怖かったこと(右手が綴った物語)
職業を訊かれて、精神科医であると答えると、相手の反応は、ほぼふたつに分かれる。
ひとつは警戒。精神科医は占い師でもないしエスパーでもないのだが、まるで自分の来し方行く末、悩みや秘密、そんなあれこれをたちどころに見抜かれてしまうとでもいうように、私の視線をかいくぐるようにして、距離をとろうとする人がいる。
実際ある程度はわかる。私は都心の自宅から、新宿駅を経由して、私鉄で三十分ほど下ったクリニックに通勤しているのだが、その車内、ひとつの車両に平均二、三人の患者ないし患者予備軍を発見したりする。健常者の群れの中で独特の空気を醸し出している何人かの、推定される病名は、三十分あればだいたいわかるものだ。だから、私の職業を知って、私からいくぶん防御的に距離を置こうとする人々の心理は、健常者のそれとして十分に納得できるものである。
片や、その反対の反応を示す一群もある。好奇心。三対一でこちらが多い。まるでお化け屋敷でも覗くかのように、彼らは訊ねることもある。「今まで診察された中で、一番のっぴきならない症例は、どのようなものでしたか?」
そこまでストレートには訊かないまでも、要約すればそういうことになる質問を、多少婉曲気味にカーブやシュートの回転をかけて訊ねてきたりする。彼らの瞳に垣間見えるのは、実に「怖いもの見たさ」である。
怖いもの。彼らが想像している答えを、私は想像することができる。受付の制止を振り切り、散弾銃を片手に乱入してきた男が、今すぐ神様に会わせろ、さもないとおまえを撃ち殺してから自爆する、などと涎を垂らしながら絶叫するだとか、あるいは羞恥心をなくした若い女があられもなく破廉恥な姿態を診察室に晒すだとか、その類の答えを期待しているのだろう。
でも、そんな事態に出くわすことは滅多にない。精神科医が診る症状は、実際はもっとずっと地味なもので、彼らの好奇心を満たすには、あまりに退屈なものであったりするのが常である。期待に応えることはできない。
なのに私は職業について実に頻繁に訊ねられる。例えば子供の学校の父親参観日で。「ひょっとしてマスコミ関係の方ですか?」
そう訊かれることがよくある。格好に問題があるのかもしれない。色の入った眼鏡をかけている。休日にはデニムを履いていることが多い。堅気のサラリーマンには見えない、とそういうことだろう。私自身は間違いなく平凡な容姿をしている。そのことには自信がある。スーツを着て、眼鏡を外して街に出れば、群集に溶け込んで私は消える。特徴のない顔。平均的な背丈で、太ってもいないし痩せてもいない。
診察室で、患者に言われたこともある。「どこかで先生を、お見かけしたことがあるような」
白衣を着て、伊達眼鏡を外してしまえば、私は既視感を呼び起こす対象になるようだった。
目が弱いので、屋外ではアンバーのかかったグラスをかける。オンとオフの境を明確にしたくて、休日にはジーンズを履く。それだけのことなのに、それだけが理由なのだろうか、ともあれオフの私はオンの職種について質問を受けることが多い。
防御的に警戒されるのは嫌だし、期待に背いてがっかりされるのも嫌だ。なので私は職業を訊かれたとき、まずは端的にこう応えることにしている。「医者です」
「何科の?」と訊かれなければそれでおしまいなのだが、たいてい訊かれる。そしたらやむなくこう言い添える。「心の病気の」
すると質問者の四分の一は警戒し、四分の三は好奇心を剥き出しにする。と、そういうわけだ。私はそんなふうな存在である。
さてこれは、『怖かったこと』というタイトルの文章である。怖かったことについて記そう。
休日のヘアサロンに私はいた。白いソファーに腰掛けて、雑誌のページを捲っていた。雑誌は、書籍を特集する雑誌だった。たまたま開いたページに、あの作家の文章が掲載されていた。連載小説のようだった。小さな写真が添えられていた。この男が彼なのだろうか。作家はオレンジ色のシャツを着て、なぜだか片目を瞑って写っている。作家の名前を見て、私は反射的にK嬢のことを考えたのだった。小説に、あるいは本当にK嬢のことが書かれていたりはしないか、私はふと悪戯心のようにそんなことを考えた。K嬢は私の患者だった。
『K嬢が初めて診察室を訪れた日、東京には季節外れの雪が舞っていた。一カ月ほど前のことだ。
その朝、小田急線の改札を抜けたところで、積もった雪に足をとられて、私は派手に転んでしまった。拍子に眼鏡がとんだほど、みごとな尻餅を私はついた。私は眼鏡を拾い上げ、ばつの悪い思いで立ち上がった。よかった、眼鏡は割れてない、と私は思った。雪の積もった世界は、ことさらに眩しい。オレンジ色のレンズがついた伊達眼鏡を、私は大事にかけ直した。
クリニックに到着すると、受付に雇っている中西さんが訊いた。「まだ降ってますか?」
降っている、派手に転んだ、と私は告げた。
「見せてください」と中西さんは、私の後ろにまわった。年の頃二十代の半ばの彼女は、親切でよく気が回る。私がクリニックを開設して以来三年ほどの付き合いになる。
「あら、お尻が濡れてますよ」と彼女は笑った。そしてタオルを用意してくれた。
よかった、と改めて私は思った。雪道に用心をして、この日私はジーンズを履いて出勤していたのだ。厚手のデニムでなければ、下着にまで被害は及んでいたかもしれない。
ロッカールームで白衣に着替える。白いパンツに白いシャツ。ジーンズは中西さんが乾燥機に入れてくれた。
時刻は八時前で、診療開始までは、まだ三十分以上の余裕があった。待合いソファーに腰を掛け、中西さんの淹れてくれたミルクティーを飲んだ。
そのときでだった、クリニックのドアが開いて、K.O嬢は現れた。
「すみません」と中西さんは告げた。「診療は八時半からになります」
K嬢は、きょとんとした顔をした。白いファーのついた白いコートに首を埋めて、ピタリと静止したその姿は、まるで雪ウサギのようだった。
雪の日は不思議だ、と幼い頃から思ってきた。どこか浮ついた気分になる。非日常の匂い。
台風と同じだ、と私は分析する。共通の自然現象に対峙して人々は、ちょっとした連帯感を持つ。分断されている意識の距離が、台風や雪の日は、ほんの少しだけ近くなり、若干の高揚感にも似た何かを我々は共有するのだろう。
精神科医という人種は、対人的な距離に配慮を怠らない。とりわけ患者に対してそれは顕著だ。心のバランスを崩したクライアントは、無意識にしがみつく。最初は一様に警戒しているものの、辛抱強くこちらが話をきくうちに、彼らは、カウンセラーに依存するようになる。転移といわれる状況だ。ときにそれは恋愛感情に似たものに発展することもある。さらに気をつけなくてはならない事態を、我々は逆転移と呼び、強く恐れている。患者の話をきくうちに、患者に好意をもたれた治療者が、無意識に患者に好意を抱いてしまう事態、これが逆転移と呼ばれるものだ。
なので、若い女性のクライアントに対して私は、いつも明確な線をひき、自分の職務を常にも増して意識的に自覚するようにしている。
この日の私に油断があったことを私は認める。それを雪のせいにするのは容易い。しかし、それだけではない、かもしれない。
K嬢は白く、やわらかく、優しい雰囲気をまとってそこにいた。
「構いませんよ」と私は言った。「雪の日に出直すのは大変でしょう」
そうして私は通常よりも三十分ほど早く、患者を診察室に迎え入れた。
などと書くと読者はこの話を、職業的な倫理失墜にまつわる悔恨譚、であるかのように先読みするかもしれない。しかし幸にも不幸にもそうではない。この話の「怖さ」は、それとはまったく別のところにある。
K嬢は、マシュマロのような頬を両手で挟み、大きな瞳をいっそう大きくして私を見た。そして言った。「以前にも、先生に会ったことがあるような」
いつもの感想だ、と私は内心で苦笑いをした。
「すみませんが」と私は告げた。「もしもあなたが不快でなかったら、今日の診察はこのサングラスをかけたままでもよいでしょうか?」
彼女は軽く首を傾げた。
私は窓の外に目を遣りながら続けた。「実は目が弱いんです。雪の反射が眩しくていけない」
あはは、と彼女は笑って、そして言った。「どっちがお医者かわからないみたい」
私は、軽く眉をあげて笑ってみせた。そして逆転移という言葉を想起しながら事務的に告げた。「今日は、どうしましたか?」
ここまで、であった。私がK嬢を、手放しで好ましく眺めたのは、実にこの瞬間までであった。
ここからの話はしばらく、いささか語調を変えて、穏当とはいえない、精神科医としての言葉を連ねていくことになる。精神的な不調を抱える人々を決して貶める意図があるわけではない、と最初に断っておくべきだろう。
狂気、について語ろう。狂気とは何か?
狂気と正気の境はどこにあるか。
患者を診ていて、ときに患者の妄想に引っ張り込まれそうになることが、大学病院勤務の頃には確かにあった。彼らの妄想は、彼らなりの整合性を持っていて、その話に耳を傾けていると、こちらの正気が揺さぶられ、危機的に浸食されている、とそう感じることが、駆け出しの時分には実はあった。
しかし、狂気の招きをはねつけるのは実はまったく難しくないということに、私はすぐに気がついた。一、二年も患者に接していれば、嫌でもわかることだ。毎日うんざりするほどに聞かされる妄想たちの大半はあまりに薄っぺらで安普請で、しかも非常に類型的である。私は一年でそれに気がつき、狂気からの手招きに危機感を感じるようなことはなくなった。
「狂」という字について私は思う。ケモノのごときキング、そのような態様。彼らは頑固で迷いを持たず、自らの思い込みを疑うことは片時もない。社会的な規範や道徳的な規範の外に立ち、周囲を見下し、ケモノのように破壊的で、キングのように傲慢だ。自らを疑わず、整合していないのは自らではなく世界のほうだと、世界を生きる者たちを挑発する。
などと延々と悪口を語ってしまった。気をつけなくてはいけない。ある人が執拗に繰り返して語る悪口は、己の投影対象であるとされる。精神科医という存在は、ことさらにバランスを崩しやすい、絶壁に立つ存在であるともいえる。
ありていにいえば私は、〈妄想〉を憎み、軽蔑し、また恐れているのである。
そんなわけで、あの朝、K嬢の語った〈妄想〉は、好意的に傾きかねないK嬢への思いを、ものの見事に引き止めてくれた。雪の日の魔法は、彼女の醜い妄想により、容易く打ち破られたのであった。
「眠れません」とK嬢は言った。
ふっくらとした顔に不眠の影は認められなかったが、「不眠」と私はカルテに書いた。
「眠れる薬を処方しましょう」と私は告げて、しばらく待った。しかし彼女はそれ以上語らなかったので、私から訊ねた。「原因に、心あたりはありますか?」
彼女は頷いた。そして作家の名前を告げた。
作家の名前をここではH.Hと記すことにしよう。どこかで目にしたことのある名前だった。
「彼に愛されているのです」とK嬢は告げた。
私は頷いた。
「彼には奥さんもいるし、子供もいるんです」
つまり不倫の恋というわけか、と私は思った。それで眠れない、と。
精神科医の出る幕はなさそうだ、と私は思った。不倫に悩む女性は多い。彼女たちは、占いに頼り、人生相談に頼り、ときに探偵に頼る。
恋愛というものは、と私は思う。精神的な通過儀礼である。あらゆる恋は幻想であると言える。恋人たちは相手に、ないはずの永遠を認め、ないはずの理想を被せる。出口はふたつ。ひとつは別れで、いまひとつは結婚だ。どちらのドアをくぐっても、恋人たちは幻想から覚める。恋とはそれ自体が病理的な投影を孕む危険なものであるが、誰もがそれを通過して、歌手はそれを歌い、作家はそれを描く。考えてみれば不思議な心理であると言える。
不倫、ということになれば、通常の恋愛に比べても、葛藤の度合いは高い。心はバランスを崩しやすい。眠れなくなることもあるだろう。
精神科医は、しかしモラルを説く立場にはない。社会的規範から外れた恋であっても、そのこと自体を云々するのは、法律家や宗教家の仕事であろう。医者にできるのは、不眠を正す薬を処方することくらいのものだ。
彼女が黙っているので私は告げた。「それではしばらく、薬を飲んでみてください」
加湿器がコポコポと音をたてた。
窓の向こうではまだ、雪が降っていた、音もなく。
中西さんのスリッパが奏でるパタパタという音を耳が拾った。
「どうして!」と患者は突然叫んだ。「彼は会ってくれないの、かな!?」
声色に込められた不穏な何かを私は感じた。少し探ってみるべきかもしれない、と私は思って訊ねた。「どうしてだと思いますか?」
「奥さんや出版社が、たぶん妨害してるのよ」
私は頷いた。そういうこともあるだろう。不倫を奨励する妻や発注者はいるまい。彼女の認知は正常で病的要素は認められない、とK嬢の丸い瞳と頬を眺めながら私は思った。
ところが彼女は続けた。「彼はかわいそう。メッセージをあんなに<隠して>でなきゃ、私に伝えられないだなんて」
何かが香った。
隠す?
「メッセージ?」と私は確認をした。
彼女は頷いた。「彼は小説に書いてたんです、私のことを、ずっと前から」
来た、と私は内心で身構えた。頷いてみせる。
「最初は私も気がつかなかったんです」
彼女は語った。彼の小説には何年も前から、彼女が登場しているのだという。
「どうしてあなたにはわかったのかな、書かれているのがあなたのことだって」と私はやわらかく訊ねた。
「だって同じ名前だし」と彼女は語った。
私はまた頷いてみせた。
作家の書いたシリーズの、ほとんど満遍なくすべてに、彼女と同じ名前のヒロインが登場するとのことだった。
Kで始まる彼女の名前はよくある名前だった。苗字のOも特別に珍しいものではなく、小説の登場人物が同姓同名であったとしても、それは単なる偶然というものであろう。
心を病む者は、関連性のない偶然の間に容易く橋をかける傾向にある。
共時性、と彼らは口にしたりする。共時性とは、心理学者カール・G・ユングにより唱えられた説で、偶然の一致に因果を超えた意味を与えるものであるが、病者の主張は、私に言わせればということだが、よくある関係妄想の域を出ない。疲弊した精神は、疑うべきを特殊を疑わず、信ずるべき一般を疑うのだ。
なので私はK嬢に告げた。「それは<偶然>なのではありませんか?」彼からの<メッセージ>なんかではなくて、という本音は飲み込んだ。
「そうなんです!」と、意外にも力強く彼女は肯定した。「偶然なんです!」
偶然であること、それは認識できている、と私はメモをした。
待合室からクラシックが流れてきた。時計を見ると八時半だった。中西さんが音楽をかけたのだった。
「名前だけじゃないんです、彼は私のこと、なんでも知っているんです、最初は嫌がらせをされてるのかな、って思ったんです、だって彼は私のこと、マシュマロさんとか、ふわふわさんとか書くからです!」
マシュマロさん、と私は思った。それは私も思ったな。
「私の子供の頃のこと」と彼女は続けた。「例えば転校初日の掃除の時間、背中から声をかけてくれた子のその言葉まで、彼は知っているんです、それを小説にそのまま書くんですよ!」
私は黙って頷いた。
「私の乗ってる車のことも、大事にしているぬいぐるみのことも、ボーイフレンドのことも、彼はみんな知っているんです、で、書いちゃうんです、私が付き合ってきた男の子の人数まで!」
私は頷いた。
「そうだ、勤め先のことも書かれちゃいました。デパートの名前、そのままじゃないんだけど、わざとわかるようにボかしてたりするんです、私にはわかるように彼は書くんです。五階紳士服売り場で待ち合わせた、室長との、えっと、秘密のデートのことなんかも書かれちゃいました。室長は名前までそのまんま書かれちゃったんです、室長はね、実は彼と同姓同名なんですよ、偶然なんだけど」
そう、と私は思った。もちろん偶然なんですよ、室長の名前も、あなたの名前も、ぬいぐるみや勤め先に関する描写の符号も、すべてがすべて偶然なんです、あなたがその偶然に意味を読んでいるだけです。
「なんで偶然がこんなにいっぱい続くのか、不思議に思いませんか?」と彼女は逆に私に訊ねた。
私は用心深く曖昧に頷いた。
流れているのは『恋はみずいろ』。
「彼の小説を私、ぜんぶ買いました。そしてそこに模様を見たんです」
模様、と私は思った。意味の配置。患者はよくこれをやる。こぼしたインクの衣魚にまで、彼らは隠された意味を読む。インクの描いた模様と、その時刻に壁時計が示した針の角度、さらにそのときテレビの中で七番打者が放ったホームラン、そんなあれこれを一瞬で繋ぎ合わせる、そこに形を見る。そしてそれはメッセージなのだった、誰かからの彼らへの、隠された表現。
「その模様が私に示してるもの」とK嬢は嬉しそうに言った。「私はそれに気がついたんです」
私は頷いた。
「なんだったと思います?」と彼女は問うた。
「なんだったのですか?」と私は問い返した。
ピアノの伴奏にのるかのような呼吸を、短くしたのち、彼女は答えた。「愛でした」
愛、と私は思った。愛とはいったいなんだろう。恋が、内的統合を目指した無意識の外的投影、すなわち<幻想>であることを私は知っている。幻想とレッテルするのが過激に過ぎるなら、穏やかに言い換えてもいい。例えば<内的真実>と。いずれにせよ、それは個人に属するものなのだ。他者との間にかかったはずの橋は、実に虹の橋である。いずれは消えてしまう。というより、最初からそこには何も架かってはいなかったのだ。しかるに〈愛〉は? 愛の心理学的な意味を、そのシステムを、私は認識できていない。だから戸惑うのだった。出し抜けに、きっぱりと、愛、などという言葉を持ち出されてしまうと。
「愛、ですか?」と私は訊ねた。
「全肯定です」と彼女は頷いた。
「全、肯定?」
「海の気持ち、です」
「海の? 気持ち?」
「ありのまま、ということです」
私の認知は置いていかれる。彼らはときに非常に<速い>。忍者のようだ。向かいの屋根からあちらの屋根へ、石垣に飛んだかと思うと、クルリとまわってパッと消え、次の瞬間に地中から現れたりする。意味的な繋がり、その行間を彼らは跳躍する。彼らの言葉は、ときに詩のごとく象徴的で、寓意に満ちている。トーンとして、音として、言葉はそれなりに耳に馴染む。だから足元をすくわれてしまうことになる。響きだけに耳を澄ませると、言葉は音楽のように踊る。彼らはそう、ときに楽器のように美しく語るのだった。音楽はそう、ロジカルに分析しつくせるものではない。
なので私は言葉を理解しようとはせず、ただ病状を理解しようとする。それしかできないし、それが身を守る術でもある。
「それであなたが今」と私は冷静に訊ねた。「困っていることはなんですか?」
「えっと、よく眠れないし」
不眠。すでにそれはカルテに書いた。薬を処方することにした。他には?
「あとは、別に、私は、ただ」
音楽がやんだ。
「ただ?」
「彼に伝えたいんです、伝わったよ、って」
「彼、というのは、さっきの作家のことですか?」
「そうです」と彼女は、頷くと同時に目を伏せた。そして顎をあげると同時に目を開けた。その動作は象徴的に思えた。でもそれを深くは追わない。私は医療行為をすればそれでよいのだ。
「編集部経由でファンレター書いたんだけど、返事がきません」
「忙しいのかもしれませんね」
「編集部に電話したんだけど、住所も電話番号も教えてくれません」
「そういう決まりなのかもしれませんね」
「作家電話帳も手に入れたんです、編集の人とかが使うやつ、でも」
「でも?」
「そこに彼の名前はなかった」
彼女はそう言うと沈黙した。雪の結晶のような沈黙だった。医療行為なんてどうでもいい、と思えてしまうような沈黙だった。ときに彼らは、ひどく透明感のある沈黙で語る。何を?
無論、妄想を。と私は思ってカルテを閉じる。睡眠薬を処方して経過観察、それが正解だ。
「先生」と彼女は言った。掠れた声だった。パステルに乾いていた。「伝わってるかな?」
私は彼女を見た。診ることを終えて、見た。
「私にちゃんと伝わってるって、彼にはちゃんと伝わってるかな?」
暖房がまだ十分ではなかったせいか、寒いのであろうか、彼女は体を絞るように震わせた。
気がつくと、私は頷いていた。
妄想の肯定。テクニカルにではなく、ナチュラルに患者の妄想に頷いてしまった。
彼女は、ぱっと顔を輝かせた。病みや歪みなど微塵も感じさせないような笑顔だった。スキーゲレンデの似合いそうな笑顔だった。そして言った。「嬉しい」と。「よかった」と。「伝わっててよかった」と。
よかったね、と心の中で呟いた。全肯定、という言葉が、どこかではためいているような、そんな気がした。』
「お待たせいたしました」と声が掛かった。
読んでいた雑誌から目を上げた。
美容師が立っていた。「シャンプーの前に、ヘアカウンセリングをさせていただきますので」と美容師は言った。「どうぞ、あちらの鏡の前にお座りください」
そう言って案内しようとする。
(どういうことだろう、と私は思った。美容師から声が掛かるのを待ちながら読んだ小説には、K嬢の言うとおり、確かにK嬢のことが書かれてあった。でもそれだけじゃない、そこには<私>のことも描かれていた……。ということは、と考えた。K嬢は作家の放ったクノイチだったのか。K嬢は、新作のための取材としてクリニックを訪れたのであろうか?)
雑誌の活字を集中して読んでいたせいか、眼のピントも心のピントも、なんだかうまく合わせることができない。眠りから覚めたばかりの朝のような気分で立ち上がり、伸びをするように体をそらせてから、美容師に従い、鏡の前まで歩いた。
「カットでよろしかったでしょうか、今日はどんな髪型にいたしましょうか?」
初めて入った店だった。いつものように<いつものように>と、一言ですませてしまうことはできない。
鏡の中の自分を見た。
「お眼鏡、お預かりいたします」
アンバーのかかったグラスを外して美容師に渡した。
鏡の中には知った男がいた。そりゃそうだろう、これは私なのだから。
だが待てよ、と思った。「彼」を、と私は、鏡の中を見て思う。彼を知っている。ついさっき、そうか、雑誌の写真で……。
片目を瞑って確かめた。
了
怖かったこと(右手が綴った物語)