岳麓のまち ~25歳だった僕に~

岳麓のまち ~25歳だった僕に~

          (一)

7年も昔の話である。
そのとし、僕は東京の大学へ入学した。

東京というより、都内という言葉に僕はふるえた。長く神奈川に住まっていたけど、東京に用があるといえば、渋谷の菩提寺に年に一度、お参りするくらいのもので、あとはまず足を踏み入れることはなかった。

とはいえ、この春からは、花の大学生である。
中学でも、高校でも勉強なんてしないで、進路相談室に行って、担当の先生に、「ここ、受けられますかねえ?」なんて、学校がたくさん載ってるガイドブック、先生の前に置いて、パラパラとひろげて、当然、難関といわれるような学校のページは、ポンと飛ばして、おおむね、自分の偏差値に見合うようなところを開いては、
「受けられますかねえ?」を繰り返す。

なにしろ高校では真の劣等生で、先生、見向きもせずに、他の生徒の相談に乗り始めるので、僕は、また先生の前に、ガイドブック広げて、「ここ、どうですかねえ?」を繰り返す。
もう、高校3年の11月だ。

それから足しげく進路指導室に通うと、
「オイ、君の受けられそうな大学があったぞ」と声をかけられた。

「九州のはじっことか、網走よりなお北、なんてイヤですよ。 下宿する余裕なんてウチにはないんですから」と答えれば、
「まあ、心配しなさんな、豊島区だ」と言われる。

そこなら推薦状を書くといわれるので、まあ、このまま就職するのもなんだし、大学生というものを謳歌してみたいもんだという気持ちだけで受けてみる。
なにしろ親父が大学だけは行けというので、学部はそのころ興味のあった社会病理のできる学科を含んだところにした。

さいわいにして、合格。いよいよ、入学式である。
願書に入っていた学校案内を見れば、隣はなんと女子高である。
こんな幸せなことがあっていいのか、しかも大学自体は男女の比率が六対四という、他の大学には考えられないようないいあんばいだったので、期待するものは大きかった。

そんな期待を胸に、いや、期待だけで構成された僕が入学式に臨む。


「新入生のみなさん、入学おめでとございます。ええ、みなさんに重大なお知らせがあります」

学長挨拶についで、教務部長から驚くべき言葉が贈られた。

「みなさんは、明日から1年間、埼玉の校舎へ通っていただきます。埼玉には広大なグランドを有し、新しい設備がみなさんを待っています。新鮮な空気をいっぱい含んで、青春を燃焼させていただきたいと思います」

教務部長が壇上より去るときに、僕は思わず「サギだ!」と心の中で叫んだ。

          (二)

          (二)

きれいな空気とはよく言ったもんだ。この空気を胸いっぱい吸い込んで「青春」というものを燃焼させろというのはよくわかる。なんらよどんだ感じがしない。

それもそうだ。グランドの脇には牛舎が並び、駅からここへくるためのバスは1時間に2本しかない。
途中に団地を通るのだが、よくこんなところで暮らしてると思うほどだ。

まあ、4年ある大学の、アタマの1年間だけなら仕方がないかと思いつつも、都内の大学に入学して、隣は女子高で、なんて期待は、牛舎から聞こえる執拗な牛の鳴き声にかき消されてしまう。

そもそもの僕の世代はベビーブームである。ヒノエウマの翌年。勉強なんて、まるで出来なかったから、高校を受けるときも、なんでこの世代に産んだのさ?と、受ける高校の倍率が、たかだか1.2なのに親に恨み言を言った。

そしてこの大学自体も、これまでの定員では運営が難しいとの判断から、各部の定員増の認可を受け、ついではこのベビーブームを受けて、こののちの入学生を、一年次だけ埼玉の校舎へ送ることにしたのだ。

とはいえ、この埼玉の校舎だって、まっさらなものではない。
もともと、都内にあった大学が、北関東周辺の学生を学ばせる目的で短大を興し、ここへ設置したのに、あまりに交通が不便すぎて、わずか4年で都内の大学部へと吸収された、それを買い取ったのがうちの大学である。
少しの改装を施し、看板を掲げなおした。

「まあ、入っちまったものは仕方ないさ」

埼玉の校舎に通い始めてから何日かして出来た友人と、何かあればこの会話で終わる。
ある友人は大学の近くにアパートを借り、ある友人は都内から1時間半かけて通う。そしては僕は、片道3時間である。
特急に乗れば、大阪くらいまで行けるかも知れぬ。

          (三)

          (三)

そんなある日の1限目のこと。田舎だから多少は始業を考慮して、始まるのは9時20分。
それでも僕の家は駅から遠く、この時間から講義のあるときは、始発でくるので、相当眠そうな顔をしている。

ことさら、春の陽気で300人ほど入る階段教室はあたたかく、やもすると眠ってしまいそうである。
必須科目だから寝たらいかんなあ、と思い、ひざをつねってみるが、一向に眠気がなくならないし、ますます怪しくなってくる。

そんなときに、背中をチクリと指される。
ぎくっとして振り返ると後ろの席にいる史学科の友人だ。
シャーペンで私の背を突いたらしい。

どんな理由だったか忘れたが、たぶん、学校へくる途中のバスの中で知り合ったのだろう。なにしろ駅からのバスは時間がかかる。
お互いを紹介するのに十分だったような気がする。

「なんだよ?痛いじゃないか」といかにも真面目に講義を聴いていたフリをすれば、
「ウソつき。フネ漕いでいたくせにサ」なんていわれる。

友人いわく、とにかく、の僕の4列ほど下の席に座ってる女のコを見ろよ、とのことだ。
4列下? いわれた通り、何列か前を見下ろせば、一群の女子学生がいる。

講義の声もボソボソと聞き取りにくいし、あまり大きな声でもないのでこちらも小さな声で、

「なんだい?あの女のコたちにカワイイ子でもいるのか?背中だけ見せられたってわかんないよ」と答えると、
「あそこのさ、右から3番目の、ホラ、黄色いカーディガン着てるコ、アイツ、渡部(わたべ)っていうんだけど、なんて呼ばれてるか知ってるか?」と、ささやく。

「知らんよ。顔も見えないコに興味はない」と依然として睡魔と闘っていると、
「アイツさ、ASK(エーエスケー)って呼ばれてるんだけど、何の略かわかる?」なんていう。

答えるのが面倒くさくなって、適当に
「頭が悪くて、なんでも先生に尋ねるんで『ASK』って意味か・・・ ウーン、それとも・・・」
少し考えると眠気がなくなってきて、
「ビールをこよなく愛していて、アサヒ、サッポロ、キリンの略だとか?まさかな」なんて答えてみる。

「ホラ、俺、漫研(漫画研究会)に入ってるだろ? アイツも入っていてさ、麻樹(あさき)って名前なんだけど、ASKってペンネームでマンガを描くんだよ。それでサ、こないだ、東京の本校舎でサークル活動があるっていうから、あっちまで行ったんだよ。それが、今日みたいにあったかい日でサ。で、アイツ、急にさあ、『あったかいらー』って言ったんだよ。なッ?この話、面白いだろ?」

僕にはその話の何が面白いのかさっぱりわからなかった。
もしかすると、それでそのアサキという女の子に惚れたという、つまんないお惚気話かもしれない。

「なんだよー、面白くないのかい?アイツ、山梨の富士吉田ってところから来たらしいんだけど、富士吉田なんて聞いたこともなかったよ。どうせ寒村だろ。富士宮は知ってたけど、富士吉田なんていったいどこにあるんだよって感じだよな、アハハ」

のろけ話なら早いところオチをつけてくれりゃあいいのに、神戸出身の友人は、その富士吉田出身のアサキを馬鹿にする。

「あったかいらー」の「らあ」は、山梨によく見られる「ずら」 の応用みたいなもので、推量や同意を求める言葉だ。神奈川だって、はずれのほうに行けば、「~ずら?」みたいな言葉は存在するし、むしろ「あったかいらあ」とあくびでもしながらつぶやいたアサキの姿を、田舎っぽくてかわいいと思った。

「なッ?! お前も真似してみろよ、アイツみたいにサ、こう、間抜けな感じで、『あったかいらー』って」

言われて真似るも僕も間抜けであるが、
「あったかい、らあ?」

「そうじゃない!違うんだよ、もっと何も考えない感じで、『あったかいらー』って。やってみ?」

「あったかいね、らー?」

「ダメだなあ、だからお前はダメなんだ。いいか、俺を見てみな。 こう、バカ丸出しって感じで『あったかい・・・・』」

そこまで言い終わるか終わらないかのうちに、友人は、あ! いけねえ!って顔をして7つも後ろの席に飛び移った。

我々が真似をするのに夢中になっていた麻樹は、後ろの席で「あったかいらー」の連発が気になったのか、こちらをジロジロ見る。
僕はいったん顔を伏せたけど、またしっかりと彼女の顔を見る。そして思った。

ふーん、富士吉田市出身の渡部麻樹ちゃん、ねえ・・・・      


                                           (つづく)

岳麓のまち ~25歳だった僕に~

岳麓のまち ~25歳だった僕に~

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-08-14

Copyrighted
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Copyrighted
  1.           (一)
  2.           (二)
  3.           (三)