イヌノキモチ
おれの話し、聞いてくれる?
昼寝をしているおれの鼻先をかすめるスパイシーな香り。
今夜はカレーだな。
大きな伸びをして、おれは大きなアクビをする。
キッチンに行くとお母さんがいて、やっぱりカレーの支度をしていた。
おれは立って両方の前足でお母さんのふくらはぎに突撃。
「ココちゃん邪魔だからあっちに行ってて」
お母さんつれないぜ…おれもカレー食べたい…
おれの名前はココ。四歳のチワワだ。
勝気でやんちゃで活発で好奇心旺盛な性格のおれは、とにかく元気だ。
家族に言わせると、元気がありすぎるらしく、お母さんとの散歩でも常におれがリード。家の中でも音の鳴るオモチャをいつも乱暴に噛みまくる…
みんな勘違いしている…散歩の時にお母さんより先に行くのは、お母さんを守る為だ。オモチャを噛みまくるのも、音が鳴ったらみんなが喜ぶからだ(最近あまり喜んでもらえないが…)
おれはただの暴れん坊じゃないんだぜ?
だから散歩の時に他の仲間に出会っても、ケンカなんてしない。近寄ってきて臭いを嗅ごうとする奴がいたら、おれはすかさず避ける。おれに近寄ったらヤケドするぜ?
女の子にすり寄られても、ごめんよベイビー、おれには心に決めた女がいるんだ、と素っ気なくする。
そう、おれにはご主人様の桃ちゃんがいる。ペットショップでおれに一目惚れした桃ちゃん。見る目があるぜ。
桃ちゃんは25歳で仕事も忙しいから最近あまり構ってくれないけど、そんな事は気にするな。桃ちゃんが楽しそうならおれも楽しい。桃ちゃんが嬉しそうならおれも嬉しいんだ。
しかし、最近の桃ちゃんは様子がおかしい。元気がない…悲しそうだ。
泣いてる時もある。涼という恋人とついに破局したのではないかとおれは考える。
涼という男は時々家にも遊びに来ていて、おれとも顔見知りだ。
お母さんとお父さんとも仲良くて、おれはあいつが来るとイライラして、オモチャをいつもより更に激しく噛みまくった。
「ココちゃんはいつも元気だな」
そう言って爽やかに笑う涼がおれはキライだ。桃ちゃんを悲しませる涼はもっとキライだ。今度もし会ったら絶対に噛み付いてやる、とおれは心に誓っている。
玄関からカチャリと音がした。桃ちゃんが帰って来た。音で桃ちゃんかお父さんか解る。おれは玄関まで出迎えるが、桃ちゃんにスルーされる。仕方が無い、最近はいつもこうだ。桃ちゃんは仕事で疲れている。涼と別れて傷付いている。
夜ごはんの時に、相変わらず元気のない桃ちゃんにお母さんが言った。
「そんなんで、大丈夫なのかしら」
「…大丈夫なんじゃない?」
何が大丈夫なのか、よくわからないが、おれがいるから大丈夫だ。
夜ごはんの後にソファでうたた寝をしていたおれを、遅く帰ってきたお父さんが優しく撫でてくれていた。おれは目を覚まして、急いで桃ちゃんの部屋に行った。扉はいつもおれが出入りしやすい様に少し開けてくれている。
桃ちゃんのベッドに潜り込む。桃ちゃんはスヤスヤ寝ていて、ほっぺたをペロリと舐めると、しょっぱい涙の味がした。
次の日、いつも通りにお母さんと散歩から帰ると桃ちゃんが珍しくお昼ごはんの用意をしていた。今日は日曜日だからか…でも休みの日でも料理なんかした事の無い桃ちゃんなのに。
「危なっかしいなあ〜」お母さんが笑った。
「何作ってるのかな」お父さんも楽しそうだ。
おれも何だか楽しくなって、尻尾をちぎれんばかりにふりふり。
「ココちゃんのは無いよ」桃ちゃんも笑った。桃ちゃんつれないぜ…
玄関のピンポンが鳴った。お母さんは急いで玄関の扉を開けに行ったから、おれも慌てて追いかけた。悪い奴だったらおれが追い返す。
現れたのは、涼だった。
「涼君いらっしゃい」
お母さんは嬉しそうで、おれは飛びかかるタイミングを逃してしまった。くそう、涼の奴め今更何しに来たんだ?
涼を警戒するおれをお父さんが抱き上げてくれた。
「ココちゃんもさみしいよな?桃がお嫁に行っちゃうから」お父さんがポツリと呟いた。
え⁉桃ちゃん…お嫁に行っちゃうのか⁈この家からいなくなっちゃうのか⁈だから…だから…悲しそうだったのか…
涼を交えた昼ごはんは賑やかで、おれは何だか面白くなかった。
家を出るのが淋しくて泣いてた桃ちゃんも楽しそうで…すごく楽しそうで。
桃ちゃんが楽しそうならおれも楽しい。桃ちゃんが嬉しそうなら、おれも嬉しいんだ。
仕方が無いが、涼の事を認めてやるとしよう。桃ちゃんが選んだのだから、きっとおれみたいにイイ奴のはずだ。
しかし、涼の苗字は確か百瀬だ。結婚したら桃ちゃんは百瀬桃になるのか。
モモセモモ。上から読んでも下から読んでもモモセモモ…
何かおかしくないか⁈変じゃないか⁈
桃ちゃんは楽しそうに嬉しそうに笑ってるから、まあいいか。
イヌノキモチ
犬も色んな事考えてるんでしょうね、多分。