義があったのだが、この日に限っては、古本で買おうという意気満々だった。『干乾びた胎児』と『致死量ドーリス』を購入し、意気揚々とアパートの帰路へ着く。その道すがら、女の子と出会った。誰かの小さな畑の土手で、保育園年長くらいの女の子が、ピンクのサテンリボンが結んである麦わら帽子をかぶって、じっと私を見て居た。私も目が離せずにいると、彼女はむっと口を結んだまま、急に走り去った。何だったのかと唖然としながら、妙にどぎまぎして、彼女が立っていた場所を見る。
そこにはお菓子のカンカン箱が落ちていた。ただ、その中身にぎょっとした。中には、羽根がぼろぼろになったモンシロチョウと、尾に裁縫糸が括られたシオカラトンボの死骸、蠢くアゲハ蝶の幼虫とプラスチックのガチャ玉に入れられたアマガエルが入っていた。子どもながらの、残酷なコレクションである。しかし、私の胸はざわついた。なぜなら、全て身に覚えがあるからである。
「私の宝物なの」
ドキッとした。後ろには、先ほど走り去った女の子が立っていた。―宝物なの―彼女は再び呟いた。彼女が大切そうに抱えるカンカン箱の気味の悪いコレクションに、私は嫌悪感が募る。ただ口から―どうしてこんなことするの―と、漏れる。
「欲しいから」
ただ、それだけ。欲しいという欲望の、とても純粋な主観の形であり、そこに客観的な、または社会的な道徳的なものは、一切邪魔をしていないのだ。
幼い頃に奪い去った小さな命たちに、慈悲の気持ちは無いのだが、興味と欲望のままに行動する十七年程前の私は、とても、恐ろしい。彼女はただ、自分とは違う小さな生命体が、愛おしく、自分だけのモノにしたかっただけなのだ。
結局彼女に掛ける言葉は見当たらず、宝物を抱えて夏の蜃気楼に消える彼女を見送った。
その日の夜に、私は過去に奪い去った小さな命たちが蠢く密室に埋もれるという悪夢を見た。真夏の夜の夢は、大抵悪夢である。
ひとりぐらし -一、虫愛づる少女
BGMは、anNina/対象a といったところです。