下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない

世界は変わってしまったし、自分達は化け物になってしまったのかもしれないけど、別にそんなに嘆いたり悩んだり絶望したり苦しんだり発狂したりしなくてもいいんじゃないかと思った。

下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない

 昔、山なし落ちなし意味なしという言葉があったらしいが。
 まさか、世界全部がそういう状況に叩き込まれるだなんて思ってもみなかった。



「……なあ、もう一本入れてもいいか?」
 そう聞くと、俺の恋人の体がピクンと跳ねる。きっと、本当は怖いんだろうと思う。でも、いやがってるんじゃない――と、思う。そう、思いたい。
「うん」
 俺は、恋人の笑顔が好きだ。何となく照れたように、恥ずかしそうに、ちょっと困ったように笑う、優しい柔らかい笑顔が大好きだ。
「いいよ」
 前の世界だったら、その「もう一本」が触手だったってえこたあ、まあまず絶対にねえんだろうなあ。前の世界で触手っていったら、イカかタコか――クラゲはさすがにヤベエよなあ。つーかとにかく、セックスの時にそんなもん持ちだしゃしねえよなあ。
「……細いの入れるから」
 って、今さらそんなこと言うならそもそも追加しようなんて思うなって話だよな、はは。
「別に、好きなの入れていいよ」
 恋人の声はどこまでも穏やかで、俺はなんでだか、なんだか胸が痛くなる。
「……別によお」
 もっと優しく言いたかったのに、俺は妙にぶっきらぼうな声をあげちまった。
「いやだったらいやだって言っていいんだぜ? 俺別に――おまえがいやだって言ったからって、おまえのことおっぽりだしたりゃしねーよ?」
「そんなことを心配したことなんかないよ」
 そう言って、俺の恋人はおかしそうに笑った。
「……っあ……」
 笑った拍子に、俺が基本的に恋人の穴の中に入れっぱなしにしてる触手が妙な感じでこすれあっちまったんだろう。恋人が切なそうな声をあげる。
「気持ちよくなっちまったか?」
「……気持ちいいのは、いつだって気持ちいいよ」
 茶化すようなこと言っちまったのに、真顔でそうこたえられて、俺はちょっと胸がキュッとした。
「ん……俺も、気持ちいー……」
 恋人の体を体の正面に持ってきて、そこはまだ人間の両腕でギュッと抱きしめる。俺達は、顔や上半身はまだ人間のままだ。いや――っていうか、恋人のほうは、基本的にはまだ、一応人間――なんだろうと思う。
 俺の下半身は触手になっちまった。
 俺の恋人の手足はなくなっちまった。そりゃもう綺麗さっぱり、ドロンと消えてなくなっちまった。
 その代わりに、俺の恋人にはマンコができた。元々は完全に、100%男だったのに。40過ぎのおっさんだったのに。それを言うなら、俺だって30過ぎのおっさんだったんだけどよ、はは。
 ……つーか、俺の下半身が触手になっちまったのはまだいいとして、その代わりなんだかどうだか知らねえが、チンコがなくなっちまったのはマジでショックだった。まあ、一応今んとこ、触手がちんこの代わりみてえになってるけど、ついでにいうなら触手を穴に捻じ込むのもかなり気持ちいいんでそれはまあいいんだけど、俺の触手からビュービュー出る粘液が、ちゃんとザーメンの代わりになって俺の恋人のことをきっちり孕ませてくれるのかどうか、正直かなり不安だ。
 それを言うと俺の恋人は、私に新しく出来た女性器の奥にだって、ちゃんと子宮があるのかどうかわからないんだからお互い様だよ、と言って笑うけど、ぶっちゃけ俺の触手は、恋人のマンコの奥にきちんと何かがあるのをきっちり確かめてる。
 だからたぶん、子宮はあるんだろうと思う。
「……チョウチンアンコウか何かみたいだなあ、私達」
 俺の恋人がクスリと笑う。
「は? チョウチンアンコウ? なんで?」
「うん、チョウチンアンコウは、オスがメスの体に噛みついて、メスから栄養を吸い取って生きているんだ。まあ、一種の寄生――というか共生だな。チョウチンアンコウの住む深海では、オスとメスが出会う確率が低いから、一度出会ったオスとメスは、もう決して離れないように体をつなげてしまうんだ。そして、オスの体は時がたつにつれ、メスの体に融合していってしまう。私達とよく似ていると思わないか? まあ、その……わ、私達の場合は、メスがオスに寄生しているような形になっているわけだが……」
「……あー……」
 恋人の体に触手を絡める。
「それって、サイコー……」
「うん……そのうち本当にくっついちゃったりしてな。……ん? そうすると、子供を産む時にちょっと困るかな……?」
「ま、そん時になったらなったで、どーにかなるんじゃねーの?」
「ああ、そうだな。今までだって、なんとかなってきたものな」
「ん」
 どちらからともなく、俺達はキスをして舌を絡めあった。
「……な、なあ」
「ん、どした? やっぱりもう一本入れるのは怖いか?」
「い、いや……と、いうか……」
 恋人は真っ赤な顔でもじもじした。つっても、頭と胴体しかねーから、本当にモゴモゴ胴体をくねらせることしかできねーんだけどよ、こいつは。
「その……な、なんというか……なんというかその……わ、私その……ゆ、ゆるくなってきているのか? だ、だからその、も、もう一本入れたい、なんて……」
「はあ!? ばーか、ちげーよ!」
 あんまりおかしくって、俺はゲラゲラ笑っちまった。
「俺はただ……なんつーかな、うん……俺はただ、その、なんつーか……ほんとは俺、おまえの中に俺のこと全部入れちまいてーの。だからもう一本入れてえって言ってんの。うん、そんだけ。別に、おめーがゆるくなったとか、そーいうこと全然ねーから! うん、マジで!」
「……そう、か」
 俺の恋人はクスリと笑った。
「……君は、私の赤ちゃんになりたいのか? 私の中に入って、私の赤ちゃんになってしまいたいのか?」
 ああ、手が残ってたら、きっと今ごろこいつ、俺のこと抱きしめて優しく頭を撫でてくれてたんだろうなあ。
「……わかんねー。……そーかもしんねー」
「……そう、か。……こんな世界なら、いつかはその夢もかなう日が来るかもしれないな」
「ん……そだな。……つーかさあ」
「ん、どうした?」
「いや、なんつーか、ふつーだったらさあ、俺ら、世界がこんな、なんつーの? 地獄だか異次元だか魔界だか他の星だかみてえに変わっちまって、んでもって、自分達もこんな、化け物じみた体になっちまって、普通だったらもう少し、嘆いたり悩んだり絶望したり苦しんだり発狂したりするもんじゃねえ? なのに俺ら――ある意味元の世界にいた、っていうか、世界と俺らがこんなふうになる前より幸せだったりするよな。これってすごくね?」
「うん、すごいな」
 俺の恋人はニコニコと笑った。
「……ってことで、もう一本入れていいか」
「うん、いいよ」
「んー、ど・れ・に・し・よ・う・か・なー♪」
 恋人の目の前で触手をフラフラふってやると、恋人の顔が赤くなったり青くなったりする。
「……イボイボとかついててもへーきか?」
「……それくらいなら……大丈夫、だと思う……」
「ん。無理そうだったらやめるから」
「うん――でも、あんまり遠慮しなくてもいいよ?」
「んー、でも俺、おめーに惚れてるから無理させたくねーし」
「私は、君に惚れているから無理くらいしたいんだよ。あ、誤解するなよ。君が私に無理をさせたことなんか一度もない。けれどもその、君もそんなに私に遠慮することはないんだよ?」
「ん、わかった。んじゃ、遠慮なく。……なあ、どっちがいい? どっちに入れて欲しい?」
「あ……その……お、女の子のほうは、ま、まだちょっと育ちきってない気がするから、その……」
「ん――こっちな」
「あ……」
 触手から粘液が出るのはマジ便利でいい。こんな世界で毎回毎回ローション探せって言われたら俺は泣く。主にめんどくさくて。
「あ……あ……」
 こんな世界になっちまったっつーのに、こんな体になっちまったっつーのに、俺の恋人は、いまだに思い切り声を出して喘ぐのが恥ずかしくてしかたねえらしい。俺が口を酸っぱくして言って聞かせたし、触手を口に捻じ込んで実力行使をしたりもしたから思い切り唇を噛んで声を殺そうとするのはやめたけど、それでも必死で声を抑えようとしているのがメチャクチャエロい。
「ん、つらいか? やめとく?」
「…………」
 フルフルとかぶりがふられる。それを見ながら触手をグッと押しこんだら体がビクッとはねた。
「なあ……すげーな。世界がこんなふうに変わっても、体がこんなふうに変わっても、それでもやっぱり前立腺があって、俺達こうやってセックスしてると死ぬほど気持ちいいんだな」
「…………ばか…………」
 涙目でそんなことを言われても、誘われてるとしか思えねーのは、こんなふうに変わっちまう前の世界だった時とまるっきり変わらなかった。

失ったものはいろいろあるけど得たもののほうが多いような気がする

 いったい何がどうしてどうなって、どういう理由で世界が、そして私達自身がこんなふうに変貌してしまったんだかさっぱりわからない。
 世界が変わり、そして私達が変わる前の日、いったい何があったか、何かきっかけになるようなことがあったか、いろいろと思い出してみたり考えなおしてみたりしたが、どうもさっぱり心当たりがない。
 一つだけ、いつもと違うことがあったとすれば、その……なんというかその……そ、その日初めて、私のほうから私の恋人に、その、なんというか……自分から、セ、セックスして欲しいとせがんだことくらいしか思い当らないのだが、いくらなんでもそれがきっかけということはないだろう。というか、それがきっかけではないことを全身全霊をあげて切実に望む。
 私がしどろもどろになりながら、抱いて欲しいと自分からせがむと、私の恋人は本当にうれしそうに笑って、私をギュッと抱きしめてくれた。その時に限らず、彼はいつだってそうなのだが、その夜はとりわけ、私の恋人はとろけるように優しく、何度も何度もキスを繰り返しながら、何度も何度も私を求めてくれた。
 考えてみれば、あれが。
 私が自分の両腕で恋人を抱きしめることができた最後の夜だった。



「なあ……俺、気持ち悪くねえか?」
 触手の渦と化した自分の下半身を見つめながら、泣き出しそうな声で私にそう問いかける恋人を、私はギュッと抱きしめてやりたくてしかたがなかった。
 けれどもその時すでに、私の手足は失われてしまっていた。
 だから、私は。
「全然気持ち悪くなんかないよ」
 せめて自分にできることをした。
 にっこりと、私の恋人に微笑みかけ、安心させるようにうなずきかけてやった。
「かわいいよ――というのとは、さすがにちょっと違うような気もするが、少なくとも私は気にしないよ。気持ち悪いなんて思ったりしないよ」
「……そか」
 私の恋人は、ホッとしたようにニッと笑った。
「……まあ、俺はちょっと気色悪いくらいですんでよかったっちゃあよかったけど」
 私の恋人は私を見下ろして小さくため息をついた。
「おまえは――不便な体になっちまったなあ」
「ああ……まあ、しかたがないよ。この際、命があっただけでもありがたいと思わなければな」
「ん、そだな。……なあ」
「ん?」
「俺、おまえのこと持ち運んでいいか?」
「え?」
「いや、だって、おまえそれ、自分じゃ動けねえだろ?」
「ああ……まあ、それはそうだが……」
「だが?」
「しかし、私をいちいちあちこち持ち運んで歩くのは、重いし邪魔だろう?」
「まあ、そりゃそうかも知れねえけど、それでも俺は持ち運びてえんだよ。……いいか?」
「え……ま、まあ、君がいいならいいが……」
「よし!」
 私の恋人は本当にうれしそうに笑って、ウネウネとした触手でヒョイと私を持ちあげた。
 触手は、不思議なほどすべすべとしていて気持ちがよかった。
「……あー……」
 私の恋人は、たくましい両腕とすべすべと気持ちのいい触手で、私をギュッと抱きしめた。
「こーいうこと言うと、すっげー不謹慎で、すっげー残酷で、すっげー不人情だってこたあよくわかってんだけどよ。あー……これでもう、おまえまるっきり俺のもんになっちまったなあ……」
「……もう、とっくの昔に君のものだったというのに」
 私に頬ずりをしながらキスを繰り返す恋人に、私も不器用にキスを返しながらそう言った。
「……あのさ」
「ん?」
「こーいう時に、ほんと不謹慎だってこたあよくわかってんだけどさあ」
「ん? どうした?」
「……なあ」
 私の恋人は、ひどく不安げな顔で私を見つめた。
「俺の、この触手……おまえの中に、入れてもいいか?」
「……それはつまり、その触手をつかって私とセックスがしたいということなのかな?」
「……うん。……あのさあ」
「うん」
「……あのさあ」
「うん、どうした?」
「……あのさ」
 私の恋人は、がっくりと肩を落とした。
「俺……もしかしたら、もう男じゃねえかもしんねえ」
「え? そ、それはいったい、ど、どういう意味だ?」
「……俺」
 私の恋人は、クシャッと顔をゆがめた。
「チンコなくなっちゃった」
「…………は?」
「……もしかしたら、触手のどれかに変わっちまったのかもしんねえ」
「あー…………それは、また…………」
 その時はさすがに、私も恋人に何をどう言ってやればいいのかさっぱりわからなかった。
「……いやでも、おまえのことはこの触手をつかってかわいがってやるから」
「いや、私は別にそんなことを心配したりなどはしていないのだが……」
「あー……まあ、おまえのほうはなんとか無事みてえで……えッ!?」
 そう言いながら、私のむき出しの股間をしげしげと見つめた恋人が、ギョッとしたように目をむいた。
「な、なんだ、ど、どうかしたのか?」
「い、いや、あの、ええと、ど、どうかしたのかって……お、おまえ、じ、自分で気がつかねえのか!?」
「え? あ……そ、その……ゆ、ゆうべその、な、何度もしたから、その、なんというか、そ、そのあたり、ちょっとその、い、いつもと違う感じで……い、いつもと違う感じなのは、ゆうべ何度もしたからなのかと……」
「あ……あー……そ、そっかー……あー……えっとー……」
 私の恋人は、困りきった顔でグシャグシャと短く固い黒髪をひっかきまわした。
「あー……あのな」
「う、うん、私のそこ、ど、どうにかなってしまっているんだな?」
「あー……うん、まあ……あ、で、でも安心しろ! こ、これはえーっと……ある意味ラッキーな変化だから! つーか、たぶんこれで損することねーから! たぶん得することのほうが多いから!」
「ああ、うん、気をつかってくれるのはうれしいが……その……私のそこ、い、いったいどうなってしまっているんだ……?」
「あ、うん……えーっとあれだ、お、落ちついて聞けよ? あ、まあ、俺の触手が平気なら、これも平気だろうたあ思うけどよ……」
「どうした? うろこでも生えているのか?」
「いや……うろこじゃねえよ」
 私の恋人は、大きなため息をついた。
「あー……あのな」
「うん、私は大丈夫だからはっきり言ってくれ」
「……あのな」
「うん」
「……おまえ、ふたなりになってる」
「…………は?」
「いや、だから……おまえ、マンコできてる」
「…………それはえーと…………それはつまり…………そ、それはつまりその…………わ、私に女性器ができてしまっているということか!?」
「うん……なんつーか、普通の女のマンコよりはちょっとちっちぇえ感じだけど……それでもこれ、どー見てもマンコだよなあ……」
「傷とかじゃなくて!?」
「いや、傷じゃねえだろこれ。あー……ちょっと触ってもいいか?」
「あ……う、うん、い、いいよ……」
「大丈夫、優しくするから」
 優しいささやきと共に、私の恋人の指がのばされ――。
「――あッ――!?」
 傷口に触れられた時に感じるのとはまったく違う刺激に、私は大きく慄いた。
「あー……やっぱこれ、マンコみてえ」
 私の恋人は、どこか感心したように言った。
「…………まあ、人間の下半身が触手になるくらいだから、男に女性器が追加されるくらいの変化があってもおかしくはないな…………」
 私はさすがに、呆然としてそうつぶやいた。
「あー、うん、言われてみりゃそうだな」
 私の恋人は、ニヤッと苦笑した。
「……でも、さ」
「ん?」
「んー……なんつーか、すっげーくやしい!」
「え? ど、どうしてだ?」
「……だって」
 私の恋人は、ギュッと唇を噛みしめた。
「だって、なんで俺のチンコがなくなっちまってからおめえにマンコができるんだよ!? 俺……俺……せっかくおまえにマンコができたんなら、おまえのこと、きっちり孕ませてやりたかったのに……!」
「……ありがとう」
 両足は、戻ってこなくてもいい。
 でも、両腕には戻ってきて欲しかった。
 私は、私の恋人を、両腕でギュッと抱きしめたかった。
「でも――」
「でも? あ……も、もしかしておまえ、お、俺の子なんか――」
「ばか。そんなことあるはずがないだろう? 君の子を宿すことができたら、それは私にとっては無上の喜びだ。そうじゃなくて、その――」
「ん? どした?」
「その、なんというか……そ、その、その触手ではその……か、かわりにならないだろうか? ほ、他にその、それらしい器官もないようだし、その……なんというかその……た、試すだけ、試してみても……」
「……ん。そだな」
 恋人は、ちょっとうるんだ目で私を見つめ、そうしてギュッと、きつく私を抱きしめてくれた。



 こんな世界で子供を産んで、きちんと育てられるかどうかわからない。と、いうかそもそも、私と私の恋人の間に、子供が生まれるのかどうかもわからない。
 それでも、私達の間には、間違いなく、愛と、恋と、そして大きな希望とがあって。
 こんな時にこんなことを思ってしまうのは、本当に不謹慎なことなのかもしれないが。
 それでも私はどうしても、失ったものはいろいろあるけど得たもののほうが多いような気がする、と、思わずにはいられないのだ。

世界と自分の体が変わっちまってもこだわりってもんは残るらしい

「……うわ……」
 ぶっちゃけ、下半身が触手に変わっちまった時より驚いたかもしれねえ。
「ヤッベ、うわ、お、俺こんなに汁出す体質になっちまったの!? あ……ご、ごめん! 苦しいよな、これ?」
「……あ……」
 派手にイッたせいで意識がトんでるんだろう。ボーッとして、まだ自分がどうなってるのかよくわからないらしい可愛い恋人が、ポーッとした目で俺のほうを――見てるんだか、ただ顔と目がこっちに向いてるだけなんだか。
「ごめん……こんなにその……なんつーか、汁が出るとは思ってなくて……」
「……」
 俺の触手から、俺自身が自分でも引くほどどっぷりたっぷり吐き出された汁――だか体液だか粘液だか、もしかしたらザーメンだか――で、ポヨポヨとふくれた恋人の腹を、触手の先で恐る恐るなでてやると、意識が戻ってきたのか、恋人が俺を見てフッと笑った。
「別に、そんなに申し訳なさそうな顔をしてくれなくてもいいよ。……気持ちよかったんだろう?」
 あ、まただ。
 また、こいつはこんな不安そうな顔をする。
 世界がこんなになっちまう前から、俺達が人間っていうよりも化け物って言ったほうがいいような姿になっちまう前から、こいつは俺に、その、なんだ、セックスした後気持ちよかったかどうか聞く時は、いつでもこういう不安そうな顔をしていた。俺が何回、何十回、何百回、何千回、何万回、俺はおまえとヤるのが世界で一番、最高に気持ちがいいんだって言ってやっても、こいつはいつもどうしても、自分の体は俺のことをきちんと気持ちよくさせてやることができないような気がして不安でしょうがねえらしい。
 世界が変わっちまっても、自分の体が変わっちまっても、そういうところはまるきり変わりゃしねえんだな、って思うと、俺はなんだか泣きたいような笑いたいような、それとも怒りたいような叫びたいようなどなりつけたいような、そんな、なんつーかこう、俺にしては珍しい、すげえ複雑な気分になった。
「……ああ。最高に気持ちよかった」
 それでも俺はいつもの通り、恋人の頭をなでながら優しく言ってやって、ついでにちょっとキスをしてやることしかできなかった。
「に、しても……これ、出さねえと苦しいよなあ」
 そう言いながら、恋人の腹に入ったままの触手を抜こうとすると。
「……え? え、あ、ええッ!? ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待て!?」
「ん、どした? あ――も、もしかして、動かされると痛かったりとかするのか!?」
「そ、そうじゃない、けど――」
 恋人は真っ青な顔で俺を見つめた。
「で、でも、あの、その、な、なんというか――そ、それ、ぬ、抜かれちゃったらその――で、出ちゃうじゃないか!?」
「うん、だから、出さねえと苦しいだろ、これ?」
 どう考えたって、外から見てわかるレベルでふくらむまで腹の中にドロドロした液を詰め込まれて、そのうえ触手で栓なんかされてたら苦しくて苦しくてどうしようもねえだろうってことくらい俺にだってわかる。
「いやだッ!!」
 恋人は、真っ青な顔で悲鳴を上げた。
「え? いやだ、って、おまえ――」
「いやだ――いやだ、そんなの!!」
 恋人は、顔どころか全身から血の気を引かせちまったんじゃないかって感じの動揺っぷりを見せながら、俺の触手を腹の中に詰め込まれたまま、手足のない体をジタバタともがかせてブンブンかぶりをふった。
「いやだ――いやだ――ぜ、絶対にいやだ!! そんな――そんな――そんなことしたら――」
 恋人の歯がガチガチとなった。
「き、君に、その、あの、その――だ、出すところ全部見られちゃうじゃないか!? いやだ――いやだそんなの、絶対にいやだ!!」
「……でも、なあ」
 俺はちょっと苦笑した。
「いやだって言ったって、おまえその――こういうこと言うのはあれで何だけどよ、おまえ、そんな体なんだから、これからずっと、その、なんだ、そういうことする時、俺の手借りねえわけにゃあいかねえぞ? 俺ぶっちゃけ、こんなわけのわかんねえとこに変わっちまった世界で、いくらおめえがそう頼んだからって、手足がねえおめえを用を足すあいだだけ一人ほっぽらかして遠くに離れてる気はまるきりねえぞ?」
「…………あ…………」
 恋人の顔が、真っ青を通り越して土気色になった。
「……あー」
 俺はなんとなく、恋人の頭をクシャクシャとなでた。
「なんだかなあ」
「……え?」
「んー……なんだかなあ」
 俺は思いっきり苦笑した。
「なーんつーかよー、おめえ、世界がこんな、地獄だか魔界だか他の星だかみたいに変わっちまったってことよりも、俺が触手の化け物になっちまったことよりも、自分がダルマになってふたなりになっちまったってことよりも、俺に、その、なんだ、腹の中のものぶちまけるとこ見られるってことのほうがよっぽどショックなんだなあ」
「…………赤の他人に見られるほうがまだましだよ…………」
 恋人は、グスグスと鼻をすすりあげながら弱々しい声で言った。
「あー、まあ、今の世界じゃまずありえねえだろうけど、元の世界だったら、歳とって介護されることになったら、赤の他人に下の世話されたりするようになることもあるんだもんなあ……」
「でも……君に見られるの、いやだ……!」
「でもよー、いやだっつってもしょーがねえだろ。あきらめろ」
「……うぐっ……」
 恋人がのどを絞めあげられたみてえな声を出す。あー、ヤベ、すっげー可愛い。
「……ま、なんつーか、いうまでもねえことだけどよお、そういうとこ見ても、俺別におめーのこと嫌いになったりしねーから。つーか、俺にとってはむしろご褒美だから、うん」
「…………」
 真っ青になって震えてる恋人を見てハッと気づく。これ、もしかしたら、俺にそういうとこ見られるのがいやっていうだけじゃなくて、腹の中が苦しいのがそろそろ限界ぶっちぎりそうになっちまってるんじゃねえのか!?
「……おまえのせいじゃねえから」
 そう言いながら、震える恋人にキスをする。
「だって、おまえ、手も足もねえんだもん。我慢も抵抗もできるわけねーじゃん。そのうえ、俺に腹の中にしこたまドロドロしたもんぶちまけられちまってよお。これで我慢だかなんだかできたら、そいつそれこそ人間じゃねーよ。だからよ、その、なんだ、もうあきらめろ。こりゃおまえ、あれだ、えーと、ああそうそう、フカコーリョク。不可抗力っていうやつなんだから。――な?」
「……ひぐっ……」
「ああもう、泣くなよ」
 そう言って頭をなでながらも、ああ、泣いてるこいつってなんて可愛いんだろう! って内心萌えまくってるんだから、俺もたいがい――っつーか、根っからどうしようもねえな。
「とにかくさあ、出さなきゃしょうがねえだろそれ?」
「……自然に体内に吸収されるのを待つ……」
「いや、そうしたって結局、おめえいつかは出すもん出さなきゃいけねえんだからな!? それちゃんとわかってるか!? っていうか、死ぬほど気が長いこと言うなおい!? え、なに、もしかしておまえ、俺の触手に腹の中のもの吸いだして欲しかったりするわけ!?」
「君の触手にはそんな機能もあるのか!?」
「いや知らんけど。でも、やってみたらもしかしたら出来るかもしんねえ。……ちょっとやってみっか?」
「や、やめてくれ!! そ、そんなことをされるくらいなら、その――ま、まだ普通に出したほうがましだ!!」
 恋人が悲鳴をあげながらジタバタともがく。あ、すげえ、手足がなくなっちまって腹ん中に触手詰め込まれててもこんだけ盛大にもがくことができるんだ。人体の神秘だな。
「ん、わかった。じゃあ――抜くぞ」
「…………あ…………」
「大丈夫」
 恋人をギュッと抱きしめる。腹の中ドロドロでいっぱいで、外から見てわかるほどポヨンとふくれちまってる時にそんなことしたら、きっとすげえ苦しいんだろうけど、俺はどうしてもそうせずにはいられなかったし、恋人も、苦しがるよりもホッとしてくれているようだった。少なくとも、俺にはそう見えた。
「嫌いになったりしねえから。むしろ、もっと好きになるから」
「…………ん…………」
 唇を噛みしめて、目にいっぱい涙をためている恋人を、もう一度ギュッと抱きしめて。
 俺は一気に、恋人の腹の中から俺の触手を引き抜いた。

思わず泣いてしまったがもしかしたら泣く必要はなかったかもしれない

「……ひ……ひぐっ……」
 自分がなぜ泣きじゃくっているのかもよくわからないままに泣きじゃくっていた。
「ああ、ほら、もう泣くな」
 ポンポンと私の背中を叩く手と、優しく私の頭をなで、髪を梳く手と――。
「なあ、もう苦しくねえか?」
 優しい声とともに、そっと体に絡みついてくる触手に、私はビクリと身を震わせた。
「あ……わ、わた……私……私……あ、あ、あ……が、我慢、で、できなくて……!」
「いや、だから、我慢する必要なんかまるきりねーから。つーか、無理に我慢されちまったら逆に俺がこまるから。ん、よしよし。さっぱりしたろ?」
「……ふぐぅっ……!」
 涙と鼻水とよだれがドバドバと垂れ流される。醜態の上に醜態を重ねていったいどうしようというのだ、と、頭の片隅からひどく冷たい声が聞こえてくる。
「別に泣かなくてもいいのになあ」
 私の恋人は苦笑しながら、私の頭をクシャクシャとなでた。
「つーか、今のは俺が完全に悪かったよ。うん、ごめんな? 苦しかったろ?」
「……うえっ……」
 優しく私を慰めてくれる恋人に、私はろくな返事も返すことができなかった。
「うん、まあ、おめーが泣きたいんなら、別に泣いてたって俺ぁかまわねえけどよ。でも、そんなに気にすることねえぜ? いやマジで」
「…………ごめんな」
「だから謝るなって。あんなん我慢できるわけねーし、それによお――それに、なんつーか」
 涙と鼻水とよだれでドロドロのズルズルのベタベタになった私の顔に、チュッチュッとキスを繰り返す恋人の声は、穏やかで優しく、そして――そう、そして――。
「それに俺――ぶっちゃけすっげーうれしいし。だってよお、おめーのあんなとこ見られるの、この世で俺だけだろ?」
 そして、本当にうれしそうだった。
「あ、あ、あ、あたりまえだ!」
 だから私も、もっと優しい穏やかな返事を返したかったのに、なのに私は怒ったような返事しか返すことができなかった。
「あ、あんな――あんなところ――あ、あんな、あんな――こ、この歳になって、あ、あんな粗相をするところなんか、ほ、ほ、他の誰かに見られたら私はその場でショック死する!!」
「うん、でも、俺に見られても死なねーんだなおまえは」
「え……」
 ふと不安になって恋人の顔を見つめると、恋人はうれしそうににこにこ笑いながら、また私にキスを繰り返した。
「あー……やっぱ、おまえってチョー可愛いわー……」
「……汚してしまって、ごめんな」
「ん? 気になるか? だったら洗えばいいだけのことだろ」
「いや、洗うったってな……」
 私はちょっと絶句した。
「今のこの世界には、風呂場はおろか、水道だってろくにないしな……」
「でも、水場みてーなとこはあるよ。俺見つけたもん」
「君、そういうところほんとよく見てるよな。……あー、でも、その、なんだ、ケチをつけるわけではないが――」
「ん、なに?」
「……その『水場』の『水』って、私達が浴びても大丈夫な液体なのか?」
「あー……まあ、俺が先に触手突っ込んでみるから。そんで、触手が無事なら俺らも大丈夫だろ。……たぶん」
「うん……まあ、実質そういう方法で確かめるしかないよな。あ、でも、別に君、自分の触手をつけなくても、私の体をそこにつけて確かめてみたっていいんだぞ?」
「……あのなあ」
 私の恋人は、深々とため息をついた。
「そういうこと言うなよなあ。俺別に、そういうことがしたくておめーのこと連れ回してるんじゃねーんだからよお」
「それを言うなら、私だって、君に私の代わりにすべての厄介事を引き受けさせるためにこうしていっしょにいるわけではないよ」
 そうはいっても、きっと、実質的にはそういうことになってしまうに違いないのだろうけど。手足を持たない、手足を失ってしまった私は、きっと、これから先、実質的には常に彼の手を借り、彼に世話を焼かれ、彼に依存し、彼に守ってもらわなければ生きていくことなど到底不可能なのだろうけど。
 それでもやはり、私は彼にできるだけ、私のために危険を冒してほしくはなかったし、私のために傷ついたり苦しんだりしないでほしかった。
「……ん。そだな」
 そう言ってにっこり笑いながら、私の恋人は私の額にキスをした。
「でもまあ、とにかく今回は俺が確かめるよ。つーか、おめーの体の、えー、なんだ? 体積? おめーの体の体積よりも、どう考えても俺の体の体積のほうがでけえんだから、したらやっぱ、こういう時には俺が確かめるべきだろ? あれだ、俺のほうがおめーより、残機が多いんだからさあ」
「は? ざ、ざんき?」
「あ、おめー、ゲームあんまり詳しくなかったっけ」
 私の恋人はそう言っておかしそうにケラケラと笑った。
「あー、あれだ、つまりよーするに、俺の体のほうがおめーの体よりでけーんだから、俺の体が減るほうが、おめーの体が減るよりダメージ少ねえだろうって、俺はそういうことを言いたかったんだよ、うん」
「……馬鹿言うな。私はいやだよ、そんなの」
「うん、でも、俺もおめーの体が減っちまうの嫌だし。つーか、おめーこれ以上減ったらガチでなくなっちまいそうだし。だから、うん――ま、とりあえず、ここは俺に任せとけ」
 そう言いながら私の恋人は、私を抱きかかえたまま――腕と触手とで私の体を保持するこの体勢を、『抱きかかえる』と言っていいのかどうか、実は私には今一つわからないのだが――、無数の触手をうごめかせてニュルニュルニョロニョロと移動を始めた。
「……なあ」
「ん?」
「……なんでもない」
 自分から話しかけておいて、なんでもないはないだろうと、私は内心大おおいに自分自身にあきれたが、私の恋人は別に気にする様子もなく、機嫌のよい笑みを浮かべ、「そっか」と軽くこたえただけで、元気よく触手をうごめかせ続けた。
「……なあ」
「ん?」
「……あのな」
「どした?」
「……ありがとう」
「へ? 何が?」
「ん……いろいろと、だ」
「ふーん……そっか」
 私の要領を得ない返事に、私の恋人は本当にうれしそうな笑みを返し、そしてそのまま機嫌よく鼻歌を歌いはじめた。
「……なあ」
「ん?」
「……こんな時に唐突にこんなことを言うのは、その、なんというか、ちょっと変かもしれないが」
「どした? 言ってみ?」
「……好きだ」
「知ってる」
「……大好きだ」
「わかってる」
「……愛してる」
「とーぜん俺も愛してる。え? つーか、それって別に全然変なことじゃねーじゃん? つーか、それはいつ言ったって別に全然変なことになったりなんかしねーことじゃん? つーか、別に変なことだって、俺はおまえにそう言ってもらえりゃあ、いつだってうれしいからなあ。これからも、どんどんガンガン言いまくってくれ、うん」
「うん……わかった。……ありがとう」
「だから、なんでこういう別に礼なんかいらねー時にわざわざ礼なんか言うかねおまえは」
 私の恋人はそう言って苦笑しながら、それでもひどくうれしそうに、私の唇にキスを繰り返し、私の体内に触手をすべりこませた。

子宮のことを赤ちゃんの部屋って言われると妙に興奮する俺は変態か?

「……あっ……」
 俺の恋人が、俺の触手セックスに初めて抗議した――っつーか、不安そうな声をあげたのは、細い触手を子宮口から捻じ込んで、子宮の中をいじりまわそうとしていた時だった。別に、特に意味とかあってそういうことしてたわけじゃねーんだ。俺はただ、この細い触手どこまで奥に入るのかなー、とか、これで子宮の中撫でくりまわしたらどんな感じなのかなー、とか、そういうことを考えてただけだった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そ、そこ、その――よ、よくわからないんだが、そこ、その――もう、その、あ、赤ちゃんの部屋の中だろう?」
「へ? あ、あー、たぶんそうなんじゃねえの? 俺もほんというとよくわかんねーけど」
「……あ……」
 俺の恋人は、泣き出しそうな顔でフルフルとかぶりをふった。
「そこ、だ、だめだ……なあ、そこ、だめ、しょ、触手、出して――!」
「え!? あ、ご、ごめん、痛かったか!?」
「い――痛くはない、けど――」
 俺の恋人は、必死としか言いようのない目で俺を見つめた。こいつにまだ手足が残ってたら、その手足を使って、俺のことを必死で押しとどめてたんだろうな、と思う。
「でも、そこ、赤ちゃんの部屋だから――赤ちゃんを育てる、大事な大事な場所だから、だから、乱暴にしないで――!」
「……わかった。……ごめんな」
 そう言いながらそっと触手を引き抜いて、やっぱりそっと、恋人の頭を撫でた。そうしながら俺は、なんだか泣きだしたいような気持ちになっちまってしかたがなかった。
「乱暴にするつもり、なかったんだ。ただその――ごめん、俺ただ、そこどういうふうになってるのかな、って思って――でも、怖かったよな。ごめんな。もうしねえから」
「ん――私のほうこそ、大げさに騒いでしまってごめんな」
 俺の恋人は、すまなさそうな顔で笑った。
「別に、他の場所だったらいくらでも好きなようにしてくれていいから。ただ、その――そこは、その――わ、私にはきっと、一生無理だと思ってたのに、せっかく、その――も、もしかしたら、出来るようになるかもしれないっていう可能性が――!」
「……おまえ、そんなに女になりたかったのか?」
「……女になりたかったわけじゃない」
 俺の恋人は、苦しそうな顔で、苦しそうな声で、ポツリとそうこたえた。
「私は、ただ――君の子を、産みたかっただけだ――!」
「ん――そっか」
 俺は、両腕と触手で恋人をギュッと抱きしめた。
「……なんだかな。人間って、不思議なものだな。不思議で、そして、とことんどうしようもないものだな」
 俺の恋人は、苦笑いしながらそう言った。
「私はな、その――昔から、世界がこんなふうに変貌する前から、その、なんというかなあ――封建時代とかに、家の跡取りとか、世継ぎとか、そういう、なんというんだ? 自分の血をひいた子供を、異常なまでに求める傾向があったりしただろう? それに、その、肉体的にも経済的にも負担のかかる不妊治療を何年も行ってでも、自分達の血を、遺伝子を受け継ぐ子供を求める夫婦もたくさんいた。私はな、私は正直、そういう話を聞くたびに、血のつながりだけが家族の条件というわけではないし、血が繋がっていない相手どうしのあいだにも情愛は通いあうのだろうから、そんなに無理をしてまで自分の、自分達の血統にこだわらなくても、しかるべきところから養子なりなんなりをもらったりすればいいのではないかと常々思っていたんだ。けど――私がそんなふうに考えることができていたのは、それは――それはしょせん、それが『他人事』だからだったんだなあ――」
 俺の恋人は、深く、大きくため息をついた。
「私は――私は――君と愛しあうようになってからずっと、ずっとずっと、本当は、君と私とのあいだにできる子供が、君と私の血と肉とを受け継いでくれる子供が、欲しくて欲しくてたまらなかったんだよ――! うん――おかしいよなあ。私はずっと、そんなのはなんというか――そう、なんというか、ある意味古臭くて融通のきかない、まったく理性的ではない姿勢だと心のどこかで思っていたのに、いざそれが実際に自分の身に降りかかってみると、自分だってそういう人達とまったく同じことを思い、まったく同じことを望んでいたんだものなあ――」
「でも、それってある意味とーぜんのことだろ。好きな相手の子供が欲しいっていうのは、人間として、っつーか生き物としてとーぜんのことだろ。おめえがそうしてえって思ったからって、何もおめーがそんなに申し訳なさそうな顔する必要なんざありゃしねえや、ばーか」
 俺はそう言いながら、両手で恋人のほっぺたをつまんでムニムニとこねくり回した。
「うん――そうだな。それは、本当にそうだな。――ありがとう。君にそう言ってもらえて、ホッとした」
 俺の恋人は、本当にホッとしたようににっこりと笑った。
「ったりめーだろ。つーか、おまえ俺がおまえになんか意地悪なこと言うとでも思ってたのか? うわー、俺、そっちのほうがショックだわ……」
「そんなことを思ったりなどしてはいないよ。でも、そういうふうに聞こえてしまったのなら謝るよ。ごめんな、変なこと言ったりして」
「別に、謝ってくれなくってもいいけどよ」
 俺はまた、恋人のほっぺたをムニムニした。
「でも、うん、そっか――おまえ、そんなに子供が欲しかったのか――」
「……今の私が子供を産んでも、育てるのは、実質すべて君の手を借りることになると思う」
 俺の恋人は、苦しそうな顔でそう言った。
「それでも――それでも、産んで、いいかな――?」
「おめーに産んで欲しくなかったら、俺ぁハナからおめーのマンコに中出ししたりなんかしやしねえや、ばーか」
 俺は、恋人の頭をコツンと小突いた。
「それに、おめーのガキなら俺だってとーぜん欲しいに決まってるし。……でも、な」
「……でも?」
「あー、その、なんだ、その――ガキができなくても、あんまりがっかりすんなよ?」
「大丈夫だよ」
 俺の恋人はおかしそうに笑った。
「もともと、男として生まれた私に子供を産むことができる可能性なんて皆無だったんだよ。それが、もしかしたらという夢を見ることができるようになったんだ。子供ができなくったって、いい夢を見たと思うことができるさ」
「そっか。……あと、な」
「ん?」
「その、なんつーか……生まれてきたガキが化け物でも、あんまりがっかりすんなよ?」
「化け物というのなら、言ってはなんだが親の私達からしてすでにある意味十二分に化け物じみているよ。だってあれだぞ? だるまふたなりに、下半身触手男だぞ?」
 俺の恋人は、また、おかしそうに笑った。
「だから、どんな化け物じみた子供が生まれてきたところで、そんなのはある意味当然のことだよ。ただ、まあ――私のように手足を持たずに生まれてきてしまったら、その、なんだ、生きるのに少し不便かなあ、とは思うが――」
「その場合は、そのガキが大人になるまでになんとかつがいの相手を見つけて押しつけるしかねーな」
「え!? つ、つがいの相手!?」
「そーだよ。んでもって、俺らみてーな夫婦になりゃあいいじゃんか、なあ?」
「ん――そうだな。……夫婦、か」
 俺の恋人は、俺のつがいの相手は、うれしそうに、くすぐったそうに笑った。
「……子供、できるといいな……」
「そうだな。できるといいな」
 俺はそう言いながら、両手で恋人を抱きかかえて、何十本もの触手で、恋人の腹をそっと撫でた。
 俺達のガキは、今はまだどこにもいねえけど。生まれてくるガキは、もしかしたらとんでもねえ化け物なのかもしれねえけど。
 俺の恋人は、きっと最高のおふくろになるに決まってるんだから。
 だから安心して、とっとと生まれてきやがれガキンチョ、と、思った。

赤ちゃんの部屋には赤ちゃんの種をまいてもらわないとおさまらない

「あ……ど、どこまで入るんだ、それ……?」
「んー、ぶっちゃけ俺にもどこまでいけるかやってみねーとわかんねー。……なあ」
 動きをとめて、真剣な目で私をのぞきこんでくる恋人の優しいまなざしに、私はとても、ホッとする。
「つらかったり、いやだったりするんなら、やめるぞ?」
「……大丈夫。ちょっと、その……ちょ、ちょっとだけ、怖くなってしまっただけだ」
「やっぱやめるか?」
「……やめなくていい」
 ああ、手が欲しい。腕が欲しい。恋人に抱きつきたい。恋人を抱きしめたい。
「無理すんな」
 私の頭を撫でる、その手は優しい。
「俺、おまえがいやがることはやんない。――やりたかねえよ、そんなこと」
「大丈夫」
 ああ――可愛いなあ。
 私の恋人は、本当に、なんと可愛い男なのだろう。
「いやじゃない――から。本当に、全然いやじゃないから。その、あの、な、なんというか――」
 ふいとそっぽを向こうとする私の顔を、ペトリと恋人の触手が押しとどめるので、私はちょっとだけ苦笑する。
「あの――わ、私も、その――な、中、気持ちいい、から――」
「――ごめん」
「え?」
「なあ」
 ああ。
 私のことを見つめる恋人の目は、いつも、なんと真剣なのだろう。
「ヤベ――俺、おまえにそんなこと言われたら、激しくしちまう――!」
「いいよ」
 ああ、やっぱり。
 手が欲しい。腕が欲しい。君に触れたい。君を抱きしめたい。
「激しくしても、いいよ。私は平気だから。私は大丈夫だから。あ――ただ――」
「わかってる」
 優しい目。優しい声。優しい口づけ。
「赤ちゃんの部屋乱暴にされるのは、絶対にいやなんだろ。わかってる。わかってるから――」
「うん――ありがとう。その代わり、その、う、後ろは、いくらでも、好きなようにしてくれてかまわないから――」
「――うん」
 ズッ――と、腸内の触手が動くのを感じて大きく喘ぐ。
「なあ――中、気持ちいいか? こんなに奥までズッポリ入れちまってても、それでもやっぱり、気持ち、いいか――?」
「うん。すごく、気持ち、いいよ――」
 世界が変貌して、私達の体が変わってしまって、それで感覚まで変わってしまったのか。それとも、感覚そのものは変わってはいないのか。
 そのこたえはきっと、永遠にわからないのだろう。元いた世界――というか、変貌前の世界では、性行為中にその、なんというかその、こ、ここまで奥まで、ここまで深々と、自らの内臓を侵食されるということは、常識的に考えて、まあ、まず、絶対に起こり得なかったことなのだろうし。だから、元の世界で同じことをされた時に私がどう感じていたのか、などということは、いろんな意味で、もう絶対に検証のしようがない。
「あー……どーしよー……」
 恋人の力強い両腕が、私をきつく抱きしめる。恋人の可愛い触手が、私の内側により深く、より長々と突き刺さり、私は恋人に抱きしめられたまま身悶える。
「俺……俺……おまえのこと、すっげえ好きだ……」
「うん、あ、ありが、と。わ、私も、君のこと、すっげえ好き、だよ……」
 ちょっと激しくされると、私はすぐにろれつが回らなくなってしまう。これは、世界が変貌する前から、体が変わってしまう前からそうだった。
「……なあ」
 おずおずとした触手が、私に新しく出来た下の唇をつつく。
「絶対――絶対乱暴にしねえからさ、だから、その――こ、こっちも、していいか――?」
「もちろん」
 ああ――可愛いなあ。可愛くて可愛くてたまらない。
「して――して――いっぱいして――いっぱいして。私を可愛がって。中に入れて。中に――中に、出して。そして――そして――」
 私の返事を待っているのだろう。きっと無意識のうちになのだろう。私の体内をえぐる触手の動きがとまっているのが、少しさびしく、かなりもどかしい。
「私の中にいっぱい出して――私に、た、種付け、して――私――私の――私のこと、孕ませて、お願い――!」
「――だからよお」
 ああ。
 私を狂わせる、恋人の低くかすれた声。
「あんまり俺をあおるなよ。――おまえのこと、ブッ壊しちまうかもしれねえだろ?」
「壊して、いいよ」
 本気で、そう思った。
 君になら、壊されてもいい。君は私を、壊していい。
「だって、君はきっと、壊しても、私のことを壊しても、私が元に戻るまで、ずっとそばにいてくれるのだろうから――」
「……ばっかやろう……」
 ああ。
 噛みつくような、口づけ。
 君が好きだ。
 君が好きだ。
 君を、愛している。
「あ……その触手、まだ奥に行くのか……」
「ん――つらいか?」
「ううん。……つらく、ない。……ああ……」
 ああ。
「おなかのなか、君で、いっぱい……」
「――ッ!」
「あンっ!」
 思わずあられもない声をあげてしまった。腸内の触手が大きくのたくり、女性器にズルリと触手が挿入される。でも、女性器に挿入された触手の動きは、おっかなびっくりと言っていいほどに遠慮がちで、とても優しくて、目ではよく見えないけど、そんなことがなんとなくわかって、私は、うれしくて切なくてもどかしくて、思わずちょっと泣いてしまう。
「……いてえか?」
「そうじゃない、よ。ただ……ただ……ただ、うれしくて……」
「……ん。そっか」
 私の裸の体の上を、無数の触手がツルツルと滑る。くすぐったくて、気持ちよくて、私は思わず笑ってしまう。
「く、くすぐったいよ。い、いたずらするな、こら」
「んー? だって、おまえの体、すべすべで気持ちいーんだもん……」
「…………」
 どうこたえていいかわからず、私はただ、無言でちょっと笑った。
 ただ。
 私の体は気持ちいいと言ってもらうことができて、ひどくうれしかった。
「……中も、外も、すっげー気持ちいい」
 恋人の声が、熱く甘くとろけた蜜が、私の耳に注ぎ込まれる。
「なあ――おまえは? おまえは、気持ちいい、か――?」
「――うん」
 触れあっているところから、どんどんとろけていくような気がする。
「中も、外も、ものすごく気持ちよくて、私――私、もう、とけちゃい、そ――あ――」
「――とけちまえ」
 そうささやきかけながら、私を抱きしめる恋人の腕はかすかに震えていて、私はなんだか泣きたくなる。そして、それ以上に、恋人を思い切り抱きしめたくなる。
 でも、私にはもう、腕も足もないから。
 だから、せめて、私の口に踊りこんできた恋人の舌だけは、しっかり懸命に捕まえる。
「とけて――混ざって――孕めよ――孕んじまえよ――!」
「――好き」
 何もできない。
 何も考えられない。
 でも。だけど。
「好き――好き――好き、大好き――大好き――大好き、愛してる――!」
 私は何もできないけれど。私達は、生まれもつかない化け物だけど。
「ちょうだい――ちょうだい――君を、ちょうだい――君の赤ちゃんの種、私にちょうだい――私を抱いて――私に種付けして――私は孕ませて――ああ――お願い――ねえ、お願い――!」
 たとえそれが、化け物じみた悪夢なのだとしても。
 それでも私は、私達は、新しい何かを、新しい命を生み出してみたいのだ。
「――好きだぜ、ほんとに――」
 私の顔を濡らすのは、私の頬を濡らすのは、どうやら恋人の涙であるらしくて。
 ああ。
 私はどうやら、恋人泣かせの人間であったらしい。

俺の恋人は時々大馬鹿野郎だけどそれでもやっぱり最高に可愛いやつだ

「……なあ……」
 そうささやきかけてみて、気がつく。あんまり激しく腹の中で触手をのたくらせまくってると、こいつどうやらこたえる余裕がまるきりなくなっちまう、っていうか、そもそも俺の声そのものがろくに聞こえてねえみてえだ。
「――なあ」
 触手の動きをとめて、俺の恋人が少し落ち着いたところで改めてささやきかける。
「……ん?」
 俺の恋人が、トロンとした目で俺を見つめて首をかしげるのを確かめてからそっと耳元に口を寄せ、耳を噛みながらささやきかける。
「前と後ろ、どっちのほうが気持ちいい? どっちのほうが好き?」
「え――あ、ど、どっちも――」
「どっちも? ほんとに?」
「どっちも、気持ちいい、よ――」
 そう言いながら、恋人がちょっとそっぽを向く。
「ほんとに? 正直にこたえねえと、どっちもやめちまうぞ?」
「え!? あ、ええと……ま、前のほうは、もう少しだけ、優しくしてほしい……」
「ん、わかった」
 前のほうに入ってる触手を、ちょっとだけ引き抜く。
「あの、なんというか――く、くすぐるみたいな感じに――」
 そう言いながら恋人が真っ赤になる。別に、それっくらいのこと頼む程度のことでそんなに照れなくてもいいのになあ。
「そっか、くすぐるみたいな感じにか。じゃあ――こんなふうか?」
 細くてやわらかめの触手で、恋人の女の入り口をコチョコチョくすぐってやる。
「あ――それ、気持ちいい――」
「そっか、あんまり激しくされるのいやだったんだな」
「いやじゃ、ない、よ――」
 俺の恋人はフンニャリと笑った。
「ただ――女の子のほう、まだ慣れてないから、激しくされると、その――ちょ、ちょっとだけ、怖くて――」
「ん――わかった」
 恋人の頭をクシャクシャ撫でながら、俺はちょっとため息をつく。
「おまえなあ、頼むから、そういう大事なことはもっと早く言ってくれよ。俺、体はこんなふうに化け物じみちまったけど、別に他になんか特殊能力に目覚めたってわけでもないんだからさあ、おまえの気持なんか、口に出して言ってもらわなきゃちゃんとわかんねーんだよ」
「うん、ごめんな。でもその、なんというか――ちょっとだけ怖いけど、でも、それよりもっとその、き、気持ちいい、から――だからその、あの、や、やめてほしく、なくて――」
「やめるかばーか。俺だって別に――激しくやるだけが気持ちいいってわけじゃねえんだしよ――」
「……あ……」
 女の入り口をくすぐられて喘ぐ恋人を見ていると、俺の下っ腹がジワリと――いや、カーッと熱くなる。
「……なあ」
「ん?」
「おまんこ気持ちいい、って言ってみて?」
「……なあ」
 俺の恋人はクスッと苦笑いした。
「君、それ、そのセリフ、私に女性器ができる前から時々言わせようとしていたよな。そんなに好きなのかそのセリフ?」
「あー、うん、まあな。なんつーかほら、ある意味鉄板のセリフじゃん?」
 そう言いながら俺は、前の世界でのことを思い出していた。前の世界で――つまり要するに、俺が下半身触手男、恋人がだるまふたなりなんていう化け物じみた姿になって世界も異次元だか魔界だか他の惑星だかクトゥルーだかルルイエだか(ぶっちゃけ、クトゥルーだのルルイエだのっていうのは恋人からの受け売りだ)みたいになっちまう前、俺が恋人に、おまんこ気持ちいい、って言わせようとすると、そのたんびに恋人は、ちょっと泣きそうな顔になった。初めて俺がこいつに、おまんこ気持ちいい、って言わせようとした時には、この大馬鹿野郎はマジで泣きそうな顔をしながら、「君はやっぱり、女の人のほうがいいのか――?」なんていう寝ぼけまくったことをぬかしやがったもんだから、ゲラゲラ大笑いした後でちょっとひっぱたいてやった。
「……今、私、すごくうれしい」
 恋人はうっとりとした顔で笑った。
「だって、今の私にはちゃんと、その、あの、ええと、その……お、お、おま、おまんこ、が、あるから。だから――ちゃんと、気持ちいいって言える――」
「……昔っから、よーく知ってたことだけどよ。……おまえ、大馬鹿野郎だろ」
「……そうだな。……うん。そうなんだろうと思うよ……」
 そう言いながら、恋人は首だけ捻じ曲げて俺をジッと見つめた。ああ、やっぱ、腕だけでも戻ってきて欲しいな。そうしたら、こいつきっと、俺にギュッと抱きついてきてくれるんだろうにな、ってちょっとだけ思う。
「……あ、ほんとに……」
 俺の腕と触手の中の恋人の体が、トロンととろけたような気がした。
「おまんこ、気持ちいい……」
「…………」
 あ、ヤベ、ちょっと出た。っつーか、けっこうドップリ出た。
「……いっぱい出たな」
 恋人がクスッと笑う。
「……大丈夫。触手はまだいっぱいあるから」
「いや、別にそんなことを心配しているわけではないのだか」
 そう言っておかしそうに笑う恋人にちょっとムカッときたから、古典的でベタすぎる手だけど、ディープキスをして唇をふさぐ。
「……ん……」
 キスをしたついでに、いや、これついでなんだかどうだか正直よくわからんけど、そのまま唇をおろしていって恋人の乳首を吸う。
「……なんにも出ないぞ?」
 恋人が、やっぱりおかしそうに言う。
「赤ん坊生んだら、おっぱい出るようになるかな?」
「え――さあ、どうだろう? あ、でも、おっぱい出ないと赤ちゃんの食事にこまるよな――」
「おっぱい出るようになったら、俺にも飲ませて」
「え? ああ、うん、赤ちゃんが飲んだ後で余ったらな」
「ええー?」
「ええー、じゃない。当然だろう? 赤ちゃんはおっぱいしか飲めないんだから」
「いやー、こんな世界に生まれてくる赤ん坊なんだから、生まれてすぐに生肉とかバリバリいけるようなガキでも俺は驚かねーよ?」
「それは、そうかも――あ――」
 新しく潜り込ませた触手が恋人を喘がせているもんだから、俺はものすごく気分がよくなる。
「……君、それ好きだよな」
 自分の乳首を吸い続ける俺を見ながら、恋人がおかしそうに言う。
「んー? だって、おまえの乳首、ちっちゃくってかわいーんだもん」
 これは正直、割とガチでそう思ってる。でも、そんなちっちゃな乳首が俺がいろいろいじりまくるもんだから、初めてヤッた時よりもちょっとだけ成長してるみたいな感じで、それはそれですっげーうれしい。
「私なんかの胸をそうやって吸っている君も、とっても可愛くて私は大好きだよ」
 なんていう恋人の声はもう、なんだか腹の中がくすぐったくなってくるくらいに優しくて、俺はその声だけで、ふんわり抱きしめられて頭を撫でられているような気持ちになった。
「……なあ」
「ん?」
「赤ん坊ができても、俺、おまえの胸吸うのやめねーから」
「……そんなことをいちいち宣言するな、ばか」
 そう言って、おまえは笑うけどよ。
 んでもって、これ言っちまったら、おまえはあきれるだろうし、きっとものすげえため息とかつくんだろうけどよ。
 俺よお、俺、ぶっちゃけ、おまえが赤ん坊の話するたんびに、おまえがうっとりした顔で、俺とおまえとのあいだにできるかもしれない赤ん坊の話をするたんびに、今はまだこの世のどこにもいねえその赤ん坊に、焼きもち焼いちまって焼いちまって、どうしようもねえんだよ――。
「あ……あの、な……?」
 恋人が、恥ずかしそうにちょっとそっぽを向いた。
「入口のところ、そういうふうに優しくされるのも大好きだけど、わ、私その……ほ、ほんとはその……お、奥、されるのも、好き、だ……」
「……なあ」
「ん?」
「俺、生きててよかったわ」
 120%本気で、恋人の耳の中にそうささやきかけながら。
 俺は触手の先で恋人の子宮口をつつきまくって、死ぬほど気持ちよく目一杯イきまくった。

世界や体がどんなに変貌しても、いつも幸せでいるための条件

 なめるように可愛がる、という言葉がある。
 今現在――というか、昔からずっと、世界と私達の体が劇的に変貌する前からずっと、私は私の恋人に、まさになめるように可愛がられている。というか、時々、いや、かなり頻繁に実際になめられている。
「……ああ……」
 今日も今日とて、恋人になめるように可愛がられながら、私は満足しきった吐息をもらした。
「私、こんなに幸せでいいのかなあ……?」
「……おまえ、すげえこと言うなあ」
 私の恋人は、感嘆のそれともあきれ返ったためのそれともつかない嘆息をもらした。
「え? 私何か、おかしなことを言ったかな?」
「いや、おかしなことっていうかなあ」
 私の恋人は大きく苦笑した。
「だってよお、おめえ、ふたなりになっちまったのはまあ、まだともかくとしてよお、どういうわけだか手足がなくなっちまってだるまになっちまって、そんでもって俺みてえな触手の化け物に、四六時中犯しまくられてるってえのに、おめえ、それでよく、こんなに幸せでいいのかなあ、なんて言えるよなあ」
「え? だって」
 私はちょっときょとんとしてしまった。
「私は確かに手足を失ってしまったけど、君がずっと、そうしてねんごろに世話を焼いてくれるからなんの不自由もないし、それに、君は私を犯しているんじゃなくて、私のことを大切に、愛してくれているのだろう?」
「……へっ。かなわねえなあ、おめえにゃあよお」
 私の恋人は大きく苦笑しながら、私の髪を、私の頭をクシャクシャとなでた。
「私は今、とても幸せだよ」
「……そっか」
 私の恋人はうれしそうに笑いながら、私の口元に翡翠海月――たぶんこれは、本当は『海月』などではないのだろうが、本当の名前など知る由もないため、私達はこれを便宜的に翡翠海月と呼んでいる――の切れ端を、ちょんちょんと突きつけた。
「あ、ありがとう」
「全部飲みこむなよ。俺にもよこせよ」
「わかっているよ」
 これは、手足を失ってしまった私ができる、数少ない恋人へのサービス――と、言ってしまってもいいのだろうか。私の恋人は、私に口移しでものを食べさせるのも、私から口移しでものを食べさせてもらうのも大好きだ。そして、驚くべきことに、この世界においては――というべきか、それとも、この体においては、というべきか、とにかくまあ、私達が口に入れて噛んだこの世界の食べ物は、明確に味が変わる。それはもちろん、こんなふうに変貌する前の世界でも、こんなふうに変貌する前の体でも、口に入れて噛んだものは味が変わっていた。一例を上げると、口に入れて咀嚼することにより、唾液によりでんぷんが分解されて糖になり、甘くなったりすることは実際にあった。だが、この世界における咀嚼による『味』の変化は、そんな変化などまさに児戯に等しく、すでにして『調理』と言っていいほどのものだ。そして、不思議なことに、自分の口で噛んだ食べ物の味の変貌よりも、他人の口で噛まれた食べ物の味の変貌のほうがはるかに凄まじいのだ。
「……むぐ……」
 モグモグと噛んでから、恋人に口移しで口の中の翡翠海月をわけてやる。私の口の中の翡翠海月は、私にとってはなんというか、イカの甘露煮か何かのような味がしているのだが、恋人に言わせると、私が咀嚼した後の翡翠海月は、どうも恋人にとってはもっとフルーティーな味のように感じられているらしい。逆に、恋人の口で咀嚼された後の翡翠海月は、私の口にはまるで上質のコンソメスープか何かで煮込まれたような味に感じられる。
「食って、寝て、ヤッて。今んとこ、そんだけ考えてりゃあいいんだもんなあ。――楽だよなあ、ある意味」
 私の恋人がおかしそうにケラケラと笑う。
「食欲に睡眠欲に性欲。人間の三大欲求だな」
「まあ、こういう人生も、ある意味幸せだわなあ」
「私はとても幸せだよ。君が私と同じくらい、幸せならばいいのだが」
「俺もおまえとおんなじくらいかそれ以上に幸せだから心配すんな」
 私の恋人は、私のおでこに自分のおでこをコツンとぶつけた。
「つーかあれだ、俺、どんな世界でもどんな体でも、おまえさえいりゃ幸せだから」
「私だって、どんな世界でもどんな体でも、君さえいれば幸せだよ」
「おお……俺らってほんと、すっばらしいバカップルだよなあ」
 私の恋人はおかしそうに、そしてまた、それ以上にうれしそうに大きく笑った。
「……なあ」
「ん?」
「……その」
 どんな世界になったって、どんな体になったって、こういうことを言おうとする時、私の頬は、きっといつだって真っ赤に染まるのだろうと思う。まあ、その時の体に頬という部位が存在していて、かつまた血液の色が赤かったらの話ではあるが。
「あの……お、おなかはもう、だ、だいぶいっぱいになったから、その、あの、その……こ、今度はその、わ、私の赤ちゃんの部屋に、赤ちゃんの種、まいてほしいな……」
「…………」
 いつも、いつも、抱かれる直前、この瞬間。
 私をジッと見つめる恋人の目に吸い込まれると、私は呼吸も鼓動もとめてしまう。
「赤ちゃんの部屋のほうだけ可愛がればいいのか?」
 私の頬をスイとなでながら、かすれた声で恋人が問いかける。
「……ほんとは、全部、ほしい。でも……今日は、女の子のほうだけ、じっくり感じてみたい。……いいかな?」
「ん、わかった」
 そう言いながら、恋人が私の唇にキスをくれる。
「おまえ、俺の花嫁さんになりたいんだな」
「え……ああ……そう、だね。うん……そうなんだと、思う……いや、そのとおりだ。私、君の、花嫁さんになりたい……!」
「可愛い可愛い花嫁さん」
 恋人が私の顔じゅうにキスをくれる。
「触手が好きな花嫁さん、なーんてな」
「私は触手が好きなんじゃないよ。君の体の一部だから、触手も好きだというだけのことだよ」
「ん、そうだな。からかってごめんな」
「別にかまわないよ、そんなこと」
 優しいキスと共に、私の体に触手が巻きつき、私の女の子の入り口が触手でくすぐられる。
「あー……おまえ、最初はキツキツだったけど、だいぶやわらかくなってきたなあ……」
「え……ゆ、ゆるくなってしまったかな?」
「ちげーよ、ばーか。つーか、ゆるくなったりしたらそりゃどう考えても俺が無茶しすぎたせいだからおめーがそんな申し訳なさそうな顔する必要はねーよ。な――ここ、気持ちいいだろ――?」
「あ――ど、どうしてわかるんだ、そんなこと――?」
「そりゃわかるって。だって、他とは感触もおめーの反応も全然違うし」
 触手がクニャクニャと動いているのがなんとなくわかる。私の恋人は、元の世界で男だった私を抱く時も、世界が変貌して、ふたなりになった私を女として――と言っていいのかどうか、どうも今一つ確信が持てないのだが――抱く時も、いつも、とても優しく丁寧に、私の体を開いてくれた。私は私の恋人としかセックスをしたことがない。だから、私は生まれてこのかた、いつでも最高のセックスしかしたことがないと自信を持って言える。
「……なあ」
「ん?」
「絶対、私自身より君のほうが私の体のことをよく知っているよな」
「だってそりゃ、おめえは自分の内臓の奥の奥まで、触手突っ込んでいじりまわすっていうわけにもいかねえもんなあ」
 私の恋人は、そうおかしそうに笑いながら、触手を使って私のからだじゅうをコチョコチョとくすぐった。



 ……とはいえ。
 受精に、そして受胎に気づいたのは、私のほうが先だった。

たとえ俺の最高の恋人の頼みでも、そんなこときけるわけがねえ

「…………あ…………」
「どした?」
 イッた直後の、トロンとした顔をしていた俺の恋人が、不意にギョッとした――いや、ハッとした顔をしてギクッと震えたんで、俺もちょっと不安になった。
「どっか痛くしたか?」
「い、いや……そうじゃ、ない……」
 俺の恋人は、なんていうかもう、呆然とした、としか言いようのない顔で俺のことを見つめた。
「あ……あの、な……」
「うん、どうした?」
 正直、こいつがこれほど動揺したのを見るのは久しぶり――っていうか、下手したら初めてかもしれねえくらいで、俺の心臓はもう、さっきからバクバクしっぱなしだった。
「あの……その……な、なんというか、その……あ、あのな、し、信じがたい話だというのは、私もよくわかっているんだ。じ、実際私も、証拠を出せとか根拠を示せとか言われたら、そんなことをするのは不可能だ。で、でも……でも、わかる……わかってしまう……私には、なぜだかわかってしまったんだ……!」
「信じられねえっていったら、今のこの状況全部がそもそも信じられねえような話以外のなにものでもねえじゃねえかよ。いいから言ってみろ。いったい何がどうしたって言うんだ?」
「あ……あの、その……」
 俺の恋人は、目を白黒させながら口をパクパクさせた。
「あの、な、あの……わ、私、今、というか、つ、ついさっきその……お、お、おなか……おなかに、赤ちゃん、宿った……」
「…………へ?」
 俺は思いっきり間抜けな声をあげちまった。
「な、なに? マ、マ、マジでか!?」
「マジ――だと、思う」
 俺の恋人は、呆然とした顔のままうなずいた。
「ど――どうしてそんなことがわかるんだと言われてもこまるが、わ、わかってしまったんだ――!」
「……そっか」
 俺は、両腕と触手で恋人をギュッと抱きしめた。それがほんとのことでも、もしかしたら俺の恋人の勘違いでも、俺は別にどっちでもよかった。ただ、ずっとずっと、俺達の子供を欲しがってた恋人が、一秒でも、一瞬でも長く、幸せでいつづけてくれればいいと思った。
「よかったな」
「うん……ありがとう」
 そう言って、にっこり笑う恋人の、死ぬほど幸せそうな顔を見ていると。
 ぶっちゃけ俺は、まだ生まれてもいねえ赤ん坊に、嫉妬しまくっちまってしょうがなかった。



 もともと、その素質はものすげえあると思ってたけど。
 俺の恋人は、もしも女に生まれてたら、絶対に、あれだ、良妻賢母ってやつになってやがっただろう、間違いなく。
 自分の腹に赤ん坊がいるって知ったとたん、俺の恋人の毎日は、いるんだかいねえんだかまだよくわからねえ(別に俺の恋人の言うことを疑うわけじゃねえけど、世の中に絶対なんていうもんは、それこそ絶対ないって言ってもいい)赤ん坊に捧げられることになった。いや、別に俺の恋人が俺のことを粗末に扱うようになったとか、そういうんじゃねえよ? けど――なんつーか、うん、なんつーか――。
 腹に赤ん坊がいるって知ったとたん、俺の恋人は『おふくろ』になっちまった。俺達は、俺と恋人の水入らずの二人きり、じゃなくて、俺と恋人と、まだ生まれていねえ赤ん坊の、三人家族になっちまった。
 別に、それがいやって言ってるわけじゃない。なにより、俺の恋人はあれからずっと、最高に幸せそうにしてるもんな。……けど。……でも。
 俺の恋人はあれからずっと、ぶっちゃけあれだ、イきっぱなしみたいな顔してやがる。俺はそんな恋人の顔見るたんびに、どうしても恋人の腹の中の赤ん坊に嫉妬しちまう。
 あー、ヤベエなこれ。生まれる前からこれじゃあ、ほんとに赤ん坊が生まれちまったら、俺、いったいどうなっちまうんだろう?
「……あのな」
 まだ平らな腹をうっとりと眺めながら、俺の恋人が、なんだかちょっとぼんやりした声でつぶやく。
「あのな、あの……まだおなかも大きくなっていないというのに、こんなことを考えてしまうのは、おかしいのかもしれないけどな。それに、その……もしかしたら君は、縁起でもないことを言うな、と、怒るのかもしれないけどな」
「いいから言ってみな。おまえ、また何か、妙にややっこしいこと考えちまったんだろ?」
「うん……あのな」
 俺の恋人は、見つめているとなんだかゾッとしてくるような目で俺のことを見つめた。
「あのな、あの……わ、私な、一応、女性器ができたし、それに、その……い、一応、し、子宮もできているようなんだが、その、なんというかその……わ、私が観察する限りでは、骨格や骨盤は、どうもその、ま、まだ男のもの、のような気がするんだ」
「……ほへ?」
 俺は思いっきり間抜けな声をあげちまった。
「あ、いや、だからその……自分で言うのもなんだけど、私その、細いだろう? やせた体で、華奢な骨格だろう?」
「ああ、うん、そうだな。俺、おまえのそういう華奢なところがすげー好き」
「うん、ありがとう。でもな……私みたいな体格って、その、たとえそれが女性であったところで、その……なんというかその、非常に難産になりやすい体型なんだよ」
「…………」
 俺は息を飲んだ。言われてみりゃあ当然だ。細くて華奢、ってことは、言いかえれば、赤ん坊が出てくる出口が狭いってことだ。
「……それでな、男はもともと女より、骨盤が――つまり、赤ちゃんが出てくるための道が狭いんだ」
 俺の恋人は、ゾッとするほど穏やかな声で静かにそう言った。
「だからな、その……私、もしかしたら、赤ちゃん産む時、ひどい難産になるかもしれないんだ……」
「……大丈夫」
 この体になってから、もう何回目になるんだろう。俺はまた、自分の両腕と触手で、ギュッと手足のない恋人の体を抱きしめた。
「俺が、いるから――側に、いるから――!」
「うん――ありがとう」
 恋人は、泣きたくなるような顔でふわりと笑った。
「……あのな、君にとっては、とてもひどいことを言うことになるとわかっているんだ。でも……お願いしてもいいかな?」
「お願いの内容による」
「うん……そうだな。それはそうだな。でも……お願いしたいんだ。……あのな」
「…………」
「……あのな」
 俺の恋人は、胸が痛くなるような顔で俺に笑いかけた。
「もしも私が出産する時、ひどい難産になって、それで、その……あ、赤ちゃんがその、出口のところにつっかえて、出てこられなくなっちゃったらな……」
「…………」
 心臓に液体窒素をぶっかけられたような気分だった。
「……私の体を引き裂いて、赤ちゃんを助けてあげてくれないかな?」
「断る」
 俺は即答した。即答以外の何ができるってんだこんな時。
「……あのな、この際だからはっきり言っておくぞ」
 俺は、横っ面を思いっきり張り飛ばす代わりに、視線でブチ殺す勢いで俺の恋人を全力でにらみつけた。
「俺はな、もしもそんなことになったら――おまえの体に俺達のガキがつっかえて、おまえとガキの命が危ないってことになったらな、俺は絶対に、つっかえちまってるガキの体のほうをバラバラにして、おまえの命を助けるからな。そうしたせいで――俺達のガキをそうしてブッ殺しちまったせいで、おまえに憎まれることになっても恨まれることになっても嫌われることになっても、俺はおまえの命を助けるからな。自分のガキをブッ殺されちまったせいで、おまえが――たとえおまえの気が狂っちまうことになるとしても、それでも俺は、おまえの命を助けるからな。……憎まれても恨まれても嫌われても、たとえ気が狂っちまってても、それでも――それでも、俺――それでも俺、おまえに生きてて欲しいから――!!」
「……うん。……わかった。……ごめんな、変なこと言って」
「…………俺、本気なんだからな…………」
「うん、わかってる。それを疑ったりなんかしていないよ」
「…………」
 俺の腕の中の、俺の触手の中の恋人の顔は、思いっきり泣きじゃくってる真っ最中みてえな笑い顔で。
 それを見ていたら俺は、恋人が泣きだすより先に、自分が泣きじゃくり始めちまった。

それはいつかきっとやってくるであろうものの名前

 いつもいつも、恋人には苦労ばかりかけているしわがままばかり言っていると思う。
 私がそう言うと、私の恋人はいつも、絶対にそんなことはないと言ってくれるのだが、私としては、どう考えてもそうだとしか思えない。それは、世界が変貌し、私が手足を失う前からずっとそうだった。
 いつもいつも、そんな恋人に報いたいと思っているのだが、はたしてそれがうまくいっているのかどうかは甚だあやしい。
 けれどもまあ、こんな体になってしまってはいても、それでも恋人の話し相手になって無聊を慰めるくらいのことは出来ているのだろう――と、思っていたのだが。
 どうやら最近、それすらもあやしくなってきた。
「……なあ」
 私の恋人が、心配そうな、不安そうな、怯えたような、そんな顔でうたた寝から目覚めた私の顔をのぞき込む。
「おまえさあ、体大丈夫か? どっか具合悪いのか?」
「え? あ、いや、別にそういうわけじゃない――」
「疲れてるのか? だってよお――だって、最近おまえ、なんつーか、なんか寝てばっかいるじゃん?」
「ああ……ごめんな、いろんなこと全部君にやらせて寝てばっかりいて」
「いや、俺は別に怒ってるんじゃねーんだよ。ただ、その、ほんとにおまえの体の具合が悪いとヤベエから……」
「たぶんこれは、病気とかじゃないよ」
 私は小さく苦笑した。
「これはたぶん――妊娠の初期症状の一種だと思う」
「へ? に、妊娠のせい? ……いや、だってあれだろ? 妊娠してすぐって、えーっとあれだ、つわり? つわりとかになって、なんか食おうとするとオエッとなったりするんだろ? あと、なんにも食ってねえ時でもオエッとなったりとか」
「確かにそういう症状が出る人も多いけどね。けれども、どんな症状が出るかは人それぞれなんだ。妊娠の初期症状として、ひどく体がだるくなったり、眠くて眠くてしかたなくなったりする人もけっこういるらしいよ」
「……へえ……」
 私の恋人は、あっけにとられたような顔で私を見つめた。
「おまえ、よく知ってんなあそんなこと」
「うん……少しだけ、調べてみたことがあるからね」
「……なんでそんなこと調べたりしたんだ?」
「別に特に理由はないよ。ただ……ただ、ちょっと知りたいと思っただけだ」
「……ふうん」
 私の恋人は、なんだかちょっと泣きだしそうな顔で、私のことをギュッと抱きしめた。
「気分悪かったりオエッとなったりはしねえのか?」
「つわりのことか? そうだな、今のところはそういう症状は出ないようだな、私の場合。まあ、これからどうなるのかまではわからんが」
「そっか。なあ、なんか食いたいものとかあるか? ほら、あれだ、酸っぱいもんとか食いたくなったりしねえ?」
「別に、妊娠した人達が全員酸っぱいものを欲しがるようになるわけではないと思うよ」
 私は思わず苦笑してしまった。
「え? あ、そーなの?」
「少なくとも、私は今のところ特に酸っぱいものを欲しいとは思わないよ」
「えー? ……そっか。なーんだ」
 私の恋人は、少しがっかりしたように口をとがらせた。
「なあ、俺にもなんかできることってねえ?」
「いや、というか、君現時点ですでに、私達の生活に必要なこと、具体的に言えば衣食住の確保をほぼ100%一人でやってくれているよな!?」
 私は思わず大声で恋人にそうツッコミを入れてしまった。
「へ? あー、そうだっけ? けどまあ、それはそれとしてさあ」
「いや、それはそれとしてって、それはそれとできないレベルの貢献ぶりだぞ君は」
 私はつい、ちょっと笑ってしまった。
「んー、でも、やっぱ好きな相手には、なんでもしてやりたくなるもんだろ?」
「……ありがとう」
 胸が詰まる。私はこんなに幸せでいいのだろうかと、こんなに恵まれていていいのだろうかと、いくら繰り返してもこたえのでない問いを繰り返す。
「子供が生まれたら、きっと、もっといろいろ手伝ってもらう必要が出てくると思う。けど、今のところはその、特にしてほしいようなことはないよ。その気持ちだけ、ありがたくうけとっておく」
「おまえって、ほんと欲がねえよなー」
「私に欲がないんじゃなくて、君が至れり尽くせりすぎるんだよ」
 私はまた苦笑してしまった。
「そうか?」
「そうだよ。というか、君のほうこそ、その、なんだ、私にして欲しいこととかあったりしないのか? その……正直、こんな体で何かしてやれることがあるかどうかよくわからないのだが……」
「…………」
 私の恋人はいつものように、私の体をその両腕と触手とでギュッと抱きしめた。
「……あのさ」
「うん」
「すっげえなさけねえこと言うけどさ」
「君がそんなことを言うとは思えないがな」
「でも、言うんだよ、これから。……あのさ」
「うん」
「……赤ん坊が生まれても、その、なんだ、あんまり赤ん坊ばっかり可愛がらねえで、俺の相手もきちんとしてくれよ……?」
「…………」
 私は驚いて、思わず恋人の顔をまじまじと見つめてしまった。
 私の可愛い恋人は、途方に暮れた子供のような顔をしていた。
「……もちろんだよ」
 一本でいいから、腕が欲しかった。
 私の恋人の体を、ギュッと抱きしめてやりたかった。
「私は君が一番好きだ。一番好きで、一番大切で、一番愛してる。だから、そんな君をほったらかしにしておくことなんかできるわけがないだろう? もしかして、その――私が最近赤ちゃんのことばかり考えているから、不安にさせてしまったのかな?」
「……うん」
 私の恋人は、それこそ子供のように、ひどく素直にうなずいた。
「そうか。……ごめんな。君をないがしろにするつもりはなかったんだよ。でも、うん、不安にさせてしまったんだな。本当にごめん。その、なんだ――こ、これからはもっと、君のことを好きな気持ちをきちんと言葉に出すようにするよ」
 それはきっと、とても大切なことなのだろうと思う。私がこんな体じゃなくても、自分の気持ちをきちんと言葉にして相手に伝えることは、きっと、とても大切なことなのだろうと思う。
「……うん」
 私の恋人は、うれしそうに私に頬ずりをしてきた。
「……なあ」
「ん?」
「おまえ、赤ん坊につけたい名前とかあるか?」
「ああ……一応、あるが……」
「が?」
「君のほうこそ、何かつけたい名前はないのか?」
「俺は二番目でいいよ」
 私の恋人がサラリと言った言葉の意味を少し考え、意味がわかった瞬間、私は途方もなく幸福になる。
 私達には一人だけではなく、きっとこれから何人もの子供が生まれてくることになるだろう、と、私の恋人は言ってくれているのだ。
「初めてのガキの名前は、おまえがつけろよ」
「――ありがとう。それじゃあ、その――子供の名前は、アシタがいいな」
「あした? えーっと、それって今日の次の日って意味か?」
「そうだね、そういう意味でもある。そしてまた、アシタとは釈迦が将来、仏となると予言した人物でもある」
「ああ、おまえそういう雑学詳しいもんな。……ん? でもどーせなら、予言したやつじゃなくて、仏になるやつのほうの名前つけたほうがいいんじゃねーの? ほら、あれだ、シャカとかさあ」
「うん、そうかもしれないね。――でもね」
「でも?」
「私はね――生涯の最後に、自分よりはるかに大きな存在、このまま成長すれば、自分など比べ物にならないほどに偉大なものとなる存在に出会い、年老いた自分がその成長した姿を見ることができないことを嘆き悲しみ、涙を流したアシタもまた、とても幸せな人だったと思うんだよ――」
「……おめえの言ってることは、俺にゃあ時々難しくってよおわからん」
 私の恋人は、クシャリと苦笑した。
「それでもまあ、おめえが気にいってる名前なら、俺は別に文句はねえよ。うん、じゃあ、これからこいつはアシタだな! それはえーっと、こいつが男でも女でもそれ以外でもか?」
「うん。だめかなあ?」
「別にだめじゃねえよ。いい名前だと思うよ、俺は」
 そう言って笑う恋人の、触手がヒョコヒョコと踊るのがなんだかおかしくて、私は恋人に抱かれたまま、声を上げて笑い出してしまった。

この世界では食べちゃいたいほど可愛いっていうのはしゃれにならない

「……なあ」
「ん?」
「なんか食いたいものとかあるか?」
「…………」
「なんもねーの? まあ、今おまえにほかほかの炊きたてご飯が食いたいって言われても、俺は食わしてやれねえけどさあ」
「……食べたいものというか、口に入れたいものなら、ある」
 俺の恋人は、俺から目をそらしながら、なんだかものすごくきまり悪そうにそう言った。
「口に入れたいもの? 食いたいんじゃなくて?」
「その、なんというか……食べてしまったらまずいだろう、いろんな意味で」
「へ? なんで?」
「……だ、だってその」
 俺の恋人の首から上が赤く染まった。
「わ、私が口に入れたいものってその……き、君の触手だから……」
「へ!?」
 俺は思わずポカンと口を開けちまった。
「だ、だから、食べてしまったらいろんな意味でまずいだろう?」
「いや、俺、おまえが食いたいんなら触手の二、三本くらい食いちぎられたって別に全然かまわねーけど?」
「いや、だめだよそんなの! だ、だって、そんなことしたら君が痛いじゃないか!」
「あー、そりゃまあ、ちったあ痛えだろうが、こんだけたくさんあるんだから、べつにちっとくらいおまえが食っちまったってかまやしねえよ。つーか、もしかしたら食いちぎられてもまた生えてくるかもしれねーし」
「で、でも、だめだよそんなの。君がよくても私がいやだよ」
「そっか? あ、でも、まあ、とにかく口に入れたいんだろ?」
「……うん」
 俺の恋人の首から上がますます赤くなった。
「なんだよ、これ、うめえのか?」
「……うん」
 からかうつもりでそう聞いてやったら、真っ赤な顔でうなずかれたからちょっとびっくりした。
「え? マジで? ほんとにうめえの?」
「うん――すごく美味しいんだ。え? というか、もしかして、君にとってはそれほど美味しいものではないのか、その触手?」
「あー……」
 俺は試しに自分の触手を口に入れてモグモグ味わってみた。
「……うん、別にうまくもまずくもねえな。なんつーかあれだ、自分の指しゃぶってんのとあんまり変わんねーな」
「え? そうなのか? そうか――どうもこの世界では、五感の個人差が異常に大きいようだな――」
「この世界では、なんだか、この体では、なんだか」
「あるいはその両方か」
「まあ、なんにせよ、おめえにとっちゃこの触手は『美味しいもの』なんだな」
「ああ、うん、まあそうだ」
「だったら食っていいよ」
「だから、いやだってば。そんなことをしたら君が痛いじゃないか。だからその――その、なんだ、く、口に入れてちょっとしゃぶるだけにしておくから――」
「俺は別に、おまえにだったら食われちまってもいいのになー」
 そう言いながら、恋人の口元に触手を寄せてやる。
「つーか、どんな味がすんの?」
「え? ああ、えーっと……その……あ、甘酸っぱくて、しゃぶってるとホッとする……」
「へー。俺がしゃぶっても全然そんな味しねえのになあ」
「そうなのか? こんなに美味しいのにな……」
 そう言いながら、俺の触手にチュッとむしゃぶりつく恋人を見てたら、俺はぶっちゃけものすごく欲情した。
「……なあ」
「ん?」
「優しくするからさ、その――入れてもいいか?」
「うん、いいよ。たぶんそろそろ安定期に入った頃だと思うし」
「えーっと、それってつまり、ヤッても大丈夫になったってことか」
「まあそうだね。もう体の調子もだいぶよくなったし、その――優しくしてくれれば問題ないと思う」
「ん、そっか。あー……やっぱ後ろでしたほうがいいのかなあ?」
「さあ……そのあたりのことは、正直私もよくわからんのだが」
「あー、まあそうだよな。……その、なんだ、優しくするから」
「君が私に優しくしてくれなかったことなんか一度もないじゃないか」
 そう言いながらにこにこ笑う恋人の顔を見てると、俺はなんでだか泣きたくなる。俺はこいつのことが好きなのに、大好きなのに、愛してるのに、なのにどうしてこいつといっしょ にいると俺は何度も泣きたくなっちまうんだろう。
「……なあ」
「ん?」
「俺もおまえのこと、ちょっとだけ食ってもいいか?」
「ああ、別にかまわないよ。食べられそうなところはあまりないけど、私も君にだったら少しくらいかじられたっていいよ」
「んー、いや、かじるっつーか、飲みたい」
「え?」
「おまえ、まだ男でもあるだろ」
 そう言いながら、両腕と触手で恋人の体勢を変える。
「……あ……」
 恋人は、ちょっとうろたえた顔をした。
「そ、そこ、なめたいのか?」
「うん。そんでもって、飲みたい」
「その……別にかまわないが、それじゃ、君が気持ちよくないだろ……?」
「んなこたねーよ。俺、おまえのしゃぶるのけっこう好きだよ」
「え? そ、そうなのか?」
「うん。つーか、おまえも俺のしゃぶるの好きじゃん」
「そ……それは、そうだが……」
「――それに」
「……それに?」
「うまいんだもん、おまえのそれ」
「……え?」
「おまえは俺の触手しゃぶるとうまいって思うんだろ? 俺は、おまえのそれしゃぶると、うまいって思うの」
「……どんな味がするんだ?」
「ん? ……すっげー、甘い」
「そんな味じゃ胸やけしないか?」
 真顔でそう聞かれて、俺は思わず笑っちまった。
「しねーよ、馬鹿。俺正直甘いもんはそんなに好きな方じゃねーんだけど、おめーのそれだけは別」
「ん……そう、か……」
 そう言いながらフンニャリ笑う恋人の唇に、グイと触手を捻じ込む、っていうか、ニュルンと滑り込ませる。
 んでもって、俺も、恋人のナニをのどの奥まで咥えてやる。あ――やっぱすっげえ甘え。でも俺、この甘さだけは平気。この甘さだけは好き。大好き。
「…………ぐ…………」
 舌の先で触手が押し返されるのを感じて、恋人の口からちょっと触手を抜く。ついでに恋人のナニから口を離す。
「どした? 苦しくなっちまったか?」
「あ、いや、く、苦しくなったわけじゃなくて……」
 恋人は真っ赤な顔で、俺から微妙に視線をそらしながら言った。
「その……あの……ええと……う……後ろにも、触手、入れて、欲しい……」
「ああ、物足りなかったのか」
「い、いや別に、物足りないとかそういうんじゃなくて……」
 恋人は、真っ赤な顔のままもじもじした。
「欲しくなっちまった?」
「……うん」
「前は? 女のほうはしなくていいのか?」
「ん……そ、そっちも、してくれるなら、してほしい……」
「口は? 口でもしゃぶりたい?」
「う……ああ、うん、その、く、口でもしゃぶりたい……」
「……おまえもしかして、最近欲求不満だった?」
「べ、別にそういうわけではない……と、思う。でも、その、は、はじめたらなんだか……」
「その気になっちまったか」
「……うん」
「――あーもう!」
 腹を圧迫しないように気をつけながらギュッと抱きしめる。
「ったくよお、かっわいいなあおめえは!」
「ん? そ、そうかな?」
「あー、かわいいかわいいかっわいい!!」
「私にとっては、そういう君のほうがずっと可愛く見えるのだがな」
 俺の恋人はそう言いながら、恋人に頬ずりする俺にチュッチュッと口づけた。
「まあ、それはそれとして」
 俺はニヤッと笑った。
「じゃあ、全部いっぱいにしてやるからな」
「あ――あの、ええと、その、お、おなかにさわりがないように――赤ちゃんが、びっくりしちゃわないように――」
「わかってる」
 わかってるから。大丈夫だから。
「だから、心配すんな」
「……うん」
 ふわりと笑う恋人の、体中の穴にそっと触手を滑り込ませる。
 まんこに入れた触手の先が、えーっとあれだ、子宮口、っていうやつに触ったとたん、俺はちょっとギョッとして息を飲んだ。
「……どうした?」
 俺の触手を舌で口から押し出した恋人が、ちょっと怯えたようにそう俺に聞いてきた。
「……い、生きてる……」
「え?」
「いや、あの、その――お、おまえの腹の中で、あ、赤ん坊、生きてる! だ、だってよお、だって――心臓がドキドキしてるのわかるもん! すっげー早さで、心臓がドキドキいってる!?」
「ああ……赤ちゃんの鼓動は、大人に比べてとても早いんだよ。それが胎児ならなおさらだ。そうか――うん、そうか――もう、アシタの心臓は、そんなに元気に脈打っているのか――」
「…………」
 ほんというと。
 ほんとのほんとのところをいうと。
 俺はぶっちゃけ、そこまで生命力の強い赤ん坊、っていうのは、なんつーかその、ちょっと不気味なような気がしたし、それにその、なんつーか――なんつーか、俺の恋人が、俺じゃないやつが原因で、ここまで幸せそうな顔してるのがすっげー面白くなくて、すっげー焼きもち焼いちまってたりするんだけど。
 でも、それでも。
 俺はやっぱり、こいつの笑顔が好きだから。
 だから、まあ――まあ、いっか、と、思った。

人間のやることなんていつだってどこだってそんなに変わらない

「妊娠中は、適度に運動したほうが赤ちゃんにもいいしお産も軽くなるらしいのだが」
 そう言いながら私は、一抹の期待をこめて恋人の顔を見つめた。
「私のような体でもできる運動って何かあるだろうか?」
「……あー……」
 私の恋人は、天を仰いで大きくうめいた。その後、手足を失った私の体を見て再びうめいた。
「そうだなあ……ゴロゴロ転がる、とか?」
「それなら確かに私でもできそうだが、おなかを圧迫すると赤ちゃん苦しくないかな?」
「ああ、そっか、腹を押さえつけちゃまずいのか。それじゃえーっと……腹筋……も、腹に力が入るからよくねえのか? そこらへんどうもよくわかんねえな……」
「私のような体でも、スポーツをしている人はいたんだから――」
「っておい、それマジでか!?」
「私は昔、世界が変貌する前、四肢を持たずに生まれついた人がバスケットボール部に入ってバスケットボールをしたという話を読んだことがあるぞ」
「それフィクションだろ!?」
「いや、ノンフィクションだ」
「マジで!? いったい何をどうやったわけ!?」
「えーっと、こう、なんというんだ? お尻の部分を動かして移動して、で、その人には腕の付け根の部分がいくらかあったから、その部分でドリブルをして――普通の人間にはほぼ絶対といっていいほど不可能な低位置からドリブルをしてくるから、相手は非常にボールがとりにくくて、それなりに戦力になったそうだぞ」
「す、すげえ話だな……って、おまえ、自分がそういうことできる自信あるのか?」
「当然まったくない」
「だよなー。おまえそもそも運動そのものが苦手だもんなー」
「うん……そうなんだ……」
「あー……ま、無理しなくてもいいんじゃね? できる範囲で、できることやってれば」
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ。……しかし、私にできることっていったいなんだろうか?」
「……あー……」
 私の恋人は再び天を仰いだ。
「――じゃあ、ほら」
 私の恋人は、無数の触手を使って私をヒョイと空中に浮かせた。
「俺が腹に体重かからねえように支えててやるから、好きなように体動かしてみな。大丈夫大丈夫、ぜってーおっことしたりしねえから」
「うん――ありがとう」
 私の恋人はいつだって、ほんとにほんとに優しくて、私はなんだか泣きたくなる。
「……なんかこの構図って、俺がおまえのこと襲ってるみてえだなあ」
 私の体を触手で空中に持ち上げた恋人が、苦笑しながらそうつぶやく。
「え? そうかな? そういうふうに見えるかな?」
「この体勢、傍から見てたらどう見たって、捕食直前って感じじゃねえかよ完全に」
「ほ、捕食直前!? え、えーっと……あー、まあ、遠目に見たらもしかしたらそんなふうに見えるのかも……」
「まあ、確かに性的な意味では食いまくってるけど」
「ああ、そういう意味では確かに」
 私と恋人は、顔を見あわせてクスクスと笑いあった。
「……つーかよお」
 私のふくらんだ腹を触手の先でチョイチョイとつつきながら、恋人が首をひねる。
「俺、こういうこと全然詳しくねえんだけどよ、なんつーかその……腹の中の赤ん坊がでかくなる速さ、普通より速くね?」
「ああ、確かに速いと思う」
 私は大きくうなずいた。
「……赤ん坊があんまりでかくなりすぎると、出口でつっかえちまうんじゃねえか?」
 私の恋人が、怖いほどに真剣な顔で私をにらみつける。
「その……骨盤が狭くて赤ちゃんが途中でつっかえてしまうような時は、骨盤を――うーん、なんて言えばいいんだ? 骨盤をその、脱臼させるみたいな感じにして隙間を広げて、そうして赤ちゃんを通す技術があるそうだが――」
「俺には無理だからな!? 絶対無理だからな!? 頼むから、俺にそんなトンデモ超高度テクを期待しねえでくれよ!?」
「ああ、うん、大丈夫だ。さすがに私も君にそんなことまで期待したりはしない」
 血相を変えて悲鳴を上げる恋人に、私は小さな苦笑を向けた。
「ただまあ、そういう方法もある、ということを一応言っておこうと思ってな」
「うーん、とにかく、俺にはぜってー無理……」
「後はあれだ、赤ちゃんの頭蓋骨って、生まれる時はまだ一つにかたまってないんだ。バラバラのパーツにわかれていて、てっぺんに穴があいているんだ。で、普通の出産の時でも、そのバラバラの頭蓋骨が狭い産道を通り抜けるために、あちこちで重なりあったりして赤ちゃんは生まれてくるわけなのだが、昔の産婆さん達の間では、出産時にそんな赤ちゃんの頭を――うーん、やっぱり揉んだりしたのかなあ? とにかく、そんな赤ちゃんの頭に力を加えて、ちょうどあれだ、七福神の福禄寿のような頭に変形させてしまって生まれやすくするという技術が――」
「無理無理無理! そ、それも俺にはぜってー無理ッ!!」
「ああ、うん、ごめんな。言ってみただけだ」
「……っていうか……うわあ……」
 私の恋人は、幾分血の気の引いた顔でうめいた。
「俺、はっきり言って出産なめてたわ。なんだよそれ、下手なホラーよりはるかに凄まじい展開じゃん――!」
「医療技術の発達していなかった時代は、出産というものは本当に生死にかかわる一大事だったからなあ。その、なんだ――君が以前言っていた、母体を助けるために胎児の体を切り刻むというのも、その――昔、実際に行われていた方法なんだよ――」
「……人間ってやつは、いつの時代でも考えることは大して変わらねえんだな」
「そして、科学技術などの手助けなしにできることも大して変わりはないんだよ」
「そっか。……うん、そっか」
「きっと――きっと、私達が初めてじゃない。そして、私達が最後でもない」
「そーいうもんかね」
「そういうものなのではないかと思う」
「……そっか」
 恋人は触手と手のひらで、私の頭をグリグリとなでた。
「人間って、すげえな」
「うん、そうだね。私も本当にそう思う」
「……なあ」
「ん?」
「セックスだって、運動の一種だよな?」
「言うと思った」
「あ、やっぱ読まれてた?」
「まあ、それなりに長いつきあいだからな」
「長い上に濃厚な」
「ああ。まさしく、長い上にこの上なく濃厚なつきあいだな」
「――なあ」
「ん?」
「赤ん坊、無事に生まれてくるといいな」
「無事に産んでみせるさ、絶対に」
「……そっか。――なあ」
 私の恋人は、私の腹にそっと顔を寄せた。
「おまえ、今の聞こえたよな? いいか、母ちゃんに心配かけたり面倒かけたりしないで、無事にとっとと元気よく生まれてくるんだぞ――アシタ」
 私は、恋人のその言葉を聞いて。
 ああ、私の恋人は、私達の子供を深く愛してくれているのだ、と確信した。

俺の恋人は俺の自制心と命がけのチキンレースをするのが好きらしい

「……あー、なんだかなー」
 うとうとしている恋人の、まんまるくふくれた腹を触手で撫でくりまわしながら、俺はなんとなくつぶやいた。
「なんか俺、でっけえ卵あっためてるみてえ」
「……卵?」
 俺の恋人は、ちょっと眠たそうにチラリと片目を開けた。
「卵なんていったいどこに――あ、もしかして、卵って私のことか?」
「あー、うん、なーんかそれっぽいかなーって」
「卵……ああ、確かに言われてみればそんな感じかもなあ」
 俺の恋人は、チラリと苦笑いした。
「腹がまるくふくれてきたから、よけいにそんな感じがするんだよなー」
「ああ……たぶん、もうすぐ生まれる」
「……そうだな」
 赤ん坊が無事に生まれてくることができるかどうかすっげー不安になる。いや――それは嘘だ。俺は正直、恋人の体さえ無事なら、赤ん坊なんか別に、無事に生まれてこられなくってもいいと思ってる。思っちまってる。
「なあ」
「ん?」
「おっぱいとか、出るようになった?」
「……私に聞かなくても、君、知ってるはずだろ……?」
 恋人が、恥ずかしそうな赤い顔でブツブツ言う。
「あー、うん、確かにまだ出てきちゃいねーな。胸もまっ平らなまんまだし」
「別に、胸の大きさと母乳の量に相関関係があるわけではないのだがな……」
 俺の恋人はまた苦笑いした。
「しかし、そうだな、もし仮に私からその、なんだ、ぼ、母乳が出ないということになったら、アシタのために、何か赤ちゃんでも飲み食いできるものを用意してあげないといけないなあ」
「あー、うん、まあそうだな。って、こんな世界にある赤ん坊でも飲み食いできるものっていったいなんだよ……?」
「そうだなあ、とりあえず、翡翠海月をすりつぶしたり搾ってみたりするとか、あとはええと――虹色貝は柔らかくて汁気たっぷりでなかなかおいしいから――」
「俺の触手からもいやってえほど汁が出るっちゃあ出るけど、やっぱりそれじゃまずいかなあ?」
「あ、意外といいかもしれないぞそれ。君の触手、おいしいし――少なくとも、私にとってはものすごくおいしいし、それになにしろ、親の体から出るものだからなあ」
「触手から出る汁でガキ育てるなんて、完全にホラーじゃねえかよ」
 俺は思いっきり苦笑いした。
「確かに、完全にホラーかもしれないが」
 恋人も苦笑いした。
「でも、その、なんだ、き、君の触手はおいしいよ?」
「あー、そりゃどーも。っつーか、俺は自分で俺の触手なめても別にうまくもなんともねえんだよなあ。チェッ、なーんか損してる気分だぜ」
「この世界では、自分の体より他人の体のほうがおいしく感じられる傾向があるようだからなあ」
「って、おまえ今ものすごくヤバいこと言ったって自分でわかってる? そんなんおめえ、一つ間違えたら共食い一直線フラグじゃねーかよ」
「……ああ、えーっと」
 俺の恋人は、ちょっと眉間にしわを寄せた。
「ああ、うん、まあ、確かに下手をしたらそういうことにもなりそうだなあ。……でも、君、その、なんだ、が、我慢できるだろう? な?」
「そりゃまあ、俺は大人だし? いくらおいしくったって、食っちまったらなくなっちまうってことくらいわかってるし? だからまあ、いくらおまえが味的においしくったって、ガジガジかじって食っちまう、なんてことはグッと我慢してやらずにおくわけだけどさあ。……でもよお」
「でも?」
「生まれてくる赤ん坊の体も、なめてみたらものすごくおいしかったりしたらどうするよ」
「全力で自重してくれ!!」
「ああ、うん、俺はもちろんそうするつもりだし、おまえはなんにも言われなくったって絶対にそうするだろうから俺だって別に心配なんかしちゃいねえんだけどよ。……けど、よお」
「けど?」
「けど、生まれてきた赤ん坊のほうが俺達のほうをなめたりかじったりして、あ、これおいしい、って思っちまったらちょっとヤベエんじゃねえか? 何しろ相手はガキだぞ。自重しろって言ったって、たぶん無理だぞ」
 言いながら俺は、ちょっと不安になってきた。
「まあ、俺の場合はそうなったらそうなったで、ガキが――アシタが俺のことかじりに来たら、どやしつけてぶん殴って触手で遠くまでおっぽりだしちまえばすむことだけどよ。おめえの場合、アシタがかじりに来たりなんかしたら、そしたらもう、かじられ放題じゃねえかよ」
「まあ、私はアシタになら、多少かじられてしまっても別にかまわないが」
「いや、俺はかまうよ!? かまいまくりだよ!?」
「うーん、まあ、たぶん大丈夫だろう――と、思う。――それに」
「それに?」
「いざという時は、君がアシタをとめてくれるのだろう?」
「……おう。ま、いちおーそのつもりではいるけどよ」
「だったら私は、何も心配することなどないな」
 そう言って、本当に信頼しきった顔で笑う恋人を見ていたら、このまま恋人を頭から丸のみして、俺の腹の中に入れて大事にしまっておきたくなる。
「――あー、アシタの体がものすごくうまかったらどーしよー。俺、節操ねえからついつい、ちょっとだけちょっとだけとか言いながら端からかじってって、だんだん食い減らしてっちまうかもしれねーなー」
「君はそんなことはしないよ」
 俺の恋人はあっさりとそう言いきった。
「えー? なーんでそんなこと言いきれるんだよー? 自分で言うのもなんだけど、俺、節操ねーぞー。欲望に忠実だぞー」
「だって」
 俺の恋人はおかしそうに笑った。
「もし君に、本当にそんなことをするつもりがあるのなら、私の体などとっくの昔にあちこちかじられてだいぶ減ってしまっているはずだからね。君にとって私の体は、おいしい味がするものなのだろう?」
「……おう。ま、言われてみれば確かにそりゃあそうかもしんねーけどよー」
「けど?」
「けど、俺は自分自身のことを、おまえみたいにそうやって、手放しで無条件で信じ込む気にゃあなれねえなあ」
「手放し? 無条件?」
 俺の恋人は、驚いたように目をパチクリさせながら俺のことを見つめた。
「君はずいぶんと不思議なことを言うんだなあ。私が君のことを信頼しているのは、単なる経験則だよ。君がいつだってまったく変わらずに、私のことを愛し、守り、そして大切にしてくれるということを、今まで私が見聞きし、そして体感してきた君の言動のすべてを通じて、よくよく知っているからだよ。手放しということばも、無条件という言葉も、それにはまったくあてはまらない――と、私は思うのだが、違うだろうか?」
「へっ、まったく、かなわねえなあおめえにゃあよお」
「これだけ大切にしてもらっておいて、それでもなお、君のことが信頼できないのだとしたら、それはその――その場合は、君ではなくて私のほうに問題があるんじゃないかとしか、私には思えんのだが」
 俺の恋人は、苦笑い――それとも照れ笑いをしながら俺にそう言った。
「あんまり油断すんなよ。そんなこと言って油断してると、俺、もしかしたらいつかおまえに思いっきり噛みついて、おいしい一口をかじりとっちまうかもしれねえんだからな」
「別に私は、そうしてくれたところでいっこうにかまわないよ。……と、いうか……」
 俺の恋人の頬がパッと染まった。
「こんなことを言うと、君にはひどくあきれられてしまうかもしれんのだが……私はその……きみにだったら、その……ひ、一口くらい、自分のことを食べておいてもらいたい、と思ってしまったりもするのだよ……」
「……おまえ、俺の自制心と命がけのチキンレースして楽しい?」
「……気に触ることを言ってしまったのなら、謝る。……おかしなことを言ってしまってすまなかったな」
「……食っちまうぞ」
「いいよ、食べても」
「……ばーか。食わねーよ。だって、食ったらなくなっちまうもんな」
「うん……そうだね。食べたらなくなってしまうね」
 そう言いながら、フウッと笑う恋人の笑顔が、なんだかそのまま風に透けていっちまいそうで。
 俺は必死で、恋人の、細いくせに腹だけがまんまるくふくらんだ、歪な体を抱きしめた。

どんな世界だろうと子供が生まれたらいろんなことを教えてやりたい

「――うわっ!?」
「ど、どうした!?」
「は、腹が動いた!?」
「え? ああ、そりゃ動くよ。だって、中に赤ちゃんが入っているんだから」
 私の恋人には悪いが、私は思わずちょっと笑ってしまった。
「だ、だって、今腹がボコォッてなった! ボコォッて!!」
「臨月になると、それくらいは普通らしいよ。いや、私は実際に見たことはないのだが、その、なんだ、妊娠体験エッセイとかには、そういうことがあるって書いてあるものがけっこうあったよ」
「え? おまえ、妊娠体験エッセイとか読んでたの?」
「ああ、うん、けっこう面白いからね」
「へー」
 私の恋人は、ちょっと感心したような顔で私を見つめた。
「おまえって、割と好奇心旺盛だよな」
「そうかな? 単に乱読家だっただけだよ」
「いや、だから、それが好奇心旺盛だっていってんだよ俺は」
 私の恋人はおかしそうにケラケラと笑った。
「に、しても、腹の中でそんだけ動くなら、もうそろそろ生まれてきてもおかしくねえよなあ」
「そうだね、そろそろ生まれてくるんじゃないかな。と、いうか――その、なんだ、赤ちゃんの大きさ的にも、そろそろ生まれてきてくれないとその……いろいろと、まずいというかなんというか……」
「あ……腹ん中で赤ん坊がでかくなりすぎちまうと、途中でつっかえちまうかもしれねえってことか……」
「……まあ、そういうことだ」
「…………」
「大丈夫だよ」
 私は、珍しく黙りこんでしまった恋人ににっこりと笑いかけた。
「きっと、無事に生まれてきてくれるよ。そしてきっと、私の体も無事だろうよ」
「……そういうとこ、俺、おめえにゃかなわねえって思う」
「え? そういうとこって?」
「俺にゃあとてもじゃねえけど、おめえみてえに自信たっぷりでどっしりかまえてるなんてこたあできゃしねえ」
「馬鹿だな。それは何も私の手柄じゃないよ。君がそこにいて、私を守ってくれているからこそ、私はこうして安心して、落ちついてのんびりかまえていられるんだよ。私一人だけだったらきっと、今ごろ不安に泣きわめいていることだろうさ」
「俺にゃあ、どうもそんなふうにゃあ思えねえんだけどなあ」
 私の恋人は大きく苦笑した。
「けどまあ、おめえが安心してのんびりしてられるっていうのはいいことだよな、うん」
「君のおかげだよ。いつもありがとう」
「どーいたしまして」
 私の恋人はちょっと照れたように笑った。
「……なあ」
「ん?」
「俺もさ」
「え?」
「俺もさ――俺もさ、おまえがいなかったら、今頃こんなふうに笑えてねえよ。おまえがいなかったら、俺、とっくの昔に気が狂っちまってたかもしんねえ」
「……そうかな?」
「そーだよ」
「……なあ」
「ん?」
「私達、こうやっていっしょにいられて本当に幸せだな」
「ああ。ほんとーに幸せだ」
「……なあ」
「ん?」
「……ギュッとしてくれないか?」
「ん、わかった」
 手足がある時に、もっと積極的に恋人に抱きついたりスキンシップをしたりしておけばよかったなあ、と私は思った。その時の私は、自分自身が将来そういった能力を失うだなんてこと、まったく思ってもみなかったのだ。触りたい時に思うように触れないのがこんなにつらいことだなんて思ってもみなかった。いや、もちろん私の恋人は、私が望めばすぐに快く、いくらでも私の欲求を満たしてくれるのだが、それでもやはり、ほんの少しだけ寂しかった。
 けれどもきっと、そんな思いにも少しずつ折りあいをつけていかなければならないのだろう。ああ、そうだ、それにこれからは、私達は二人きりじゃないんだ。子供が生まれてくるんだ。自分にはできないことばかりだなどと泣きごとを言っていないで、恋人と二人で協力して、きちんと子供を育てていかなければ。
「……あのな」
「ん?」
「子供が生まれたら、きっと君にものすごく負担をかけることになってしまうと思うんだが」
「いや、負担っつーか、おめーはろくに動けねえんだから、その分俺がカバーするのはこりゃもう、あったりまえのこったろうがよ」
「うん――ありがとう。そう言ってもらえるとホッとするよ。――あのな」
「ん?」
「子供が生まれたら、いろいろとしてやりたいことがあるんだ。だから、その――手伝ってくれるかな?」
「つーかおめえ、そういうこと俺が手伝わねえとか思ってたのか? うわー、ショックだわ。つーかひくわー。俺、そんなに薄情な男だと思われてたのか……」
「そ、そういうわけじゃないよ!? ご、ごめんな。君を傷つけるようなことを言いたかったわけじゃないんだ」
「うん、わかってる。半分冗談だからあんまり気にすんな。ま、半分は本気だけど」
「うん、わかった。本当にごめんな」
「ばーか。いいよ、もう」
「うん――ありがとう」
「で?」
「え?」
「俺に手伝ってほしいことって、何?」
「ああ、ええと、そうだなあ、例えば文字を教える時とかに、字の書きかたを教えるのを手伝ってほしいな。その、なんだ、口に何かをくわえたりすれば、私にもなんとか文字が書けるとは思うが、それでも君が書いてくれたほうが、速くて正確で綺麗に書けそうだからなあ」
「……つーか、おまえ、こんな世界になっちまってもガキに字を教えるつもりなんだな」
「え? ああ、うん、そのつもりだが――お、おかしいかな? だってその、なんというか、今はその、あれだ、文明崩壊とでもいうべき状況になっているわけだが、それでもやはり、私達は先人達の遺産を出来るだけ後世に、私達の子供達に伝えていく義務があるのではないかと――」
「…………」
「あ……え、ええと……」
 無言で目をまんまるくして私のことを見つめている恋人を見て、私はなんとなく自信がなくなってきてちょっと口をつぐんだ。
「あ……お、おかしいのかな、こういうことを考えるのって? わ、私はその……なんというかその……子供には、アシタには、いろいろ教えてやりたくて……」
「……うん」
 私の恋人は、まっすぐに私の目をのぞきこんだ。
「やっぱすげえや、おめえって」
「え? どこが? 何が?」
「どこもかしこも。なんもかんも」
「ええ? そんなことはないだろう?」
「そんなことある」
「……ありがとう」
 私はそっと微笑んだ。正直、私の恋人は私のことを実際よりもよく見すぎているとは思ったのだが、それでもやはり、恋人にそう思ってもらえるのはとてもうれしかった。
「子供が、アシタが生まれたら、字を教えてやりたいんだ。字と、そして物語を。そしてそれから――到底言いつくすことなどできないくらい様々なことを」
「教えられるさ、おまえなら」
「うん――ありがとう」
 けれども私は思うんだよ。
 そう言って笑う君からも、私の最愛の恋人にして我が人生の伴侶からも、私達の子供は、アシタはきっと、計り知れないほどたくさんのことを学ぶのだろうと。
「……なあ……」
 そして、恋人の名を呼ぼうとしたその瞬間。
 私は初めての陣痛の波に飲み込まれていた。

出産っていうのはものすごく物理的で原始的なもんだとわかった

「ど、どうした!?」
 恋人の様子があからさまにおかしくなったのを見て、情けねえ話だが俺は思わず悲鳴をあげた。
「あ、いや、その――ッ!?」
 フンニャリ俺に笑いかけようとして、うまくできなくて全身をこわばらせる恋人を見て、俺はまた悲鳴をあげかけた。
「――大丈夫だ」
 そんな俺に、恋人はフンニャリと笑いかけた。
「その、なんというか――これ、その、あの、た、たぶんその――じ、陣痛だ」
「じ、じ、じ、陣痛ッ!? じゃ、じゃあもう産まれるのか!?」
「あ、いや、少なくともあと何時間かは産まれないだろう――と、思う」
 俺の恋人は、ちょっとおかしそうに苦笑した。
「その、女性の場合は、まずは何十分かおきに陣痛の波が来て、その波の間隔がだんだん狭まっていって、波と波のあいだがなくなって、最初から最後までもうずっと陣痛――という状態になってから産まれてくるらしいからな。まあ、その、私の出産が女性のそれと同じ過程をたどるかどうかはわからんのだが――あ、ええと、ともかく今はとりあえず痛みの波はひいたよ。だからその、もうあと何時間はまだ産まれてはこない――と、思うのだが、正直これからどうなるかはさっぱりわからん」
「へ? じゃあ、今はもう痛くねえの?」
「ああ。痛みの波がいったんひいたようだからな。まあ、しばらくしたらまた次の痛みの波がやってくるのだろうが」
「あー……やっぱ痛えんだな……」
「今はまだそれほどでもないが。痛みもその、だんだんその強さを増していくらしいからな」
「――痛いの、代わってやれりゃいいのにな」
「君がそこにいてくれるだけで、私はとても楽になれるよ」
 そう言ってにっこり笑う恋人を、俺はギュッと抱きしめてやることしかできない。
「……つーか、こういう時って俺ほんとに何すりゃいいんだ?」
「あー、えーと、赤ちゃんが出てこられないようだったら、私のおなかを力いっぱい押す、とか――」
「ちょっと待て! そ、そんな物理オンリーで原始的な方法でいいのか!?」
「いやまあ、なんというか、正直お産の時にはどうも、私が知る限りでは最終的には物理的手段に頼ることが多いようだからな……」
「いや、確かに腹を思いっきり押すくらいなら俺にもできるから、それでいいならそうするけど、だ、大丈夫なのかそんなことして?」
「あー、うん、実際そういうことはけっこうやられていたようだからな……あと、えーと、赤ちゃんの頭を――なんといえばいいんだ? 大きなペンチ――とはちょっと違うか――」
「お、大きなペンチ!?」
「いや、だからその、途中でつっかえてしまってうまく出てこられない赤ちゃんの頭を、それ専用の器具で挟んでそのままひきずりだすとか――」
「またもや思いっきり物理的手段だな!? 言っちゃ悪いけど、思いっきり原始的だよな!?」
「しかしその、そういう場合には正直、物理的手段しか使えないのがある意味普通じゃないのか?」
「…………あー…………」
 俺はしばらく真剣に考えこんだ。
「あー……うん、言われてみりゃ確かにそうかも……」
「だからまあ、幸い君にはいろんな触手がたくさんあるから、もしもの時には物理的手段を――」
「赤ん坊つかんで引っ張り出せってか?」
「うん、まあ、そういうことだな」
「そっか。それなら俺にもできそうだ」
 俺にもできることがある、と思うと、俺はびっくりするほど気が楽になった。
「よろしく頼む」
 そう言って笑う恋人は、どう見ても俺よりずっと落ちついてて。
 俺はホッとするのといっしょに、ああ、俺、もっと強くなんなきゃなあ、って思った。



 それからの何時間かのことは、正直よく覚えてない。とにかくまあ、俺はだんだん強くなってくる陣痛に悶える恋人を抱えて、いっしょになってワーワーギャーギャー騒いでうろたえてジタバタしまくってた。
 俺が辛うじて覚えてるのは、俺の恋人のガバッと開いたまんこの奥から、赤ん坊の頭がヌルッと見えてきてからのことだ。
「……あ……」
 俺の恋人は、すがるような目で俺を見つめた。
「私のおなか、押して――赤ちゃんつかんで、ひっぱりだして――!」
「わかった」
 俺にできることはそんなことしかないから。
 俺は急いで、恋人に言われたとおりのことをした。
「――ッ!?」
 赤ん坊の頭を触手でつかんだ瞬間、俺はギョッとして息を飲んだ。
 俺の恋人は確か、赤ん坊の頭蓋骨っていうのは、産まれてくる時にはまだ全部きちんとくっついてなくて、てっぺんに穴があいてるって言ってた。だからまあ、赤ん坊の頭が柔らかくてフニャフニャしてるのは、たぶんある意味当然なんだろうけど――。
 で、でもそれにしたって、赤ん坊ってこんなにグニャグニャフニャフニャした柔らかいもんなのか!? こ、これでいいのか!? 大丈夫なのか、おい!?
 でも、そんなことを俺がグルグル考えてる間にも、恋人はものすごい陣痛に苦しみ続けているわけで。
 俺は覚悟を決めて、赤ん坊の頭をつかんで思いっきり引っ張りながら、残りの触手で恋人の腹を思いっきり押しまくった。つーか、触手を巻きつけてギリギリしめあげた。
「ああああああああああああッ!!」
 恋人が絶叫した。俺の触手にも、ズルリと手ごたえが伝わってくる。
 そしてそのまま、俺は赤ん坊をこの世に――この化け物じみた世界の中に引きずり出した。
「…………」
 赤ん坊を見て、俺はちょっと自分から血の気がひくのがわかった。ああ、やっぱり、まともな人間の赤ん坊じゃねえ。でもいいんだ。そんなのハナからわかってた。だって、親の俺らからしてすでに十二分に化け物じみてるんだ。ガキだけまともだったらそっちのほうがある意味おかしいくらいだ。
 だからかまわない。別にかまわない。赤ん坊の下半身が無数の触手だって別にかまわない。つーか、これって完全に俺からの遺伝だよな。だから別にかまわない。赤ん坊に両腕がなくて、その代わりに4枚のピンク色の翼があったってかまわない。俺にも俺の恋人にも翼なんかありゃしねえのに、なんで赤ん坊に翼が生えてるのかはちょっと疑問だけど、けどまあ、今さらそんな細けえこと気にしたってしょうがない。だから別に、そんなことはかまわない。
 でも――でも――。
 赤ん坊がこんなにグニャグニャで、こんなにぐったりしてて、こんなにだらんと寝っ転がってていいもんなんだろうか!? こんな――こんな、全身に一本も骨がねえみてえな赤ん坊――いや、俺はぶっちゃけ、産まれてきた赤ん坊が馬鹿でけえ蛭だのなめくじだのミミズだのでも別に全然かまわねえと思ってる。俺の恋人は、産まれてきた赤ん坊がそんな化け物だって全然余裕でメチャクチャ可愛がるだろうし、俺だって、恋人が幸せならそれでいいんだ。
 でも――でも――。
 赤ん坊が生きてなかったら――赤ん坊が死んで産まれてきたのなら、それとも、産まれてすぐに死んじまったのなら、俺の恋人は、きっと、ものすごく傷つくだろう。傷ついちまうだろう――!
「…………泣かせないと」
 俺の恋人は、かすれた、つらそうな、でもきっぱりとした声で言った。
「え?」
「赤ちゃん、まだ泣いてない。だから、泣かせてあげないと。産声を上げさせてやらないと、赤ちゃんが――私達のアシタが、呼吸を始めることができないよ」
「え――で、でも、どうやって泣かせりゃいいんだ?」
「別に難しいことじゃない。両足を持って――」
「足がねーんだよ! 下半身が触手なんだよこのガキ! 俺とおんなじ!」
「あー、じゃあ、触手を持って逆さづりにして、お尻――もないのか、下半身触手だもんな。えーっとそれじゃあ、背中あたりを平手でバシバシ叩くんだ。そうしたらびっくりして泣きだすから」
「メチャクチャ物理的で原始的だな!?」
「でも、それが一番手っ取り早くて簡単で確実な方法なんだよ」
「ああ、そりゃ確かに。よっしゃ、それじゃいくぞ!」
 そうして俺は、グニャグニャムニャムニャした赤ん坊の――アシタの触手をなんとか持って逆さづりにして、そんでもって背中のあたりをバシバシ叩いた。
 そんでもって。
 アシタがすげえ声でビービーギャーギャー産声を上げ始めた時に、その場で一番ホッとしてたのは、どう考えても俺だった。

山も落ちもないけど、もしかしたら意味ならあるかもしれない(完)

 元気のよい赤ちゃんの――私達の子供、アシタの産声を聞いて、私はホッと胸をなでおろし、そしてそのまま安堵と疲労のあまり気を失いそうになった。ズルリ、後産が出た感触もなんとなくあった。これでもう、私が気を失っても大丈夫だろう――と、正直思った。
 そんな私の途切れかけた意識を、私の恋人の素っ頓狂な声がひき戻した。
「おいおいおい、ちょ、ちょっと待てよ!? おい、ちょっと、そ、それって食っちまっても大丈夫なもんなのか!?」
「……え?」
 私は落っこちかけたまぶたを必死に持ち上げ、私の恋人と私達の子供のほうをなんとか見やった。
「ど、どうした? 何かまずいことでもあったのか?」
「いや、まずいことっつーか、なんつーか――」
 私の恋人は、私達の子供を、可愛いアシタを両腕で抱えたまま私のほうに困惑しきったまなざしを向けた。
「なあ、おい、こ、これって赤ん坊が食っても大丈夫なもんなのか!?」
「え――」
 私は目を凝らした。そして息を飲んだ。
 産まれたばかりの赤ん坊が、アシタが、自分のへその緒につながっている胎盤を、下半身からのびでる無数の触手で引きよせ、口に運び、そのままモグモグムシャムシャクチャクチャと、元気よくむさぼり食っていた。
「……あ……アシタ、もう、歯が生えているのか……」
 私は我ながら、いかにも間抜けなことを呆然とつぶやいた。
「……人間の歯じゃねえなあ、これ……」
 私の恋人もまた、呆然とそうつぶやいた。
「え?」
「ほら、見ろよこれ」
 私の恋人は、アシタを抱え上げ、口から胎盤をヒョイとむしりとって私に明日の口の中を見せた。
「あー!」
 食べているところを邪魔されたせいだろう。アシタが怒って抗議の声を上げる。
「……全部の歯が犬歯……いや、というか、全部の歯が牙になっているんだな、これは……」
 私は、私の恋人と同じく呆然とそうつぶやいた。
「あー! あー! あー!!」
 生まれて初めての食事の邪魔をされたアシタが猛抗議する。
「あー……これ、食わせちまっても別に問題とかなさそうな感じだなあ……」
 私の恋人が大きく苦笑する。
「まあ、少なくとも毒ではないだろうな」
 私はまたもや、ひどく間の抜けたことを言ってしまった。
「ああ、だな。そんじゃまあ――ほれ、食ってもいいぞ、アシタ」
「あーぷ!」
 アシタは大喜びで、血の滴るぬらぬらとした胎盤に再び食らいついた。
「……まあ、大変元気そうで何よりだ」
 私はなんだか、なんとなく笑い出してしまった。
「ああ、そりゃまあ、元気なのはびっくりするほど元気ではあるみてえだけどな」
 私の恋人は、いつものようにおかしそうにケラケラと笑った。
「あー、それにしても、産まれてすぐにこれかよ。ったく、こりゃ先が思いやられるぜ。この分だとこいつ、まず間違いなく近い将来俺達のことをおいしい食事だかおやつだかとしてガリガリかじりにきやがるぞ」
「まあ、そうなったらその時はその時だよ」
 私は小さく笑った。
「いくら私の体が元よりだいぶ小さくなってしまったからといって、それでもまだ、アシタに一口で飲みこまれてしまうほど小さくなってはいないよ。だからその――アシタがかじりにきたって、全部食べられてなくなってしまう前に、きちんと声を上げて君に助けを求めることができるから大丈夫だよ」
「うん――そっか、うん――」
 私の恋人は、ホッとしたように小さく肩を落とした。一瞬の静寂に、アシタが水音を立てて胎盤をむさぼり食らう音が響く。
「ったく、ほんとに化け物じみたガキだなおめーは」
 私の恋人は、アシタのほっぺたをムニムニとつついた。
「ぷ?」
 アシタはきょとんとした顔で、胎盤から口を離して私の恋人を見つめた。
「ああ――アシタは君によく似ているな」
 私は思わずにっこりと笑った。
「へ? そっか? こいつ俺に似てる?」
「ああ。よく似ているよ」
「……ふーん。ま、なんとなくそうかなー、とは思ってたけど、よ」
 私の恋人は、ちょっとがっかりしたように口をとがらせた。
「どうした? その――なんだか不満そうだな?」
「だってよー、どーせだったらおめえに似てるほうがぜってーもっとかわいいのによー」
「え? そんなことはないだろう? アシタは可愛いよ?」
「まあ、おめえから見りゃそれはそうなのかもしれねえけどさあ――」
「あー、まあ、その、なんだ、つ、次の子供は私に似ているかもしれないしな」
「…………」
 私の恋人は目をまるくして私を見つめた。恋人の驚いたような様子を感じ取ったのか、アシタもまた、目をまるくして私を見つめた。そんな二人を見て私は、ああ、やはり二人はよく似ているなあ、と思った。
「そっか――うん、そっか」
 私の恋人は、私をまっすぐに見つめて大きく笑った。
「だな! そうだな! これからも、何人も何人も、俺達にはガキが生まれてくるかもしれねえんだな」
「そうだよ」
 私もまた、恋人に大きく笑い返した。
「一人産むことができたんだから、これからきっと、もっとたくさん、何人だって産むことができるさ私達は」
「だよな! そうだよな! これからいくらでも、何人だって産めるよな!」
「……うあー?」
 はしゃぐ私達を見て不思議に思ったのだろう。アシタがいぶかしげな声をあげる。
「アシタは発育が早いなあ」
 私は思わず感心した。
「へ? そうか? こいつそんなに体でかいか?」
「いや、体というか精神面の発育がな。普通の新生児――産まれたばかりの赤ちゃんには、今のアシタほどにしっかりとした自我などないのが普通だよ。アシタは産まれたばかりだが、それでももう、かなりしっかりとした自我があるようだからな」
「ふーん。なんだかよくわかんねえけど、まあ、悪いこっちゃねえよな、それ?」
「ああ、悪いことなどではないよ」
「だよな。おーおー、ガツガツかっくらいやがって」
 私の恋人は、アシタのほっぺたをまたもやムニムニとつつきながらケラケラと笑った。
「たくさん食って、早くでかくなれよアシタ。でかくなって、一人立ちして、自分のつがいの相手をうまいこと見つけるんだぞ!」
「アシタに子供ができたら、私達には孫ができるんだな。……あれ? そういえば、アシタって男の子か? それとも女の子か?」
「へ!? あー……だ、だめだ、わからん! だってよー、こいつの下半身、触手っきゃねーんだもんよー……」
「そうか。まあ、別にわからなくてもそんなに困ることはないか」
「まあな。わかんなくっても別に、そんなに困りゃしねえよな」
「なあ」
「ん?」
「私の体の上に、アシタを乗せてみてくれないかな? 私には腕も足もないから、抱っこしてやる、ということはできないのだが、それでもその、せめてアシタの体の重みを感じてみたいのだよ」
「ああ、お安い御用だ。ほら」
 私の体の上に、やわらかく、熱く、とても軽やかな、それなのにずっしりと重いアシタの体の重みが加わる。
「……アシタ、世界へようこそ」
 私はうっとりとつぶやいた。
「へっ、くっせーセリフだな!」
 私の恋人が大きく苦笑した。
「お、おかしかったかな、こんなこと言うの?」
「いーや。超絶くせえセリフだけど、でも、おめえにゃよく似あってるし、それにその、なんだ、こういう時にゃあメチャクチャふさわしいセリフだと思うぜ俺は」
「そうか。――ありがとう」
「――世界へようこそ、アシタ」
 私の恋人は、自分自身がくさいセリフだと言ったのと同じセリフを口にして、にっこりと大きく笑った。
 アシタの、私の、私達子供の体の重みと、ぬくもりと、産まれたばかりの赤ん坊の生臭い香りと、私の恋人の大きな笑顔と力強い腕と触手とに取り巻かれて。
 私はうっとりと目を閉じながら、私の家族のぬくもりに、大きく抱きしめられながら。
 この世界には山も落ちもないけど、もしかしたら意味ならあるかもしれない、と思った。



『下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない』(完)

下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない

下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない

昔、山なし落ちなし意味なしという言葉があったらしいが。 まさか、世界全部がそういう状況に叩き込まれるだなんて思ってもみなかった。

  • 小説
  • 中編
  • 成人向け
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
更新日
登録日
2013-08-15

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. 下半身が触手になっちまったんだけど別にそんなに困らない
  2. 失ったものはいろいろあるけど得たもののほうが多いような気がする
  3. 世界と自分の体が変わっちまってもこだわりってもんは残るらしい
  4. 思わず泣いてしまったがもしかしたら泣く必要はなかったかもしれない
  5. 子宮のことを赤ちゃんの部屋って言われると妙に興奮する俺は変態か?
  6. 赤ちゃんの部屋には赤ちゃんの種をまいてもらわないとおさまらない
  7. 俺の恋人は時々大馬鹿野郎だけどそれでもやっぱり最高に可愛いやつだ
  8. 世界や体がどんなに変貌しても、いつも幸せでいるための条件
  9. たとえ俺の最高の恋人の頼みでも、そんなこときけるわけがねえ
  10. それはいつかきっとやってくるであろうものの名前
  11. この世界では食べちゃいたいほど可愛いっていうのはしゃれにならない
  12. 人間のやることなんていつだってどこだってそんなに変わらない
  13. 俺の恋人は俺の自制心と命がけのチキンレースをするのが好きらしい
  14. どんな世界だろうと子供が生まれたらいろんなことを教えてやりたい
  15. 出産っていうのはものすごく物理的で原始的なもんだとわかった
  16. 山も落ちもないけど、もしかしたら意味ならあるかもしれない(完)