チョコビトの旅
1.チョコビトの旅(わたくし編)
ですからね、わたくしはチョコレエトの旅人なのですよ。
省略すれば、チョコビト。いっさいをはぶかずに名乗るのであれば、世界をジグザグに散策してあらゆるチョコレエトを味わいつくすという運命を見出した旅人です。もしもあなたの走馬灯にわたくしを登場させるのであれば、チョコレエトとともに思い出の中を回転させていただきたい。
・・・・・・彼は走馬灯さながらに流れゆく窓の外へ眼鏡を向けた。
次の駅で下車すると史跡の町だそうですね。幸福をひとびとへ届けようとする粋な職人がおられるとか。すばらしいことですよ。なにをあなたが謙遜されるのか。あのね、あなたは他の国へ興味を持つよりもまずご自分の町を知るべきだ。それが第一歩です。
とあるすじの情報によると、幸福の天使と称するチョコレエトには、黄金でつくられた天使の像がまぎれこんでいることがあるのだそうです。とても希な確率でね。いわゆるハズレの中身はナッツらしいのですが。
天使をかじった人間は黄金の幸福に満たされる。じつにうつくしいチョコレエトです。黄金がどうというのではないのです。チョコレエトを求める人間の胸の高鳴りを天までも響かせんとする職人の意図が感ぜられるのです。黄金の意図です。ロマンですよ。史跡の町にふさわしい。冒険です。
なにをおっしゃるか。ナッツチョコレエトを売りたいだけだろうなんて。心がさみしいのですな、あなたは。まあ、若いときにはしばしばあることです。 などといって、歳を重ねてもおおいにあることです。そんなときには甘いものを食べるとよろしい。つまりチョコレエト。
・・・・・・チョコレエトを溶かすように熱くしゃべると、彼はいかめしい顔つきでナッツをほおばり、ちょろりと酒を舐めた。酒を舐めるときも一本むすんだ頑固な口元はゆるみもしない。
彼はバットで型を取ってこしらえたような四角い大きな顔の紳士で、酔いどれの赤い鼻へ眼鏡を窮屈そうに乗せている。甘いものを好む顔には見えないが、いち日でもチョコレエトを欠くと手足がぶるぶるふるえ出すほどの中毒者らしい。
彼の鞄にはいろんな国の文字で記されたステッカーが重ねて貼られ、道中で負ったたくさんの傷跡が刻まれていた。生まれてこのかた旅なんてしたことのない僕にはそれがめずらしかった。知らない世界の話をねだりたくて、ちびちびと酒を舐める紳士の前へ座ってナッツをすすめた。
なのに、である。彼の舌はチョコレエトの周りでとぐろを巻いてばかりだ。聞きたいのは、たとえば駱駝で旅する月夜のこと。狂った海を渡る勇敢な船のこと。しょっぱ辛いものやすっぱ苦いものやつまりは不思議な食べもののこと。僕の言葉も常識も通用しないひとびとの想像もつかない暮らしぶりのこと。だから僕はたびたび口をはさんだ。甘たるいチョコレエトを紳士の四角い頭の外へ追い出そうと試みた。
この旅を始めてですか、そうですね、五年になりましょうか。南へ東へ西へ北へと。それはジグザグに。とにかくデタラメに。ええ、いろいろな町へ行きました。どの町にも出会いがあります。その時間とその場所が重なったからこそ出会えるものなんですな。わずかにすれ違ったら、もうなにひとつ出会いというものは成り立たないのではないでしょうか。そう、あなたとわたくしも。ひとも、風景も、眼鏡も、チョコレエトも。チョコレエト、そして職人も。
なに、甘いものの話はたくさんだとおっしゃるか。チョコレエトは甘いだけではありませんぞ。苦いものでもあります。そして古来はクスリとして王侯貴族に愛飲されたものでありますぞ。神様の食べものであります。あなたは勉強が足りない。
しかしわたくしと出会った。それはよいこと。あなたの人生の転機かもしれない。ううむ、これを差しあげましょう。チョコレエト天国。これはよい雑誌です。ご参考にどうぞ。
さて、出会いの話でしたね。職人とチョコレエトとの出会いはわたくしの幸福です。そう、幸福の天使は二千十個目になります。
記念すべき二千個目は兵隊と魚の踊る時計台がそびえ、かもめの飛びかう港町でいただきました。なに、時計台のことをもっと聞きたいと。いやたいしたこともありません。ただ兵隊と魚が交互に出てきてヒレとおしりををゆらして踊るだけです。
そんなものより、魚眼チョコレエト。巨大な魚のとろりとした目玉を黒いチョコレエトでつつみこむ。あれは挑戦でしたよ。職人にとってもわたくしにとっても。しかし運命の出会いでした。またいっしょに酒を酌みかわしたいものです。
つまり旅とは出会いですな。職人と、そしてチョコレエトとの。
おや、そろそろ到着の時刻ですね。ナッツをごちそうさまでした。
ですからね、あなたはとにかくご自分の町のチョコレエトを愛しなさいよ。なにごともまずそこからです。
・・・・・・彼は食べ残したナッツを丁寧にちり紙にくるむとコートのポケットにしまい、大きな頭を苦心して中折れ帽へはめこんだ。
結局、チョコレエトの話しか聞けなかった。僕の手元には彼から強引に渡されたチョコレエト天国。世界のチョコレエト旅特集と書かれた雑誌。
彼は窓にぬっと近づき、ほうほうここが天使の町ですな、両手をガラスにぺったりくっつけてうなずいている。
僕は考える。こんなにチョコレエトを愛する紳士のためならば、お店の台帳を開いては女の子にもらった手紙を読むみたいににやけるケチな親父の隙をついて、金庫に封印されたままである黄金の天使を解放してもいいのかもしれない。いや、するべきなのかもしれない。それが僕の運命なのかもしれない。
車輪とレールが擦れて座席をゆらす。
赤いレンガのプラットホームにはちらちらと雪が舞っている。
毛糸の帽子で親父ゆずりの癖毛を隠し、偽りの天使であるナッツの紙袋を抱え直して、僕も下車の支度を整えた。
2.Oの町でCの出口を探す紳士
小さな駅舎から出てきた四角い顔の紳士が凍結した道路で転んだ。
鏡のごとき路面と四角い顔の間でロイド型の眼鏡が悲鳴をあげた。フレームはゆがんで小さなねじが飛び、レンズにはひびがはいった。瀕死である。
そこへウェリントン眼鏡の婦人が通りかかり、不運な旅行者(その紳士はステッカーだらけの鞄を持った鼻と背丈の低い異国人だったのだ)を助け起こした。紳士が立つとレンズがいち枚外れて転がった。それをティアドロップのサングラスをかけた太鼓腹の男が拾い、敬意のこもった動作で紳士へ渡した。
紳士は肩を落とした。紳士の四角い顔はそこだけルーペをあてたように大きく、ゆえに眼鏡は不釣合いに小さかった。毎朝苦労して眼鏡を顔に収めていた。蝶番はいつもすぐにゆるんだ。だからねじ回しをいつでも持ち歩いている。なにせ眼鏡は人生の必需品である。ひどく目の悪い紳士は視力検査において特大のCすらぼやけるのだ。
「Cの出口はどちらを向いていますか」
検査員に棒で指されても出口が見えない。出口を失ったCはOに姿を変えている。閉ざされたOの世界。眼鏡がなければ紳士はOの世界の住人となり、どこにも行けなくなる。ほとほと途方に暮れる。
「眼鏡屋はどこでしょうか」
紳士は付箋だらけの辞書をめくって言葉をつないだ。
しかしひどく聞きとりにくい。顔と同じに四角ばってとがった音はウェリントン婦人とティアドロップ太鼓腹の耳の入り口で止まってしまって頭の中へ伝わらない。
はてな。ふたりはそれぞれ眼鏡のブリッジを持ちあげて顔を見合わせた。
そこへオクタゴン眼鏡の僧侶が足を止めた。オクタゴン僧侶は紳士の言葉を待たずに、ロイド眼鏡を両手でつつんで祈り始めた。ウェリントン婦人とティアドロップ太鼓腹は息を飲み、涙を浮かべて黙祷した。そんなふうに祈られると、ロイド眼鏡が修理不能の眠りについてしまった気がして、紳士は泣きたくなった。
三人は目配せすると、かわいそうな紳士の背中を支えて歩き始めた。どこへ向かうともなにもいわない。紳士は困惑した。あたたかい手がみっつも背中を押してくる。
やがてとがった緑に囲まれる白い建物へ着いた。
三人は慈愛に満ちた笑みでもって建物へはいれと身振りする。彼らの親切を断るのは罪深いことに思われて、紳士は中折れ帽を外して頭を下げた。紳士の肩を順々に抱いて三人は町へ散った。
空は鉛色、今にも雪が降りそうだ。
中折れ帽を胸にあててため息ひとつ、紳士はドアを開けた。
すると、白かった。
足場のわからなくなるほどの白さがあふれて、紳士は中折れ帽を落として飛びあがった。
世界の消滅が頭をよぎる完璧な白さ。
もっともOの住人である紳士にはものの境界があやふやだ。
紳士は拾いあげた中折れ帽を頭へかぶせてドアに手をかけ、顔だけつき出してぎゅうっと目を細めた。なんとなく見えてくる。ような気がする。
どうやら白い天井に照明がかがやいて同じく白の壁と床が雪原さながらに真っ白く反射しているらしい。
つま先で半円を描くと固い床があった。
指を伸ばせば冷たい壁に触れた。
壁を片手でなぞり、紳士は慎重にすすんだ。ほどなく現れた直角に沿って曲がった。通路になっている。通路の両側が星の砕けるようにかがやいている。ガラスだった。つまり紳士のたどった壁はガラス張りの棚の側面だった。中には小さな箱が整然と並び、箱には眼鏡の絵が描かれている。
ああ、眼鏡屋か。
紳士はふところからハンカチーフを取り出し、広い額にずっと浮いていた汗をようやくぬぐった。
どこまでもつづく星の砕ける道に、紳士は視力の限界を試される気分だ。と、道の奥でなにかが動いた。
レンズで壁を焼いたがごときあやしい線。
用心深く紳士が近づくと、それは白い服装の片眼鏡の男だった。白い格好が白い壁に動くことでその境界が線に見えたらしい。
カウンターの向こうに座っていた片眼鏡は、立ちあがって直角に頭を下げた。
紳士はカウンターへ壊れた眼鏡を置いて辞書を開いた。口と耳がだめなら目で訴えよう。
眼鏡が壊れたのでお願いしますと伝えたい。「眼鏡」「破壊」「願い」ひとさし指で単語を示した。
片眼鏡はあごで首を刺す勢いで数回うなずき、ロイド眼鏡をうやうやしく戴き、やたらぴんとした背中でドアの向こうへ消えた。そのとき、紳士は「修理」が足りないと気づき、急いで辞書をめくった。
と、すぐさま片眼鏡は現れ、カウンターへ小さな箱を置き、すました手つきで紳士へ確認を促した。
おや。ロイド眼鏡は崩れたまま綿の上に横たわっている。
やはり伝わらなかったのだ。紳士は「修理」を探した。
しかし。片眼鏡はレジスター脇に置かれていた鐘を鳴らして黙祷し、箱へ蓋を重ねてひとひらの紙を糊づけした。紙にはロイド眼鏡が描かれている。
片眼鏡は箱を持って近くの棚へ歩み寄りガラス戸を開けた。
紳士はあわてて片眼鏡を押しのけた。そのはずみでとなり合わせに並んだ箱が落ちた。
蓋が飛んで眼鏡が床に転がった。
ひび割れたレンズのフォックスだった。
片眼鏡はそれをすばやく回収し、棚へ戻して鍵をかけ、青暗く目を細めた。
紳士はなおも棚にかじりつく。
片眼鏡は肩をすくめて首を横に振り、紳士を脇に抱えて出口まで誘導した。
眼鏡を返しなさい。
ついに紳士は自国語で叫んだ。
片眼鏡はやさしくほほ笑みを返す。
紳士は外へぎゅうっと押し出された。
ドアの閉まる瞬間、片眼鏡のほほ笑みが裏返って白い表情に変化した。
眼前でそれを見た紳士は、臓腑が氷へすり変わる思いがした。
鍵のかかる音が響いた。
鉛色の雲がちぎれて落ちてきた。
Oから抜け出せない。
使いすぎた眼球が痛む。目を手でこすり、再び開いたとき、ドアの側へ小さな看板があるのに紳士は気づいた。
かじかむ手で辞書をめくった。
中折れ帽へつもる雪が重みを増してゆく。
靴が路面にめりこんでゆく。
紳士の翻訳にはまだしばらくの時間がかかるのだが、看板にはつまりこう記されている。
「眼鏡にうつくしく安らかな眠りを。眼鏡霊園」
三.チョコビトの旅(わたし編)
わたしはチョコチョコと世界を散策する旅人です。
ええ、短くするならチョコビト。
これを拾っていただいたお礼に、できることはありませんか。大切なものなのです。
眼鏡の町をご存知ですか。眼鏡をかけるひとが多くて、生産量は世界いち。自分で眼鏡を買えることが成人としての大切な条件です。子どもが夢見る職業はいつの時代も眼鏡職人だそうです。とにかく町のひとは眼鏡を愛しています。眼鏡の誕生日を祝いますし、眼鏡の休暇もありました。あとはなんと眼鏡のための霊園さえあるのです。
拾っていただいたのは、その霊園から引き取った眼鏡の棺です。かわいい箱でしょう。祖父のものです。管理人さんが祖父を覚えていて、眼鏡との別れがつらくて錯乱してしまって清算もできなかったという話を教えてくれました。祖父はずいぶん顔が大きいので、ひとの記憶によく残るらしいのです。
でも、その話の祖父はチョコッと違う気がします。大きい顔に合う眼鏡を大事にはしていますけど、錯乱するくらいに好きなのはチョコレエトだけと思うのです。
・・・・・・そこで、彼の顔つきがチョコッと変わった。駅前の道路でバナナの皮にすべって転んだとき、棺を落としたことに気づかず、わたしは発車時刻ぎりぎりの列車へ飛びこんだ。棺を拾った彼もわたしを追って列車に乗ってしまった。親切なひとである。次の駅で彼が降りるまでになにかお礼をしたい。わたしが再びそう切り出そうとしたら、おじいさんはどんな方ですかと彼が先に尋ねてきた。
祖父は大きな鞄といっしょによく旅行をしていました。立ち寄った町からチョコレエトと絵葉書を送ってくれるやさしいひとでした。お菓子も楽しみでしたけれど、なにより絵葉書の届くのが待ち遠しくてしかたありませんでした。 かわいい時計台の建つ港や、風車の並ぶ緑のまるい地平線や、空に溶ける白い山脈。マッチ箱がひしめくような窮屈な町に住むわたしにはめずらしい風景ばかりでした。
ほら、手帖をもらったんです。祖父の旅が記録されています。わたしにとってはこの手帖が祖父そのものです。宝物です。
・・・・・・古びた革の手帖を彼へ向けた。彼は興味深げに身を乗り出した。もじゃもじゃとした頭がわたしのすぐ目の前に迫る。ヒヨコが口を開けて出てきそうな癖毛だ。つついたら指が抜けなくなるかもしれない。そんなことを考えていたら、彼が驚きの声をあげた。
ああ、それは魚眼チョコレエトの港町の記録ですね。その町の職人とは酒場で意気投合して長い間滞在したようです。祖父はお酒のことも愛していたので。
記録を読む限り、勢いしかない酔っ払いのチョコレエトですね。生の魚の目玉をいれて食べるだなんて、シラフじゃとてもできません。
わたしもその港町へ行きましたが、店はたたまれて、海辺のすてきなレストランになっていました。チョコッと残念というか、だいぶ幸いというか。牡蠣をいただきました。のどがとろんと溶けるおいしさでした。
・・・・・・彼は目をまるくさせ、その後はなんにもしゃべらずに手帖をめくった。列車がカーブに差しかかり、彼のとなりに置かれた紙袋が倒れた。ナッツがこぼれた。わたしはナッツの紙袋を代わりに抱えてあげた。
彼はつぶやいた。
ああ、旅だ。
手帖を胸にあてて、しみじみとまぶたを閉じた。
コトトンコトトンと窓に花と緑が溶けて流れる。
やがて息をもらして目を開け、彼は尋ねてきた。
二千十個目のチョコレエトについて、おじいさんはなにかおっしゃっていませんでしたか。
いいえ、なにも。祖父の記録は二千九個目が最後です。
あれは耳が落ちてしまいそうに冷たい冬の朝でした。祖母の頭の血管が切れたのです。祖父は旅行中だったのでなかなか連絡がつきませんでした。やっと連絡できたときには、祖母のからだの半分は動かなくなっていました。二千十個目へたどり着く前に祖父はすっ飛んで帰ってきました。
祖父ですか。元気ですよ。あれからずっと祖母の側にいます。
わたしが今回旅に出たのは、霊園の話を聞いた祖母が眼鏡の棺を見たいとせがんだからなのです。問い合わせたところ、直接なら渡してもいいという回答がありまして。
もちろん、祖父は今もチョコレエトを毎日食べています。
わたしは祖父ゆずりのチョコビトなので、旅先からチョコレエトを送ってあげるんです。絵葉書といっしょに。まねっこです。チョコビトなんていうのも、じつはまねっこだったりします。
・・・・・・手帖をわたしへ戻した彼はナッツの紙袋を受け取り、とびきりすてきな笑顔を見せた。ときめきやすいわたしはまんまと心臓どきりである。
あたながバナナの皮を踏んだのは史跡の有名な町でして、それにふさわしいロマンたっぷりのお菓子があるのですがご存知ですか、今月のチョコレエト天国にも紹介されたのですが。
そう尋ねてくるチョコレエト色の目がものすごくやさしい。どきどきして頭を横へ振る。その雑誌は祖父の本棚で見たことはあるけれど。
花と緑は遠ざかりレンガの壁が並ぶ。もうじき次の駅だ。
では戻りましょう。おじいさんへ届けてほしい。
彼はわたしの鞄を持って立ちあがる。ぱらぱらとナッツが転がる。彼はかまわず歩く。ナッツを拾おうとするわたしの手を取る。鞄と紙袋を片腕に抱えるものだから更にナッツが落ちる。
それは偽物だからいいのです。
列車が止まる。彼の背中が半分よろめく。癖毛がゆれる。
あなたもチョコレエトをお好きですか。
扉が開いた。
ええ、大好きです。
・・・・・・僕に時間をください。天使を解放しましょう。
彼に手を引かれて降りた午后のプラットホームには、金色の陽ざしと春の匂いがチョコレエトみたいに甘く満ちていた。
チョコビトの旅