お姫さまと悪い魔法使いのお話
この違和感は、どこからくるのか。
塔の中に一人のお姫さまがおりました。
お姫さまは、悪い魔法使いにさらわれて、この塔に閉じ込められてしまったのです。
お姫さまが目を覚ますと、そこには悪い魔法使いがおりました。悪い魔法使いはとても忙しいのだそうで、毎日お姫さまのところへやってくるわけではありません。
今日は、悪い魔法使いがやって来る日だったようです。
「おはようございます、お姫さま」
悪い魔法使いは、とても優しい声をしています。黒い髪に黒い瞳、白くなめらかな肌に赤い唇。
とても優しい顔をしています。女の人のようにも見えます。もしかしたら、本当に女の人なのかもしれません。男の人しか悪い魔法使いになれないなんて、そんなことはありませんものね。あれ? でも、女の人の時は、悪い魔女、って言ったほうがいいのかな?
「おはようございます、魔法使いさん」
お姫さまの声は、低くしゃがれています。悪い魔法使いに魔法をかけられてしまったせいです。
「今日はとてもいいお天気ですよ」
悪い魔法使いは、優しくそう言います。
「本当だ。本当に、いいお天気ですね」
そう言って、お姫さまはにっこり笑います。
「でしょう? でも、お外には出してあげませんよ」
そう言って悪い魔法使いは、意地悪く笑います。
「だって私は、悪い魔法使いなんですから」
「……わかっています」
そう、お姫さまはわかっています。どんなに優しくても、この人は悪い魔法使いなのです。
「お姫さま」
悪い魔法使いは、にっこりと笑います。
「朝ごはんをいっしょにいただきたいと思っているのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
たとえ相手が悪い魔法使いでも、一人で食べるより二人で食べたほうがごはんはおいしくなります。
「では、そういたしましょう」
悪い魔法使いが手をたたくと、魔法使いの家来達が入ってきて、ご飯の準備をしてくれます。
本当はお姫さまは、悪い魔法使いより、この家来達のほうが怖いのです。だって、悪い魔法使いは、お姫さまにむかってにっこり笑ってくれるのに、家来達は一度も、お姫さまにむかって笑ってくれたことがないのです。
お姫さまと悪い魔法使いは、ゆっくりと朝食をとります。悪い魔法使いはいろいろなお話をしてくれるのですが、お姫さまにはよくわからないお話も多いです。でもお姫さまは、悪い魔法使いの声を聞いているのが好きなので、わからなくてもあんまり気にしません。
朝食が終わると、悪い魔法使いがお姫さまの髪をとかしてリボンをつけてくれます。お姫さまの手首にも、ちょこんとリボンを結んでくれます。だって、髪につけられたリボンは、鏡がないと見えないのですもの。お姫さまは、鏡を見るのが嫌いです。だって、悪い魔法使いがお姫さまのことを、誰が見てもお姫さまには見えないような姿に変えてしまったのですもの。すごく醜い姿、というわけではありませんが、やっぱり鏡は見たくありません。
だから悪い魔法使いは、お姫さまの手首にリボンを結んでくれます。
お姫さまと悪い魔法使いが遊んでいると、悪い魔法使いの家来が入ってきます。
そして、言うのです。
「時間です」と。
「――魔法使いさん」
お姫さまは悲しげに言います。
「わたしは、また、死ななければならないのですか?」
「――ええ、そうですよ」
悪い魔法使いの顔も、悲しげに見えます。
「どうしても、やめてはもらえないのですか?」
「どうしても、やめてはあげられないのですよ」
悪い魔法使いの顔は、なんだかべそをかいているようにも見えます。
「だって私は、悪い魔法使いなんですから」
「――そうですか」
しかたがないのです。だって、お姫さまはお姫さまで、悪い魔法使いは悪い魔法使いなのですから。
「――では」
お姫さまは、小さな声で言います。
「死んだわたしが生きかえる時、ベッドの横にいてくれますか?」
「――ええ」
悪い魔法使いは、ほんの少しだけ微笑みます。
「今日はね。今日は――そうすることが出来ますよ」
「そうですか」
たった一人で目覚めるのはいやなのです。
たとえ悪い魔法使いでも、誰かがいて欲しいのです。
「では――死んでまいります」
「お待ちしておりますよ、お姫さま」
これからお姫さまは、悪い魔法使いの家来達に、たくさんたくさん、ひどいことをされるのです。
「――女王陛下」
ため息をつく悪い魔法使いに、家来の一人がそう声をかけます。
「いつまでこのようなお戯れをお続けになられるのですか?」
「――あの人が死ぬまで。――それとも」
悪い魔法使いは、再びため息をつきます。
「あの人に科せられた刑が、すべて執行されるまで」
「それはずいぶんと先の話になるでしょうな」
家来はそっけなくそう言います。
「何しろ超特級の戦争犯罪人ですからな。何千回死刑にしたって足りません」
「――あんなに毎日、数え切れないほど殺し続けているのに?」
悪い魔法使いは悲しげに言います。
「――女王陛下」
家来はもどかしげに言います。
「なぜあんな狂人と、あのようなお戯れをお続けになられるのですか。気色の悪い――あの男は、自分をあなただと、あなたを自分だと、そう思い込んでいるのですよ!?」
「――あの人は本当は、悪い魔法使いでいたくなんかなかったんです」
悪い魔法使いは、静かな声でそう言います。
「女王陛下」
家来は言いつのります。
「あの男がしでかしたことをお忘れになられたのですか!?」
「いいえ、忘れてはおりませんよ。だから私は――こんなことを続けているのです」
「――陛下」
家来が驚いたような顔をします。
「復讐――と、いうことですか、それは?」
「おまえにはそんなふうに聞こえるのですか?」
悪い魔法使いは、悲しげに笑いました。
「いいえ、復讐ではありません。そう――確かにあの人は、一度この国を壊滅寸前まで追い込みました。幼かった私をさらい、長の年月、ずっと監禁し続けました。そう――罪深いことも、数限りなくしたでしょう。自らかけた術のせいで、何をどうやっても死ねない体になってしまうようなことまでも」
「陛下!」
「――では」
悪い魔法使いは、とても小さな声で言いました。
「あの人にそうせよと命令した者には、どれくらいの罪があるのですか? あの人を、悪い魔法使いでい続けるよう強制した者達には、どれほどの罪があるのですか?」
「――あれは狂人です」
家来は言います。
「――夢を見ているのですよ」
悪い魔法使いは、そっとそうささやきます。
「だから私は、あの人の夢を守ってあげるのですよ。だって――あの人は、私に、いろんな夢を見せてくれたから」
昔々あるところに、小さなお姫さまをさらってきてしまった、悪い魔法使いがおりました。
おうちに帰りたいと泣く小さなお姫さまに、悪い魔法使いはこう言いました。
ごめんなさい。私は悪い魔法使いだから、あなたをおうちに返してあげることはできません。
そのかわり、あなたにきれいな夢を見せてあげましょう。
そう言って、悪い魔法使いは。
手のひらの中から虹色の蝶を出してくれました。
人形達に踊りを踊らせてくれました。
小鳥とおしゃべりさせてくれました。
空飛ぶ魚を見せてくれました。
たくさんたくさん、きれいな夢を見せてくれました。
だから、お姫さまは。
その夢と、その夢を見せてくれた悪い魔法使いのことを、ずっとずっと、ずっと忘れずにいたのです。
お姫さまと悪い魔法使いのお話