シャーロック・ホームレス
注意:ルビを振っていません
ファイル一「再開捜査」
ファイル一「再会捜査」
家が無い。金も無い。テレビも無い。ラジオも無い。車もそれほど走ってない。バーも無い。飯は一日二度食う。俺はさも東京へ行きたそうに脳内で歌う。ダンボールの中で歌うと反響しない。むしろ外へ駄々漏れだ。誰かが聞いていたら恥ずかしいからな。
ああ……ひもじい。ホームレス生活を始めて早三年目だが、どうもこの生活には慣れそうに無い。高校を卒業してからというものの、都会からほんの少し外れたこの河川敷で簡素なマイフェーバリットダンボールハウスに住んでいる。
そもそもどうしてこうなったのだろうか、俺は昔から頭が良く、高校の考査ではいつも総合順位一位という名誉ある地位を獲得していたのだ。それなのに大学にも行かず、どうしてこんな所でこんな生活をしているか。
そもそも大学に行かなかったんじゃない、行けなかったんだ。
「はい、今日もご飯持ってきたよ。今日はカレー、おかわりは流石にないかなあ」
過去を振り返ろうとしていたら突然妹がブルーシートの扉――カーテンのような何かをくぐって入ってきた。手に持っているのは手ごろな大きさの手鍋。カレーと言っていたが、ここまで運んでくるまでどれだけの時間がかかったのだろうか。
「おう、ありがとう。いつもすまんな……」
手鍋を手に取る。手で握るところは当然のごとく妹の美央が握っているので俺は鍋の鉄の部分――もっと具体的に言うと側面を持つことになる。普通なら熱くて持てないのだが……やはり持てた。
「まあやっぱり冷めてるよな、うん」
「文句言わないの! わざわざ作って持ってきてるんだから。ほらこのカレー、野菜がごっろごろ入ってるよ」
俺は手鍋の蓋を開ける。そこにはカレーライスが入っていた。よかった、米もちゃんと入っている。もしかしたらルーだけなんじゃないかと心配したのだ。
美央の言うとおり、野菜がごろごろ入っている。これは栄養も取れてお腹も膨れるのでありがたい。
「ん、いい具合にごろごろしてるな。俺の日常生活のようだ」
「それは寝転がってるだけでしょ、お兄ちゃんと一緒にしたらお野菜がかわいそうだよ」
美央はいつものことながら俺を底辺扱いする。いやまあ職も家もなく、食べ物や生活用品の全てを妹とその引取り先に頼っているパラサイトホームレスなんて人生のカースト制度で言うと底辺なのかもしれないが。
「んじゃまあ、明日の朝に鍋回収しに来るから! じゃねー! あ、それと明日はお楽しみに!」
美央は元気良く手を振りながら出て行った。お楽しみにとは一体どういうことだろう、俺の大好物でも食わせてくれるのだろうか。何はともあれ俺は最底辺の人間ながらもこうやって飯が食えるのだ、感謝していただくとしよう。明日は一体何があるのだろうか、楽しみだな。
学校に行く前の妹に叩き起こされるので、パラサイトホームレスの朝は常人より非常に早い。かといってもラジオ体操をしている早起きおじさん達よりかは遅い。
「ん、鍋だ。カレーありがとうな、うまかった」
「いえいえどういたしましてユアウェルカーッンメ」
俺は綺麗に空になった手鍋を美央に手渡し、代わりに今日の朝ごはんを受け取る。今日の朝ごはんは……コロッケだ。
「こ、こ、こここ! コロッケ! お前これコロッケじゃないか、ホームレスになって以来食べてなかったのに! お前これどうした!」
俺は無類のコロッケ好きなのだ。それはもう狂おしいほどに。
「お兄ちゃん落ち着いて、コロッケはそんな珍しいものじゃないよ!? 海賊も欲しがらないし、盗賊も欲しがったりしないよ?」
しかもこのコロッケ、冷めているとはいえものすごくサクサクしていそうな触り心地……! 袋の上から触っているだけでも伝わるこの質感、これは間違いなく……うまい。
なんだこのコロッケ、俺が食べたことのあるどのコロッケよりもうまいぞ。これを作った人の顔が見たい、きっとすごくいい顔をしているのだろう。
「お前このコロッケ、本当にどうしたんだ? こんなうまいコロッケは初めてだ」
「気になる? 気になっちゃう? なんと! 今このコロッケを作った人が私の後ろに居るのでっす!」
なんだと……俺は慌てて立ち上がり、美央の背後に居る人影を覗こうとする。しかし、見えない。
「じゃあ私は学校行くから、お兄ちゃんまたね!」
そういって美央はここから去っていく。すると美央の後ろで待機していた女性の姿が見えた。
「おはよう、聡明君」
俺の名前を呼ぶその女性はとても美しく、長い黒髪がシャンプーのCMの出演者のように綺麗に伸びている。胸も大きく、かといって全体的に肉つきが良いわけではない。
黒いワンピースに身を包み、無表情で立っているこの美女は何故俺の名前を知っているのだろう。
「もしかして覚えていないの?」
「どこかでお会いしましたっけ」
目の前の美女は呆れたようにため息を吐きながら、まあそうか覚えてないよね仕方が無いかという風に苦笑する。
「真希お姉さん、といったら分かるのかしら」
真希お姉さん、その名前には聞き覚えどころか非常に馴染み深く懐かしいものがある。高校生時代、通いつめていた探偵事務所の女探偵。俺の羨望の的。
「え、真希お姉さん……?」
「もう私のことをお姉さんという歳ではないでしょう、あなたも二十歳超えているのだし」
言われてみれば声や顔つきなどが真希お姉さんそっくりだ。いや本物なのだろうが……ただ、俺の知っている真希お姉さんとは違った表情をしている。だから気づかなかったのだろう。
「ああ、じゃあ真希さんとお呼びします」
「そうして頂戴」
真希お姉さん改め真希さんは勝手にマイフェーバリットダンボールハウスに上がりこんでくる。ブルーシートの床がヒールで踏みつけられ、悲鳴を上げる。
「それにしても探してた人がこんな生活をしているとはねえ」
「探してたんですか?」
何でだよ、確かに何も別れなどは告げずにこの家に来たが、探されるほどに仲が良かった覚えも無い。ただ、俺が一方的に憧れていただけだ。優しいお姉さんであったことは確かだが、それでも探す理由にはならない。
「ええ、貴方を助手にしようかと思って探してたのよ」
「助手ねえ……え? 助手?」
助手、ということは探偵のお手伝い。ワトソン君のようなもの。いいやいくら頭が良いからといってそれは無理だろう。第一俺が昔手伝った事件なんてそんなたいしたものじゃなかった。
「貴方が適任なのよ。数年前の私を知る貴方にしか出来ない仕事」
「いやいやいや! 俺には無理ですって、探偵の助手なんて」
「仕事を与えてやるって言ってるのよ? いつもいつも食べ物だって恵んでやってるんだから、逆らうんじゃないわよ」
食べ物だって恵んでやっている……? ということは今日のコロッケだけではなく昨日のカレーも、一昨日の肉じゃがも全て真希さんが作っているということか?
「ということは……妹の引き取り先って」
「私の家よ」
衝撃の事実、妹の引き取り先は高校時代お世話になっていたお姉さんの家! 通りで金回りが良いわけだよ、金持ちに引き取られたんだからなあの幸せものめ。
「だから貴方は私に借りがある。昔色々助けてあげた恩もある。断れるはずないわよね?」
それにしても、真希さんの口調や性格や雰囲気は数年前とは比べ物にならないくらい冷たくなってしまった気がする。前はもっと温かみがあったのだ。良く笑うし、いつも笑顔で仕事をしていた。仕事以外のときも、笑顔だった。しかし今は笑わない。
「……それはそうですけど」
「どうするの? やるの? やらないの?」
逆らってはいけないと本能が告げていた。それに、仕事なんてやりながら覚えるものだ。今から心配していても始まらないことは確か。そうやって心配性で奥手になっているからいつまでたっても社会不適合者なんだ。ここは一気に踏み込もう。
「やります、やらせてください」
「交渉成功ね。じゃあ早速仕事に取り掛かってもらうわ、ついてきて」
そう言われ、俺は真希さんについていく。するとそこには高そうな外車が待ち構えており、それで真希さんの事務所まで向かった。
事務所の中は数年前と変わらず簡素だが落ち着く室内。懐かしい匂いだ。白い壁に茶色いデスク。黒のソファーに小さいテレビ。数年間姿を見ていない文明の利器の数々。懐かしい。
「今日も依頼が入ってるの、私人気だから。まあ依頼主は小学生よ、初仕事だから簡単なものにしたわ」
そう言って真希さんは懐かしんでいる俺にファイルを投げる。小学生の依頼主か、昔も良くあったな。この事務所のモットーは「小学生のプリンから人まで何でも探します!」だからなあ。まあもちろん人探し以外の依頼も受け付けている。
「そこに今日の依頼の概要が書いてるわ、読んでおきなさい」
依頼者は河野卓という小学五年生の男の子だ。依頼内容は喧嘩の仲裁――簡単に言えば仲直りの手伝い。同じクラスの東朝日という女の子と喧嘩をした。原因は朝日の机の中に入れられてあった一通の手紙。
それはラブレターであり、それが毎日机の中に入っていたそうだ。内容は日替わりメニュー。その犯人を自分だと決め付けられた卓が激怒し、喧嘩が始まった。
「なるほど、結構ややこしい喧嘩ですね」
「まあそうね、小学生にしてはドロドロしてるわね」
依頼の内容は理解した。だが、どうしても気になることがある。
「真希さんは、どうして俺らが家無し子になったか美央から聞きました?」
「ん? ええ、聞いたわよ。当たり前じゃない、流石に事情も知らない人を家に置いたりしないわよ。父親が事業に失敗して、家を買い取られて両親は
離婚。その後父は行方不明で、母親と妹は自分の居場所を見つけたにもかかわらず、見つけられなかった貴方は最底辺の生活をしている。でしょう?」
うわあ、全て合っている。どこにも間違いは無い……いや違うな。
「意義あり! 居場所ならある、あの河川敷だ」
「あれは貴方だけの場所じゃないわ、よって私的な居場所ではない。はい論破」
言われてみればそのとおりだ。なら俺は居場所が無いことになるな、正解だ。間違いなんてどこにもありゃしない。しかし、他人に言われて気づいたが本当にドラマとか小説とかで良くありそうな話だな。
「そんなことより、依頼者のところへ行くわよ。早く解決しないともっとドロドロになるわよ昼ドラみたいに」
「あ、はい!」
依頼者の男の子、卓君は俺のみすぼらしい姿を見て顔を引きつらせている。素直に言っていいんだぞ子供なんだから。
「卓君、今日はよろしくね。助手連れてきたから、好きなだけこきつかってやって頂戴」
「ああ、助手なんだこのおじさん」
おじさん……そんな歳じゃない、まだ二十一だ。まあ小学生からしたら十分におじさんか、無精ひげがその認識を促しているのだろう。
「んで、喧嘩の仲直りの手伝いだったよな。でさ具体的にはどうしてほしいんだ? このファイルに書いてあることは抽象的すぎて、状況把握もできてないしこれじゃあ動くに動けんぞ」
「具体的に……手紙のことは誤解だっていうことをちゃんと朝日ちゃんにわかってもらいたくて。その上でちゃんと、また仲良くしたいんだ」
なるほど、手紙を書いたのは自分じゃないということを証明すればいいということか。となると一番手っ取り早いのは犯人探しだな。
「まあとにかくその朝日ちゃんにも話を聞かないことには、わからないな。手紙は朝日ちゃんが持ってるのか?」
言いながら思ったが、自分のストーカーからもらった手紙なんてそうとっておくものだろうか、粉々に破って捨てたりしてたら面倒だな。
「ううん、気味が悪いからって僕に渡されたんだ」
よかった、ちゃんと残っていた。これは大切な証拠品であり、手がかりだからな。
「今持ってるか?」
「うん、持ってるよ」
卓君は鞄の中から八通の手紙を取り出して、俺に渡す。俺はそれを受け取り、封筒を入念に調べる。それを真希さんは見ている。今回は俺の働きぶりを見るために、自分は介入しないつもりなのだろうか。
「どう? 何か気づいたことある?」
封筒の外面には何も書かれていない。俺は封筒を開ける。すると封筒の内側に数字と記号が書いてあった。「11+」という数字と記号。他の封筒を開ける。すると、全ての封筒の内側に数字と記号が書かれてあった。それぞれ「11+」「10+」「9+」「8+」「7+」「6+」「5+」「4+」と書かれている。
「この数字と記号、何か見覚えあるか?」
俺は封筒を卓君に見せる。
「いいや、見覚えないよ。どういう意味なのかさっぱり」
卓君は首を振っている。八通の手紙と謎の数字と記号、そして一通ごとに違う数字。
「なあ、手紙が机に入れられていた順番ってこの束ねてある順番でいいのか?」
「うん、そうだよ。僕が並べ替えたんだ」
ということは一通ごとに数字が一つずつ減っているということか。この手紙の書き手は一体何を思ってこんなものを書いたのだろう。ラブレターなら素直に名前を書いて一発勝負をすればいいのに。
とりあえず今はこれを考えていても始まらないな、中身を読もう。
中身は全て朝日ちゃんへの好意が述べられているものだった。しかし、その文面はどこか遠回りで、本当に告白をする気はあるのだろうかというもどかしさを感じる。
「この文章……気になるわね」
「どこですか?」
真希さんは三通目の手紙のある文章を指差す。
――俺は日の当たらない所にいる。当ててみて、そしたら俺は満足だ。
「この文章を見ると、ラブレターを送っている目的が思いを伝えてそれを成就させることではないと思えてきて仕方が無いの」
言われてみれば確かにそうだ。自分が誰かを当てることができたら満足だとこの文章では言っている。とすると何故こんな熱烈なラブレターを送っているのだろうか。
「とにかく、まずは朝日ちゃんに話を聞いてみるのはどうでしょう」
「それもそうね、もう片方の当事者の話を聞かないと客観性に欠けるし、できれば当事者の周りの子にも話を聞くわよ」
と、いうわけで朝日ちゃんの家に来ている。
「はい、どちら様でしょうか」
「私達、豊田探偵事務所の者なんですが……朝日ちゃん、いらっしゃいますか?」
「え……探偵さん? ちょっと待っててくださいね」
しばらくして少女が出てきた。どうやらこの子が朝日ちゃんのようだ。確かに可愛い、同じ歳の男子なら放っておかないはずだ。
「お姉さん達が探偵さん?」
「そうよ。ああ、そこの煤けた男は気にしないで。私の助手なのよ」
「煤けてるのは服だけだ! 俺自体は煤けていない。人を産業廃棄物か何かのように紹介しないでくれますか?」
まあ確かにどんな会社からも見捨てられたという意味では産業廃棄物かも知れないが。
「朝日ちゃん、何か困ったこととか……ない?」
ここで卓君の名前を出すのは得策ではない。ここは自分の口から吐き出させ、探偵であることを利用し、犯人を暴き同時に誤解を無かったことにするのが得策だろう。
「んー。ストーカー……かな」
よし、成功。さすが小学生だ、素直で話が早い。
「お兄さんたちに話を聞かせてくれないかな? ストーカーなんて聞いて黙ってはいられないからさ」
これで掴みは完璧だ。後はストーカー被害の消滅を依頼されればこっちは動きやすい。依頼を二つ受けることで、この事件は早く解決するのだ。
「うん、わかった。でもここじゃあお母さんに聞こえちゃうから」
「じゃあ私の事務所で話を聞きましょう、いいわね?」
「はい」
そうして再び戻ってきた真希さんの事務所。そこのソファーで向かい合って話を聞くことにした。真希さんが全員分のお茶を淹れる。
「じゃあ、どういう被害にあってるのか説明してくれる?」
同じ話を聞くことになると思うだろうが、これから朝日ちゃんがする話が、卓君の話と全く同じ話だとは限らないのだ。同じ出来事でも、人によって受け取り方が違い、その相違が真実を隠すということが多い。これは俺の学校生活をホームレスになってから振り返ることで学んだ知恵である。
「ある日ね、朝学校に来たら私の机の中に一通の手紙が入れられてたの。なんだろう? って思って中身を見たらラブレターで、うれしかったんだけど宛名が無くて放置してたの」
ここまでの話で相違点は無い。俺はメモを取りながら話を聞く。
「それでね、次の日も学校来たら入れられてて、次もその次の日も……って続いていって。怖くなって友達に相談したの、そしたら、同じクラスだし、卓君が私のこと好きだからきっとそれは卓君が入れたんだよって言われて、納得して」
なるほど、だから卓君が疑われているのか。理由はわかった。そんな理由で納得するのもどうかと思うが、そこは小学生なのだから仕方がないだろう。それにしてもいい趣味をしているじゃないか卓君。
「その卓君っていう子は、友達?」
「うん、友達……でも喧嘩しちゃったの。卓君は自分じゃないって言い張ってて、その時は私、卓君が犯人だって信じて疑わなかったから。喧嘩になっちゃって」
喧嘩になっちゃった、ということは不本意なのだろうか。話し方は少し後ろめたさを感じるようなどんよりとしたものだった。
「でもそれだと卓君が犯人だと決め付けるには早いよね?」
「うん……今になって私もそう思うんだ……だから、探偵さん! 真犯人が居るなら、その真犯人を見つけてください!」
依頼の成立。これでこの件に関してこの子の協力を得ることが出来る。協力するのは俺の方じゃなく、君の方なのだ。普通ならこの時点で仲直り自体は可能だろうと思うのだろうが、それでは意味がない。卓君が犯人ではないと証明できない限り、真の和解は得られない。
「わかったよ、絶対真犯人を見つける。その代わり、君にも少し協力してもらうよ。でなければ解決はありえないからね」
「何か策があるのかしら?」
策か……そんなものは無くても作るさ。無理やりな。とりあえず俺達にある手がかりはこの手紙の暗号と文章だけ。ならその暗号を解けばいい。
「この封筒に書かれてある数字と記号が何を意味するか、それを解読します。まあもっとも、抽象的にはもう分かってます」
「ほう……」
そうなんですか、と朝日ちゃんが手紙から遠ざかりながら首を傾げる。
「これは送り主の名前だ。三通目の手紙のある一文には、”俺は日の当たらないところにいる、当ててみろ。そしたら俺は満足だ”とある。当ててみろ、
ということは当てる材料――つまり手がかりが書かれていないと不自然だ」
そう、自分の存在に気づいて欲しい人間が、何の手がかりも残さないはずが無い。何かをして欲しいのなら、何かが欲しいのなら、それを理解させるために何かを与えるはずなのだ。
「つまりこの暗号は送り主の名前、もしくはそれに通ずるもののはずだ」
「そうね、正解よ」
真希さんはやっぱり全部分かっていて黙っていたのか。ということは、やっぱり今回は俺の助手としての力を試す機会。恐らく最後の最後まで答えを言うことは無いのだろう。さっきみたいに、ヒントを出すことはあっても。
「その暗号を解けば誰がこの手紙を机に入れてるのかがわかるんですね!」
「その通り」
まあもっとも、どうやって解こうかというのは未だに検討がついていない――わけでもないのだが、その答えがどういうことか、何を指し示すのかが俺には良く分かっていない。
「とりあえず解き方だけはもうわかっている」
「本当!?」
そう、解き方だけは。
「この手紙は全部で八通。そして一通目の手紙に書かれていたのは11+という数字と記号だ。それから二通目、三通目と手紙の数が増えたら数字は小さくなっていっている。そしてこの+、これは足し算だ。何を足すのか、数字に足せるのは数字しかない。となると足せる数字はおのずと手紙の枚数になる。11に1を足せば12になるから、送り主は12に関係する人物だと言える」
説明を終え、俺は真希さんを見る。頷いている。正解だ。しかし、ここまではさほど問題ではない。小学生が考えた暗号なんて解けて当然だ。問題はむしろここからだ。この12とは何の数字なのか、それを考えなければならない。
考えられるのは二通り。出席番号。もしくは机の位置。これら二つのうち、どれなのかを絞らなければならない。そして机の位置を調べる場合、左端から縦に数えるのと横に数えるのでは12の位置が違うということが問題だ。ということは、あらゆる数え方をしなければならない。
「じゃあ、12が何の数字なのか私が調べてくるね!」
朝日ちゃんが元気良く手を挙げる。よし、これでどうして調べるかという問題はクリアした。
「じゃあ、クラスの机を十二個、いろんな数え方で数えて、そこが男子か女子か調べて貰える? あと、今クラスの名簿みたいなの持ってない? 持ってたら見せて欲しい」
朝日ちゃんはちょっと待ってと、鞄から名簿表を取り出す。それを受け取り、俺は十二番の名前を確認する。男の名前だ。これで机が全部外れなら全てが丸く収まるのだが。
「ありがとう」
朝日ちゃんに名簿表を返し、明日学校で調べてくるようにと念を押して、朝日ちゃんを帰らせた。
捜査は引き続き明日に回される。
「お疲れ様、まあ上出来なんじゃない」
「まあ疲れますよ……子供の相手なんて、普段しませんし。久しぶりにこんなに頭使いましたし。自分の脳はもう化石みたいになってると思ってましたよ」
正直、助手なんて務まるとは今でも思っていない。今は小学生の依頼という簡単な依頼だからいいものの、もっと難しい人探しの依頼とかになってきたら俺はうまくやれる自信が無い。
「貴方のその脳が化石なら、美央ちゃんの脳はもう消し炭になってるわね」
酷い言われようだ。美央は馬鹿だ、それは認める。しかし時にはいいアイディアを出すのだ。時には、な。
「まあ、貴方も今日は帰りなさい。また美央ちゃんにご飯持って行かせるから」
目覚めが微妙に悪い朝、先日の晩御飯の残骸を美央に渡す。昨日の晩御飯はとても濃厚で、かといってしつこくは無い、とても良い味をした真希さんお手製のクリームシチューだった。
「お兄ちゃん、昨日から真希さんの助手してるんだって?」
「そうなんだよ、なんかいきなり抜擢されちゃって」
なんだ真希さんは結構美央とは話すのか。昨日受けた印象だと、家ではかなり無口なのかと思っていた。まあそもそも数年前までは家でも外でもかなり流暢に楽しげなおしゃべりをする人だったのだ。
「お兄ちゃんが探偵の助手とか……似合わないなー。まあ、なんにしても仕事が見つかってよかったね! お金貯めて、アパートの一室でも借りられるじゃん! そしたら私も来なくて良くなるね」
「そうだな」
美央は俺に今日の朝ごはんを渡してくれる。今日は卵を乗せて周りにマヨネーズをかけて焼いたなんとも食欲をそそる見た目と匂いがするパンだ。
「まあ頑張って! ちゃんとした居場所を見つけるんだよー。んじゃま、学校行ってきます!」
「ああ、いってらっしゃい」
パンをかじりながら美央に手を振る。にしてもこのパン……うまいな。冷めてもうまい料理というのは、腕が達者ではないと作るのが困難だと聞いたことがある。真希さんは探偵よりも料理人の方が向いているのではないだろうか。
朝の支度を済まし、事務所へと出勤。真希さんはゆったりとソファに腰掛けている。朝日ちゃんは放課後にしか来ないので、それまでは真希さんと書類整理などの仕事をしているのだが……会話が無い。俺がここへ来てから交わした会話というのは挨拶と、仕事内容の伝達だけだ。三時間くらい会話が無い状態が続いている。
気まずい。耐えられない。話しかけよう。聞きたいこともあるしな。
「あの……真希さんはどうして俺を助手にしてくれたんですか」
無言で窓を拭いていた真希さんの動きが、まるでストッピングの演技でもしているかの様にぴたりと止まる。
「必要だったからよ。数年前も良く手伝ってくれたから。それに……」
「それに?」
真希さんは再び雑巾を持つ手を動かし、窓を拭き始める。
「なんでもないわ。何かを知るということは何かを失うことにもなるの。気にしないでおくことね。私の変化も、貴方を探した理由も。そのうち知ることになるでしょうし」
真希さんが雑巾を絞る。
本人が話したく無いなら、無理に聞いたりはしない。だが、そんな遠まわりな言い方をされるとものすごく気になる。何かを失うことになっても、何かを知るということは大切だと思うんだけどな。
「わかりました、今は聞かないでおきます。知る時が来るまで」
「そうしなさい……さあ、お昼の時間よ」
真希さんは持ってきた二つの弁当を机に並べる。弁当が二つ……二つ?
「何ぼーっとしてるの? これ、貴方の分よ。食べなさい」
一日三食……こんなのは何ヶ月、いや何年ぶりだろうか。弁当の蓋を取り、中身を見る。卵焼き、から揚げ、ピーマンと牛肉の炒め物に米。なんという豪華な、そして弁当らしい弁当なのだろうか。
「……い、いただきます!」
その弁当はやはり冷めていても異常に美味しく、本当に料理人になったほうが良かったんじゃないかと思った。
「ご馳走様です、ありがとうございました。すごく美味しかったです……まあ、いつもですけど」
食べ終えて、弁当箱を片付ける。ありがとうと言う真希さんの顔は、やっぱり固い。いつか、真希さんの真実を知った時、また以前のような表情で笑ってくれるのだろうか。
お昼ごはんを食べてから数時間がたち、もうすっかり夕方になった。学校が終わってから急いで事務所を訪れた朝日ちゃんに、冷えた麦茶を出し、落ち着かせる。
「ありがとうございます! もう大丈夫です」
「じゃあ、いきなりだけど聞いていい?」
昨日頼んでいた調査の結果報告。
「机は、ほとんど女の子のでしたが、二つだけ男の子の机がありました。あ、でもその二人は私以外に好きな人が居るので、送り主じゃないと思います」
なんとも楽な方向へと進んでくれたものだ。これで送り主候補は一人に絞れた。
「じゃあ、送り主は出席番号十二番の――」
「それは有り得ません」
ビシッと決めようとしていたところを朝日ちゃんに遮られる。有り得ない、どうしてだろう。十二番は男子だ。まさかまた好きな子が居るパターンか?
「十二番の子は……三ヶ月前の夏に、交通事故で死んでいます」
交通事故で死んでいる……? なんということだろう。しかし、それならばこの十二という数字は何を意味するのだろうか。いや、そこまで遡る必要は果たしてあるのだろうか。頭が混乱する。
「それは予想外だったわね……ということはこの十二というのは……」
「ちょっと待ってください、考えます」
混乱した頭を冷やすために、冷蔵庫の扉を開けて、頭を入れる。何を酔狂なことをしているんだこの男はと二人に変な目で見られているが気にしない。これが一番頭が冷えるのだ。
こう言うときは、まだ解決していない手がかり、未だに気になっていること、それを解決するに限る。俺が気になっていること……。
手紙の内容を思い出す。そう、あの一文だ。俺の頭の中で引っかかって抜けない「俺は日の当たらない所にいる。当ててみて、そしたら俺は満足だ」の文章。日の当たらない所とは一体どこなのか。
俺は再びソファに座り、手紙を一から読み直す。
「お兄さん、何をしているの?」
「もう一回手紙を一から読んで、十二という数字の意味と、この文章にこめられた裏の意味を読み取ろうとしてるんだ」
こういう「日の当たらない所にいる」のような遠まわしで、多数の解釈が可能な表現を用いている場合、その文章には裏があることが多いのだ。
俺は日の当たらない所から連想し、暗いイメージのある単語と、場所に関係する単語を抽出する。
「へえ……貴方、本当に頭良いのね」
「真希さんがそれを言うのは意外でした……っと、出来ました」
抽出完了。俺は取り出した単語と、使われた回数を見やすく表にまとめる。
「暗い、という言葉が四回も使われ、月や雲という言葉も二回ほど。月や雲に関しては、月に近い場所、雲に面した場所という場所に関係する言葉でも登場しています」
日が当たらずに暗く、月に近い、雲に面した場所……これらが持つ共通のイメージ。それを見つけ出す。まあ、抽出した段階で俺にはもう答えは出ているが。
「これが一体どういう意味か、朝日ちゃん、分かる?」
「四回も暗いって言葉が使われてるんだから、その子の心が暗い……とか?」
子供らしい素直な解釈だ。しかし、違う。
「もったいぶらないで、答えはすでに出ているのでしょう?」
「はい……分かりました。言いましょう。これらが持つ共通のイメージ、それはつまり死です」
真希さんは数秒考えこんで、納得したように頷く。朝日ちゃんはずっと首を傾げたままだ。まあ、仕方が無いだろう。
「一番分かりやすいところから説明します。月に近く、雲に面している。これは天上にある場所ということ。つまり天国です。日の当たらない、暗い、というのは一般的に小学生が死に対して抱いているイメージでしょう。つまり、十二という数字は出席番号で間違いは無い」
そう、間違いは無いのだ。しかしこれは死者からの手紙などではない。そんなものが存在していいのは漫画の世界だけだ。
「幽霊さん?」
「違うよ、朝日ちゃん。これは他の誰かが書いたんだ」
そして俺には、この手紙を誰かが書いたという確証がある。死者からの手紙に見せかけた手紙を送ることの動機も、俺にはもう既に見当がついている。それが正解かどうかは、本人に聞かなければ分からないが。
「どうして?」
「それは本人に聞けば分かる」
「どうやって送り主を見つけるのか、策はあるのかしら」
そう、問題はその送り主を見つける方法だ。こればかりは俺にはどうしようも無い。真希さんにもだ。何故なら俺達は小学校に入れないから。保護者でも無ければ関係者でも無いのだから。ならどうやって送り主を見つける? それは簡単だ。居るじゃないか。この場でただ一人、小学校に入れる人物が。
「朝日ちゃん、お願いがあるんだ」
「はい?」
朝日ちゃんはまた首を傾げる。話にうまくついていけていない様だ。
「明日誰よりも早く学校に行って、黒板にこの暗号を書いてくれ。その下に、暗号解けました、心当たりある人は放課後にどこどこに来てくださいと書くんだ」
なんとも原始的かつ短絡的な方法だなと、自分でも思う。しかし、相手は小学生だ。そういう方法のほうが食いつきやすい。大きい釣り針の方が逆に小さい魚を釣りやすいのと同じだ。
「分かりました! やってみます」
そうして朝日ちゃんは宿題をするために家へと帰り、俺も今日の仕事は全て終わり、ダンボールとブルーシートの家へと帰る道の途中。ある不審な人影を目撃。
「駄目だ、駄目だ駄目だ。今じゃない、うん、そうだ。今じゃない……豊田は……」
そう呟きながら、夜の闇の中をウロウロするパーカーを被った人間。声からして恐らく男性。豊田、とはあの豊田なのか、それとも世界に何人も居る別の豊田なのか。少し気になったが、恐らく後者だろう。
それに、今じゃないらしい。だから通報する必要も無いだろう。
俺は大して気に留めず、家に帰った。明日、朝日ちゃんはうまく事を進めてくれるだろうか、うまく手紙の送り主は釣れてくれるのだろうか。送り主が釣れた場合、事務所へとそのまま連れて来ることになっている。
心配しても始まらない。もう寝よう。
そうは言ったものの、どうしても心配になってしまい、事務所での事務作業がうまく手につかない。それは真希さんとて同じようで、キーボードを叩く音が、昨日よりも控えめだ。
「あの方法で本当にうまくいってるのかしら」
「さあ……あとは本人次第って感じですからね、あの作戦」
そう、探偵ともあろう者が最終的に犯人を確定するのは依頼者任せなのだ。まあ、それも仕方の無いことと割り切ろう。どこぞの小学生名探偵みたいに常識外の捜査は出来ないのだから。
「失礼します」
事務所のドアを開いて入って来たのは朝日ちゃんではなく卓君だ。真希さんが呼んでおいた特別ゲスト。仲直りをするのなら、事の真相を卓君にも知って貰いたいからだそうだ。
「どうぞ、そこに座っていいわよ」
そしてしばらくしてまたドアが開く。今度は朝日ちゃんだ。そしてその背後には、見知らぬ男の子の姿。
釣れたか。
「どうぞ、入って。そこに座って」
俺はソファーから立ち上がり、朝来たら用意されていた助手席に座る。朝日ちゃんと卓君が隣り合わせで座り、男の子と向かい合う形だ。
「朝日ちゃん、その男の子が?」
「はい、そうみたいです」
俺は男の子を見る。地味で冴えない見た目をしている。俺が見ると男の子は慌ててうつむいてしまう。
「ねえ君、名前はなんていうのかしら。ああ……そこの薄汚い、煤けた、バーベキューをした後の灰の残骸みたいな男は気にしなくていいわ、私の助手だから」
なんかレベル上がってないですか、大丈夫ですか。いや大丈夫じゃないです、俺が。
「矢田部奏氏です」
「矢田部君ね、覚えたわ。ところで、この手紙に見覚えはあるかしら?」
真希さんは淡々と話を進めていく。慣れてるな。まあ、当たり前か。本職だし。
「はい……それは僕が書いたものですから」
自白。これで事件は解決だ。しかし、まだ謎は残っている。そう、動機だ。どうして死者を装って手紙を書いたのか。それを聞かずしてこの二人の仲直りは完全には成し得ない。
「じゃあ矢田部君、どうして亡くなった出席番号十二番の子を装って手紙を毎日朝日ちゃんの机の中に入れたのかな」
矢田部君は、少し躊躇い、やがて意を決したように頭を何度も横にぶんぶんと振った。
「あいつが死んでまだ三ヶ月。そう、僕の中では。でもみんなの中では、もう三ヶ月なんです。それが嫌で、あいつが忘れ去られそうで。それで僕は、皆が忘れるのは構わない、仕方の無いことだと思いました。でも同時に、東さんだけには、忘れて欲しく無かったんです。あいつは東さんのことが好きだったから。だから、代わりに想いを伝えて、存在も覚えていて貰うように印象付けようと暗号まで考えたんです」
矢田部君は、真実の全てを語ってくれた。自らの口で、自らの想いを言葉に乗せて。俺が小学生のころは、絶対こんな真似は出来なかったなと思い、思わず笑いそうになった。
「でも、それでストーカー騒ぎになって、卓君に迷惑かけて、東さんを傷つけたことは事実です。それは本当に……すいませんでした」
ちゃんと自分の悪いところを自覚して、謝ることが出来る。そんな人間が、許されないわけがない。
「良いんだよ……それに、忘れないよ。同じクラスで過ごした大切な友達のことなんて」
「僕も、気にしてないよ。誤解は解けたみたいだし」
これで全てが万事解決。この事件は落着した。この子達はきっとこれから先もうまく人生を歩んで行けるのだろう。俺みたいに、ホームレスにはならなさそうだ。
「探偵さん、本当にありがとうございました!」
「ありがとうございましたっ!」
「ありがとうございました」
三人のありがとうございましたが胸にしみる。とても清清しく、気分がいい。なんだか温かい気持ちになる。人のためになるというのはとても清清しいものなのだと、この時初めて思った。
三人は仲良く事務所から出て行き、これで依頼は終了。もうあの三人がここを訪れることは無いだろう。けれど、この経験をしたことで、人の痛みをあの子達は知った。だから、俺は胸を張っていよう。あの子達の成長に、恐らく、一役買っているのだから。
「ああそうそう、今回は小学生相手の依頼だったから……給料は出ないわよ」
「え!? そんな殺生な! 俺こんなに頑張ったじゃないですか!」
「それとこれと話は別よ。報酬金貰えなかったんだもの、当たり前じゃない」
そういえばそうだ。いやまあ、小学生からお金を取ったところで俺の生活の足しになったり、俺の夢の賃貸アパート生活への資金の足しになったりはしないのだが。これだけやっておいてタダ働きとは……。
「でもまあ……得られるものはあったはずよ。それに、これからもじゃんじゃん仕事して貰うから、覚悟しててね。次からはちゃんとした探偵のお仕事だって来るかもしれないわよ」
「そうですね。まあ、働き口が見つかったってだけでも大きな収穫ですよ。それに、金銭的には満たされなかったけど、精神的には満たされましたし」
そう、お金で買えないものがあるのだ。所謂プライスレス。これはお金でもビザカードでも買えない。そんなものを報酬として貰ったような気がする。だから、いいや。
明日からも、仕事頑張ろう。
シャーロック・ホームレス
この小説の案を思いついたのはお風呂の中でした。いやあ、お風呂というのはアイディアの宝庫、泉ですね。一章は伏線張りと、起承転結でいう起に当たります。全四章構成にする予定で、応募原稿のために書いています。
その賞の応募原稿の推敲をしていない段階でここに載せているため、全章書き終わり、推敲をした時には、それが反映されます。