宇宙眼がやってきた。やあ、やあ、やあ。(2)

ニ 宇宙鼻がやってきた。やあ、やあ、やあ。

 青空と黒い雲が交代で現れた後、季節は夏になった。ある日、ひとつの小さな影が街の中央通りに現れた。洋ナシのような形だった。中央通りにはクスノキは植えているが、ナシノキなんてなし。別の通りには、この街がみかんの産地であり、霊場周りのお遍路さんが歩くこともあって、ナシノキじゃなく、みかんの木が植えられていた。
 クスノキにはみかんの実はならぬ。当り前だ。もちろんナシも無しだ。じゃあなんだ。影の先を見上げる。見上げた先は太陽だ。光輝く太陽はまぶしくて、下敷きなしでは、直接見られない。そう言えば、春にいた宇宙眼たちは、必ず、背中を太陽に向け、眼は地面を見ていた。さすが宇宙眼だ。直接、太陽を見ようとはしない。生きて行く知恵なのかもしれない。
 宇宙眼の話はよそう。今は、謎の洋ナシの影だ影と太陽を結ぶ一直線上に影の本体があった。こんな時期にナシだなんて。そう、今は夏だ。夏にナシだなんて、本当に無しだ。しかも洋ナシだ。ここは日本だ。二十世紀ナシか、長十郎ナシにして欲しい。
 だが、照りつける太陽の光に汗が噴き出て、喉が渇き、水が飲みたくなる。そんな切羽詰まった状況だ。影がナシに見えても止むえなしだ。街を歩いていた老婆が影の先を見た。影をなしに見誤る原因は、あのギラギラと照りつける太陽のせいだ。自分の脳ミソも沸騰しそうだ。雲ひとつない空には、太陽はひとつしかないけれど、老婆にはまぶしい光が幾千、幾万の数に見える。
 老婆は、眼を開けていられないけれど、ナシのような影の存在を確かめたかった。いや、本当は、手が届くならばナシをもぎとり、この喉の渇きを癒したかったのだ。皺の重みで三分の二が閉じられた瞼を思いが重いを上回って持ち上げる。あばばい。まぶしいという意味だ。
 老婆がまだ幼女の頃、ちょうちょうを捕まえようと、網を持って追いかけていた。自分の頭の上にはちょうちょうが舞っている。黄色いもんしろちょうちょうだった、空に黄色が乱舞する。あばばい。幼女が叫んだ。幼女は幼すぎて、まだ、まぶしいという言葉を知らなかった。咄嗟に出た言葉が、あばばいだった。
 空には、黄色い天使を見守るかのように、太陽の光がさんさんと輝く。空一面が金色の折り紙だ。幼女が眼を閉じた。しかし、幼女の網膜には、金色の折り紙が映っている。その紙で折られたちょうちょう。
 それ以来、幼女が成長し、今となっては年老いた女は、まぶしい時、あばばいという言葉が口から自然と出る。あばばい=まぶしい。この言葉が、一見、イコールで結ばれない、幼女と老婆を結び付ける証拠でもあった。あばばいという言葉が、タイムマシンとなって、いつまでも老婆の心に、金色のちょうちょうを飛ばすのだ。
 その、あばばい幼女が成長し、老いたあばばい老女が口ごもった。あれ、鼻?老女は、何回も眼をしばたたかせる。最近特に、眼がかすむ。五十歳代からは、緑内障を患い、毎日のように眼圧を抑制する眼薬を差している。
 空に、鼻が浮かぶだなんて。これは、眼のせいじゃなく、頭のせいじゃないか。そう、ボケ、認知症が始まっているんじゃないか。そう言えば、家を出る時、テレビや部屋の電気をちゃんと消したかどうかはっきりと覚えていないことが多い。玄関のドアも鍵を閉めたのだろうか。あれこれと思いを巡らせれば巡らすほど、不安が募っていく。不安の預貯金残高ばかりが増え、更に利子もつく。悪循環だ。不安を消し去るには、認知しかないと思う老婆の毎日である。
 老女は、もう一度、眼を閉じた。真っ暗だ。金色のちょうちょうは飛んでいない。よし。大丈夫。老女は意を決して、まぶたを開ける。瞳が見た物は、やはり鼻だった。信号機が青にも関わらず、老女は動かない。いや、動けない。信号機の上に漂う鼻が、突然、老女の下に舞い降りてきた。どこからどう見ても鼻である。洋ナシの幻影ではない。老女は後悔した。あの時、喉が渇いたなんて思わなかったよかったのだ。そうすれば、洋ナシもどきの影に気が付かずに済んだのに。でも、それは済んだこと。今さら後悔しても仕方がないことなのだ。
 空中に浮かぶ鼻は老女の顔の前にあった。老女は顔を伏せた。この年齢で、鼻とお見合いだなんて、気恥ずかしい。夫は二十年前に亡くなった。もうすぐ、二人で過ごした時間よりもひとりでの生活の日々の方が長くなる。子どもたちは巣立ち、近所に住んでいるが、家を訪れるのは二週間に一回くらい。回数が多いのか、少ないのかわからないけれど、今の老女にとっては、適当な回数である。
 もう少し年齢を重ね、体が動きづらくなったら、一週間に一回、いや、二回、三回と家に来て欲しい気もする。そんなことよりも、今は、鼻だ。眼の前の鼻だ。一体、誰の鼻なんだ。交通事故で吹き飛ばされた鼻なのか。辺りを見回すけれど、パトカーも救急車の姿も見えない。野次馬がたかっている様子もない。やはり、鼻は鼻として、独立して生きている。
 自らのことを振り返る。自分には、鼻も眼も口も耳もある。今、眼の前の空中に漂う鼻にも、やはり鼻や眼や口や耳があるのか。じっと見るが、歳とともに衰えて来ている自分の眼では、はっきりとわからない。だが、やはり、鼻は鼻として鼻である。
 老女の眼の前の鼻が動いた。老女の頭、肩、お腹、足、お尻、背中などを漂っている。よく見ると、鼻の穴が小さくすぼんだり大きく広がったりしている。まるで、臭いを嗅いでいるみたいだ。
 恥ずかしい。老女は思う。この歳になって、体の臭いをかがれるなんて。加齢臭。その言葉が思い浮かんだ。自分には臭わないけれど、他人には不快な気持ちにさせる臭い。それが歳とともに加わるなんて。だが、ある意味では、この加齢臭は、木の年輪と同じではないか。年をとることは素晴らしいこともある。この歳まで生きて来て、様々な臭いの食べ物を食べ、様々な臭いをかぎ、様々な臭いを身に付けたのだ。加齢臭は生きてきた証なのだ。もし、臭いが地層や年輪のように積み重ねられるものならば、それを誇りに思うべきなのだ。
 もう、何も恥ずかしくない。長生きが誇れることならば、加齢臭だって自慢だ。加齢臭が出るくらい長生きしてみろと、若い奴らに言いたい。生きようとして生きられなかった者たちを、この年老いた眼は見てきたのだ。この年老いた鼻は匂ってきたのだ、この耳は聞いてきたのだ。この口はしゃべり続けてきたのだ。どうだ。他人には、ざまを見ろじゃなく、自分の生き様を見せてやる。眼の前の、漂う鼻にも。
 老女は意気揚々と顔を上げ、胸を張り、背筋を伸ばし、足は大地をしっかりと踏ん張った。
 その頃、空中に浮かんだ鼻は、老女の体を周遊・旋回すると、老女の顔の前に再び現れ、最後に、老女の鼻を匂った。その途端、鼻は二つに分かれた。老女の眼の前には、これまで漂っていた鼻と、老女の鼻と洋ナシふたつ(瓜ふたつとも言う)の鼻が浮かんでいた。
 老女は、アコーディオンが畳まれたような眼を引き上げたり引き下げたりしながら、謎の鼻の正体を見破ろうとしたが、鼻たちからは言葉がなく、鼻をすすってお別れの言葉として、老女の前から立ち去った。鼻をすすりかえしての返事も出来ずに、茫然と見送る老婆であった。
 さて、老女から分かれた鼻たちのうち、ひとつの鼻が、香ばしい匂いに誘われてか、たこ焼き屋の前に行く。たこ焼き屋では、店長が、焼き上がったたこやきをくるくると回転させている。たこやき機の上に、ひとつの影が差した。お客さんだ。
「いらっしゃい」店長が、あいそよく声を出す。店長といっても、自営業だから、オーナー兼店長兼従業員だ。忙しい時には、たまに、妻が手伝ってくれるが、妻もパートで働いているため、原則、自分一人だ。元気よくあいその声を出したが、相手からの返事はない。いつもなら、たこやき三百円分とか、五百円分とか、しょうゆ味にしてとか、しょうゆ味とソース味を半分づつでお願い、など様々な注文があるはずなのに、今日のお客さんは、黙ったままだ。
 店長が顔を上げた。眼の前に鼻がいた。鼻だけがあった。見間違いかと思った。店長は、もう一度、たこ焼き機の方に眼を移した。一日中、たこ焼きばかり焼いていると、全ての物がたこ焼きのように見えてしまうのだ。幻覚だ。間違いない。厳格に幻覚だ。
 確か、先日も同じようなことがあった。お客さんの足の流れが止まり、一息つこうと、店の片隅の座り、雑誌を手に取った。いきなり、たこやきの絵が出てきた。いかん、いかん。眼がたこやきに毒されているぞ。他の雑誌に手を伸ばす。その雑誌の表紙もたこやきの絵に見えた。どれもこれも、たこ焼きか。自分の網膜にたこ焼きが焼き付いて離れなくなっているのか。
 店長は、再度、眼をつぶり、いちからじゅうまで数を数える。そして、眼を開けた。やはり、雑誌の表紙はたこやきの絵だ。そこに、「パパ、ただいま」と、長男が返って来た。保育所から帰って来たのだ。
「ただいま」妻も返って来た。パートの仕事を終え、長男を保育所に迎えに行っていたのだ。もう、そんな時間なのか。時計を見る。夕方の五時だ。帰宅途中のサラリーマンや学生たち、夕食の準備をする主婦たちが増えて来て、店はこれからが一日で一番忙しくなる時間なのだ。稼ぎ時なのだ。それなのに、俺の眼は既に疲れ切っている。
 長男は、店の中に飛び込んで来ると、店長が持っていた絵本を手に取り、ページをめくり始めた。「たこやきマントマン、かっこいいんだ」そこで、店長は初めて、その雑誌が絵本で、たこやきをヒーローにしたマンガであることに気付いたのだった。
 いかん、いかん。お客さんをたこ焼きに見えてしまうなんて。いや、待てよ。店長は思い直した。眼の前にあるのは、たこ焼きじゃなくて、鼻だったはずだ、こんなことは初めてだ。もう一度、顔を上げた。店長の眼に見えたのはやはり鼻だった。鼻だけが存在するのか。鼻男なのか。眼も耳も口もない。鼻だけだ。そんなことは、ありえない。いや、現実問題として、眼の前に有り得る。
 ひょっとすると、鼻男は、透明人間なのかもしれない。それなら、理由がつく。鼻男は、どこかの科学者で、体全身を消す薬品を開発したのだろう。それを確かめるために、こうして、自分の所に来て、たこ焼きを買おうとしているのだ。だが、何故、鼻だけが見えているのか。
 悪霊から逃れるために体全身にお経を書いてもらったにも関わらず、耳だけはお経を書き忘れられた男がいたように、この鼻男の科学者も、鼻だけ透明になる薬を塗り忘れたのだろうか。いや、そんなことはあり得ない。自分だって、透明人間になる薬を発明したら、全身に塗った後、必ず鏡で確認するはずだ。鼻男の科学者も確認しただろう。すると、鼻だけが見えていることに気付くはずだ。じゃあ、何故、鼻だけ塗り忘れたのだろうか。
 全身が見えなくなったまま、買い物に行ったら、相手が驚くかも知れない。そこで、鼻だけをわざと薬を塗らずにいるのだろうか。そうだ。科学者のささやかな自己主張なのだ。
 店長はそう納得した。鼻だけの生き物が存在するよりも、透明人間が存在する方が、理にかなっていると思ったのだ。
 店長は、相手の見えない眼じゃなくて、見える鼻に向かって、もう一度、声を掛けた。
「いらっしゃいませ。何にしましょうか」だが、鼻男は返事をしない。鼻男はタコ焼きの香ばしい匂いを嗅がずに、店長の頭から首、胸、お腹、ふともも、足先まで、舐めまわすように、匂い回した。鼻男が店長の体全身を臭う際、体には少しも触れなかった。店長は、ここでようやく悟った。この鼻男は透明人間ではない。鼻だけで存在する鼻男なのだと。
 そう言えば、以前、この街に宇宙眼がやって来たことがあった。そうか、この鼻男も、宇宙眼の仲間かもしれない。それならば、この鼻男は、宇宙鼻なのだ。そう思うと、全ての謎が解けた。だいたい、透明人間が存在するなんてこと自体があり得ないのだ。鼻だけの生物が存在することも信じられないが、宇宙眼がいた以上。宇宙鼻がいたって不思議じゃない。
 宇宙鼻か。いいネーミングだ。店長は、自分の体を匂い回す宇宙鼻をまじまじと見つめる。宇宙鼻はひととおり、店長を匂い尽くしたのか、再び、店長の顔の前に現れた。宇宙鼻はすうと息を吸い込むと二つに分かれた。宇宙鼻がふたつになった。店長は鼻をふくらませ、眼を点にし、ぽっかりと口を開け、耳たぶを両手でつまんだ。つまり、びっくりしたのだ。
 宇宙鼻たちは、お時儀かどうかはわからないけれど、鼻を下げ、別々の方向へ漂って行った。店長は二手に分かれて飛んで行く鼻たちの後ろ姿を見つめながら、ふと我に返った。急いで、店の片隅に掛かっている鏡を見た。
「大丈夫だ」店長は自分の鼻を撫でながら、宇宙鼻に自分の鼻がもぎりとられていないのを確認し、安心した。
 だが、待てよ。あの鼻、俺の鼻に似ていたな。普段、鏡で自分の顔をまじまじとみることはない。飲食の仕事をしているので、髪が乱れていないとか、口に涎がついていないだとか、身だしなみ程度に鏡を見ることはあっても、自分の鼻や眼、口、耳の形を観察することはない。たまに、左眼を閉じて、はい、左斜め下を見てと、右眼で右鼻部分を見たり、右眼を閉じて、はい、右斜め下を見て、左眼で左鼻部分を見るぐらいである。
 それくらい、たまにしか自分の顔を見ないたこ焼き屋の店長でさえ、今、眼の前の、宇宙鼻から分裂新規となった宇宙鼻が自分の鼻に似ていると感じた。いや、似ているんじゃなくて、そっくりだった。体を臭っただけで、コピー鼻を生みだす宇宙鼻。恐るべき力だ。
 だが、それがどうした。俺だって、たこ焼き焼くこと十数年。当初は、小麦粉やたこなど、材料は全て計量器で測っていたが、今は目分量で、最高のたこやきの黄金比をつくりだすことができる。黄金比だけでない。たこ焼きの焼き具合だって、見なくても、匂いだけで、黄金比の焦げ目がわかる。どうだ。宇宙鼻。お前には負けないぞ。ささやかな自己主張をする店長であった。
 たこ焼き屋の店長が虚空を見つめている間に、宇宙鼻たちは、パン屋やカフェ、コンビニ、スーパーなどを飛行し、次々と分裂していった。その数は、十、百、千以上だ。ひと鼻だけであった時には、老婆以外に誰も気づかなかったが、千を超える鼻が、店の窓ガラスに引っついていたり、空中を漂っていたり、中央通りのクスノキの枝に止まっていると、嫌でも目立たざるを得ない。
 警察や消防署、市役所に、気持ちが悪い、何とかしてくれ、異常発生だ、と苦情の電話が殺到したが、宇宙鼻は、確かに、人間の体を臭うものの、触れることはないし、ただ、分裂するだけで、人間に危害は加えない以上、どうすることもできない。人の鼻をかってにコピーするのは、著作権上、違法ではないかという意見もあったが、コピーされた鼻が、本当にそっくりそのままかというと断言はできない。まして、その鼻を販売するなど、商売として利用しているわけではない。相手は、宇宙人(鼻)である。地球人が作った法律が適用されるのかという意見も出た。
 それならば、宇宙法で取り締まれないかと議論されたが、宇宙法そのものがあるのかどうか、また、よしんば、宇宙法があったとしても、所有者の承諾なしに勝手にコピーしてはならない、と規定されているかどうかは定かでない。結局、会議は踊る馬鹿りである。
 この匂いを嗅ぎつけたのがマスコミである。いつも自分たちは蚊帳の外にいるような顔をして、他人のあらをことさら大きく凶弾する習性を最大限に活用し、行政の体たらくを取り上げるとともに、直接、宇宙鼻に独占インタビューを申し込んだ。
 申し込んだと言っても、街中に漂っている鼻にカメラとマイクを向けるだけで、いつものように相手の承諾を得ることはしない。神の手先であるマイクとカメラを向ければ、相手は後光が差したと勘違いしてひれ伏すと勝手に思い込んでいるのだ。もちろん、この思い込みは先輩から後輩へと引き継がれ、長年培われた伝統、伝説になっている。
 だが、この大きな勘違いは、宇宙鼻には当然通じなかった。「あなたたちの真の眼的は何ですか?」マイクが無遠慮に鼻の前に突き出される。カメラマンが宇宙鼻を画面一杯にアップする。その後ろで、放送会社への入社を希望しているアルバイト学生がライトを照らす。独占インタビューのお膳だては整った。後は、宇宙鼻の一言を待つのみだ。
「ふん」宇宙鼻がしゃべった。いや、しゃべったと言うよりも、息をしただけだ。ひょっとしたら、人間は、他の生物の種を絶滅させただけでなく、地球までも破滅せんとばかりに増殖した自分たちのことを棚に上げ、たかが、宇宙鼻が増殖していることにあたふたしている人間たちを鼻先で笑ったのかもしれない。
「宇宙鼻は何も語りません。この不気味な存在の宇宙鼻に我々人間はどう対応していくのでしょうか」 取材記者からは、不透明な未来をより一層黒く塗りつぶすようなコメントが発せられた。
 このニュースが流れた途端、人々は地下にこぞって隠れた。宇宙鼻に匂いを嗅がれた者は一週間以内に死ぬ、という都市伝説が沸き起こったからだ。九十歳を超えたお年寄りから生まれたての赤ちゃんまで、多くの人々が、デパートの食料品売り場の地下や地下鉄の待合室、地下街などに逃げ込んだ。
 おかげで、デパ地下の売り上げがこれまでの倍以上になり、宇宙鼻様様だと、食料品売り場の部長はテレビに映る宇宙鼻に感謝しながらも、そのことを口に出せば、人々から火事場泥棒ならぬ、不幸成金と責められやしないかと、本当に困ったものですと苦虫をかみつぶしたような顔をするために、わざと、自分の舌を歯で噛みしめた。
 デパチカにはますます人が集まって来て、溢れ返るようになった。行き場がない人々は、デパチカで夜を過ごそうとした。デパート側としては、店の終業時間が終わったのに、いつまでもお客さんがいたのでは、店の管理もできず、また、管理しようとすれば、従業員の勤務時間外手当も増加することから、社長からは「今すぐ、お客さんにデパートから帰ってもらいなさい」との指示があった。
 だが、今、デパチカにいるのは、帰る場所のない人々だ。こうした人々を終業時間だからと言って追い出せば、デパートが非難されるのはわかっている。食品部長は、宇宙鼻難民を追い出すべきではない。せめて地下デパだけでも、二十四時間営業にすべきだと、社長を始め、取締役たちに直訴した。
 役員による御前会議が開催された。食品部長は、円卓の会議室の外の廊下で、端から端まで何回も往復した。会議は何時間も続いた。会議室の中は踊りが披露され、その外では健康ウォークが続けられた。
 健康のバロメータとしてポケットに入れてある部長の万歩計が、一日の眼標である一万歩を越えた。歩数を確認すると、一万歩達成!と、思わずガッツポーズをする食品部長。張り詰めた糸がビブラートするほど、緊張に包まれた雰囲気の中で、食品部長は、ささやかな生の喜びに浸るのであった。
 その時、議論が伯仲して騒がしかった会議室が急に静かになり、ドアがゆっくりと開いた。
「部長。君の言うとおり、当分の間、デパ地下は二十四時間営業にして、宇宙鼻難民の方々を受け入れることにするよ。君の熱意には負けたよ」
 社長からの直々の言葉だった。部長はガッツポーズの手を更に頭上に上げた。部長の様子を見た社長は、「君はこの結果を知っていたのかね」と尋ねた。部長は、まさか1万歩達成で喜んでいるとは言えず、手を握りしめて、「宇宙鼻難民の方々の幸せを祈っていたんです」と当意即妙に答えた。
「そうか。それは素晴らしいことだ。早速、デパ地下にいる宇宙鼻難民の方々に、わが社の方針を伝えてくれ」
 社長はそう言い終えると、今後の二十四時間体制に伴う人員の配置計画について検討するからと言って、再び、円卓会議に戻った。
 十階から地下まで、既に運転が休止しているエスカレーターを走り降りる部長。これで宇宙鼻難民を救えるし、万歩計の歩数が二万歩まで達成できるぞと、喜んだ。喜びは、一つよりも二つの方がよい。
 デパ地下に到着した部長は、食品売り場のアナウンスのマイクを強く掴んだ。
「皆さん。このデパ地下は、ただ今から二十四時間営業になりました。自宅に帰られない方も、どうぞ、ゆっくりと滞在してください」
 放送が終わると、一人の客が拍手を始め、それが二人、三人、十人、百人と増え、デパチカの五段に積み重ねられたお菓子箱が崩れんばかりの大音響となった。食品部長の眼にはうっすらと水のカーテンが降ろされた。また、鼻の奥の水源地から水が勢いよく流れ出ようとしたので、慌てて、ティッシュペーパー製のダムを穴に突っ込んだ。おかでで、何とか、洪水は防ぐことはできた。水が紙にじんでいくように、部長の心も達成感で満たされていった。
 食品売り場は宇宙鼻難民で一杯であった。人々は、朝に、昼に、夕にと、弁当やお茶、バナナやみかん、缶詰めなどの食料品を購入した。売り上げは二倍、三倍、十倍と増加した。部長の決断が会社に利益を与えた。何事も、決める時には決めなければならない。宇宙鼻様様である。
 ここで部長は考えた。宇宙鼻に敬意を表すべきであると。人々は宇宙鼻を恐れて、デパチカに避難し、おかげでデパチカが儲かったのである。宇宙鼻に感謝しなければならない。そこで思いたったのっが、宇宙鼻の写真を撮影し、神棚に奉納するのである。
 だが、宇宙鼻の写真を神棚に飾ることには、若干の抵抗があった。この国の八百万の神が。宇宙鼻を神として認めるかどうかである。だが、部長は発想を変えた。八百万の神である。それが八百万一になろうと気にはしないのではないか。
 それに、八百万の神の内、大陸からこの島国を訪れた神もいるであろう。それならば、宇宙からやってきた宇宙鼻を神として崇めてもいいのではないか。元々、神を信仰するようになったのも、自分以外の物、者に対して敬意を表する、恐れをなす、自分の卑小さを知り、傲慢不遜な心を戒めるために、崇めるようになったはずだ。それならば、宇宙鼻を神として讃えてもいいのではないか。心にそう決めた。決めた以上、実行する。そして、見事、実行したのであった。
 それ以来、食品部長は、朝、昼、晩と一日三回、食料品売り場の裏の商品置き場に回ると、片隅にある神棚に手を合わせた。もちろん、この神棚の裏側には、食料品部長が、相手を死に至らすために匂いを嗅ぐと言う宇宙鼻の風評をものともせず、ひそかに地上に出て、宇宙鼻の被写体をカメラに収めたものだった。

 食品部長は、その時の事を思い出した。
 この扉の向こうには宇宙鼻がいるはずだ。ゆっくりと扉を押す部長。今は明け方。食品売り場では多くの人が雑魚寝している。その隙間をつま先立ちで前進した。慣れないつま先立ちのため、足元がふらふらする。ふくらはぎがこわばる。顔もこわばる。アキレス腱がぶるぶると震えている。
 だが、何とか、前線を乗り切った。階段の最上段の踊り場に到着。東の空に太陽はまだ出ていない。だが、うっすらと明るくなっている。暗闇の黒い粒が空気中に溶け込んで、透明になってきているのだ。溶け込んだ黒い粒は拡散し、眼には見えないけれど、日が落ちれば、再び、粒子化し、夜の闇を形成する。
 部長の眼には、半分以上の粒子が消えたかのように見えた。眼を凝らす。手にはカメラを持っている。電源を入れた。ジ―という音ともに、機械仕掛けの眼が飛び出て、まぶたを広げた。よし、これで準備万端。巷の噂では、宇宙鼻に臭われると、自分の鼻そっくりの鼻が分裂して生まれるらしい。その宇宙鼻が生まれるや否や、元の人間は命をなくしてしまうのだそうだ。だが、それはあくまでも噂だ。死んだ人間は聞いたことがない。もちろん、死んだ人間からは話は聞けない。
 もしも、万が一、得てして、そんな馬鹿な、で事実だったら、大変だ。宇宙鼻に臭われて死んだなんて、不名誉以外の何者でもない。自分には妻はいるし、子どもも二人いる。子どもは、高校三年生と中学三年生だ。今年、それぞれ大学受験と高校受験が控えている。
 それに合わせ、入試を目指し、塾の費用が大幅にアップした。これから、子どもたちのために、一生懸命、働かなければならない。そんな時、命を掛けてまで、宇宙鼻の写真を撮影しないといけないのか。自問自答を繰り返す部長。できるだけ、宇宙鼻には近づきたくない。だが、宇宙鼻の写真は撮影したい。部長は、このアンビバレンツな気持ちをアウフヘーベンさせ、夜明け前に、宇宙鼻の撮影を敢行したのだった。
 この時間帯なら、宇宙鼻も眠っているだろう。部長は眼を凝らし、写真対象を探す。だが、よく考えてみると、宇宙鼻は眠るのか。いや、宇宙鼻も生物だ。眠らないと生きていけないはずだ。じゃあ、いつ眠るのか。夜行性なのかもしれない。だが、人間の鼻をコピーするのが特性であるならば、その行動形態は人間と同じように、夜寝て朝起きるのではないか。
 もちろん、夜行性の人間の生活パターンと同様に、夜行性の宇宙鼻もいるだろう。だが、それは例外のはずだ。ほとんどの宇宙鼻は、夜が明けるまでは眠って、日の出とともに目を覚ますのではないか。あくまで、推測だが、今こそ、チャンスのはずだ。部長は自分の体がすり抜けれる程度にドアを開け、そっと外を窺う。
 辺りを見回す。誰もいない。宇宙鼻はどこだ。眼の玉を右に左に、上に下に動かす。ぐるりと三百六十度回転させた。宇宙鼻はやっぱりいない。眼が左方向を向いた時だ。何かの物体が視野を遮った。まさかか。そう、まさかだ。宇宙鼻がちょうど眼の高さのドアの位置にひっついていた。鼻の穴から息が出たり入ったりしている。すやすやと眠っているようだ。
 ゆっくりとドアを閉める。こいつにしよう。あんまり外をうろうろすると他の宇宙鼻に見つかってしまう。今なら、写真を撮れる。カメラを向ける。レンズ越しに宇宙鼻が見えた。今だ、チャンスだ、シャッターだ。ボタンを押した。眼が覚めるといけないので、フラッシュはたかない。
 カシャ。撮影完了。宇宙鼻が写っているかどうかを確認する。こういう時、デジタルカメラは早い。折角、命がちじむ思いで撮影に臨んだのに、写真が撮れていなかったら、命がちじんだだけ損したことになる。おっ、映っている。確認できた。早速、事務所に戻ってパソコンにデータを入力し、プリンターで打ち出し、神棚に飾れば終了だ。電源ボタンをオフにして、カメラを握りしめた。
 ドアを開ける。ふと、ドアを見た。ドアには宇宙鼻がひっついていない。いやな予感。的中だ。宇宙鼻が、カメラを持っている右手を臭っている。臭われた。部長の頭の中は真っ白になった。思考停止状態。何も考えられない。だが、次の行動のために、考えなければならない。死ぬしかないのか。いやそんなことはない。頭の中の白い黒板に次々と様々な思い出が書かれていく。小学校に入学した時のこと、中学校の卒業式のこと、このデパートに入社した時のこと、同じ職場だった妻との結婚、長男の出産、次男の誕生、家族旅行、食品部長に昇任したことなど、だ。行動につながらない思いのたけがつぶやかれた後、ようやく、行動につながる思考が湧いてきた。
 逃げなきゃ。その間にも、宇宙鼻は、部長の体全身を臭い尽くしていた。眼を見据える。その眼の前に宇宙鼻が立ちはだかった。宇宙鼻は体(?)を二度身震いすると、二つに分かれた。ああ、こうなるんだ。話には聞いていたけれど、宇宙鼻が分裂する瞬間を見るのは初めてだった。何でも、経験するのは面白いもんだ。デパチカに帰ったら、みんなに話をしてやろう。だが、待てよ。それまで、俺は生きていられるのか。
 分裂した鼻は部長の鼻にそっくりであった。もちろん、普段から、鼻は自分の顔に着いているので、覚えてはいないけれど、噂では、鼻は本体の人間とそっくりらしいので、そっくりなのだろう。どう見ても、あまりかっこいい鼻ではない。左右の鼻の穴の大きさは違うし、微妙だが、左右非対称だ。誰かに殴られて鼻が歪んだわけではない。それならば、生まれつき歪んでいるのか。そう言えば、何か考え事をするたびに、鼻をつまんで二、三回動かす癖がある。
 以前、部下に、「部長、何かいい考えが浮かんだのですか」と尋ねられ、「いや、別に。どうして、そんなこと聞くんだ」と尋ねたら、「いやあ。部長が考え事をして、何かをしゃべりだす時の前に、必ず、鼻をつまむんですよ」と指摘されたことがある。鼻つまみ者とは、いい意味ではないけれど、鼻をつまんで、素晴らしいアイデアが出るのも面白い癖だ、自分ながらにそう思う。
 そんなことはどうでもいい。問題は、眼の前の宇宙鼻であり、その宇宙鼻に臭われた自分の行く末、未来だ。どうせなら、自分の鼻にそっくりの宇宙鼻の写真を撮影し、神棚に飾った方がいい。部長は、再び、カメラを取り出し、生まれたばかりの宇宙鼻にカメラを向けた。だが、宇宙鼻たちは、部長にはもう用済みなのか、お時儀もせずに、次の獲物を探し求めて、飛び去った。茫然と立ち尽くしたままの部長。
 だが、部長は、気を取り直し、デパ地下に戻ると、宇宙鼻の写真を印刷し、商売繁盛を祈願して、神棚に飾った。そして、部長は、デパチカの聴衆の前で地上での武勇伝を熱く語り始めた。終わった後、聴衆から拍手。それほどまでに、人々のことを考えてくれていたのかと感動された。また、部長の身の上を心配する者もいた。
 それから一日が立ち、二日が立ち、三日が経った。部長は、相変らず、商売繁盛で、デパチカの中を忙しく動き回っていた。その様子を見た人の中には、宇宙鼻に鼻を模倣されると死ぬという噂は嘘じゃないかと疑うものが現れた。その男は、デパチカを出て、地上の生活に戻った。宇宙鼻に自分の鼻をコピーされることはあっても、健康に異常はなかった。この話は、デパチカ滞在者に一挙に広がった。
宇宙鼻に臭われることは気持ち悪いけれど、臭われても別に何かが減るもんじゃないし、命に別条がなければ地上で生活してもいいんじゃないか。いつまでもデパチカで生活するわけにはいかない。蓄えも急速に減って来た。他人に気兼ねして暮らすよりも、やっぱり、自宅で生活するほうがいい。
 そうした考えを持った人々は、デパチカを離れ、元の生活に戻っていった。やがて、デパチカに買い物に来る人はいても、住み続ける人々はいなくなり、売り上げは元に戻った。部長の忙しさも元に戻った。部長は後悔した。命を懸けて取り組んだことが、かえって、自分にとってはマイナスになるとは。
 ただし、プラスになることもあった。人々が地上に戻ったお陰で、宇宙鼻は次々と街の人々をコピーして、増殖していった。全ての人々の鼻をコピーし終えると、一斉に空高く飛び去った。
 宇宙鼻が飛び去った後、街の人々の生活は、宇宙鼻がいた時と同じように、時計の針の回転に合わせて暮らして行った。

宇宙眼がやってきた。やあ、やあ、やあ。(2)

宇宙眼がやってきた。やあ、やあ、やあ。(2)

ニ 宇宙鼻がやってきた。やあ、やあ、やあ。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-10

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