笑わないお姫様
昔々あるところに それはそれは美しいお姫様のいる国がありました。
王様はお姫様を目に入れても痛くないほど それはそれは可愛がっておりました。
しかし、王様には一つ大きな悩みがありました。
お姫様は産まれてから ただの一度も笑ったことが無いのでした。
『 こんなに美しい姫なのだから、笑った顏はさぞかし美しいに違いない。
きっともう少し大きくなったら とびきりの笑顔で笑ってくれるだろう・・・』
しかし、10歳になっても、15歳になっても、姫は微笑むことさえありません。
王様の切なる希望は叶わないまま、お姫様はもうすぐ 18歳の誕生日を迎えてしまうのでした。
『 姫の幸せな笑顔を見ることの無いまま、自分は死にゆくのだろうか・・・』
焦りを抱いた年老いた王様は、とうとう国中におふれを出すことにしました。
「 姫を笑わせた者には、国中の褒美を取らせる。
また、姫が望むならば、姫の花婿とする。」
姫の花婿になるとは、王の跡継ぎとなるということに他なりません。
身分に関係なく美しい姫に接見が許されるばかりか、姫の花婿、そしてこの国の未来の王となれるというこの寛大なおふれは、あっというまに国内外にふれわたりました。
それからというもの、老いも若きも、身分の上下も無い、我こそはという男性たちの群れが ひっきりなしにお城まで詰め寄せ、それはそれは長い行列が 先の見えないほど続いているのでした。
中には、何度も来ては同じことを繰り返す者、既に結婚しているのにお姫様見たさに来ただけの者などもたくさんあったのです。
そのあまりの混乱ぶりに街中は常に喧嘩が絶えず、またお城の行政もままならなくなってきたのを見かねた王様は、おふれに条件をつけることにしました。
「 ただし、姫を笑わせられなかった場合は、罰としてその首を刎ねるものとする。 」
この一文が加わったことにより、何度も繰り返す者や、お姫様見たさに来ていたような真剣でない者は、確かにいなくなったのでした。
しかしそれでも、お姫様を笑わせるための行列が無くなることはありませんでした。
来る日も来る日も、たくさんの男衆が姫を笑わせようと挑んでは、いたずらに首を刎ねられていきます。
面白い道化や見世物の数々に どんなに周りが笑おうとも、姫が笑うことは決して無く、ただただ黙って冷ややかに一瞥するばかりなのでした。
さて、この国の隅っこにある田舎の村に、ヨセフとハンスという兄弟がありました。
ヨセフはとても活発で野心のある青年だったので、親の必死で止めるのも聞かず、お姫様を笑わせるために城に行ってしまいました。
3日経っても、10日経っても、ヨセフが帰って来なかったので、年老いた両親はそれはそれは悲しみました。
この村の若者はみんなお城に行ってしまったため、この村に残っている若者は、弟のハンスと、隣の家のユルグだけになりました。
ハンスはとてもおっとりとした性格で、地位や名声というようなものにまるで興味がなく、両親のために働くことが何よりの生きがいという子供でしたので、お城に行く気は元々さらさらありませんでした。
両親もことあるごとに、
「お願いだから、お城にだけは行かないでおくれよ。」
と ハンスに言うことが口癖のようでした。
そうして、いたずらに日々は過ぎて行きました。
しかし、そんなハンスにも、決断のときがやって来たのです。
それは、隣の家のユルグもとうとうお城に行ってしまい、帰って来なかったことがきっかけでした。
そしてハンスは、村の若い働き手が誰もいなくなってしまい、どこの畑もボウボウに荒れていることに気付いたのでした。
『 この村で今起こっていることは、きっと隣の村でも、そして他の街でも、起こっているのではないだろうか。
この国はこのままでは、一体どうなってしまうのか・・・。』
ハンスは、来る日も来る日も考えました。
そして、とうとう両親に言いました。
「 お父さん、お母さん。僕は、やっぱりお城に行くことにしたよ。」
父と母は、自分の耳が信じられない、というような顔をして、ハンスを見ました。
そして、ハンスをなんとか引き留めようとしました。
兄のヨセフが帰って来なくてどれだけ悲しかったか。
ハンスまでいなくなってしまうなんて、自分たちにとってどれだけ辛いことか・・・。
しかし、ハンスの気持ちは変わりませんでした。
「 お父さん、お母さん、許しておくれ。でも、僕は行かなければいけない。
必ず帰ってくるから、心配しないで。僕に考えがあるんだ。」
泣きながらすがりつこうとする両親をなだめ、やさしく振り払いながら、ハンスは振り返らずに家を出ました。
『 このままここにいては、みんながだめになってしまう。
しかし、どうしたら、姫を笑わせられるものだろうか・・・。』
実はハンスには、何も笑わせられるあてなど無いのでした。
両親を心配させたくない一心で、自分に考えがあるなどと言っただけなのです。
お城まで続く長い道をとぼとぼと歩きながら、ハンスはひとり考えあぐねていました。
どれほど歩いたことでしょう。
向こうから、大きな大きな猫がやって来ました。普通の倍はあるでしょうか。
しかしハンスは下を向いたっきり考えこみながら歩いていたので、大きな猫がやって来たことに全く気付かないのでした。
そして猫とすれ違う瞬間、ハンスは知らずに猫の足を踏みつけそうになりました。
「 おい!危ないじゃないか!こんな大きな猫が見えないっていうのかい! 」
ハンスはびっくりして顔をあげると、そこには大きな大きな灰色の猫が、緑色の目でハンスをにらみつけながら怒っているのでした。
「 あぁ、とうとう僕は頭がおかしくなったようだ。こんな大きな猫が話しかけてくる幻覚を見るなんて。」
と ハンスは思わず口に出して言いました。すると猫が言いました。
「 幻覚なもんか!君はなんだい、ずいぶんとまた、考え込んでるようだが、何か様子がおかしいじゃないか。」
これがきっかけで、ハンスは今まで起こったこと、そしてこれから自分が城に行こうとしていることなどを、全て猫に話すことになりました。
猫は黙ってふんふんと頷きながら聞いていましたが、最後にこう言いました。
「 ふーん、そうか。そういうことなら、俺様が手伝ってやらないまでもない。
このままこの道を行くと洋服屋、そして靴屋、それから帽子屋があるのだ。
そこで俺様に上等のスーツを一着、そしてできのいい靴を一足、そしてとびきりの帽子をひとつ買ってくれたまえ。」
ハンスはなんで猫にそんなものがいるのかよくわかりませんでしたが、その道を連れだって行くと確かにお店があったので、言われたとおり買ってやることにしました。
そうしてこの奇妙な組み合わせの二人は、長い道のりを歩き通し、とうとうお城までやってきたのでした。
行列をなして待っていた候補者たちの、誰もお姫様を笑わせることができないまま、とうとうハンスの番がまわってきました。
「では次の者、はじめよ!」
ハンスは王様とお姫様の前に出ると、なんだか一層自分に自信のなくなるようでした。
猫はハンスに買ってもらった服や靴を身に着けた状態で、ハンスの後ろに隠れています。
ハンスは、お城に自分が行かなくちゃいけないと決意したときの気持ちを思い出し、勇気を振り絞りながら、猫に教えられた通りに話し出しました。
「 今日は世にも珍しい大猫をお目にお掛けいたします。 さぁ、このとおり!」
そこで猫は颯爽と ハンスの後ろから二本足で出てきました。
猫が上等のスーツばかりでなく、いかにも仕立てのいい靴をはき、とびきりのシルクハットをかぶっていたので、周りの者はみな目を見張りました。
ハンスの前に出てきた猫は、気を付けの姿勢で頭に手をやると、シルクハットを取っていかにもうやうやしく、王様とお姫様にお辞儀をしました。
王様を含めた周りの者は、そのあまりにも人間じみた仕草に笑いをこらえながら、まさか言葉でもしゃべるんじゃないだろうか、と待ち受けました。
深々としたお辞儀から頭をあげた猫は一言、こう言いました。
「 にゃぁ~!」
なぁんだ、やっぱり猫は猫、しゃべれないんじゃないか!と、周りの者はどっと笑い、王様も思わず笑いかけたところで姫のほうを見やりました。
しかし姫はいつものように ただ黙ったまま、微動だにもせず冷たい視線を猫に投げかけているだけなのでした。
王様はハンスに言いました。
「 これでおしまいかの?」
ハンスは頭が真っ白になり、しどろもどろになりながら、次の言葉を探しました。
しかし、猫に教わったのはここまでで、これ以上のことは何も言えなかったのでした。
ハンスが打ちひしがれながら 場を辞退しようとした、そのときです。
猫が突然猛々しい口調で、切り出しました。
「 おい!女!! そう、お前だよ、お前。
その大層な椅子に仰々しく座ってる、そこのお前だ。」
猫はそう言いながら、凄い目つきで姫をにらみつけています。
「 お前はね、ただの女なんだよ。わかっているか?
自分ではさぞかし美しいお姫様だと 気取っているだろうけれど。
今でこそ日々、男が行列なして必死になって、それこそ命を懸けてお前をただ笑わせようとやって来てくれるかもしれないが。
しかし、それももう長くはないってことを、考えるべきときじゃないか?
お前自身と、そしてこの国の運命を、よく考えるべきときだろうよ!」
この突然の猫の言葉に、城内は水を打ったように静まり返りました。
ハンスはあまりにもびっくりしたので、ただその場で王様の顏を見るのがやっとでした。
王様はあまりの猫の発言に蒼ざめて見えましたが、これから赤くなって怒り出すのではないかとハンスは思いました。
そのときです。
まるで堰を切ったかのように、お姫様が笑い出したのは。
20年以上クスリと笑いもしなかったことを、まるで一度に取り返すとばかり、はじけるように笑い出したのでした。
ハンスも、王様も、周りの者も、思いもかけない突然のことに、ただただお姫様が笑うのを茫然と眺めておりました。
お姫様は心から楽しいとばかりにひとしきり笑ったあと、少し咳をして自分を落ち着けてから、優しい声で話し出しました。
「 猫よ、ありがとう。 私は、幼いときから、笑えない魔法にかけられていました。
それは、そなたの言うように、私が他とは違う、私は美しい、という うぬぼれの心が招いた呪いだったのかもしれません。
そなたの言った言葉で、目が覚め、魔法も解けました。本当に感謝します。
そなたの主であるこのお方も、とても心のきれいなお方とお見受けしました。
私は、この方と、結婚したく、思います。」
この言葉を聞いて、周りの観衆がどっとどよめき、歓声があがりました。
王様は、お姫様が微笑みながらこう話したのを聞いて、喜びで涙が溢れました。
ハンスはもちろん、とても嬉しかったのですが、まず真っ先に思い浮かんだのは、村に残してきた両親のことでした。
早く、この喜びを両親に知らせてあげたい。
行きは長い道のりを猫とひたすら歩いてきましたが、今度はお城から手配してもらった馬車で村まで急ぎます。
ハンスが無事だったと聞いて、どんなに両親は喜んでくれるでしょう。
ハンスははやる心を抑えながら、家の前で馬車から飛び降り、入口に駆け寄りました。
「父さん、母さん、いま帰ったよ!!」
あれ、おかしいな・・・ 気配が、無い・・・・。
家のドアを開けると、中はシーンと静まりかえるようです。
ハンスは嫌な予感が沸き上りそうになるのを振り払いながら、部屋から部屋へと両親を探しました。
そして、2階の寝室に入ったときに、光を遮った薄暗い中で、両親が寝台に横になって動かなくなっているのを見つけたのでした。
おそらく二人は、最愛の子供をなくしてしまったという悲しみから、ハンスが出て行って以来、この状態だったに違いありません。
ハンスはこわばった二人に駆け寄り、涙を流しました。
「 ごめん、ごめんよ・・・。父さん、母さん、本当にごめん・・・。僕、今帰ったよ・・・。」
ハンスの熱い涙が両親の冷たくなりかけた手にぽたぽたと落ちていたそのとき、突然後ろからあの猫がやってきて、両親の胸の上に飛び乗りました。
ドス、ドスン! ! !!
見ると、もう動かないと思っていた父と母が、痛そうに顔をゆがめています・・・。
二人は永遠の夢を見かけていたところを、猫に起こされたのです。
そして二人はハンスを見て、また夢を見ているのではないかといぶかりましたが、それから3人は、再会を涙を流して喜び合ったのでした。
こうしてハンスは、笑顔のかわいいお姫様と結婚し、心の優しい王様として国を平和に治め、末永く幸せに暮らしました。
猫はハンスの両親が特に大事にかわいがったので、もともと放浪癖のある猫でしたが、その後はずっとこの国に暮らしたそうです。
(Fin)
笑わないお姫様