悲しみの空

悲しみの空

怖い、怖い、怖い。なぜこんなに怖いのだろう。なにがこんになに胸を締め付けるのだろう。許してくれてはいないだろう。ただ彼は受け入れただけだ。
なぜ受け入れたのだろう。むしろ怒ってくれた方がよかった。だって、完全にボクが悪いんだから。ボクが一方的に取り付けた約束を反故にしたのだ。怒られてしかるべきことをした。しかし、約束が果たせなかったという事実はゆらがない。

ボクが悪いのはわかっている。なぜ彼は受け入れたのだろう。ボクに関心がないのか…。やはり、ボクのことなどどうでもよかった…?
彼女がいれば、彼女のそばに居られたら、彼にはそれでいいのかもしれない。
もともと、いつでもボクの方から押しかけていた。遊びに行く約束も、学校を同じにと約束したのも、ボクが言い出したからだ。よく彼の家に押しかけたのも、ボクがそうしたかったからだった。ボクがすることなんでも、彼はにこやかに受け入れた。だから、ボクは嬉しかった。彼がボクを疎ましく思わないことが、ボクの言動に笑っていることが、とてつもなく嬉しかった。彼といるといつでも心が踊った。そばにいるだけで、満足だった。
でも、それも彼女が現れるまで。彼女はボクがいた場所を奪って行った。彼の隣で笑い、彼を笑わせるのは彼女になった。ボクは初めて、彼を奪われた。奪われた…。この表現が正しいかはわからない。彼は好きでボクの隣にいたのではない。ボクがそうなるように彼を縛っていたから、彼はボクのそばに居た。それだけのこと。それだけのことでも、嬉しかったことには変わりはない。ただ、そばに居てくれる。それがボクの幸せだった。だけど、もうボクのそばに彼は居ない。彼は彼女のそばを選んだ。初めて自分から、選んだのが彼女だった。


ボクは初めて、人を憎らしいと思った。彼を奪った彼女が憎らしかった。しかし、彼女はとても優しい人だった。彼女の良い面をボクは知っている。いくら憎らしいとはいえ、彼女を嫌いになることはできなかった。彼女の笑顔や気遣いに何度も助けられていた。心に染み付いた、彼女への敬愛の念は、ボクの醜い感情一つで揺るぐはずもなく、ボクは自分を持て余していた。この憎しみからくる怒りを、どこかにぶつけたかった。憎しみという一番嫌う感情を持ってしまったボクを、罰して欲しかった。

そのボクの持て余した感情が向かう先は、彼だった。
彼に一方的に約束を取り付けた。ボクが行きたくても行けない場所に行く約束。行こうとすると胸が苦しくなってうずくまってしまう場所。行こうとするだけで、怖くて一歩も出られなくなる場所。
そんなボクの状態を知らない彼は快く応じた。彼女がいなかった時のように、ボクの好きな低い優しい声で、にこやかに応じた。


約束をした日。やはりボクは家から出られなかった。怖くて、怖くて、どうしようもなく怖くて、布団のなかで丸まっていた。なにも感じたくなかった。五感を使うことを拒否した。
朝からずっとそうして、外界と自分を完全に切り離していた。気がつくと、夜中だった。ボクはゆっくりと布団から出て、水道水をコップ一杯飲んだ。自分が思っていた以上に喉は乾き切っていた。ふと机の上に目をやると、携帯の明かりが、着信があったことを告げていた。
ボクは血の気を引くというものを初めて味わった。慌てて携帯を開くと、何度も彼からの着信があり、メールも何通も入っていた。着信は待ち合わせ時間の30分後から何件か入っていたが、2時間をすぎてから、来なくなっていた。着信がない分、メールがその後何十痛と届いていた。
ボクはありがたさと同時に恐怖を感じた。留守番電話は入っていなかった。怖いのは、メールの方だ。何が書かれているか、わからない。ボクを罵る内容だったら…。考えるだけで震えが止まらない。開けようか、開けまいか。恐怖で泣きそうになっているところへ、彼からのメールがきた。いきなりのことで、思わず開いてしまった。

「気にしないで、お大事に」

たったそれだけの内容だった。
怖かった。彼に体調が悪くて行けないかもしれないと伝えてはいたが、この文体が怖かった。


「ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい」

ボクは一人、布団の上にうずくまって携帯を抱きしめ、そう呟き続けた。
ボクは彼を完全に失った。

悲しみの空

悲しみの空

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-06

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