68回目の終戦記念日
終戦記念日によせて
1945年8月15日、ラジオから玉音放送が流れる。
遡ること4年前、1941年12月に日本の真珠湾攻撃により開始された大日本帝国と連合軍(米英蘭他)の戦争。
世界的な戦争の渦に飲み込まれた日本は生死との戦いという大きな枷を背負っての日々が始まった。
成人男性は皆徴兵検査を受け、甲種・乙種・丙種・丁種の基準に分けられる。
丁種に分けられた人は徴兵免除だが、他の人たちはいつ赤紙が来るか分からない生活を送ることになる。
こうして、ある時突然赤紙が届き、兵に召集され、男たちは戦地の現場へと向かう。
戦地での戦いに明け暮れる日々は兵士たちにとっては死と隣り合わせの日々でもあった。
だが、死と隣り合わせなのは戦地に趣いた男たちだけではない。
日本に残り、日々を過ごす人々もまた常に生死の境の中にあった。
いつ戦火がふりかかるか分からない恐怖と不安、戦地へ行った家族が無事戻れるかという想い。
そんな気持ちを抱えながら毎日を過ごしていたのだろう。
だが、この不安も現実として降りかかった。
東京では1944年11月以降に106回に渡る空襲が襲った。
度重なる空襲警報に人々は怯え、防空壕に非難する。
1945年3月10日の空襲は特に被害が酷く、所謂東京大空襲とはこの日を指している。
悪夢はこれだけではない。
1945年8月6日には長崎、その3日後の9日には広島に原爆が投下される。
この3つの魔の手により、日本は降伏せざるを得なかったのだろう。
こうして8月15日に敗戦という形で、日本の戦争は終止符を打った。
それから68年後の8月15日、終戦記念日を迎えた。
戦争を体験した人々は、当時生まれた子供ということを考えても1番若くて68歳、記憶している人は70代以上だろう。
高齢化が叫ばれている今の日本でも、約8割が戦後世代。
戦後の大変な時代を知っているのもおそらく昭和20年代生まれの世代までだろう。
多くの人は戦争を知らない。
厳密に言えば、「知らないけれど語り継がれた」人と、「戦争はテレビで観て知っている」人に分かれている。
だが、このまま時代が流れれば、戦争体験者はいなくなり、戦争はメディアや教科書でしか伝えられることのない「歴史」になってしまうだろう。
だが、戦争はまぎれもなく起きていた「事実」であり、日本は唯一の被爆国という負の遺産を持った国であるということは忘れてはならない。
戦争という悲劇を風化させないためにも、おじいちゃん・おばあちゃん、あるいは周りに戦争という時代を生きた人がいたら話を聞こう。
そして、そのことを胸に刻み、私たちが次の世代へ語り継ごうではないか。
戦争は「観るもの」ではなく「語り継がれていかなければならない真実」なのだから。
68回目の終戦記念日
終戦記念日にあたり、戦争のこと、今後への想いを綴ってみました。
戦争を知らない世代の人たちが、戦争を体験した世代の人たちに話を聞くきっかけになって頂ければという願いもこめています。