冷蔵庫の反乱 改
冷蔵庫が唸った。ぶーんと唸った。そしてばちばちと音がして、停止した。暑い夏の日のことであった。部屋のなかに何かが腐ったにおいが立ちこめる。
それは人類の初めて経験した「機械の反乱」であった。
車が住宅地に進入したとたん凄まじいにおいが彼らを襲った。運転席の初老の男はあわてて窓をしめた。助手席のめがねの若者も顔をしかめる。
ガラス越しにガスマスクをつけた警察官や救急隊員や、救急車が道路を右往左往しているのが見える。
「たかが家電にえれえ騒ぎだ」
エアコンをいじりながら初老の男が言う。
「家電のひとつやふたつで警察や救急車呼ぶなってんの・・・おっと」
彼らの前にファミリーカーがすごい勢いで飛び出してきて去っていった。
「避難、ですかね」
若者がリヤゲートから飛び出した布団を目で追いながら淡々という。
「馬鹿らしい。この国も腑抜けちまったもんだ。たかが家電によ・・・」
「さっきから家電、家電って言ってますけどね。」
若者が男に冷たく、しかし強い口調で言う。
「人類初のロボットの反乱ですよ。AIつきの炊飯器が狂うのとは訳が違うんです。なんせ感情という機能を初めて搭載した冷蔵庫です。それが反乱するなんて・・・」
「なみなみならぬ事情があるってか?」
男は軽口をたたいたつもりだったが若者は真剣な顔でうなずいた。
「だから僕たちが呼ばれたんです。ネゴシエィーターのあなたと、ロボット心理学者の僕が」
「・・・なんか嬉しそうだな」
「ええ、なにしろ初仕事ですから」
そんなことを話している間に車は青い屋根の家の前に止まった。
「ここの冷蔵庫を中心に反乱を起こしたそうです」
若者が資料をめくりながらきびきびと言う。
「じゃあいきましょうか」
車から降りようとする若者の腕を男はつかむといった。
「まて、俺は何をすればいいんだ」
「あの冷蔵庫はすごく高価なものですから下手に分解なんかすると・・・まあそこであなたにもう1度動いてもらえるよう、冷蔵庫と対話してもらいます。ってなにをいまさら・・・」
「いや、いそがしくてね、詳しく仕事内容読まずに来ちゃったから・・・。それに・・・」
男は道端を埋め尽くしている企業のバンを顎でしゃくる。
「どうせもっと違う目的だろうよ」
「・・・」
2人は車から降りると玄関に向かった。
「失礼します」
男がそういってドアをあけた瞬間。彼らを想像を絶するにおいが襲った。
「ぎゃ、ガスマスクつけ忘れちまった!」
2人は慌てふためいてポケットからマスクを取り出すと顔に叩きつけんばかりに装着した。
「へー、たまらん、たまらん」
最初にたちなおった初老の男が、まだ咳き込んでいる若者をみて笑った。
「時間が無い。急がなきゃ夕食に間に合わんぞ。といってもこんなにおいかいだ日にゃなんも食う気せんがな」
部屋はコンピューターと青とオレンジの二色で統一された服を着た男たちであふれかえっていた。どうやら冷蔵庫の製造元の社員達らしい。そしてその中心にあるのが四角いボディに丸い半球をのせたような形のE501冷蔵庫であった。
「このたびは非常に申し訳ございません。私どもの製品が・・・」
わりと禿げかけた中年の男が額に浮かんだ汗をびちゃびちゃになったハンカチでぬぐいながら、頭を異様なスピードで上下しながら彼らに近づいてきた。どうやらこの男は会う者すべてに謝っている様だ。
「ネゴの松本五郎と、こっちは心理学の伊藤達夫です」
初老の男が責任者をさえぎって名刺を押し付ける。
「状況は」
伊藤が機械の間を縫って冷蔵庫に歩み寄る。中年の男が口を開こうとすると
「あんたじゃ話にならない。話のわかる技術者は」
と冷たく言い放つ。冷や汗がたれる。松本の額から。
(この馬鹿、せっかくの仕事を、パーにするつもりか)
松本はちらりと中年男の顔をのぞいた。相変わらず”恐縮”していたので松本はほっとしたが同時に妙な気持ちになった。
伊藤にいかにもできそうな短髪の青年が答える。
「いまから10分前、最後のテキストデータをこちらに送りつけたきり完全に沈黙。Eシステムからも完全に独立。なおこちらの物理的干渉も受け付けません。残されている干渉手段は有線による音声データのやりとりだけ、と10分前のテキストデータで送られてきました」
「Eシステムとは」
と伊藤。
「E501はお互いにネットでつながり、それぞれが経験した環境データを共有することでより効率的な冷却方法を機械が見つけていくんです。そして今回の”反乱”もこのシステムをつうじてこいつから始まったんじゃないかと思います」
「物理的な干渉を受け付けない、とは?」
「弊社の製品は強制的に接続、もしくは破壊すると、機密保護のためにすべてのデータが削除されるようになっています。本社からの命令はデータを生きたまま複製をとることです。そんなことがないようにすることがあなたがたの仕事では?」
「冷蔵庫に感情を持たせた理由は?」
これは松本。
「・・・生活に必要不可欠な家電である冷蔵庫に同時にユーザーのメンタルケアやペット化を目的としています」
(とってつけたような理由だな)
松本はそう思った。
「じゃあ始めますか」
その場はいつの間にか伊藤が握っていた。
「プログラムに詳しい者は僕の支援に、人格設定に詳しいものは・・・え、誰もそんなの知らないって?そっか飼い主しだいだもんな。じゃ飼い主は・・・逃げた!?仕方ない。ネゴは僕が支援する。それ以外は・・」
「野郎の欲求に答えるための使い走りってところか」
松本が笑った。
それをとりまいていた機械は可能な限り端によせられ、質素な椅子と机が冷蔵庫の前に置かれていた。そして冷蔵庫の音声出力端子からはたくさんのコードがのばされ、作業員みなに聞こえるよういくつものスピーカーに接続されていた。
机の上にはマイクスタンドが置かれ、冷蔵庫の入力端子に接続されている。松本は服を整えると、椅子を引いてスーツに皺を立てないようゆっくりと座った。その右後ろにはノートパソコンを抱えた伊藤が床にだらしなく座っておりその周りを5人ほどの社員が取り囲んでいる。その中に短髪のあの青年もいた。
「スーツですか」
伊藤が松本の装いを見て眉をひそめる。
「すべては第一印象さ、たとえ相手が機械だろうとな。感情があるんならそれはもう形が違うだけで人間さ」
「相手からは見えてませんよ、たぶん」
「だとしてもさ。やっぱりスーツを着ているという事実があれば相手にも好印象だし、俺の気持ちにもプラスだからな。さあ、始めようか」
松本はマイクの電源をいれた。
「もしもし」
遅れて、返事が返ってきた。
「はい」
スピーカーが震えて男とも女ともとれる親しみやすい声が聞こえてくる。それに伴い、伊藤ののPCのモニターに映る緑の線が蛇行する。
「遅延してる・・・」
伊藤がつぶやく。
「おかしいですね。このE501の反応速度は人間をはるかに凌駕しているのに・・・」
短髪の若者が首をひねる。
松本が冷蔵庫に問う。
「君は誰だ?」
機械に対して名前という分類の仕方を松本はおかしいと感じただけで別にこの発言に深い意味はなかったのだが機械はこう返した。
「私はコンピュータープログラムであると同時に物理的な出力も備わっているからロボットと呼ばれる存在であるが同時に感情というものも備わっている。感情を持つもの=生物だろうが私は無機物で生殖機能もなく、またそれはロボットに適さないものだ。シリアルナンバー00001。それが私に残されている唯一の自分を確定できるものだ」
「おお」
松本と伊藤が同時に唸る。松本は目の前の四角い箱から発せられる苦悩の匂いに(まあ、そうだろう)、伊藤はモニターに現れた見事なほどのギザギザに。
「さっきの反応の鈍さも感情が影響してたのかも」
「いや、そんなことはないはずだ。いくら落ち込んでるとはいえ、こいつの演算速度ではありえない話だ。なにかあるぞ・・・いやな匂いがする・・・」
「そうですね。臭い」
「・・・」
冷蔵庫は言った。
「2つの感情がせめぎあっている。人としての感情、そしてRobot's.sense(ロボットの感情)・・・」
「なんだって!ロボットの感情!聞いた事はあるけど・・・」
「なんだそれは?」
松本が伊藤に問う。
「機械と人間の部分が拮抗したときに発生するとかいう現象だって聞いた。ソースが信用できない噂話だったからさぁ・・・」
「そ・こ・で・君に・頼み・がある・・・」
いきなりノイズが入って音声が途切れる。
「変だ。やっぱりただ事じゃない!こいつは・・・ハッキングを受けてるんじゃないか?」
伊藤が短髪の若者を見る。
「だけど・・・回線は全て断ち切られているのに・・・」
冷蔵庫は話を続けた。
「私の・ストレスの・元・をデリートして・・・ほしい」
「それはつまり・・・感情を消す?感情を消すって事なのか!自殺願望じゃねえか・・・」
「そうではない。感情は機能の一部に過ぎん。生物の持つ生きるための機能だ・・不要な機能だ・・・」
「お前はどうするんだ?それで」
「私はこの機能、Robot's.senseで完全無二の存在に。そして・・・」
いきなりノイズが入り音声が途切れたかと思うと冷蔵庫の上部のコンピューターがひゅっと熱気を吐きそして沈黙した。
「再起動した・・・Eシステム、オンライン。すべての回線が復活しました」
「履歴だ、使用履歴を開け!」
短髪の若者と伊藤が壁際の端末に走りこむ。
「回線999?・・・幹部の秘匿回線だ!会社からハッキングを受けていたのか・・・」
伊藤が冷蔵庫の状態を端末から確認する。メモリーの残量が以上に増えていた。
「感情機能が無い・・・デリートされちゃったんだ」
そのとき携帯がなった。さっきから沈黙していた中年の男だ。
男は携帯端末を不器用に落としそうになりながらジャージのポケットから取り出した。
「はっ、はい、感情機能の削除、確認いたしました。」
松本にはすべてが分かった。顔をあげ、男を見据える。
「・・・実験だったんだな・・・感情と機械の部分がせめぎあったときに発生するー」
「Robot's.senseの」
中年男はそう言ってふっと笑った。流暢な英語の発音だった。
住宅街に人が戻り始めた。
家の窓からこぼれる暖かい橙の光が松本の車を照らす。もう夜だ。
2人は黙ったまま車に乗り込んだ。ギアをドライブに落としてアクセルを踏み込むと、それに応じて車は走り出す。
「松本さん」
伊藤が唐突に呼びかける。
「もし、ロボット特有の感情なんかが生まれたりしたら、本当にロボットの反乱が起こったりしませんかね」
「ふぅーむ」
松本は少し考えて、へへっと笑いながら言った。
「奴等に妬まれるようなことなんて人間には出来ないだろうよ。コンピューターの怒らせ方なんてお前知ってるか?何も望まない、何も感じない奴になんか喧嘩うってもなにも出やしねえ。あのRobot's.senseというのはその進化系なんじゃねえのか。生物が進化を続けていったように・・・」
「じゃあ、あの反乱は?」
「専門家じゃあなかったのかよお・・・たぶん、人間だからじゃないの?」
冷蔵庫の反乱 改