風の流れるままに
「東京の方は10年に一度の大雪やと言うとるし、そりゃそんなこともあるやろよ」
「そやけどおかしいんよ。北浜の連中も、相場が立たんということは関東大震災以来やと云うとるし。なんや、東京の方でとんでもないことがおこっとるような気がするんじゃ・・・」
「まあいずれにせよ、わいら真面目な商人(あきんど)には関係ない話よ。おまんらみたいな勝負師と違ごてな・・・ほな、お先・・・帰るわ」
私は、もう一度北浜証券取引所に顔を出してみると言っている佐平をしり目に会社を出た。
午後3時を過ぎたころだったが私は秘書に直帰を告げて、事務所の入っているビルの階段を下り本町通りに出た。2月の大阪はトンビコートの襟を立てても寒さが肌身にしみた。
私は寒さに抗うように早足で歩き始めると、堺筋を本町から北上し、梅田ステンショ(駅)の方に向かって歩いた。「東京でなんかあったんやろか」という佐平の言葉が耳に残っていた。
(何があっても不思議はない)と一人言ちてみた。(ここ数年、世界恐慌から脱した経済はうなぎ上りによくなってきていた。経済が良くなると政治が愚鈍になる。 それは景気を軸に戻そうとする神の見えざる手って奴や。俺は小学校しか出てないけど、それくらいのことはわかる・・・)
私は久しぶりに家に帰ろうと思った。3週間ぶりくらいか。前に帰った時に、今年小学校に上がる長男に約束した。今度帰る時は軍艦の模型を買ってきてやると言った。そういえば、この前長男に「とうちゃんと一緒に行くか?」と聞くと「やだ」と即答してたな。「わいは、かあちゃんと一緒がええ」と言っていたそのりきんだ顔を思い 出すと笑えてきた。
とりあえず軍艦買ってやるか・・・次男と長女はええわ。まだ物事のわかる年頃でもないし。将来覚えとらんやろし・・・
私は高麗橋の三越で粗悪なブリキの軍艦を買うと、またコートの襟を立て北に向かって歩き始めた。
土佐堀通りを左に折れ川沿いに出たところで、なんだか風向きが変わったと思った。風の冷たさは変わらない。しかし、一瞬突風が吹いて帽子が飛ばされそうになった。次の瞬間、なんだかとんでもない方向に風向きが変わった。そんな気がして私は顔をあげて空を見渡した。どんよりと曇った空から今にも雪が落ちてき そうであった。
(なんだろう・・・)
とてつもなく嫌な予感がして怖くなった。でも一瞬の空気の違和感はすぐに感じられなくなった。身近にある空気の襞を手繰り寄せて、私は元の現実に引き戻されたように、急に正気に戻ったような気分だった。
(まあええか・・・所詮この世は仮の宿や・・・)
私は急に気分が変わった。
予定を変更して、家に帰らないことにした。
手に持った三越の包みを、路傍で坐っている乞食の子供にやると、私は踵を返して南に向かって歩いた。
♪~こうしてこうすりゃ こうなることと
知っててこうして こうなった♪~
事の顛末を知ったのは、妾宅でしこたま酔っぱらって、彼女の三味線で音頭をとりながらつまらない都々逸を唸っていた時だった。
夜の8時を過ぎていた。たまたま付けたラジオから流れてきた臨時ニュース。
『本日午前5時ごろ一部青年将校等は左記個所を襲撃せり。
首相官邸、齋藤内大臣私邸、渡辺教育総監私邸、牧野前内大臣宿舎湯河原伊藤屋旅館、鈴木侍従長官邸、高橋大蔵大臣私邸、東京朝日新聞社・・・・ 』
私は呆然としてラジオの音声に聞き入っていた。
そして即興で思いついた都々逸を、茶碗を鳴らして唸ってみるばかりであった。
♪~所詮この世は仮の宿 がいにきばって生きたとて
流れに竿をさしたとて アァ♪~ なんともならぬ♪~ なんともならぬ♪~
歌いながら、なんだか涙が滲んできた・・・
昭和11年2月26日 夜、大阪にて
了
風の流れるままに