え、こっちが勇者でこっちが魔王なの!?

……これは、しょぼくれたおっさん魔王に一目惚れした、超絶ヤンデレ勇者(ものすごく残念な悪人面のイケメン)と、その周りにいる、愉快にして奇妙奇天烈、ついでに言っておくと、その大半が変態か変人かダメ人間という仲間達が、己の欲望に忠実なあまり、全世界をひっかきまわしていく、にぎやかにしてはた迷惑極まりない、そんな物語である……。

ひよひよ魔王と残念勇者と愉快にして傍迷惑なその仲間達

「あ、あの――み、みんな、私の命令で色々やっていただけなんです! で、ですから、わ、私が全ての責任を取りますから、部下達はどうか――!」
「わかりました。では、まずは、全人類奴隷化から開始いたしましょうか」
「えええええーッ!? な、なんでそうなるんですか!?!?」
「ご安心ください。私があなたに、世界の全てをお捧げいたします。なに、人間など、しょせん毛のないサルにすぎません。誰が上に立とうと、結局なにも変わりはしませんよ。ククク……」
「あ、あの、あなた本当に――」



「……なあ、パンディ」
「なによ、ランシー?」
「おまえが今、遠隔情景、及び音声転送用水晶で、世界中に実況中継してる、今私達の目の前で繰り広げられてる超絶悶絶展開な、これよお、その……きちんとキャプション入れて、どっちのセリフがどっちの発言かっつーことを、きちんと説明しておかないと、誤解を招くんじゃねえか、いろいろと……?」
「えー? 別にいいんじゃないの? 今のところは幸せな誤解をさせてあげておいても。っていうか、あたし、この萌え展開に超幸せなんだけど! おっさん受けおっさん受け、ktkr、wktk、hshs、ハァハァ、prprよ!!」
「わりぃ、おめえの得意な、超時空男性理解不能腐食魔法の呪文を唱えるのは、また後にしてくんねえか?」
「男性には理解できないなんて偏見よ! 現に、今現在勇者アヴェリオンは、あたし達の秘術、超時空男性理解不能腐食魔法の真髄を、完全に理解し会得し体現しているわ!!」
「ああ、なんだってあんなのが、よりにもよって勇者なんぞに選ばれちまったんだ……」
「え? そりゃもちろん、筆舌に尽くしがたいほどえげつない手段を使ったんだけど、ランシー、今それ詳しく聞きたい?」
「いや、いいよ。つーかおめえ、早くキャプション入れろよ! こういうのは、後になればなるほど傷口が広がるんだからよお!!」
「パンドリアーナ様、私も今回は、ランシエールの言うとおりだと思います」
「え? そう? そうかしら? そうねえ、じゃ、サラがそう言うんなら――」
「畜生ばかやろ、世界中の愚民ども、これから流れるキャプション見て、つかの間の幸せの後にくるまっ黒い絶望を味わいやがれ! だーもう畜生畜生、この、賢者ランシエール様が、貴様ら愚民の無知と迷妄を、完膚なきまでに粉砕してやるぜ! げっへっへ!!」
「ランシー、いつも言ってるんだけど、あなた、笑いかたがものすごく下品! あと、キャプション入れるのはあたしで、あなたじゃないじゃない。あなた、なに自分が手柄立てたような顔してるのよ?」
「だーもううるせえ! もういいからとっとと、絶望を具現化したかのようなキャプションを入れやがれ!!」
「そんなに言うなら、キャプションいれずにこのままほっとけばいいのに……ま、いいわ。じゃ、入れるわよ。――えいっ☆」



魔王「あ、あの――み、みんな、私の命令で色々やっていただけなんです! で、ですから、わ、私が全ての責任を取りますから、部下達はどうか――!」
勇者「わかりました。では、まずは、全人類奴隷化から開始いたしましょうか」
魔王「えええええーッ!? な、なんでそうなるんですか!?!?」
勇者「ご安心ください。私があなたに、世界の全てをお捧げいたします。なに、人間など、しょせん毛のないサルにすぎません。誰が上に立とうと、結局なにも変わりはしませんよ。ククク……」
魔王「あ、あの、あなた本当に勇者様ですか!?」



 ……これは、しょぼくれたおっさん魔王に一目惚れした、超絶ヤンデレ勇者(ものすごく残念な悪人面のイケメン)と、その周りにいる、愉快にして奇妙奇天烈、ついでに言っておくと、その大半が変態か変人かダメ人間という仲間達が、己の欲望に忠実なあまり、全世界をひっかきまわしていく、にぎやかにしてはた迷惑極まりない、そんな物語である……。



 ……話は少しさかのぼる。勇者達のパーティーが、魔王に出会う、その少し前……。

 勇者アヴェリオンは、旅が始まったその瞬間からずーっと、死んだ目をして魔王討伐の旅を続けていた。
「おーい、アヴェちゃん、アヴェちゃん、アヴェアヴェアヴェちゃーん!」
「……はあ。いったいなんですか、ランシーさん?」
「ノリ悪ーい!! なあなあアヴェちゃん、おめえよお、こんな、タイプの違う3人の若い美女達に囲まれて旅を続けてきたって言うのに、いったいなーにが不満なのよ?」
「…………はあ」
 アヴェリオンは、死んだ目のまま、賢者ランシエールのほうを見やった。
 賢者ランシエール。金色の髪と、翡翠色の瞳とを持った若き女賢者。顔は頬骨がはり、あごがとがり、目がやたらと大きい、美人、というよりは、個性的、といったほうがいい顔であるが、まあ、魅力的と言えなくもない。どこから流れてきたのか、その出所は全くの不明なのだが、「風のうわさに聞いたんだが、なんでも、『遊び人』をあるレベルまで極めると、面倒な手続きなんかなしで、びっくりするほどスルッとスムーズに、『賢者』にクラスチェンジできるらしい」という、あやしさ120%のうわさを、ガチで真に受け、完全に信じ込み、まだ10歳になるならぬという幼少のみぎりから、この世のありとあらゆる放蕩にふけり、そして――念願かなって、と言っていいのかどうか。とにかく、どんな素っ頓狂な手段を使ったのかは知らないが、なんと史上最年少で、『賢者』の称号を手に入れたという、まあ、そこだけ聞けば、絶賛の嵐をどんなに浴びせかけても不足はないという才媛である――が。
 だがしかし、彼女、賢者ランシエールの、すさまじすぎる『放蕩』により、彼女の実家、23代続いた大貴族、キーリシャメリア家が、たった一軒のボロ屋敷を残して、そのほかの財産をすべて失ったということも、追記しておかなければ不公平というものであろう、いろいろな意味で。
「再三再四申し上げるようですが、私、女性に興味が全くありませんので」
 重いため息をつきながら、勇者アヴェリオンが答える。
「えええええー? だったらアヴェ、さっき倒した美形魔族と、『ピーーーーーッ!!』が、『ピーーーーーーッッッ!!!』して、『ピロピロポーーーーン!!!!』なことをやってくればよかったじゃない」
「おい、パンディ、おめえ、いったいなに言ってやがるんだ? ところどころに変な音が入ってやがって聞こえなかったぞ?」
「あら、ごめんなさい。自動展開させてた、一般常識倫理依存自己腐食暴露防衛結界が、勝手に発動しちゃったみたい。あ、っていうかもう、こんな結界なんか外しちゃってもいいような気がしてきたわ。だって、ここってば、魔王の城の中なわけだしー。あたしだってえ、全力出さないとやばいかもしれないしー。ってことで、結界外しちゃってもいいかしら?」
 と、可愛らしく小首をかしげて見せるのは、魔女パンドリアーナ。紫色のふわふわとした紙を腰までなびかせ、ムチムチと豊満な、俗に言うわがままボディを思わせぶりに見せつける、体の線を出したり隠したりする、シナシナと柔らかな生地でつくられた、桃色のドレスを身にまとい、髪と同じ、紫色の瞳で面白そうにアヴェリオンに流し目をくれている。パンドリアーナの外見は、『若い女性』であるのだが、なにしろ、『魔女』と呼ばれる彼女のこと。本当の年齢は誰も知らない。
「あのですねパンディさん、言っちゃなんですが、いくら私が女に興味がないからといって、男だったら誰でもいいということにはなりませんので!!」
「あらあ、そーお? じゃあ、参考までに聞くけど、さっきの子はどうアヴェの好みじゃなかったの?」
「見た目が若すぎるし整いすぎているしそれに何よりさっきの彼には私の庇護欲と嗜虐欲とをそそるようなところが全くなかったからですだいたいなんですかあのツルンとした顔! 私は人間の顔の中ではほうれい線が一番好きなくらいなんですっていうか顔に素敵なしわの一つもない人に性的な魅力なんて感じることができるわけないでしょういつも言っているとおり私の好みは私が抱いたら折れてしまうくらい華奢な体を持った年上の人なんですああそうですねあなたがたにわかるように言ってあげれば私はあなたがただったら『しょぼくれた』とか『貧相な』と表現するようなおっさんが好きなんですおっさんおっさんおっさん!!!」
 と、息継ぎなしのワンブレスで言ってのけるアヴェリオン。琥珀色をした巻き毛と、髪の毛とよく似た色あいの琥珀色の瞳とを持った、黙っていれば怜悧で上品な顔立ちをした美男子、しかし、ひとたびしゃべりだした途端、もう皆さんおわかりのとおり、誰もが認める残念すぎるイケメンと化す。
「はーい、良コメいただきました~❤」
「おいパンディ、今のアヴェちゃんの世迷言に、おまえがわざわざ記憶水晶を使うほどの価値はあったのか!?」
「あったわよ~❤ 決まってるじゃない(キリッ!)」
「マジでか!? お、おいサラ、おめえ、パンディに何か言ってやれよ!」
「はあ、パンドリアーナ様の、やわらかそうなあごの下をプニプニしたい……。この戦いが終わったら、私絶対、勇気を出してパンドリアーナ様にお願いするんだ……」
「お、おい、サラ!?」
「ハッ!? な、なによランシエール?」
「おめえもパンディに何か言ってやれっての!!」
「ああ、すみませんパンドリアーナ様、気がききませんで。そろそろお疲れではないですか? どこかで一服して、お茶にでもしましょうか?」
「あら、それもいいわねえ」
「だーーーーッ!! 私は、そんなことを言えって言ってるんじゃねーんだよ!!」
「じゃあ、いったい何を言えばよかったのよ?」
 と、真顔でたずねるのは、剣士サラスティン。プラチナ・ブロンドのショートヘアに灰色の瞳。細身の長身、凛と鋭いまなざしを持った若い娘だ。あまりにもすさまじい素早さで繰り出されるため、それをふるうサラスティンと、他の者達とは全く違う時間が流れているようにさえ見える剣戟から、『時を切り刻むサラスティン』の二つ名を持つ、凄腕の剣士である。――が、目下のところ、彼女の人生の大目標が、魔女パンドリアーナの体の、ありとあらゆるやわらかいところをプニプニすること、だというのは、彼女を応援する全世界の人々には、絶対に知られないほうがいいだろう。
「お茶なんかどうでもいいですから、私はとっととこのろくでもない旅を終わらせて、あなたがたと永遠におさらばしたいですよ……」
 と、死んだ目でつぶやく勇者アヴェリオン。気の毒といえば気の毒だが、彼自身のあまりの残念さに、あまり気の毒と思うことができないのがあれでなにである。

 ……このすぐ後に、アヴェリオンは、彼の人生と世界の行く末とを不可逆的に変貌させてしまう、運命の恋に落ちるのであるが、そんなことは、当然のことながら、まだ誰も知らなかったりするのである……。



「……おい、おっさん」
「は、はい、なんでしょうか?」
「魔王どこだよ、魔王はよお!? てめえみてえな雑魚すけはどうでもいいんだよ! 魔王出せよ魔王! 魔王魔王魔王! とっとと出さねえと、てめえのその貧相な髪の毛全部むしりとって、その鼻の下の穴ぼこに思いっきりねじこんでやるぞ!!」
 と、チンピラ感むき出しですごむランシエール。とてもじゃないが、ちまたで『金色の大賢者』と呼ばれている人物と同じ人間とは思えない姿だ。
「は、はあ、ざ、雑魚すけ、ですか?」
 と、いささか大きすぎる玉座の上で、床に届かない足をフラフラとさせ、困ったように小首をかしげているのは。
「…………可憐だ」
 と、自分の鼻の下を押さえる勇者アヴェリオン。なんのことはない、彼は今、自分の鼻からあふれ出てこようとする鼻血を、必死で食いとめようとしているところだ。
「ええと、あの、その、あの、ええと……」
 と、困り切った顔で、勇者のパーティーを玉座の上から見つめているのは。
 魔族――は、魔族、なのであろう。おそらく。一応。たぶん。
 体格的には、人間とそう変わらない。というか、身長で言ったら、長身であるアヴェリオンどころか、女性としては長身なサラスティンよりも小さく、体重で言ったら、ムチムチと豊満なわがままボディを持つ、パンドリアーナよりも軽いのは絶対確実だろう。
 その体は、基本的人間型。目立つような牙もなければ爪もない。うろこもなければ体中毛でおおわれているわけでもない。というか、ほとんど人間と変わらない。よく探せば、羽根としっぽくらいはあるのかもしれないが、今のところはよくわからない。漂白されたかのような、青白いほどに白い肌と、額にパチリとあいた、妙につぶらな第3の目だけが、わずかに彼の魔族らしさを証明している。
 ――で。
 で――だ。
 その、容姿は。
 幸か不幸か――いや、玉座の上の彼には、ほぼ確実に不幸なことに。
 その、容姿は。
「可憐だ可憐だ可憐だ可憐だ――ああランシーさん、その、この腐り果てた世界に咲いた、一輪の可憐な花に対する無礼の償いは、今後必ず、あなたのその体でしていただきますが、ああ、しかし、その困惑してひそめられた眉と、少しだけつきだされた唇の魅惑的なたたずまい――誘惑してますね!? あなた、私を誘っていますね!? ああ、まったく、清楚な顔してそんな技巧を! これは、これからのおつきあいが実に楽しみですねえ、ククク……」
「パンドリアーナ様、アヴェリオンが、また益体もない妄想にふけっておりますが、いかがいたしましょうか?」
「ちょっと、邪魔しないでサラ! 今いいところなんだから、ほんとにまったく!!」
「は、はい、それはどうも、失礼いたしました!」
 そう、玉座に座っている、その魔族の容姿は。
 人間に例えるなら、その年配はおそらく、40代後半から、50代前半、というところなのだろう。先ほども記述したとおり、よく言えば華奢で小柄な、悪く言えばしょぼくれて貧相な体格。パチパチと気弱げにしばたたいているのは、おとなしげな3つの瞳。その瞳の色が、ハッとするほど鮮やかな深紅なのが、どことなく場違いな感じがするほどだ。顔立ちそのものも、特に整っているわけでも、逆に吐き気を催すほど醜いということもない、どこからどう見ても、『地味でおとなしそうな』という表現が最も妥当だろうと思われる、なんとなく優しげな風情。白髪交じりの藍色の髪を、綺麗に後ろになでつけ、むき出しになった額、その生え際には、左右に1本ずつ、そして、中央にもう1本、ほとんどたんこぶと変わらない程度の、まことにもって可愛らしい、3本の角が鎮座している。
「雑魚すけだから雑魚すけっつったんだよ! てめえ、生意気にも不満だとかぬかしやがんのか、あアん!?」
「あ、いえその、いえあの、ふ、ふ、不満、ですか? ふ、不満は特にはないんですが……」
 と、ますます困った顔で目をしばたたく魔族。その華奢な体がまとっているのは、ゆったりと着心地のよさそうな、金糸銀糸で彩られた、深みのある濃紺のローブ。そのローブの下で、玉座が大きすぎて床につかない足が、所在なさげにフラフラと揺れている。
「だったらとっとと、魔王呼んでこいやコラァ!!」
「はあ……あの、そんな必要、まったくないんですけど、はい」
「は!? なんで!? あ、もしかしてあれか!? 『フッフッフ、あなたがたのような下賤な者達の前に、魔王様がお姿を見せるはずはないでしょう? あなたがたはここで、この私の手にかかって、肉片の一つも残さずに消滅する運命なのです!!』とか、そういうやつか!? てめえ、生意気な雑魚すけだな!!」
「は!? あ、いえ、その、あの、わ、私にそんなつもりはまったくないんですが……」
「だったらとっとと、魔王出せよ魔王!! その寛大さと慈悲深さで世間に名高い、『金色の大賢者』ランシエール様も、ここまでわけのわかんない失礼な対応されたら、そろそろ我慢の限界だぜ!?」
「は!? あ、あなたが、『寛大さと慈悲深さで世間に名高い』んですか!? そ、そうなんですか……に、人間というのは、ほ、本当に凶暴な種族なんですね……」
「あっ、てめえ、何気に超失礼なこと言いやがったな!? もういい! もう怒った!! こうなったら、使ったら私の寿命も10年は縮まるっていう、超絶極大最終鬼畜呪文をぶちかまして、この城ごとてめえを木っ端みじんにして、その瓦礫の山の中から魔王を引きずり出してやる!!」
「えええええッ!?!? やっ、ややや、やめてくださいッ!! ま、まままま、まだ、ひ、ひひひ、避難しきれていない部下達だっているんです!! だ、だから――だからどうか!!」
 そう言うや否や、玉座の上の魔族は、ものすごいスピードで玉座からすべりおり、ランシエールの前にガバッと土下座した。
「そ、そ、そんなひどいこと、しないでくださいッ!! せっ、せせせ、責任は全部、わ、私がとりますからッ!!」
「……はあ? おい、雑魚すけ、てめえがいったい、なにをどう責任とるっていうんだよ、ああン?」
「あ……いえその……だ、だって……」
「だってなんだってえんだよ? キリキリ白状しやがれ!!」
「いやあの……だってその……」
 魔族は、床にこすりつけていた頭をあげ、困惑しきった顔でランシエールに言った。
「だってあの……あ、あなたがお探しの、『魔王』ってあの……ほ、ほかならぬ、わ、私のことですので、はい」
「…………はあッ!? どおぅわッ!?!?」
 あまりにも思いがけない発言に、完全にあっけにとられたその直後、勇者アヴェリオンの、手加減一切ぬきの、全身全霊を込めた飛び蹴りをくらい、はるかかなたに吹っ飛んでいく賢者ランシエール。
「えええええええッ!?!? なっ、ななな、なんでここで仲間割れなんかはじめるんですかあなたがた!?!?」
 と、驚愕する魔王。
「ああ、驚かせてしまって申し訳ありません、美しいかた。そして、無知蒙昧にして野蛮で粗暴でガサツ極まりない、私の仲間というのも魂が震えるほどに恥ずかしい、人間の皮をかぶった野獣といったら、野獣に失礼極まりない、あの愚か者の数々の無礼と愚行、どうかお許しください」
 と、『魔王』の目の前にひざまずき、目を潤ませ、頬をほてらせ、その表情に、『幸福』と、『興奮』と、『狂熱』とを、みなぎらせほとばしらせ、スラスラとそんなことを言ってのける、勇者アヴェリオン。
「あ、あの、あの、ええと、あの、な、なんでお仲間を、いきなり飛び蹴りでフッ飛ばしたりなんかなさったんですかあなた!?」
「ええ、それはもちろん」
 アヴェリオンは、極上の笑顔を浮かべて言いきった。
「あなたがあまりにも可憐で美しくて魅力的だからに決まっているじゃないですか!!」
「…………え? え、えーと…………あ、あの…………?」
「……見つけた」
「はい?」
「やっと――やっと見つけた――」
「は、はあ、え、えーとあの……な、何を見つけたんですか?」
「それは、もちろん」
 アヴェリオンは、恍惚とした顔で宣言した。
「我が、運命の相手を」
「…………はい?」



 ……そして、その数分後。
 以下のとおりの場面が、全世界向けて発信されるのである。

魔王「あ、あの――み、みんな、私の命令で色々やっていただけなんです! で、ですから、わ、私が全ての責任を取りますから、部下達はどうか――!」
勇者「わかりました。では、まずは、全人類奴隷化から開始いたしましょうか」
魔王「えええええーッ!? な、なんでそうなるんですか!?!?」
勇者「ご安心ください。私があなたに、世界の全てをお捧げいたします。なに、人間など、しょせん毛のないサルにすぎません。誰が上に立とうと、結局なにも変わりはしませんよ。ククク……」
魔王「あ、あの、あなた本当に勇者様ですか!?」



「おかしーよー、おかしーよー、こんなのぜってーおかしーよー!!」
 と、ティーテーブルに突っ伏し、ブツブツとぼやきまくる、賢者ランシエール。
「はあ、いったい何がおかしいんでしょうか?」
 と、律儀にランシエールのぼやきにつきあう、魔王レナントゥーリオ。
「だあってよお!!」
 ランシエールは、バンバン! とティーテーブルをたたいた。
「私達はよお、巨乳大好きおっぱい大好き、わが生涯はすべて、良質なおっぱいちゃんに捧げよう! って大公言してやがる、歩く国辱、国王ディゲ公――」
「ランシーさん、名前は正確に。国王ディーゲンシュトル陛下です」
「だーもううるせえアヴェ公! とにかくよお、その国王から、『魔王』は、超強くて、超美人で、超良質なおっぱいちゃんだから、なんとしてでも生け捕りにしてこい!! って厳命されて、ここまで来たんだぜえ? くっそ、『魔王』を生け捕りにした暁には、私、あいつの国、半分もらえることになってたのに!! いや、まあ、私だってさあ、それだけ良質なおっぱいちゃんだったら、とっ捕まえて、ワシワシ揉みしだいてやりたいくらいのことは、思ってたけどさあ。げっへっへ!」
「……あの、ランシーさん」
「んだよ、アヴェちゃん?」
「……あのですね」
 勇者アヴェリオンは、世にも微妙な顔で賢者ランシエールを見つめた。
「ええと、その、あのですね……私もその、あなたと全く同じことを言われて、ここまでやってきたんですが」
「へ? ああ、そりゃそうだろ。目的がおんなじだからこそ、私達ここまで、角突き合わせながらもどうにかやってきたんじゃねーかよ」
「いえ、だからですね、私はあなたと、『全く同じこと』を言われて、ここまでやってきたわけなんですよ」
「だーもう、それはもう聞いたって!」
「ですから!!」
 アヴェリオンは、深々とため息をついた。
「私もですね、『魔王』を生け捕りにした暁には、あの国を半分いただけるという条件で、ここまでやってきたんですよ!!」
「…………へ?」
 ランシエールは、ポカンと口をあけた。
「へ? あの、ええと……そ、それって、どゆこと? だ、だってさあ、私に半分で、アヴェちゃんに半分って……そ、そしたら、あいつの国、まるまるなくなっちゃうじゃん!? あ、あの馬鹿、そんなとんでもない約束して、いったいどうする気だったんだよ!?」
「ああもう、あなた達ってば、ほんっとーに、ばっかねえ!」
 フルーツケーキを優雅にかじりながら、魔女パンドリアーナがクスクスと笑った。
「相手はなにしろ、『歩く国辱』とまで言われてるろくでなしよ? そおんな約束、まともに守るつもりなんか、はなからあるわけないじゃない! どーせ、あの馬鹿の望みをかなえてやったって、約束なんて、うやむやの無茶苦茶にされちゃったに決まってるわよお」
「マッ、マママ、マジでか!? え、うそ、マジで!? え、っていかパンディ、おめえ、それがわかってて、どうしてノコノコこんなとこまで来たんだよ!?」
「だあってえ、面白そうだったんだもーん♪」
 ニマニマと、ネズミを平らげた猫のような笑みを浮かべながら、フルーツケーキを食べ終わった後のベタベタな指を、思わせぶりにいやらしく、ねっとりとなめまわして見せる、魔女パンドリアーナ。
「マジでか!? そんな理由で!?」
「あらあ、ランシー、じゃあ、あなた達の理由が、あたしの理由よりもまともで高尚なものだとでも言いたいわけえ?」
「う……お、おい、じゃ、じゃあ、サラはどうしてこの度に参加したんだよ!?」
「それはもちろん、パンドリアーナ様のおそばに侍り、パンドリアーナ様のお世話をするためよ(キリッ!)」
 と、無駄に決め顔できっぱりと言ってのける剣士サラスティン。
「……だめだこりゃ」
 と、天を仰いでうめくランシエール。
「……どうも、どこかで誤解があったようですね。それはもう、うんざりするほどいろいろと」
 と、深々とため息をつくアヴェリオン。
「……あの、ええと、あの」
 ある意味非常に気の毒な状態に陥っている勇者達のパーティーをおどおどと見つめ、魔王レナントゥーリオはおずおずと口を開いた。
「あのですね……そちらのかたがおっしゃってらっしゃる、『超良質なおっぱいちゃん』なんですけどね……」
「あ? おっさんおっさん、そいつはぜってー、おめーじゃねえだろ。それともあれか? 満月の夜とか、10年に一度とか、そんな感じでおまえが超良質なおっぱいちゃんに変身したりとかするのかあ?」
「あ、それはないです、はい」
 レナントゥーリオはあっさりと否定した。
「ただ、ええと、その、『超良質なおっぱいちゃん』とやらに、いささか心あたりがありまして」
「マジでか!? ど、どこだ!? い、今そいつ、どこにいる!?」
「さあ? どこに行くのかは、あえて聞きませんでした。だって、元々知らないことだったら、何をどうされたって、白状のしようなんてないですからね」
 と、結構ハードな内容を、サラッと言ってのけるレナントゥーリオ。
「ただ、彼女は――」
「うんうん、おっぱいちゃんがどうしたって?」
「あの……あなた、女のかたですよね?」
「は? ああ、私は女だよ。てめえ、まさか私が男に見えるってかあ!?」
「い、いえ、お、男には見えません。まあ、女のかたにもあんまり見えませんけど……」
「あんだと!?」
「い、いえ、な、なんでもありません! え、ええとあの……お、女のかたなのに、そ、そんなにおっぱいが好きなんですか?」
「てめえの目の前に、男のくせにてめえみてえなしょぼくれたおっさんに一目惚れしたイカレポンチがいやがるだろーがよ!! それがよくって、私がダメってえのは間尺にあわねえ!!」
「は、はい、い、言われてみればそのとおりでした。し、失礼しました」
「ケッ、わかりゃあ――ギャンッ!?」
「失礼。手がすべりました」
 と、まことにもってしらじらしいことを言いながら、ランシエールの脳天に、バールのようなものをふりおろすアヴェリオン。だから、いったいどこに隠し持ってたんだそんなもの。
「――大変失礼いたしました」
 アヴェリオンは、青い顔でガタガタと震えるレナントゥーリオに、極上の笑みを向けた。
「どうぞ、レナンさんのお話を続けてください」
「あ、は、はあ……あ、あのですね、み、みなさんですね、みなさんきっと、私とですね、次期魔王候補の運命の相手とを、誤解なさったんだと思うんですよ、はい」
「いでででで……つまり、どういうことだ?」
 と、うめきながらたずねるランシエール。
「はい、あのですね、正直私は、あなたがたと戦ったことなんて一回もありません。前線――どころか、戦場、いえいえ、それどころか、戦いの場に出たことなんて、生まれてこのかた一度もないんですよ」
 魔王レナントゥーリオは、まことにあっけらかんとした口調でそう言った。
「ですからね、あの、私が『魔王』だって、あなたがたが知らなかったのは、当然と言えば、これは全く、当然至極なことでして、はい」
「ん? とすると、いつも前線に出てくる、超強くて、超美人で、超良質なおっぱいちゃんは――?」
「はい、次期魔王候補の、運命の相手ですね、ええ」
 魔王は、やはりあっけらかんとした口調で言った。
「なにしろ私、今までずっと、運命の相手に巡り会えなかったもので、当然と言えば当然のことながら、子供がいないんですよねえ。で、あの、親戚から次期魔王候補を募りまして。で、あの、幼いながら、すでにして、運命の相手と出会っていた子を――」
「おねショタ!?」
 不意に、魔女パンドリアーナが目を爛々と輝かせて叫んだ。
「おねショタ!? おねショタね!? おねショタなのね!? おいしい! おいしすぎるわ!! ktkr! wktk! hshs! prpr!」
「は、はあ、な、なんだかよくわかりませんが……」
「どうかお気になさらず。埒もないたわごとです」
 目を白黒させる魔王に、勇者が優しく言う。
「ええ、あの、ですからね、みなさんはあの、私と――要するにまあ、『魔王』と、魔界将軍・ナルガルーシェさんとを、取り違えてらっしゃったんだと思うんですよねえ、はい」
「マジでか!?」
「はあ、たぶんそうだと思います」
「うげえ、マジかよ……でもよ、それはそうとしてさ」
「は、はあ、なんでしょうか?」
「おめえ、子供がどうとかこうとか言ってやがったけどよお、おめーの運命の相手、男じゃん! 子供つくれねーじゃん! そういうのはいいのか?」
「あ、ええと、その、わ、私の血統、そういうところ、結構融通がききまして……」
「ふたなり!? ふたなり属性までつくの!?」
 と、またもや目を爛々と輝かせる魔女パンドリアーナ。
「あ、いえ、その、き、基本はその、生まれ持った性別なんですけどね、でもあの、う、運命の相手にあわせて、そ、それなりにあの、その気になれば、子をなすこともできる体に変わるというか――あの」
 魔王レナントゥーリオは、気弱げに、勇者アヴェリオンに微笑みかけた。
「に、人間のかたには、そ、そういうのってあの、き、気持ち悪いですかね? あ、あの、も、もしそうだったら、べ、別に無理なさらないでくださいね?」
「なにをおっしゃるんですか」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの眼前に、うやうやしくひざまずいた。
「気持ち悪いだなんて、そんなこと思うはずないじゃありませんか。ああ――あなたこそまさに、我が人生最大最高最善の、天からの贈り物です!!」
「妊夫ネタktkr!!」
 魔王の居城に、魔女の絶叫が響き渡った……。



「――で」
 勇者アヴェリオンは、のどかな春の昼下がりの日差しのような、あたたかくやわらかな微笑みを、魔王レナントゥーリオに向けた。
「このお茶飲み終わったら、私、あなたのことを抱いてもいいんですよね?」
「え!? こ、このお茶を飲み終わったらですか!?」
「はい」
「あ、あの……わ、私達、今日が初対面……」
「はい、そうですね。それがなにか?」
「あ、あの……そ、それで、い、いきなりですか?」
「いけませんか?」
「え、あの、ええと……に、人間さんって、せっかちさんなんですね……」
「おおーい! おっさんおっさん、そこのド変態を、『人間』の基準にするんじゃねえ!!」
 と、ティーテーブルをバンバンと叩きながら叫ぶ、賢者ランシエール。
「あ、こ、こういうのってやっぱり、人間さん達にとっても、せっかちな展開なんですか?」
「せっかちどころじゃねえ! こういうのはな、非常識って言うんだよ、非常識!!」
「しかし、ランシエールさん」
 アヴェリオンは、視線で人が殺せるのなら、ランシエールはすでに、なます切りになった死体になって転がっていること疑いない、険悪極まりない目でランシエールをにらみつけた。
「今は非常時ですので、あまりのんびりしているわけにもいきません」
「そりゃな、『非常時』ってえんなら、こりゃもう、このうえない非常時だけどな!?」
「ああもう、状況がわかってないわねえ、ランシーったら」
 魔女パンドリアーナは、わざとらしく大仰なため息をついてみせた。
「理解したくもねえよ、こんなトンチキな状況!!」
「あたし達、さっき、アヴェちゃんが――魔王討伐に来た、勇者アヴェリオンが、『わかりました。では、まずは、全人類奴隷化から開始いたしましょうか』だの、『ご安心ください。私があなたに、世界の全てをお捧げいたします。なに、人間など、しょせん毛のないサルにすぎません。誰が上に立とうと、結局なにも変わりはしませんよ。ククク……』とか言ってるところを、しっかりばっちりはっきりくっきり、全世界向けて大公開しちゃったわけじゃない?」
「ああ。全世界の愚民どもにとっちゃあ、まさにお先真っ暗、暗黒の大宣言だったなあ」
「って、ことはよ?」
 パンドリアーナは、面白そうな顔でニヤニヤと笑った。
「今この瞬間、ほかならぬ、『あたし達自身』が、っていうか、『全人類に対して、超大々的に反旗を翻した勇者と、その手下ども』が、『世界の敵』として、『討伐』の対象になってる、っていうことも、十二分に考えられるわよ、ねえ?」
「…………はい?」
 ランシエールの顔が、赤くなり、青くなり、白くなり、土気色になる。そのあいだじゅうずっと、目はせわしなく、白黒白黒しっぱなした。
「な……ななななな!? なんだとッ!?!?」
「はい、私もそれを、ずっと危惧していたんです」
 と、大真面目な顔でアヴェリオンが言う。
「ですからね、そういう無粋な連中が、ここに押し掛けてくる前に、この愛しい人と、うれしい晴れの新床を、共にしたいと思いまして」
「アヴェちゃんなに言っちゃってんの!?」
「ああ、そういうことですか。なるほど」
「おっさんなに納得しちゃってんの!?」
 勇者アヴェリオンの言葉と、それに納得したようにコクコクとうなずく魔王レナントゥーリオ双方に、忙しくツッコミを入れる賢者ランシエール。
「いえあの……に、人間であるあなたがたの前で言うのもなんですが、人間さん達ってほんと……なんていうかあの……遠慮を知らないっていうか、容赦を知らないっていうか……攻め込んでくる時は、夜討ち朝駆けおかまいなしで、どんどんガンガン攻めてらっしゃいますからねえ……ですからあの……で、できればその、討伐隊とやらが結成される前に、やれることはやっておいて、思い残すことがないようにしておきませんと……」
「だからって、そんなにホイホイてめえのケツの貞操捧げちまってもいいのかよ!?」
「あ、あの、よ、よけいなお世話かもしれませんが、あの、あなたのような若い娘さんが、あんまり、『ケツ』とか言ったりしないほうがいいと思うんですけど――」
「よけーなお世話だひよひよ魔王!! っていうかパンディ! てめえ、それがわかってんならなんとかしろよ、おい!?」
「もちろんなんとかするつもりよ。無粋な馬鹿どもが、アヴェと魔王様の、超胸熱展開を邪魔しになんか来やがったら、みんなまとめて次元のはざまに叩き込んでやるわ!!」
「私はそういうことを言ってるんじゃねーんだよ!?」
「お心遣い痛み入ります、パンドリアーナさん」
「あの、ええと、ど、どうも、あ、ありがとうございます、はい」
「アヴェも魔王も、のんきに礼なんかいってんじゃねーよ!! お、おいサラ、お、おまえ、なんか言ってやれ、なんか!!」
「私はもちろん、パンドリアーナ様のご決断に従います(キリッ!)」
「どわあああああッ!! 言うと思ったけどよお!!」
 と、髪をかきむしりながら、天を仰いで絶叫するランシエール。
「つ、つ、つきあいきれねー!! おい、私はずらかるぞ! とめても無駄だぞ!!」
「誰もとめません。どうぞ御自由に」
 と、あっさり言ってのける勇者アヴェリオン。
「は、薄情の見本がここに……」
「あら、でも、ねえランシー」
「なんだよ、パンディ。とめても無駄だぞ」
「別にとめたりなんかしないけどね」
 パンドリアーナは、ヒョイと肩をすくめた。
「でも、ねえ、もうとっくに手遅れだと思うけど?」
「は? ……手遅れ?」
「ええ。だってえ」
 パンドリアーナは、極上の笑みを浮かべてランシエールを見つめた。
「あたし、もうとっくに、あたし達『4人』連名で、『あたし達、これから晴れて、世界の、っていうか、この魔王城でこれから繰り広げられる、超胸熱展開の邪魔をする、愚かで無粋で無礼でうっとうしい、醜悪極まりないゴミカスどもの、敵になることを宣言しまーす☆』っていう声明を、全世界に向かって配信しちゃったんだもの」
「…………はい?」
 5秒間の茫然自失ののち、ランシエールは真っ白な灰と化した。
「え…………えーっと…………そ、それってあの…………マ、マジで?」
「マジで」
「マジで!?」
「マジでよお」
「なんでそんなひどいことすんだよおめーは!?」
「やあねえ、そんな怒らないでよお。単なるノリよ、ノリ☆」
「単なるノリで、他人の人生台無しにするんじゃねーえッ!!」
「いいじゃない。あたしがなんにもしなくったって、どうせあなた、この先ろくな人生送りゃあしないわよお」
「おめえ、私の人生どんだけ低く見積もってんだよ!? お、おい、サラ、おまえもなんとか言ってやれ!!」
「パ、パンドリエール様と、運命共同体……ハァハァ……」
「…………うん、おまえに、チリの一粒ほどでも期待した私が馬鹿だったよ…………」
 と、重いため息をつきながら、頭を抱え込むランシエール。
「…………ええと、それで」
 真っ白なナプキンで、優雅に口元をぬぐいながら、勇者アヴェリオンは、再び極上の笑みを魔王レナントゥーリオに向けた。
「なにはともあれ、このお茶飲み終わったら、私、あなたのことを抱いてもいいんですよね?」
「またその話を蒸し返すのかよおめーは!!」
 賢者ランシエールは、そう叫ぶや否や、眼前のティーテーブルに、ものすごい勢いで突っ伏した。



「……そうですねえ」
 魔王レナントゥーリオは、フニャリとした笑みを浮かべた。
「ちょっと性急すぎる気もしますが――そうですね、ええ、はい、いいですよ、はい」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 あまりにもあっさりとした魔王の言葉に、勇者達パーティーは、全員言葉を失った。
「え? あ――あれ? み、みなさん、どうかなさいましたか?」
「どうかするわボケエエエエエエエエッ!!!」
 と、絶叫する賢者ランシエール。
「てっ、ててて、てめえ、じ、自分がなに言ったかわかってやがんのか!?」
「え? あ、はあ、一応、わかってるつもりですが……」
「てめえの貞操概念はチリ紙よりも薄いのか!? て、てめえ、今てめえは、このお茶飲み終わったら、そこのド変態アヴェ公に、てめえのケツ捧げますって――ギャンッ!?」
「本当にうるさい人ですね、あなたは」
 もはや、しらじらしい言訳さえも省略して、何の容赦も遠慮会釈もなしに、ランシエールの脳天に巨大ハンマーをぶちこむアヴェリオン。
「あ、あ、あの、ほ、ほ、ほんとに、そ、そんなことしてその人大丈夫なんですか!?」
 と、青い顔で叫ぶレナントゥーリオ。
「なに、『大丈夫』じゃなくたって、私としては一向にかまいません」
「ええええええええッ!?」
「――そんなことより」
 アヴェリオンは、目を爛々と輝かせながら、だが、どこか奇妙に不安げに、レナントゥーリオを見つめた。
「あの、その、ええと――そ、それはあの、ほ、本当ですか?」
「え?」
「その――ですからあの――あ、あなた本当に、わ、私とその――情を交わしてくれる気に――」
「ええ、なりましたよ」
 ニコニコと笑いながら、あっさりとそう言ってのけるレナントゥーリオ。
「…………なぜ?」
 今までのハジケぶりが、まるで何かの勘違いだったとでもいうかのように、どこか不安げに、そう問いかけるアヴェリオン。
「……そうですねえ」
レナントゥーリオは、フッと小首を傾げた。
「あの――こんなことを申し上げると、失礼にあたるのかもしれませんけどね。でもあの――あなたがた人間さん達の寿命って、私達魔族の寿命より、ずっと短いじゃないですか」
「え? ああ、それは、まあ、そうだと思いますけど――?」
「それで、あの」
 レナントゥーリオは、なんとなく、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「それであの――わかってるんですよ。一応これでも、きちんと自覚しているんです、私達。私達、『魔王』に選出される血統の者達には、一生に一度だけ、『ものすごく強い、反則的に強い、その気になったら世界の2つや3つ、軽く征服して見せよう!!』という相手と、運命の恋に落ちる、という、非常に特殊な異能の力が備わっています。でも――でも、それって――」
 魔王の唇から、笑みの色が消えた。
「私達の力にからめとられた相手にとっては、『恋』というより、『呪い』とか、『呪縛』とか言ったほうが、いいようなもの、ですよねえ――」
「そんなことはありません!!」
 アヴェリオンは、ものすごい勢いでかぶりをふった。
「あなたと出会えたことは、私にとって、大いなる祝福にほかなりません!!」
「……ありがとうございます」
 レナントゥーリオの唇に、ひそやかな笑みが浮かんだ。
「でもね――それはやっぱり、『呪縛』なんですよ。あなたはもう、このあとずっと、私なしに生きていくことはできない。ひどい――ひどい、『呪縛』で、『呪い』です。そして、ええ、私は、私達魔族よりずっと短い、人間であるあなたの寿命を、あなたの人生を、これから全て、私と、我が同胞たちのために、利用し尽くすのでしょうね、きっと――」
「かまいませんよ」
 アヴェリオンは、フッと、どこか突き抜けたような笑みを浮かべた。
「さっきも言ったじゃないですか。それは、『呪い』ではなく、大いなる祝福です。あなたの笑顔のためならば、私は、この地上に死体の山を築き、流れ出る血で無数の大河をつくりあげることも、まったくいといはいたしませんよ」
「いやあの、そ、そんな怖いことはやめてください!!」
 アヴェリオンの物騒すぎる宣言に、青い顔でかぶりをふるレナントゥーリオ。
「あ、あの、わ、私はただあの、あ、あなたの人生は、もう、私が滅茶苦茶にしてしまいましたので――」
「とんでもない。むしろ、あなたに出会ってようやっと、私の本当の人生は始まったのです!」
「……その、『本当の人生』を、私はすべて奪いつくします。ただでさえ寿命の短い、『人間』であるあなたの人生を、私は、すべて」
 魔王の深紅の三つの瞳は、ただ静かに、琥珀色の髪と瞳とを持った、『勇者』と呼ばれる若い男に注がれていた。
「ですからね、ええ、ですから――ですから私は、私はあなたに、私があなたにあげることのできる、すべてをあげたいと思うんですよ。あなたが欲しがるものなら、そして、私があげることができるものなら、なんでもかんでも、全部まるごと。ですから――ええ、あの、その、あの」
 魔王の顔が真っ赤になった。
「あなたが私のことを、その――だ、抱きたい、というのなら、その、あの、ええと――つ、謹んでお受けいたします! わ、私でよろしければ!!」
「…………」
 アヴェリオンは、じっとレナントゥーリオを見つめた。
「……あ、あれ? あ、あのー、さ、さっきのあれはえーっと、も、もしかして、じょ、冗談だった、とか?」
「いえ、冗談ではありません。完全に本気です。――が」
「……が?」
「……あの」
 アヴェリオンの顔がクシャッと、泣き出しそうな形に歪んだ。
「あなたが私に抱かれる気になってくれたのは、あの――そういう、あの、義務感とか、罪悪感とか、そういうあの――そういう理由から、なんですか?」
「…………」
 レナントゥーリオはゆっくりと、三つの瞳をしばたたいた。
「あ――あ、え、ええと!」
 アヴェリオンは、あわてたように言った。
「い、いいんです! いいんです、別に。別に、それでも! だ、だってあの、私あの、あ、あなたのお仲間に、ずいぶんとその――ひどいことをし続けてきましたからね。だからあの――別にあの――す――好きになってもらえなくても、しかたない、と、思うんですけど、でもあの――なんていうか――」
「――アヴェさん」
 レナントゥーリオは、にっこりと笑いながら、アヴェリオンの顔をのぞきこんだ。
「あのですね」
「は――はい」
「確かにあの、過去にはあの、私達の間には、いろいろとあの、ありましたけど」
「は――はい」
「あのですね」
 深紅のまなざしと、琥珀のまなざしが絡みあう。
「そんな目で見つめられて、ほだされない者などいはしませんよ」
「え……それは、あの……それは、ええと……?」
「私もあなたが好きですよ」
 レナントゥーリオは、優しい声でそう言った。
「だからアヴェさん、どうか、そんな悲しい顔をなさらないでください。――ね?」
「は――はいッ!!」
 ――さて、その約5秒後、賢者ランシエールは、「なに調子のいいことほざきまくってやがんだああああッ! この節操なしの貞操概念皆無の尻軽淫乱魔王があああああッ!!」と絶叫し、アヴェリオンに隣の隣の部屋まで、思い切り蹴り飛ばされることになるのであるが、まあ、それは蛇足というものだろう……。



 ――不意に。
「……なーおん」
 この素っ頓狂な状況に、全く似つかわしくない、場違いな声が響いた。
「え!? フ、フラニーちゃん!?」
 魔王レナントゥーリオは、顔色を変えてパッと立ちあがった。
「ど、どうして!? つ、連れて逃げてくれるようにお願いしておいたのに!?」
「ああ、はい、確かにぼく達、そうお願いされましたけどね」
 この、ある種緊迫した状況に、これまた全く似つかわしくない、あっけらかんとした声が響いた。
「でもあの、ぼく達もあの、逃げる途中に、『あの』中継を見ましたからねえ。それでまあ、そういうことだろうなあ、っていうんで、一応、ぼく達が先発隊として、こうして戻ってきたわけでして、はい」
「なーおーん❤」
「フラニーちゃーん!!」
 魔王レナントゥーリオは、目を潤ませて、部屋にかけこんできた小さな影を抱きしめた。
「え? ……ね、猫、ですか?」
 勇者アヴェリオンは、あっけにとられた顔でそうつぶやいた。
「はい♪ 私の猫ちゃんです❤」
 と、満面の笑みとともにいう魔王。その腕の中にすっぽりと収まって、ゴロゴロと機嫌良くのどを鳴らしているのは、基本的には白い毛の中に、濃い灰色のまるいブチがちらほらと散らばっている、フクフクと柔らかそうな毛をもった短毛種の、こういっては何だが、どこにでもいるような、ごくごく普通の猫だった。
「うう……そ、その猫、口から鉄の鎧も溶かす毒液吐いたり、巨大な岩をも砕く、超音波の鳴き声出したりするのか……?」
 と、最前から、たびたびの試練と苦難に見舞われている、自分の脳天を恨めしげにさすりながら、賢者ランシエールがブツブツと言った。
「ええッ!? フ、フラニーちゃんは、そんな怖いことしませんよ!? フ、フラニーちゃんはあの、ふ、普通の猫ちゃんですから!!」
 と、青い顔でそう叫ぶ魔王。
「魔王がただの駄猫飼ったりするなよ!!」
「だ、駄猫ってなんですか!? フ、フラニーちゃんは、ほんとに可愛くて賢くて素敵なニャンコちゃんなんですッ!!」
「あはは、ここら辺では、『ただの』、普通の猫のほうが、かえって珍しいんですよー」
 再び、あっけらかんとした声が響く。
「あら」
 魔女パンドリアーナは、ヒョイと小首を傾げた。
「あなた、だあれ?」
「あ、どーもどーも。ぼく、魔王様の身の回りのお世話をしてる、淫魔のエルメラートです」
 あっけらかんとした声の主は、やはりあっけらかんとした声でそう言った。美しい翡翠色の短髪に、細身ながらよく鍛えられた筋肉質の体。クリクリとよく動く海老茶色の瞳に、少年のようにも少女のようにも見える若々しい顔。袖なしの服に半ズボンという、肌の露出度が高い服。その背中では、巨大な蝙蝠のような翼が、パタパタとはためいている。
「――淫魔!?」
 アヴェリオンの目が鋭くなる。
「あ、御心配なく。ぼくと魔王様の間に、『そういう』関係は一切ありませんから。っていうか、魔王様になる血筋のかたがたは、『運命の相手』以外のかたとは、一切そういうことをするような気分になりませんので。いやあ、それってほんと、不便な体質ですよね! ぼく、そんな血筋に生まれつかなくって本当によかった!」
「あら、なあんだ。つまんないの」
 と、本当に残念そうな顔で言う、魔女パンドリアーナ。
「ハァ、ハァ……エ、エーメ君、ひ、一人で先に行っちゃわないでよ! お、俺、君ほど早く、飛べも走れもしないんだから!!」
 と、バタバタと部屋に走りこんできたのは、華奢で小柄な魔王よりもさらに小さい、ほとんど子供のような体形の、だが、その顔はすでに、中年に片足を突っ込もうとしている男の顔をした、尖った耳と、長い尻尾とを持った男だった。背中には、エルメラートと名乗った淫魔のそれよりはだいぶ小さいが、似たような形の翼が可愛らしくはためいている。その鼻の上には、大きなメガネがちょこんと乗っかっている。
「……あ、どうも、御挨拶が遅れて申し訳ありません。俺、インプのライサンダーです。そこのエルメラート君といっしょに、魔王様のお世話係を担当しております」
「……なるほど」
 アヴェリオンは険悪な顔で、エルメラートとライサンダーをにらみつけた。
「それなのにあなたがたは、この人を見捨てて逃げた、と。そういうことですよね?」
「ああ、アヴェさん、それはね、あの、私がみんなに、そうしなさいって命令したんです。ですから、みんなは、なんにも悪くないんですよ」
 と、レナントゥーリオがあわててアヴェリオンをなだめる。
「しかし、それにしたって――!!」
「だ、だってあの、だってその、う、運命の相手に出会う、その時までは、私なんてその、単なる役立たずの足手まといですから。そ、それにあの、わ、私にはもうすでに、運命の相手と出会った、れっきとした後継者がおりますから。だったら――ねえ」
 魔王は、フニャリとした笑みを浮かべた。
「だったらあの――私が時間を稼いでいる間に、みなさんに逃げてもらったほうが、いいと思いまして、はい」
「ばーっか、なーに言ってやがんでえ。いいか、このアヴェ公が、こんな残念すぎるド変態じゃなかったら、おめえなんか、時間稼ぎにもなんにもなりゃしねえよ。私かパンディの魔法一発か、アヴェ公かサラの滅多切りかで、ああっという間にこの世とおさらば――フギャッ!?」
「……鞘から抜かなかった、私の慈悲を思い知りなさい」
 と言いながら、鞘に入れたままの剣で、力いっぱいランシエールの脳天をぶん殴るアヴェリオン。
「逃げてくれて、よかったんですよ?」
 そう言いながら、少し悲しげに小首を傾げ、エルメラートとライサンダーを見やる、魔王レナントゥーリオ。
「ええ、ですから、一度は逃げました。でも、あの中継見て、あ、こりゃ、戻っても大丈夫かなー、と思ったんで、戻ってきちゃいました」
 と、相変わらずあっけらかんと言うエルメラート。
「まあ、あれですよ。死体になっちゃった魔王様じゃあ、お世話も何もないですけど、魔王様はこうして、元気に生きてらっしゃるわけですし。そしたらまあ、身の回りのお世話をするものも、それなりに必要かな、と」
 と、頭をかきながら言うライサンダー。
「その必要はありません。この愛しい、可愛い人の身の回りのお世話は、私自身が私のこの手で、頭のてっぺんから足のつま先まで、髪の毛一本、爪の一枚もおろそかにはせずにお世話いたしますので」
 と、異様なほど真剣な顔で言うアヴェリオン。目が怖い。
「あはは、ぼく達なにも、あなたと魔王様をとりっこするつもりなんかありませんよー」
「ええ。俺達は、あくまでも下働きに徹しますんで。あとはその、なんと言うか――どうか存分に、お好きなように、『お世話』なさってください、はい」
「そうですか。そういうことなら」
「おいおいおまえら、おまえらの魔王が、そこにいるド変態に、ケツからガッツンガッツンやられちゃってもいいって言うのかよ!?」
 と、最前からの展開に、全く懲りることなくそんなことを叫ぶランシエール。
「別にかまいません。っていうか、魔王様一族が運命の相手に出会ったら、そしたらもう、誰がどう邪魔したって、そんなの無駄ですから。無駄無駄」
「そうそう。邪魔するなんて、馬鹿のやることだよな」
 と、うなずきを交わす、エルメラートとライサンダー。
「だ、だめだ……な、なんかもう、この世で理性と良識とを保った正気の人間は、私しかいないんじゃないかっていう気がしてきた……」
「ランシエールさん、あなた今すぐ、理性と良識と正気に、両手をついて謝りなさい」
 恨めしげにうめくランシエールを、ギロリとにらみつけ、アヴェリオンは険悪な声で言った。
「そうよランシー。愛というのは尊いものよ」
「おめーも今すぐ、『愛』って言葉に両手をついて謝れ!!」
「……にぃ……」
「ああ、フラニーちゃん、大丈夫ですよ。怖くありませんからね。大丈夫、大丈夫……」
 混迷を極める室内に、魔王の、場違いにのどかな声が響いた……。



「あ、あの……み、身を清めてくるあいだだけ、待っていていただけませんか?」
「はいッ! もちろんですッ!!」
「はじめて見たよ、アヴェちゃんのこんな満面の笑み!!」
「はいはーい、それじゃあお風呂行きましょうねー、魔王様」
「てめえ、この展開に何の疑問も抱かないのか!?」
「あはは、やだなあ、ぼくは淫魔ですよ? この程度の展開にうろたえてたら、一族郎党の笑いものですよ」
「淫魔すげえな!?」
「お茶のおかわりはいかがですか、みなさん?」
「あら、ありがと、気がきくわね」
「てめえも適応力半端ねえな、このチビ!」
「はあ、俺らインプは、基本的にお偉がたの使い魔やらなんやらを務めるのが家業みたいな種族ですからねえ。たいていの気まぐれとトンデモ展開には慣れっこです、はい」
「魔族こええええええええッ!!」
 そう絶叫しながら髪をかきむしる、賢者ランシエール。
「はあ……こ、怖いですかねえ?」
 淫魔エルメラートに先導される形で部屋を去りかけたが、ランシエールのツッコミと絶叫を聞いて、悲しげな顔で振り返る、魔王レナントゥーリオ。
「こええよ! 何考えてんだよおまえら!?」
「はあ……そ、それじゃ、あの、私のほうからも、一つ聞いてもよろしいですかねえ?」
「あン? なんだよ?」
「あの……あなたがた人間さんって、その……すごくその、数が多いですよねえ?」
「は? ああ、まあ、数が多いっちゃあ多いけどよ――それがどうした?」
「あ、あの……だ、だったらあの、その、つ、つがう相手に不自由なさることなんて、きっとあの、あんまりその、ないんじゃないですかね?」
「はあ? そりゃまあ、人によると思うけどよ。まあ、確かに、贅沢言わなきゃ男も女もそこらへんにうじゃうじゃしてやがるわなあ。それがどうした?」
「あの――その――だったら、なんで」
 魔王レナントゥーリオは、世にも悲しげな顔で、賢者ランシエールを見つめた。
「だったらなんで、私達――私達、『魔族』と総称されているような者達を、その、あの、ええと、あの――」
「だーッ!! じれってえなあ! 言いてえことがあるんだったら、とっとと言いやがれ、ったく!」
「はあ……ではおうかがいいたしますが」
 魔王は、悲しげに小首を傾げた。
「なのにどうして、みなさん、ええとあの、人間さん達は、私の仲間達を、その……せ、性的な慰みものにするために、つかまえて、連れてっちゃったりするんでしょうかねえ?」
「…………へ?」
 ランシエールは、ポカンと口をあけた。
「ええと……あの……」
 レナントゥーリオは、大きくため息をついた。
「その――もともと、強力な力を持って生まれつく種族のかたがたは、まだいいんですけどね。だって、そういうかたがただったら、自分の身を、自分で守ることもできるわけですし。で、でもあの……その、あの、手のひらに乗りそうなくらい小さな体のかたがたを捕まえていって、その、それでその、そのかたがたに性的に奉仕させるって、その、あの……それっていったい、何をどうするわけですか?」
「…………マジでか?」
「マジでよ」
 魔女パンドリアーナは、大きく肩をすくめた。
「人間の欲望には果てがなく、その性癖は千差万別よ。ランシー、あなた、これくらいのことでゲンナリしてるの? これっくらいのこと、変態的異種姦マニアにとっては、初歩の初歩よ、まったく」
「うげえ……な、なんだか、人間でいることをやめたくなってきたぞ……」
 そううめきながら、頭を抱え込むランシエール。
「あの……わ、私もなんだかそんな気がしてきました……」
 同じく沈痛な顔で頭を抱え込む、勇者アヴェリオン。
「異種姦がしたいんなら、ぼく達にひとこえかけてくださればいいと思うんですけどねえ。ぼく達だったらもう、喜んでホイホイお相手しちゃいますよ。手弁当で待ち合わせ場所まで出向きますよ。あ、交通費もこっち持ちでいいです」
 と、嬉々とした顔で言ってのける、淫魔エルメラート。
「いや、エーメ君、マニアっていうのはどうも、そういうのは逆に萎えちゃうらしいよ」
「ええッ!? そういうもんなんですか?」
「どうもそうらしいよ。適度に抵抗されたほうが萌える、もしくは、燃えるっていうやつは多いらしい」
「へー。抵抗なんかされたら、めんどくさいだけだと思うんですけどねえ」
「マニアっていうやつは、めんどくさいもんなんだよ」
「へー、そんなもんなんですか」
 と、人間達をそっちのけにして、何やら仲良く語りあう、淫魔とインプ。
「…………人間って、いったいなんなのかしら…………」
 と、何やら遠い目をしてつぶやく、剣士サラスティン。
「おおーい! おまえにそんなこと言う資格はねえぞ! このだらしな系ムチムチあまり肉マニア!!」
 と絶叫する賢者ランシエール。
「お肉が好きでなにが悪いのよ!?(キリッ!)」
 と、またしても無駄な決め顔で断言するサラスティン。
「…………ああ、私は一体、今まで何のために戦ってきたんだろう…………」
 と、サラスティンの遠い目が、今度はこっちに飛び移ってきたとでもいうかのように、遠い目をしてつぶやくランシエール。
「私の今までの人生はすべて、あなたに出会うためにあったのです!!」
 と、誰にも聞かれていないのに、レナントゥーリオの瞳をバッチリと見つめ、うっとりとそうのたまうアヴェリオン。
「あ、その、あの、ええと……え、えへへー❤」
 と、照れ笑いをするレナントゥーリオ。
「おっさんが照れ笑いするんじゃねえええええッ! なーにが、『え、えへへー❤』じゃ! 気色悪いんじゃああああッ! どおおおおおおッ!?」
「ほんとに! まったく! うるさい! 人ですね! あなたと! いう人は! まったく!!」
 と、床に蹴倒したランシエールに、容赦のないストンピングをくらわせるアヴェリオン。
「あわわわわわッ!? や、やめ、やめてくださいアヴェさんッ!! ラ、ラ、ランシーさんがお気の毒ですッ!!」
「あら、魔王様、ランシーの名前知ってたの?」
 と、可愛らしく小首をかしげて見せる魔女パンドリアーナ。
「あの、それはええと、あなたがたのお話を聞いていればだいたい――ああ、アヴェさん、お願いですからどうか!!」
「わかりました。ほかならぬ、あなたがそうおっしゃるなら。ランシーさん、魔王様の慈悲に、生涯感謝なさい」
「うう……こ、これほど割にあわねえ冒険の旅って、マジで前代未聞だぞ……」
 と、床に転がったままうめくランシエール。
「そうですか。私にとっては、これほど素晴らしい冒険の旅など、まさに前代未聞でしたが」
 と、恍惚とした顔で言ってのけるアヴェリオン。
「えーっと……もうお話終わりですかあ? それじゃああの、そろそろ魔王様を、お風呂に連れて行って差し上げたいんですけどお」
 と、あっけらかんと言う淫魔エルメラート。
「はいッ! よろしくお願いします!!」
 エルメラートの言葉に、勇者アヴェリオンは、最上級の極上の笑みでこたえた。



「おいアヴェ公、てめえ、こんな真昼間のうちから、あのしょぼくれおっさん魔王としっぽりハメハメするつもりなのかよ!?」
「はあ、昼間だといけませんかねえ? まあ確かに、いささか風情に欠けるかもしれません。では――パンドリアーナさん、昼夜逆転魔法をお願いいたします!!」
「まかせて、アヴェちゃん☆」
「そんなくだらねえことで、そんな高位大魔法をブッ放そうとするんじゃねえええええッ!!」



 ――などという、幕間劇はさておき。
「…………」
 勇者アヴェリオンは、真剣極まりない顔で、魔王レナントゥーリオの登場を待ちわびていた。
 ――などというと、これから始まるのは、世界の命運をかけた勇者と魔王の大決戦か、などという雰囲気にもなってくるのだが、まったくもってそんなことなどはじまりはしないのだ。いや、まあ、ある意味、『大決戦』は、『大決戦』であるのかもしれないが……。
「あ……お待たせしちゃって、すみませんねえ」
 などとのんきな声で言いながら、トコトコと部屋に入ってきた魔王レナントゥーリオは、やわらかそうな生地の、優しい銀鼠色のローブを身にまとい、全身からホコホコと湯気を立て、濡れた白髪交じりの藍色の髪を、ゴシゴシとタオルでこすっているという、なんというかもう、どこからどう見ても、風呂上がりの姿、だった。
「…………」
 さて、これは一体本日何回目になるであろうか。吹き出しそうになる鼻血を、必死で気合いで食いとめる勇者アヴェリオン。
「…………あの」
 魔王レナントゥーリオは、はにかんだような笑みを浮かべた。額にちんまりと生えた、角、というよりも、たんこぶか何かのような3本の角。優しげな両の瞳に加え、額の真中で、妙につぶらにパチクリとしばたたいている第3の瞳。瞳の色は、赤々と輝く深紅。漂白されたかのように白い、青白くすらある肌。
 そう――人ではない、存在。
「あの……灯り、消しませんか?」
「どうして?」
「あの……は、恥ずかしいですよ。私あの……こ、こんな貧相な体ですし……」
 なるほど、確かに、『貧相』というのももっともな体だ。ゆったりとした銀鼠色のローブの上からも、そのほっそりとした、華奢な骨組みは透けて見え、身長だって、アヴェリオンより確実に頭半分以上は小さい。
「貧相? どこが? 何が?」
 心底不思議そうに、アヴェリオンは問いかけた。
「どこが、ってあの……あの、ええと、ぜ、全体的に……」
「え? あなたは、『貧相』なんじゃありませんよ。華奢で、端正で、優美なんです」
 と、真顔で言うアヴェリオン。
「いやあの……いやその……ま、まああの、あなたが本当にそういうふうに思ってくださっているのなら、私はあの、なにも言うことはないんですけど……」
「私は」
 アヴェリオンは、うやうやしくレナントゥーリオの前にひざまずき、崇拝を込めた目でレナントゥーリオを見上げた。
「あなたにだけは、嘘をついたりなどいたしませんよ」
「……そう、ですか」
 レナントゥーリオの唇を、フッと笑みがかすめた。
「自分で言うのもなんですが……本当に、空恐ろしくなりますよ、我が一族の血統に伝わる、特殊極まりない能力が……」
『魔王』に選出される家柄の者達の血統に秘められた、恐るべき特殊能力。それは。
『魔王』の血統に連なるものは、なぜか、生涯でただ一人だけ、『ものすごく強い、反則的に強い、その気になったら世界の2つや3つ、軽く征服して見せよう!!』……という相手と、運命的な恋に落ち、そして、『魔王』の血統に連なる者達と恋に落ちた相手は、完全に、『恋の奴隷』となり、恋に落ちた相手の言うことを、なんでも聞いてくれるようになる、という、恐るべき力。
「そんなものは、関係ないです」
 アヴェリオンは、きっぱりとそう言い切った。
「たとえあなたにそんな力など無くても、私はやはり、あなたと恋におちていましたよ。……でも」
 アヴェリオンの琥珀の瞳が、ふと、不安げに揺れた。
「……あなたのほうは?」
「え?」
「あなたのほうは……あの」
 アヴェリオンは、おどおどとたずねた。
「その……ご、御自分のその、『血』の力に、私が絡めとられてしまったからって、だからその……だからあの……だから、責任というかなんというか……それであの……ほ、ほんとは好きでもない私に……」
「アヴェさん」
 レナントゥーリオは、ヒョイとかがみこみ、ひざまずいているアヴェリオンの顔を、ニコニコとのぞきこんだ。
「あなたは、とても優しい人なんですね」
「は!? い、いえ、私はそんな……そんな、あの……」
「御心配は無用です」
 レナントゥーリオは、やはりニコニコと言った。
「先ほども申しあげたでしょう? 私は、あなたが好きですよ」
「あなたの仲間達に、さんざんひどいことをしてきた私なのに?」
「でも、あなただって、御自分のお仲間さん達のためにそうしてきたんでしょう? 私達だってあの――自分達のために、あなたがた人間さん達に、ひどいことしたことだってありますし。ですからあの――」
 魔王レナントゥーリオは、フニャリとした笑みを浮かべた。
「それは、あの、お互い様、ということで」
「お互い様――ですか?」
「はい。そういうことにしましょうよ」
「……わかりました」
 アヴェリオンは、かすかに笑みを浮かべた。
「優しいですね、あなたは、ほんとに」
「ありがとうございます」
 レナントゥーリオは、本当にうれしそうに笑った。
「……美しい……」
 アヴェリオンは、この上なく真剣な顔でそうつぶやいた。
「あなたのようにお綺麗なかたにそんなことをおっしゃられると、照れてしまいますねえ」
 と、恥ずかしそうに笑うレナントゥーリオ。
「綺麗? 私が――ですか?」
「はい。その、キラキラ輝く琥珀色の髪も、おんなじくらい輝く琥珀色の瞳も、とてもとても、綺麗、ですよ」
「そうですか――ありがとうございます――」
 そう言いながら、アヴェリオンがレナントゥーリオのほうに手を伸ばしかけた、とたん。
「――ックチッ!」
 レナントゥーリオは、小さくくしゃみをした。
「ああほら、髪の毛を濡れたままでほうっておくから」
 アヴェリオンは、クスクスと笑った。
「あ、どうもすみません。あの、その、ええと、あなたをお待たせしてしまってはもうしわけないと思いまして」
「……え?」
 アヴェリオンの目が、ギラギラと輝いた。
「それじゃ、あの、私のために――!?」
「いやあの、ええと、あの――」
「乾かしてあげますよ」
「ヒャッ!?」
 不意にアヴェリオンに抱きあげられ、いわゆる、『お姫様抱っこ』というやつをされてしまったレナントゥーリオは、驚いて身をすくめた。抗議する間も疑問を呈する間もなく、あっという間に豪華な寝台まで運ばれ、そっとそのふちにおろされる。
「……ええと、あの?」
「じっとしてて」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの髪に向けて両の手のひらをかざした。その手のひらから、一種の熱波のようなものが発せられ、あっという間に白髪交じりの髪を乾かしていく。
「うわ……す、すごいですね……」
「すごい? そうですか?」
「ええ……すごい、ですよ……」
「そうですかねえ? あ、乾きましたよ」
「あ、どうも、ありがとうございます」
「…………」
「……あの? どうかなさいましたか、アヴェさん?」
「……レナンさん」
「はい、なんでしょうか?」
「……口づけしても、いいですか?」
「……」
 レナントゥーリオの唇に、ほのかな笑みが浮かんだ。
「あの……だめ、ですか?」
「アヴェさん」
「は、はい」
「あなたが口づけしてくださるなら、私はとても、うれしいですよ」
「――!!」
 その言葉を聞くや否や、アヴェリオンはレナントゥーリオの、血の気の薄い唇にむしゃぶりついた。
「……あふ……」
「――ッ! は、あ、はあ、はあ……」
 それはほとんど、『口づけ』というよりも、『衝突』と言ったほうがよかった。
「す、すみません、あの、がっつきすぎてしまいました」
「いいですよ、別に。そんなこと気になさらないでください。そう――あなたは私に、なにをしてもいいです。あなたにとって、私が最後の恋の相手になるように、私にとってはあなたが、あなたこそが、生涯最初で最後の恋の相手なんですから。――だから」
 レナントゥーリオの笑みが、妖艶な色を帯びた。
「だから――お願いですから、溺れるほどの思い出をください――」
「――喜んで」
 言うが早いが、レナントゥーリオのローブをはだけようとするアヴェリオン。
「え!? あ、あの、ちょ、ちょっと!?」
「なんでしょうか?」
「あ、あの……え、ええと……わ、私の体、見ると、あの……が、がっかりしたり、びっくりしたり、しちゃうと思うんですけど……」
「そんなことはあり得ません」
「そ、そうでしょうかねえ?」
「わかりました」
「え?」
「証明します」
「は?」
「しばしお待ちを」
 そういうなりアヴェリオンは、時空魔法でも発動したのかとツッコミたくなるほどの勢いで、思い切りよく服をすべて脱ぎ捨てた。
「えと――わ!? う、うわ……」
「おわかりでしょう?」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオに極上の笑みを向けた。
「あなたがそこにいるだけで、私、もう、こんなですよ?」
「…………はい」
 レナントゥーリオは、蚊の鳴くような声でうなずいた。
「じゃ、じゃああの……ま、まあ、びっくりすると思うんですけど……」
 そう言いながら、レナントゥーリオは、するりとローブを脱ぎ捨てた。
「――ッ!? し、下には何も着ていなかったんですか!?」
「え? ああ、はい、その、どうせすぐに脱ぐことになると思いまして……」
「……いやらしいな……」
「は? え、あの、ええと……ど、どこが?」
「……尻尾」
「え?」
「尻尾……あったんですね」
「あ――はい、まあ、一応。え、ええとあの、ひ、貧相な尻尾でしょ? ちょっと恥ずかしいんですよね、この尻尾。すごくあの、貧相で。まあ、ええと、いつも着るような服だったら、服の外からはわかりませんけど――」
「……なんていやらしいんですか」
「ひゃんッ!?」
 いきなり尻尾を握りこまれて、レナントゥーリオは甲高い悲鳴を上げた。その尻尾はまるで、ハツカネズミのそれのように、表面には産毛しかなく、細く、ひょろ長く、やわらかな桃色に染まり、クネクネと揺らめいていた。
「あ、す、すみません! い、痛かったですか!?」
「い――いえ、あの――び、びっくりして、あの――」
 と言いながら、気まり悪げにもじもじと足をこすりあわせるレナントゥーリオの様子に、アヴェリオンは、幾分意地の悪い笑みを浮かべた。
「もしかして――感じちゃいました?」
「あ、あの、ええと――そ、そんなところ、だ、誰かにさわられることなんて、あんまりないですし――」
「自分でする時は、この尻尾と、前の尻尾と、一緒に握りこんでこすったりするんですか?」
「え? ……ええええええッ!? し、しませんよ、そ、そんなこと!!」
「しないんですか?」
「し、しませんよ!!」
「そうですか」
 アヴェリオンは、ニンマリと笑った。
「それじゃあ、私がしてあげますね」
「え!? ――ぁうッ!」
 豪華な寝台の上に転がされ、自分の年齢の、何分の一にもなっていないであろう、『人間』に、体の中で一番敏感と言ってもいいところを二つもいいようにされ、魔王レナントゥーリオは、身をすくめて悲鳴を上げた。
「あ――そんな――は、放してください、お願いですから――!!」
「はい、わかりました」
 アヴェリオンは、パッと手を離し、そのままレナントゥーリオの両腕を捕まえ、寝台の上に縫いつけた。
「え……あの?」
「放してあげましたよ」
 アヴェリオンは、にっこりと笑った。
「あなたのお願いを聞いてあげたんですから、私のお願いも聞いてくださいね」
「え……あ、あの……」
「あなたを見つめていたい」
 アヴェリオンは、ひどく真摯な瞳で言った。
「それは、許していただけますか?」
「え……あ……それは……は、はい……」
「…………」
「…………」
 無言でじっと見つめ続けられる気まり悪さに、レナントゥーリオはもじもじと身をよじった。桃色の尻尾はクネクネとうごめき、人間のそれと、パッと見ではそんなに違いがあるようにも見えない陰茎は、小さく震えながら、しっかりと反応を示している。
「……あ」
 アヴェリオンは、クスリと笑った。
「もしかして、もうイきたいんですか?」
「え?」
「だって」
 アヴェリオンは、クスクスと笑った。
「ほら――玉がすっかり、上のほうにあがってきちゃってますよ?」
「あ……そ、それは……」
 レナントゥーリオの顔が、真っ赤に染まった。
「それは、あの……あ、あなたの子供を産むための準備で……」
「え!?」
 アヴェリオンは、大きく息をのんだ。
「そ、それって――それってどういう意味ですか!?」
「え? そ、それは、あの……」
 レナントゥーリオは、おどおどと言った。
「あ、あの……ま、前にある尻尾まではその、な、なくなったりはしないんですけどね。そ、それでもあの、そこはあの……か、体の中に入って、あの……そ、それであの……今はまだ、ふさがっていますけど、その……もうしばらくすると、そこが開いて……あ、あなたのものを受け入れて……こ、子供がつくれるようになるんですよ……」
「……本当に?」
「私達は――そういう一族ですので」
 レナントゥーリオは、細い声でそう言った。
「あ、あの――き、気持ち悪いですか、そういうのって、やっぱり――?」
「――何を言っているんですか、あなたは」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオをかたく抱きしめた。
「うれしい――本当に、うれしいですよ。私の子を、産んでくれるんですね――?」
「はい。ああ、でも、人間のあなたは、びっくりしちゃうかもしれませんねえ」
 レナントゥーリオは、クスクスと笑った。
「なにしろ、私達あの――卵を産みますんで、はい」
「卵を――そうですか――」
 アヴェリオンは、そっと、優しく、レナントゥーリオに口づけた。
「――すみません」
「え?」
「もうしばらく待てば、あなたのほうの体の準備が整うそうですが――申し訳ありませんが、私、あの――もう待てません」
「……いいですよ」
 レナントゥーリオは、静かに微笑んだ。
「私があげることのできるものは、みんなあなたにあげるって決めてますから」
「…………」
「やッ!?」
 レナントゥーリオは悲鳴を上げた。
「そ、そんな、だ、だめですよそんな――そんな、尻尾のつけ根なめたりなんかしちゃ――!!」
「でも、慣らさないと、私のを入れられないでしょう?」
「そ――れは、あの――ゆ、指とかで――」
「指ってあなた、そんなもったいない!」
「で、でもあの……ほ、ほんと、恥ずかしいんですよ、ねえ……あ!」
「ど、どうかしましたか?」
「あの、ちょ、ちょっと待ってくださいね。ええと――」
 と、むっくり起き上がり、自分が脱ぎ捨てた銀鼠色のローブを、ゴソゴソと探るレナントゥーリオ。
「確か――ああ、ありました!」
 と、本当にうれしそうに、薄桃色の液体が入った、可愛らしい小瓶をアヴェリオンに見せるレナントゥーリオ。
「あの、ええと、これ! これつかうとあの――け、結構楽にできるようになるって、あの!!」
「……なるほど」
 アヴェリオンは、おかしそうに笑った。
「あなたは、部下のかたがたに、好かれているんですねえ、レナンさん」
「はい。みんなとってもよくしてくれます」
 と、ニコニコと答えるレナントゥーリオ。
「それじゃあ――これを使ってみますか?」
「あ――え、ええ、はい――」
「それじゃあ、足を開いて?」
「も――もう、ひ、開いてますよ――」
「じゃあ――」
 自分の体で、レナントゥーリオの足が閉じないようにしているアヴェリオンは、ひどくうれしそうに言った。
「これから、足じゃないところも、いっぱい開いてもらいますからね」
「……お手柔らかにお願いします……」
「前向きに善処します」
 にこやかにそう言いながら、アヴェリオンは、レナントゥーリオに渡された小瓶の蓋を取って首をひねった。
「……それで」
「はい」
「私は一体、これの中身をどうすればいいんでしょうか?」
「え!? あ、あの……ご、御存じないんですか?」
「あなたは御存じなんですか?」
「え!? そ、それはあの……そ、それはええと……」
 しどろもどろになりながら、アヴェリオンから小瓶を受け取って、もじもじとアヴェリオンの手を取った。
「その……この瓶の中身をですね、あの、ええと……手にとって、というか、指につけてですね……」
「ふむふむ、なるほど。それから?」
「そ、それからあの……あの、ええと……わ、私の尻尾のつけ根に……」
「尻尾のつけ根? はて――あなたの尻尾のつけ根を、いったいどうすればいいんでしょう、私は?」
「……あの」
 レナントゥーリオは、幾分恨めしげにアヴェリオンを見つめた。
「アヴェリオンさん、本当は、やりかた御存じなんじゃないですか?」
「……ごめんなさい」
 アヴェリオンはクスリと笑った。
「あなたがあんまり可愛らしいので、つい意地悪をしてしまいました」
「……やりかた、ほんとは御存じなんでしょ?」
「ええ、もちろん」
「……それじゃあ」
 レナントゥーリオの三つの瞳が、そっと閉ざされた。
「あの……あなたのやりかたを、私に教えてください」
「……ええ、喜んで」
 薄桃色の、粘度の高い液体をまぶしたアヴェリオンの長い指が、レナントゥーリオの尻尾のつけ根に、ゆっくりと潜り込んでいく。
「…………は…………」
「……つらい、ですか?」
「…………」
 魔王の薄い唇に、静かな笑みが浮かぶ。
「あなたほどじゃ、ありませんよ」
「え?」
「私だってその――こんな体だってその、一応は、『男』の体で長年過ごしてきましたから」
 魔王は低い声で笑った。
「今のあなたがどんなにつらい思いをしているのか、それくらいは、察しがつきますよ」
「…………」
 アヴェリオンの頬が、赤く染まった。
「……だから」
 薄い唇に、なまめかしい笑みが浮かぶ。
「もう――私を抱いてもいいですよ」
「…………お願いです」
「え?」
「目をあけて……私のことを、見て、ください……」
「…………」
 深紅の瞳が、三つの瞳がゆっくりと開き、琥珀色の髪と、琥珀色の瞳とを持った若き勇者を、その瞳の中にからめ捕った。
「……レナントゥーリオ」
「はい、なんですか、アヴェリオン?」
「……あなただけだ」
「ええ」
「あなたしかいない」
「ええ」
「……絶対、孕ませてやる」
「ええ、孕んであげますよ、何人でも。今すぐには、無理ですけどね、まだ。体の準備ができるまで、もう少しだけ、待ってくださいね……」
「今」
「え?」
「今――今すぐ、あなたを私のものにする――!!」
「そう――そして」
 ゆるやかな笑みが、魔王の唇に浮かぶ。
「あなたは、私のものになる――」
「――望むところだ」
 獰猛な笑みを浮かべた勇者は、狂喜と狂笑とともに、魔王の体を征服した。



「さあ忙しくなってきたわ! あたし達、これからが正念場よ!!」
「パ、パンディ……」
「なあに、ランシー?」
「た、頼むから、い、今てめえが壁に投影してる、アヴェちゃんとあのひよひよおっさん魔王との絡みを消してくれ――!!」
「いやよ」
 と、ポッテリとした唇をとがらせて言う、魔女パンドリアーナ。
「見たくないんなら、あなたが出ていけばいいじゃない!」
「私だけの問題じゃねーよ! 見ろてめえ、サラだってぐったりしちまってるじゃねーかよ!?」
「あら、ほんと? 大丈夫、サラ?」
「……ダイジョウブデス、ゼンゼンダイジョウブデス。ツライトキニハ、ぱんどりあーなサマノ、フックラトヤワラカイ、クビノウシロノ、カワイイオニクノコトバッカリカンガエテイルカラ、ゼンゼンダイジョウブデス……」
 と、うつろな目でつぶやく、剣士サラスティン。
「大丈夫だって」
「全然大丈夫じゃねーよ!! つーか、サラが言ってる内容も、かなりあれでなにだよ!?」
「うるさいわねえ。ギャンギャン騒いでるの、あなただけじゃない。もう、ほんとに迷惑な人ねえ」
「おい、そこの、淫魔とインプ! おめーらもなんとか言ってやれやコラァ!?」
「あーよかった。勇者さん、意外と紳士でしたね。ちゃんと潤滑剤使ってくれたみたいでなによりです」
「エーメ君、あれはやっぱり、淫魔秘伝の秘薬とか、そういうやつなわけ?」
「いえ、この間近所まで来た、人間の行商人さんから買いました」
「「商魂たくましいなそいつ!?」」
 と、はからずも同時にツッコむ、賢者ランシエールと、インプのライサンダー。
「いやー、人間って、こういう方面に本当に才能ありますよねー。もう、使い勝手がよくてよくて❤」
「うーん、あれだな、言っちゃなんだけど、やっぱり寿命が短いから、それだけ生き急いで、楽しめる時にはめいっぱい楽しもうとしてるのかなー?」
 と、感慨深げにつぶやくライサンダー。
「うわああああッ、いやだああああッ! な、仲はそんなによくなかったけど、い、今まで一緒に旅をしてきた相手の、こんな生々しい姿見たくねええええええッ!!」
「うるさいわねえ、ランシーったらほんとに。見たくないんだったら、とっとと部屋を出ていけばいいじゃない」
「ここまで見ちゃったら、これ以上見るのは嫌だけど、だからって中途半端なまんま部屋を出るっていうのもメチャクチャ気持ち悪いんだよ!! だからよお、頼むから、消してくれよおパンディ。お、おまえが自分で消してくれるんなら、踏ん切りがつくからよお、いろいろと!!」
「あらあ、だったら、あなたの魔法でどうにかすればいいじゃなーい。ねえ、『金色の大賢者』様?」
「う……だ、だからよ、わ、私はそういう、チマチマした魔法は苦手なんだよ……」
 たじたじとなりながら、口をとがらせてしょんぼりと言う賢者ランシエール。
「だったら目をつぶって、耳をふさいでればいいじゃない」
「簡単に言うけどな!? 目の前でこんなトンデモ展開が繰り広げられてるのにそれ無視できるって、それほとんど、石像か銅像だぞ!?」
「ちょっと! 黙ってよ! 今いいところなんだから!!」
「おい、なんか言ってやれ、チビインプ!!」
「エーメ君、こりゃ、終わった後にはお二人とも、お風呂をお使いになりたいだろうねえ。お風呂、新しく沸かしなおしておこうか?」
「あ、そうですねー。でもライさん、魔王様きっと、事がすんだら、そのまま寝込んじゃうと思いますけど?」
「うーん、でもさー、あの勇者さんが、魔王様をお風呂に入れるくらい、やってくれるだろ、きっと」
「あ、それじゃ、ぼく達も手伝いましょうかね?」
「いやー、やめといたほうがいいよ。あの手のタイプは、独占欲が強いだろうからねー。下手に手なんか出したら、俺らが魔王様横取りしようとしてる、とかって誤解しちゃうかもよ?」
「あー、それじゃあ、お風呂だけ用意しておきましょうかね?」
「そうだね。それがいいと思うよ」
「……な、なんてこった……」
 賢者ランシエールは、がっくりと床にくずおれ、頭を抱えてうめいた。
「こ、この城の中で正気と良識を保っているのは、私ただ一人だ――!!」
「ああ、それはどうでもいいんだけどね、ランシー」
 魔女パンドリアーナは、賢者ランシエールの悲嘆をあっさりと一蹴した。
「あたし達、これから忙しくなるわよお。なんてったって、最低でも、あのかわいい魔王様が、無事アヴェの子供を出産してくれるまで、あの二人を守らなきゃいけないんだからね」
「知らねーよんなこと! やりたきゃてめえが勝手にやれよ! 私にゃそこまでしてやる義理なんざあ、まったくかけらも、これっぽっちもありゃしねーよ!!」
「…………あら、そう」
 魔女パンドリアーナの瞳が、あやしく輝いた。
「あなたがそういうことを言うなら……ねえ、ランシー、あなたがそのつもりなら、あなたはこれから、あたしとアヴェとサラと、ついでに言うと魔族のみんなと人間のみんな、その全部から、『敵』とみなされて、抹殺対象になるんだけどお?」
「グゲッ!? なっ、ななな、なんでそんなことになるんだよ!?」
「いちいち説明するのはめんどくさいから、一つだけ教えてあげるわねえ」
 魔女パンドリアーナは、大きく肩をすくめた。
「ねえ、ランシー、あなた、他の人達とか魔族さん達とかはともかくとして」
「と、ともかくとして?」
「ねえ、あなた」
 パンドリアーナの真っ赤な舌が、ベロリと、濃い桃色の唇をなめまわした。
「あたしが、っていうか、それよりもまず真っ先に、あのアヴェが、近い将来、自分の『敵』になるだろう相手を、生かしたまんまほうっておくとでも思うわけえ?」
「ゲゲゲゲゲッ!? お、おいサラ!?」
「私はもちろん、パンドリアーナ様の御決定に従います(キリッ!)」
「だああああああッ!? な、なんでこういう時だけ正気に戻るんだよおめーは!?」
「――ってことよ」
 パンドリアーナは、ニンマリと笑った。
「ランシー、あなた、あたし達の側についてた方が得よお? だってなにしろ――」
 パンドリアーナの目が、黒々としたなにものかを宿した。
「あなただって知ってるでしょう、ランシー? 『狂気の復讐者』とまで言われてる、あのアヴェリオンが、一度、『敵』と認識した相手に対して、いったいどんなことをやってのけるかを――」
「う…………」
 と、見る間に青ざめていくランシエール。
 そんな、魔女と賢者のわきで、インプと淫魔が、
「ねえ、エーメ君、だ、大丈夫かねえ、そんなおっかない人が、あんなにおとなしくって、その、ちょっと言いかたは悪いけど、あんなにおひとよしな魔王様のお相手で……」
「ライさん、ここは逆転の発想です。あれだけおとなしくて、あれだけおひとよしな魔王様だったら、たとえどんなに凶悪で凶暴な人だって、『敵』と認識するはずがありません!」
「おお! それはそうかもしれない! っていうか、あのおかたを『敵』と認識するって、どんだけだよ、どんだけ!!」
「そうですよ! 魔王様はきっと、人間に生まれていたら、聖者とか聖人とか、その類の人になってましたよ、きっと!」
 ――と、ある意味のどかな、しかし、またある意味では真剣極まりない会話を、ヒソヒソと交わしていたりした――。

勇者と魔王は恋物語を綴り続ける

「…………あ」
 アヴェリオンは、茫然と、自分の下に横たわる、痩せた小さな体を見つめた。
「あ、あの……あの……ええと……」
「…………」
 深紅の三つの瞳が、ゆっくりと開く。
「……どうしたんですか、そんな顔をして?」
 レナントゥーリオは、にこりと穏やかに笑った。
「あの……ええと、あの……」
 アヴェリオンは、がっくりと肩を落とした。
「あの……私、あの……」
「どうしました? なんだか元気がないですねえ? ……あの」
 三つの瞳が、おどおどとしばたたかれる。
「あの、ええと……な、なんと言いますかその……が、がっかりしちゃいました、やっぱり……?」
「冗談じゃない!!」
 アヴェリオンは、ものすごい勢いでかぶりをふった。
「そんなわけないでしょう!! その……あの……なんというか……その……むしろ逆で……」
「え?」
 レナントゥーリオは、きょとんと小首を傾げた。
「逆――ですか?」
「はい、あの――で、できるだけ、その――や、優しくして差し上げたいと思っていたんですけど――」
 アヴェリオンは、しょんぼりと言った。
「その……全然上手にできなかったみたいで……」
「そんなことないですよ」
 細い腕が、そっと、アヴェリオンの首の後ろに回された。
「あなたはとても優しかった。あんなに優しくしてもらえて、私は本当に、うれしかったですよ」
「…………」
 琥珀色の瞳が、不安げに揺らめきながら、深紅の三つの瞳を見つめた。
「……すみません。がっつきすぎました」
「……あなたは、ほんとに」
「え?」
「あなたはほんとに、優しい人なんですねえ、アヴェさん」
「……別に……別に私は、優しくなんかないです……」
 アヴェリオンは、どこか苦しげな声でそうつぶやいた。
「…………」
 魔王の青白い細い指が、勇者の琥珀色の髪にそっと差し入れられ、そのままゆっくりと、そのやわらかな巻き毛をもてあそびはじめた。
「……あなたは優しい人ですよ」
 レナントゥーリオは、やわらかな声でゆっくりと言った。
「自分が優しくない、と悩むなんてこと、本当に優しくない人だったら、きっとするはずありませんから」
「…………もっと優しくするつもりだったんです…………」
「それじゃ、この次、そうしてください、ね?」
「この次――」
 アヴェリオンの瞳が、ランランと燃え上がった。
「この次、が、あるんですか――!?」
「え? だって、あなた、私のことを孕ませてくださるんでしょう?」
 レナントゥーリオは、クスクスと笑った。
「いくら私だって、その――そ、そこでいくらそういうことをしてもその、さ、さすがに孕んだりしませんから。あの――こ、ここ――」
 レナントゥーリオは、もじもじと足を開き、クタリとしぼんだ陰茎の下の、陰嚢、の、その中身がなくなって、外側を覆う部分も、半ばほど体の中に引き込まれたかのような、ふっくらとしたひだを指し示して見せた。
「ここ、あの――さ、さっきみたいに、その――い、いっぱい可愛がってもらうとですね、その――い、今はまだふさがってますけど、そのうちあの――か、体の内側にその、そういう器官ができましたらその――そ、そことつながって、あの――み、道が開きますので――」
「待ち遠しいです、本当に」
 アヴェリオンは、優しい声でそう言った。アヴェリオンの陰茎は、その優しい声とは無関係に、凶暴に凶悪に、完全に立ち上がり、この上ない臨戦態勢となっていたのだが、どうやらそれは、強靭な意志の力で無視することにしたらしい。
「いつ、あなたの準備が整うんですか?」
「そ、それはわからないんですけど、あの――そ、その時がきたらあの、こ、ここ、あの――し、自然にその――ぬ、濡れるようになりますので、そ、そうなったら、もう――」
「なるほど」
「……あの」
 レナントゥーリオは、アヴェリオンの完全に勃起した陰茎を見て、クスリと笑った。
「その――わ、若いかたは、やっぱりお元気なんですねえ」
「あ、御心配なく。さすがにこれ以上、あなたを抱くのはあなたの負担が大きすぎるのはわかりますから。自分で処理します、はい」
 と、真剣な顔で宣言するアヴェリオン。
「…………あの」
「はい」
「あの」
「大丈夫です。自分で処理します」
「いえあの……ええと……」
 レナントゥーリオは、顔を真っ赤にしながら、もじもじと言った。
「あの……や、やったことなんてないんで、ぜ、絶対下手ですけど、その……ち、知識くらいはありますので……いや、あの、長いこと生きてますとね、その……な、なんとなくね、そういうこともね……」
「え? ……ええと?」
「……あの」
 レナントゥーリオは、意を決したように言った。
「び、びっくりしちゃうかもしれませんけど、あの……わ、私あの、ぜ、絶対に、アヴェさんに、ひどいことなんかしませんからね? あの、や、優しくしますからね? 絶対絶対、噛んだりなんか、しませんからね?」
「え!? ま、まさか――!?」
「い――いやだったら、言ってくださいね。そしたらすぐにやめますから、ね?」
 そう言うなり、レナントゥーリオは、大きく立ち上がったアヴェリオンの陰茎を、思い切りよく口に含み、そのままのどの奥まで咥えこんだ。
「う、うわッ!?」
「……えふ……ケホ……」
 当然といえば当然のことながら、生理的な嘔吐反射に見舞われ、その三つの深紅の瞳に、ジワリと涙を浮かべながら、それでも懸命に、アヴェリオンのそそり立つ陰茎に、不器用に口淫をほどこしていくレナントゥーリオ。
「あ――あなた!!」
 その瞳に、涙を浮かべているのは、レナントゥーリオのほうだった。
 ――だが。
 泣き出しそうな顔をしているのは、アヴェリオンのほうだった。
「な、なんで――なんで、そこまで!?」
「……そんなの、きまってるじゃないですか」
 三つの瞳が赤く輝き、その端から唾液を垂れ流している唇が、ゆるやかに笑みを形づくった。
「それはね、あなたが私のもので、そして、私があなたのもの、だからですよ――」
「――」
 ゴクリ、と、唾液がのどをくだる音が響いた。
「ええ、ですからね――」
 瞳を赤く輝かせたまま、レナントゥーリオはうっとりと言った。
「今日は、上のお口であなたの種をいただきますけど、いつか、きっと、あなたには、私の体の奥に、あなたの種を注いでもらって、そして――そして――」
「…………」
「……子供が産まれたらね、きっと、すごくかわいいと思うんですよ。私――あなたと出会うことができてよかったですよ。あなたと出会わなければ、私はきっと、何もなすことなく、ただ時を重ね続け、そして、そのまま消え去っていったでしょうからね――」
「――ええ」
 琥珀の瞳もまた、血の色にとてもよく似た輝きを浮かべた。
「いいですよ、わかりました。お望みどおり、あなたのすべてを、きちんと犯しつくしてあげますからね……」
「……それは、楽しみです」
 小さな舌なめずりとともに。
 レナントゥーリオは、再びアヴェリオンの陰茎を咥えこんだ。
「…………あ…………」
「……うわ」
 レナントゥーリオは、驚いたように言った。
「なんか、あの……味が、変わったんですけど?」
「あ、あの、すみません、もうその……もう、出そうで……」
「……ああ」
 レナントゥーリオは、コクコクとうなずいた。
「じゃあ、出しちゃってください。――はむ」
「ってあなた、なにまた咥えてるんですか!?」
「え?」
「あ、あの……こ、このままだとあの……く、口の中にあの……」
「ああ、いいですよ、別に。だってその、別に毒じゃないでしょ?」
「あ、ちょっとそんな、さ、先っぽでしゃべらないで――あ!?」
「……やっぱり、若い人って元気ですねえ」
 レナントゥーリオは、小さく笑いながら、自分の顔一面に飛びかかった、白濁したものをぬぐった。
「ああ――ああもうまったく、あなたは、まったく!!」
「え? あ、あの、わ、私何か、あなたの機嫌を損ねるようなことを――うわッ!?」
「……ひどいことは、しません」
 アヴェリオンは、小さな声で言った。
「ただ――ただ――」
「ただ――なんですか?」
「…………わかりません」
 アヴェリオンは、泣き出しそうな声で言った。
「何をどうすればいいのか……わからないんです、全然……」
「……私にも、わかりません」
 レナントゥーリオは、静かな笑みとともに言った。
「とりあえず――お風呂にでも行きましょうか?」
「お、お風呂!?」
 そう叫んだアヴェリオンの鼻から、一筋の鼻血が静かに流れだした。



「……とうとう、魔王様がお相手を見つけられたか」
 大空を悠々と舞う、紫に真珠光沢がかかったうろこを美々しく輝かせた竜が、低く朗々とした、若い女の声でそう言った。
「ナルガしゃん、どないするんやあ?」
 竜の背にちょこなんと乗った、少年とも少女ともつかぬ、強いて言うなら、『小動物』の、可愛らしさと愚かしさと愛くるしさとどうしようもなさと、庇護欲をそそるそのたたずまいと、どうにもこうにも、こいつは生存本能というものに欠けるところがあるのではないか? と首をひねりたくなるようなところと、とにかくそんな要素を丸ごとまとめて抽出して、じっくりことこと七日七晩ほど煮詰めて、そのあと裏ごししたかのようなちびっ子が、いとものんきな声でそうたずねた。
 やわらかそうな、ポヤポヤとした茶色の、肩ほどまである髪の毛を風になびかせ、どこからどう見ても、『ちびっ子』としか言いようのない、プニプニプクプクとした体で、いとも気軽く巨大な竜に声をかけるその姿は、ほほえましいとも場違いの極みとも言い難く、そして、ただ今現在、魔王城に足止め中(勇者に限っていえば、わが世の春を絶賛謳歌中)の、勇者達パーティーの者達がそのちびっ子を見れば、漂白されたかのような、青白いほどに白いその肌と、額にパチリと開いた第三の目、ちんまりとした三本角、そして、その瞳の美しい深紅で、このちびっ子が、『魔王』と同じ血をひく一族のものだということが、一目でわかったかもしれない。
「魔王しゃん、死なんですんだみたいやねえ。そんでもって、勇者が魔王しゃんに一目惚れして、魔王しゃんの奴隷になりよったんやろ? なあ、ナルガしゃん、ぼくらこれから、どないするんなあ? このまんま、どっかに避難するんかあ? それとも、もう安全になりよったから、魔王城に引き返すんかあ?」
「そうだね――どちらにしろ、もうしばらくは、魔王城に帰らないほうがいいと思うよ」
 巨大な紫色の竜は、愛しさがそこから滴り落ちてくるような、甘い甘い声で、背中のちびっ子に語りかけた。
「なあんでやあ? だってぼく、次期魔王候補なんやで。だったら、ぼくかて、危険がなくなったんなら、魔王城にいたほうがええんとちがうんか? おぅん?」
「でも、もうしばらくは帰らないほうがいいよ」
 巨大な紫色の竜は、色鮮やかな火炎とともに、大きくため息をついた。
「なあんでやあ?」
「なんでって、そりゃ……」
 巨大な紫色の竜は、しばし言葉に詰まった。
「なんでって、そりゃ……魔王様が、運命のお相手を見つけられたからには……」
「そしたら、どないなるんなあ?」
「うん……そうしたらね……」
 巨大な紫色の竜は、困りきった声で、それでも誠実に、背中のちびっ子の問いに答えた。
「そうしたら、その……魔王城には今頃きっと、第三者が非常に目のやり場に困るような光景が、繰り広げられているだろうからね……」



「……おい、アヴェ公」
「なんですか、ランシーさん?」
「てめえ――そのひよひよ淫乱魔王をひざからおろしやがれええええええッ!!」
「はっはっは。嫉妬ですか? 見苦しいですよ、ランシーさん」
 と、余裕たっぷりの顔で賢者ランシエールに微笑みかける、勇者アヴェリオン。その膝の上で横抱きにされて、顔を真っ赤にしながら、気の毒そうな顔で賢者ランシエールを見つめる、貧相でしょぼくれた、だがどういうわけか、妙につやつやと血色のいい、おとなしそうなおっさん――いやいや、魔王レナントゥーリオ。
「誰が!? 何に!? おいアヴェ公、私がいったい、誰に何の嫉妬をするっていうんだ!?」
「それはもちろん、こんなにも可愛い人とめでたく結ばれた、私に対する嫉妬に決まっているじゃないですか」
 と、真夏の太陽もかくやと言いたくなるほどにはればれとしたまぶしい笑みを浮かべるアヴェリオン。
「てめえの脳味噌には、赤い虫が万単位でわいてやがるのかああああああああッ!?」
 と、テーブルをたたきながら絶叫するランシエール。その拍子にテーブルから転げ落ちそうになる果物を、朝食の給仕を務めていた、インプのライサンダーが、器用にヒョイと拾いあげる。
「うるさいわよ、ランシー」
 そう言いながら眉をひそめる、魔女パンドリアーナ。
「朝ごはんくらい、落ちついてゆっくりとらせてちょうだい」
「なんでこの状況でそんなに落ち着いていられるわけ、おまえは!?」
「落ちついてなんかないわよ! 胸熱よ! 超胸熱よ! ktkr、wktk、hshs、prprよ! でも、よけいなことしてアヴェと魔王様の邪魔をしちゃ悪いから、必死で自重してるのよ!!」
「それが、『自重』なら、この世に自制心を失った人間なんぞ存在しねえええええッ!!」
「ライさん、ランシーさんは、何をあんなに騒いでらっしゃるんでしょうねえ?」
 と、あっけらかんと問いかける、淫魔エルメラート。
「うーん……まあ、ほら、人間には、ああいう……魔王様と勇者様みたいな関係に、抵抗を持つかたがたも多いみたいだからねえ」
 と、苦笑する、インプのライサンダー。
「っていうか、おまえらに抵抗はねえのかよ!?」
 と、矛先をエルメラートとライサンダーに向けるランシエール。
「えー? 抵抗って?」
「男どうしでイチャコライチャコラ! 抵抗はねえのか!?」
「えー? でも、魔王様はもう、勇者様の子供を産める体なんでしょ?」
「あ、エ、エーメさん、それはね、実はまだでね、まだ体が変化しきっていませんのでね……」
「あ、そうなんですか。でも、どうせ遅かれ早かれでしょ?」
「そこからしてすでにおかしいだろ!? なんで、『ピーーーッ!』がついてるやつがガキ産むんだよ!?」
「え? だって、そんなこといったら、ぼくだって両性具有ですよ?」
「へ!? ……マジで?」
「ランシー、あんた、賢者なのになんでその程度のことも知らないのよ?」
 と、あきれ顔で言うパンドリアーナ。
「魔族には多いですからねー。両性具有者とか、性別転換可能なやつとか」
 そう言って、肩をすくめるライサンダー。
「……うう……頭いてえ……」
 そう言って、頭を抱えるランシエール。
「頭が痛いんですか? 人間さんのお薬とか、ありましたかねえ……?」
 と、真顔で心配する、魔王レナントゥーリオ。
「てめえだよてめえ! 私の頭痛の原因は、ほかならぬてめえだよ!!」
 と、恨めしげに叫ぶランシエール。
「はあ、それは……どうも申し訳ありません」
 と、本当にすまなさそうにランシエールに頭を下げるレナントゥーリオ。
「気にすることはありませんよ、愛しい人。それより、ほら、このパン美味しいですよ。一口どうぞ」
「あ、どうも」
 にこにこと笑いながら、アヴェリオンが、その形のいい指につまんで自分の口元まで運んでくる一口大のパンを、はむっとくわえてモグモグ食べるレナントゥーリオ。
「にーい、にーい」
「あ、フラニーちゃん、おなかすいちゃったの? すみません、ライさん、フラニーちゃんにも何か――」
「はい、かしこまりました」
「魔王がそこらへんに一山なんぼでうろついてる、駄猫飼うんじゃねえええええッ!」
「駄猫じゃありませんよッ! フラニーちゃんは、ほんとに賢くて、ほんとに可愛い、素敵な素敵なニャンコちゃんですッ!」
「魔王が、っつーか、おっさんが、『ニャンコ』なんて言うんじゃねえええええッ! 気色悪いんじゃああああああッ!!」
「は、はあ……そ、それはどうも、も、申し訳ありません……」
 と、しょんぼりするレナントゥーリオ。
「……ランシーさん」
 にこやかな、だが、「こんな笑顔見せられるぐらいなら、いっそ、激怒してくれたほうがましだ!!」と、叫びたくなるような笑顔とともに、アヴェリオンはランシエールをにらみつけた。
「その、ろくでもないことしか言わない舌を根元から引き抜かれるのと、その、愚かしいことしか口にしない唇を、丁寧に縫いあわされるのと、いったいどっちがいいですか? ああ、それとも、いっそのこと、両方やって差し上げましょうか?」
「ど、どっちもごめんにきまってるだろ!?」
「だったら黙ってなさい」
「…………ゲンロンダンアツハンタイ…………」
「おや? 黙っているように言ったのが、どうやら聞こえなかったようですね?」
「キコエマシタ。ダマッテマス。ボウリョクハンタイ……」
 青い顔で口をつぐむランシエール。彼女がついている、その同じテーブルでは、勇者が魔王を膝に乗せ、手ずから朝食を食べさせてやったり、機嫌よく微笑む魔女に、手ずから果物の皮をむいてやる、若き女剣士がいたりするのだが、とりあえず今現在、賢者ランシエールの周りには、さまざまな要因からくる、暗雲がどんよりと立ち込めているのであった……。



「……敵が来ねえな」
「いいじゃない、平和で」
 いぶかしげな賢者ランシエールの声を聞きながら、魔女パンドリアーナが優雅に紅茶を口に運ぶ。
「あら、美味しい。ジャム入りの紅茶もなかなかいいわねえ」
「今日の紅茶には、バラの花びらのジャムを入れてみました」
 と、にこやかに言う、すっかり給仕役が板についた、インプのライサンダー。――というか、彼はもともと、魔王のそば近くに侍り、様々な雑用をこなすのが本業である。
「あら、いいわねえ。あなたのセンス、あたしは好きよ」
 と、にっこり笑うパンドリアーナ。
「魔族がそんな小洒落たことすんじゃねーよ!!」
 と、不機嫌にツッコむランシエール。
「あら、なんでそんな失礼なこと言うのよランシー。魔族だろうがなんだろうが、こんなに美味しい紅茶を入れる腕は、正当に評価すべきよ」
 と、言いながら、パンドリアーナがヒョイと、チーズで風味をつけたクッキーをつまむ。
「っかしいなあ、あんだけ大々的に、全世界に向けて宣戦布告したんだから、そろそろ討伐隊の一つや二つ、来たっておかしくねえんだけどな……?」
 と、首をひねる賢者ランシエール。
「そうねえ、いったいどうしたのかしらね? あれかしらね、やっぱりあたしが、あの可愛い魔王様と、うちの勇者との濃厚な濡れ場や微笑ましいイチャラブの映像を、げっぷが出るほど各国の有力者や首脳陣に送りつけてやったのがきいてるのかしらね?」
「…………」
 ランシエールは、あごが外れたのかと思うほどポカンと口をあけ、まじまじとパンドリアーナを見つめた。
「あら? どうしたのランシー、そんな間抜けな顔しちゃって?」
「…………てめえは、各国の有力者や首脳陣に、一族郎党皆殺しにされたレベルの恨みでもありやがんのかああああああああッッッ!?!?」
「え? やあね、そんな恨みなんかあるわけないじゃない。もしも恨みがあったりなんかしたら、あたし、あんなお宝映像を、連中に送りつけたりなんかしないわよ!(キリッ!)」
「うわああああ! 各国の有力者や首脳陣超かわいそう!!」
「あら、でも、あたしの送った画像で、何かに目覚めたり、新しい自分を発見したりする人達もいるかもよ~☆」
「いやだあああああッ! か、帰ってみたら、人間の世界がみんな、おまえみてえなド変態に支配されることになっていただなんて、それ、悪夢以外のなにものでもねえじゃねえかよおおおおッ!!」
「あら、何それ素敵❤ ……それにしても、ほんとに誰も来ないわねえ。みんないったいどうしちゃったのかしら?」
「おまえおまえ! そりゃ、間違いなくおまえのせいだよパンディ!!」
「あら、あたしなんにもやってないわよ?」
「おめえが世界中にばらまいた、超ド級の具現化した悪夢映像のせいだよ!! あ、あのなあパンディ、『狂気の復讐者』っていう二つ名をつけられるほど、敵には情け容赦のないあのアヴェちゃんが、あ、あの、どっからどう見ても、そういう意味での魅力なんざあ、まったくかけらも、これっぽっちもねえあのひよひよ魔王と、その、なんつーかこう、の、濃厚に絡みあってたり、イチャイチャニャンニャンしてる映像を、四六時中送りつけられてみろよ!?」
「なるほど! みんな、崇高なる『貴腐人道』に目覚めてくれたのね!!」
「ちぃーっげーよ!! あ、あのなあ、そ、そんな画像を嫌がらせとしか思えないくらいひたすらに垂れ流されてみろ! そ、それ見せられる連中は、いったいどう思うと思うんだよ!?」
「胸熱画像ktkr!!」
「んなわけねーだろーが!! そ、それ見せられたやつらぜってえこう思ったよ! 『ああ、味方の自分達でさえドン引きするほど、《敵》に対して情け容赦がなくて、《敵》相手にだったらどんなド外道なことをしても眉ひとつ動かすこともなければ、チリ一粒分の後悔をすることもない、あのアヴェリオンがあんな、目の前に具現化した悪夢のようなとんでもない行為にせっせといそしんでいるからには――これは、畢竟、《敵》、すなわち魔族から、強力無比にして回避不可能な、超高等な精神操作魔法でもかけられたに違いない! ……え、ってことは、うかつに攻め込んでいったりしたら、自分らもおんなじような目にあうわけ!?』ってな!!」
「おんなじ目にあえばいいのよ! カモンジョイナス!!」
「そんなおぞましい呪文を唱えるんじゃねえええええええッ!!」
「ああもう、本当にうるさいわねえ、ランシーは。あ、ライちゃん、紅茶のお代わりいただけるかしら?」
「あ、気がきかなくて申し訳ありません。どうぞどうぞ、喜んで」
「ありがと」
「…………だ、だめだ、この界隈で、正気と常識と理性とを保っている知的生命体は、私ひとりっきりしかいやしねえ…………」
「いいじゃないの、当人達が幸せなら」
「私は今現在、結構不幸なんだけどな!?」
「あら、どうして?」
「私はなあ、てめえらみてえなド変態じゃねーんだよ!!」
「ランシー、あなた」
 パンドリアーナは、わざとらしく、大仰にため息をついた。
「ほんとにあきらめが悪いわねえ」
「あったりめーだ! あきらめてたまるか!!」
「あなたも早く、貴腐人道に目覚めればいいのに」
「断固として断るッ!!」
「ただいまー。あれれ? どうしたんですかランシーさん、そんな大声をあげて?」
 あっけらかんとした声とともに、淫魔のエルメラートが汗をぬぐいながら現れた。その後ろから、剣士サラスティンが続く。
「ただ今戻りました、パンドリアーナ様」
「お帰り、サラ。エーメちゃんとの鍛錬は楽しかった?」
「ええ。私は正直、淫魔という種族は、もっと戦闘能力が低いものだと思っていたのですが――」
「あはは、ぼくはね、体をいじめるのが好きなんですよ!」
 と、やはりあっけらかんとした口調で言うエルメラート。
「やっぱりあなた、変わった淫魔なのね」
「え? そんなことはありませんよ。ぼく達淫魔はみんな、『快楽』に貪欲なんです。体をいじめる、っていうのも、快楽の一種ですよ。ぼくはただ、厳しい鍛錬で体をいじめまくるっていう快楽に貪欲なだけです。あ、サラさん、鍛錬の時、ぼくにあわせて手加減してくださって、どうもありがとうございます」
「別に私、あなたを再起不能にするつもりなんてないし。手加減くらいするわよ」
 そう、和やかに会話を交わす、エルメラートとサラスティン。
「…………あー…………」
 テーブルに突っ伏したまま、ランシエールが大きくうめく。
「いったいなんだって、こんなわけのわからん、けったいな状況になってやがるんだ……」
「……ねえ、ランシー」
 不意に。
 パンドリアーナが、ひどく真面目な声で言った。
「んだよ、パンディ?」
「あなたはそんなに、この魔族さん達と戦いたいの? あなたはそんなに血が見たいの? あなたはそんなに――そんなに戦いたいの?」
「…………」
 ランシエールは、わずかに眉間にしわを寄せて、パンドリアーナを見つめた。
「……別に、そういうわけじゃねえけどよ」
 ランシエールは、ポツリとそう言った。
「おい、そこのチビインプ、のど乾いた。茶でもくれよ」
「はい、かしこまりました」
 ランシエールの言葉に、気を悪くした様子も見せず、ライサンダーは、静かにランシエールに茶を入れはじめた。



「……誰からも、好かれたことなんてないんです」
 魔王の細い腕の中で、勇者はポツリとそうつぶやいた。
「そんなことはないですよ」
 魔王は穏やかに微笑んだ。
「だって、私はあなたが大好きですから。『誰からも』好かれていないだなんて、そんなはずはありませんよ」
「……私が強くなかったら、あなただって、私のことを好きになんてならなかったでしょう?」
 弱々しい声で、勇者はそう言った。
「だって、あなたはそういう種族なんでしょう? あなたが自分で言ったでしょう? 自分達の一族は、絶対的な強者としか恋におちない。絶対的な強者と恋におちて、その強者を恋と愛欲という鎖で縛りあげ、意のままにあやつるのが、あなたがたの一族の能力だ――と」
「……それは、そうなのかもしれませんね」
 魔王は静かにそう答えた。
「でも、ねえ、アヴェさん、『恋におちる』のは、私の一族だって――私だって、そうなんですよ。私はあなたに、恋をしています。愛してます。惚れちゃってます。そのことを疑われると、私はとても、悲しいです」
「……まあ、あなたとしては、そう言うしかないですよね」
 憎まれ口のような、勇者のその言葉に、
「ええ、そう言うしかありませんよ」
 魔王は穏やかな答えを返す。
「だって、それは、みんなほんとのことですから」
「…………私が強さを失ったら、あなたは私を捨てるでしょう?」
 勇者は、まるで駄々をこねるようにそう言った。
「捨てませんよ」
 魔王は即答した。
「そんなことを言って。あとで後悔しますよ」
「しませんよ」
「しますよ」
「しません」
「『弱い』私といっしょにいて、あなたにいったい、何の得があると言うんですか?」
「ただ、一緒にいたいだけです」
 魔王はそう言って、勇者の琥珀色の瞳をのぞきこんだ。
「それでは、いけませんか?」
「…………」
 勇者は、ただ黙って、ゆっくりと目をしばたたいた。
「あなたはかわいい人ですね」
 そう言って、魔王は優しく、勇者の琥珀色の髪をなでた。
「…………あなたは」
 勇者は、泣き出しそうな声で言った。
「あなたは私が――怖く、ないんですか?」
「……アヴェさん、アヴェさん、勇者さん」
 魔王はクスリと、小さく笑った。
「かよわくはかなく、愚かしくも愛らしい、『人間』であるあなたが、『魔王』である私とこうして同衾していて、それであなたは、怖く、ないんですか? 私のことが、憎く、ないんですか?」
「……どうしてあなたのことを、怖がったり憎んだりしなくてはならないんでしょう?」
 勇者は、ひどく驚いたようにそう言った。
「ああ――なんだか私は、何もかも、よくわからなくなってしまった」
「あなたはまだ、とてもとても若いのですから」
 魔王は愛しげに、そしてまた、どこか痛ましげに、勇者を見つめ、胸の痛くなるような笑みを浮かべた。
「わからないことだらけでいいんですよ。それが当然なんです」
「…………ああ」
 勇者は大きく苦笑した。
「どうやら私は、すっかりあなたにたぶらかされてしまったようです」
「ええ、私はなにしろ、『魔王』なんですから、それっくらいの悪さはします」
 魔王は、すました顔でそう言った。
「なるほど。ほんとに悪い魔王さんだ」
 勇者は、クスクスと笑った。
「しかしあなた、こんないやらしい体で、よくまあ私と出会うまで一人身を保っていられましたね」
「は!? わ、私、そんなこと言われるの、ほんとにこれが生まれて初めてなんですが――あの、参考までにうかがいますと、い、いったいどこが?」
「何を言っているんですかあなたのように存在しているだけで性的な人がそんなことを言うなんてああそうだあなたは人ではありませんでしたねでもそれにしてもこんなにいやらしい体をしてこのちょっと強くつかんだだけで折れてしまいそうに細い手首だとかサラサラして下品な脂っけなんてどこを探してもないこの綺麗な白髪交じりの髪だとかそのちょっと高めの優しい甘い声だとか可愛らしい小さな足だとかいつもちょっと冷たいそのつま先だとかああそれになんといってもその皮膚の上からもはっきりとわかる浮き出たあばら骨! 指先でなぞっていくだけで絶頂を迎えそうになります!!」
 ……と、例によって例のごとく、人類史上に残りかねない、たぐいまれなる残念っぷりを惜しみなく大公開する勇者アヴェリオン。
「はあ……そ、そうですか、はあ……」
 と、なんとも言いようのない顔で、目を白黒させる魔王レナントゥーリオ。
「……あなたにとって私は、あまり魅力的ではないんですか?」
 アヴェリオンは、少しすねたようにそう言った。
「え? そんなことないですよ。どうしてそんなふうに思うんですか?」
「だって、その――」
 アヴェリオンは、ちょっと気まり悪げにもじもじした。
「あなたは私に対してその――さっき私が言ったみたいなことを、あんまり言ってくれないから――」
「――ああ」
 レナントゥーリオは、申し訳なさそうに、はにかんだように微笑んだ。
「ごめんなさいね。あんまりあなたが綺麗だから、ああ、綺麗だなあ、と思って見つめていると、飛ぶ様に時が過ぎ去ってしまうんですよ。綺麗だなあ、素敵だなあ、こんな素晴らしい人がいつも隣にいてくれるなんて、私は本当に幸せだなあ、と思っているだけで、あっという間に一日が終わってしまうんです。でも、そうですよね、あなたには、他者の心を読む読心能力なんてないんですから、いくら心の中で熱に浮かされたようにそう思っていたところで、口に出さなければ、あなたには伝わりませんよね。そのせいで、つらい思いをさせてしまっていたのなら、本当にごめんなさい。これからは、もっときちんと、自分の気持ちを口に出すようにしますね」
「…………今ので大分満足しました」
 アヴェリオンは、照れたようにそう言った。
「ああ――まったくおかしなものですね。常日頃から、言葉のはかなさと移ろいやすさと、その欺瞞のすさまじさと胸やけしそうなおためごかしと、そして、互いの意思を疎通させるには、あまりにも不完全すぎるそのありかたに、うんざりしきっていた私なのに、あなたの言葉は――とても、こころよい――」
「あなたはとても優しくて、そして、とても真摯な人なんですよ」
 魔王は、やわらかな声でそう言った。
「……ねえ、アヴェさん」
「なんですか、レナンさん?」
「……あのですね」
「はい、なんでしょう?」
「えーと、あの、その……あの、ですねえ」
「はい、どうかしましたか?」
「あのあの、えとえと、あの、ですねえ」
 魔王は、真っ赤な顔で照れまくりながら。
「あのですね――た、たぶん、ですね、あ、明日、明日の晩くらいにですね、あのその、あのえと、あの、ですからその――わ、私の体がですね、その、なんと申しましょうか、その、あなたの――アヴェリオンさんの子供を宿すことができる体に、変化し終わるような感じなんですけど、あの、その、あの、えと――」
「…………」
「あ、あの――ア、アヴェさん? ど、どうかしたんですか? だ、大丈夫ですか? あの――あのッ!?」
 ……さて。
 魔王レナントゥーリオが、喜びのあまり、ほとんど錯乱状態となったアヴェリオンから、力一杯抱きしめられ、呼吸困難に陥って軽く失神するまで、おおよそ、後3分というところ――。



「端的に私の要求を申し伝えておきますと、明日の晩、私の邪魔をしたら生まれてきたことを少なくとも100回ほど後悔させた後に惨殺します」
「誰かー! 超犯罪者予備軍がここにー!!」
「御心配なく。1人殺せば殺人者ですが、10万人殺せば英雄です」
「どっかで聞いたようなセリフ言いやがったこいつ!?」
「まあとにかく、明日の晩は、私達の邪魔をしないでください」
「あのさ……ま、なんつーか、参考までに一応聞いとくんだけど、なんで明日の晩邪魔するなってことをそんなに強調しまくるわけ?」
「明日の晩、私達は、いよいよ子づくりを開始するからです!!」
「聞かなきゃよかったー!!」



「パンディさん」
「なあに、アヴェちゃん?」
「私に、『似ている』子供が絶対に生まれてこないようにする魔術って、何かありませんかねえ?」
「あら」
 魔女パンドリアーナは、さすがに驚いた顔で、勇者アヴェリオンを見つめた。
「その逆の魔術を欲しがる人だったら、まあ、いなくもないけど。あなたみたいなことを言う人って、初めて見たわ、私」
「そう――ですか。みなさんなかなか、自分のことがお好きなようで」
「アヴェは、自分のことが好きじゃないのね」
「……私なんかに似るよりも、レナンさんに似たほうが、絶対に、子供は幸せですよ」
 アヴェリオンは、パンドリアーナの問いをはぐらかすかのように、そうつぶやいた。
「あら、そんなに心配することないのに。たとえアヴェが、自分に似た子供のことをあんまり可愛がれなくたって、あの魔王様だったらきっと、アヴェに似た子供を目一杯可愛がってくれるでしょうから」
「……それはそれで、子供に嫉妬してしまうような気がするんですよね」
「あら、ずいぶんかわいいことを言うのね、アヴェ」
 パンドリアーナは、クスクスと笑った。
「なあにい、魔王様、もう子供がつくれる体になったのお?」
「……明日の晩あたり、そうなるだろうと……」
「あらあ、よかったわねえ、アヴェ。あーあ、あたしも、サラとの間に子供でもつくってみようかしら?」
「私が言うのもあれでなにですが、あなたいったい何段階、いや、何十段階すっとばすつもりですか!?」
「やーね、冗談よ、冗談」
 パンドリアーナは、ケラケラと笑った。
「それにしてもアヴェったら、『何を馬鹿なことを言っているんですか。そもそも女どうしで子供ができるわけがないでしょう?』、とは言わないのね」
「まあ、あなただったらそのくらいのことはやりかねないと、常々思っておりますので」
「あらあ、光栄だわ」
 パンドリアーナはニヤニヤと笑った。
「それにしてもアヴェは、本当にあの魔王様のことが好きなのねえ」
「ええ。まったくもって、恐ろしい力です」
「……ほんとにねえ」
 パンドリアーナは、じっとアヴェリオンを見つめた。
「……ねえ、アヴェ」
「なんでしょうか?」
「あのね――あなたがあの魔王様に出会ってからね――あたし達、気がついたのよねえ。ううん、気がついた、っていうか、とっくの昔に気がついていたことを、改めて思い知らされた、っていうか――」
「……なんの話でしょうか?」
「……あなたが、あの魔王様と出会うまでね」
 パンドリアーナは、小さくため息をついた。
「あたし――ううん、あたし達、あなたが笑うところを、一度も見たことがないのよねえ」
「……でしょうね。私は女が嫌いですから」
「女が嫌いなんじゃないでしょ」
 パンドリアーナは、あっさりと言った。
「アヴェ、あんた、人間が嫌いなんでしょ」
「……そんな私が、人間のために戦うはずなんてないでしょう?」
「あら、あなた、一度だって、『人間のため』に戦ってたことなんてないじゃない」
 パンドリアーナは、またしてもあっさりとそう言った。
「あたしはあなたじゃないから、あなたがなんのために戦ってたか、なんてことは知らないわよお。だけど、あたしが『人間のため』に戦ってたんじゃないのとおんなじくらい、あんただって、『人間のため』になんか、戦ってなかったじゃない」
「……それで、何か問題でも?」
「それで、問題がなかったことが問題なのかもね」
 パンドリアーナは、大きく肩をすくめた。
「まあいいわ。あなたと魔王様の子づくりなんて、そんな胸熱イベント、言われなくたって全身全霊をあげて応援するに決まってるじゃない! この、『宵闇の魔女』パンドリアーナ様にお任せよッ☆」
「いえ、お願いですから、よけいなことは何一つしないでください。できれば息も身動きもせずに、石化魔法でもかけられて、石像になっていて下さると理想的なんですが」
「あらやだ、ツンデレ発動? アヴェったら、カワイイ❤」
「デレ成分は一切含まれておりません。心の底から、あなたが石像になってくれたらどんなに楽かと思っております」
「あらあ、そんなこと言ってもいいわけえ? 来るべき討伐軍との戦いの際に、貴重な戦力になるであろう、このあたしに?」
「……それがあるから、私とレオンさんとの甘いひと時を、無礼極まりないことに、盗み見ているあなたを、刻み殺しも八つ裂きにしたりもせずに、こうして生かしておいてあげてるんじゃないですか」
「あらやだ。おお、怖い怖い☆」



「……あ、あの、エーメさん、ちょっとおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「はーい、なんでしょうか魔王様?」
「あの……その……え、ええと……なんと申しましょうか……その……あの、ですね、その……と、殿方を喜ばせるようなことを、も、もしもご存じだったら教えていただきたいのですが……」
「え? ……ああ! 要するに、いやらしいテクニックを教えてほしいんですね、魔王様は!」
「は、はあ、あのその、あのえと、な、なんと申しましょうか、その、そ、そういうことになるんでしょうかねえ……あ、あの、わ、私あの、ほ、ほんとになんにも知らなくて、いや、あの、知識は少しだけあるんですけど、でもその、実践経験とかないから絶対に下手でしょうし……」
「なるほど! おやすい御用ですよ! それじゃさっそく、実技を通してテクニックを御教授――」
「まっ、ままま、待って待ってエーメ君! き、君、そりゃヤバい、ヤバすぎる、はなはだしくヤバいッ! く、く、口で説明するだけなら、まだかろうじて生還の可能性もあるけれど、こ、ことが実技に及んだら、君だけじゃなくって、監督不行き届きってことで、俺までまとめて刻み殺されるッ!!」
「え? あの人って、そんなにヤバい人なんですか?」
「ヤバい人なんだよ! 現状を把握してよ!!」
「はあ、そうなんですか。うーん、口だけで説明するのって難しいな……」
「俺も手伝うから! とにかく、実技だけはヤバいの! いや、他にも色々ヤバいことはあるけどね!?」
「ど、どうも、お手数をおかけしますね、お二人とも……」



 ――それが、前日のことだった。



 魔王レナントゥーリオは、ゆっくりと落ち着いた手つきで、飼い猫のフラニーの背中をなでていた。
 ちなみにフラニーは、まあなんというか、見事にどこにでもいる、実に普通の猫で、賢者ランシエールからは、端的に、『駄猫』と評されているが、面と向かってそんなことを言おうものなら、レナントゥーリオがとても悲しそうな顔をするので、今のところ、レナントゥーリオの前で、フラニーをそんなふうに呼ぶのはランシエールしかいない。
「……なあ、おっさん」
 ランシエールは、近くに勇者アヴェリオンがいないことを、実に12回も確認してからレナントゥーリオに声をかけた。
「はい、なんでしょうかランシエールさん?」
「『敵』にコマされて、そいつのガキ孕むのってどんな気持ちだ?」
「…………」
 レナントゥーリオは、小首をかしげてランシエールを見つめた。
「……んだよ。なんか文句あっかよ」
「……もう、『敵』じゃありませんから」
「ケッ。まったくろくでもねえ力だぜ」
「大丈夫ですよ」
 レナントゥーリオは、にこりと笑った。
「私達は、幸せになりますから」
「何を根拠にんなことが言えるんだよ」
「根拠は、今のところ、あんまりないです、はい」
「ケーッ! いったいなんだって、こんなにおつむのめでてえおっさんが、『魔王』なんだか!?」
「大丈夫ですよ」
 魔王レナントゥーリオは、静かに微笑んだ。
「根拠はこれからつくりますから」



「……ここがね」
 魔王レナントゥーリオは、勇者アヴェリオンに向かってそっと、自分の額の真中で赤々と輝く、人間にはない第三の瞳を指差した。
「私の体の中で、一番敏感なところだったんですよ、今まで」
「そうですか。――口づけしても、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
 アヴェリオンはそっと、ほとんど恐る恐る、レナントゥーリオの、第三の瞳を覆い隠す、まぶたの上に口づけた。
「――聞いてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「――『今まで』とおっしゃいましたよね?」
 アヴェリオンの琥珀色の瞳が、ギラリと輝いた。
「では――『今』、あなたの体の中で、一番敏感な場所ってどこですか?」
「…………」
 レナントゥーリオは、妖艶な微笑みを浮かべた。
「……すぐには、見せられません」
「ゆっくりで、かまいませんよ」
「そうですか……では」
 レナントゥーリオは、ゆっくりと、丁寧に、身にまとう銀鼠色のバスローブを脱ぎ去った。
「…………あの」
「はい?」
「灯り――おとしませんか?」
「そんなことをしたら、よく見えないでしょう? ――なにしろ私は人間ですから」
 アヴェリオンは、意地悪く、ニヤリと笑った。
「暗いところでは、あまりよく物が見えないんですよ」
「…………わかりました」
 レナントゥーリオは、ひそやかな笑みを浮かべた。
「……あの」
「なんでしょうか?」
「……最初だけ、でいいですから」
 三つの赤い瞳が、すがるように琥珀の瞳に向けられた。
「少しだけ、でいいですから、あの――や、優しくしてくださると、とてもうれしいです。あ、あの、な、慣れてきたらその――は、激しくされても大丈夫だと思いますから――」
「――ごめんなさい」
 アヴェリオンは苦しげな顔で、レナントゥーリオをそっと抱きしめた。
「今まで私ずっと、あなたの体に負担をかけてきてしまいましたね」
「ああ、ごめんなさい! そんなつもりで言ったんじゃないんです! アヴェさんはいつも、私にとっても優しくしてくださいました!!」
 レナントゥーリオは、あわてたようにそう言った。
「た、ただ、あの――こ、ここは、あ、新しくできたばっかりのところだから――じ、自分でもまだ、さわるのがちょっと怖くて――」
 その、言葉とともに。
 レナントゥーリオは、アヴェリオンの抱擁からそっと身をほどき、静かに寝台の上に腰かけ、おずおずと足を開いた。
「ど――どう、でしょうね? や、やっぱりちょっと、変、でしょうか?」
「…………」
 アヴェリオンは食い入るように、レナントゥーリオの開かれた足の間を見つめた。
「あ、あの……や、やっぱり灯り、おとしたほうが……」
「とんでもない!」
 アヴェリオンは、ものすごい勢いでレナントゥーリオの両足をつかみ、閉じさせないようにガッチリと固定した。
「あ、あの、あのあの、あのえと……」
「……美しい……」
「そ――そう、なんですか? わ、私その、そこがどうなってるのが普通なのか、ぜ、全然わからなくて……」
「美しいですよ。どれほど美しいか、どんなに言葉を尽くして言っても、到底語りつくすことなどできませんが――」
「や、いやです! い、言わないでくださいね、そ、そこがどう見えるかなんて!!」
「どうして?」
「どうして、って――は、恥ずかしいですよ!!」
「恥ずかしくなんかないですよ。……本当に美しいですよ。私、こんなにきれいな肉の色を、今までに見たことがありません。……あんまり美しすぎて、さわるのが怖くなるくらいですよ……」
「そ――そんなこと、言わないで――」
 レナントゥーリオは、濡れた目で言った。
「ちゃ、ちゃんと、さ、さわって、ください――」
「わかりました」
 そう言うなりアヴェリオンは、レナントゥーリオの、陰茎の下の肉襞に、そっと唇を寄せた。
「え!? ――ヒャアッ!? だ、だめですよ、そ、そんなとこ、な、なめちゃ――!!」
「どうしてですか? 指よりも、舌のほうがずっとやわらかいですよ? しかも、濡れていて滑りもいい」
「う……」
 レナントゥーリオは、困ったように口をつぐみ、ややあって、アヴェリオンがまだ服を着たままなのを見て、泣き出しそうな顔をした。
「あ、あの――」
「はい、なんでしょうか?」
「あ、あの――ア、アヴェさんもあの――ふ、服、脱いで――」
「……どうして?」
「あ、あの……」
 レナントゥーリオは、うるんだ瞳で、アヴェリオンの下半身を見つめた。
「そ、それ――ふ、服ごしじゃなくって、ちょ、直接、かわいがってあげたいから――」
「……なんて殺し文句だ」
 言うなり、まるでそのことに世界の興亡がかかっているかのようなスピードで、服を脱ぎ去るアヴェリオン。
「……ああ……」
 レナントゥーリオは、うっとりとした吐息をもらした。
「そこがそういうふうになっているのを見ると、とても、安心します……」
「安心? ……どうして?」
「だって、あの……アヴェさんが、私のことを欲しがってくださってるのが、よく、わかりますから……」
「ここを見ないとわかりませんか?」
「……ほんとはわかりますけど」
 と、レナントゥーリオは、少しだけいたずらっぽく笑った。
「でも――やっぱり見たいじゃないですか。ねえ?」
「そうですか。――じゃあ」
 アヴェリオンは、再びレナントゥーリオの肉襞に顔を寄せた。
「私が見たい、というのも、許して下さいますよね?」
「あ――は、はい――」
「…………や…………」
 間近でしげしげと見つめられ、息がかかるのさえ、刺激と感じてしまうのだろう。レナントゥーリオが、切なげに身をよじる。
「……指」
「え?」
「指――入れても、いいですか?」
「あ……ど、どうぞ……」
「…………うわ…………」
「あ、あの、や、やっぱり何か変――?」
「……いえ。私も、その……ここをさわったのは、生まれて初めてで……」
「あ……」
 レナントゥーリオは、にっこりと笑った。
「それじゃ、あの、初めてどうし、ですね」
「……そうですね」
「え? あ、あの……」
 アヴェリオンの反応に、レナントゥーリオは不安げな声をあげた。
「わ、私何か、アヴェさんのお気にさわるようなことを――?」
「ああ、いえ、違います。私は、ただ、あの――じょ、上手にできるかどうか、不安で――」
「――そんな心配、しなくてもいいのに」
 レナントゥーリオは、うれしそうに微笑んだ。
「あなたがしてくださることなら、私はなんでもうれしいですよ」
「そんなこと、言わないでください」
 アヴェリオンは、懇願するように言った。
「そんなことを言われると――いつかあなたに、とてもひどいことをしてしまいそうで――」
「……大丈夫ですよ」
 レナントゥーリオは静かに微笑んだ。
「あなたが何をしても、私はそれを、ひどいことだとは思いませんから。――それが、私に対して行われることだったら、あなたが、何をしても――」
「……怖いんですよ」
「え?」
「……とても」
「あン!」
 不意に体内で指を動かされ、レナントゥーリオは高い声をあげた。
「とても――きつくて」
「……あなたが突き破ってください」
 レナントゥーリオは、かすれた声でささやいた。
「あなたの体で、私の肉を突き破って――私達の赤ちゃんが、この世に生まれてくることが出来るように、道を開いてあげてください――!!」
「……レナン」
「はい」
「あなたの中に――私を、入れたい」
「――はい」
 魔王の細い両腕が、勇者に向かって差し伸べられる。
「私の中に――あなたを、ください――」
「…………クククッ」
 不意に、アヴェリオンは、おかしそうに笑った。
「え? ど――どうか、しましたか?」
「あなたの、尻尾」
 アヴェリオンは、クスクスと笑いながら言った。
「私のことを欲しがって、こっちに来ようとクネクネしてる――」
「あ――あの――これは、あのッ!!」
 と、真っ赤になるレナントゥーリオ。
「はいはい、あとでたっぷり、尻尾もかわいがってあげますからね」
 と、尻尾を持って、ねっとりとなめまわすアヴェリオン。
「や――っ! そ、そこばっかり、だ、だめですってば――!!」
「そうですか、それじゃあ」
 ひた、と、怒張した陰茎が、やわらかな肉色の襞に押しつけられた。
「しっかり孕んでくださいね、レナントゥーリオ」
「ええ――全部ください、アヴェリオン」
 ミチ――と、肉の杭が、狭い肉の襞を割り裂いていく。
「…………あ…………」
「……ほら」
 アヴェリオンの、濡れてかすれた声がレナントゥーリオの耳を穿つ。
「全部、入れば、赤ちゃん、来てくれますよ――」
「……ああ……」
 レナントゥーリオの、赤い三つの瞳が、トロリととろける。
「全部、入れて――中で、いっぱい、出して――」
「……本当に、いやらしいな、あなたは、まったく」
「ごめ、なさ――で、でも――あなたが、ほし――あかちゃ、あいた、い――!!」
「……私は、ほんとは」
 低い、かすかな声が、アヴェリオンの唇からもれる。
「あなたさえ、いれば――!!」
「ああッ!!」
 ――そして。
 破瓜の血が、流れる。



「のう、ナルガしゃん」
 竜人にして魔界将軍、必勝無敵、連戦無敗を誇る、ナルガルーシェの心をとらえ、恋という糸でがんじがらめに縛りあげた、次期魔王候補、オリエンヌが、ナルガルーシェのとってきてくれた、赤くやわらかい、甘い果実をカプカプとかじりながら、そのポヤポヤとした子供っぽい眉をわずかにひそめ、ナルガルーシェに問いかけた。
「魔王しゃんと、『運命の相手』との間に子供が産まれたら、ぼくの立場はどないなるんかの? やっぱりあれかの、魔王しゃんの子供に、次期魔王候補の座を、譲らんといかんかの?」
「その必要は、たぶんないと思うよ」
 ナルガルーシェは肩をすくめた。竜の姿から、人型に変身した彼女は、紫色の輝く髪を腰まで伸ばした、非常に長身で、非常にスタイルのいい、美しい若い女性の姿になっている。かの、『歩く国辱』、国王ディーゲンシュトルがナルガルーシェのことを見たら、その瞬間、「おお、なんと素晴らしい上質なおっぱいちゃん!!」と叫ぶであろうことは想像に難くない。
「なあんでやあ? 魔王しゃん、子供産めるようになったんやろ?」
「うん、そうだけどね」
 ナルガルーシェの金色の瞳が、フッと揺らいだ。
「でもね――人間の血が入ると、生まれてくる子供の寿命は、ずいぶんと短くなるからね――もし仮に、魔王様と、『運命の相手』とのお子様が、次期魔王の座におつきになられるとしても、その――その子はきっと、オリーちゃんがきちんと大人になって、魔王の座につけるようになるまでは、寿命が持たないと思うよ――」
「……ほぅん。なるほどの」
 そう、神妙な顔でうなずいて、次期魔王候補オリエンヌは、再びカプカプと赤い実をかじりはじめた。



「…………世界のすべてを手に入れたような気分です」
「そういうこと言うのマジでやめてね!? おまえがそういうこと言うと、マジでシャレにならないんだからね!?」
 目元を赤く染め、うっとりとそうつぶやく勇者アヴェリオンの言葉に、青い顔でそう叫ぶ賢者ランシエール。
「アヴェ、魔王様はどうしたのお?」
 と、ニヤニヤしながら問いかける、魔女パンドリアーナ。
「ああ、レナンさんなら、寝室で休んでいます。私に寝台まで、朝ごはんを運んできてほしい、なんて言うもので、こうして朝ごはんを取りに来ました。フフッ、まったく、かわいい人ですよ」
「今私達が食ってるのは、朝飯じゃねーよ! 昼飯だよ!」
「どうだっていいじゃありませんか、そんなささいなことは」
「おまえなあ、あんまり無茶すると、あのひよひよ魔王、早晩ブッ倒れるぞ!?」
「そのあたりには、もちろん十二分に気を使います」
「今現在、あんまり使ってないように見えるんだけどな!?」
「それはあなたの気のせいです」
「豪快に『気のせい』ですませたー!?」
「……フッ」
 アヴェリオンは小さく笑った。
「ランシーさん、あなたもなんだかんだ言って、あの人のことが心配なんですね」
「あア!? ありゃ、『人』じゃあねえだろうがよ!?」
「……どうでもいいことですよ、そんなことは」
 アヴェリオンの口元から、笑みがかききえる。
「すみません、レナンさんに朝ごはんを持っていってあげたいので、用意してくださいますか?」
「はい、かしこまりました」
 と、即答し、テキパキと様々なものを銀の盆の上に乗せていくライサンダー。子供のように小柄な彼だが、手が届かないような高いところにあるものをとる時には、自分の背中にある小さな羽でパタパタと宙を飛ぶので、雑用をこなすのには全く支障がない。
「……つーかおまえら、魔族のくせに人間とおんなじもん食ってんじゃねーよ」
 と、ブツブツ毒づくランシエール。
「いや、別に、人間と違うものを食べてもいいんですけど」
 と、あっけらかんと言う淫魔のライサンダー。
「でも、そうすると、みなさんの食欲がなくなっちゃうかもしれませんので、みなさんがいらっしゃるところでは、みなさんにあわせますよ」
「……これからも、ぜひそうしてくれ」
 と、大きくうめくランシエール。
「アヴェ~」
 と、ニヤニヤ笑いながら話に口をはさんでくる魔女パンドリアーナ。
「どうだった、ゆうべは~」
「さっきも言ったでしょう」
 勇者アヴェリオンは、恍惚の笑みを浮かべた。
「世界のすべてを手に入れたような気分です」
「あらあら、ごちそうさま」
 パンドリアーナはクスクスと笑った。
「――で? 魔王様は、ちゃあんと孕んでくれたわけ?」
「それはさすがにまだわかりませんが――あの」
 と、アヴェリオンはライサンダーのほうに目をやった。
「ちょっと、うかがってもよろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「その――私にも、それなりに、生物学の知識くらいはあります。あの人が、あの華奢な体で子供を孕み、そして出産する、というのは、その――身体にかなりの負担が――」
「……ああ」
 ライサンダーは、ちょっと考えこんだ。
「……まあ、もうこうなったからには、別に黙っている意味もありませんしね。――あのですね」
「はい」
「魔王様の血筋のかたがたは、基本的には、生まれ持った性別のまま一生を送ります。ただ――『運命の相手』の性別によっては、その体に変化が生じます。その――女の体だったかたが、男の体に、っていうか、女を孕ませることができるような体になる時は、ある意味簡単です。その――ま、なんというか、ちょっとした突起がつけばいいだけですので。今回の魔王様のように、男の体で、それで、子供を孕めるような体になる時には、それよりはもう少し大変です。なにしろ、骨盤からして、子供を生むには大分狭いですからねえ。――ですから」
「はい」
「今回のような場合は、卵を産みます」
「……は」
 さすがのアヴェリオンも、ポカンと口をあけた。
「え、あの、ええと……た、卵ですか?」
「はい」
「な、なるほど……」
「小さく産んで、大きく育てるんですよ」
 ライサンダーは、大真面目な顔で言った。
「妊娠期間は3ヶ月で、卵はだいたい、1カ月くらいあたためれば生まれてきます。ああ、もちろん、卵から生まれてくる赤ちゃんは、あなたがた人間の赤ちゃんよりも、だいぶ小さく生まれてきますし、最初のうちは、育てるのも大変ですよ。でも」
 ライサンダーは、にっこりと笑った。
「俺達が、お手伝いしますんで。安心してください。とにかく、魔王様の一族はそういう方法で、母体にかかる負担を、出来るだけ小さくしているんですよ」
「そうなんですか――その時には、どうかよろしくお願いします」
 アヴェリオンは、ライサンダーに向かって深々と頭を下げた。
「もちろんですよ。それと――」
 ライサンダーは、まっすぐにアヴェリオンの瞳を見つめた。
「どうもありがとうございます」
「え? な、なにが――?」
「うれしかったんです。あなたが、魔王様の体を気遣ってくださっているということが、よくわかって」
 ライサンダーは、再びにっこりと笑った。
「…………」
 アヴェリオンは、どこか怯えたようにライサンダーから目をそらした。
「……どうして」
「え?」
「どうしてあなたは――そんなふうに、私に笑いかけるんですか?」
「え? どうして、って――そりゃ、あの」
 ライサンダーは苦笑した。
「ただ単に、俺がそうしたいからそうしているだけです。あ、どうぞ、用意できましたんで、魔王様に朝ごはん、持って行って差し上げて下さい」
「……ありがとうございます」
 ちいさくそうつぶやき、アヴェリオンは、銀の盆を受け取った。



「『世界の神』とやらいうふざけた存在が、仮に存在しているとしたらだな、そのろくでなしはぜってー、この私、『金色の大賢者』ランシエール様に、甚大なる悪意を抱いているに違いねえッ!!」
「あら、ランシー、『世界の神』はきっと、あなたなんかのことをかまっているほどひまじゃないと思うわよ?」
「だってそうとしか思えねえんだもんよ!!」
「ランシー、あなた、それはねえ、被害妄想っていうのよ?」
「妄想だったらなんぼかよかったよ!!」
 賢者ランシエールはギャンギャンとわめいた。
「ああ、ほんとにまったく、なんで私がこんな目にあわなくっちゃいけねえんだよ!?」
「三食保証されて、みんなから礼儀正しく扱ってもらえて、それでいったい、何が不満だっていうのよ?」
「周りに変態しかいねえことがだよ!!」
「いい、ランシエール、よく聞いて」
 魔女パンドリアーナはわざとらしくため息をついた。
「昔々あるところに、とても平和に穏やかに、みんなで仲良く暮らしている共同体がありました。ところがなぜか、その共同体には一人だけ、毎日毎日ブツブツとぼやき、大声で不満を訴えつづけ、周りのみんなのことを変態だのなんだの口汚くののしり続ける、ちょっと変わった人がいました。さて、この場合、問題があるのは共同体のみんなかしら、それとも、不平不満をもらすことしかしない、ちょっと変わった人のほうかしら?」
「た、多数決がいつも正しいとは限らないんだぞ!?」
「あら、その言葉、そっくりそのままあなたに返すわよ、ランシー」
 パンドリアーナの目が鈍く光った。
「ランシー、あなたが今、自分の主義主張のよりどころとしているのは、世間一般の人々、つまり、『多数決』に勝った、多数派の人達が主張している価値観でしょう?」
「私はたとえ、私が世界で最後の一人になろうとも、あのひよひよした貧相な三つ目三本角のおっさん魔王と、うちの、勇者っていうよりもどう見ても愚鈍な国王を傀儡にして陰で操り国を牛耳る、腹の奥底真っ黒けの悪の宰相っていうほうがぜってーピッタリくるあの悪人面のアヴェ公が、人目もはばからずにイチャコライチャコラしてやがるのは、すっげー気色悪ぃって主張し続けるぜ!!」
「あら、そうするとこれはもう、完全に美意識の違い、ってことになるのね。残念だわ」
 パンドリアーナは優雅に肩をすくめてみせた。
「ああもう、どこの国でもいい! なんだったら一般市民有志でもいい! 早く早く、誰でもいいから、この気の狂った城に討伐軍でも送りこんで、私をこの発狂寸前の状況から救い出してくれえええええッ!!」
 ランシエールは、天を仰いで叫んだ。
「あらランシー、もしもこの城にあなたの言う討伐軍とやらが迫ってきたら、あたし、あなたを生贄にささげて、異世界から邪神を召喚して討伐軍をなぎ払うわよ?」
「えッ!? い、いつの間に私、そんな生贄要員なんかになってたんだ!?」
「たった今あたしがそう決めたわ」
「おめえには血も涙もねえのか!?」
「この素晴らしいBL時空、秘術、超時空男性理解不能腐食魔法の真髄を極めた、我らが貴腐魔女達の理想郷、神聖にして不可侵なるこの黄金郷に仇なす者達はすべて、この、『宵闇の魔女』パンドリアーナが、血の一滴、髪の毛一筋すらも残さずにこの地上から殲滅するわ!!」
「だめだこいつ! ど、どうしてこうなる前に誰か何とかしてやらなかったんだ!?」
「あら、あたしは、誰にもどうにもしてほしくなんかないわ。だって、あたしはあたしが大好きだもの❤」
「ちくしょー、ちくしょー、合法的に私の大魔法でやりたい放題して、魔族のお宝を合法的にぶんどって、旅の恥はかき捨てで思いっきりあーんなことやそーんなことをやりつくして、サクッとおっぱい魔王を生け捕りにして、そんでもって国に戻っておっぱい魔王と引き換えに国の半分をもらう予定だったのに。おっぱい魔王のおっぱいも、しこたま揉んでやるつもりだったのに――!」
 と、とてもじゃないがうら若き女性の発言とは思えないような自らの欲望大爆発発言をして、ジタバタともがきまわる賢者ランシエール。
「いやあねえ、ランシー。そんなさもしい根性でことにあたって、いい結果なんか出るはずがないじゃない。それにランシー、おっぱい魔王なんてどこにもいなかったじゃない。あたし達が、『魔王』だと思い込んでいた良質なおっぱいちゃんっていうのは、本当は、魔界将軍ナルガルーシェさんだったじゃない」
 と、あきれたように言うパンドリアーナ。
「お、おめえにだけは私の根性をうんぬんされたくねーぞ私は!?」
「あらそう。まあ、あなたにだって、自分の意見を持つ権利くらいはあるでしょうからね、ランシー」
「ちくしょー、ちくしょー……」
「ただいま戻りました、パンドリアーナ様。あら、何ランシエール、あんたまだ、なんだかんだとブツクサぼやいてるわけ?」
 と、パンドリアーナに丁重な一礼をしながら、剣士サラスティンが部屋に入ってくる。その後ろから、何やら果物のジュースのようなものがグラスに入ったものをいくつも盆に乗せた、インプのライサンダーがちょこまかと続く。
「みなさん、のど乾いてませんか? 夜光リンゴのジュースをお持ちしました。もしよろしければどうぞ」
 と、グラスのジュースをこぼさずに、丁重に一礼するライサンダー。
「あら、ありがと。いつもながら気がきくわね、ライ。サラったら、また鍛錬? もう、あなたってばほんとに真面目なんだから」
 と、ライサンダーとサラスティンに、にっこりと微笑みかけるパンドリアーナ。
「いやあ、サラさんはすごいですねえ。うちのエーメ君が、鍛錬が終わった後バッタリブッ倒れてそのまんま眠りこんじゃうなんて初めてですよ。しかも、サラさんの相手をしたのは、エーメ君だけじゃなくて、どう少なく見積もってもあと、のべ20人はいたっていうのに!!」
 と、感嘆しきった声をあげるライサンダー。
「だーもうちくしょうちくしょう、お、おめえら魔族には生存本能とか危機管理能力とかいうものがねえのか!? な、なんで魔王軍討伐のためにやって来た勇者様御一行が滞在中のこの城に、ノコノコ舞い戻ってきやがるんだよ!?」
「だって、ここはもともと、俺ら魔族の城ですから」
 と、ライサンダーはあっさり答えた。
「だーもうだーもう! お、おめえらは、自分の王様が、不倶戴天の宿敵と、こともあろう乳繰り合ってるこの現実を、いったいどう思ってやがるんだよ!?」
「どうって――そうですねえ」
 ライサンダーは、ジュースの入ったグラスを乗せた盆をテーブルに置き、ヒョイと肩をすくめた。
「それじゃあ、まあ、とりあえずは今のお二人の御様子を、ちょっとお見せいたしましょうか。いや、今お二人は、城の中庭を散策なさってらっしゃるんですけどね。映像を投影します。俺はチンケなインプだけど、それくらいのことはできるんですよ」
 そう言ってライサンダーは、ヒョイと片手を振った。とたん、壁に、中庭のあずまやのベンチに肩を並べて座り、なにやら仲睦まじく語りあう、勇者アヴェリオンと、魔王レナントゥーリオの姿が映し出される。
「――ほら、見てください」
 ライサンダーは、映像の一点を指差した。
「魔王様の尻尾が、アヴェリオンさんの腰に、クルリと回されているでしょう?」
「あ、あれ尻尾だったのか。しっかし、貧相な尻尾だなあ。毛もろくに生えてなくって、やたらヒョロ長くって。ハツカネズミの尻尾を拡大したみてえだなあ」
 と、ランシエールが悪態をつく。
「そうなんですよね」
 ライサンダーは、小さくうなずいた。
「ランシエールさんのおっしゃるとおり、魔王様の尻尾はその、言っちゃなんですが、かなり貧相な感じの尻尾なんですよ。あなたがた人間の美意識から言っても、俺達魔族の美意識から言っても、ね。で、魔王様はそのことを気にしてらっしゃって、できるだけ、自分の尻尾を人には見せないようにしてたんですよ。いや、俺らはみんな、そんなこと気になさることなんてないと思ってるし、魔王様の尻尾が貧相だなんて言うやつなんか、俺らの中には一人だっているはずもないんですけどね。だって、あの尻尾、魔王様にはよく似あってますよ。肝心なのは、個々のパーツが組み合わさった、全体の調和ですよ!」
「おめーの美意識についての御託はいいんだよ。で? だからなんだって言うんだよ?」
「魔王様は、アヴェリオンの前では、尻尾を隠すことができなくなっちゃったんですよ」
 ライサンダーはクスリと笑った。
「なんでかって言うと、ほら、これを見れば一目瞭然です。アヴェリオンさんがそばにいると、魔王様の尻尾は、アヴェリオンさんのそばに行きたがって、勝手に服から飛び出してきちゃうんですって。だから俺、尻尾が外に出やすいように、魔王様のお召し物をたくさん仕立て直ししましたよ。だから、まあ――つまりはそういうことです、はい」
「はあ? おめえ、何わけわっかんねーこと言ってやがるんだ? 魔王の尻尾とあそこのド変態ども二人の乳繰り合いと、いったいどういう関係があるっていうんだよ?」
「ああ、もう、ランシーたら! あなたって、ほんとにガサツで人情の機微を解さないのね!!」
 魔女パンドリアーナは、大きく長々と嘆息した。



「え? そんな、私達、自分から進んで人間さん達にひどいことをしたりなんかしませんよ」
 魔王レナントゥーリオは、いたって真面目な顔でそう言った。
「だって、そんなことしたらかわいそうじゃないですか」
「はあ? なんだそりゃ。何がかわいそうなんだ?」
「だって」
 レナントゥーリオは、いたって真面目な顔のまま、賢者ランシエールのほうに向きなおった。
「人間さん達は、私達がなんにもしなくったって、ほんの100年程度で寿命で死んでしまうんですよ? それなのに、どうしてわざわざ私達がそんな人間さん達に、ひどいことをして寿命を縮めなくっちゃいけないんです? そんなの気の毒すぎるじゃないですか。だって、放っておいたって――人間さん達は、私達よりも、ずっと――ずっと早く、死んでいってしまうんですから――」
「うえー、おめえ、そりゃあれか、私ら人間が、ガキが蝶やなんかを捕まえた時、『ちょうちょさんは、たったの1ヶ月くらいしか生きられないんだよ。かわいそうだから、逃がしてあげようね』とかいうのと、おんなじ感覚ってわけかあ!?」
「はあ、どうなんでしょうねえ?」
 と、とぼけた顔で首をひねるレナントゥーリオ。
「まあ、わからないでもないわ、そういう感覚」
 魔女パンドリアーナは、ヒョイと肩をすくめた。
「人間って、ほんとにはかない生き物だものね」
「って、パンディ、おめえは人間じゃねえのかよ!?」
「さあ、どうかしら?」
 パンドリアーナはニヤリと笑った。
「あたしは魔女。『宵闇の魔女』パンドリアーナよ」
「ケッ、薄気味悪いやつだぜ」
 ランシエールは、大きく舌打ちをした。
「――あなたがたは、そんなふうに思ってらっしゃったんですね」
 勇者アヴェリオンは、深いため息をついた。
「私は――いえ、私達は、そんなこと、知ろうともしなかった――」
「私達のほうも、ちょっと、なんというか、対話の努力を怠り続けてきてしまいましたね」
 レナントゥーリオは、申し訳なさそうに言った。
「もっと早くに、いろいろと、話しあう機会を持てばよかったですね。だって、あなたがたは、きちんと話せばきちんと聞いて下さるんですから。ですから、もっと早くに、いろいろと、話しあっておけばよかったですね」
「――たぶん、誰も聞く耳持たなかったでしょうね」
 アヴェリオンはポツリと言った。
「ええ――あなたに恋をする前の、私のような者達は、誰も――」
「出来ればずっとそのままのお前でいてほしかった!!」
 アヴェリオンの顔を恨めしげににらみつけながら、そう叫ぶランシエール。
「私はそうは思いません」
 アヴェリオンはあっさりと言った。
「レナンさんと出会う前の私の人生なんて、灰色の世界で砂を噛みながら生きていたようなものです」
「おまえどんだけ人生に絶望してたわけ!?」
「あなたがたといっしょに旅をしようと思うくらい絶望していました」
「うわ、今なんか、筆舌に尽くしがたいほど失礼なことを言われたような気がする!?」
「単なる事実にそこまで言われては割にあいませんね」
「さらに追い打ちをかけられた!?」
「ねえ、じゃあ、ちょっと聞いていい?」
 剣士サラスティンが、ヒョイと片手を上げ、発言の許可を求めた。
「あ、はい。私におこたえできることならいいんですが」
「じゃあ、あの、魔界将軍とかいう、竜人の女が、あたし達の国までわざわざ攻め込んできたのは、いったいどうしてなわけ?」
「ああ――その、ナルガルーシェさんは、普段は大変冷静沈着なかたなんですが、いかんせんその――『運命の相手』である、次期魔王候補のオリエンヌさんが絡んでしまうと、冷静も沈着も、一気に世界の果てまで飛んで行ってしまうかたでして――」
 レナントゥーリオは、大きくため息をついた。
「その――人間さん達の住処に近づきすぎたオリエンヌさんが、人間さん達に追いかけまわされましてねえ――それでその、ナルガルーシェさん、怒ってしまわれて――。あ、で、でも、ナルガルーシェさん、ちゃんと手加減してたんですよ!? あの人が本気で怒ったら、人身じゃなくて、竜身になって、視界内すべてのものを焼き尽くしますから!!」
「うわ、うちのアヴェ公とおんなじくらい迷惑だなそいつ!? おめえらの一族に惚れるのって、そんなはた迷惑なやつらばっかりなのか!?」
「はあ、それはその、ど、どうなんでしょうねえ……?」
 と、気弱げに笑うレナントゥーリオ。
「……ぶっちゃけて言うとさあ」
 ランシエールもまた、大きくため息をついた。
「私ら人間はみんな、おまえら魔族を『討伐』して、そんでもって、おまえらの持ってるお宝を、思いっきりぶんどって国を、っつーかまあ、自分の懐を潤すことを、ムチャクチャ期待してたんだけどなあ」
「はあ……でも、私達の宝を、あなたがたがきちんと使いこなすことが出来ますかね? あ、その、失礼なことを申し上げるつもりじゃないんですが、私達とあなたがたとでは、体のつくりとかも、いろいろと違ってますし……」
「はあ? 何言ってやがるんだおめえ? 金銀財宝、宝石ザクザクは、誰にとってもお宝だろうがよお?」
「え? 金や銀や宝石? え――あの、あなたがた、そんなものが欲しかったんですか?」
「あン? まさかおめえ、金銀宝石は、魔族の間じゃあ何の価値もねえとか言いだすんじゃねえだろうな?」
「そんなことは言いません。私達だって、金や銀や宝石は好きです。だって、綺麗ですから。でも、そうですか、そんなものでよかったんですか……」
「るっせ。『そんなもの』で悪かったな!!」
「ああ、あの、すみません。失礼なことを申し上げるつもりは、本当になかったんです」
「……私の宝は、間違いなくあなたに決まっているのですが」
 アヴェリオンは、物問いたげにレナントゥーリオを見つめた。
「あなたがたの、『宝』とは――いったい、なんなんですか?」
「……あなたがたには、必要ないような気もしますけどね」
 魔王レナントゥーリオは、ひそやかな笑みを浮かべた。
「だって、あなたがたは――人間さん達は、もう、私達より、ずっと、ずっと――数が多いじゃないですか――」
「え? それは、どういう――?」
「……『宝』にも、いろいろあります」
 レナントゥーリオは静かに言った。
「あなたがたが欲しいというのが、金銀宝石の類でしたら、私達は、喜んでお渡ししますよ。確かに、私達は綺麗なものが好きですけどね。でも、それよりもっと、静かで安全な生活のほうが大事ですから」
「魔族の宝――人間には必要ない――」
 ランシエールは、眉をひそめて考え込んだ。
「使いこなせない、なら、まだわかんなくもねえが――『必要ない』ってなんだよ、『必要ない』って――?」
「……まあ、いいじゃないですか、そんなことはどうでも」
 魔王レナントゥーリオは、小さく肩をすくめた。
「いや――あんまり、どうでもよくはねえと思うぜ?」
 賢者ランシエールは、低い声でそうつぶやいた。



「――やっぱり、人間さんには珍しいんですか、尻尾って?」
 魔王レナントゥーリオは、おかしそうにクスクス笑いながら言った。レナントゥーリオの視線の先には、まるで子供のように無心に、レナントゥーリオの尻尾をいじりまわす、勇者アヴェリオンの姿があった。
「……あなた、この尻尾、今後絶対に、私以外の人に見せちゃいけませんよ」
「え? どうしてですか?」
「どうして、って――こんな卑猥なもの、恋人以外に見せちゃだめですよ、ほんとにまったく」
「え!? ひ、卑猥、ですか? あ、あの、貧相な尻尾だなあ、とは、ずっと思っていたんですが……」
「どこからどう見ても卑猥でしょう。こんな艶めかしい桃色をして、クニャクニャと柔らかくて、肌触りのいい産毛が生えていて――」
「ひゃ!?」
 アヴェリオンに、尻尾の先をパクリとくわえられてしまい、レナントゥーリオは驚いて飛びあがった。
「あ、あ、あの、た、食べちゃ、だめですよ? トカゲのしっぽとは違うんですから、切れちゃったら、そんなに簡単には元に戻らないんですからね?」
「食べませんよ」
 アヴェリオンは、つい先ほどのレナントゥーリオのように、おかしそうにクスクスと笑った。
「ただ、舌触りを楽しんでいるだけです」
「……くすぐったいです」
 レナントゥーリオは、照れたように笑った。
「……別に、なんの役に立つわけでもないんですけどねえ、私の尻尾なんて」
 レナントゥーリオは、問わず語りにのんびりと言った。
「尻尾を使って攻撃したり、体を温めたり、そういうことができるかたもいらっしゃいますけどねえ。私の尻尾なんて、ただそこにあるだけです。ああ、まあ、小物くらいだったら、持って持てなくもないですけど。でも、そんなの、手で持てばいいですものねえ」
「あなたの尻尾は」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの尻尾を、舌先でチロチロとなめた。
「私にかわいがられるためにあるんです。後ろの尻尾も、前の尻尾も」
「前の尻尾? 私、尻尾は一本しか持って――あ!?」
『運命の相手』に出会ったことによる肉体変化により、女性器を手に入れたのちも、消滅せずに存在を主張している陰茎を、アヴェリオンにスイとなであげられて、レナントゥーリオは、真っ赤になって息をのんだ。
「あ、の――え、と――」
「かわいい尻尾ですね、前も後ろも」
 アヴェリオンは、楽しげに笑った。
「……前の尻尾も、こうなってしまってはもう、あんまり役にも立ちませんねえ」
 レナントゥーリオは、小さく苦笑した。
「だって、私はもう、アヴェさんの、『女』ですから。別にこんなもの、もうなくってもいいんですけどねえ」
「あったほうがいいですよ。……たくさんかわいがってあげますから」
「……それは、いいんですけど」
 レナントゥーリオは、妖艶に微笑んだ。人間の基準からすると、というか、おそらく魔族の基準からしても、地味で目立たない顔をしているレナントゥーリオだが、時折、ぞっとするほどつやめいた表情を見せることがある。
「私はそれより――アヴェさんに、たくさんたくさん、種をまいてもらうほうが、うれしいかな――」
「種を――?」
「ええ」
 レナントゥーリオは、そろりと両足を広げた。
「私のおなかに、あなたの種を、たくさん、たくさん――」
「……あなたによく似た子供が生まれるといいな」
「私によく似た子供、ですか?」
 レナントゥーリオは、苦笑しながら小首を傾げた。
「そうすると――三つ目で、角がある子供が生まれてきますよ? 尻尾も生えてますよ? それでも、いいんですか?」
「私そっくりな子供が生まれてくるよりも1億倍はマシです」
「……どうしてそんなに、自分が嫌いなんですか?」
「…………歯止めがきかないんです」
 アヴェリオンは、ポツリと言った。
「一度、始まってしまうと――自分では、とめられないんです。今までは――それを気にしたことなんてありませんした。私が殺すことを、殺し続けることを、みんな、みんな、望んで、求めて、喜んでいましたから。でも――どうしてでしょうね」
 アヴェリオンの琥珀の瞳が揺れた。
「どうしてだか――あなたは、それを、喜ばないんじゃないかという気がするんです」
「そうですね。私はそれを喜びません」
 レナントゥーリオはきっぱりと言った。
「だってアヴェリオン、そんなことを続けていては、あなたはいつまでたっても、幸せにはなれないでしょうから」
「…………しあわせ」
 アヴェリオンは、ひどくぎこちなくつぶやいた。
「そんなことを、言われたことなんて、なかった」
「…………」
 レナントゥーリオの細い腕が伸び、そっとアヴェリオンを抱きしめた。
「――あれ?」
 アヴェリオンは、不思議そうな声をあげた。
「レナンさん、あなた――少し熱があるんじゃありませんか? なんだか、体が熱いですよ?」
「あ――やっぱり私、熱あるみたいですか?」
「ええ。風邪でもひいたんですか? だったら無理しないで、今日はもう休んだほうが――」
「……風邪、じゃ、ないかもしれません」
 レナントゥーリオは、はにかんだ笑みを浮かべた。
「あ、あの、に、人間さんでもそうなると聞いているんですけど、ええと、あのですね、私達の中にも、あの、その、ええと、あの、に、妊娠初期に、体温が上がる者達がおりましてですね、それで、あの、それで、あの――わ、私の一族もその、どうやらそういう体質らしく――」
「…………」
 アヴェリオンは、血の気の引いた顔でレナントゥーリオを見つめた。
「……まだ、わかりませんけどね。だけど、そうなんじゃないかなあ、って、思います」
 レナントゥーリオは、静かに笑った。
「…………」
「アヴェリオン」
 おずおずと身を引こうとするアヴェリオンを、レナントゥーリオはそっとひきとめた。
「――怖がらないで」
「私、が、壊し、て、しまった、ら」
 アヴェリオンは、苦しげに言った。
「その、あと、私は、もう、どうやって、生きていけばいいのか、わから、なく、なる――!!」
「……壊れませんよ。――大丈夫、ですよ」
 三つの赤い瞳が、おびえる若者を見つめた。
「もしも壊れてしまったら――やりなおしましょう、二人で。実を結ぶまで、何度も、何度も――」
「…………実を、結ぶまで…………」
「だから私に、私達にさわることを、どうか怖がらないでください。あなたが触れてくれることは、私達にとっては、大きな喜びなんですから」
「…………どうしてあなたは、許せるんですか…………?」
 アヴェリオンは、苦しげに問いかけた。
「……私達は、長い時を生きます」
 レナントゥーリオは、静かにこたえた。
「恨みをすべて抱えたまま生きるのでは――それではあまりに、つらすぎるんですよ――」
「…………レナントゥーリオ」
「はい、なんですか?」
「…………」
 アヴェリオンは、無言で、レナントゥーリオの痩せた薄い胸に顔をうずめた。
 魔王は緩やかな手つきで、勇者の琥珀色の髪の毛を、穏やかに愛撫し続けていた。

恋物語の、その結果

「あああああああー、やりやがった、やりやがった、とうとうやりやがったーーーーーッッッ!!」
「今さら何を騒いでいるんですか、ランシーさんは」
 勇者アヴェリオンは、シレッとした顔で言った。
「やることでしたら、とっくの昔に、何度も何度も――」
「あああああー、だーまーれーッ!! どうすんだよー、どうすんだよー、ゆ、勇者が魔王コマして孕ませちまうなんて前代未聞だよー! し、しかもしかもしかもッ!!」
 賢者ランシエールは、魔王レナントゥーリオを指差してギャンギャンとわめいた。
「その、『魔王』が、美女だか美少女だかムンムンムチムチなお色気熟女だかだったりしたらまだ納得がいくよ! いや、この際モンスターっ娘でもいいよ! な、なんでなんでなんで――なんでよりにもよって、貧相でひよひよした、頼りなさを絵に描いて額に入れて飾ってあるような、しょぼくれたおっさん魔王が、勇者にコマされて孕んじまったりするんだよーーーーーッ!?!?」
「は、はあ、あの、す、すみません。私達、あの、そういう面では結構融通のきく一族でして……」
「うん、やっぱり魔族は滅んでいいな! ギャンッ!?」
 レナントゥーリオを指差してそう叫んだ次の瞬間、抜き身の剣の、平の部分で思い切りぶん殴られて、元気よく宙をすっ飛ぶランシエール。
「今度そんな、暴言というも愚かな冒涜的な言葉をそのけがらわしい口から吐いたりしたら、今度は刃の部分で同じことをしますからね?」
 と、背筋の凍るような笑顔でそう言ってのけるアヴェリオン。
「お、乙女の口に、けがらわしいってなんだよけがらわしいって!?」
「この人を傷つけるような存在は、すべてけがらわしくておぞましくて野蛮で不快で下劣で愚劣で、そもそもこの世に存在する価値などひとかけらもありはしないのです!!」
「『人』じゃねーだろそいつは!?」
「ああ、そうでしたね。レナンさんは、下賤な人間などよりも、はるかに高位の存在でしたね」
 と、大真面目な顔で言ってのけるアヴェリオン。
「いえいえ、別に、そんなこともありませんよ」
 と、おっとり言うレナントゥーリオ。
「だーもう、おめえら、こんな時にガキつくってどーすんだよ!? つーか育てられんの!? この城に討伐軍が来ちゃったらどうするわけ!?」
「当然殲滅します」
 さも当然、という顔で、アヴェリオンはきっぱりとそう言い放った。
「おめーら、いっそのこと、この城もなんもかんも捨てて、どっかにとんずらブッこいたらあ?」
 と、もうすっかり自棄になったように、投げやりに言い放つランシエール。
「それは駄目です」
 不意に。
 レナントゥーリオは、ひどくきっぱりとかぶりをふった。
「それは――駄目です。それだけは――駄目なんです。この城は――失いたくはないんですよ、私達は――」
「の、割にゃあ、あっさりとんずらブッこきやがったじゃねえか、おめえの部下ども」
 と、憎まれ口をたたくランシエール。
「だって、死んだら終わりですから」
 レナントゥーリオは、ひどくまっすぐな声で言った。
「いくら魔術が得意な私達だって、死んでしまった者達を、よみがえらせることはできませんから。だから、死んだら終わりです。死ななければ――死にさえしなければ、たいていのことは、取り戻せるものですよ。そう――十分な時間をかけさえすれば――」
「……その、『十分な時間』ってやつが、『人間』にはねえんだよ」
 ランシエールは、ボソリと吐き捨てた。
「…………ええ、知っています」
 レナントゥーリオは、かすれた声でそうこたえた。
「……なんだか、湿っぽい話になってきちゃったわねえ」
 魔女パンドリアーナは、気だるげにため息をついた。
「もっと楽しい話をしましょうよお。ねえ、魔王様、生まれてくる赤ちゃんの名前とか、もう考えてるわけえ?」
「え!? そ、それは、その、こ、これから、アヴェさんとよく話しあって――そ、それに、あの、わ、私の場合はその、た、卵を産みますからね。産んでから、1ヶ月くらいあたためないと、赤ちゃん、産まれてきませんから。だから、あの、ゆ、ゆっくり考えようかと――」
「1ヶ月――ふうん、長いような、短いような――」
 と、剣士サラスティンが首をひねる。
「あとどれくらいで産まれてくるの?」
 と、パンドリアーナが身を乗り出す。
「あ、えーと、だいたい3ヶ月くらいでしょうかねえ?」
 にこにこと、レナントゥーリオがこたえる。
「やっぱり、つわりとかもあるのかしら?」
「ああ、あるかもしれませんねえ」
「つわりの時って、変なもん食いたがるようになるんだってな。おい、おっさん魔王、おめーまさか、人間の赤ん坊の生き胆とか食いたがるようになったりしねーだろうな?」
「そ、そ、そんな怖いもの、た、頼まれたって食べたくありませんッ!!」
「そりゃよかったぜ。なにしろそこのアヴェ公は、おめーが頼んだら、そんなろくでもねえもんでも、ホイホイ手に入れてきやがるだろうからな。しかも、毎日毎日」
 と、幾分青い顔で毒づくランシエール。
「あの、いりませんからねそんなもの! て、手に入れてきたりしないでくださいね!?」
 と、同じく青い顔で、アヴェリオンに釘をさすレナントゥーリオ。
「わかりました。それがあなたの望みなら」
 と、うやうやしくレナントゥーリオに一礼するアヴェリオン。
「つわり――ねえ。まあ、私が言うのもなんだけど、あなた、それ以上痩せないほうがいいわよ。子供を産むのって、体力が必要なんでしょ? 今でさえ、言っちゃなんだけど、かなり貧弱な体のあなたが、この上つわりで痩せたりしたら、かなりきついことになるわよ?」
 と、無愛想な口調ながらも、魔王レナントゥーリオを心配するようなことを言う、剣士サラスティン。
「お気づかい、ありがとうございます」
 レナントゥーリオは、本当にうれしそうに笑った。
「ああ……私が言うのもなんだけど、どーしても産んじまうっていうんなら、その赤ん坊は、出来ればアヴェ公じゃなくて、そっちのひよひよ魔王のほうに似ていてほしい! うん、だって、そのほうがぜってー世界は平和だもの! そこのひよひよ魔王は、自分が虐殺されても、他人を虐殺なんかしない、っつーか、物理的に出来そうもねーもんそんなこと! アヴェ公はやるよ! ガンガン殺すよ! 魔族の寿命にアヴェ公の戦闘能力と、最低最悪にひねくれねじ曲がった性格とを兼ね備えた化け物が生まれてくるだなんて、そんなの軽く、どころじゃねえ、最重量級に悪夢だよ!! うん、人間の私が言うのもなんだけど、産まれてくる子供は、勇者より魔王のほうに似ていてほしい!!」
 と、天を仰いで叫ぶ賢者ランシエール。
「……私もまったく同感です」
 勇者アヴェリオンは、ひどく真剣な顔でうなずいた。
「……私は、産まれてくる子供が、アヴェさんに似ていたら、とてもとても――とても、うれしいですけど」
 魔王レナントゥーリオは、そうつぶやいて、ひっそりと笑った。



「ええ、そうですね、夜光リンゴの、まだ熟し切っていなくて酸っぱさが残ってるくらいの実を、すりおろして差し上げると、それだったら、結構召し上がることができるみたいですね」
「なるほど――しかし、リンゴだけでは身が持たないでしょう?」
「そうですね。ですから、一日に何度も、小分けにして少しずつ召し上がってもらうことにしております。これは、魔王様に限ったことではないのですが、つわりの時期には、一度にたくさん食べられなくなる人が多いようですね。ですから、少しずつ何度も――」
「なるほど――」
「処女の生血とか飲まさなくてもいいのかー?」
 と、憎まれ口をたたく賢者ランシエール。その言葉に、不機嫌を絵にかいたような顔でランシエールをにらみつける勇者アヴェリオンと、苦笑しながらランシエールにチラリと視線をやるインプのライサンダー。
「ランシーさん、あなたには、どうやら、人肉嗜食という性癖があるようですね。ちっとも知りませんでしたよ、今まで。うかつでした。まさか、一緒に旅をしてきた同行者が、そんな性癖を隠し持っていただなんて――」
「いや、私にはそんな性癖ねーよ!? で、でもよお、仮にも、『魔王』が、ガキ産もうってんだぜ!? それっくらいのことは、あったりしないのかよ!?」
「人肉どころか、魔王様は、普通の、牛やら豚やら鶏やらの肉だって、ちょっと食べすぎたら胸焼けを起こされますよ」
 ライサンダーは、苦笑しながら言った。
「うわー、それ、人間にしたってひよわすぎるぞ……」
 ランシエールは、あきれたようにうめいた。
「……つーかよお、おめーらもよく、あんな弱っちくてお人好しで超絶天然入ったやつを、『魔王』なんかにしてるよなあ? いくら、生涯でただ一人だけ、その気になったら世界をブッ壊しかねない、とんでもねえ相手と宿命の恋に落ちるからってよお……」
「……別に、それだけの理由じゃないです」
「へ?」
「あのかたが、『魔王』でいるのは、俺達が、あのかたを、『魔王』として崇めているのは、それだけが理由、というわけじゃ、ありません」
 ライサンダーは、静かに言った。
「なんか弱みでも握られてんのかー?」
 と、再び憎まれ口をたたくランシエール。
「逆です」
 ライサンダーは、大きく苦笑した。
「へ? ――逆?」
「ええ」
 ライサンダーは、小さくうなずいた。
「あのかたのそばにいると――ホッとするんですよ、俺達。俺が言うのもなんですけど、俺達魔族の中においては、本当に、稀有な才能なんですよ。そばにいる連中の気持ちを和ませて、ホッとさせる才能っていうのは――」
「――それは、魔族においてだけの話ではありませんね」
 アヴェリオンは、わずかにかすれた声で言った。
「そんな才能――周りにいる者達の気持ちを和ませて、安らがせる才能なんて、『人間』達の間においても、本当に――本当に、稀有な、才能ですよ――」
「いやー、私はどーも、あのひよひよ情けねえ、泣きべそ魔王のつら見てると、やったらめったらイライラして、あいつのケツに思い切り蹴りをくらわしたくなってくるんだけどなあ?」
「この下等生物め。あなたがしゃべるだけで空気が汚れますから、ちょっと黙っていてもらえませんか? 私が、あなたの舌を引っこ抜いて、細かく引き裂いて、火にくべて跡形もなく灰にしたいという、この衝動を抑えきれなくなるその前に」
「アヴェちゃん、今もしかしなくてもものすごいひどいこと言ったよ!?」
「おや、そこは、事前に警告をしておいただけ、ありがたいことだと思っていただきたかったですね。まあ、あなたのような、無知無能愚劣下劣、生きているだけで周りの迷惑になる超絶下等生物に、そんなことを望んでしまった私の見通しが甘すぎた、ということですね、これは。どうも失礼いたしました」
「どんどんひどくなってるよ!? っていうか、アヴェちゃんの発言のほうが、よっぽど『魔王』の発言っぽいよ!?」
「……私は、『王』にはなれません」
 アヴェリオンは、ポツリと言った。
「私は、誰かのことを、『恐怖』で縛ることならできます。『力』を持って打ち負かすことも、残虐に殺しつくすこともできます。でも――誰かに、『慕われる』ことは、できない――」
「……魔王様は、あなたのことを、『慕っています』よ」
 ライサンダーは、淡々とした声で言った。
「……ええ。レナンさんだけは」
「あなたと魔王様とのあいだに生まれる、御子様達だって、やっぱり、あなたのことを、慕うと思いますよ、俺は」
「……そうなるのなら、うれしいんですけど」
「俺も実はねー、エーメ君に、一緒に子づくりしよー、って誘われてるんですよ」
 ライサンダーは、ニヘラ、と笑った。
「あなたがたを見てるとねー、なんていうか、それもまあ、悪くないかなー、って」
「え? いや、でもあの、エーメさん――エルメラートさんって、あの、淫魔、ですよね? だとしたら、あの――」
「ええ、もちろん、エーメ君が本気になったら、俺みたいな――インプみたいな弱小種族、あっという間に吸い殺されちまいますよ。だから、まあ――エーメ君は、生涯、俺相手には本気になれないですねー。まあ、エーメ君が上になって、俺に乗っかってくる時は、少しだけ、本気のかけらくらいのものなら出せますけど」
 と、苦笑するライサンダー。
「なんでえ、それじゃ、あの淫魔のやつは、食事はよそでしてくるのかよ?」
 と、無遠慮に言うランシエール。
「ええ、そうですよ」
 と、あっさりうなずくライサンダー。
「へー。じゃあ、おめーは種族的に運命的に、生涯寝取られ野郎を宿命づけれられてるわけだ」
「まあ、そういうことになりますかねえ」
 ライサンダーは、やはりあっさりとうなずき、小さく肩をすくめた。
「それなのに、ガキはつくれるのかあ?」
「ま、一応ね。その気になれば、それなりに方法はあるもんでして」
「まさか、おめーが孕むとかいうんじゃねーだろうな!?」
「いや、それは危険すぎます。なにしろ、『淫魔』の血をひく子供ですからね。うっかり俺が孕んだりしたら、おなかの中の子供に生気を吸われて、母体も胎児も、共倒れになりかねません」
「うへー、ゾッとしねえ話だなあ、おい」
「まあそうですよねー。そう思っても当然ですよねー」
 ライサンダーは、軽い口調でそう言いながら苦笑した。
「でも――『淫魔』っていう種族は、俺ら魔族の中では、結構ひっぱりだこなんですよ?」
「床上手だからか?」
「いえ」
 ライサンダーの瞳に、フッと真剣な色が浮かんだ。
「淫魔と言う種族はね――他種族とのあいだに、比較的簡単に、子をなすことができるんですよ。だから――」
「……ふーん」
 賢者ランシエールの瞳にもまた、奇妙に真剣な色が浮かんだ。
「なるほど、ねえ……」
「……魔族の宝……それは、もしかしたら……」
 勇者アヴェリオンは、誰にも聞こえないような声で、誰にともなく、そう、つぶやいた。



「……卵で産まれてきますからね」
 魔王レナントゥーリオは、穏やかな、やわらかな声でそう言った。
「だから、『胎動』というものを、感じることは、できないんですよ。でも、あの――さわるとね、ここらへんに、いるのが、わかりますから――」
「…………」
「もう少し強くさわっても大丈夫ですよ?」
 いかにもおそるおそる、おっかなびっくりといった様子で、レナントゥーリオの下腹部にそっと手を当てる、勇者アヴェリオンを見て、レナントゥーリオはクスリと笑った。
「でも、赤ちゃん、卵の中にいるんでしょう? 卵の殻を割ってしまったりしたら、悔やんでも悔やみきれませんから――」
「私とあなたの赤ちゃんは、そんなに弱くはありませんよ」
 レナントゥーリオは優しい、だが、断固たる声で言った。
「…………」
 アヴェリオンは、ほんの少しだけ、レナントゥーリオの下腹部に置いた手に力をこめた。
「あ――い、いる――」
「ええ、いますよ」
「……卵を温めることは、私にもできるでしょうか?」
「え」
 アヴェリオンの言葉を聞き、レナントゥーリオは、驚いたように目を見開いた。
「アヴェさん――卵を温めてくださるんですか?」
「え? だって、この子は、私とあなたの子供でしょう? 私には、子供を産むことはできませんが、卵を温めるくらいは、できる――と、思うんですけど――」
 目を見張って自分のことを見つめているレナントゥーリオを見て、アヴェリオンの声が、どんどん自信なさげなものになっていく。
「あ、あの――や、やっぱり、私じゃだめなんでしょうか――?」
「――そんなことはないですよ」
 レナントゥーリオは、静かにアヴェリオンを抱きしめた。
「あなたはとても――とても優しい人なんですね――」
「……同じことが言えますか?」
「え?」
「私が今まで、いったい何をしてきたのか、その目で、その三つの瞳ですべて見届けても、それでもあなたは、同じことが言えますか――?」
「……アヴェリオンは」
 レナントゥーリオは、静かな声で言った。
「私が今まで、いったい、何を『してこなかったか』を知っても、それでも――それでも今までと同じように、優しく私に、微笑みかけてくれますか――?」
「……何を……『してこなかったか』……?」
「『する』それとも、『してしまう』『してしまった』ことによる罪、というものは、確かにあるのだろうと思います」
 レナントゥーリオは、ふと遠い目をした。
「でも――『しない』それとも、『しようとしない』『してこなかった』ことにだって、きっと――同じくらいか、もしかしたら、それ以上に――罪があるのではないか、と、私は思います――」
「……よく、わかりませんが」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの痩せた胸に抱かれたまま、細い声で言った。
「私は――あなたが悲しい顔をしているのは、いやです」
「やっぱりあなたは優しいですね」
 レナントゥーリオは、愛しげに、アヴェリオンの髪をなでた。
「……今、おなかがこれしか大きくなっていない、ということは……」
 アヴェリオンは、ふと不安げな顔をした。
「生まれてくる卵……というか、生まれてくる赤ちゃんは、かなり小さいんですね……」
「ええ。私の骨格は、『男』のままですから。小さくないと、骨盤を通ることができないんですよ」
 レナントゥーリオは、落ちついた声で言った。
「だから、赤ちゃんも、ずいぶん小さく産まれてきます。でも、大丈夫です。小さく産んで、大きく育てますから。――まあ、もっとも」
 レナントゥーリオはフッと苦笑した。
「子供が私に似たら、どうしたって、そんなに大きくなりようがないんですけど」
「……あなたに似ているといいな」
 アヴェリオンはうっとりとした、だが、どこかに苦痛をひそめた声で言った。
「私に、似ていないといい」
「あなたにも似ていますよ。私とあなたの子供なんですから」
「……あまり私に、似ていないといい……」
「私は、あなたに似ていてほしいですよ、アヴェリオン」
「……あなたに似ていたほうがいい」
「…………」
 レナントゥーリオは、静かにアヴェリオンの髪をなで続けた。
「…………レナン」
「はい。……ここにいますよ。私は、ずっと、ここにいますよ……」
「…………ずっと、いっしょに、いて…………」
 細い声で、弱々しくつぶやくその声は。
『勇者』のものでも、『狂気の復讐者』のものでもなく。
 時を凍らせてしまった、一人ぼっちの幼子のものだった。



「ただぁいまぁ!! おぅん? 次期魔王候補のこのぼく、オリエンヌ様が城に帰って来たっていうんに、だーれも出迎えに出てこんのかぁ?」
「お帰りなさいませ、オリエンヌ様。道中何事もなかったようでなによりです」
 と、うやうやしく、やたらともいもいとした小動物系ロリっ子、もしくはショタっ子に頭を下げるインプのライサンダー。この、小動物系ちびっ子こそ、何を隠そう、次期魔王候補、オリエンヌである。
「ありゃりゃ、オリエンヌ様、帰ってきちゃったんですかあ? この城には、まだ一応、勇者様御一行が御滞在中なんですけどねえ」
 と、ちょっとあきれたように言う、淫魔のエルメラート。
「ああ、ごめん。オリーちゃんのせいじゃないんだ。私がもう、疲れちゃって――」
 と、オリエンヌの後ろから、げんなりとした風情で現れたのは、非常に長身で、全身に美しい筋肉がつき、ほとんど人間の頭と同じくらいある、非常に立派な巨乳を持ち、しかも、美しく整った彫刻のような顔と、澄み渡った翡翠色の瞳、濃紫の腰まである髪を持った、凄まじいまでの美女であった。その背には竜の翼がまるでマントのように折りたたまれ、竜の尻尾を腰の周りに巻きつけてある。彼女こそ、無敵無敗を誇る竜人、魔界将軍ナルガルーシェである。
「えええええー? いくらなんだって、勇者のパーティーが全員城にいるこの状況で、人間界にナルガさんが手こずるような相手がいるとは思いませんけど?」
「だよなあ。俺もそう思う」
 と、首をひねるエルメラートとライサンダー。
「戦闘で疲れたんじゃない……単純な戦闘だったら、私、あと5年でも50年でも、一人で戦い続けたってかまわない……」
 ナルガルーシェは、恨めしげにうめいた。
「だが……だがな……『すみません、終わった後で殺されてもいいんで、お願いですからその見事な巨尻に、思いっきりブッかけさせてください!!』『あ、じゃあ、俺も、殺されてもいいんで、その素敵な巨乳で思いっきり挟んでください! いやむしろ、巨乳に挟まれたまま窒息死するなら本望です!!』なんてことしか言わない相手と、建設的な議論をしようと試み続けるというのは……さ、さすがの私でも、精神的にきつすぎる……!!」
「あー、それじゃあ、竜身のまんまで話しあいをすればよかったんじゃないですか?」
 と、あっけらかんとした顔で言ってのけるエルメラート。
「それだとあいつら、はなから言葉をかわそうともしないで逃げまどうからな……つ、疲れた……もう、なんというか、しなくていい苦労を百年分したような気がする……!!」
「お疲れ様です」
 ライサンダーは、ナルガルーシェに向かってうやうやしく、深々と頭を下げた。
「どうかこの城の中では、思う存分おくつろぎください」
「ありがとう。悪いがそうさせてもらう……」
「のうのう、おじしゃん元気かあ?」
 と、のんきな声で言うオリエンヌ。
「ええ、魔王様は、とってもお元気ですよ。もうじき、卵を御産みになられます」
「えへへ、ぼくよりちっちゃい子が生まれるんやあ。うれしいなあ」
 オリエンヌは無邪気に笑った。
「ぼく、赤ちゃんかわいがってやるんやあ」
「ええ。そうしてくださればきっと、魔王様も勇者様も、とてもお喜びになられますよ」
 ライサンダーは、落ちついた声で言い、オリエンヌに向かって、うやうやしく一礼した。



「おいおい、なんだよこの面白珍動物は!?」
「やめえや! やめえや!!」
『金色の大賢者』ランシエールに、プニプニとしたほっぺたを、思う存分つつきまわされた、次期魔王候補オリエンヌは、元々まるいほっぺたを、さらにまんまるくふくらませて憤然と抗議した。
「おまえ、あれやで、無礼やで! ぼくを誰やと思っとるんやあ! 次期魔王候補のオリエンヌやぞ! きちんとそれなりに、敬意というものをはらえやあ!!」
「いやー、おめーはどっからどーみても、次期魔王候補っていうよりも、面白珍動物だろうがよー」
 と、ニヤニヤ笑うランシエール。オリエンヌは、深紅の三つの瞳を大きく見開いて、ジタバタと地団太を踏んだ。
「うるさいやあい! 誰が面白珍動物やあ!!」
「おめーだよ、おめー」
「ちがわあい! ぼくは、次期魔王候補だあい!!」
「おい、おっさん」
 ランシエールは、ニヤニヤ笑いのまま、魔王レナントゥーリオのほうを見やった。
「おめーの血筋っていうのは、あれか、なにか、おめーやこのもいもいみたいな、面白珍動物を量産する血筋なのかあ?」
「は、はあ、お、面白珍動物ですか……あ、あの、ランシエールさん、私のことは、別に面白珍動物でもなんでも、お好きなように呼んでくださってかまいませんが、オリエンヌさんは、あの、そういうふうに呼ばれるの、その、おいやみたいですよ? ですからあの、そんなふうに呼ばないであげていただけると、まことにありがたいんですが……」
「そのとおりだ」
「おお!」
 ずい、とばかりに前に出てきた、魔界将軍ナルガルーシェを見て、ランシエールはポカンと口を開けた。
「なんて良質なおっぱいちゃん! おい見ろよパンディ、あいつの胸、もしかしたらおめーよりでけーかもしんねーぞ!?」
「でも、パンドリアーナ様の胸のほうが、絶対にやわらかいわ――!!」
 と、力説するのは、当の魔女パンドリアーナではなく、何故か剣士サラスティンである。
「そうねえ、あたしより、大きいかもしれないわねえ。すごいわあ」
 と、余裕綽々の魔女パンドリアーナ。
「オリエンヌさん、長旅お疲れさまでした。この城に戻ってこられたからには、どうか、ゆっくりくつろいで下さいね」
「魔王のおじしゃんは、いっつもぼくのことを、ちゃあんと、『オリエンヌ』って呼んでくれるから、大好きやあ」
 次期魔王候補オリエンヌは、機嫌よく、ニコニコと笑った。
「おじしゃん、もうすぐ、卵産むんやろ?」
「ええ、もうすぐね、産卵いたします」
「産卵――なんて甘美な響き――!!」
 という、恍惚の叫びとともに、元気よく鼻血を吹きだす勇者アヴェリオン。
「おいこらちょっと待てアヴェ公!? い、今の会話のどこに、おまえが興奮して鼻血噴く要素があった!?」
「なに言ってるのよランシー! あんなこと聞いちゃったら、あたしだって鼻血くらい噴くわよ!!」
「うるせえ馬鹿やろ! 帰ってションベンして寝ろ! この腐れ魔女!!」
「あらいやだ、下品ねえランシー。腐れ魔女、ねえ。まあ、別に間違っちゃいないけど、どうせ呼ぶなら、『貴腐人』とでも呼んでもらいたいもんだわ☆」
 と、ランシエールの罵声を、悠然と受け流すパンドリアーナ。
「魔王様、御身体の御加減はいかがですか?」
 と、うやうやしく問いかけるナルガルーシェ。
「ありがとうございます。つわりもおさまりまして、体の調子はすごくいいですよ。なにしろ、毎日愛する人と過ごしていられますからねえ。これで体の調子がよくなかったら嘘というものです」
 と、にこやかにこたえるレナントゥーリオ。
「魔王しゃん、卵ちゃん産まれたら、ぼく、あっためるの手伝ってあげるけんね」
「ありがとうございます、オリエンヌさん」
「赤ちゃん産まれたら、抱っこさせてくれえや」
「ええ、もちろん、喜んで」
「……人間界だったら、私とレナンさんの子供と、現時点での次期魔王候補、オリエンヌさんとのあいだに、血で血を洗う抗争が起こったり、家臣達が、魔王の嫡子派と、現時点での次期魔王候補派とに分裂したりするんでしょうが、ね」
 と、奇妙な笑みを浮かべてつぶやくアヴェリオン。
「なんでそんなことせなならんのやあ?」
 オリエンヌは、心底不思議そうに首をひねった。
「人間と血が混じると、子供の寿命はすごく縮むことくらい、ぼくかて知っとるで。魔王のおじしゃんと、勇者しゃんの子供が、魔王になりたいっていうなら、ぼく、その子が寿命で死ぬまで待ってあげてもかまわんのやで」
「……あなたはきっと、親切で言ってくれているのでしょうね」
 アヴェリオンの琥珀の瞳を、激しい苦痛がよぎった。
「私の、『人間』の血は、私達の子供から、そんなにも寿命を奪うんですね――!!」
「そんなふうに、考えないでください」
 レナントゥーリオは、優しくアヴェリオンの肩をたたいた。
「あなたがいなければ、そもそも、私達の子供なんて、けっしてどこにも、存在することなんてできないのですから」
「それに、おじしゃんと勇者しゃんの子が、ぼくやおじしゃんみたいに、『魅了の魔眼』を持って生まれてくるかどうかもわからんしの」
 オリエンヌは、のんびりとした声で言った。
「え? 『魅了の魔眼』?」
「ぼくや魔王しゃんの目みたいな、真っ赤な三つ目のことやあ。『魅了の魔眼』がないと、魔王にはなれんのやで?」
「ああ――その、深紅の三つ目が、あなた達の、『特殊血統』の、一目でわかる証明になっているんですね――」
「ええ、まあ、そういうことですね」
 レナントゥーリオはかすかに微笑んだ。
「私が――というか、私の一族が、『魔王』に選出され続けているのは、ひとえにその、血統による特殊能力――生涯にただ一度だけ、絶対的な強者と運命的な恋に落ち、その『強者』を完全に魅了し、いわば、恋の奴隷、愛の奴隷と化してしまうという、その力ゆえ、ですからね――」
「魔王のおじしゃんは、むつかしいことを言うのう」
 オリエンヌは、あっけらかんとした声で言った。
「ぼく知っとるで。ぼくが、次期魔王候補になれたんは、ナルガしゃんが、ぼくのこと好きになってくれたからや。ぼくに惚れてくれたからや。魔王のおじしゃんも、運命の人が見つかってよかったの。のう、勇者しゃん、魔王のおじしゃんはの、自分の運命の人が現れるのを、ずっと、ずうっと、待っとったんやで。だからの、勇者しゃん、おじしゃんのこと、大切にしてあげとくれや、の?」
「ええ、言われずとも」
 アヴェリオンは、にっこりと笑った。
「あなたは本当に、誰からも好かれているんですね、レナンさん」
「『誰からも』じゃねーぞー。私は別に、そのひよひよ魔王のことなんかどーでもいい――ギャンッ!?」
「あらまあ。ランシーったら、『金色の大賢者』なんて呼ばれてるくせに、全然懲りないのねえ。お母さんの子宮の中に、思慮分別と学習能力とを、まるごと置き忘れてきちゃったのかしらねえ?」
 アヴェリオンの情け容赦のない飛び蹴りをくらって吹っ飛んでいくランシエールをチラリと見やりながら、パンドリアーナはあきれたように肩をすくめた。



「さて、ここで、人類の期待の星、『金色の大賢者』ランシエール様は、将来の憂いと禍根を断つために、次世代の魔王候補を孕みやがってるひよひよおっさん魔王を――」
「よし、将来どころか、今現在ここにある憂いと禍根を断つために、今ここで、『狂気の復讐者』の二つ名を持つ私が、あなたのその周囲に害悪をふりまくしか能のなかった人生に終止符をうって差し上げましょう」
「どわったったった!? ひ、人の話は最後まで聞けーーーーーッ!!」
「時間の無駄です」
 そう言ってのけるなり、真剣を振りかざして賢者ランシエールに襲いかかる勇者アヴェリオン。
「ぎゃああああああああッ!? て、てめえ、わ、私が今、超高速で防御魔法を多重展開させてなかったら、おまえは人殺しになっていたところだぞ!?」
「ああ、それでしたらもうなっておりますので御心配なく」
「サラッとそういうこと言うんじゃねえ!!」
「……やっぱり、後顧の憂いは絶っておくべきですかね?」
 アヴェエリオンは、もの思わしげな顔でそうつぶやいた。
「はあ? 何がなんだって?」
「ですから」
 アヴェリオンの唇に、凄絶な笑みが浮かんだ。
「後顧の憂いを断つために、人類を絶滅、あるいは、それに近いところにまで追い込んでおこうか、と考えているんですよ、私は」
「……やめとけ」
 ――不意に。
 賢者ランシエールは、ひどく真面目な顔で言った。
「おや、あなたにも、人類愛のかけらだかなんだかはあった、ということですかね、今のその発言は?」
「……おめえ、あのひよひよおっさん魔王のことを、そんなに不幸にしてえのか?」
「……なんですって?」
「私が賢者じゃなくったってわかることだぜ」
 ランシエールは、ひどく静かな声で言った。
「おめえが――自分の恋人が、ほかならぬ、『自分』のために、てめえの仲間を、この世界から根絶やしにした、なあんてことを知っちまったら――あのお人好し魔王のやつは、その後どんなに長い生を送るとしたところで――二度と幸せになるこたあ出来ねえだろよ」
「…………やはり、曲がりなりにも、『賢者』と呼ばれるだけのことはあるんですね、あなたも」
 アヴェリオンもまた、静かな声でつぶやいた。
「…………でも…………」
「……でも?」
「…………私は、怖いんですよ…………」
「……何が怖いってえんだ、アヴェちゃん?」
「…………私は、私を信じていない」
「は? ……なんだと?」
「あの人を――レナントゥーリオさんを恨んでいる人なんていない。まあ、人間にとって、魔王は、ほとんど絶対的と言ってもいい、『悪』ですが、人間が憎んでいるもの、恨んでいるもの、恐れているものは、レナンさん本人ではない。『魔王』という地位、もしくは役割です。あの人は――誰にでも好かれる」
「私はあの貧相なおっさんのことなんか、好きでもなんでもねーぞー」
「それはあなたの心が、神だろうと悪魔だろうと魔族だろうとなんだろうと、一目見ただけで面をそむけさじを投げ、きびすをかえして立ち去らざるを得ないほど、歪み濁り、堕落し、汚れきっているからです」
「親切心で相談にのってやってるのに、あり得ない程ひどすぎる罵倒をされた!?」
「……私を憎み恨み、恐れる人達は、ほかならぬ『私』自身のことを、憎み恨み、そして――恐れて、いる」
 アヴェリオンは、ひどく淡々と、そうつぶやいた。
「だから――だから――」
「……だから?」
「……幸いなことに、私には強大な『力』がある。そう、それはもう――私自身、ゾッと総毛立たずにはいられない程の、『力』が。だから――だから――」
「……だから?」
「だから――私のことを、憎み恨み、そして、恐れている者達は――私自身には、直接手を出しては来ない。ええ、今まではね――今までは、私には、何も、何も、何一つ、大切なものなどなかった。大切な相手などいなかった。だから――だからね、だから、よかったんですよ。私自身に手を出すことができないのなら、私の大切な物を壊せばいい。ええ、人間というものは――いえ、『人間』に限らず、そう思う者達はいくらでもいることでしょう。しかし、今までは――そんなものは、見つけることは出来なかった。私には、大切な物も者も、何一つありはしなかった。だから――私には、何の不安もなかった。けど――けど――!!」
「……だからって、復讐してきそうな相手を、根こそぎブッ殺しちまおうっていうのはあんまりじゃねえか? っつーか、いくらおめえだって、さすがに世界中の『人間』から恨まれてるってこたあねえだろ……」
「まあ、今のところはそうなのかもしれませんが、しかし、将来的にそういう事態に陥る可能性も、十二分に考えられますので」
「全人類と全魔族と、ついでに私のこれからの幸せな人生のために、今この場でアヴェ公の息をとめるか、超高位魔法を使って、異世界だか次元のはざまだかに封印したほうがいいような気がしてきたッ!!」
「どうぞ試して御覧なさい。まあ、当然私も、抵抗はさせてもらいますけどね?」
 そううそぶき、凶悪極まりない笑みを浮かべるアヴェリオン。
「…………なんでこんなのが、『勇者』になっちまったんだ…………!?」
 頭を抱えてそううめくランシエール。
「さあ? いったいどうしてでしょうねえ?」
 そう言って、クスクス笑うアヴェリオンの、琥珀色の瞳の中でうごめいているものを見て、ランシエールは、ゾッと身を引いた。
「……もしかしたら」
 ランシエールは、自分で自分の言っていることに驚いたかのように、その翡翠色の瞳を大きく見開いた。
「――もしかしたら、なんです?」
「もしかしたら――おめえが、あのひよひよおっさん魔王に出会ったのは――」
「……出会ったのは?」
「もしかしたら――ものすげえ、幸運だったのかもしれねえ――」
「…………いささか驚きましたよ。よもやあなたの口から、そのように理性と分別あふれる言葉を聞くことができようとは」
 アヴェリオンは、どこか疑わしげにランシエールをにらみつけながら、それでも幾分とげとげしさを和らげた声でそう言った。
「……だがな、同時に……」
「……同時に?」
「おめえと、あのおっさんが出会っちまったのは――大いなる破滅の、序曲なのかもしれねえ――」
「…………あなたは、愛されたことがありますか?」
「なに? ――なんだと?」
「あなたは誰かから、心の底から愛されたことがありますか?」
「…………」
「……初めて、だったんです」
 アヴェリオンは、かすれた声で、ささやくようにそう言った。
「初めて、だった。初めて――初めて――初めて私は、愛された――!!」
「……だからって、どうでもいい連中を、てめえが『不安』じゃなくなるために、皆殺しにしちまおう、なんて考えるのは、できればやめてくれよな」
 ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「……泣く、でしょうね」
「なんだと?」
「私がそんなことをしたら――レナンさんは、きっと泣くでしょうね――」
「…………」
『金色の大賢者』は、何も言わず、『狂気の復讐者』の二つ名をいただいた、『勇者』の瞳にたゆたうものを、まるでため息をつくかのように見守っていた。



「うん、まあ、なんというか、行く先々で、『あなたのああいう映像だったら、国の予算の半分をブチこんででも、なんとしてでも見せてもらうところなのに、なんでよりにもよって、あんないやがらせの極みのような映像を送って来たわけ!?』と、人間のオスどもに泣きつかれて非常に困った。というか、魔族の全権大使に会って、開口一番言うことがそれか? まったく、戦場で万の敵を相手にするよりも、よっぽど気疲れしたぞ……」
 とぼやきながら、生焼けの骨付き肉をバリバリと噛み砕く、魔界将軍ナルガルーシェ。竜人である彼女は、今は、非常に大柄で、凄まじいまでの美貌と、竜の羽根と尻尾とをもつ、力強い美女の姿をしているが、その食の好みなどは、その外見ほどは、竜身である時から変化してはいないようだ。
「あら、つまんないの。ねえねえナルちゃん、貴腐人はいなかったのかしら?」
 と、可愛らしく小首を傾げ、綺麗にマニキュアを塗った白い指で、小さなフルーツタルトをつまみ上げ、パクリとほおばる、『宵闇の魔女』パンドリアーナ。
「きふじん? さて――女性はあまりいなかったなあ」
 と、首をひねるナルガルーシェ。
「あら、なあんだ、つまんないの」
「……エーメ君、『きふじん』っていったいなんだい?」
 と、お茶会の給仕をしながら、同じくお茶会の給仕を務める淫魔のエルメラートに、こっそり問いかける、インプのライサンダー。
「男の人どうしのイチャイチャが大好きなご婦人がたのことです」
 と、あっけらかんと答えるエルメラート。
「ふーん、なるほど」
 と、あっさりうなずき、そのまま給仕を続けるライサンダー。
「みぃんな、失礼やったあ」
 と、そのかわいらしい丸いほっぺたを、さらにまんまるくふくらませてぼやくのは、次期魔王候補、オリエンヌ。その、深紅の三つ目と可愛らしい三本の角さえなければ、オリエンヌの容姿は端的に言って、ぽちゃぽちゃムクムク、もいもいした単なるちびっ子、である。
「みぃんな、ナルガしゃんとばっかりお話しして、ぼくのこと無視しよるんやあ。ぼく、次期魔王なのに。ぼくかて偉いのに!!」
「まあまあ、オリエンヌさん、人間さんの世界では、そのう……オリエンヌさんのような、『子供』の姿をしているかたには、政治的な発言権があまりないのが普通らしいですからねえ」
 と、おっとりとオリエンヌをなだめるのは、今現在、まさに現在進行形で『魔王』を務めるレナントゥーリオ。オリエンヌと同じく、深紅の三つ目と可愛らしい三本の角さえなければ、その容姿は、単なるしょぼくれたおっさんである。ただし、命が惜しかったら、この魔王レナントゥーリオと、相思相愛、熱愛真っただ中にある、『勇者』アヴェリオンの前では、絶対にそんなことを言わないほうがいい。
 まあ、その、漂白されたかのように青白い肌を見れば、オリエンヌやレナントゥーリオが、魔族に連なるものであることは、一目見ればなんとなくわかるのだが。
「そうなんかあ? でも、魔王のおじしゃん、ぼく、あれやで、ぼく、あんな連中よりも、ずぅっと年上やで?」
 と、口をとがらせるオリエンヌ。
「でも、人間さんがたから見れば、どうしたってオリエンヌさんは、『子供』に見えてしまうんですよ」
 やはりおっとりとそう言いながら、最愛の恋人の子供――というか、『卵』を孕んだ腹を、愛しげになでさするレナントゥーリオ。
「ぼくのが年上やのにー」
 と、ぷーっとむくれるオリエンヌ。
「あなた、もうそんな歳なわけ?」
 と、少し驚いたようにたずねる剣士サラスティン。
「もうすぐ100歳やで!」
 と、大きく胸を張るオリエンヌ。
「あら――それじゃ、魔王さん、あなたが産む子供も、何十年も、『子供』の姿のままなわけ?」
 と、レナントゥーリオを見やって首をかしげるサラスティン。
「ええと、アヴェさんの血が入りますからねえ。もっと早く成長すると思いますよ。まあ、普通の人間さんよりは、いくらか大人になるのが遅いかもしれませんが」
 と、ニコニコこたえるレナントゥーリオ。
「楽しみやなあ。赤ちゃん、早く見たいなあ。ぼく、ぼくよりちぃっちゃい子なんか、めったに見たことないんやあ」
 と、うれしそうに言うオリエンヌ。
「魔族は、子供が生まれにくいものねえ」
 魔女パンドリアーナが、フッとため息をもらした。
「その割には、魔王ちゃんは、びっくりするほど早く、子供を孕んでくれたけど。これはやはり、腐り神の大いなるお導きよね☆」
「その神様は、私は存じ上げておりませんねえ」
 と、のんきな声で言うレナントゥーリオ。
「人間は、あっという間に増えるからなー」
 と、どこか感心したように言うナルガルーシェ。
「人間と血を混ぜたほうが、子供が生まれやすくなるだろうっていうことはわかっているんだが――しかし、なあ――」
「そやねえ……」
「あなたがた、もしかしたら、種族の『純血』とかにこだわってるわけ?」
 と、小首をかしげるサラスティン。
「純血? いや、そんなものにこだわりはないぞ。だいたい、私とオリーちゃんだって、種族が違うといえば違うには違いないんだから」
 と、肩をすくめるナルガルーシェ。
「だったら、どうして?」
「……それは……」
「……えっと、やね……」
「……寿命、ですよ」
 不意に。
 レナントゥーリオが、静かにそう告げた。
「人間と、血を交えますとね――私達は、自分の、子や、孫や、ひ孫たちが、次々と、自分より先に死んでいく姿を、ずっとずっと、ずっと、見つめ続けていくことになるんですよ――」
「……後悔、してるの?」
 サラスティンは、ポツリとそう問いかけた。
「後悔なんか、しませんよ」
 レナントゥーリオは、にっこり笑ってそうこたえた。
「……『真に辛いは 取り残されて』」
 パンドリアーナが、ポツリとつぶやいた。
「この世界ではない、どこか別の世界の物語の中に、こんな言葉があるそうよ。『死んでいく身の なに辛かろよ 真に辛いは 取り残されて』。そう――本当につらいのは、死んでいくほうじゃなくて、取り残される側なのかもしれないわね、もしかしたら――」
「それでも私は、幸せですよ」
 レナントゥーリオは、晴れやかな笑みを浮かべた。
「それでも私は、とっても幸せです」
「幸せなんが、一番やよ」
 オリエンヌは、うんうんとうなずいた。
「ええ、ほんとに、幸せなのが――!?」
 レナントゥーリオは、下腹を押さえて、大きく息を飲んだ。
「ま、魔王のおじしゃん、どないしたんや!?」
「あ、あの……え、ええと……も、もしかして、これがそうかな? はは……も、もう、そんな時期になってたんですねえ、考えてみれば……」
「まさか!?」
「魔王様!?」
 ナルガルーシェとライサンダーが、ハッと大きく息を飲んだ。
「勇者様を、お呼びしてまいりましょうか?」
 エルメラートが、きびきびと問いかけた。
「ええ、あの……お、お願い、できますか……?」
「あら、まあ、レナンちゃんったら」
 パンドリアーナは、そのふくふくとした両手を、ハタとうちあわせた。
「それってもしかして――もしかして、陣痛なの!?」
「あの……ええと……は、はい……ど、どうやらそのようですねえ……」
 レナントゥーリオは、フニャリとした笑みを浮かべた。



「――!?」
 カクン――と、ひざをつき、ポカンと開いた口から、声を出すことすらできないで。
 茫然自失する勇者アヴェリオンを、賢者ランシエールと、淫魔エルメラートもまた、茫然と見つめた。
「……勇者様?」
 エルメラートは、そっとアヴェリオンに声をかけた。
「あの――ごめんなさい、ぼく、何かおかしなこと言っちゃいましたか? ごめんなさい、あなたがた人間の感覚と、ぼく達の感覚って、ずれてることが多いから――」
「いや、おめーは別に、何もおかしなことなんか言ってねえぜ。要するにあれだ、あの、ひよひよおっさん魔王が、この悪人面陰険暴力勇者アヴェリオンのガキを、出産――だか、産卵だかしやがるって教えに来たんだろ?」
「あ、はい、そのとおりです。あの――魔王様、できれば、卵を産むときに、勇者様におそばについていてほしいっておっしゃってらっしゃるんです。まあその、魔王様はああいう御方ですから、別に無理していらっしゃらなくてもいい、とは、おっしゃってらっしゃるんですけどね。でも――ぼくは、勇者様に、魔王様のおそばについていてあげてほしいです」
「…………私の、子供…………」
「落ちつけアヴェちゃん。たとえおめーの子供が、おめーそっくりの、陰険でひねくれまくってて、それでいて衝動的で凶暴で、につめた鳥餅よりねちっこくって厭味ったらしい性格をしてやがって、そんでもっておめーと同類嫌悪で嫌いあって、元気よくおめーの寝首をかきに来るような、そんなガキに育つとしたって、おめー、あれだぞ、今からおっさん魔王が産もうってえのは、赤ん坊どころか、卵だぞ? おめーが今からビビる必要はねーって」
 と、慰めるているんだかおちょくっているんだかわからないようなことをベラベラとまくし立てる賢者ランシエール。
「…………私は」
 アヴェリオンは、泣き出しそうな顔でつぶやいた。
「私は、ちゃんと――ちゃんと、自分の子供を可愛がれるんでしょうか――?」
「んなこと知るか」
 ランシエールは、すげなくそう言い放った。
「まあ、ふつーは自分の子供は可愛がるんじゃねーの? 私のじっちゃも親父も、私のことは可愛がってくれたぞ。……おふくろは、早くに死んじまったから覚えてねえけどよ……」
「……私の両親は、早くに死んだわけではありません」
 アヴェリオンは、ポツリとそうつぶやいた。
「けれども私には……両親の記憶がほとんどない……」
「はあ? そりゃまたどういうこった?」
「…………簡単なことです」
 アヴェリオンの唇に、ひどくうつろな笑みが浮かんだ。
「私の両親は……私のことが、ちっとも好きじゃなかったんですよ……」
「……まあ、よくあるこったな」
 ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「折り合いの悪ぃ親子なんざ、この世の中に掃いて捨てるほどいるぜ」
「そうですよー。ぼくら魔族の中にだって、仲の悪い親子はいっぱいいますよー。ぼくの知りあいの淫魔の親子は、おんなじ人を好きになっちゃって、その人のとりあいで、ものすごい大決戦してましたよー」
 と、あっけらかんと言うエルメラート。
「…………あなたがたは、優しい、ですね」
 アヴェリオンは、そう言って、ほんのわずか微笑んだ。
「おおっと、おめえがそんな殊勝なこと言いやがると、あとで何か反動がきそうでおっかなくってしゃあねえぜ」
 と、肩をすくめるランシエール。
「ぼくは、勇者様が、御子様のことを好きになれるかどうかなんてわかりません」
 やはりあっけらかんと、エルメラートは言ってのけた。
「でも、勇者様が魔王様のことを愛してらっしゃるのは、これはもう、どう間違えようもない事実です。ですからあの、御子様のことを好きになれるかどうかは、とりあえずおいておいて、今現在大変な思いをしてらっしゃる、魔王様のおそばに、行ってあげていただけませんかねえ? そうしてくださったら、魔王様、きっとものすごく、喜ばれると思うんですよ、ぼく」
「……それは、そのとおりですね」
 アヴェリオンは、スッと背筋を伸ばした。
「――行きます。あの人のもとへ」
「ありがとうございます」
 エルメラートは、ニコリと微笑んだ。
「大丈夫ですよー」
 エルメラートは、ニコニコと言った。
「たとえ勇者様が、自分の御子様のことをあんまり可愛いと思えなくても、魔王様だったらきっと、勇者様の分も、御子様のことを可愛がられるでしょうから。別に何の問題もありませんよ」
「……あなたのように生きられたのなら、幸せなのかもしれませんね」
「ええ。ぼくは毎日、とっても幸せですよ」
「……どうして私達は、幸せになるのが下手なのでしょうか……?」
「勝手にひとくくりにまとめるんじゃねえよ。……と、言いてえところだが」
 賢者ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「おめーの言ってることも、あながち間違いじゃあねえのかもしれねえなあ……」
「まあ、あれですよ」
 アヴェリオンもまた、ヒョイと肩をすくめた。
「いかな私だって、『卵』のことを、憎んだり嫌ったりすることは、非常に難しいでしょうから、ですからまあ、それなりに、猶予期間が与えられたと、言って言えなくもありませんね」
「……『卵』のことを、憎んだり嫌ったりするやつがいたら、そりゃあ確かに、そいつはかなりイカレてやがんな……」
 ランシエールは、大きく一つ、ため息をついた。



「あ――アヴェさん」
 魔女パンドリアーナと、インプのライサンダーに付き添われ、部屋の外には、無敵の竜人、魔界将軍ナルガルーシェを護衛に侍らせ。
 魔王レナントゥーリオは、寝台の上で、フニャリとした笑みを浮かべた。
「わ、わざわざすみませんねえ。あの……なんというか、あの……」
「――レナン」
 アヴェリオンは、自分に向けて差しのべられた、レナントゥーリオの、細く、小さく、青白い手をそっと、だが、懸命に握りしめた。
「レナン――レナン――ああ、レナン――レナントゥーリオ――!!」
「……ほんとに、親孝行な子ですよ」
 レナントゥーリオは、愛おしげに、自分の下腹をなでさすった。
「卵で産まれてくる時と、卵から産まれてくる時――孵化する時と、二度も私達を喜ばせてくれるんですから。ほんとにほんとに、いい子ちゃんです。ね――アヴェさんも、そう思いますよね――?」
「思いますよ」
 アヴェリオンは即答した。
「この子はほんとに――ほんとにほんとに、いい子ちゃんです――!!」
「……道が開いたら、すぐ、生まれると思います」
「道?」
「ああ、ええと――産道、って言えばいいんですか? それが開いたら、なにしろ卵ですからね。ツルッと出てきちゃいます、はい」
「……何色でしょうね?」
「え?」
「卵の色は――いったい、何色でしょうね?」
「私にも、わかりません」
 アヴェリオンの言葉に、レナントゥーリオはクスリと笑った。
「アヴェさんは、何色の卵がいいですか――?」
「何色でもかまいません」
 アヴェリオンは、静かに微笑んだ。
「ただ――無事に生まれてきてくれさえすれば――」
「アヴェさんは、本当に優しいですねえ」
「…………優しいのは、私ではなくて…………」
 アヴェリオンはそっと、レナントゥーリオの手を、自分の頬にあてた。



「アヴェ、あんたはこっちに来なくていいから」
 魔女パンドリアーナはあっさりと言った。
「うかつに出産の生々しいところをバッチリ目撃しちゃって、不能になる男も結構多いんだから。あんたはそこで、レナンちゃんの手を握って、顔を見て励ましてあげてなさい。……それにしても」
 と、チラリとインプのライサンダーを見やるパンドリアーナ。
「あなた達……」
「あ、俺は大丈夫ですよ。魔王様の産卵を見たって、不能になったりなんかしませんから」
「……そうじゃ、なくて」
 パンドリアーナは、フッとため息をついた。
「あなた達、よく、自分達の魔王様の出産なんて一大事を、自分で言うのもなんだけど、その、当の魔王を討伐しにきた、『魔女』なんかにホイホイ任せるわねえ」
「いやあ、あなたが本気で邪魔する気だったら、今さら産室に入れようと入れまいと、そんなのあんまり関係ないでしょ」
 と、あっさり言い放つライサンダー。
「まあ、それはそうだけどねーw」
「……女の人は、大変ですよねえ」
 と、顔じゅうに脂汗を垂らしながらも、そんなのんきなことを言う、魔王レナントゥーリオ。
「だって、赤ちゃんは、卵よりずっと大きくて、ずっと形も複雑なのに、それでもきちんと産む……あ、いたたたた……」
「そりゃあ、女はそのために、骨盤広くしたりして頑張ってるんだから」
 と、誇らしげにパンドリアーナが言う。
「……私が代わりに産んであげられればよかったですね」
 レナントゥーリオに、きつく手を握り締められながら、勇者アヴェリオンは、真剣な顔でそうつぶやいた。
「私のほうが、あなたより、若くて体も丈夫なんですから、私が産んであげられればよかったですね……」
「そ、それじゃあ、その代わりに、卵をあっためるの、手伝ってください」
「はい、もちろん!」
「……いい子ですね……」
 レナントゥーリオは、フッと、陣痛の痛みを忘れたかのように優しく微笑み、その細い手を伸ばして、アヴェリオンの頭を優しくなでた。
「いい子、いい子……アヴェはほんとに、いい子、いい子……」
「――!!」
 アヴェリオンの体が激しく震えた。パンドリアーナもライサンダーも、それを見ても、何も言わなかった。
「あ、あ、あ、あッ!!」
 ガクン――! と、レナントゥーリオの体がのけぞる。その細い体を、アヴェリオンは懸命に抱きしめた。
「あ、あの、パンディさん、ライサンダーさん、も、もう産まれるんですか!?」
「あんた、もうちょっと気長になりなさいよ、アヴェ。そんなにすぐには産まれないの。人間の女のお産なんか、下手したら、丸一日かかることだってあるんだからね!」
「ま、丸一日!?」
「大丈夫です、大丈夫です。いざとなったら、俺達のほうにだって、回復魔法の使い手くらいいます」
 と、なだめるように言うライサンダー。
「だ、だったら今すぐ回復魔法を!!」
「あー……それは、その……出来れば今はやめておいたほうが……」
「ど、どうして!?」
「その……回復魔法っていうのはたいてい、怪我や病気で損なわれた体を、『元の状態に戻す』魔法なわけですね。それがその……この場合には、なんともまずいことになっちゃうんですよねえ……」
「だ、だから、どうして!?」
「『出産』というのは、『普通』の状態ではないからですよ」
 ライサンダーは、ため息をつきながら肩をすくめた。
「ですからその……うかつに回復魔法をかけちゃったりすると、せっかく開いてきた産道が、『元の状態』に戻ろうとして、閉じちゃう、ってことにも、なりかねないんですよねえ……」
「え――!?」
「俺達も、『出産』には、うかつに手を出すことができないんですよ。でも、御安心ください。経過は順調ですから」
「ほ――ほんと、ですか?」
「ほんとです。信じてください」
「……はい」
 力強く断言するライサンダーの言葉に、アヴェリオンは、子供のように素直にうなずいた。
「あら――すごい、アヴェが来たから、レナンちゃんたら、はりきっちゃったのかしら?」
 パンドリアーナは、感心したような声をあげた。
「もっとかかるかと思ってたら、どんどん産道と子宮口が軟らかくなって開いていくわ。レナンちゃん、アヴェ、これ――もうじき、産まれるわよ。よかったわね」
「…………」
「…………」
 アヴェリオンとレナントゥーリオは、それぞれ無言でパンドリアーナにうなずきかけ、そして、互いの視線を絡めた。
「…………生々しいわねえ」
 その視線の先を、定かには定めず。
 パンドリアーナは、小さく苦笑してそうつぶやいた。
「ああ、これはもう、いきんでいただいたほうがいいかもしれませんねえ」
 ライサンダーは、冷静にそうつぶやいた。
「魔王様、すみません、大丈夫ですか? いきめそうですか?」
「あ……は、はい……」
「じゃあ、思いっきりいきんでください」
「……あの」
 レナントゥーリオは、アヴェリオンを見上げ、フニャリとした笑みを浮かべた。
「いきむ時、手を、思いっきり握っちゃうと思いますけど――痛くしちゃったら、ご、ごめんなさいね――?」
「痛くしてほしいんです」
 アヴェリオンは、きっぱりとそう言いきった。
「あなたが痛い時には、私も、痛くなりたいんです――!」
「……あなたは、ほんとに、ほんとに優しい人……あううううッ!?」
「はい、いきんでください、魔王様、いきんで!」
「レナンちゃん、息とめちゃだめよ! ちゃんと息して! はい、吸って、吸って、吐いて! 吸って、吸って、吐いて! ヒッヒッフー、ヒッヒッフーよ!!」
「……ふ……」
 三つの瞳に涙がたまり、三本の角の周りに汗がたまる。
 レナントゥーリオの、細く、小さく、青白く、華奢な手が、力一杯、アヴェリオンの指の長い手を握り締めた。
「あっ、あっ、あっ、あっ――あーッ!!」
「そのまま! そのまま! いきむのをやめないで!!」
「あ、出る、出る、出る、出てきちゃう――!!」
「いいの! 出していいんだから! そのまま出しなさい!!」
「ああ、ああ、ああ! ああ――ああ――あ……アヴェ?」
「は、はい、こ、ここにおりますよ?」
「…………うれしい?」
 細く、かすれた声で、レナントゥーリオはそう問いかけた。
「――はい」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの手を、かたく握りしめた。
「今まで生きてきた中で、一番、うれしいです」
「…………よかった…………」
 レナントゥーリオは、透き通った笑みを浮かべた。



 ……それから、ほどなくして。
 魔王レナントゥーリオは、空色のまろやかな卵を産み落とした。



「魔王のおじしゃん、卵ちゃんさわらせとくれやあ」
「ああ、いいですよ、どうぞどうぞ」
「ありがとなあ」
 と言って、トテトテと、魔王レナントゥーリオに歩み寄っていくもいもい生物――いやいや、次期魔王候補のオリエンヌを見て、勇者アヴェリオンは、なんとも言えない不安げな顔をした。
「あ、あのですね、オリエンヌさん、わ、私達の赤ちゃんをですね、その――ま、万が一にも、割っちゃったりなんかしないで下さいよ?」
「大丈夫やあ。勇者のおじしゃんは心配症やのう。ぼく、卵ちゃんを、優しくなでなでしてあげたいだけやあ」
「…………お、おじさん…………」
「おぅん? どないしたんなあ? ……あ、そっかあ。勇者しゃん、本当は、ぼくより年下やもんなあ。おじしゃんなんて言って、ごめんなあ」
「……私より、あなたのほうが、年上、なんですよね?」
 アヴェリオンは、腑に落ちないと言いたげな顔で、2、3度軽くかぶりをふった。
「ううむ……失礼ながら、どこからどう見ても、そうは見えないんですが……」
「そらしょうがないやんかあ。ぼく、ぼく達の種族としては、まだ子供やもん。これからきっと、もぉっと大人っぽくなって、カッコよくなるんやもん!!」
「いやあ、オリーちゃんは今だって、十分可愛いし、十分カッコいいよ」
 と、慈愛に満ちた目でオリエンヌを見つめながらそう断言する、魔界将軍ナルガルーシェ。無敵の竜人にして、賢者ランシエールをはじめとする、一部の人々のいうところによれば、『超良質なおっぱいちゃん』である。
「そういえば、あなたやレナンさんも、卵で産まれてきたんですか?」
 と、魔王レナントゥーリオが大事に大事に抱え込んで温めている、空色の卵を、その小さくやわらかな手で優しくなでているオリエンヌに問いかけるアヴェリオン。
「おぅん? ぼくらは違うでえ。ぼくの母しゃんも、魔王しゃんの母しゃんも、産まれた時女の体やったからの。別に卵を産む必要なかったんや。ぼくも魔王しゃんも、普通の赤ちゃんで産まれてきたんやで」
「そうなんですか……ん? あの、オリエンヌさん、ではあなたは、『産まれた』時はどちらの体だったんですか?」
「ぼかぁ、産まれた時は女の子やったで。でも、ナルガしゃんが女の子やからの。ぼく、女の子のまんまで、男の子にもなったんやで」
「そうですか……いわゆる、『ふたなり』というやつですね」
「ようわからんが、そんな感じなんかの?」
 と、のんきに首を傾げるオリエンヌ。
「そうすると――あの、レナンさん」
「はい、なんでしょうか?」
「私達の子供の性別って、いったいどういうことになるんですか?」
「……ああ」
 レナントゥーリオは、静かに微笑んだ。
「そうですね――私達の血筋は、性別的に融通がきく、といえば聞こえはいいですが、逆に言えば、性別が非常に不安定なんですよ。ですから、その――普通の、男の子や女の子として産まれてくる場合と、いわゆる、『ふたなり』として産まれてくる場合と、あとはその――性別が『ない』状態で産まれてくる場合と――」
「せ、性別がない!?」
「ああ、ええとその、大きくなれば、性別が現れてくる場合もありますし。その……場合によってはその……一生、性別がないまま、ということもありますが……」
「どんな体で産まれてくるにせよ」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオににっこりと笑いかけた。
「私達の、大切な大切な子供であることに変わりはありません」
「……そのとおりです」
 レナントゥーリオもまた、うれしそうにアヴェリオンに笑いかけた。
「……私も、卵産むことになるんだよなあ」
 ナルガルーシェが、ボソリとつぶやいた。
「いくつくらい産まれるかなあ。数の調整ができればいいんだけど、さすがにそうそううまくはいかないからな……」
「ナルガしゃん、卵産むんか? 竜の体になって産むんか?」
「そうだね、そっちのほうが、楽に産卵できるだろうから」
「そっかあ。んふふ~、ぼくの赤ちゃんかあ。楽しみやなあ」
「ま、まあ、まだまだ先の話だけどね」
 と、頬を染めるナルガルーシェ。
「オリエンヌさんとナルガルーシェさんの赤ちゃんが産まれたら、私達の子供達とも、遊ばせてやってくださいね」
 と、ニコニコしながら言うレナントゥーリオ。
「こ、子供達――!!」
 と、鼻血を噴きかけるアヴェリオン。
「あ、あれ? ア、アヴェリオンさんは、こ、子供の数は、少ないほうがよかったりとか――」
「そんなことは全然ありません安心してください頑張りましょうたくさん子供つくりましょう最低でも10人はつくりましょう!!」
 と、これで相手がレナントゥーリオじゃなかったら、その必死の形相を一目見ただけでひきつけを起こして泣き出すんじゃないかというほどの顔でレナントゥーリオに迫るアヴェリオン。
「はい、頑張ってたくさん産みます」
 と、うれしそうにこたえるレナントゥーリオ。
「……私だったら、卵10個くらい一気に産んじゃうこともあるだろうなあ……」
 と、小首を傾げてつぶやくナルガルーシェ。
「卵10個! ぼく温めきれんで!?」
 と、目を丸くして驚くオリエンヌ。
「ああ、大丈夫だよオリーちゃん。私の卵だったら、私のつくった巣の中に転がしておけば普通に産まれてくると思うよ」
 と、サラリと言ってのけるナルガルーシェ。
「いっぺんに、赤ちゃん10人も産まれるんかあ? どやって育てるんなあ?」
 と、そのポヤポヤとした眉を不安げにひそめて問いかけるオリエンヌ。
「え――ああ、私達の種族の子供だったら、結構ほったらかしでも丈夫に育つんだけど――そうか、子供がオリーちゃんに似てたら、いろいろと面倒見てあげないといけないな……」
「ぼくに似た子やったら、絶対もいもいしてるで。で、ナルガしゃんに似た子やったら、絶対、ビッとしててカッコええで。……ナルガしゃんに似てる子のほうがええなあ、ぼくは」
「ええッ!? そ、そんなことないよ! わ、私に似た子なんて、きっと、無愛想でつまんないよ! オリーちゃんに似た子のほうが、きっと絶対可愛いよ!!」
「んじゃあ、どっちに似た子が産まれても、ぼくらどっちかはうれしゅうなれてええのう」
「あっ、そうだね。オリーちゃんは、本当に賢いね!」
「……私達の子は、どちらに似ているでしょうね?」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオに、優しくそう問いかけた。
「どちらに似ていても、きっと、世界一可愛いですよ」
 レナントゥーリオは、深い確信をこめてそう断言した。
「ええ――そうですね――」
 アヴェリオンの形のいい手が、レナントゥーリオが抱きかかえる、空色の卵を愛しげになでさすった。



「…………」
「お上手ですねえ」
 目にもとまらぬ速さで編み棒を動かし、赤ん坊の小さな靴下を編みあげていく剣士サラスティンを見て、魔王レナントゥーリオは、感心しきったような声をあげた。
「……手を動かしているのが好きなの」
 サラスティンは、レナントゥーリオに、かすかに微笑みかけた。
「そうなんですか。私も、編み物は好きで時々やるんですけど、とてもとても、サラスティンさんのように、素早く正確には編めません」
「でも、私、お手本どおりにしかつくれないのよね」
 サラスティンは、フッとため息をついた。
「お手本を見て、そのとおりにつくるんじゃないとだめなの。出来ないの。だから、わざわざライサンダーに、編み物の本を探してきてもらったんですもの」
「……もう、どこからどうツッコんでいいのかさえわからなくなってきたぞ……」
 賢者ランシエールは、大きくうめきながら頭を抱え込んだ。
「だったら別に、無理にツッコむ必要もないんじゃない?」
 魔女パンドリアーナはサラリとそう言ってのけた。
「私がツッコミを放棄したら、いったい誰がツッコミを入れるんだよ、この気の狂った状況に!?」
「どこが気の狂った状況なのよ?」
 パンドリアーナは、優雅に小首をかしげて見せた。
「一人の若い女が、もうすぐ赤ちゃんが生まれる友達のために、赤ちゃん用の靴下を編んであげているのよ? これの、どこがどう、気が狂ってるっていうのよ? 美しい、麗しい、心の和む光景じゃない、ねえ?」
「その、『友達』っていうのが、魔族の長の魔王の野郎で、『もうすぐ生まれる赤ちゃん』っていうのが、ほかならぬ、その魔王討伐に来た勇者と、討伐されるはずだった魔王とのあいだに出来たガキっていうんじゃなきゃな!?」
 と、ギャンギャンわめくランシエール。
「だったら、よりいっそう、美しい、麗しい、心の和む光景じゃない、ねえ?」
 パンドリアーナは、フッと真顔になりそう言った。
「はあ!? いったいなんでそーなるんだよ!?」
「だって、本来ならば、殺しあうはずだった二人が、共に恋に落ち、新しい命までをも生み出したのよ? 殺すよりも、生み出すほうが、あたしは好きだわ」
「そーいうわりにゃあ、てめえの大好きな、野郎どうしのケツのとりあいは、絶対的に赤ん坊なんか生まれてきやしねえ、まさしく不毛の極みだけどな!?」
「あら、ランシー」
 パンドリアーナは、パチクリと、その紫色の瞳をしばたたいた。
「レナンちゃんとアヴェちゃんとのあいだには、ちゃあんと赤ちゃんが出来たじゃない、ねえ?」
「だーかーらッ! それが、気が狂ってるって言ってるんだよ!!」
「あら、そういう考えは狭量にすぎるわよ。あたしだったら、それを、大いなる奇跡と呼びたいところだわ!!」
「私もまったく同感です」
 と、今までずっと、編み棒を両手に持ち、慣れない編み物に四苦八苦していた、他ならぬ今までの会話の中で再三再四話題になっている、勇者アヴェリオンが真顔で言った。
「いや、っていうかアヴェ公、おまえいったい何やってんの!?」
「見てわかりませんか? もうすぐ生まれてくる、私とレナンさんの子供のために、靴下を編んであげているんです」
「ツ、ツッコミが追いつかねえ――!!」
 ランシエールは、再び大きくうめいた。
「別に、誰もあなたにそんなことをしてくれなんて頼んだりしていません」
 アヴェリオンはそっけなくそう言い放ち、真剣極まりない顔で、編みかけの小さな靴下を見つめた。
「ああ……やっぱり私、下手ですねえ……」
 と、ガックリ肩を落とすアヴェリオン。
「しょうがないわよ。だって、アヴェリオンは、編み物なんて初めてなんでしょ? 初めてでいきなり靴下っていうのは、ちょっと難易度高いわよ」
 と、慰め顔で言うサラスティン。
「はあ、そういうものなんですか?」
「そうよ。初めての人は、たいてい、マフラーとかからはじめるのよ」
「え? なんでマフラーなんです?」
「だって、マフラーだったら、最初から最後まで、ひたすらまっすぐ編んでいけばいいだけじゃない」
「なるほど、確かに……」
「まあ、アヴェリオンも、初めてにしては上手だと思うわよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「よかったですねえ、おチビちゃん」
 レナントゥーリオは、優しい声で、大切に抱え込んでいる、空色の卵に語りかけた。
「皆さんが、おチビちゃんのために、いろんなことをしてくださっているんですよ。ねえ、ありがたいことですよねえ。……大丈夫。大丈夫だからね。安心して出ておいで……」
「おめーら、まだガキに名前つけてねーの?」
 ランシエールは、ぶっきらぼうに問いかけた。
「はい。子供の顔を見てから、名前を考えようと思いまして」
「まあ、その卵見てたって、なんもわかりゃしねえもんな……」
 と、なんとなく納得したようにうなずくランシエール。
「しっかし、ガキが生まれてきたら、いったい何食わすんだ? やっぱりあれか、生血とかそういう系統か?」
「そんなの飲ませたら、おなか壊すと思います」
 レナントゥーリオは、フニャンと顔をしかめた。
「私がおっぱいあげますので、どうぞ御心配なく」
「げえええええええーッ!? お、お、おまえ、お、おっぱいまで出すのかよ!?」
「はい。あれ? 人間のかたがただって、赤ちゃんにはおっぱいあげるんでしょう? なんでそんなに驚かれてるんです?」
「人間は、てめーみてーなおっさんが、チュッチュクおっぱい出したりしねーんだよ! きっしょくわりぃ! どうわッ!?」
 と、アヴェリオンから手加減抜きで投げつけられた金属製の鍵針を、とっさに展開した魔力障壁で食いとめるランシエール。
「うげげげげ! わ、私の魔力障壁に、たかが編み棒がここまで食い込むなんて――!?」
「この人を傷つけるようなことを言うのは許しません」
 アヴェリオンの琥珀の瞳がギラリと光った。
「大丈夫ですよ、アヴェさん」
 レナントゥーリオはおっとりと言った。
「私、あれっくらいで傷ついたりなんかしませんよ。ですから、アヴェさんも、そんなに怒らないでください。ね?」
「そうですか。まあ、あなたがそうおっしゃるのなら――」
「……生まれてくるガキが、性格だけはおめーに似ねーことを祈るぜ……」
 と、憎まれ口をたたくランシエール。
「そうですか。私もまったく同感です」
 と、真顔でうなずくアヴェリオン。
「私は全然、同感なんかじゃありませんよ」
 レナントゥーリオは、そう言って、じっとアヴェリオンを見つめた。
「あなたは素晴らしい人ですよ、アヴェリオン。ただ、そのことが、今はちょっと、あなたの目には見えにくくなっているだけですよ」
「…………あなたに、そうおっしゃっていただくと」
 アヴェリオンは、ちょっと泣きそうな顔で言った。
「つい、信じたくなってしまいます…………」
「信じてください」
 レナントゥーリオは、にっこりと笑った。
「この私を。そして、それ以上に――自分自身を」
「…………あなたのことだったら、いくらでも、信じることが出来るんですが…………」
 アヴェリオンは、低くつぶやき、つくりかけの小さな靴下をジッと見つめた。

生まれいずるは、魔族の宝

「……これで、大丈夫でしょうか?」
「はい。ちゃんとね、魔法でね、あったかくなるようにしてありますから。しばらくのあいだは大丈夫ですよ」
 そう言って、魔王レナントゥーリオは、かごの中に、やわらかい布でくるんで置かれた空色の卵を、愛しげになでた。
「もうすぐね、産まれてきますから。――だから」
 レナントゥーリオは、はにかんだように笑った。目尻のしわが、ひときわ深くなる。
「赤ちゃんが産まれてきてからだとその――ええと――し、しばらくはね、赤ちゃんにかかりきりになって、その――ゆ、ゆっくり睦みあう時間もないでしょうから――」
「その気持ちは、とても、とてもうれしいんですが」
 勇者アヴェリオンは、そっと、レナントゥーリオの細い肩に両手を置き、琥珀色の瞳で、レナントゥーリオの深紅の瞳をのぞきこんだ。レナントゥーリオの額の真ん中にある第三の瞳だけ、見つめ交わす相手がいないため、いささか手持ちぶさた気味である。
「その――あなたの体に、負担がかかったりはしませんか? 赤ちゃんを――卵を産んだばかりで、そんなことをして――」
「大丈夫ですよ。上手に産むことができましたから」
 レナントゥーリオは、にっこりと笑った。
「――それに」
「それに?」
「私もずっと――アヴェさんのことが、欲しかったんです」
「…………」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオをしっかりと抱きしめた。
「『アヴェリオン』のことを欲しがってくれるのは、あなただけです」
 アヴェリオンは、小さな声で言った。
「『勇者』じゃない、『狂気の復讐者』でもない、『アヴェリオン』のことを欲しがってくれるのは、あなた、だけ――」
「そんなことはありませんよ」
 レナントゥーリオは、穏やかな声で言った。
「アヴェ、あなたは、あなたが思うよりもずっと、たくさんの人達に愛されていますよ」
「……その人達が愛しているのは、『アヴェリオン』じゃありません」
 アヴェリオンは、かたい声で言った。
「私の――私の『力』を愛しているだけなんです、みんな――」
「それもあなたなんですよ」
 レナントゥーリオは、そっとアヴェリオンにもたれかかった。
「それもね、あなたなんです。切り離すことなんて、ほんとは出来ないんですよ」
 三つの瞳が、ふと虚空を見た。
「そう――私自身と、『魔王』という地位とが、切り離すことができないように――」
「――あなたのためならば、私は世界を焼き尽くし、人間どもを根絶やしにしてやりましょう」
「私は、そんなことをしてほしくはありませんよ、アヴェ。私はただ、あなたに幸せでいてほしいだけですよ。幸せで、そして――そして――私のそばにいてくれさえすれば――」
「愛しています」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの唇を奪った。
「だから――だから――いなくならないで、私を置いていかないで、私を――私を、一人にしないで――」
「そばにいますよ」
 レナントゥーリオは、ほのかに微笑んだ。
「アヴェリオン、私はずっと、あなたのそばにいますよ――」
「……いいですか?」
 アヴェリオンは、細い、高い、すがるような声で問いかけた。
「あなたを抱いても――あなたを奪っても、いいですか――?」
「あなたは何一つ、私から奪うことなんてできないんですよ」
 レナントゥーリオは、アヴェリオンの頭をそっとなでた。
「なぜならば、あなたが奪うまでもなく、私のすべては、もうあなたのものですから。ですからね、あなたは、私から、何一つ奪うことはできないんですよ――」
「……全部、私のもの?」
 ひどく幼い声で、アヴェリオンは問いかけた。
「はい。全部あなたのものですよ」
「全部?」
「はい、全部」
「――ここも?」
 アヴェリオンは、そっと服をはだけ、レナントゥーリオの胸をむき出しにした。
「あ――少し、ふくらんでますね――」
「赤ちゃんに、おっぱいをあげなくちゃいけませんからね。――お、おかしいですか、やっぱり?」
「――いいえ」
 アヴェリオンは、うっとりとした顔で、うっすらとふくらんでいる、レナントゥーリオのやせた胸を見つめた。
「すごく、綺麗です。……あ、あの……」
「はい?」
「ええと、あの……も、もう、おっぱいって、で、出るんですか……」
「……ちょっとだけ」
 レナントゥーリオは、恥ずかしそうに笑った。
「あ、へ、変なにおいとかしますか? き、気をつけてはいるんですけどね、で、でもやっぱり、時々おっぱいがもれちゃうことがあって――」
「……いいにおいしかしません」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの胸に顔をうずめた。
「……レナン」
「はい、なんですか?」
「ちょっとだけ――おっぱい飲んでもいいですか?」
「はい、どうぞ」
 レナントゥーリオは、アヴェリオンの頭を、そっと自分の胸に押しつけた。
「…………」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオの乳首を、そっと口に含んだ。
「まだ、あんまり、でないんですけどね――赤ちゃんが産まれて、毎日何度も吸われるようになったら、もっとたくさん出てくるって――」
「…………」
「……あなたが私の赤ちゃんだったら」
 アヴェリオンの頭をなでながら、レナントゥーリオは、どこか悲しげにつぶやいた。
「そうしたら――何よりも先に、一番先に教えてあげたのに。あなたは――あなたは、愛されているって。私は世界のだれよりも、『アヴェリオン』を愛しているんだ、大切に思っているんだ、他の何にも、他の誰とも、かえることなんてできないんだ、って――」
「――教えてあげて下さい」
 アヴェリオンは、フッとレナントゥーリオを見上げた。
「私達の赤ちゃんに、それを、真っ先に、一番先に、何よりも先に――」
「ええ。あなたといっしょに」
「……私に、そんなことができるでしょうか……?」
「できますよ。あなたなら、できます」
「……あなたを抱いてもいいですか?」
「ずっと、抱いてほしかったんですよ」
「……赤ちゃんに聞こえちゃうかな?」
「卵の中にいるから、大丈夫ですよ……」
「ふふっ――それもそうですね」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオを、そっと寝台の上に押し倒した。
「――どうして私が、女嫌いなのかわかりますか?」
 唐突に、アヴェリオンはポツリと問いかけた。
「え? いえ、わかりません」
「――女は人間を産むからですよ」
 アヴェリオンは、冷ややかにそう吐き捨てた。
「……それでは、私も嫌われてしまいますか?」
 レナントゥーリオは、静かにそう問いかけた。
「いいえ、そんな、まさか! あなたは――あなたは私の最愛の人です!!」
「だったら」
 レナントゥーリオは、静かに、なめらかに、流れるように、自分から服を脱ぎ捨てた。
「きっと、そのうち、女の人のことも、嫌いじゃなくなりますよ――」
「……本当に、そうなったりするでしょうか?」
「ええ。きっとそうなりますよ」
「あなたのことは、好きです。――そして」
 アヴェリオンは、いたずらっぽく笑った。
「あなたの、ここも」
「――子供を産みだす場所ですよ」
 レナントゥーリオは、クスリと笑った。
「だから、優しくしてくださいね?」
「ええ、もちろんです」
 アヴェリオンは、ゆっくりと、レナントゥーリオの下の唇に口づけた。
「――こっちの唇も、とってもおいしいですよ、レナン」
「は、恥ずかしいですよ、そんなことしちゃ――」
「でも、なめられるの好きでしょう?」
「……あの」
「はい」
「……こたえないといけませんか?」
「御自由に」
「……だったら、黙秘します」
「そうですか」
 アヴェリオンはニヤリと笑った。
「気が変わったら言ってくださいね?」
 そして、アヴェリオンは、再び命を産みだす場所に唇を寄せた。



「おっさんに似てますようにおっさんに似てますようにおっさんに似てますように!」
「その調子ですランシーさん。もっと気持ちをこめて、全力で祈り続けてください」
「おっさんに似てますようにおっさんに似てますようにおっさんに似てますように! この世界にはこれ以上、性格破綻者を受け入れる余地はない!!」
「私もまったく同感です」
「おっさんに似てますようにおっさんに似てますようにおっさんに似てますように!」
「レナンさんに似ていますようにレナンさんに似ていますようにレナンさんに似ていますように!」
「……いや、あの」
 魔王レナントゥーリオは、困ったようにフニャリとした笑みを浮かべた。
「アヴェさんに似ていても、とっても可愛いと私は思いますし、それにあの、私とアヴェさん、どちらにも少しずつ似ている子かもしれませんよ?」
「とにかく、できるだけアヴェ分が少ない子でありますように!」
「は、はあ……ランシーさんは人間なのに、同じ人間の勇者のアヴェさんに、私達の子供が似ていてほしくはないんですか?」
「あほぬかせ。おいおっさん、ここにいるアヴェ公はなあ、勇者というより先に、いや、人間というより先に、ド変態の性格破綻者なんだよ! それっくらいわかれっつーの!!」
「は、はあ、で、でも、私は全然そんなふうに思ってはいないんですが……」
「そう思ってなくてもそうなんだよ! だーもうちくしょう! もうすぐ産まれんだろ!?」
「あ、はい。――あっ!」
 レナントゥーリオの、深紅の三つの瞳が輝いた。
「あ――赤ちゃんが、卵の殻をたたいてます!」
「マジで! よーし、その卵貸してみろ。この、『金色の大賢者』ランシエール様が、直々にその卵の殻をぶち破ってやるぜ。げっへっへ」
「や、やめてください!」
「冗談じゃありませんよ!」
「ランシー、ふざけるんじゃないわよ!」
「あなた、雑だからやめておいたほうがいいわよ」
 と、魔王レナントゥーリオ、勇者アヴェリオン、魔女パンドリアーナ、剣士サラスティン、そのすべてから流れるようにつづけざまに集中砲火を浴びるランシエール。
「……おめーら、こういう時だけ無駄な一体感だすなよなあ……」
「す、すみません。で、でもあの、卵の殻を無理やり割って赤ちゃんを引きずり出しても、なんにもいいことありませんので、はい」
 と、レナントゥーリオがおどおどと言う。
「あなたが無理やり卵の殻を割ったりしたら、私はあなたの、その役にも立たない頭蓋骨をたたき割ります」
 と、極上の笑顔とともに言ってのけるアヴェリオン。
「こ、殺す気満々だな!?」
「この世界からあなたという存在を抹消します」
「まさかそれで婉曲に言ったつもりか!?」
「……あの、すみませんが」
 レナントゥーリオは、困ったように眉を下げ、アヴェリオンとランシエールを見つめた。
「赤ちゃんがびっくりしてしまいますので、喧嘩しないでいただけますか?」
「ああ、申しわけありませんレナンさん」
 アヴェリオンは、即座にレナントゥーリオに頭を下げた。
「どーせ赤ん坊なんだから、なんもわかりゃしねーだろ」
 と、あっさり言ってのけるランシエール。
「でも、びっくりしちゃいますよ」
 レナントゥーリオは、空色の卵を愛おしげになでさすりながら、穏やかにランシエールをたしなめた。
「あ――もうすぐ――もうすぐ、産まれてくる――」
「おっさんに似てますようにおっさんに似てますようにおっさんに似てますように!」
「心の底からそう願います」
「どっちに似てても、可愛いですよ」
 レナントゥーリオは、そう言ってクスリと笑った。
「その卵から出てくるなら、相当小さい赤ちゃんよねえ。何か特別な設備とかは必要ないの?」
 と、パンドリアーナは興味深げにたずねる。
「はあ、私にも、これで一応、微弱ながら魔力がありますからねえ。赤ちゃんは、それで保護します。大丈夫です。私の一族の者達にとっては、もうわかりきっている手順ですから」
「なるほどねえ」
「誰か呼んでこなくていいの?」
 と、サラスティンがたずねる。
「ああ、それでしたら、できればライサンダーさんに言って、産湯を用意していただけると助かります」
 落ち着き払った声で、レナントゥーリオがそうこたえる。
「わかったわ。言ってくる」
 そう言って席を立つサラスティン。
「余裕だな、おっさん」
「余裕、と言いますか――卵を産むときは、それは頑張りもしますけど、卵から産まれてくる時には、私はただ、見守っているだけですので」
「外から卵の殻割ってやったりしねーの?」
「どうしても赤ちゃんが一人で殻を割れないような時には、そういうこともしますけどね。でも、たいていの場合は、見守っていれば、赤ちゃんが、一人で殻を割るものですから」
「ふーん」
「――名前」
 アヴェリオンが、ポツリとそうつぶやいた。
「産まれてきたら、名前をつけてあげないと――」
「ええ、そうですね。いっしょに考えましょうね、アヴェさん」
「――ええ」
 アヴェリオンは、子供のようにうなずいた。
「ねえ、赤ちゃんが生まれてきたら、レナンちゃんがおっぱいあげるのよね?」
 パンドリアーナが、興味津々と言った顔でたずねる。
「ええ、そうですよ」
「おっぱいあげるとこ見せてくれない?」
「ええッ!? そ、それは……は、恥ずかしいですよ……」
「魔女として興味があるのよね」
「で、でも……」
「パンドリアーナさん」
 アヴェリオンが、ジトリとすわった琥珀色の目をパンドリアーナに向けた。
「命が惜しいなら、そういうたわごとは、二度と口にしないでください」
「なぁによぉ。ちょっとおっぱいあげるとこ見てみたいって言っただけじゃない」
「冗談じゃない!」
「はぁいはいはい。そんなに怒んなくても、誰もアヴェの大切なレナンちゃんを、とったりなんかしないわよ」
「そんな言語道断なことを考えるだけでも万死に値しますね」
「はいはい。ほんとにまったく、アヴェは心配症ねえ」
「どんなに心配してもしたりませんよ」
「――あっ!」
 レナントゥーリオが歓声をあげた。
「た、たたた、卵の殻にひびが入りました!!」
「え!?」
「あら!」
「おー、とうとうガキが出てくんのか」
 様々なまなざしが焦点を結ぶその先に、ひびが入りはじめた、空色の卵がある。
「……私の……いえ、私達の、赤ちゃん……」
 レナントゥーリオのまなざしだけは、その時。
 ほんの一瞬卵から離れ、ただ、アヴェリオンだけを見つめていた。



「魔王のおじしゃん、赤ちゃん見せとくれやあ」
 次期魔王候補オリエンヌは、自らの『運命の相手』、常勝不敗の魔界将軍、竜人のナルガルーシェとともにレナントゥーリオとアヴェリオンの寝室に足をふみこむなり、うきうきとそう叫んだ。
「オリエンヌさん、それじゃあ、静かに、優しく、赤ちゃんとこんにちはしてあげてくださいね」
 レナントゥーリオは、そう優しくオリエンヌに声をかけ、両手のひらの上にすっぽりとのってしまうほどに小さな、真っ白な産着にくるまれた、産まれたばかりの我が子を、そっとオリエンヌに見せた。
「……赤ちゃん、角、ないねえ」
「もう少し大きくなったら、生えてくるかもしれませんけどね」
「おでこの目、ぼく達の目とちがうねえ」
「額の目は、痕跡程度のものになったみたいですね。知らない人が見たら、これは目じゃなくて、あざとかほくろとか、なにかそういうものだと思うでしょうね、きっと」
「そやねえ。そうやろうねえ」
「……にぃ」
 レナントゥーリオの手の中の赤ん坊が、猫の子のような声で泣き、もぞもぞと動いた。
「あはは、ナリちゃんが、オリエンヌさんにこんにちはって言ってますよ」
「御子様は、ナリ、というお名前なのか?」
 ナルガルーシェが、レナントゥーリオを守るように、そっと寝台の脇に寄り添っているアヴェリオンにたずねた。
「いえ――レナリオン、と名づけたんです。レナントゥーリオさんの『レナ』と、私の――『アヴェリオン』の、『リオン』をあわせて、レナリオン。――単純でしょう?」
 アヴェリオンは、照れたように笑った。
「いい名前だな」
 ナルガルーシェは、真摯な声でそう言った。
「ありがとうございます」
 アヴェリオンは、静かに微笑んだ。
「ナリちゃん、かあいいねえ」
 オリエンヌはニコニコと笑った。
「ナリちゃんのかんか、きれいな金色やねえ」
「今は赤ちゃんですから、淡い色をしていますけどね。けど、きっと大きくなったら、アヴェさんそっくりの、綺麗な琥珀色になりますよ」
 と、うれしそうに言うレナントゥーリオ。
「ナリちゃん、おめめあけえやあ。ぼく、ナリちゃんのおめめの色見たいんやあ」
 そう言って、オリエンヌはレナリオンのほっぺたをちょいとつついた。
「……みゅ」
 レナリオンはまたもや、猫の子のような声をあげた。
「……おめめあけんねえ」
「ナリちゃんは、まだ、生まれたばっかりですから。もうちょっと大きくなったら、オリエンヌさんともいっしょに遊べるようになりますから、ね。今はまだちっちゃすぎて無理ですよ。今は、そうですね、フラニーちゃんといっしょに遊んでいてください」
 と、オリエンヌの遊び相手に、飼い猫のフラニーを勧めるレナントゥーリオ。
「ナリちゃん、おめめ何色なんやあ?」
 と、レナントゥーリオにむかい、小首をかしげてみせるオリエンヌ。
「そうですねえ――おめめの色は、私のほうに似ているかな?」
 レナントゥーリオは、ニコリと笑った。
「赤、というか、朱色というか――アヴェさんの瞳の色も少し混じった、綺麗な色をしていますよ」
「そっかあ。ええねえ。ナリちゃんは、魔王のおじしゃんによう似とるねえ」
「そ、そうですか?」
「うん、よく似とるよお」
「私もそう思います」
 アヴェリオンは、本当にうれしそうに笑った。
「――似てるかな?」
 レナントゥーリオは、レナリオンのやわらかな髪をそっとなでた。
「よう似ちょるよ。かあいいよ」
 オリエンヌはうれしそうに言った。
「そうですね、魔王様によく似ておいでです」
 ナルガルーシェは、うやうやしくそう言った。
「でも、アヴェさんにも似てますよねえ?」
 レナントゥーリオは、ちょっと口をとがらせてアヴェリオンを見やった。
「そうですね。この髪は、私によく似ていますね。それに――指の形も、私似かな?」
 アヴェリオンは、穏やかにそうこたえた。
「そうですよねえ。アヴェさんにも、よく似ていますよねえ」
 レナントゥーリオは、アヴェリオンの琥珀の瞳を見つめ、微笑んだ。
「――うぇいい、うぇいい、うぇいい、うぇいい!」
 不意に、レナントゥーリオの腕の中のレナリオンが、細い声でミィミィと泣きはじめた。
「わあ! ナリちゃん泣きよったあ!?」
「ありゃりゃりゃりゃ、ナリちゃん、おっぱいかな~? ――あ、あの、すみません、オリエンヌさん、ナルガルーシェさん」
 レナントゥーリオは、照れたように言った。
「来て下さったばかりで申しわけないんですが、その――ナリちゃんにおっぱいをあげますので、少し席をはずしていただけませんか?」
「うん、わかったあ。いこっか、ナルガしゃん」
「そうだねオリーちゃん。どうも、お邪魔いたしました」
「いえいえ、なんのおかまいもしませんで」
「うぇい、うぇい、うぇい!」
「ああ、はいはい、泣かないでねー、すぐおっぱいあげますからねー」
 それは、おそらく、ひどく奇妙な光景であったのだろう。
 三つ目で三本角の魔族――というか、ありていにいって、しょぼくれた貧相な、しかし、驚くほどに幸せそうな顔をした、中年から初老にさしかかろうとしているような男が、猫の子のように小さな赤ん坊を抱いて、おっぱいをあげようなどと言っているのだから。
 けれども、この部屋にいる者達は誰も、それをおかしなことであるなどとは、微塵も思ってはいないようだった。
「魔王のおじしゃん、ぼく、また来るなあ」
「はい、お待ちしておりますよ、オリエンヌさん」
「それでは失礼いたします」
「はい、なんのおかまいもしませんで」
「――また、いらしてください」
 オリエンヌとナルガルーシェを戸口から送りだしながら、アヴェリオンは、小さな声でそう言った。
「アヴェしゃんも、またなー」
 オリエンヌは、アヴェリオンに向かって、無邪気にヒラヒラと手をふった。
「はい、また会いましょう、オリエンヌさん」
「それでは失礼する、勇者殿」
「――忘れてくれ、と言っても、無理なのでしょうね、それは」
「何を恥じることがあるのだ?」
 ナルガルーシェは、まっすぐにアヴェリオンを見つめた。
「私は、私の大切なものを守るために戦った。あなたは、あなたの仲間を守るために戦った。それを、なぜ、なかったことになどしたがるのだ?」
「――私は」
 アヴェリオンは、ナルガルーシェの翡翠の瞳から目をそらした。
「私は――あなたとは、ちがう――」
「だが、今はもう同じだな」
「え?」
「私もあなたも、今後の戦いはすべて、最愛の者のためにある」
「――ええ、そうですね」
 勇者アヴェリオンは、深くうなずいた。
 自らの半身、運命の相手、生涯の伴侶、最愛の、魔王レナントゥーリオが、自分達のあいだに産まれた子をあやし、乳を含ませようとしている気配を、全身に浴び、感じながら。



「……でけえ虫みてえな生き物だなあ」
 賢者ランシエールは、魔王レナントゥーリオの腕に抱かれた、魔王と勇者とのあいだに生まれた赤ん坊、レナリオンを見ながらブツブツとつぶやいた。
「む、虫ですか? え、ええと――わ、私のナリちゃんは、あんまり虫には似ていないと思いますけど――?」
 と、おどおど反論するレナントゥーリオ。
「いや、まるっきり意思の疎通なんてできねーような生き物って意味でな?」
 そう言いながら、レナリオンに手をのばすランシエールのその手を、勇者アヴェリオンが電光石火の早業ではたき落とす。
「いっでえ! なにすんだよアヴェ公!?」
「汚い手で私の可愛いレナリオンにさわらないでください」
「失礼だなおまえ、乙女のこの繊細極まりない手をつかまえて、言葉もあろうに『汚い手』だと!?」
「本当は、あなたの様に汚れきった心の人が、私の可愛いナリちゃんを見ることだっていやなんです。そこを特別に、ここまでいっしょに旅をしてきたよしみで、渋々見せてあげているんですよ?」
「うわっ、恩着せがましさの見本のようなセリフがきた!? そしてさらに、私の人格を全否定してきた!?」
「ですからさわらないでくださいね。何かあったら私、あなたを八つ裂きにして、あなたの一族郎党をこの地上から抹殺しても、到底おさまるはずがありませんし、自分で自分が許せませんから」
「おまえはいったい、私のことをなんだと思っているわけ!?」
「ちょっとお、ランシー」
 魔女パンドリアーナが、ランシエールの服をクイクイと引っ張った。
「場所変わってよ。赤ちゃんがよく見えないわ」
「へーいへいへい。わっかりましたよー、っと」
 そう、ブツブツ言いながら身を引くランシエール。
「わあ、可愛い❤ レナンちゃん似ねえ、この子」
「そうですか? そうですねえ、そうかもしれませんねえ」
 ニコニコと笑いながら、その細い腕に抱いたレナリオンを、少しパンドリアーナに向かって差し出してみせるレナントゥーリオ。
「ふうん……この子は、レナンちゃんの、『力』と『運命』は、受け継がなかったみたいねえ……」
 レナリオンの額の、痕跡でしかない第三の瞳と、レナントゥーリオの、深紅の瞳より、だいぶ色の淡い朱色の瞳とを見て、パンドリアーナはそうつぶやいた。レナントゥーリオの、『力』と『運命』。それは、一生に一度、絶対的な強者と、運命的な恋に落ち、その絶対的な強者を、『恋』の力によって、決して離れていくことも、逆らうことも出来ないくらい深く、強く、自分に縛りつける、力であり運命。
「そうですねえ。ですからこの子は、魔王にはなりません」
 レナントゥーリオは、静かに言った。
「あらそう。でも、別に、人間とのあいだの子供には、絶対に魔王の力が引き継がれないっていうわけでもないんでしょう?」
「そうですね――ええ、そうだと思います」
 小さな小さな赤ん坊を、ジッと見つめながら、レナントゥーリオはうなずいた。
「ほら、サラも見せてもらいなさいよ」
「は、はあ……わ、私は、そういう小さい子供はどうも苦手で……」
 と、モグモグ言いながら、パンドリアーナに引っ張り出される剣士サラスティン。
「ほら、おねえちゃんにこんにちはしましょうね」
 そんなことを言いながら、サラスティンにレナリオンを見せるレナントゥーリオ。
「……小さいのね」
 サラスティンは驚いたように、その灰色の瞳を見開いた。
「小さくないと、私が産めませんので」
 レナントゥーリオはクスリと笑った。
「……人間の赤ちゃんだったら、その……」
「そうですねえ。人間の赤ちゃんだったらきっと、産まれてきても、育つことができない大きさですねえ」
 レナントゥーリオは、気を悪くした様子もなく、おっとりと言った。
「だーもう、あーもう、産んじまったよこいつらー。どーすんだよー。おい、へなちょこ魔王、おめーはどっからどう見ても人畜無害だけどよー、この世の中には、どっからどうみても人畜有害な魔族だって山ほどいやがるんだよー。おめー、そいつらをどーする気だよ!?」
「は、はあ……どうする、とおっしゃられましても……」
 レナントゥーリオは、大きくため息をついた。
「……たとえばですねえ、ランシエールさん」
「あんだよ?」
「たとえばですねえ、ええと――人間の王様がですねえ、法律で、『これから先、ゆで卵以外の卵料理は、絶対につくってはいけない』とかいうことを決定したら、ランシエールさんは、どう思われますか?」
「……は? 何言ってんだおめえ?」
「いやあの、たとえばの話なんですが――ランシエールさんは、もしそんなことを言われたら、どんなふうに思われますか?」
「そりゃおめえ、そんな法律つくりやがるとは、心底気が狂ってやがるなあ、って思う」
「はあ、そうですよねえ」
「おっさん結局、何が言いたいんだ?」
「……あのですねえ」
 レナントゥーリオは、深々とため息をついた。
「確かに、『人畜有害』な魔族もいます。でもその――私、それ、どうすることも出来ないんですよねえ。だって、あの――その――あなたがたにはこういう話、おいやでしょうが、その――人間を食べないと身が持たないって魔族もいますし。その――か、数は少ないですけど――」
「――まあ、そうよねえ。『魔族』なんて一つにくくったような呼びかたをしているけど、その内情は、無数の人外種の寄せ集めだもんねえ」
 と、肩をすくめるパンドリアーナ。
「……つーことは」
 ランシエールは大きくうめいた。
「おい――もしかして、私達が初志貫徹して魔王を血祭りに上げたところで、魔族の連中は、別になんにもこまりゃしなかったってことかあ!?」
「は、はあ……まあ、こまりはしたかもしれませんが……でも、まあ、私がいなくなったところで、魔族そのものがどうこうなるとは思えませんねえ、はい」
 と、律儀にこたえるレナントゥーリオ。
「……何やってたんだろうなあ、私達……」
 ランシエールは、深々と嘆息した。
「まあ、いいじゃない。結果的に、アヴェとレナンちゃんが結ばれるお手伝いができたんだから」
 と、あっけらかんと言うパンドリアーナ。
「……グダグダにもほどがある……」
 そう言いながら、恨めしげにアヴェリオンを見つめ、鮮烈なる殺意を持ってにらみ返されたため、あわててレナントゥーリオのほうに視線をそらすランシエール。
「……これから、どーすりゃいいんだ、私達……?」
「まあ、なるようになるでしょ」
 と、いささかも動じないパンドリアーナ。
「気楽でいいね、おまいさんは」
「だって、毎日が楽しいもの」
「……サラはー?」
「私は、パンドリアーナ様のおそばにいることさえできれば、それで十分幸せよ」
「……わかった。結局、正気なのは私一人だけだ。……はあ……」
「……別に、人間の世界に帰ったっていいんですよ。私はとめません」
 アヴェリオンはそっけなく言った。
「……それも、めんどくさそうなんだよなあ、なにかと、いろいろと……」
 ランシエールは、深々とため息をつき、レナントゥーリオの腕の中にいる、小さな小さなレナリオンをジロリとにらんだ。



「生まれてくる子供達の、明るい未来と豊かな生活のために、完璧なる搾取のシステムをつくりあげようと思っているんです」
「うん、目的のためには手段を選ばない典型だね! お手本として、教科書に載せてやってもいいくらいだ!!」
「おほめにあずかり光栄です」
「皮肉だバーロー!!」
「ああ、ランシエールさん、あんまり大きな声を出さないでください。おチビちゃんが起きてしまいます」
「おめー、さすが魔王だな!? 今のアヴェ公の発言を聞いて、眉一つ動かさずかよ!?」
「はあ――いや、その、まだその言葉が現実になったわけじゃありませんし――ねえ?」
「するするする! このアホは、性質の悪ぃことに有言実行男なんだよ! やるって言ったことはやっちまうんだよ、始末の悪ぃことに!!」
「は、はあ……」
 魔王レナントゥーリオは、その細い腕に赤ん坊を抱いたまま、勇者アヴェリオンにフニャリとした笑みを向けた。
「あの、アヴェさん、あの、ええとですね、ええと――人間さん達にもですね、私達同様に、大切な人や、守ってあげたい人がたくさんいらっしゃると思うんですよ。ですからあの、『完璧なる搾取のシステム』っていうのは、あの――」
「おおーい! 魔王ちゃん魔王ちゃん、どーして『搾取』されるのが人間だって限定しやがるわけおまえさんは!?」
「あ――す、すみません、つい――」
「何気ない言葉にお前の本音がむき出しになってたよ!?」
「すみません、つい、その――」
「いいじゃないですかレナンさん。人間など、所詮は支配を待つブタの群れにすぎません」
「おまえそれ、仮にも勇者と呼ばれた男が言っていいセリフじゃないよね!?」
「しかし、今の私は、『魔王』の配偶者ですので」
「あああああーッ! そ、そうだった!!」
 と、頭を抱える賢者ランシエール。
「……あー」
「あー、ナリちゃん、起きちゃいましたかー」
 レナントゥーリオは、あわてたようにレナリオンの顔をのぞき込み、泣きもせずに、大人しくその朱色の瞳をパチクリさせているのを見てにっこりと笑った。
「御機嫌だねえ、ナリちゃん」
「……あぷ」
「おっさん、そのガキ、オスだっけメスだっけ?」
「まだどちらでもありません」
「……は?」
「ですからね、まだ、あの――男の子でも、女の子でもないんです、この子」
「え――それってえーっと、ふたなり、ってことか?」
「いえ、なんにもないんです」
「な――なんにもない、だあ!?」
「はい。まだこの子、なんにもないんです」
 レナントゥーリオは再び、フニャリとした笑みを浮かべた。
「どちらでもないんです。どちらも、ないんです」
「……そんなの、ありなわけ?」
 ランシエールは、あきれたようにつぶやいた。
「私達の一族は、性別があんまり安定しない傾向にありますので」
 レナントゥーリオは平然と言った。
「そういうこともあります」
「ずーっとそのまんまなのか? ずーっとその――なんにもねえまんま?」
「そうかもしれませんし、これから成長していく中で、性別を獲得するのかもしれません」
 レナントゥーリオは、おっとりとそう言いながら、腕の中のレナリオンをゆっくりとゆすった。
「まあ、どちらでもかまいませんよ、私は。ナリちゃんが幸せであってくれさえすれば、どんな性別でも。男でも、女でも、両方であっても、両方でなくても」
 レナントゥーリオは、レナリオンの柔らかな頬をそっとつついた。
「……ね。ナリちゃんは、ナリちゃんだもんね。それだけでいいよね。十分だよね……」
「ったく――わけのわかんねー生き物だなあ、おめーらは、ほんとにまったく」
 ランシエールは、わざとらしくため息をついた。
「――ナリちゃんは、ナリちゃんですよ」
 アヴェリオンは、ポツリとつぶやいた。
「他に大切なことなんて、なんにもありません」
「――ま、おめーらがそれでいいんなら、別にいいけどよ、私は。どーせ他人のガキだしなあ」
 ランシエールは、ぶっきらぼうにそう言った。
「でもよお、このガキのために、完璧なる搾取のシステムとやらをつくりあげるのはやめてくれよなあ。おめーはよお、やるって言ったことは必ずやっちまうんだからよ、この、ろくでもねえ勇者崩れ!!」
「はあ、やると言っておいて実行しないよりはいいんじゃないですか?」
「事と次第によるよ!!」
「――ふふっ」
 レナントゥーリオは、楽しげに笑った。
「アヴェさんとランシーさんは、本当に仲がいいですね」
「仲良くねーよ! こんな陰険糸目勇者崩れなんかと!!」
「珍しく意見が一致しましたね、ランシーさん。ええ、たとえレナンさんのお言葉とはいえ、さすがにそれは、否定せざるを得ませんね」
「ほらほら、息がピッタリじゃないですか」
 レナントゥーリオは、おかしそうにクスクスと笑った。
「ナリちゃん――ナリちゃんにも、たくさんたくさん、お友達ができるといいね――」
「あーぷ」
 レナントゥーリオの腕の中のレナリオンが、フニャフニャと動いた。
「ねー。ナリちゃん、元気、元気だねえ――」
「――私には、友達がいません」
 唐突に、アヴェリオンが、重い声でつぶやいた。
「だから――この子には――ナリちゃんには――レナリオンには――たくさんたくさん、友達ができてほしいと――友達が、できてくれるといいと――そう、思います――」
「アヴェさんにも、たくさんいますよ、お友達」
 レナントゥーリオはにっこりと笑った。
「……そうでしょうか?」
 アヴェリオンは、奇妙に不安げな、それでいて、どこかで何かを期待しているような目で、すがるようにレナントゥーリオを見つめた。
「はい。アヴェさんには、たくさんの友達がいます」
 レナントゥーリオは、満面の笑みを浮かべ、確信に満ちた声でそうこたえた。
「……そう、ですか……」
 アヴェリオンは、ゆっくりと手をのばし、レナリオンのやわらかな金色の髪をなでた。
「……この子に、たくさんの友達ができるといいですね……」
「うん、そう思うんだったらさ、『完璧なる搾取のシステム』なんていう代物をつくりあげようと思うのはやめておこうねアヴェちゃん!!」
「はあ――いけませんかね?」
「どこをどうすれば、それが『いい』っていう結論に到達するわけ!?」
「所詮この世は、食うか食われるかですよ」
「おめーが言うな! 仮にも『勇者』だったおめーが言うな!!」
「ですから、今の私の身分は、魔王の配偶者ですってば」
「だあああああーッ! お、おい、ひよひよ魔王! おめーもこいつに、なんか言ってやれ!!」
「みんなで、仲良くしましょうよ」
 レナントゥーリオは、おっとりと言った。
「そのほうが、きっと楽しいですから。――ね?」
「わかりました。あなたがそうおっしゃるのなら」
 アヴェリオンは、レナントゥーリオ向けてうやうやしく一礼した。



「――私達にとって、一番の宝ってなんだと思いますか?」
 長子――『長男』とも、『長女』とも呼びようのない、無性の子供――に乳をやりながら、魔王レナントゥーリオは静かに問いかけた。
「まさか、人間の魂とか生き血とか言いやがるんじゃねえだろうなあ?」
 と、うんざりしたようにこたえる賢者ランシエール。
「馬鹿ねえランシー。そんなわけないじゃない」
 と、レナントゥーリオの代わりにあきれたようにこたえる、魔女パンドリアーナ。
「レナンちゃんも言ってたでしょ。魔族っていうのは、種族差や個体差が激しいの。確かに中には、人間の魂や生き血を、無上の宝とする魔族だっていなくはないでしょうけど、魔族すべてがそんな価値観を共有しているわけじゃないのよ」
「じゃあ、おめーにはその『宝』とやらがなんなのか、見当がついているって言うのかよ、パンディ?」
「まあ、おおよそのところはね」
 パンドリアーナは、真剣な顔でうなずいた。
「でも、その宝は、確かに『人間』には、あんまり必要がないものでしょうね、今のところは」
「はーん、やっぱり、魂とか生き血とか、そういう関係かあ?」
「だからどうして、そういう発想しか出てこないのよあんたは?」
 パンドリアーナは、あきれたように肩をすくめた。
「ねえ、サラ、サラにはわかる? 魔族の宝って、いったいなんなのか?」
「そうですね――私も、ここで魔王さんや魔族のかたがたと親しく交わるまでは、魔族の宝というのは、人間と同じく金銀財宝か、あるいはせいぜい、希少な魔術書とか、ものすごい威力を秘めた兵器とか、そういうものかと思っていましたが――」
 剣士サラスティンは、ゆっくりと首をかしげた。
「どうも――どうもここで皆さんのことを見ておりますと、そういうものは、まあ、大切は大切なのかもしれませんが、それでも『宝』として、そんなに必死に守るべきものというわけでも、ないような気がしてきましたね」
「そうなのよね。レナンちゃん達の価値観は多様だから、そういうものをものすごく好きで、大切に思う魔族だってもちろんいるんだろうけど、魔族のすべてがそんなものに血道をあげるとは思えないわ」
「だったらなんなんだよ、魔族の宝って?」
 と、口をとがらせるランシエール。
「――気がつかないの、ランシー?」
 パンドリアーナはゆっくりと、その紫色の瞳をしばたたいた。
「ねえ、ランシー、あなた――時期魔王候補のオリエンヌちゃん以外に、この城の中で――っていうか、今まであなた、魔族の『子供』を見たことってある?」
「へ? こ、子供? ガキンチョのことかあ? そりゃ――ん? あ、あれ? そ、そりゃ――あの、ヘンテコもいもい生物、オリエンヌ以外には、魔族のガキは、言われてみれば見たことがねえような気もするけど――で、でもそんなんあれだろ? 私達が魔族と『会った』のはよお、ほら、なんつーか、だいたいが『戦場』でだからよお、そんなところには、ガキンチョがノコノコ出てきたりはしねえって、そういう話なんじゃねえの?」
「戦場以外では? この城の中は、少なくとも今、戦場じゃ、ないわよ?」
「え……」
 ランシエールもまた、ゆっくりと、その翡翠色の瞳をしばたたいた。
「そりゃ……うん、そりゃ……あれ? うん、まあ、そりゃ、そうだけどよ……ん? んんん? ん……?」
「生物というのは、個体ごとの力が強大になればなるほど、また、個体としての寿命が長くなればなるほど、子供が生まれにくくなる傾向があるわ。あたりまえよね。強大な力を持ち、寿命が長い生物が、次から次へと子供を生みまくったりしたら、あっという間にその種族の個体数が、爆発的に――それこそ、破滅的に爆発的に増加して、周囲の環境すべてを食いつぶし、そして、広大な不毛の荒野と共に、その種族そのものが、そのまま絶滅してしまうでしょうから」
 パンドリアーナは、まっすぐにレナントゥーリオを見つめた。
「ねえ、レナンちゃん、あなた達魔族は――まあ、全部の種族が、っていうわけでもないんでしょうけど、あなた達魔族の中の多くの種族は、その傾向が、ちょっといきすぎちゃったんでしょう? あなた達魔族の中の多くの種族は、きっと――かなり子供が生まれにくい傾向が強いんでしょう? ねえ、レナンちゃん、あなたの種族が長年『魔王』という地位につくことができているのも、もしかしたら、あなたの種族は、『運命の相手』との間に限って、とても簡単に、子をなすことができるから、なんじゃないのかしら?」
「…………」
「……やっぱり……」
「――お察しの通りです」
 ジッと自分のことを見つめてくる、ランシエールやサラスティンに小さくうなずきかけ、レナントゥーリオは、黙ってじっと、自分のかたわらに立ち続けてる『夫』、元勇者のアヴェリオンと、そっとまなざしを交わした。
「ええ――そうなんです。おっしゃる通り、すべての種族が、というわけではありませんが、私達魔族の多くが、非常に子供が生まれにくい、という悩みを抱えています。他種族の――それこそ、人間さんの血を交えれば、かなり子供が生まれやすくなるんですけどね。それでも――魔族どうしの交わりからは、大変子供が生まれにくい傾向にあるんです。そして、私の一族が、『運命の相手』との間に限って、とても簡単に子をなすことができる、というのもまさしく、御慧眼のとおりです。『運命の相手』との間に、たくさんの子供を成すことができる私達の一族はね――魔族にとっては、かなりその、なんと申しましょうか、縁起のいい存在、なんですよ」
「はあ……縁起のいい、ねえ……」
 心底あきれ返った、とでも言いたげにため息をつくランシエールの前で、レナントゥーリオは、赤ん坊に含ませる乳首を、右胸のそれから、左胸のそれへと変えた。アヴェリオンが、ちょっと手をのばして、自分と魔王との間にできた、レナリオンの頭を優しくなでる。
「まあ、それはその、私達の一族が持つ特性、というだけではなくて、この城の地下にある、異界へと通じる魔法陣も、かなり大きな役割をはたしていると思うんですけど」
 と、のんびりと言うレナントゥーリオ。
「…………はい?」
 ランシエールの顔が、サッと青ざめる。
「おい、ひよひよ魔王、お、おまえ、もっぺん今言ったこと言ってみ?」
「は? ええと――それはその、私達の一族が――」
「もっと先!」
「ええと――この城の地下にある、異界へと通じる魔法陣も――」
「そこだそこッ!!」
 ランシエールは飛び上がった。
「な、ななな、なんなんだよッ! その、『異界へと通じる魔法陣』っていうやつは!?」
「はい、ですからね」
 レナントゥーリオは、相変わらずのんびりとこたえた。
「子を成しにくい私達が、子供を授かることができるように、魔法陣を通じて、生命力あふれる異界から、『産む』力をちょっぴりわけていただいているわけですね。ですからあの、私達は、この城の中では、大変子供を授かりやすくなるわけでして――だから、あの、あなたがたに攻め込まれて来た時も、なんとか守りたかったんですけど、でもまあ、死んでしまっては元も子もありませんし。避難した先で、また新しい魔法陣と城をつくればいいかなあ、と。――まあ、結果的に、私とアヴェさんがこういうことになりましたから、そんなことをする必要もなくなったんですが」
「そ、そ、そ――そんなことのために、え、え、え、得体の知れない『異界』に通じる穴をあけちまったのかよ――!?」
 ランシエールは、天を仰いで叫んだ。
「うん、やっぱり魔族は、滅んでいいな!!」
「……あぷ」
 悲痛な顔で絶叫するランシエールを、レナントゥーリオの乳首から口を話したレナリオンが、不思議そうな顔で見つめた。

え、こっちが勇者でこっちが魔王なの!?

え、こっちが勇者でこっちが魔王なの!?

……これは、しょぼくれたおっさん魔王に一目惚れした、超絶ヤンデレ勇者(ものすごく残念な悪人面のイケメン)と、その周りにいる、愉快にして奇妙奇天烈、ついでに言っておくと、その大半が変態か変人かダメ人間という仲間達が、己の欲望に忠実なあまり、全世界をひっかきまわしていく、にぎやかにしてはた迷惑極まりない、そんな物語である……。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2013-08-16

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. ひよひよ魔王と残念勇者と愉快にして傍迷惑なその仲間達
  2. 勇者と魔王は恋物語を綴り続ける
  3. 恋物語の、その結果
  4. 生まれいずるは、魔族の宝