ただいま、おかえり。

ただいま、おかえり。

わたしは、とても生命力の弱い人間だ。そこそこの風が吹けば飛ばされてしまいそうな位に、多少叱責されようものなら消滅してしまいそうな位に。生きているという実感はまるでない。毎日が霧か霞のように、ふわふわと目の前を浮遊しては過ぎて行く。
朝目覚めると、視界に入るのはいつもと同じ、少しくすんだ白い天井と朝日を受けて弱々しく乱反射する白い蛍光灯。軽く瞬きを繰り返して、少し伸びをした後、左右に寝返りをうってから起き上がる。お手洗い、洗顔、着替え、朝食、歯磨きの順に淡々と作業をするだけ。

変わったことなど、特には起こらない。安っぽいマンガやライトノベルなら、ここで寝坊して食パンをくわえながら慌てて登校したり、顔立ちの整ったしっかり者の幼馴染が起こしに来たりすることだろう。しかし、わたしの日常にそんなものは微塵も存在しない。ただ毎朝同じ時間に家を出て、何の変哲もない住宅街を20分弱歩くだけだ。

でも、こんな生活が世の中の高校生の大半を占めていることは、周知の事実である。曲がり角を勢いよく飛び出してくる異性とか、見たこともないような地球外生命体とか、突然街に襲いかかる巨大な特殊機械とか、そんなのは全て妄想の中に閉じ込められていて、その檻を破ってこちら側へ出てくることは一切ない。それがノンフィクションってやつで、絶対に起こらないからこそ、わたしたちはノンフィクションに憧れて、癒されて、今もなお現実逃避を続けているんだ。

なんて、ほんとうに現実世界には何の影響もないことを悶々と考えていると、知らぬ間に学校に着いている。これもいつも通りだ。周りの景色なんて、早々変わるものではない。変化といったら、季節にあった花が咲いたり、体感温度が違ったりする程度だ。そんな些細なことでは、この生活は微動だにしない。とにかく、義務教育が終われば3年間は高校へ通うのが普通だ。そりゃあ、普通じゃない人だっているのだろうけれど、わたしは普通の家庭に生まれた普通の人間だったので、大半の人がそうであるように、高校へ通っている。
そして、わたしは今まさに進路に悩まされている華の女子高生なのである。どの辺りが華の、なのかは自分には全く理解出来ないが、女子高生という単語の響きに惹かれるのだという。これは、兄の友人から聞いた情報なので、かなり信憑性には欠けているけれど。とにかく、兄の友人は華の女子高生が好きらしい、ということだけは分かった。全くもってどうでも良い。わたしには関係のない情報だ。
関係あるのは進路のことだ。3年生の今、進路を決めないことには、何も始めることができない。大雑把に大学、なんて考えているけれど、具体的な学校名も学部もまだ何にも考えていない。何とかなるかな、なんて思っていたら、何ともならずにこの時期が来てしまった。

わたしとしては、のらりくらり生きていければそれだけで良いのだけれど、このご時世、それがとても厳しいのだと思い知らされることとなる。のらりくらり生きていく為には、それなりの大学を出て、それなりの会社に就職して、安定した収入を得なければならない。のらりくらり生きる、ということを達成するには、険しい道のりを行かなくてはならない。何だか、矛盾している気がしてならない。

だから、また現実逃避が始まる。アニメなら、絶対に一人は頭の良い子がいる。勉強も運動も性格も容姿も完璧な超人みたいなのが出てくることもある。そして、何故か主人公たちの知り合いだったりライバルだったりする。当然、現実には頭の良い子はいても、超人みたいな子はなかなかいない。というか、ほんとうにそんな超人が存在したとして、誰が尊敬の眼差しを向けるだろうか。きっと格好のイジメの対象として扱われて終わるだろう。そうでなかったとしても、悪い噂がたったり、恨まれたりすることは確実だろうと思われる。やっぱりフィクションであるからこそ、生きていられるキャラクターなのだろう。わたしだって、そんな超人とは仲良くなりたくないし、一緒にいれば当たり前のように比較されて、心底ヘコむだろうな。メンタル弱いから、わたし。

家庭環境にも特に問題はない。両親も健在だし、祖父母も生きている。DVやネグレクトみたいな酷い扱いを受けたこともないし、大喧嘩した記憶もない。やさぐれて家出したり、学校をサボってみたり、飲酒や喫煙なんかも経験したことはない。どこにでもいる、比較的大人しくて聞き分けの良い子供なのだ。というか、そういう女子高生を演じているのだ。ほんとうのわたしは、なりを潜めている。

こんな言い方をすると、自分だけ特別な存在なのだとか、自分は他人と違った能力を持っているとかいう妄想を抱いた痛い少年少女だと勘違いされそうなので、そこは頑なに否定しておく。
ただ、ほんとうにわたしが考えていることなんて誰も知らないんだろうな、というある種の虚無感を感じているのだ。それだけなのだ。しかし、自分の周りの人間は、わたしを理屈っぽいとか哲学的だとか意味不明の単語でわたしを縛り付けようとする。実際、わたしの思想は捻くれていて説明し難い部分があるのは確かだ。それを他人に押し付けるのは、わたしのエゴでしかないので、強要するつもりもさらさらない。

だけど、ほんとうのわたしが顔を現したところで、一体誰が気付くというのだろう。ごく普通の女子高生が、こんなにも孤独を抱えていて、こんなにも希死念慮を携えていると誰が想像するだろう。別に気付けと言っているのではない。顔にこそ出さないものの、普通に見える人間でも腹の底では意外なことを考えているということを知らせたいだけだ。

こんな世の中に蔓延っている大きな問題を考えているから、自分の進路さえも決めかねているのだというのは百も承知だ。それでも、わたしは考えることをやめない。もっと正確に言うならば、やめられないのだ。そういう性格の下に生まれてきてしまったのだから。その定めに抗うつもりもないし、他に誰も考えないのなら、わたしがこっそり考えてみたって実害はないわけだし、寧ろ新しい自分を開拓するきっかけが掴めるかもしれない。

わたしが孤独だと思っているのは、目の前に人がいても、その人が見ているのは眼前のわたしではなく、手に握られた携帯電話の画面であるからである。ここにいるわたしと交流することは一切なく、画面の中の見たこともない相手とやり取りをして楽しんでいる。それはほんとうに、人間として健全なことであるのか?いま、わたしの最大の疑問はそこにある。何故、生身の人間ではなく、データ化された人間とコミュニティを作り、コミュニケーションをとりたがるのか。直接会うのではなく、メールや電話と言った電波を通して会いたがるのか。(メールや電話を通して会うというのは正しい表現ではないと思う。)最近では、直接会うという計画を電話やメールでやり取りして決めたりする。全く人間は退化しているとしか思えない。

だから、わたしは考える。人間は滅びるべきだと。地球や動物、植物にまで多大な迷惑をかけた代償として。地球の環境をぶち壊した犯人として、罪を償わなければならない。それに、人間は人間を殺す。憎悪や憤怒に任せて、後のことなど露ほども考えず、同族を貶し合い、殺し合う。なんて愚かで馬鹿馬鹿しい生き物だろう。同じ人間というだけで、吐き気をもよおしてくる。

だから、わたしは死にたい。とにかく、人間ではない何かに生まれ変わりたい。両親に不満があるわけではないが、人間に不満があるわたしは、自分が人間であることが、許せない。もどかしくて仕方が無い。叶うならば、今すぐに消えてなくなりたい程だ。それがわたしの希死念慮であり、そこら辺に転がっている所謂メンヘラだとか病み期だとかの類ではない。あれは、ただ構って欲しい、もっとわたしを見て欲しいというアピールの一種であるので、決して病気とは言えない。そんな奴らは、すぐ近くにごろごろ転がっているし、興味本位でリストカットなんかしてしまう淋しい連中だ。

ノンフィクションなら、それもありかもしれない。少し現代風刺調に書けば、そこそこ受けるだろうし、それなりの評価もされるだろう。人間の心の闇を上手く表現しているとか、褒められるかも知れない。しかし、そんな小説を読んでみたところで、孤独な少年少女の心の傷は抉られるばかりで、一向に癒える気配はない。テレビをみても、楽しくなれず、遊ぶゲームは殺し合いばかり。それでは、癒える傷も癒えることはない。

この病気を現代病と呼ぶならば、この病の進行具合は異常であるといえる。心の隙間にするりと滑り込んできて、じわじわと侵食していく。気が付いた時にはもう時すでに遅く、誰かに依存したい、あるいは支えてもらいたいと強く願うようになる。その結果、大量発生したのが構ってちゃんと草食系男子なのだとわたしは分析している。俯瞰的に見ても、日本人は元来なよなよしい。それから更になよなよ成分を加え、精神を少し脆くしたのが現代の日本人だ。

日本人が日本人に帰る日は来ないと思う。来たとしても、確実にわたしは死んでいる。だからわたしは死にたいし、消えたいと思っている。それは異常なことなのか。周りの評価なんてどうでも良いけれど、変人扱いされて良い気はしない。人間として生きている以上、人間らしく振る舞うのも人間の務めのように思う。

まあ、わたしがこんなところで一人語りしてみたところで、状況は良くもならず悪くもならないけれど、語らずにはいられないのだ。そういう性格なのだ。仕方ない。そんなことを延々と考えて、思考を全てこちらに傾けていると、いつの間にか授業が終わっていた。
だらだらとホームルームが過ぎて行き、みんなぞろぞろと鞄を肩にかけ始めている。これから、ある人は部活に精を出し、ある人は塾の自習室へと向かい、ある人は繁華街へ遊びに出かけるのであろう。彼らの行動を暫らく観察してから、わたしは帰路へと着くことにした。

そして、わたしはまた大人しくて聞き分けの良いごく普通の高校生に戻る。そろそろ大学と学部を決めておかなくちゃ。親に口出しされるのは御免だから。そして、いつも通り、いつもと同じ風景の住宅街を20分歩く。
ああ、なんて下らない日常なのだろう。それでもまだしつこく生きているわたしって一体何なのだろう。

自宅の鍵を開ける。ただいま、と口に出してみたが、両親は共働きだからもちろん返事はない。誰もいない、お世辞にも広いとは言えないガランとした一軒家。父がちょっと背伸びしてローンを組んだから、うちは一軒家になった。それすら、わたしには虚しくみえる。
自分でおかえり、を言ってみた。意外と悪くないかも知れない。姿の見えない誰かが出迎えてくれるような気がした。少し嬉しくなって、一人でにやけた。

ただいま、おかえり。

ただいま、おかえり。

ただいま、おかえり。

処女作

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2013-08-13

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