ギガンティック・ソリスト

ギガンティック・ソリスト

世の中はいつだって不条理で、理不尽で、嘘だらけだ。


これは、あくまでも僕の個人的な意見だ。僕のこの考えを誰かに話してみたいけれど、生憎、友達と呼べるような人間はひとりもいない。よって、こうして独り淋しく思いを綴っている次第である。

友達とは、一体何であろうか。自分にとって、どのような存在を友達と呼ぶのだろうか。
いや、そもそも友達に定義など存在するのか。自分が友達であると認めれば、みな一様に友達となるのか。それも、何だかおかしな話だ。それならば、人間以外にも通用する定義になってしまう。人間に限定してみてはどうか。

やっぱりおかしい。こんなものは定義と呼べない。それでは、“友達だと 思い込んでいた人間が、実は赤の他人でした”、なんていうことが起こり得る。その逆も然りだ。お互いが友達であると認識していなければ、そこに友達という目に見えない繋がりは発生し得ない。

自分の中の常識は、時に一般常識とは異なる。主観的なものの見方だけで、物事を決めつけてはいけない。

しかし、人間は過ちを犯し続けている。

友達と思っていた人間に、ある日突然、裏切られる。あるいは、話し掛けても無視される。最悪の場合、何故か自分が悪者扱いされる。

これが、人間のどす黒い部分であることは、今更言うまでもない。というよりも、人間は元々どす黒い生き物であり、それを洋服やら化粧やら髪型やら、話し方、態度、仕事、趣味嗜好、信仰宗教、その他諸々で覆い隠すことで、何とかかんとか誤魔化している。

人間は人間を、酷い時には自分自身に対しても(これは最早、一種の暗示と言っても過言ではない)、誤魔化し誤魔化し生きている。

その皮が、ぺろりと剥がれると、もう手のつけようがない。友達、友達のような人間、友達だと勘違いされていた人間を怨み始める。たいした理由などなく、ただ自分の視界に入るのが不愉快で、気に入らない。

結果として、先述したような、裏切りや徹底無視、八つ当たり、責任転嫁をせずにはいられなくなる。どす黒いものが流れ出したらどうしようもない、簡単には止まらないのだ。

例えるなら、決壊した堤防から溢れ出る川とか、ダムの放水とか、土石流みたいなかんじに。勢いを増しながら、たくさんのものを巻き込みながら、時には軽やかに溢れ出していく。

どんな人間でも、その薄皮一枚、ぺろりと剥げるだけで、本来の人格へと豹変する。それが、どんなに認め難いことでも。

ただ、不思議なことに、この凄まじく衝撃的な豹変人間の相手をする人間は限られている。対象となり易いのは、弱そうで、八方美人で、地味なやつと相場は決まっている。要するに、自分よりも明らかに劣る何かの持ち主である。

けれど、ごく稀に、格ゲーのランダムプレイヤーがキャラ選択をする時みたいに、有無を言わさず選ばれたような人間がいることも確かだ。
それはまるで、彗星の如く現実に降りかかって来る。

一度でも豹変人間の標的にされれば、破滅への道をひた走ることとなる。誰からも相手にされず、可哀想だと囁かれ、権力の強い人間にこき使われる毎日の幕開けだ。そんな幕は、一生あがらないほうが良いのだけれど。

皮の剥がれた人間は、手加減を知らない。
手加減という文字が、辞書に載っていないのだ。だって、必要ないから。

僕は、手を加減したって、どす黒いものの流れを止めることなんて出来るはずがないと考えている。手で加減できるのならば、最初から皮が剥がれないように、手で加減していることだろう。
つまり、そういうことだ。お察し頂きたい。

裏切りというのは、非常に恐ろしい言葉である。信じていたのに、信じられない出来事が起こり、裏切られる。期待していたのに、信じられない出来事が起こり、裏切られる。安心していたのに、信じられない出来事が起こり、裏切られる。

友達に限って言えば、裏切りは犯罪行為に匹敵する程の行いだと思う。友達だとばかり思っていた人間から裏切られるショックは大きい。身売りされたような気分だ。犯人はこいつです、と警察に突き出されたかのようだ。見ず知らずの人達からは、哀れな視線や、汚物を見る様な視線を送られる。
こんなに不名誉なことはない。

心の病の一つや二つ、簡単に患ってしまいそうである。

そんな悲劇が繰り返されるのならば、裏切りが起こらぬ様に友達の定義をきっちり定めるべきである。これは僕の持論だが、あながち的外れではないと思っている。もちろん、謙遜という言葉もしっかり理解した上での発言であることをお忘れなき様に。
その上で、僕は思うのである。

人間とは、愚かで醜い生き物である、と。

少々好き放題書き殴ってしまった。話を元に戻さなければ。だから、度々“お前の発言は支離滅裂だ”、とか何とか、上司から怒鳴られたりするのだ。気を付けなければ。

とにかく僕は、友達と呼べる人間を作らないように努めている。それは、昔に負った深い心の傷に大きく関係しているのだが、この話は正直、話すのに抵抗がある。
でもまあ、紙媒体には記録しておいても損はないと思う。辛い事実を書き記すことも、必要なことのように思う。

それは、どんなに汚れていようと、僕の人生なのだから。

先述したように、裏切りは人間のどす黒い部分である。そして、裏切りはゲリラ豪雨よろしく、ある日突然襲いかかってくるのだ。
僕は、小中高大とずっと人間に裏切られてきた。僕が単純で馬鹿だという所為もあるけれど、純粋に信じることを止めなかった結果、裏切られ続けて来たのだ。

自分でも、人間を信じ過ぎていることは分かってはいたけれど、“信じることは良いことだ”と信じていた。

当時、そんな脳内お花畑だった僕はおそらく、信じることはかっこいいとか、また馬鹿な考えを巡らせていたに違いない。いま考えるだけで、恥ずかしさが込み上げてくる。

信じる。

信じることは、決して悪いことではない。寧ろ推奨されて然るべきものだ。
けれどもこの時代、信じれば信じる程、暗くて深いじめじめとした落とし穴に嵌って行くのである。

それはとても悲しく、つらいことだ。

僕は、嘘がつけない。つけない、というのは誇張表現かも知れないが、とにかく偽りを話すことに抵抗があるのだ。さらに自分の思考が諸々顔に現れてしまうので、かなしいかな、僕は嘘つきにはなれない。
だからと言って、嘘は悪だ!みたいに主張したいわけでもない。

そんなあやふやな正義感は、残念ながら持ち合わせていない。

だけど、嘘をつけない僕にとって、この世はまさに地獄絵図だ。嘘のひとつもつけようものなら簡単なことも、僕には最難関の壁となって目の前に現れる。その壁は、いくら叩けど壊せど溶かせど、びくともしなかった。
ストレートに言うならば、就職出来ないのだ。大学も4年、季節は秋が終わりを告げ、もうすぐ冬だなという時期にも関わらず。

周りの嘘つき人間たちは、次々と内定を決めていた。
正直、焦りと不安がぐるぐると渦巻いていた。

説明会の嘘の話を鵜呑みにする辺り、僕は企業にとって絶好のカモだったに違いない。純粋とは、ときに冷たく残酷だ。透明であるが故に、繊細でもある。暖かさよりは、透き通った氷のような雰囲気すらある。

エントリーシートでは、ありのままの自分しか書けない。誇張表現が出来ないし、誇張すること自体を自分が良しとしない。
変なところで頑固さを発揮する僕である。更に、謎の正義感にも苛まれている僕である。

そして、面接。

これが最大の難関だ。
就活生の殆どは、上手く嘘を身に纏い、ときには作り話で自分を着飾って、精一杯の化粧を施して普段の自分をひた隠す。そりゃあもう、ふわふわもこもこになるまで、嘘の洋服を手当たり次第に着まくっている。
本物の自分など、これっぽっちにも見せる気などないのだ。だから、会社と学生との間で得られる情報の中で、事実である内容はほんの僅かということになる。

それが、僕には出来ないのだ。
僕は僕でしかなく、装うことも着飾ることも、化粧で誤魔化すことも、全てばればれになってしまう。
ひとりだけ、ワンテンポ遅れながら踊り続ける浮いたダンサーみたいなものだ。間違い探しなら、幼稚園児でも発見出来るレベルである。

嘘がつけないこと、嘘が下手くそなことは、僕が一番良く知っている。

だけど、どうしてだろう。
嘘をつくことは、そんなに重要なことなのか。嘘を付かなければならない程、自分は無価値なのか。
そもそも、切り捨てられるこの時代に、人間の価値など存在するのか。
どうして騙し合いながら、面接しなければならないのか。
人間は一体何が正解であるのか、その答えを見失っているんじゃないのか。

僕は、他人の役に立つ仕事がしたい。心からほんとうにそう思っている。人を助けるために自分を多少犠牲にすることに、何ら問題を感じない。寧ろやり甲斐があるってものだ。
しかし、最近は自分のことしか考えない人間しかいない。そりゃあ、日本全国津々浦々、探しに探せば居ないとは言い切れないけれど、それでも激減したのは事実だ。


どうして、人間同士が触れ合おうとしないのだろう。
親切で、おもてなしの心を忘れない日本人はどこへ行ってしまわれたのだろう。
まさか、集団疎開でもしているんじゃなかろうか。
早く帰っておいで。切実に。

だから、僕は嘘つきだらけの人間を信じなくなった。人間を信じなくなったら、あらゆる事も信じられなくなった。
たた、ひとつだけ今でも信じているのは、この地球と言う惑星に僕が生きているという事実だけだ。みんなが仮面を被っているような感覚。そこにいることさえ、忘れてしまいそうな程の存在感。

ふざけるなよ。

ふざけている場合ではないのだ。しかし、世の中はふざけ続け、僕を嘲笑い続けている。こんな具合だから、死にたくなるのだ。こんな世の中を生きなければならないなんて、何という拷問か。生きながらにして、地獄を見る事ができるのだ。末恐ろしい。

ああ、早く死にたい。

こうして自殺志願者が増えて行くのだろうか。僕たちの世界は、僕たちを徹底的に殺しにかかってくる。
誰も助けてくれやしない。誰も見向きすらしない。

そういう世界に成り下がってしまったのか、はたまた、人間が繁栄し過ぎた代償か。

どちらにせよ、僕は信じることを止めない。信じた瞬間、裏切られるかも知れない。それでも構わない。そんなことは、後から考えれば良いことだ。

さて、僕の持論はここに書き殴った。それをどう受け止め、どう感じるかは、個人の自由というものだ。この書き残しを見つめ直して、自分だけのほんとうの答えを掴んで欲しい。

一般人からしたら、歪んだ目線で物事を見聞きして、いつも一人きりの、淋しい男の独り言を聞いてくれて、嬉しく思う。
僕は、これを読んだ君を友達だと信じることにする。

ああ、言い忘れていた。僕にとってはさして問題ではないのだけど、きっと君が驚くだろうから。

僕の右眼は義眼である。

ギガンティック・ソリスト

如何でしたか?

いつも孤独な義眼男の独り言。
貴方にも、きっと思い当たる節がおありでしょう。

では、いずれ、また。

ギガンティック・ソリスト

題名が先に浮かんだ、珍しい作品。

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2013-08-18

Copyrighted
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