宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十八話

まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
 金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村(このはなむら)の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
 普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。

金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。だったのだが…。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。無類の酒好きで何かというと飲みたがる。
高原聖…渡辺の同僚で、同じクラスの副担任。あづみが教育実習していた時もお世話になっていた。ほんわかした雰囲気が強い。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

1

 「は~い、歩く歩く~、あんよ前に出してね~? あっ、お父様お母様、それでは娘さんしばらくお借りします、さあ階段降りて降りて~?」
突然我が家に侵入した高原先生に羽交い締めされた私。九割がた浮き上がった足では踏ん張ることもできず、つま先立ちで前に進むかのように外へと連れだされた。それにしても高原先生を見ていつも思う。筋肉質とは正反対のふわふわした身体で、どうして体育の先生をやっているのだろう、そして時たま披露する人一人平気で持ち運ぶほどのパワーは、どこから湧いてくるのだろう。
 団地の階段を降りたところに、真っ赤なスポーツカーが停めてあった。一瞬誰の? と思ったが、ピンクとフリルに彩られた内装を見て合点がいった。
「高原先生、こんな車も持ってたんですか…って、私をどこへ連れて行こうと?」
「ん~? 学校には~、軽で通ってるけど~、ほら~この車燃費悪いから~、でも遠くまで行くときは~こっちのほうが~パワーあるし~」
って、そっちへの返事はよくて!
「一体、私をどこへ連れて行くつもりですか?」
ちょっとばかり語気を荒げてしまった。またやってしまったと一瞬慌てたが、先生は落ち着いていた。
「あら~、元気あるじゃない~? しょげてるかと思って心配してたのに~。んーとね? どこでもいいのよ~? グアムでもハワイでもヨーロッパでも~。金子さんの好きなところで~」
というと同時に、先生は人差し指と中指に挟んだものをちらつかせた。クレジットカードだ。航空会社のやつ。
「マイル貯まってるのよ~。現金もあるわよ~? あ、心配しなくても~、卒業旅行代わりってことで私からのプレゼントだから~、どうしても気になるなら、出世払いでもいいのよ~?」
教師になれてもいないのに、出世も何もないと思うが…というか、仮にお金を貸してもらったり、おごってもらえたりするとしても…。
「いやです」
思わず口を突いて出た、またしても刺のある口調。それでも高原先生は、いつものほんわかした調子を崩さない。
「遠慮しなくていいのよ~、本当に~。それとも~、他になにか行きたくない理由でもあるの~?」
「…逃げたく…ないです」
何言ってるんだろう。私。今までさんざん現実から逃げて、家に引きこもっていたくせに。それを棚に上げていい格好して。本当は弱気の虫に支配されて外に出たくないだけなのに。それを隠して強がっているだけなのに。
 そんな私の弱点を、高原先生は容赦なくついてきた。口調はいつもの通りほんわかだが、言葉には鋭さが感じられた。だが。
「逃げて何が悪いの~?」
その言葉はちょっと変化球だった。
「別に~、あのままおうちにずっといてもいいと思うの~。一応外に連れてきてあげたけど~、戻ってもいいのよ~?」
 逃げて何が悪い。確かにそうかもしれない。何が悪いと聞かれて、明確に答えられる自信はない。立ち向かうこと、頑張ること。木花村で過ごしたおよそ一年、それらの言葉とは無縁だったように思う。だからそんな木花村の人々の精神を尊重する立場にある高原先生の口から、逃げることを否定しないセリフが出ることは自然だ。
 だが、それに対して身体が反射的に抗うのは、私が木花村のそれとは真逆の価値観、すなわち日本で一般的にみられる、勤勉とか根性とか我慢とかを重視する価値観に私が染まっているからだ。だから、つきつけられた現実から逃げて、どこかに旅立つことには抵抗がある。

 あれ?

 でもこれはこれで、逃げではないだろうか? 家にいて、引きこもり続ければ、外の世界からは隔絶されたままだ。それだって、現実から逃げているではないか? 私はわからなくなってきた。何が逃げで、何が逃げでないか、どっちがどっちなのだろう?

 「どうするの~? 行くの~? やめるの~?」
ほんわか口調で、だがその中に選択を迫る厳しさを秘めて、高原先生が私に問う。私はそのまま答えた。
「どっちが逃げで、どっちが逃げでないのか、分からない」
「いいじゃない、それで~」
はぁ。高原先生らしいというか。いったん人を追い詰めると見せかけて、ふっと力を抜く。
「そんなの、誰にも分からないわよ~。金子さんが好きなほう選んだら、それが逃げてないほうなのよ~?」
と言いつつ、気がつくと先生は人の背中に回って、ぐいっと押す準備をしている。だから私は答えた。
「木花村へ、連れて行って下さい」

2

 どうしてこの人は、こんなに人を操縦するのが得意なのだろう。無理やり腕力で連れて行くことも可能だったろう。でもそうはしなかった。私はいつでも戻ることができた。あくまで言葉で、それも脅しや気合とかではなく、あくまで優しく、私がいちばん受け入れやすい方法を探っているようだった。こんなことをしてくれる人を他には知らない。こういうときは大抵、本人の意志など無視して、有無を言わせず連れて行くものだ。
 でも分かった。私がしたいのは、逃げる逃げないの問題じゃない。自分の気持ちを整理したい。それだけのこと。先生の表情に安堵がみられた。
「良かった~、逃げてくれて~」
いや、逃げる逃げないの問題ではないんだって。というか、さっき私が選んだ道なら逃げじゃないって言ったじゃない。でも、抗弁しようとしたが、やめた。先生にとっても私にとっても、どっちがどっちかなんて、関係の無いことだからだ。
「あのままおうちにこもっていたら~、暗いことばっかり考えちゃうでしょ~? 木花村に行くと辛い思い出もあるかもだけど~、引きこもっていることより楽だと思うの~、今の金子さんにとっては~」
思考を煮詰めるには部屋にこもるのもいいと思うが、実際さっきまでの私は自分を責めてばかりで、それはどんどん強まっている感じがした。
「逃げることも必要よ~」
高原先生はそう言うと、私を車の助手席に突っ込んだのだった。

 なんで、木花村に行きたいと思ったのか、実際のところはよくわからない。ただ、木花村という場所に行かなければならないと思っていた。それは新しい世界に羽ばたく前に見ておきたかったという前向きな気持が出てきたのかもしれないし、逆に冥途の土産くらいの気持もあったかもしれない。実際これ以上生きていても仕方ないくらいは思っていたのだ。
 とにかく、けじめをつけたかった。

 途中、遅いからということでホテルを取り、お酒やおつまみのルームサービスまでしてもらった。代金については出世払いの一点張りで払わせてもらえなかった。何だか申し訳ないくらい大盤振る舞いしてくれている。翌朝はゆっくりとしたお出かけ。って高原先生授業は? と問えば、今日は三年生しか授業のない日で、しかも彼らは受験に出かけているので、年休を取ったのだそうだ。私のためにと恐れ入る。
 ホテルをチェックアウトしたあとも、喫茶コーナーでお茶とケーキをたしなんでから車に乗り込む。高速道路は次第に高度を稼ぎ、遠くに見えていた白いものをまとった山々が次第に近付いてくる。
 高原先生のドライビングは華麗かつ機敏。決して危険な運転ではないが、スポーツカーらしいメリハリのある走りを見せる。しかしインターチェンジを降りるともうお昼どき。お洒落なレストランでランチと洒落こむ。部屋を出てからずっと走り続けたら、今頃とっくに木花村に到着しているだろう。それをしないのは、おそらく私に心の準備をする時間をくれているのだ。

 夏には多くの避暑客で賑わう銀座通りのある町も今はひっそりしている。そこを通過し、最後の登りにかかる。風景が再び開けるとそこは、白銀の山里、木花村。
 「ここで休憩して行きましょう~」
村の入口に道の駅がある。そこの休憩所に入りお茶をする。平日の昼すぎなのですいており、夏の観光シーズンを知る身には淋しさすら感じられる。
「お正月は結構お客さん来たのよ。まあ私は木花の静かな冬も好きなんだけど」
お店のおばさんは高原先生と顔なじみらしく、親しげに話しかけてくる。私の顔は知らないようだが、もと教育実習生だと言えば、ああ天狼神社の、という展開になるのだろう。実際私の見知らぬ人にもそういう形で自分を認識してもらったことは何度かある。
 それだけ、私はかつての生活圏に入り込んできているということだ。

 ティーカップを手に、恐る恐る切り出した。
「どこに、行きましょうか…」
勢いでここに来たいとは言ったものの、来てからのことを考えていなかった。第一泊まる場所も確保していない。まして天狼神社にはなかなか顔を出しづらい。
 渡辺先生に謝らなければ。それは大きな動機の一つだ。しかしそれにはまだ心の準備が足りない。
「そうねぇ…」
しばらく考えるような顔をした先生。しかしそれから少しして、不意に立ち上がる。顔が真剣になっており、何か起きたのだと直感させられる。
 オフシーズンなので、駐車場は半分閉鎖され雪原になっている。車でやってきたとき、そこで子どもが雪遊びしているのを見た。その雪原めがけてけたたましいサイレンを鳴らした車が直行してきて、停まる。雪の上に赤い光が孤を描く。
「事件?」
そう思った時には、高原先生が建物を飛び出していた。さすが体育の先生という素早さで現場に近づく。見ると、雪原の中に人、それも子供が倒れている! あ、立ち上がった。周囲に大人が数名、その中にお巡りさんもいて、高原先生が何やら話している。
 しばらくして先生が戻ってきた。
「時々あるのよね~」
何も出来ず立ちすくんでいた私に対して、半分呆れたような口調で言う先生に聞く。
「あれって、どうしたんですか? なんか子供が倒れていましたけど」
「う~ん、やっぱし金子さんにもそう見えちゃうのね~。あれは~倒れてるんじゃ無いのよ~? お昼寝してるの~」

 木花村の子供たちに伝わる伝統的な遊びなのだという。学校の先生で説明もうまく村の習慣に通じてかつお巡りさんにも顔が利く高原先生が、通報した観光客に対して説明に行ったのだった。
「雪遊びとかで身体を動かすと、火照るでしょ~? それを冷やすのに丁度いいのに~。通報した人も~、向かいの旅館から見ただけで、駐在所に飛び込んだらしいのよ~? 自分で見に行けばいいのに~」
天気の良い日、きれいな雪の上にごろんと寝転がる。日が出ているうえ、スキーウェアを着ているのでそんなに寒く無いし、適度に身体をクールダウンしてくれるのだという。ここでは当たり前の習慣だが、よそから来た人間にしてみれば、子供が雪の中で倒れているように見える。そこで通報騒ぎがしばしば起きる、というわけだ。
 だからお巡りさんも、呼ばれたから来たものの、事件ではないことを確認しに来ただけのようなもの。通報した観光客だけが人騒がせなと憤るが、それを説得するところまでが一連の冬の行事みたいなものだ。そして説得役に高原先生が立つとすぐに解決するのだとか。人心掌握の術はここでも役に立っている。
 来ていきなり、木花村の奇妙な習慣に出くわしてしまった。これで慣れるということもなければ、それが尽きることもない。次から次へと私の常識を鷲掴みにしてガタガタ言わせるようなことが起きる、そんな経験はしょうっちゅうだったし、今もその真っ最中だ。
「また通報されちゃったのね~、この村伝統の遊びなのにね~」
高原先生はちょっと困り顔。スキー場などで、板を斜めに雪に刺してそれをベッド代わりにひなたぼっこする人はいる。だが木花村では直接雪に寝転がるので誤解が多いのだという。それでも村人の誰も辞める気配がない。病気とかで倒れているのと紛らわしいとかいう批判もあるのだろうし、だからこそこんな通報騒ぎも起きるのだが、そんなのは誰もがお構いなしだ。
「だって~、よ~く見ればわかるじゃない~?」
それはそうではあるが…。なにかを一律に禁じることはしないのが、この村らしい。
 ちなみに、救急車が呼ばれることは無いそうだ。警察への通報が多いのは駐在所が観光案内所の近くにあるためで、それを見かけた観光客が直接駆け込むのだという。電話の場合は説明するのだとか。このせいで本当の病人が手遅れになったりしたことは無いそうで、村人がしっかり正常と非常を区別しているのだ。

 木花村の子どもたちは、学校のルールに縛られることがほんとうに少ないと思う。朝礼ひとつとってみても、整列をさせ、前へ習えで列の乱れ一つ許さないなんてことはあり得ない。時間までに集まった生徒たちは立っている子も居れば座っている子もいる。
 ところがそうやって好き勝手にザワザワやっている子供たちが、
「朝礼始めまーす。静かにして下さーい」
と言われたとたんぴたっと黙り、整列こそしないが朝礼台のほうを向く。
 そのさまは、よほど統制が取れていると思う。それは、自由だからこそ自分たち自身で判断することが求められるということ。だからこれだけ自由な校風でありながら、問題行動を起こす生徒はいない。
 自律が大事。そういうことだ。しかしそう出来る子どもが邪魔な大人もいるのだろうことはわかる。それも渡辺先生から学んだことだ。

 それよりも、これからどうしようか。
 勢いで木花村に行きたいと希望を述べては見たものの、具体的に何をしよう、どこへ行こうというのは全く考えていなかった。特に渡辺先生のところと、天狼神社は一番遠慮しておきたいところだ。
 神社については、せっかく私のために合格祈願のお守りを作ってくれた真耶ちゃんに合わせる顔がないというのもある。天狼神社のお守りは真耶ちゃんが直筆のお願いを書いてそこに念を込める完全ハンドメイド。お金を出せば買えるといったものでもない。公式には存在を公表されず、神社や真耶ちゃんとゆかりのある人だけがもらえる貴重なものだ。私はそんな好意を無にしてしまった。
 だがそれよりも。無駄なプライドが邪魔しているのだ。なまじ筆記試験が良かったことで余計に不合格というのが恥ずかしいのだ。私は結構自信ありげな振る舞いをしており、そこからの全敗というのは格好悪いことこの上なく、その思いがなおさら嬬恋家の人々と私を遠ざけている。いや真耶ちゃんたちだけではない、木花中学校で関わったほとんどすべての人に対し、その思いがある。
 むしろ、私達には敵だった存在である、教頭先生や主任先生にだったら自発的に逢えるような気がした。彼らは私のことを徹底的に罵倒するだろう。だがそれでいい気もしていた。
 もっとも、高原先生が押しかけて来たとき、拒む元気はなかった。何かを拒絶するだけの精神的エネルギーは尽きているから。それゆえ、またどっかに連れて行ってくれないだろうか、そんな他力本願な気持ちがもたげていたのは事実だ。
 「金子さん~? 知ってる人に会うと嫌なのはわかるけど~、ソワソワしないで味わって食べないと~、ケーキが可哀想よ~?」
キョドった状態であることとその理由をズバリ指摘された。やはり高原先生、のんびりしているようでアンテナは常に周囲の状況をキャッチしている。
「どうするの~? 今夜~。となりの町とかに泊まる~? それともお家帰る~?」
「いえ、木花村にいます。自分で決めたことですから」
またつまらぬ意地を、反射的に張ってしまった。これ以上いても、というか、行ってくつろげる場所に心当たりもないのに。先生のご自宅も薦められたが丁重にお断りした。やはり高原先生は渡辺先生と近い距離の人。遠慮もあるし、なにか落ち着けないだろうことを見ぬかれていた。
「う~ん、それじゃあ~、村の中でお宿取る~? 誰かのお家泊まるより~、プライバシーは~、守れるわよ~?」
その提案は悪く無いと思う。ただそうなると、お金が…しかしその懸念も、先生はお見通しだった。
「そうよね~。大丈夫、貸してあげるわよ~? 出世払いでいいから~」
いやそれは悪すぎる。すでに一泊分プラス食事とお茶を複数御馳走になっている。しかも渡辺先生と同様、安いメニューを頼もうとするとたしなめられる、おごられる立場で遠慮は逆に失礼、と。だがこれ以上甘える訳にはいかない。
 と、その時、聞き慣れた声で呼びかけられた。
「高原先生、金子先生、何やってるんですか~?」

3

 木花村のメインストリートは、小さい村には似合わないほどのひろびろとした歩道を持つ。昔から欧風のまちづくりを意識してきたためで非常に歩きよい。そのぶん冬は雪除けが大変なように見えるが、そのことがかえって機械での除雪を容易としている。彼女はそこから高原先生の車を見つけ、建物の中を覗いたら私がいたのだ。
 「任せて下さい。金子先生は、責任持ってお預かりしますから」
屋代杏さん。三年生の元生徒会長。ちょうど今は受験で忙しいはずだが、なぜか防寒作業服姿で小型の雪かきブルドーザーを操縦している。
「これ免許要らないから便利なのよ。私もう高校決まったから雪かき手伝ってるの」
木花村は雪は降るけど豪雪地帯では無いし、屋根の雪下ろしをするほどでは無い。というか雪が軽いので屋根を急にするとひとりでに落ちてしまう。それでも道路は雪が積もったままにしておけないので、小型のブルドーザーを入れて除雪を行う。雪かきといっても機械で簡単にできてしまうのは、この村が雪国といってもまだ恵まれている点だ。
 結局屋代さんが私を引き取ってくれることになった。だが屋代さんの雪かきはまだ終わっていないのでしばらく待つ。屋代さんは周辺にリゾート施設をはじめとするいくつかの会社を展開する家の娘さん。このブルドーザーも会社のもので、すでに屋代さんは重機を扱う実習を受けている。屋代さんは屋根から落ちた雪も、歩道に積もった雪も、ブルドーザーで一気に除去する。おかげで歩道も確保される。もっとも機械の入れないところや歩道の端には普通に雪が残っているのだが、それでいいのだという。
「ふかふかの雪は意外とすべらないから。それに雪遊び用に残しておいてあげないと子どもが可哀想でしょ? 本当は道の雪かきなんて要らないのよ。だってかんじきとかスキー履けばいいだけの話じゃない?」
合理的な考えも、この村の特徴だと思う。

 「私ももうすぐ卒業だし、労働しても法律でも問題なくなるじゃない? 今から修行しなきゃ」
屋代さんは大人になったら会社を切り盛りする覚悟でいるという。もともと生徒会長でしっかり者。その振る舞いはおっとりしたように見えて堂々としている。でも私が教育実習生を終えてからはタメ口で話してくれており、肩が凝らなくて良い。
 それにしても…。
「すごい、部屋…」
案内された屋代さんの部屋は、真耶ちゃんグッズで埋め尽くされている。壁はほとんど真耶ちゃんの特大写真パネルで、部屋には真耶ちゃんを形どったであろう狼などの動物を着たぬいぐるみが沢山。屋代さんの真耶ちゃん愛が相当なものだとは知っていたが…。しかし真耶ちゃんの顔を直視など出来ないと思っていたが、これだけされると呆れるほうが先に立って、色々混乱した思いは吹き飛んでしまった。
「すごいでしょ? 真耶ちゃんは私の天使だから」
そう言い切ってしまう屋代さん。まあ実際天使というより、神使ではあるのだが。

 彼女はこれまでもいろんな行事のときには、解説役を買って出てくれている。この村についてよく勉強しているのだ。それも将来グループをしょって立つ自覚があるからだろう。
「子どもが雪の上でお昼寝してるくらいで驚いてちゃダメダメ。他にも冬の遊びっていっぱいあるんだから。人間雪だるまとか」
「人間雪だるま?」
「子供が雪だるまの中に入ってるの。顔だけ出してね。村の子はみんなやるのよ?」
屋代さんはそう言うと、本棚から一冊のアルバムを取り出した。そこには「真耶ちゃん」とタイトルの書かれたアルバムがずらっと並んでいるのだが、彼女が手に取ったものはちょっと異質の無骨なデザインで、タイトルは「イベント」とある。
 中にはいろんな写真がある。ハロウィンやクリスマスについては見覚えがあるが、開かれたページには雪に埋められ、首から上だけ出した子供が並んでいる。文字通り雪だるま状態で、顔だけ出した子もいる。
「これは私が小さい頃の写真なの」
といって指さしてくれたのは、ちっちゃな頃の屋代さん。二人一組で雪に埋まっており、すぐ前に密着して埋められている金髪の子は…聞くまでもなく真耶ちゃんなのだろう。
「寒くないの?」
「うん? 寒くない寒くない。雪が風を防いでくれるし、防水防寒はカンペキな格好だし。それに」
屋代さんは両手を頬に当て、顔を赤らめながら言った。
「真耶ちゃんを、抱きしめてるから。きゃっ」

 観光用にこの遊びを提供するのが、経営者としての屋代さんの夢だという。
「この村っていろいろおかしな仮装するでしょ? それを観光資源として活用しようってわけ。真耶ちゃん達も今いろんな失われた行事を復活させようとしてるでしょ? それと合わせて一つのムーブメントってやつをね」
 私は屋代さんのお屋敷の中の、客用の寝室をあてがわれた。あてがわれた、と言うにはあまりに豪華な部屋だ。そもそもお屋敷自体が立派な建物だから自然とそうなるのだが。
 「で、いずれはそれをもとに、観光産業にもムーブメントを起こしたいの。今まで普通だった、でっかいリゾート施設作ってそのかわりに自然の生き物やそこに住んでいた人を泣かせてって、そんなやり方を葬り去りたいの」
「すごい、そこまで考えてるの?」
「うん。あとウチで働く人は全員正社員にしたいの。有給休暇も全部出す。そういうの嫌う企業もいるけど、そんなとこに負けたくないじゃない? だいいちレジャーで他人を楽しませるには、まず自分が楽しまなきゃ」
だから自社では長期休暇を全社員に義務づけているという。対照的なのは、私を宿舎から追い出したあのモヤシみたいな人。今思えばやつれた顔をしていた。あの会社で使い捨てにされるのだろうかと思うと、ちょっと可哀相にも思える。
「これは真耶ちゃんというか、天狼神社の教えなの。ひとに優しく、って」
なるほど、ここにも真耶ちゃんの影は見える。でもそれを尊重するのは屋代さんの意志だし、彼女の持つ優しい性格のたまものだろう。

 夕食をご馳走になったのち、私たちはその寝室で引き続きトークに華を咲かせた。
「というか、もうすぐ大きな行事あるわよ。先生、三大運動会の二つまでは見たでしょ?」
夏の泥んこ運動会、秋の体育祭、この二つは私も見た。でもそういえば三つ目があるはずなのに、まだ見ていないし、何をやっているかも知らなかった。
「氷雪運動会。冬が寒い分ウインタースポーツは盛んだからね。先生も見に来ない?」
屋代さんが教えてくれた。そしてお誘いもしてくれた。それは嬉しいし、興味もある。しかし私としては木花中の子どもたちと顔を合わせにくいのも本音だ。それを素直に白状すると、屋代さんは分かっていたよといった調子で言った。
「大丈夫、いい方法あるから」

4

 木花中で行われる三つの運動会は連動しており、その総合的な結果で勝敗が決せられる。その中の最後を飾る氷雪運動会は二日にわたって行われ、初日はスケートを始めとするリンク競技、二日目はスキーなど雪上の競技が行われる。これまでの戦績、真耶ちゃん達白組は一勝一敗だが、総合得点ではかなり離されており、苦戦が予想される。
 ちなみに競技は、これまでの二つと異なり、かなり真面目なものが多いらしい。一日目は校庭に作られたスケートリンクが舞台。水をまけば翌朝には凍ってリンクになっているのだから良い環境だ。スピードスケート、ショートトラックなどオリンピックでもあるような競技をそのままのルールもしくは中学生用にアレンジされたルールで行ったり、またパン食い競争や、リレーのようにいわゆる運動会でオーソドックスな競技もある。
 三年生は受験もあるのでこれには参加できない。しかし勉強の合間を縫って応援には来る。そして進路の決まった屋代さんは終日応援をしつつ大会運営を手伝い、一方で私の世話もする。大忙しで頭がさがる。

 それにしても…。屋代さんが用意してくれた誰にも見つからない観客席に私はいるわけだけど…。
「どう? 気分は。まんざらでも無いでしょ?」
屋代さんが小声で話しかける。私は、まぁ…と曖昧な返事を返す。絶対他人からわからないと屋代さんが太鼓判を押す席とは…。

 運動会の開催を示す看板を持った、ハリボテの雪だるまの中。

 まぁ確かにまんざらでも無いのだ。北風はよけられるし、中は意外に広々としている。運動会は昼休みに入り、屋代さんから差し入れられたお弁当とお茶を口にする。トイレが一番困るのだが、観客席から見ると雪だるまの裏側にある出入り口とトイレの入口がほとんど距離のない一直線上になり、生徒や観客から見つからずに移動できるよう配置してもらえた。予想外の快適さで、引きこもり生活に慣れたからだにも優しいのは皮肉なところだが。

 午後はアイスホッケーがある。近くの町にアイスホッケークラブがあって、そこに通っている子達が選抜メンバーとして活躍する。これは本格的なルールで行われ、ユニフォームというか装備も公式そのまま。だがどういうわけか、参加しないはずの真耶ちゃんがゴールキーパーのプロテクターを着ている。どうやら余っていたキーパー用の装備一式を頼み込んで着させてもらったらしい。
「にしても真耶はそういうカッコ好きだよねー」
アイスホッケーのユニに身を包んだ苗ちゃんが苦笑しながら言う。彼女はアイスホッケークラブには入っていないが、白組では女子の選手が不足しているので運動神経に優れた助っ人が必要だったのだ。しかし一方で、からだの自由が制限されるような服装を好むというだけで、一番重いキーパーの装備をしている真耶ちゃんの真耶ちゃんらしさが懐かしかった。
 そう、真耶ちゃんが今の今まで私の視界に入ってきた記憶がなかった。おそらくスケートはスキーに比べて得意では無いのだろうし、競技に出ていなかったせいなのか、それとも私が意図的に避けていたのか。でも一旦認識したからには否応なしに真耶ちゃんが私のまぶたの中にフレームインしてくるはずだ。しかも明日は二日目、雪上でスキーを中心とした競技が繰り広げられる。真耶ちゃんにも活躍の場があるだろう。

 と思っていたら、思っていたより早く真耶ちゃんの勇姿を見られる機会が訪れた。
 競技の合い間にエキシビジョンがある。これは次の競技への準備段階のつなぎという重要な役目もある。内容はフィギュアスケート。
「大体この群馬長野あたりで氷上のスポーツというとスピードスケートかアイスホッケーが盛んなんだけどね、どこの町や村も。フィギュアってたいがい都会のリンクで練習するでしょ?」
屋代さんはさりげなく私が中にいる雪だるまの横にポジションを取り、要所要所で解説をこっそりしてくれる。言われてみれば、フィギュアスケートの有名選手って名古屋とか仙台とか、大都市を拠点にしている場合が多い。逆に群馬や長野にはスピードスケートの有名な選手が何人もいる。しかし木花村では、一年中滑走可能なスケートリンクがフィギュアスケートの練習施設になっている。
「女の子文化が強いのもあるかもね。やっぱしそこは、女神様の村だし」
その理由を屋代さんはこう分析する。そして、女神の使いであるところの真耶ちゃんが、初めて競技で活躍した。といっても、演技を終えた選手のため観客が投げ込んだ花束を拾う係。大きな大会ではジュニアの選手がよくやっている。それを買って出ている真耶ちゃんのスケート靴はピンクのフィギュアモデル。けしてテクニックがあるわけではないし、競技に出られるような技術はないと思うが、基本に忠実な感じの滑りで、そして何より、華麗だと思う。

 それにしても、この氷雪運動会だけは真面目な種目が多い。夏と秋の運動会ではおちゃらけた内容も多かったわけだが。
「やっぱ冬寒い村だから。自然とウィンタースポーツには力が入るってわけ」
という屋代さんの解説にはうなずける。しかしこの次の種目はちょっと変わっていた。そしてここが初日のクライマックスであるという。
 ヘルメットとプロテクターに身を固めた選手が入場してきた。今度のはアイスホッケーの防具に比べて身軽な感じはするが、プラスチック等を使っていて、より硬い感じがする。
「さあ、始まるわよ」
アイススケートゲーム。アタック有り妨害ありの過激なレースだ。
「おじいちゃんが東京にいたとき、ローラースケートでこういうのやってたらしいのよ。それを持ち帰ってアイススケート用にしたみたい。このアイススケートゲームなんかも、新たな競技としてゆくゆくは全国に広まったら楽しいわよね」
 ただその内容はかなり過激になっているようだ。楕円形のコースを五人一組のチームが攻撃側と守備側に分かれ、リンクをぐるぐる廻る。攻撃側は後ろからジャマーと呼ばれるポジションの選手が守備側の選手を抜き去る。守備側はジャマーに抜かれないように、攻撃側のジャマー以外の選手はジャマーが抜きやすくなるようにするのが役目なのだが、このとき体当たりや押し出しも認められており、激しいゲームとなる。ものものしい防具はそのためにある。
 防具は顔部分に透明のガードが付いたヘルメット、胸や手足にプロテクターを付け、パンツなどはアイスホッケー用のクッションがついたもので、スケートの刃による切り傷を防ぐよう引き裂きに強い素材で全身を覆う。それらはなるべく軽量化が図られ、そのかわりプラスチックなどを使った硬い素材が使われる。無論肌を少しでも出すことは許されないが、比較的動きにくさは解消されている。
 その中で各チーム一人だけ、さっきのホッケーのキーパーのような防具で滑っている。真耶ちゃんだ。得点をゲットするジャマーを邪魔する「ジャマジャマー」というのだそうだ。いかつい感じを緩和するためかピンクの可愛いデザインになっているが、着たまま滑るのは大変だろう。
「アイスホッケーもそうだけど、冬でも運動量多いから汗かくでしょ? 一見可愛いけど臭いのよねー」
もちろん高価なので共用だから、不特定多数の汗が染み込んでいるんだと思う。ユニフォームの割り振りが男女別で分けられているのが救いか、って今女子用のを着て滑っているのは男の子なんだけど、他の子は気にしないだろう。ただこの競技の本当の大変さはそんなところにはないと、バトルがスタートしたとたん悟った。
 戦略としては色々なパターンが考えられる。攻撃重視か、守備重視か。さらに同じ攻撃重視でも、ジャマーにスピードで飛び抜けた選手を起用するか、敵チームへの妨害に長けた選手で他を固めるか。赤組は一番後者を採った。当然一番のターゲットは、その大きく重い図体で立ちはだかるジャマジャマー。かつては神の娘という立場からみなから尊崇されつつも敬遠され、普通の中学生の子どもとしてではなく、腫れものに触るような扱いを受けてきた真耶ちゃん。だが去年夏の泥んこ運動会をきっかけにその壁は崩された。その結果、敵軍の選手は皆遠慮せずにどんどんぶつかってくる。
 しかし、真耶ちゃんは懸命に耐える。
「真耶ちゃんがジャマジャマーに起用されたのは、本人が希望したのもあるけど、決め手は忍耐強さなのよ」
ジャマジャマーにスピードは必要ない。執拗な敵軍のアタックに耐え、何度倒されても起き上がる不屈の精神。そこの強さでは真耶ちゃんは折り紙つきだ。そのくせ攻撃の要であるジャマーに比べて目立たない。だからやりたがる人は真耶ちゃん以外にいなかった。でも人が嫌がることを進んでやるのが真耶ちゃんのいいところだ。
 このゲームは攻撃と守備が完全に分かれる。前方を滑るチームは守備に専念し、後方のチームが攻める。攻守交代を繰り返して、ついに最終セットへともつれ込んでいた。白組は先攻をゲットしており、苗ちゃんが持ち前の敏捷さで次々と敵チームの選手を抜きまくる。最終セットもその勢いは止まることがなく、今まで劣勢だった白組もこのまま行けば総合得点で赤組に並ぶことが出来るほどになった。したがってこのあと始まる白組最後の守備が重要となる。
 攻守交代して各自がポジションに付く。ジャマジャマーは守備専門なので、コース外に出ていた真耶ちゃんが再びスタート地点に降り立つ。華奢な体には辛いであろう重装備をものともしないかのように、歓声に応えて小さく手を振る。実際は休憩時間でも疲れが取れないくらいハードなのだが。
 赤組とて諦めているはずがなく、若干のメンバーチェンジを行った。この競技は男女混成であり、赤組のメンバーがルールで許される数マックスまで屈強な男子で固められる。そして彼らは白組のジャマジャマーをターゲットにするポジション。その結果、ゲームがスタートするやいなや真耶ちゃんは何度も何度もアタックされることとなる。
 自分より大きく、パワーもある男子にアタックされてはひとたまりもない。真耶ちゃんはふらつき、倒される。しかもいったん転ぶとその重装備が仇となり立ち上がるのは骨が折れる。それでもくじけずに立ち上がり、フラフラになりながらも滑り続ける真耶ちゃん。ジャマジャマーが一定距離他の味方から離れると失格となるので、早く立ち上がらないと前を滑る選手はスピードを抑えざるを得なくなる。仲間の足を引っ張らないために、痛がってはいられないのだ。
 何度も倒され、その都度起き上がる。その繰り返しが重なるほど真耶ちゃんのフラフラ度合いは増していく。思わず叫んでしまった。
「がんばれー!」
その直後、私は雪だるまの中に隠れんぼしているのだと思いだしたが、皆リンクに集中しているので気づかれなかったのは幸いだった。真耶ちゃんは会場からの歓声を受けたおかげか、タイムオーバーまで何とか持ちこたえる。ホイッスルの音を聞いて氷上に倒れ込んだ真耶ちゃんを、駆け寄ったチームメイトが抱き起こす。
「やったよ、あたし、やったよ…」
そう言いながら真耶ちゃんは疲労はしているけど満足そうな表情をヘルメットの奥に浮かばせているだろうと私は想像した。だがあとで知ったことだが、連続するアタックとそれにもかかわらずフラフラになりながら滑ったことで気持ち悪くなり、戻していたようだ。

 というわけで、氷雪運動会初日は白組が赤組に追いついた所で終わった。私は生徒たちがはけるのを待って、雪だるまから這い出た。明日は二日目。舞台は村営スキー場に移される。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十八話

 はい、一転して木花村の呑気にして非常識な日々の描写に戻りました。雪の上に寝転がるって実際気持ちいいんですよ、ってこれ書いているの真夏なので説得力も想像力も追いつかないですけど…。
 三大運動会は二つまで書いてそのままになっていたので、これでようやく自分で蒔いた種を回収出来たという安堵感があります。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十八話

あづみのもとに突如現れた珍客。果たしてその正体は?手に汗握る?続編。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-13

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