なないろの大輪

月曜日『少しだけ変わるため』

 携帯のディスプレイには、彼女の名前が表示されている。
 彼女とは高校のときに出会ってからずっと遊んでいる。その関係がそのまま大学でも続いていた。
 大学二度目の夏休みに入って、しばらく考えた末、俺は彼女との関係を明確にしようと決めた。

 俺は彼女の恋人になれば、明確な関係になれるんじゃないだろうか。

 それが俺に思いつくことの出来る最善の答えだった。それを心で唱えたあと、通話ボタンを押す。
 プルル、と彼女へのコールが始まった。二、三回鳴ったあとに、くぐもった声が電話越しに聞こえる。
「んあ、どうしたぁ」
 電話からすっとぼけた声が聞こえてくる。こっちまで気が抜けてくる。
「ごめん、寝てた?」
「いや、晩ご飯作る前に寝ちゃったみたい。いやー、助かったよー」
 半分寝ぼけたような、少しだけ呂律が回っていない声で彼女が笑う。
 電話の先に聞こえないように、肺で澱む空気を身体の外へ吐き出した。
 出来るだけ単純に、なによりも自然に。

「……今週末のさ、夏祭りに行かない?」

「あぁ、うん。別にいいけど」
 あっさりとした答えが返って来る。そのあとにくっくっくっ、と魔王が発しそうな笑い声が聞こえてくる。
「虚しいねぇ、あたししか誘う相手いなかったの―?」
「そういうそっちも、予定はないみたいだけどな」
「なんだと、このやろー!」
 いつものように電話口で喧嘩を始める俺達。ここら辺が俺達らしいところではあるが。
 なにはともあれ、一週間というタイムリミットを作って自分自身を追い込むことまでは成功したぞ。もう後戻りはできない。
 俺と彼女の関係を少しだけ変えるべく、俺の新しい一週間が騒々しく幕を開けた。彼女と口喧嘩をしながら。

火曜日『なんとなくだけど』

「あっついあっつい」
 それが彼女が俺の部屋に転がり込んで発した第一声だった。そのままテーブルを避け、ごろんと部屋の真ん中に倒れる。それでもその手に持っていたコンビニのポリ袋だけはゆっくりと置いて。
 ごろごろと部屋の真ん中で転がり、部屋の大部分が彼女のための空間になってしまう。
「さあ、ご飯食べよう」
 復活したのか、身体を起こした彼女がポリ袋からコンビニ弁当を取り出す。俺の分も買っていたようで、俺の目の前に見覚えのあるハンバーグ弁当が置かれる。
「食べなさいよー」
 さあさあ、と弁当の透明なフタを箸で叩く。それが楽しくなったのか、叩く音がリズムを取りはじめ、次第にテーブルやガラスのコップなんかも叩きはじめる。勝手に他人の家でライブを始めるなと言おうとも思ったが、その間に彼女はもう手遅れなくらいにヒートアップしてしまう。
「あっづい、飲み物ちょうだい……」
 扇風機に向けて一曲歌い切った彼女が舌を、てろんと出したまま、寝ころびながら片手を突き出して催促してくる。
「麦茶でいい?」
「んー、ん」
 どちらかといえば肯定であろう返事を頂戴し、コップに少し薄い麦茶を注いでいく。とくとく、と小気味いい音、そして彼女の息切れの吐息が部屋に響く。
 外では蝉が人の迷惑も顧みずに、けたたましく鳴いている。風鈴のひとつでも吊るしておけば、少しは風流になるだろうか。とも考えたが、やかましくなるだけだという結論に達する。
「おまたせ」
「へへ、悪いねぇ」
 部屋の隅に積んであったマンガをうちわ代わりにして扇いでいた彼女に麦茶を渡すと、一口でそれを飲み干してしまう。不味い、もう一杯! とかいってまた注がされると思ったら、ふぃい……と息を吐くと、そのままコップをテーブルに置いた。
「ところでさぁ」
 彼女の顔がぐりんと、こちらを向いた。少しだけ不機嫌そうなその瞳で、まっすぐに俺の目を凝視してくる。
「夏祭り、さ。……なんであたしなんか誘ったのさ?」
「誰も誘う人がいなかったんだよ。みんな、旅行とか実家に帰ってるらしいし」
 心底、疑問そうに俺に尋ねる彼女に答えをはぐらかす。それをここでバラシてしまうのは格好悪いにも程があるだろう。
「君ぐらいなら女の子誘えば、誰かノコノコ着いてくるでしょうに」
 彼女がぶつぶつとぼやきはじめる。
「君を誘ったらノコノコ着いてきた」
「うっさい! この天パ!」
 彼女が俺の頭をぐしゃぐしゃにかき回す。いつの間にか、いつものじゃれ合いへと変わっていく。


「健康的に散歩をしよう!」
 彼女に午後の予定を聞いたら、こう返ってきたので、家の近くの商店街まで歩いてきていた。家を出て数分で後悔した。
「うーん! 生き返るねー!!」
 屋台で買ったタピオカジュースを飲みながら、周りの店を眺める彼女。これは散歩じゃなくて食べ歩きじゃないのか、そんな疑問も飲み込みながら彼女の隣を歩く。
「タピオカはダイエット効果があるって言うけどさ、どんくらい効果あるんだろうね?」
 飲み干したのか、ずぞぞ、とストローを鳴らしながら、俺に質問を投げかける。
「分からんが、食べた分をマイナスにする効果はないと思う」
 それから、彼女が食べた物を弁当から順に羅列していく。たませんに差し掛かったところで口を抓まれた。どこにそんなに食べ物が収まっているのかわからないくらいには食べている。
 機嫌を直すためにソフトクリームを買わされ、彼女の腹にまた収まっていく。
 そのついでに買った俺のソフトクリームの表面も、高く昇った太陽と人混みの熱気に、表面が溶けはじめ、てっぺんの角がへたってしまっている。テレビでは今日も猛暑日だとお姉さんが爽やかに言っていたような。
 なんで、わざわざこんな日に散歩なんて言いはじめたのやら。彼女のことだから、また「なんとなく」で済んでしまいそうだ。
「ねえ」
 俺の思考を遮るように、彼女が俺の服の裾を引っ張る。
「なんであたしなの?」
「なにが?」
「……あぁもう! なんでもない!」
 夏祭りのこと? と聞こうとしたが、彼女のふて腐れた顔に出かかった質問を飲み込んでしまった。
 今日の彼女は何か変な気がする。それを聞くことも、もちろん出来ないだろう。第一に、俺が殴られるだろうし。
 この程度なら、また何かを奢れば機嫌は直るだろう。そう思って、早足で歩く彼女に合わせて人波の中を進んでいった。

水曜日『繋がった生活』

「いらっしゃいませー」
 バイト中、レジ打ちをしているところに彼女がにやけ顔でやってきた。それなりにいつものことだ。
 このコンビニ、彼女の家からかなり近いのだ。そのせいもあって、バイトがある日はほぼ毎日やってくる。
 彼女は数分、コンビニ内を散策して、おにぎりとお茶をレジに置いた。
「やあやあ、今日も精が出るねー」
 今、このコンビニには客が彼女しかいなかった。それ故に彼女を急かす人もいない。彼女は俺がポリ袋に商品を詰めるのをにこにこと眺めている。きっと、昨日の弁当もここで買ったのだろう。ディスプレイに表示された金額を俺に渡した彼女が、くいくいと手招きをする。
「あー」
 彼女が突然、あんぐりと口を開けた。綺麗な歯並びを見てほしいのだろうか。
「ん?」
「ほら、口を開けて」
「あー」
 急かされ、彼女を真似るように俺も口をあんぐりと開ける。すると彼女に口に何かを入れられた。
「おすそ分けだよ。まあ、頑張りたまえよ」
 ふはははは、と高笑いしながら袋を引っ掴み、帰っていってしまった。その後ろ姿を眺めながら、口の中の大きめのあめ玉を、ころんと転がした。過度な甘さに何味なのかはわかりそうもなかった。


「やーやー、おすそ分けの効果はどうだったかな?」
 バイト終わりにお礼ついでに電話をすると、ラーメンが食いたいと騒ぎ出して、それから五分も経たぬ間にひらひらと手を振る彼女と合流した。それが目的か?
「それにしてもなんでラーメン?」
「家帰ったら、行列のできるラーメン店特集してましてね」
 美味しそうだったからつい、と笑う彼女。
「その行列店に?」
「いやいや、ぜーんぶ東京のお店だったよ。こっちのも取り上げろってのー!」
 愚痴りながら彼女が顔を上げ、その動きを止める。そして、視線の先を指差す。
「おぉ、夕日だよー。そういえば、ラーメンに玉子乗ってるかなー?」
 夕日が黄身に見えたようで、彼女が上を向いたまま歩きつづける。
 そのまま店に到着すると行列もなく、すんなりと席に座ることが出来た。
「あたし味噌ラーメンにしよっかなー?」
 疑問形だが、俺をじっと見ているところから、もう決定事項のようだ。彼女の急かすような視線が俺に向けられている。
 結局、じっくりとメニューを眺める暇もなく、しょうゆラーメンと適当に目についたものを注文する。
「おまたせしましたー」
 空いていたということもあって、すぐに注文したラーメンが運ばれてくる。
「んー、美味しそう!」
 彼女は湯気が立つラーメンに目を輝かせる。そのまま割り箸を割って麺を啜る彼女。
「ほら、君も食べなよ! 美味しいよ!」
 ずるずるとラーメンを勢いよく啜る彼女に急かされるように、俺もラーメンを啜ってみる。
「げほっ! ごふぇっ!?」
 熱過ぎて咳き込んだ。俺が猫舌なのもあるのだが、なんでこんなに熱いのにあんな勢いで食べられるのか。彼女はというと、俺が咳き込む様を見て、大笑いしていた。
「ほら。水だよ、水」
 けらけらと笑いながら、彼女が俺に水を差し出してくる。それを受け取り、喉を冷やすように水を流し込んだ。
「君とあたしじゃ身体の出来が違うんだから無茶しないの」
 もやしめ、と彼女に背中を思いっきり叩かれる。とは言え、彼女も俺よりは日焼けしているくらいなのだが。それを指摘すると、日焼け止めとか塗ってるんだよ! 大変なんだよ! とまた背中を叩かれた。
 ぴくり、と彼女の鼻が反応する。その視線は俺のしょうゆラーメンに向けられているようだ。
「そっちの一口ちょーだい」
 彼女が大きく口を開ける。食べさせろということらしい。たまにとる子供っぽい行動にも馴れてしまっている。
「ほら、早くー」
 ぺちぺちと俺の腕を叩き、急かしてくる。自分で食べるという気はないみたいだ。
 仕方なく食べさせると、「味噌ラーメンの方があってるなぁ」と元も子もない感想を漏らす。
「はい、君も。あーん」
 彼女がラーメンを掴んだ箸を差し出してくるから、仕方なしに口を開ける。
 こっちも熱かった。涙目になりながら、口の中の麺を飲み込む。
「おいしい? ね、おいしい?」
 ずいっと顔を寄せて、感想を聞いてくる彼女。
「こっちも美味いなぁ」
「でしょ、でしょ!」
 満面の笑みで微笑みかけてくる彼女に一種の安らぎを感じる。
 だからこそ、最近の彼女の行動に疑問が浮かぶ。
「なぁ、最近、なにかあったの?」
「んー? なんで?」
 彼女が首をかしげる。悩みがあるようには見えないが、それでも少しだけいつもと違うように感じてしまう。
「なんか最近、変だなぁと思ってさ」
「そ、そんなことねぇよ!」
 明らかに動揺した彼女は箸を落としかけた。
「ならいいけど」
 食べやすいほどに冷めたラーメンを啜りながら、彼女について思いを巡らす。

 やっぱり変だよなぁ。

木曜日『過去だけど今』

 激しい雨が部屋の窓を強く叩いている。けたたましい蝉の鳴き声も、空気を焼くような夏の暑さも、夕方に降り出したその豪雨がかき消していた。
 そんな中、俺の部屋に来訪者を知らせる呼び鈴が鳴る。俺の部屋への来客として思いつくのは一人くらいだ。
「うへー、すっごい雨!」
 その明るい茶色の髪から水滴を垂らしながら、勝手に玄関に入ってくる。勝手に入ってくるのはいつものことなので咎めようとも思わないし、むしろ玄関で止まったことを評価したいほどだ。
「はい、タオル」
「おー。かたじけないかたじけない」
 持ってて、と俺にヘアピンを押し付けると、さらさらとした茶色の髪を拭きはじめる。ふるふると犬のように頭を振ると、タオルを首に掛けて一息吐いた。
 上がっていい? と彼女が濡れた服を摘み上げた。服の端からは水滴が、ぽたぽたと地面を打っている。彼女なりのこちらへの配慮なのだろう。
「別にいいけど、着替え貸そうか?」
 風邪でも引きそうな格好の彼女に提案すると、んじゃ、お言葉に甘えて、と彼女がにまーっと笑う。
「あっちを向いてなさい」
 Tシャツとジーンズを渡すと、彼女にぐりんと首を捻られ、部屋の隅へと突き飛ばされる。貸したのにひどい仕打ちだ。向いちゃダメだからね、ともう一度釘を刺され、大人しく壁の模様とにらめっこをする。これ、顔みたいだなぁ。
「もういいよー。どう?」
 どう? と言われても、俺が貸した服だしなぁ。頭を悩ましていると彼女が部屋の中に入っていってしまう。
 がさごそと音がしたから彼女の様子を見ると、押し入れの中を覗いていた。
「なにしてんの?」
「抜き打ちチェックだよ、君ぃ」
 どこかから見つけたであろう鉛筆をビシッと俺に突きつける彼女。彼女は再び、押し入れの中に顔を突っ込んで捜索をはじめてしまう。何の抜き打ちチェックなのか。
 それもすぐに彼女の感嘆の声で終わりを告げる。彼女が押し入れから転がるように出てくる。
「懐かしい! あたしのクラスはどこだったっけなー?」
 高校のアルバムが出てきたことで彼女の興味はすっかりそちらに移ったようで、当初の目的の抜き打ちチェックとやらは忘れ去ってしまっているらしい。
「おぉ! 若い肌! 黒い髪!」
 自分の写真を見つけるなりはしゃぎ出す彼女。その無邪気さはそのアルバムの写真に写っているときの彼女のまんまだ。髪の色が変わっても変わらない彼女の内面だった。そんな彼女はぴちぴちの肌が羨ましい、とアルバムを睨んでいる。
「まだ一年半しか経ってないんだけどね」
「いやいや! これ撮ったのは夏休み前だから二年前だって!」
 テーブルを叩き、半年の違いを力説する彼女に圧倒されながら、その話を聞き流す。
 おもしろかった! と満足げにアルバムを閉じた彼女は、再び押し入れに潜りはじめた。
「おー! なんか面白そう!」
 次に出てきたときに彼女が手にしていたのは、俺の中学の卒業アルバムだった。まったくよく探し当てたものだ、と感心していると、彼女がページをめくりはじめる。
「あ、こら」
 その中には色々と気恥ずかしいものが詰まってる。俺はそれを取り戻そうと手を伸ばすが、するりと避けられる。
「おぉ! 君、坊主だったんだね!」
 彼女がくるくると舞いながら笑い出す。中学時代は部活が厳しくて坊主にさせられていた。それはよくある話なのだが、生まれつき茶色のこの髪のお陰で、頭だけ不良ぽかった。それが悪目立ちしていて、それがコンプレックスだったりした。
「意外とかっこいいねぇ、切ってみていい?」
 にっこり笑顔の彼女が手をハサミに見立てて、動かしている。
 知ってか知らずか、心の傷には触れない。それが彼女の不思議なところだった。どんなに嫌味を言っても、それが心に傷を生むことはない。その線引きが自然にできているのだ。
「はは、勘弁してくれ」
 わしゃわしゃと俺の頭をかき回してきた。切らせろ! ということらしい。雨音よりもうるさくじゃれ合う俺達。それを遮ったのは、部屋の端に積まれた洗濯物の山を見た彼女の声だった。
「あ、洗濯物干してあるんだった……」
 頭を抱えて転がり出した彼女は、恨めしそうに空を睨みつける。そのあとの行動はすぐに予想がついた。
 すぐに俺は、いきなり走って帰ろうとする彼女を全力で取り押さえた。


「別にいいのにー」
 唇を尖らせた彼女が足を大きく振りながら歩く。雨は未だに降り続き、さっきと比べれば弱くはなったものの、べしばしと傘を叩いている。
「傘差さずに走って帰りそうだからね」
 彼女は俺の予備の傘をくるくると回しながら、不満げに俺の隣に並ぶ。
「君はあたしにびしょ濡れの服を着ろって言いたいのー?」
「だとしても、もう手遅れだし。あと、それだと帰る前にびしょ濡れになるじゃん」
 雨が降りはじめてから既に一時間は経っている。洗濯物はもう、洗濯直後と大して違わない状態だろう。
「君はおもしろいね。それを家を出る前に言えばいいのに」
 彼女がにんまりと俺を見る。
「今、思いついたんだから仕方ないだろ」
「ふーん。別に押し入れを漁られるのが嫌だったわけじゃないの?」
「嫌がられてる自覚はあったのか」
 そう言うと、あっはっはっは、と笑って数歩先に逃げていく。どうやら自覚があったのは間違いないらしい。
「あたし達ってさ、お互いのこと、あんまり知らないよね!」
 少し離れた距離、少し大きめの声で話す彼女。その顔は傘で隠れて見えなかった。次に傘を上げたときにはいつもの笑顔を覗かせる。
「これからでしょ。大学もまだまだだし」
 追い着いた彼女の背中をとん、と叩く。それに小さく肩を震わせる彼女。
「……うん。これからもよろしくね」
 うーん。やっぱり最近の彼女はどこか取っつきにくい、気がする。それも彼女の言う『知らないところ』なんだろうか。
「もう家に近いし、ここまででいいよ! 傘も忘れそうだし、ここで返しとくよ、はい!」
 早口で話して、そそくさと傘を押しつけて、彼女は雨の中へ駆けだしてしまう。彼女は何度もこっちを向いて手を振りながら、走っていってしまった。彼女の肩はもうぐっしょりと濡れてしまっていた。

金曜日『らしさ』

 彼女は風邪を引いた。あの雨に二度も濡れたのだから当然といえば当然だった。
 バイトの帰り道、見舞いに彼女の部屋を訪れると、彼女はマンガ雑誌を読みながらごろごろとしていた。雑誌の種類が変われば、ただのおばさんだ。それを彼女に言ったら、その分厚い雑誌が飛んできた。愛読書を投げてしまって暇になった彼女が俺に尋ねる。
「君は何をしに来たのかなぁ」
 頬を膨らませた彼女がその小さな手で俺の頭を叩く。
「何って、お見舞いだよ」
「頼んでねーっての」
 風邪のせいで赤らんでいる顔で精いっぱいの不満顔を作る彼女。その唇は少し乾燥して割れていた。
「じゃあ、看病らしきことをやってみせましょう。夕食まだだよね?」
 まあ、と半ば呆れている彼女を放置して台所で調理を始める。とはいえ、ただのお粥なのだが。
「腹減ったー」
 匂いに釣られてやってきた彼女が俺の肩に手を置き、思いっきり体重を掛ける。突然の行動に、がくりと膝が折れる。それでもなんとか持ちこたえる。
 実は昼食べてないんだよね、と笑う彼女は腹を空かせた子犬のように鼻をひくひくと動かす。その姿に実家にいる犬を思い出す。
「もう少し待っててねー」
 彼女を布団の中に押し戻して飛んでいった雑誌を渡すと、文句を垂れながら、渋々、それを読みはじめる。
 台所に戻るとお粥はちょうど出来上がっていた。お粥を茶碗に盛った。彼女の布団に戻り、彼女の布団の側にあるテーブルにお粥を置く。彼女は渡した雑誌を読んでけらけらと笑っていた。
「おーい。出来ましたよー」
「今いいところだから待ってー。っておいこら」
 子供のような文句を言う彼女の両手からその雑誌を引き抜く。子供の世話をしている錯覚さえ覚えるようなわがまま振りに少し噴き出してしまう。
「なんだよぅ、病人いじめて面白いのかよー」
 布団から飛び出した彼女の足が、何度も俺の足を蹴りつける。
「風邪治したらどんだけでも読んでいいから、今はこれ食べて寝なさい」
「じゃあ、あーん」
 彼女が布団から起き上がり、小さな口をぱくぱくと開閉させる。食わせろ、ということらしい。本当に子供なんじゃないかと不安になってきた。
 仕方なく、スプーンで茶碗から掬い、彼女の口に近付ける。すると、我慢できないとばかりに食いついてきた。
「うーん、熱いけど合格!」
 咀嚼をした彼女が親指を立てて、俺の目の前に突き出す。どうやら彼女のお気に召したらしい。そして、彼女がうんうんと何度も頷く。
「夏祭りまでに治すから安心したまえ」
 にっこりと俺の肩を叩きながら笑う彼女がそう宣言した。そんな大病じゃないだろう、とツッコもうかとも思ったが、そんな考えを押しとどめる。彼女も言ってからおかしかったのか、笑い出す。そしてすぐに笑い声がしぼむ。そんな彼女が布団に転がり、窓を、つまりは俺と逆の方向を向いてしまう。
「ん、あーん」
 しばらくして、彼女がこちらにあんぐりと口を開ける。また食べさせろということらしい。幼児退行が進んでないか?
 お粥を食べさせるとさっさと飲み込んで、すぐに口を開けた。その彼女の口にもう一回、お粥を入れる。
「余は満足じゃ」
 扇子代わりのうちわで平安貴族っぽく振る舞いだす彼女に、熱が上がったのかと聞くとうちわで頭を殴られた。すぱーんと小気味のいい音が部屋に響く。
 突然起き上がった彼女は俺に荷物を渡すと、背中を押してくる。
「ということで、風邪がうつったらいけないから、さっさと帰んなさい」
 やれることもやったし、ここで抵抗して彼女の風邪を悪化させてもあれだから、彼女の言う通り、帰ることにしよう。
「元気出たよ、ありがとね」
 扉が閉まる間際、彼女のか細い声が微かに聞こえた。
 押しつけてきた荷物の中に、買った覚えのないペットボトルのお茶が紛れていた。この小さな気遣いが彼女らしいと、その優しさにすら彼女らしさを見い出した。じゃあ、俺らしさってなんだろう?
 次に彼女と会ったときにでも聞いてみようか。

土曜日『もう明日』

 明日は夏祭りだ。
 彼女との関係を明確にできないまま、六日が過ぎていた。とか考えていたら、既に夕方だ。
 じりじりと部屋に差し込む西日に目を細めながら、この六日間を回想するとほぼ毎日彼女と一緒にいた。それでもこの関係になんていう名前を付ければいいのかわからなかった。
 なんとなく落ち着かなくて、赤く染まる外へと足を延ばす。


「やあ」
 彼女と会った。
 ひとつだけ候補が浮かぶ。腐れ縁。うーん、違う気がする。
 彼女は大きな紙袋を腕に引っ提げ、空いている方の手で俺の背を押してきた。彼女との関係を考えていたので、前のめりに転びかけた。
「ひゃひゃひゃ。よわっちいなぁ」
 不意打ちが成功した彼女は満足げに爆笑していた。その無邪気さに毒気を抜かれる。
 俺の興味が、ふと彼女の持っている紙袋に移る。大きくてそれなりに頑丈そうな紙袋だ。そんなものを持っている彼女は初めてだった。
「それ、なに?」
「ん、これ? ないしょー」
 ぐむーと唸った彼女は勿体ぶるように、笑顔を浮かべ、その紙袋を後ろ手に隠す。
「ぜってー見せんからねー」
 カニ歩きをして俺と距離を取る彼女。がるるると威嚇のおまけつきだ。別にそこまで見たくはないのだが。
 そのやり取りしているときにふと嬉しさを感じていた。その日常を続くことを祈りたくなるような感覚になる。
「そこまで言うなら見てやるぜー」
 楽しさを求めて、道化になってみる。あくまで見ないようにじゃれ合う。こんな名前のない関係が少なくとも大学が終わるまでは続けばいいとも思う。


 夜。窓の側に座り、空を眺めていた。
 明日の夏祭り、それがタイムリミットだったはずだ。それでも結論は出ない。
 結局、彼女との関係を表す言葉は何ひとつ思いつかないまま、夜の闇に瞼が落ちた。

日曜日『なないろの大輪』

 夏祭り当日。天気は快晴だ。
「じゃーん」
 自前の効果音でポーズをとる彼女。浴衣を着て、何回かポーズをとってみせた。
「ひゅー、浴衣美人ー」
 どう反応すればいいのかわからず、とりあえず褒めちぎっておいた。ありがとー、とファッションショーに出ているモデルのように大袈裟な動きで俺しかいない観客の声援に応えてみせる。が、本人も虚しくなったのか、俺を押しながら部屋に上がり込んでくる。
「いやー、あっついあっつい」
 部屋に入るなり、扇風機の前を陣取る彼女。その手際に脱帽するくらいだ。
「ちょっと涼んだら行こうかぁ」
 扇風機でぶつ切りにされた声で俺に話しかけてくる。その顔はよほど涼しいのか、ふにゃふにゃに緩んでいる。
「そうしよう、はい」
「あんがとー」
 差し出した麦茶を飲み、彼女は小さく息を吐く。その声さえも扇風機にばらばらにされ、おかしなことになっていた。そんなこともお構いなしに彼女は扇風機で涼みつづける。
「じゃ、行こっか」
 ぱちりと扇風機の電源を消した彼女が勢いよく立ち上がる。そのまま近付いてきた彼女に腕を取られ、ぐいぐいと引っ張られる。財布を持って俺も腰を上げる。が、立ちくらみでふらついた。そのとき、目に入った浴衣にふと気付く。
「あれ? 去年と違うやつ?」
「おぉ、わかりますかー」
 にっと笑顔を浮かべた彼女が浴衣を摘み上げる。去年は青だった気がするが、今年は明るいオレンジ色の浴衣を着ていた。
「ひょっとして、昨日の袋って」
「察しがいいね! 本当は一昨日に買いに行くつもりだったんだけどね」
 風邪を引いたために昨日になったらしい。
「そんなことより行こうよー」
 ぐいぐいと彼女に腕を引かれ、家から出た。


 黒と茜が混ざったような空の下、夏祭りの会場となっている神社の境内に入る。既に祭囃子やはしゃぎ声、呼び込みの声が響いていた。彼女に手を引かれながら、その中のひとりになる。
 わたがし、金魚すくい、お面屋に射的……。様々な出店に目を奪われる彼女の背中を追いながら、小さく心の奥底に疑問を投げかける。

 ――このままでいいんじゃないのか。

 それに心が答えられるはずもなく、疑問が心のもやになって、ただ漂うだけだ。
「ほら、なにしてんのー?」
 彼女の柔らかい手に手を掴まれ、ぐいっと引っ張られる。その先には、笑顔があった。
 別にこのままの関係でも苦労することなんてないんじゃないだろうか。
「お疲れな君にこれをあげよう」
 にっこり笑う彼女に差し出されたのは、真っ赤なリンゴ飴。そのリンゴ飴をそのまま口の中に突っ込まれる。
「ほら、祭りだよ! 楽しまなきゃね!」
「……あぁ、もちろん! あれやろう、あれ!」
 子供の様にはしゃぐ大学生二人。傍から見れば滑稽なのだろうが、そんなのは知ったこっちゃない。その姿勢が滑稽なのだろうが。今日はお祭りなのだ。
「金魚すくいで勝負しようよ! 勝ったら綿あめね!」
「負けないから、なんでもこい!」


 はしゃぎ回り、二人して階段に座り込む。
「歳取るって怖い」
「でしょ。あたしも疲れた」
 それでも彼女は笑顔だ。きっと俺も笑顔なのだろう。彼女といるとき、ふと笑顔だと気付くことが多々あった。
「ねぇ」
「ん?」
 彼女が俺をじっと見る。
「あたしのこと好き?」
「へ?」
「だぁかぁらぁ、君はあたしのこと好きなのか聞いてるの」
 ちゃんと聞いとけぃ、と頭を叩かれる。その頬は朱色に染まっていた。
「どうなんだろう。でも、君といると楽しいし、自然と笑顔になってたりする」
「あたしはそれを『好きになる』って呼んでるよ」
 にこりと彼女が笑う。薄暗い中でも、その彼女の笑顔はしっかりと見える。
「あー、もう、ここまで言ったら言っちゃおう!」
 彼女が両手でぱちんと赤らむ頬を叩く。気合を入れる意味らしい。すぅ、と息を吸った彼女がゆっくりと言葉を紡ぐ。

「君のことが好きだから付き合って」

「……こちらこそ、よろしく?」
 はっきりしないやつめ! とまた頭を叩かれる。それはほのかに温かかくて、優しくて。
 彼女が立ち上がる。その真っ赤の顔を背け、俺の頭に手を乗せる。
「花火見よう! もうすぐ始まるし」
 ぐいっといつものように手を引っ張られ、駆けだす。
「結局こうなっちゃったよ」
 俺の手を引きながら、彼女がぼやく。
「なにが?」
「一週間前から君に告白させようと、あの手この手を考えてたんだけどさ」
 そういえば彼女が変だと感じはじめたのは一週間前くらいだった気がする。やっぱり変だったのか、と納得してみる。
「結局、我慢できなかったよ。この意気地なしめ」
 最後には暴言を貰った。
「でもさ、よかったよ。これで君を誰かに取られることもなくなるんだから」
 だよね? と視線で確認するように俺を見る。それに笑顔を作って答える。言葉がなくても言いたいことが伝わる関係? うん、なんかいいけど違う気がする。
「で、君はこの一週間、なにがしたかったの?」
 どうやら感づかれていたらしい。
「君との関係を明確にしたくてさ」
 彼女が言葉の続きを遮って大笑いする。でも、それが俺と彼女の間じゃ、しっくりきた。
「あははは! 変なの。そんなんじゃ頭パンクしちゃうよー?」
 笑いすぎて目じりに溜まった涙を指先で拭いながら、俺を引っ張り続ける彼女。


 引っ張られた先には開けた場所があった。その先からは星が瞬いていた。
「意外とロマンチスト?」
「意外と、は余計!」
 いつの間にか繋がれた右手は少し暑かった。けれど、それも心地よい。
「そういえば、花火ってあったっけ?」
「なかった気がする」
 それでもいいか、とお互いに呟き、顔を見合わせる。

「これからもよろしく」

「うん。君の彼女としてね」
 にしし、と俺の腕に絡みついてくる。その笑顔が眩しくて。
 一週間考えた末に、彼女とは『彼女』の関係があることがわかって、曖昧だった答えも融解していく。曖昧じゃなくて、それが正解だったらしい。
 これからなにがあろうと、彼女との関係は『彼女』のまま、このまま未来へ繋がっていけばいいと星空に祈った。

なないろの大輪

なないろの大輪

彼女との関係は何と名前をつければいいのだろう。それが分からなかった。 一週間以内に彼女との関係に名前をつけるべく行動することにした。――夏祭りまでに。 これは、俺と彼女との関係を見直す一週間の物語。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 月曜日『少しだけ変わるため』
  2. 火曜日『なんとなくだけど』
  3. 水曜日『繋がった生活』
  4. 木曜日『過去だけど今』
  5. 金曜日『らしさ』
  6. 土曜日『もう明日』
  7. 日曜日『なないろの大輪』