月の祓魔師

羽丘 優月(はねおか ゆづき)

正十字学園・高1(15歳)の女の子
祓魔塾の悪魔学担当講師になった
7歳から祓魔を学び、13歳で祓魔師となった
170cmと長身で、華奢。スレンダー(ぺったんこ)
基本的に落ち着いていて、目上の人に忠実
中一級の祓魔師。所有する称号は騎士、竜騎士(手騎士も勉強中)
武器は魔剣“アルテミス”(短剣)で、右太もも にベルトで固定している
後見人であるメフィストにもらった魔女帽を愛用していて、『アインス、ツヴァイ、ドライ』の手品?ができる
髪:明るい茶色でゆるふわロング
目:濃い青
誕生日:9月22日(秋分の日)

月光の加護を

「──優月。これが俺の“息子”、奥村雪男だ。仲良くしてやってくれ」

「よ、よろしくお願いします」

ある日。尊敬する人──聖騎士(パラディン)・藤本獅郎神父から、1人の少年を紹介された。

「よろしく、お願いします…。って、敬語はやめない?同い年なのよね?」

「はい。──あっ」

優月がクスクスと笑えば、雪男は顔を赤くして俯いてしまった。

「私は羽丘優月。私も今日から祓魔塾に入るの。お互い頑張りましょうね」

「…うん!」

「ま、優月でも雪男には敵わないだろうがな!雪男ならすーぐ祓魔師(エクソシスト)になれるぞ!」

「…それはわかりませんよ?いくら尊敬する藤本神父のご子息でも…祓魔師(エクソシスト)になるのは難しいって聞きました」

相変わらずだなぁ、と神父が苦笑する。

「えぇっ、優月さんと勝負なの?」

「なんだ?自信ないのか?」

「そ、そうじゃなくて…『仲良く』って言ったじゃないかっ」

「ん?あぁ、そーだったなぁ」

神父は自分の発言を思い出した。

「つまり──えぇっと、雪男くん?は、私と仲良くしたいということかしら?」

「え?!あ、その~っ…!」

顔を真っ赤にして慌てる雪男。

「…私、きょうだいも同年代の友達もいなかったから…嬉しい!」

心から嬉しそうに微笑むと、雪男も照れくさそうに微笑んだ。

「…ぼ、僕も、嬉しい…」

「優月…!しっかりして、優月!」

必死に呼びかける声。この声は…。

「…ゆき…?」

うっすらと目を開ける。

「!良かった…!痛むところは?」

「…大丈夫よ。ありがとう」

雪男の手を借りて立ち上がった。

「でも油断したわ…。ごめんなさい」

聖騎士(パラディン)・藤本獅郎の依頼で、雪男と2人で悪魔退治に来たのだった。

そして背後から襲われ、気絶していたようだ。

「ううん、不意打ちだったからね。…本当に良かったよ。優月がずっと目覚めなかったら、僕は…」

「そこまで弱くはない…つもりだけれど、心配かけてごめんなさい」

抱き起こしてくれた雪男に微笑み、魔女帽をかぶり直す。

「じゃあ、任務は終わったし、帰ろうか。父さんも心配してるかもしれないし」

「私も、任務完了の報告に行くわ」

教会へと歩みを進める2人。

「昔の夢を見ていたの」

「昔の…?」

「ゆきを神父から紹介されたときよ」

雪男は目を見開いた後、恥ずかしそうに顔を背けた。

「“雪男くん”は、私と仲良くなりたかったのよね?」

「よ、よく覚えてるね、“優月さん”。覚えなくていいことを…」

頭をかく雪男に、フッと笑ってしまう。

──刹那、空気が変わった。

「っ…?!」

「なんだ…?嫌な予感がする」

「ええ。とりあえず聖騎士(パラディン)の元へ…!」

雪男が駆け出し、銃を2丁、手に取る。

優月も走り、右太ももに手をやった。

そこにベルトで固定してあったのは、短剣の柄の部分だけである。

「“月光の加護を”!」

言って柄を振れば、聖なる光の刃が現れた。

その魔剣は触れた悪魔に苦痛を与える。

「うようよと目障りな…!」

バンバン、と通行の邪魔となる悪魔だけを雪男が撃ち殺す。

「でも、いつもと違うわ」

優月も目の前の悪魔を斬る。

「ああ、活発化している」

「…明確な目的地があるような動きね」

「まさか…」

雪男は放り投げた聖水の手榴弾を撃ち、数匹の悪魔をまとめて祓った。

「狙いは燐?──なら、力が…」

「だとしても、父さんが守ってるだろうけど。…そろそろ、僕の嘘も…」

「…話す日が、近そうね。私もかしら。──“聖光線”!」

優月が魔剣を振るうと、光の刃がレーザー光線となり、広範囲の悪魔を祓った。

「ふぅ。…空が明るくなってきたわね」

2人は武器を収め、教会を見つめる。

「行こう」

「ちょっと待って。服が…」

「あっ…」

雪男は急いで、祓魔師(エクソシスト)コートを脱ぐ。

「私に任せて。早く行って」

「ありがとう」

コートを渡し、私服で教会に入った。

「…」

魔女帽を脱ぎ、コートをその中に入れる。

パチンと指を鳴らすと、コートが消えた。帽子も手品(?)も養父譲りだ。

もう1度指を鳴らすと、優月の服装も私服へと変わった。

(魔女帽…は、燐の前でもいつも持ってるから、今更疑わないわよね…?)

燐とは何度も会っているが、こういうファッションだと思われているようだ。

優月も教会の扉を開けた。

まず目に入ったのは、放心状態でぐったりと座り込んだ燐だった。

少し離れた所に、この教会で働く修道士達が倒れている。

「父さん!!」

雪男が、血まみれで倒れている藤本獅郎を抱き起こしていた。

「…っ、藤本神父?!」

優月も青ざめて駆け寄る。

閉じられた両目からも血が流れている。

「…!!ゆ、ゆき…!」

すがるような思いで雪男の名前を呼んだが、彼は静かに首を振った。

「…そんな、まさか…!」

「…もう、手遅れだ。…僕は、こんな時に何もできないのか…!」

自分を責める雪男を、慰めて気遣う余裕なんてなかった。

聖騎士(パラディン)が──最強の祓魔師(エクソシスト)が…死んだ…?!)

「どうして…」

燐の肩がびくっと震えるのが見えた。

「…優月」

諫めるように雪男に呼ばれ、心の中で問うた。

(燐の力が目覚めて、悪魔が襲ってきて、それで…何があったの?)

訊きたくても、燐は混乱に加えて放心状態で、更に2人は何も知らないことになっているのだ。

どこまで話していいのかもわからない。

「……燐。みんなも、大丈夫?」

近くに倒れていた修道士が、なんとかといった様子で頷く。

燐は顔を上げた。泣いていた。

「…優月…」

「…少し休んだら?」

「…」

無言で頷いた燐は、降魔剣を持って自室へ入っていった。

「…神父、……」

たくさんの言葉を飲み込んで、ただ藤本の手を握りしめる。指が第二関節から引きちぎられていた。

込み上げてくる感情が、悲しみなのか怒りなのかもわからない。

「…父さん、ごめん…」

泣きじゃくる雪男を見ると、普段は冷徹に振る舞っている彼も、まだ子供なのだと思い出した。

「泣いて謝っても、お父上は喜ばないわ。自己満足に過ぎない」

冷たく言い放った優月だったが、その目には涙が浮かんでいた。

「…こんな、立ち止まって、感傷に浸っている場合じゃないわ」

「…どこに行くの?」

優月がふらりと立ち上がる。

「…フェレス卿の所よ。──貴方も休んだ方がいいわ」

「今は父さんの側を離れたくない」

「…そう」

周りの修道士達に会釈し、教会を出た。

無限の鍵を使えば、一瞬でヨハン・ファウスト邸の中だ。

この鍵を持つ祓魔師(エクソシスト)は優月だけである。

(…燐のこと、隠しきれないわよね…。やっぱり、殺される…?)

殺すなら、その役目は…誰が?

(ゆきには見せたくないわね…)

理事長室のドアは、ノックする寸前に開かれた。

「ずいぶんと朝早いですね、優月」

「…一番に報せるべく、急いで来たのですが、ご迷惑でしたか?」

(何でもお見通しなこの方が、気付いていないわけないけれど…)

メフィストに倣って三歩ほど進むと、執事のベリアルがドアを閉めた。

「いいえ。朝一番に貴女に会えて、私としては嬉しいですよ☆」

早く本題に入るべきなのだが、どういう順序で話そうか。

「おや、泣きましたね?もしや、奥村先生に無理矢理襲われ──」

「違いますっ!冗談だとしても、変な妄想はやめてください。セクハラですか!」

「セクハラだなんて酷いですね。貴女を元気づけたかっただけなのに」

メフィストに促され、彼と向かい合ったソファーに腰かける。

「それで?何があったのです?」

「…聖騎士(パラディン)である藤本獅郎神父が…亡くなりました」

少し俯き、だが事務的に告げた。

「藤本が…。フム、なるほど」

「詳細は訊けませんでしたが、奥村燐が降魔剣を持っていたので、彼が関係していることは間違いないでしょう」

「そうでしょうねぇ…」

メフィストは窓の外を見やった。

「──墓場にこの格好ってどうです?」

「…え?あ…派手かもしれませんね」

白とピンクのピエロを思わせるファッション。

「…フェレス卿らしいですが、せめて黒―――」

「ほぉ、それは素晴らしい☆藤本も気にしないでしょうし、これで行きますか」

「…そうですか。ご随意に」

目の前の上司は悪魔なのだから、仲間の死であれ悲しむはずがないのだ。

報告を終えた優月が静かに席を立つ。

「おやおや、もう行ってしまうのですか?」

「はい。…少し、休みたいので」

「なるほど☆では、ここで休んで構いませんよ?」

にっこり笑顔で当然のように言った。

「は…?──あ、いえ、1人になりたいんです。すみません」

「…謝る必要はありません」

突如、メフィストのマントがふわりと優月を包み込んだ。

「っ…!」

抱きしめられたのだ、とは理解できたが、その理由はわからなかった。

「フフフ…そうやって貴女はいつも強がるのですね。それとも、強いのでしょうか」

「…私は…」

離れても強引に、しかし優しく抱き寄せられる。

「泣いていいのですよ、優月。たまには私に甘えてください。親子なんですから」

「…はい」

親子といっても、もちろん血は繋がっていない。育ての親である。

「──私がプレゼントした魔女帽、使ってくれているんですね」

「あ、ええ、もちろん。案外、役立ちます」

抱きしめられたままの会話である。

「案外、とは正直な…。──奥村先生も、贈り物などするのでしょうね」

「え?いえ。ゆきは…そういう情熱的なタイプではありませんね。気持ちを隠しているつもりかもしれませんし」

さすがのメフィストも、自分に好意を抱く相手を冷静に分析するあたりは可愛げがない、と思っている。

「ハァ…優月を幸せにできるとは思えませんね。私は反対ですからね」

「は、反対されても諦めない人を選びますから、ご安心を…!」

ぐっと胸を押して、養父から離れる。

「…もう平気ですか?」

「え?」

(もしかして、私を元気づけるために…?)

──良い人なのだと信じたい私は、甘いのでしょうか?

小さく頷いた。

 ―――メフィストside

「だから、私は参列したいのよ?」

メフィストは、優月の声で目覚めた。

「だけど…祓魔師(エクソシスト)の服装だと、他に同じ格好の人がいたら、燐が不審に思うでしょう?…バッチも同じだし」

実は優月は、正十字学園の最上部ヨハン・ファウスト邸に住んでいる。

メフィストが部屋を出ると、廊下を歩きながら電話する優月の姿。

「痴話喧嘩ですか?」

「え?──あっ」

優月の背後から携帯電話を奪った。

《…優月?どうかしたの?》

電話の相手は予想通り、奥村雪男だった。

「あ、奥村先生。ご安心下さい。私はちゃんと参列しますから☆」

《は?フェレス卿が何故…?まさか一緒に寝たわけじゃ──!》

無視して通話終了ボタンを押し、恭しく優月に返した。

「…おはようございます、フェレス卿。うるさかったですか?すみません」

携帯電話を受け取り、事務的な挨拶。

「おはようございます。言いたいことはそれだけですか?」

(通話中の携帯電話を奪って、勝手に電話に出て、勝手に切ったことは?)

「あとは…、ゆきに何か誤解されたかもしれませんね。今度会ったら訂正します」

訂正しなくていいですよ、と言ったらどういう反応をするだろうか。

「──さて、参りましょうか」

「え…私もですか?」

「ええ。行きたいのでしょう?」

先ほどの電話での会話を思い出す。

「服は…それで大丈夫では?」

今着ている、ズボン(珍しい!)に祓魔師(エクソシスト)ジャケットの組み合わせで。

「美と礼儀が兼ね備えられてますよ☆」

「あ、ありがとうございます。フェレス卿がそう仰るなら…」

「素直で結構☆──おや?雨が降っているようですね…」

優月も窓の外を一瞥した。

「着替えてくるので、優月はここで待っていてください」

そう言って浴衣の裾を翻した。

(指を鳴らして一瞬で着替えたらいいのに…)

―――優月side

「…ずっと気になっていたのですが」

ピンクのリムジンで葬儀へ向かう途中、感傷的になっていた優月が切り出した。

「何です?」

「…フェレス卿は何故、私に優しいのですか?血の繋がらない、人間の子供に」

藤本と奥村兄弟も、血の繋がりこそないが、ふざけ合ったり叱ったり、本当の親子のようだった。

「今更ですか?そうですねぇ…可愛いからです☆」

「はっ?!」

優月は思わず叫んでしまった。

「身寄りを亡くした女の子を、正十字学園の初等部に入れてほしい。そう藤本に頼まれ、貴女を我が学園に招きました」

「はい…」

突然始まった昔話に、とりあえず頷く。

「幼き日の奥村先生と同時に、祓魔塾にも入りましたね。そして見事、祓魔師(エクソシスト)になった」

「そうですね」

祓魔師(エクソシスト)になってからは、一般の寮では困るだろうと、私の屋敷に呼びました」

つまり何が言いたいのだろう、と黙って次の言葉を待った。

「貴女は『パパ、大好き!』と言って、私の胸に飛び込んできましたね」

「言ってません!飛び込んでません!」

驚きつつ、すぐさま否定する。

「嘘です☆…『フェレス卿といると楽しいです』と言われたことはありますが」

「…その記憶力には敬服します」

メフィストは軽くため息をついた。

「正直、藤本から相談されたときは面倒でした。とりあえず入学させるだけさせて、その後は放っとこうと思っていましたから」

「そう…ですよね」

「ええ。…ですが、幼い優月に私は癒されていたのでしょうね。──魔法円・印章術の授業では危うく召喚されるところでした☆」

(うっかり使い魔になるところだったのね…)

苦笑いにも似たため息をついた。

「残念なのは、もっとダイナマイトボディに…」

「やっぱりセクハラですか!――というか、嘘ですよね」

「おや?バレましたか」

ゆっくりと車が止まるのがわかった。

「奥村兄弟と同い年で従順な貴女に、利用価値を見い出しただけですよ」

そう言ったメフィストはピンクの傘をさし、颯爽と墓地に向かった。

(利用価値…。わかっていたけれど、少し寂しいなんて思ってしまう私は、まだまだ子供ね)

メフィストが注目されている隙に、優月もこっそりリムジンを降りる。

ちなみに魔女帽は防水なので傘代わり。

「…あ、優月。来てくれたのか」

人に隠れながら藤本の墓に近づくと、雪男に声をかけられた。

「ええ、なんとか。今朝の電話、一方的に切ってごめんなさい」

「あれはフェレス卿だろう?…朝からなんで一緒にいたの」

「同じ屋敷に住んでいるんだから、廊下でばったり会うこともあるわ」

雪男がホッとしたように息を吐いた。


「──仲間にしろ!!」

燐の大声に、ハッと振り向く。

「…祓魔師(エクソシスト)になってどうすると?」

「…サタンをぶん殴る!!」

メフィストは笑い出した。

「ヤバい…!久々にキました!」

「な、何がおかしいんだよ!つか、テメーの格好の方がよっぽどおかしいから!」

両方おかしい。優月と雪男は思った。

「…面白い。いいでしょう!」

(フェレス卿…?!)

メフィストはニヤリと笑った。

「ちょっ?!フェレス卿!」

護衛の祓魔師(エクソシスト)が声を上げても、この人物は止められない。

「えっ、いいのか?!」

「ただし、貴方が選んだ道はイバラの道です。…それでも?」

「…俺は、もう人間でも、悪魔でもない。なら…祓魔師(エクソシスト)になってやる!!!」

優月と雪男は、燐が殺されなかった安堵感と、これからの不安などで複雑だった。

「…父さん。兄さんは僕が守るよ」

「私もゆきに協力します。あの方の考えは、よくわかりませんが…神父も見守っていてください」

指を組んで、藤本神父の墓に祈る。

「…優月も、守るから」

「え?…ありがとう。でも、抱え込まないでね」

潤んだ目を細め、雪男の肩をポンと叩いた。

「これからが大変ですね」

帰りの車内で、メフィストの顔色をうかがうように切り出した。

「責任持って面倒見ますよ。親友の息子ですから。──私の末の弟でもありますが」

本心で言っているのか、悪魔にもそのような感情があるのか、優月は疑いの眼差しを向けた。

「一応、私が後見人となりました。あとは弟である奥村先生と…羽丘先生でフォローして下さい☆」

パチッとウインクしてくる。

「もちろん、できる限りはフォローしますが…」

「奥村燐と知り合いでしょう?動ける範囲で構いません。何とかなりますよ」

「わかりました。…では、同じ寮に住みます。その方が監視しやすいので」

言うや否や、メフィストがむせた。

「そ、そこまでしますか?私は監視までは頼んでいませんよ?」

「監視すべきです。…所詮、ゆきは身内ですし。──情報を得るためには、ある程度仲良くする必要もあります」

毅然と説明する優月。

「ハァ…スパイを命じたわけではないのだが…わかりました。ただし!私にもこまめに会いに来ること。来なければ私から会いに行きます。いいですね?」

「…努力します」

忙しくなりそう、と心の中でため息をつく。

「…藤本には、後日改めて会いに来ますよ。大きな花束でも持って」

窓の外に目をやったメフィストから、そんな呟きが聞こえた気がした。

「では、祓魔塾の授業が終わり次第、とりあえず必要最低限の荷物を運びます」

入学式当日の朝、制服を着てメフィストに挨拶をした。

「そうですか。高等部の制服もよくお似合いで☆ネクタイ結びとタイツ着用を除けば、文句なしです」

「…リボン結びは似合いませんし、生足では落ち着きませんから」

諦めたメフィストが、思い出したように人差し指を立てる。

「私のぬいぐるみは?」

「…こっちに置いていきます…。か、代わりに、写真を持っていきますから!」

慌てて言えば、満足そうに笑った。

「では、私は奥村ツインズを迎えに行ってきますので、また後ほど☆」

入学式では、雪男が新入生代表の挨拶をした。学年首席だからである。

(頑張って奨学金で入ったのよね…)

「…んっ?優月…?!」

声のした方を見る。

「あら、燐。おはよう」

「おはよ…。雪男から聞いてはいたけど、お前も一緒なんだな」

「私は初等部からずっと、正十字学園よ」

ふぅん、と燐が相槌を打つ。

「ん?ここって金持ち学校だよな?──あぁ、雪男と同じで奨学金か?」

「私、成績は普通よ。ただ、養父がここの理事長なの」

「はっ?!理事長って、あのピエロだよな…?」

(あ…。私も祓魔師(エクソシスト)だってこと、バレたかしら…?ま、どうせ話すことになるのだけど)

「でも俺も似たようなもんか。あいつが後見人だからな…」

わしゃわしゃと頭をかいた。

(…燐が単純で助かったわ…)

「じゃあ、お前も小遣い制?」

「そう、ね…。私の口座に毎月振り込まれているわ」

優月は物欲がないため、ほとんどが貯金されているが。

「あいつケチだよなぁ」

「えっ、あれで?…神父はそんなに贅沢させてくれたの?」

「はっ?おま…二千円だぞ?もうちょっとくれてもいいだろ!」

優月は一瞬、聞き間違いかと思った。

「二千円って…まさか1ヶ月分?」

「そうだよ!あいつ、絶対生かす気ないよな。しかもレアな二千円札で…」

「それは…。…どうするの?」

燐ががっくりとうなだれる。

「どうって…どうすっかなー…。やっぱ昼飯が問題だよな」

「そうね、購買は競争率が高いし…。あ、近くに安い惣菜屋さんがあるって聞いたことがあるけれど」

「マジ?優月はいつもどうしてんだ?」

「私?移動時間がもったいないから、ほとんど学食ね」

「学食って…あの、高いやつ?!」

小声のまま叫んだ。

「そう。美味しいのだけど、高いわよね…」

「毎日あれなのか?!贔屓だ…!」

物言いたげにジッと見てくる。

「毎日ではないけれど…。い、一食くらいは奢るわよ…?」

「マジか?!なんか悪ぃなーっ!」

悪いと言いながら、笑みがこぼれていた。

(学生として緊張の初日だったのに、今度は先生として緊張の初授業なんてね…)

祓魔塾の廊下を歩く優月。

(確か、私の前にゆきの初授業が入ってたわね…)

重い足取りで、一年生の待つ1106号教室に入った。

「…悪魔学を担当する、羽丘優月よ。あなた達と同い年の新任講師で、これが初授業になるわ。よろしく」

お辞儀をして、魔女帽をかぶる。

「優月!やっぱりお前もだったのか!」

「…そうよ。ごめんなさい、燐。私もゆきと同じで、最年少祓魔師(エクソシスト)なの」

バツが悪く、燐の顔は見れなかった。

「じゃあ、優月も医者を目指して雪男と勉強してるって話は嘘だったのか…」

「…私がゆきと一緒にいたのは、塾や任務があったからよ」

雪男は確かに、『医者を目指して勉強』していたが。

「──何か、私に質問がある人は?」

「はいはぁい♪自分、志摩いいますぅ」

ピンク髪の男が挙手した。

「はい、何かしら?」

「彼氏は?」

「いないわ。はい、次」

即答だった。間違ってはいない。

「じ、じゃあ、身長!高いですよね~」

「身長は…170だったような…?」

正確には覚えていない。昨年の健康診断の結果はどこへしまっただろうか。

「高い…!」

「細い…!」

子猫丸と朴が呟いた。

「神木です。失礼ですけど、階級は?」

「恥ずかしいけれど、中一級なの」

次は勝呂が手を挙げる。

「持ってはる称号(マイスター)は?」

「騎士と竜騎士を持っているわ。といっても、武器は短剣なのだけど」

言って、右太ももから柄を取る。

「“月光の加護を”」

「うぉっ!魔剣…!」

勝呂が声を上げた。

「そう、魔剣のアルテミスよ。養父に頂いたの」

「やっぱり贔屓だろ…!」

「…あの方の気まぐれよ」

太ももにベルトで固定してあるケースに直す。光の刃が消える合図だ。

「──って、フェレ…っ!!」

会話の流れで燐を見て、初めてその存在に気づいた。

「あ?フェレット?」

燐以外の生徒(宝&山田は外野を決め込んでいる)が声を揃えた。

燐の膝の上に座った犬メフィが首を振る。正体をバラすな、と。

「な、何でもないわ…。──悪魔学の教科書、目次のページを開いて」

(…気づかない方が良かったかも…!)

変な汗をかきながら、授業を始めた。

「そうですねぇ…。カタかったですが、初授業にしては上出来でしたよ☆」

夜、メフィストは自室で電話していた。

「…奥村先生ですか?」

部屋を訪ねた優月の問いに頷く。

(…先に部屋を片付けよう…)

お辞儀してメフィストの部屋を出る。

(これだけで大丈夫よね。また少しずつ持って行けばいいのだし…)

まとめていた荷物を確認し、シンプルな部屋を見渡した。

(可愛いものとか女の子らしいものは完璧に隠したわ。もし誰かが見てしまっても、イメージを壊すことはないわよね…?)

育ての親がアレなので、優月も意外と可愛いもの好きだったりする。

「──おや、ずいぶんとすっきりしましたねぇ」

電話を終えたらしいメフィストが、普段着の浴衣姿で現れた。

「あ、はい。私の可愛いもの好きは、フェレス卿しか知らないことですから…」

「奥村先生も知らないのですか?」

メフィストが意外そうに訊く。

「…神父が話していなければ、知らないと思います」

「…なるほど」

腕を組むメフィストを見上げる。

「私はそろそろ、行こうと思います」

「…わかりました」

差し出された、寮への鍵を受け取る。

「お互い、忙しいでしょうが…貴女が、大切な娘であることは変わりません☆」

「…私も、お義父様の娘であり、忠実な部下であることは変わりません」

魔女帽を取り、深々と頭を下げる。

胸元で揺れるバッチが音を立てた。

(…隣の部屋が騒がしい…)

寮の部屋に荷物を運び、簡単な掃除を済ませた頃だった。

(隣は、ゆきと燐だけよね…?)

右手で武器を確認し、隣の部屋に向かう。

「こんばんは、奥村兄弟」

「「優月?!」」

流石は双子。息ぴったりである。

「隣の部屋に越してきたのよ。よろしく」

「な、なんでだよ?男子寮だろ?」

「旧、ね」

きゅう?と燐が首を傾げている。

「まさか、兄さんを監視するために…?!フェレス卿に命じられたの?」

「何故そんなに驚くの?貴方も燐の監視役でしょう?」

燐の炎は危険だし、騎士團の上層には存在すらもバレたくない。だから監視が必要なのだ。

「…僕は、フォローできるから…」

「フォロー?かばうつもりでしょう?…当然だと思うわ。双子の兄弟だもの」

そうなのか、と燐は少し嬉しそうだ。

「それを防ぐために、私が監視をしたいと申し出たのよ」

「メフィストの命令じゃないのか?」

「フェレス卿は、私にフォローを頼んだだけよ。──でも私は、同じ寮にいた方が動きやすいと思って」

雪男はまだ少し疑っているようだ。

「…優月はフェレス卿に忠実だよね?…フェレス卿は油断できない人物だ」

「私は、他の人にバレないよう、フォローしながら、フェレス卿に随時報告するわ」

だが、雪男の疑念も少しは理解できる。

「…フェレス卿が信用できないのなら、別に構わないと思う。──私も、あの方の全てを知っているわけではないもの」

(利用価値を証明して、育てていただいた恩を返すだけよ)

翌日。

コンコン、と古びたドアをノックする。

「あ、優月?」

開いたドアの向こうには、黒いロングコートを着た雪男と、学生服姿の燐がいた。

「その格好…依頼?」

「えっ?あぁ…僕が家庭教師をしている、祓魔屋のお嬢さんのことでね。ついでに買い出しも」

「燐を同行させるの?知識も技術も未熟な要注意人物を?」

うっ、と双子が言葉に詰まる。

「…監視、するためだよ。脱走するかもしれないから。──もちろん、祓魔屋には入れないし、依頼は見るだけだから」

「当然よ。…まぁ、いいわ。燐が大人しく勉強するようには見えないし」

「そうそう!俺って実戦派だから!」

(実戦派…。ゆきとは大違いね)

イメージ通りではあるが、一応報告しておこう、と優月は思った。

「今日は部屋の掃除をするつもりだったけれど、そういうことならついて行くわ」

「…監視役だから?」

「違うわよ。フェレス卿に頼まれてたもの、思い出したから」

幸い、祓魔師(エクソシスト)ジャケットを着ているし。

「そうなの?じゃあ行こう」

「ええ…」

雪男が鍵を使った。用品店へ繋がる。

(…詰めが甘いわね、ゆき。相手が私だから?)

「…本当は1人にするべきじゃないのだけど、仕方がないわね」

用品店への階段を上る優月と雪男。

「うん。ここは祓魔師(エクソシスト)以上しか入れないし、僕達は用事があるからね」

用品店──祓魔屋の扉を開ける。

「こんにちは、女将さん」

「おや!奥村の若先生に、ゆづ──じゃなくて、羽丘の若先生!」

雪男が、授業で使うらしいものをたくさん言い連ねている。

「毎度あり。随分と買い込むねぇ!」

「…先日、大量に消費したので」

眼鏡の位置を直す雪男が、何故か突然、藤本神父に見えた。

(そういえば、神父の死は、もう誰もが知っているのよね…)

小さな教会の神父をしていたが、最強の祓魔師(エクソシスト)──聖騎士(パラディン)だったのだ。

「優月も、買うものがあるんでしょ?」

「え?あ、ええ。──CCC濃度の聖水を2リットル、あと他にも細々したものを、うちの理事長が頼んでいたはずなのですが…」

「また理事長さんの代理かい?ご苦労さん。やっぱり忙しいんだろうねぇ」

ここは笑顔で誤魔化しておく。

「あ、帰りに受け取りますね。──私、燐の所に…」

雪男が頷くのを待って、祓魔屋を出た。

(燐、いない…。あんなにゆきが念を押したのに、勝手に行動するなんて…)

イライラしながら、周りを見渡す。

「──勝手に決めつけんな!!」

燐の怒声が聞こえた。

もう1つの階段の上からだ。

(…魔除けの門が、壊れてる…)

ため息をつき、門へと続く階段を上る。

「見つけたわよ、り・ん?」

「ゆ、優月…」

不機嫌な様子に、燐の顔が引きつる。

「ゆづちゃん?!」

「“ゆづちゃん”…?」

驚くしえみに、魔女帽を脱いでお辞儀。

そんな優月を見て燐は、メフィストみたいだと思ったとか。

「しえみさん、ごめんなさい。大切な庭に、燐が勝手に入ったみたいで…」

「うっ…。すまん…」

「あ、ううん。…ゆづちゃんのお友達?」

監視対象、とは言えないので。

「…そんなところかしら」

「そうなの?──さっきは、悪魔だなんて言っちゃってごめんなさい…。魔除けの門が反応したから、驚いちゃって…」

「い、いや、なんかよくわかんねーけど、俺が壊したみてーだからな…」

困ったように頭をかく。

「門は私が直すわ。また壊れたら困るから、馬鹿力の燐は触らないで」

「あ、ああ…。悪い…」

魔除けの門は、軽々と持ち上げられた。

「見た目からして、絶対重いだろ…」

「倒れ方も重そうだったよね…」

「…これは魔除けの門で、私は祓魔師(エクソシスト)よ?簡単に修復できるようになっているの」

わかったような、わからなかったような顔をしている2人。

「ほら、燐はお詫びにしえみさんを手伝いなさい」

「あ、大丈夫だよ。門が直るなら、他に困ってることもないし…」

「そうか?遠慮すんなよ?」

2人の会話を聞きながら、門をはめる。

「ありがとう。本当に大丈夫。──さっきは、貴方がいい人だってわからなくて…。仲直り、してくれる?」

ちらりと振り向けば、照れながら握手する2人が視界に入った。

「…“此処に悪を通すこと、其れ即ち万死なり”」

「ゆづちゃん、今のは…?」

「門の結界を張り直したのよ」

燐が驚き、憧れの眼差しを向けてくる。

「すげー!かっけー!ジジィみてー!そういうのも普通にできるんだな!」

前半は嬉しいが、後半が引っかかる。

…“そういうの”?“普通”?

「優月はその帽子で、メフィストみてーな変な手品すんのかと思ったぜ」

「手品…?それもするわね。お義父様の直伝よ」

むしろ詠唱なんて滅多にしない。詠唱騎士の称号(マイスター)も持っていない。

(神父を、フェレス卿を、ゆきを守りたくて、私は前衛を選んだのだから…)

「──兄さん…!どうして…」

雪男が女将さんと一緒に、庭へ来た。

「よー、雪男♪」

「雪ちゃんっ!!」

しえみが異常に反応する。

「ゆ、“雪ちゃん”…?!」

「…言うな、笑うな。──それにしても、優月がついていながら…」

困ったように見られて、苦笑を返す。

「ごめんなさい。まぁ、いいじゃない。目的地だったのだし」

「…確かに、紹介の手間は省けたね」

不思議そうな燐としえみ。

「しえみ!今日は先生に足を診てもらいな!悪魔の仕業かもしれないだろう!」

「!私、悪魔なんて知らない…!」

「診て、何もなければそれでいいので。診せてくれますか?」

渋々頷くしえみに雪男が微笑んだ。

「…“根”だ…」

しえみの足に根が張っていた。

「ねぇ、ゆき。この花…」

「ど、どうしたの?ゆづちゃん…」

燐と雪男としえみに、庭に咲く1本の花を指してみせる。

「…この花、抜いてもいいかしら?」

「えっ?!だ、ダメだよ!」

「何言ってんだよ、優月…?」

反対を無視して、柄だけのアルテミスを花に当てた。

アルテミスの柄は、聖薬系を練り込まれている。十分な聖気を持っているのだ。

「…抜いてはいないから」

花は苦しむようにくねり、断末魔だけを残して消えた。

「あっ…?!」

「もう大丈夫よ、しえみさん。悪魔は私が祓ったわ」

雪男がしえみの足に気づく。

「“根”が消えている…!!」

「優月、すっげー!」

「…これじゃ私、監視役どころか共犯者だわ…。──ゆき、あとはお願いね」

一方的に告げて、踵を返した。

「貴女は優しいですからね、名前の通り。──聖水、ありがとうございました」

あの後、着替えなどを少し寮に移し、祓魔屋での出来事をメフィストに報告した。

「せっかく燐もいたのに、私があんなに簡単に終わらせてしまって…」

「それも1つの、悪魔を祓う方法です。色んなやり方を見るのも勉強でしょう」

「そう、ですね…」

それにしても地味すぎたと反省している。

「そろそろ、候補生(エクスワイア)認定試験をしようと思っています」

「もうですか?早いですね」

まだ訓練生になったばかりなのに。

「思っているだけです。今、面白いプランを考えているのですよ☆」

(試験に面白さは必要ないでしょ…)

コンコン、とノックが響く。

「フェレス卿。奥村です」

「奥村先生ですか。どうぞ」

失礼します、と言って入ってきた。

「あ。ゆづ…羽丘先生」

「今日の報告をしていたの」

「それなら──話が早いです」

雪男がメフィストに向き直る。

「祓魔屋のお嬢さんが、祓魔塾に入りたいそうなんです」

「しえみさんが…?」

祓魔師(エクソシスト)になりたいなんて、一度も言っていなかったのに。

「そうですか。──結構。我が祓魔塾へ招きましょう」

「ありがとうございます」

彼女が塾生になるなんて、なんだか想像できない。

祓魔師(エクソシスト)には珍しいタイプよね…。大丈夫かしら」

「確かに、祓魔師(エクソシスト)の女性は気が強い」

「…強くないと、やっていけないので」

そうですね、とメフィストは笑みを深めた。

「しえみさんなら大丈夫です」

(…随分と信頼しているのね)

雪男は頭を下げ、踵を返す。

「私も戻ります」

「そうですか?では、ゆっくり休んで下さい。報告、ご苦労様でした」

頷く程度に頭を下げて、雪男に続いた。

「あら、しえみさん」

ガラッと塾の教室のドアを開けると、華やかな着物が目に入った。

「あっ、ゆづちゃん!こんにちは!わ、私も祓魔塾に入ったの!」

しえみは燐の隣に座っている。

「ええ、ゆきから聞いているわ。最初は難しいかもしれないけれど、頑張って」

「うんっ!」

「じゃあ、授業始めるわよ」

分厚い悪魔学の教科書を開いた。

「今日は…ケット・シーについて」

「えっ?次はグールや言うてなかったですか?」

勝呂が尋ねてくる。

「…教科書は、そうなっているのよね」

「ええやないですか、坊。ケット・シー、かわええし楽しいですよ?」

「そ、そうよ。そんなにグールがしたいなら、ネイガウス先生にでも聞けば?」

猫好き&可愛いもの好きの後押しもあり、ケット・シーの授業が始まった。

(だってグール、気味が悪いんだもの…。授業でまで見たくないわ…)

「ケット・シーの特徴は?」

「…海を泳げる!“シー”だけに!」

「そんなわけないでしょう!」

時は夜。個人的に雪男に頼まれて、燐に授業の復習をさせている。

「起きてはいたから、少しくらい頭に入ったかと思ってたのに…」

「ごめん、優月。せっかく来てもらったのに…」

雪男が申し訳なさそうに言った。

「ゆきのせいじゃないわ。…私の授業が、眠くなるほどつまらないのね…」

「そっ、そんなことない!──兄さんも何とか言えよ…!!!」

「えっ?!す、すまん…!そうじゃねぇよ、他の授業も眠ぃし…」

ますます雪男に睨まれる燐。

「…悪魔学は大事なのよ?」

「…そうだよ。薬学より大事だ」

「確かに、そうかもな…」

悪魔を学ぶのだから、祓魔師(エクソシスト)にとっては根本的な部分だ。

祓魔師(エクソシスト)を目指すなら、悪魔には詳しい方がいいわ」

「…わかった」

翌日、悪魔学の時間。

(…昨日の今日で、よく寝れるわね)

燐は気持ち良さそうに寝ていた。

優月がゆっくりと魔女帽を脱ぐ。

「アインス、ツヴァイ、ドライ!」

燐に向けた魔女帽から、数匹の鳩が飛び出した。

「いっ?!うぉわっ?!」

「…おはよう、燐。そんなにつまらないかしら?」

腕や背中を鳩につつかれながら、燐は慌てて首を振る。

「そう。じゃあ起きなさい」

「すんませんっ!」

パチンと指を鳴らすと、数匹の鳩は消えてしまった。

「──腐の王の眷属で、最下級の悪魔は?奥村くん」

「へっ?!いや、その…見たことないもんで…」

少しの間、沈黙が流れる。

「…そんなわけないでしょう!」

アルテミスの柄を、燐めがけて真っ直ぐ投げつけた。

「聞いて下さい、奥村先生っ」

塾の職員室に戻り、隣の席で資料を整理していた雪男に愚痴をこぼす。

「な、何ですか?羽丘先生」

「奥村くんは今日も居眠りした上、コールタールがわからなかったんです…!」

雪男は呆れて言葉も出ないようだ。

「ですから、ついアルテミスを投げてしまいました」

「えぇっ!それで、奥村くんは?」

「当たった痛さと、触れたことによる聖薬系の効果で苦しんでいましたよ」

サラッと言う優月が笑ってさえいるように見えて、雪男は顔をひきつらせた。

「…あいつ、何なんだ?頭いいのか?」

中庭にある噴水の縁に座り、燐と雪男としえみが話しているのが見えた。

「秀才だよ。僕と同じで、奨学金で入ってきてるしね」

「──勝呂くんの話?」

優月に気づいた3人が顔を上げる。

「うん。──勝呂竜士くん。京都の由緒あるお寺の跡継ぎだって聞いたけど」

「詳しいわね、ゆき」

「まぁね。──彼は成績優秀で身体能力も高く、授業態度もマジメ」

「少なくとも燐よりは努力家ね」

「いっそ兄さんは、彼の体中の垢を煎じて飲んだ方がいい」

くっ、と燐が短く唸った。

「そんなことより、しえみさん。塾には慣れましたか?」

「えっ!あ…ま、まだ全然…」

「昔のしえみさんを知ってる僕から見たら、見違えるみたいだ」

確かに、と優月も思い出す。

「焦らず、頑張って下さい」

「うん!ありがと、雪ちゃん…」

2人を交互に見ていると、雪男がスッと立ち上がった。

「じゃあ、僕は次の授業があるから、ここで」

「私も行くわ。2人共、次は体育実技でしょう?遅れないようにね」

授業に向かう2人の背中を見送る。

「…授業なんて無いのでしょう?」

「はは…まぁね。兄さんに実技なんて、心配で心配で」

「気持ちはわかるけれど、椿先生だって事情をご存知なのだし…」

…まぁ、少し口は軽いが。

「念のためだよ」

「そう…?私はフェレス卿に呼ばれてるから、行くわね」

ポンッと煙幕が立ち込める。

煙が晴れると、優月の姿はなかった。

「…フェレス卿のは手品だけど、優月のはまるで忍術だな…」

優月は鍵でファウスト邸に来ていた。

(スマートに立ち去りたいからって煙幕を多用するのはよくないわね…)

お茶目な演出を少し反省しつつ、理事長室の扉をノックする。

「羽丘です」

「どうぞ」

失礼します、と言って扉を開けると、メフィストは机に向かっていた。

「今、よろしいでしょうか?」

「優月ならいつでも大歓迎ですよ☆」

扉を閉め、机の前まで進む。

「…あの、お呼びでしたか?」

「ええ、呼びましたよ。──候補生(エクスワイア)認定試験を考えていることは、話しましたね?」

「…面白いプランを考えている、と」

「ええ。実は思いついたんです、その面白いプラン!」

呼ばれた理由がわかり、目で先を促す。

「その名はズバリ!『強化合宿で騙し魔SHOW☆大・作・戦』!!」

「…え?騙す?」

「強化合宿という表向きで、本当はこれが認定試験でした〜☆となるわけです」

「あ、抜き打ちということですね」

確かに、試験だとわかっているのは、実戦での能力を知るには適していない。

「試験内容は…?」

「ネイガウスに任せました。合否は私が決めます」

「そうですか。…何人が、合格できるんでしょうね」

試験内容とメフィストの判断次第だ。

「…全員合格してほしいですねぇ」

「はい。ですが、山田くんは、その…やる気がないといいますか、謎が多いといいますか…」

「ええ…。まぁ、大丈夫でしょう」

「何かご存知なのですか?」

メフィストは答えず、ただ含み笑いを浮かべた。

「それに、奥村先生が宝くんのことを不審がっていました」

「…優月には成り行きで話しましたが、あれもハプニングでしたからねぇ」

「ハプニングというか、フェレス卿が鍵を間違って渡したからですよね」

(私と同じで、名前に“月”がつく女の子…)

思い出して呆れていると、メフィストがわざとらしくぽんっと手を叩いた。

「おっと!私はこれから、人と会う約束があるんでした」

「あ、そうでしたか。では、私は失礼します。また来ますね」

メフィストは指を鳴らし、ピンクの煙に包まれた。

祓魔師は一人では闘えない

「夏休みまでそろそろ1ヵ月半切りましたが、夏休み前には今年度の候補生(エクスワイア)認定試験があります」

祓魔塾の教壇で雪男が説明をしていた。

優月も横に立ち、生徒達を見渡す。山田は相変わらず、気だるそうに風船ガムを膨らませていた。

(何度見ても、怪しいわよね…)

山田がこちらを見た気がしたが、目深にかぶったフードのせいでよくわからない。

候補生(エクスワイア)に上がると、より専門的な実戦訓練が待っているため、試験はそう容易くはありません」

淡々と説明を続ける雪男に、燐が首を傾ける。

「…エスクワイヤ?」

候補生(エクスワイア)だよ」

隣に座っているしえみが応えた。

「エスクワイア…?」

「一番前の2人、静かにしなさい」

「すんません…」

雪男が咳払いをし、本題を切り出す。

「…そこで、来週から一週間、試験のための強化合宿を行います」

(その合宿が試験だなんて、誰も思わないでしょうね)

「合宿参加するかしないかと…取得希望“称号(マイスター)”をこの用紙に記入して、月曜までに提出して下さい」

雪男の説明を聞きながら、優月が生徒達に用紙を配った。

「参加できない場合は、その理由もちゃんと書いてね」

(でも、参加しなかったら…試験はどうなるのかしら…?)

失格とはならないだろうが、素朴な疑問だった。


「―――話についてこれてなかったわね」

チャイムが鳴り、教室を出た優月が表情を変えずに呟いた。

「…兄さんのこと?しえみさんにでも訊くんじゃないかな」

(そういえば、しえみさんのほうは意外と知っているふうだったわね…)

「いちいち教えるほど暇じゃないよ」

「そうね」

燐の性格なら、すぐに他の塾生とも打ち解けるだろう、と納得した。

「そういえば、今度の魔印で、召喚を教えるんだって」

「ネイガウス先生に聞いたの?楽しみね。手騎士は貴重だから」

「うん。──あ」

何か思い出したように振り向く。

「例の…合宿だけど、僕達のいる寮でやるらしいよ」

「えっ、そうなの?聞いてないわ」

「ネイガウス先生が決めたみたい」

そう、と応えたが、腑に落ちない。

「教えてくれてもいいのに…」

「優月が避けてるから、なるべく近づかないみたいだよ」

「そうだったの?意外と気にしてたのね、あの人…」

(ああ見えて繊細なのかもしれないわね)

今度会ったら謝ろう、と誰にともなく呟いた。

「お先に失礼しまーす!お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様でした」

定時に仕事を切り上げる――おそらく任務が入ったのだろう――講師を一瞥して、ふと辺りを見回す優月。

「…?ねぇ、ゆき。ネイガウス先生は?」

「え?…いないみたいだね」

「…まぁ、いいわ。──私、今日は屋敷に寄るから」

屋敷というのはヨハン・ファウスト邸を指している。

「そっか。──お疲れ」

「お疲れ様」

お疲れ様でした、と職員室を後にした。

(私達があの寮に住んでいることは、伏せておいた方がいいのかしら)

塾の廊下を歩きながら、そう思った。

(だってあそこは旧男子寮──)

「なんだアレ…?」

前方から聞こえた燐の声に、優月もパッと顔を上げた。

「しえみがまろまゆの付き人みてーになってるぞ?」

燐の言う通りだった。

しえみが出雲のバッグを持ち、出雲と朴の後ろを歩いている。

「“まろまゆ”?…あぁ、神木さん」

「遊んどるんやろ」

近くにいた子猫丸と勝呂が応えた。

(というか、燐はいつの間に男子と仲良くなったのかしら…)

「あ、羽丘先生」

「おー、優月。…先生」

無言の圧力に負け、燐が付け加えた。

「…しえみさんの頭の上に、緑男がいるように見えるのは私だけかしら」

「さっき、魔印があったんですよ」

「杜山さん、召喚しはったんです。手騎士の素質あるんですね」

「手騎士?そう…凄いわね」

しえみの背中を目で追う。

「勝呂くんと三輪くんは?」

「あー…全然あきません」

「手騎士は珍しいんだもの。仕方ないと思うわ」

2人に苦笑してみせた。

「じゃあ、お疲れ様」

「お疲れ様です」

近くの鍵穴に、ひときわ豪華でアンティーク調の鍵を差し込んだ。

━━雪男side

「鍵使ってどこ行ったんだ…?」

燐は首を傾げたが、雪男は笑顔で見送っていた。

「まだいたんですね、羽丘先生は」

「雪男。あんなに急いで帰って、なんかあんのか?つーか、寮って鍵で移動できんのか…?」

「帰ったんじゃなくて、フェレス卿の所に行ったんです」

「?理事長の所ですか?」

子猫丸が首を傾げる。

「はい。いつものことですよ」

「…まさか…できとるんか?」

「いやい──」

「違います」

燐の否定を遮り、少し険しい表情で説明する。

「フェレス卿と羽丘先生は親子なんです」

「どうした雪男?落ち着け?」

「親子?!親子なんですか?!」

「そうそう、育ての親なんだって」

燐が代わりに受け答えする。

「ですが羽丘先生は上司として接していて…!」

「わかったから落ち着けって」

燐になだめられ、雪男は眼鏡の位置を直した。

━━優月side

「失礼します」

魔女帽を脱ぎ、理事長室に足を踏み入れる。

「よく来ましたね、優月」

メフィストはいつものように、大きな机に頬杖をついていた。

ふと視線を感じて、そちらを見る。

(っ!!気が付かなかったわ…!)

ネイガウスが壁に背を預け、腕を組んでこちらを見ていたのだ。

ビクッとした優月を見て、ネイガウスがドアの方へ向かう。

「あっ、待ってください!」

「…なんだ?」

「…ネイガウス先生はいつも、私に気を遣ってくださっていたんですよね。すみません」

メフィストも黙って聞いている。

「ですが、私はグール系の悪魔が苦手なだけで、先生が苦手なわけでは──」

「わかっている」

バタン、と出て行ってしまった。

「ハァ…優月、どうか気を悪くしないでください」

「はい…。──そういえば、候補生(エクスワイア)認定試験、旧男子寮で行うとか」

「ええ。いやぁ、またこの忙しい季節がやってきましたねぇ☆」

相変わらずの笑顔で言った。

「生徒の前では普段通りを装いつつ、寮に潜入して試験を行わなければ」

「結局、試験内容はどうなったんですか?私達は何をすれば…」

「優月は、奥村先生と一緒に、合宿の方を進行して下さい。──襲撃役はネイガウス先生お1人で十分でしょう」

言って、プログラムを渡された。

「…わかりました。ここで私達が抜けて、生徒だけになり、試験開始ですね」

「そういうことです。そこまでは、普通に強化合宿に励んでいただきたい」

「はい。…部屋を抜けたあと、どこへ行けばいいですか?」

メフィストは少し考える素振りをする。

「押し入れ…いえ、天井裏にしましょう。私もいますから、静かに来てください」

「天井裏ですか?わかりました」

プログラムを懐に入れた。

「…おはよう」

同時に部屋を出た、優月と奥村兄弟。

「よー、優月。眠ぃなー…」

「…玄関の前でみんなを待とう」

「そうね。──燐、しっかり」

やや強引に燐を引きずり、3人で旧館を出て行く。

扉の前に雪男と並んで立ち、座り込んだ燐の呟きを聞き流す。

(先生方、上手く入れたかしら…)

「つーか、寮で合宿って意味あんの?」

顔だけ振り向いた燐の質問に、優月は首を傾げた。

「え?寮って言っても…旧館だから、私達だけだし」

「へっ?!そうなのか?!」

「ここ、僕らしか住んでないよ。…気付いてなかったの?!」

2人から呆れたような目で見られ、燐はプイッと顔を前に戻す。

「一般の生徒は、もっと綺麗な新館の方で生活してるよ」

「──来たわね」

ぞろぞろとやってきた、塾生達。

「うわ…なんやコレ?!幽霊ホテルみたいや!」

「ヤダ、何ここ、気味悪い…。もうちょっとマシなとこなかったわけ?」

口々に寮の感想を述べる。

「あ、コレお願い」

「うん」

「……!!」

出雲に鞄を持たされるしえみを見て、朴がしえみに駆け寄った。

「…も、杜山さん!嫌なら嫌って言わないと…!」

「朴さん?私、嫌じゃないよ!」

「え…?」

「お友達の役に立ってるんだもん」

「……。そっ…か」

2人のやり取りを聞いていた燐は、呆れて言葉も出ないといった様子だ。

「お互い、気を引き締めて頑張ろう」

「…ええ、もちろんよ」

「何を頑張るんだよ、“先生”?」

「──燐(兄さん)の頭脳の強化」

声を合わせて笑顔で答えた。

「…羽丘優月か」

見回りで屋上へ来た優月は、ネイガウスに会った。

「…襲撃役も大変ですね」

「物音立てずに隠れるよりはマシだ」

「確かに…。先生方、気配もしませんでした」

優月は教師の配置も知っているが、本当に隠れているのか疑ったものである。

「じきに最初の襲撃を仕掛ける」

「そうですか。覚悟しておきます」

「…お前は下がっていろ」

「…なめないでください」

「そうではない。──お前は、グール系の悪魔が苦手なのだろう?」

優月がハッと彼を見上げた。

「…すみません、勘違いしました」

「…お前を、なめるわけないだろう」

不思議そうに、再び見上げる。

「…これでも認めているんだぞ」

「え…ありがとうございます」

「…さっさと持ち場に戻れ」

「はい。失礼します」

巨大コンパスを取り出したネイガウスを尻目に、踵を返した。

腕時計を確認した雪男が口を開く。

「…はい、終了。プリントを裏にして回して下さい」

集められたプリントが、志摩から雪男の手に渡った。

「──今日はここまで。明日は6時起床。登校するまでの1時間、答案の質疑応答をするわよ」

「…ちょ…ちょっと、ボク、夜風にあたってくる…」

「おう、冷やしてこい…」

燐がフラフラと部屋を出て行く。

(燐を1人にして大丈夫かしら…)

「朴。お風呂入りに行こっ」

心配する優月の隣で、小さなバッグを持った出雲が立ち上がった。

「うん…」

「お風呂?!私も!」

「…向こうよ。あまり綺麗とは言えないけれど、広さは十分だから」

「ありがとうございます」

部屋を出る出雲と朴、しえみの3人を、志摩がニヤニヤと目で追う。

「うはは、女子風呂かー。ええなぁ」

「…は?」

「こら覗いとかなあかんのやないですかねっ?合宿って、そういう“お楽しみ”付きもんでしょ!」

「…よほど課題を出されたいようね」

平坦に言って、冷たい視線を送った。

「え゛ぇ?!そ、そんな殺生な~!」

「志摩!!お前、仮にも坊主やろ!」

「また志摩さんの悪い癖や…」

「またまた~!そんなん言うて、2人共興味あるくせに~。」

「…一応ここに、教師がいるのをお忘れなく」

ハッと京都組が雪男に注目する。

「…教師いうたって、アンタ結局高1やろ?無理しなはんな?」

僕は、と雪男は優月を一瞥した。

「無謀な冒険はしない主義なんで」

「羽丘先生の前やからって、そんな紳士ぶってカッコつけて~!」

(フェレス卿もいるんだよ…!!)

(教師陣がいるものね…)

さり気なく2人で天井を仰ぐ。

妖しい笑い声が聞こえた気がした。

──きゃあぁぁぁ!!!

突如、男子寮旧館に響いた叫び声。

「!今のは…!」

「神木さんと朴さんの悲鳴ね」

「何かあったんやろか…?!」

「奥村くんが覗いたんちゃいます?」

「もう、志摩さん」

ネイガウスの襲撃だということは、教師2人には容易に想像できた。

(グール系だから、気持ち悪くて叫んでしまっただけかもしれないけれど…)

(なんだか胸騒ぎがする…!)

「あ、先生!」

京都組も2人に続いて駆け出す。

浴場は遠かった。

鍛えている優月や雪男に比べ、生徒3人は少し遅れて到着した。

「…兄さん!!」

サッと見渡した雪男が、奥に向かって何発も発砲した。

脱衣場には、下着姿で座り込んだ出雲と、横になった朴、介抱するしえみがいる。

「…!朴さん、私がわかる…?!」

「…は、ね…おか…先生…」

ホッとした優月の背後に、バタバタと京都組が駆け込んできた。

「しえみさん、このアロエは?」

「あ…!火傷みたいになってたから、応急処置はサンチョさんだと思って…!」

「え、何?サンチョさん?」

「しえみさん、優月。朴さんは…?」

駆け寄る雪男の後ろを、喉をさする燐が歩いてくる。

「雪ちゃん…。わ、私…」

「使い魔…!」

腹からアロエの生えた緑男を見た。

「──グール系の魔障は、対処が遅れると命取りになる可能性があった。…この処置は正しいです。…しえみさんがいなかったら、どうなっていたか…」

「杜山、さん…。ありが、と…」

「…うん!」

しえみが心底嬉しそうに笑う。

「でも、これは応急処置なのよね?」

「うん。少し落ち着いたみたいだし、部屋へ運ぼう。向こうで手当てします」

「奥村先生は道具を取ってきて。…悪いけど、勝呂くんがいいかしら。朴さんを…」

「はい」

優月が上着を脱ぎ、朴の足にかけた。

「流石は羽丘先生、気が利きますねぇ。女性ならではの細やかな気配りですねぇ♡」

「男の人でもすると思いますけど…」

そんなやり取りを聞き流しながら、朴を抱き上げた勝呂について行く。

「兄さん、なぜ裸に…?!」

そこには、上半身裸の燐がいた。

「な、成り行きで…?」

「…皆さん、露出狂は放っといて行きましょう」

「そうね…」

「ちょっ、露出狂じゃねーよ?!」

(わかってるわよ、そんなこと…)

必死に尻尾を隠す燐に、笑いそうになる優月であった。

「今日はもう遅いので、他の皆さんは明日に備えて休んで下さい」

「勝呂くん、ありがとう」

いえ、と心配そうな顔をした勝呂が部屋を出て行く。

お大事に、と言って志摩と子猫丸も出て行った。

「…合宿中にこんな目に遭わせるなんて、教師失格だわ。ごめんなさい」

ベッドに寝かせた朴の手当てをする雪男に代わって頭を下げる。

「え?そんな…先生のせいじゃ…」

「あたしのせいです。…あたしがちゃんとしてたら、使い魔だって…!」

「……」

「神木さん。…熱が上がるから、話は明日にしましょう。──あと、もう遅いからお風呂は我慢してもらえるかしら?」

「…わかりました」

渋々といった様子で部屋を出て行った。

「…ふふ。喋って熱が上がるなんて、嘘ですよね…?」

「あら、鋭いわね。貴女、良い祓魔師(エクソシスト)になれるんじゃない?」

「…私…塾、やめようと思うんです」

「え…」

手当てを終えた雪男と声が重なる。

「色々考えたんですけど、やっぱり…元々、自分の意志じゃなかったし…」

「そうですか…」

雪男は何を考えているのか、言葉に詰まっていた。

「…そんなことを言う人は、こっちから願い下げよ」

「ゆ――羽丘先生!そんな言い方しなくても…」

「──目的や夢もなく目指せるほど、甘い世界じゃないって言ってるの」

「…!」

雪男と朴がハッとする。

祓魔師(エクソシスト)は、命を賭して人々を守らなければならない。悪魔に怯んだり、雑念が頭をよぎったりしている暇はないの」

俯く朴に気付き、今度は優月が我に返る番だった。

「…そんなことがあれば、自分だけじゃなく、仲間にまで危険が及ぶわ。ね?」

最後はなるべく優しく諭す。

「…はい…!」

「…優月」

朴を休ませた部屋を出ると、雪男が静かに名前を呼んだ。

「何?」

「フォロー、ありがとう」

「え?」

立ち止まり、彼を振り向く。

「僕は結局何も言えなくて…ごめん」

「ううん、いいのよ」

「朴さんが塾をやめるって言ったとき、説得するか、口出ししないか…どう声をかけたらいいのかわからなくなって」

「それは、そうね。難しいけれど…彼女の場合は、よく決心したと思うわ」

「え?」

「女子には多いのよ、何でも友達と一緒って子。特に、消極的で大人しい子に」

「…神木さんに守られるという道を、選ばなかったんだね…」

「ええ。だから、むしろ神木さんの方が心配だわ…」

そうこう話しているうちに、先ほど騒動のあった女湯に着いた。

「電気、電気…」

雪男がスイッチを探し、電気をつける。

「きゃっ…?!」

「おや、羽丘先生に奥村先生☆」

そこにはメフィストと、ガラスの破片を集める塾の講師たちがいた。

「お、脅かさないでください…!」

「羽丘先生が悲鳴を上げるなんて珍しいですね」

「本当は怖がりで、ホラーとか苦手なんですよ。可愛いでしょう」

雪男とメフィストを無言で睨む。

「ぼ、僕も手伝ってきます」

「…それで、フェレス卿は何を?」

「ご覧の通り、割れたガラスを片付ける先生方を、見守っているのですが?」

「…ですよね」

流石に慣れた様子で受け流した。

「…朴さんが、塾をやめるそうです」

「そうですか。ただでさえ少ない生徒が…。きっと、羽丘先生のスパルタぶりに耐えきれなかったのでしょうね」

「そんなわけないでしょう…!」

「とりあえず、手続きが済むまでは塾の生徒です。合宿も続けて頂きます」

「…はい」

切り替えの早さには、未だに振り回される優月である。

翌朝、聞き耳を立てていると、隣の部屋の会話が聞こえてきた。

“──歯ぁ磨いてくる”

“うん。僕は準備してから、朴さんの手当てに行くから”

(…朝の質疑応答と、学校と、塾の授業の準備をしないと…)

腕時計をはめて、伸びをする。

(…今日も見守っていてください)

視線の先には、少女と悪魔と神父の写った写真があった。

「──あら、神木さん」

「あ…どうも」

学校で会うのは珍しいことであり、接し方に困るものである。

「塾に行くところなら、一緒に行きましょう?」

そう言って、人気のない扉へ向かった。

「…今朝、奥村先生が朴さんの所へ行ったでしょう?」

「はい…」

祓魔塾の鍵を差し、まずは明らかに沈んでいる彼女を、そして自らも続いて扉をくぐった。

「あと2~3日すれば熱が引いて、動けるようになるって…」

「そう。良かった」

「…朴、やっぱり辞めるそうです」

何を、なんて訊かなくてもわかった。

「…羽丘先生に、感謝してました」

「え?」

「厳しいことを言うのは、優しいからだって」

「…そんなことないわ。いつも厳しくしてごめんなさい。──じゃあ、また後で」

「あ、はい」

1106号室の前で出雲と別れ、職員室へと急いだ。


(…そろそろ小テストの問題を作らないといけないけれど、せっかくだから合宿で勉強したところを出題したいわね。――あ、高校の宿題…は、合宿で終わらせるとして…)

悪魔学の教科書にマーカーを引き、工夫してノートにまとめながら、ぐるぐると考え事にふける優月。

いつも気軽に相談している、隣の席の主がいないため、無言で机に向かっているのだ。

(そうだわ!たまには実戦形式の授業も面白そう…って、それは体育実技とのバランスも考えて…)

「あぁ、お疲れ様です、羽丘先生」

頭の中に浮上していた体育実技の講師・椿が、ちょうど声をかけてきた。

「椿先生、お疲れ様です」

「聞きましたか?1年生が騒ぎを起こしたようですヨ!」

「えっ、もしかして奥村燐ですか?」

「いいえ、神木クンと勝呂クンだとか。優等生の2人が…珍しいですネ!」

「そう、ですね…」

職員室を出ていく椿に礼を言い、ケータイを取り出した。

椿に相談しようと考えていたことなど、すっかり忘れてしまった。

〈本文〉───────────
神木さんと勝呂くんが
騒ぎを起こしたって本当?
何があったの?大丈夫?
───────────────

整理整頓の行き届いた隣の机を一瞥し、ピッと送信する。

「…奥村雪男にメールか」

「っ!なっ…何ですか、いきなり…!」

振り向きざまに立ち上がれば、そこにはネイガウスが立っていた。

「…神木と勝呂の件を報告に来た」

「ありがとうございます。…でも、それとこれとは話が別です」

「…油断して気配に気付かなかった方も、どうかと思うが?」

「それは…そうですね、すみません」

「フン…わかればいい」

上手く丸め込まれた気がしないでもないが、話が脱線するので諦めよう。

「…神木出雲と勝呂竜士が言い争い、何故か奥村燐が殴られたそうだ」

「??何故かって…奥村くんは仲裁に入ったんでしょうか?」

「さぁな。それよりも、優秀な2人の関係をどうにかするべきだろう」

「…ですが、よくある話なのでは?」

優等生ほどプライドの高い人が多い。

「だからといって、放っておく訳にもいくまい。他の生徒のためにも」

「…そうですね」

ネイガウスが無言で去っていく。

(…やっぱり、神木さんが心配ね)

その時、握っていたケータイが震えた。

(メール…。雪からだわ)

〈本文〉────────────
連絡、遅れてごめん。
反省してもらうために
合宿内容を少し変更するつもり
────────────────

(合宿の内容を変更…か)

少し考えて、返信メールを打つ。

〈本文〉─────────────
了解。
後でみんなと打ち合わせましょう
ネイガウス先生に聞いたのだけど
燐が殴られたんですって?
─────────────────

送信し、ケータイを懐に直した。

「──羽丘先生、よろしいですか?」

「えっ、フェレス卿…?」

「合宿についての打ち合わせを」

「あ、はい。わかりました…」

メフィストに導かれ、職員室を出る。

「…ところで優月は、奥村くんが殴られた事件についてご存知で?」

「はい。…あの、それでは燐が殴られたことが事件のように聞こえます」

「おや、これは失敬★張本人であるお2人の名前から…さしずめ、“竜神の乱”とでも呼びましょうか?」

「無駄に格好いい名前を付けないでください!ただの言い争いでしょう?」

「あぁ…問題なのは合宿の進行か」

促されて入ったのは会議室だった。

そこには、雪男やネイガウスを始めとする講師が揃っていた。

「皆さん、既にお揃いでしたか」

雪男の隣に優月、その隣の席にメフィストが座る。

「ええ、まぁ。フェレス卿から緊急に呼び出されれば、誰だって…」

「え?私、呼び出しなんて…」

「羽丘先生は私がお迎えに上がる予定でしたので。予定通りで実に結構!」

(“早く本題に入れよ”って顔されてますから!素直に空気読んで下さい…!)

ハラハラしながら、平静を装う優月。

「──さて、皆さんを集めたのは他でもありません。“竜神の乱”による、候補生(エクスワイア)認定試験への影響について」

(真面目な顔して、そこで使いますか?!しかも、ずい分とまとめたわね…)

「奥村先生は、どうお考えですか?」

「そうですね…連帯責任として、全員にバリヨンの刑なんてどうでしょう?」

(フェレス卿の説明で通じてる…!)

「ほぉ…なるほど☆…では、それでいきましょう!」

ついでに細かい作戦を確認する。

「──そこで僕が抜けて…」

「グールに襲わせ…」

「倒した所で私が登場!」

「そして合図で私達も登場、ですね」

雪男、ネイガウス、メフィスト、優月の順に引き継いで説明する。

「…まぁ、なるようになるでしょう。──先生方、報告書もお願いしますよ」

「はい」

「では、また後ほど」

ポンッと煙に包まれて消え去った。

「…解散しましょうかネ!」

ガヤガヤと立ち上がる教師陣。

「ネイガウス先生!」

「…雪、どうしたの?ネイガウス先生なら、もういないみたいよ」

「…そう…。ならいいや」

「お話でもあったの?」

「…。襲撃役とはいえ、ちょっとやり過ぎじゃないかと思って」

「やり過ぎ?そうね…そう言われれば、そうかもしれないけれど…」

歯切れの悪い優月に、首を傾げた。

「結果的に、燐の正体もバレていないし、朴さんの魔障も治るのでしょう?」

「だけど…危険にさらした。どっちもギリギリだった」

「そうね。でも間に合った。…それにどちらも、これからも可能性があるわ」

「確かに、これからも可能性はあるけど、今は僕等の生徒なんだから…!」

「過保護は良くないわよ。それじゃあ良い祓魔師(エクソシスト)が育たないでしょう」

「…」

雪男はまだ何か言いたげだったが、何も言わずに踵を返す。

(…雪。貴方と私は違うのよ…)

「皆さん、少しは反省しましたか?」

場所は男子寮旧館の、ある一室。

正座した8人の膝に、重そうな人面岩が乗っている。

「バリヨンの刑はツラいでしょうね」

「な…なんで俺らまで…?!」

「連帯責任ってやつです」

「この合宿の目的は“学力強化”ともう一つ、“塾生同士の交友を深める”というのもあるの」

「…こんな奴らと馴れ合いなんてゴメンよ…!」

「コイツ…!」

勝呂が身を乗り出した。

「馴れ合ってもらわなければ困る。──祓魔師(エクソシスト)は1人では闘えない!」

「…そうね。お互いの特性を活かし、欠点を補い、2人以上のパーティで闘うのが基本だわ」

「実戦になれば、戦闘中の仲間割れはこんな罰とは比べものにならない連帯責任を負わされる事になる」

2人の言葉に、出雲が目を伏せる。

「…そこを、よく考えて下さい」

「──じゃあ、私達は今から任務があるから」

「は?」

「そうですね。3時間ほど、小さな任務で外します」

雪男が腕時計を確認する隣で、優月がパチンと指を鳴らした。

「?」

「…魔除けよ」

(…なんて。“そろそろ部屋を出る”っていう合図なのだけど)

「昨日の屍の件もあるので、強力な魔除けを施しておきます」

(…私達が詠唱騎士の称号(マイスター)を持っていないって、みんな気付かないのかしら)

流石の優月でも、指を鳴らすだけで強力な魔除けなんて無理である。

「念のため、この寮全ての外に繋がる出入口に施錠していきます」

「施錠って…俺ら外にどうやって出るんスか」

「あら、出る必要はないでしょう?」

「僕等が戻るまで3時間、みんなで仲良く頭を冷やして下さい」

笑顔で退出し、足早に離れる。

「どうして急いでるの?」

「グールとバッタリ会いたくはないもの」

少し離れた他の部屋へ逃げ込んだ。

「…そういえば、2人が喧嘩になった経緯をまだ知らないの」

「…ネイガウス先生に聞いたんじゃなかったの?」

「神木さんと勝呂くんが言い争って、何故か燐が殴られたとは聞いたけれど…口数の少ない方だから」

「ふぅん…」

腑に落ちないといった表情で、ゆっくりと経緯を話し出す。

「じゃあ、燐を殴ったっていうのは神木さんだったの?それに、仲裁に入った訳じゃなかったのね…」

「うん、まぁね」

「──このあと、雪はここで待つの?」

「そうだね。出番まで隠れとくよ」

「私は天井裏だから、行ってくるわ」

「行ってらっしゃい」

天井の板が一部だけ外されていた。

(あそこから行けるかしら…)

「…肩車でもしようか?もしくは、脚立か何か…」

「ありがとう。でも大丈夫」

言って、ぴょんと天井裏へ飛び上がる。

「さ、流石は優月…」

当然だが、天井裏は暗く埃っぽかった。

(あ、フェレス卿…)

その中で、黒い祓魔師(エクソシスト)は目立たないが、白い悪魔は目立っている。

ニヤリと笑ったメフィストが、足下の板の隙間を指差した。

“──耐えざらん!!!”

丁度、勝呂が詠唱でグールを祓ったところだった。

(致死節?なかなかやるわね…)

“坊!!うわぁぁ、良かった、坊!”

へたり込む勝呂に、子猫丸が駆け寄る。

そこに、ドタドタという足音が近付いて、燐が駆け込んできた。

“おい!…ぶ、無事?”

“おおおおまっ…!もう一匹は…?”

“え…?あぁ、倒した!お前等も倒したのか?スゲーじゃ──え?”

“なんっ…なんやお前、なんて奴や!死にたいんかーーっ?!!!”

“ぼ…坊ーーーん!!!”

よく見えないが、燐は今度は勝呂に殴り飛ばされたようだ。

“…大丈夫?”

“う…うん”

“…あたし、あんたが大っ嫌い…!…でも、今回は助かったわ。それだけ…!”

“…!っ、うん!”

出雲としえみの関係も、少しはマシになったようである。

(良かった…。これできっと、しえみさんも神木さんも大丈夫ね)

“…これは…”

“雪男!”

“先生!”

雪男の背後からスッとネイガウスも部屋に入った。

“!…ネイガウス先生”

燐が口を開くよりも早く、メフィストは足下の板を外す。

ひらりと舞い降りていった…。

──燐の頭上へ。

「雪男!そいつてき──ング?!!」

「おや、失敬☆」

不意に背中を蹴られ、燐はメフィストの下敷きとなってしまった。

「ハ~イ☆訓練生の皆サン、大変お疲れサマでした~!」

「メ…メフィスト?!」

「???…あれ…って、理事長か…?」

「どーゆーこと…?」

「理事長であるこの私が、中級以上の悪魔の侵入を許すわけがないでしょう!」

パチンと合図を受け、優月もメフィストと同じ穴から飛び降りる。

「ぐぇっ?!」

立ち上がろうとしていた燐は、再び下敷きになった。

「あら、ごめんなさい」

「…親子そろって…!」

見渡せば、他の教師陣も押し入れや床から現れている。

「医工騎士の先生方は生徒の手当を」

「…???」

あぐらをかいて座った燐が、キョロキョロと見回した。

まさか、と勝呂が呟く。

「そう!なんと!この強化合宿は、候補生(エクスワイア)認定試験を兼ねたものだったのです!」

「はがっ?!」

燐の視線を感じて、出雲の手当てをしていた雪男が振り向き、ニッコリと微笑んだ。

「合宿中は、そこかしこに先生方を審査員として配置して、みんなを細かくテストしていたの」

優月が苦笑しながら説明する。

「これから先生方の報告書を読んで、私が合否を最終決定します。明日の発表を楽しみにしていて下さいネ☆」

メフィストのウインクで締めくくった。

その日の夜、静寂が戻った男子寮旧館。

「…雪、仕事着でどうしたの?緊急の任務?」

「あ、優月。ううん。しえみさんと進路について話しに行こうと思って」

「そう…大変ね。行ってらっしゃい」

雪男は祓魔屋へ繋がる鍵を使った。

(…私は、屋敷に…)

ヨハン・ファウスト邸行きの鍵を使う。

「報告書も読み終わり、全員の合否も決定しました」

理事長は優雅に紅茶を飲んでいた。

「えっ、ずい分早かったんですね」

「たまには私も頑張るんですよ」

「普段から頑張って下さい…。塾長で、理事長で、支部長なんですから」

「そして、貴女の父親ですからね☆」

「え?ええ…」

メフィストが優月と向かい合ったソファーに移動すると、使用人が2人分のティーセットをテーブルに用意した。

「ハァ…優月に出すカップが違いますね」

指摘された年若いメイドの顔からサーッと血の気が引く。

ゴスロリ風のメイド服(もしかしなくてもメフィストの趣味だと思われる)を着た、ロングストレートの黒髪が美しい女性だった。

「っ…失礼いたしました」

「そんなの、私は構いませんが」

「甘くしてはいけませんよ」

メイドは慌てて、来客用カップから優月用のカップに取り替えた。

「申し訳ございません!私、その…!新しく入ったばかりで、優月様とお会いするのは初めてで…!」

「そういえば、見かけない顔ね。…フェレス卿、またクビにしたんですか?」

「無断で優月の部屋に入ったんですから、妥当な処分でしょう」

冷静な2人とは対照的に、真っ青なメイドは勢いよく頭を下げる。

「本当に短い間でしたが…!」

「ちょっと待って。…お義父様、許してあげてください。お願いします」

「優月様…?!お、お願いします!」

「…ハァ…優月に免じて許しましょう」

「あ…ありがとうございますっ!」

ただし、とメフィストが指を立てた。

「反省してほしいので、謹慎処分を下します 」

「そ、そんな…!私、田舎の父に仕送りしたいんです!」

「…もしかして、男手ひとつで育ててくれた、とか?」

「はい。父ももう働けなくて…!」

優月は彼女を自分と重ねた。

「…お義父様。その謹慎期間、私に任せて頂けませんか?」

「優月…何を考えているのです?」

「男子寮旧館に派遣します」

「…勝手になさい」

メフィストは呆れたように呟いた。

「優月様、ありがとうございます!!」

「いいのよ。──貴女、名前は?」

「五十鈴でございます」

「いすず、ね…。簡単に荷物をまとめて、このあと一緒に寮へ行きましょう」

「はい!かしこまりました!…失礼します」

五十鈴は静かに、だが速やかに退室した。

「…それで、何の話でしたっけ?」

「…忘れました」

ため息をついたメフィストが、2人のカップに紅茶を注いだ。

「優月は何故、私の所へ?」

「あ、それは…前にも言いましたが、宝くんと山田くんのことです」

「ほぅ…?」

「あの…2人の合否は…」

「ぶっちゃけ全員合格です☆」

「えっ、あぁ…え?!何故ですか?」

あそこまでサラリと言われると、こちらもサラリと流しそうになる。

「実力があるので。──気になるなら、山田と名乗る人物…探ってみては?」

「…何者ですか?」

「貴女も知っているはずですよ」

「え?それは一体…」

「ですが、あくまで内密にお願いしますよ、羽丘先生」

その呼び方に違和感を覚え、ハッとドアに目を向けた。

コンコン、とノックした人物は返事や許可を待たず、理事長室へ入ってくる。

「ネイガウス先生…。っ?!」

「おや。そんなにふらついて…大丈夫ですか?」

壁にもたれたネイガウスは顔色も悪く、腕が血に染まっていた。

「…。…討ち損ねた」

「しかも、その様子では返り討ちにあったようですね」

「?…そんなに強力な悪魔が…?」

「は…?」

ネイガウスが訝しげに優月を見る。

「ええ、強力な悪魔です!そのうち聖騎士(パラディン)が来るでしょうねぇ。──あぁ、目には目を、という考えも…」

「そんなことが…」

信じ込んだ優月が、使用人に包帯を持ってこさせた。

「…優月が巻くんですか?」

「はい。医工騎士でもなければ、巻いたこともありませんが…奥村先生の手当てはよく見ているので」

ネイガウスの腕に丁寧に巻いていく。

「…見よう見まねにしては上出来だ」

「良かったです。…自分で巻くのは難しいでしょうから、私で良ければいつでも言ってください」

「…」

コンコン、と控えめなノックが響く。

それは丁度、包帯を巻き終えたときだった。

「はい?」

「あ…五十鈴でございます」

「あっ!ごめんなさい、すっかり忘れてたわ…」

「い、いえ…!」

「フェレス卿、ネイガウス先生、お休みなさい」

「彼女の給与は私が。…良い夢を」

「ここが男子寮旧館よ。…屋敷と比べれば、住み心地は良くないけれど…」

部屋へ向かいながら、そう説明した。

「優月様は、ここに住んでおられるのですか?!」

「え、私?そうよ。五十鈴も少しの間、私の隣の部屋を使ってもらうわね」

「わ、私は田舎の出身ですから、平気です!本当にありがとうございます…!」

「いいえ。…結局、お給料はフェレス卿が出してくださるようだし」

近くでガチャリとドアが開き、祓魔師(エクソシスト)コート姿の雪男が覗く。

「おかえり、優月。…そちらは?」

「屋敷のメイドの五十鈴。訳あって、しばらくはここの掃除などをお願いするわ」

「優月様、こちらはもしかして…未来の旦那様となるお方ですか?」

「ぶっ?!」

「貴女、そういう言動を慎まない限り、ファウスト邸には戻れないわよ」

「も、申し訳ございません…」

「ま、まぁまぁ、優月。…僕はこの部屋に住んでる奥村雪男です」

「よろしくお願い致します、奥村様!」

「さ、様はちょっと…」

慣れていない雪男はくすぐったそうだ。

「あぁ、その呼び方は良くないわ。雪には双子のお兄さんがいるの」

「そうなのですか?」

「あ、はい。兄さんなら、同じ部屋に。名前は奥村燐です」

「ちなみに、燐も尻尾があるから」

「ちょっ、優月…」

雪男の心配は杞憂に終わる。

「承知しました。雪男様に燐様ですね。 私は優月様の逆隣のお部屋ですから、何かありましたらお申し付けください」

「えっ、あ…はい」

「もう休んで結構よ。明日からお願いね。とりあえず広くて古いから、掃除だけでも大変だと思うけど」

「はい、かしこまりました。…失礼いたします」

お辞儀をして、部屋へ入っていく。

「…僕と優月じゃ、住む世界が違うな…。改めて思い知らされたよ」

「え?そんなことないわよ。…そんなこと、言わないで…」

「え、優月…?ごめん…」

少しショックを受けたような優月に、雪男は内心戸惑った。

「…それより、雪、どうしてまだ仕事着なの?」

「あ、これは…優月がいない間に色々あったんだよ。ネイガウス先生が、兄さんを襲って…」

「…どういうこと?」

自分の部屋に彼を招き、詳しく尋ねる。

「…じゃあ、ネイガウス先生のあの傷は…。それに、フェレス卿の指示で燐ばかりを狙っていたなんて…」

信じられない、そんなはずはない、と言いたげな顔で呟いた。

「…優月、こうなるって知ってて、わざと寮を出てたわけじゃないよね…?」

「…どういう意味?私を疑ってるの?」

「信じたいよ。…フェレス卿とネイガウス先生はグルだと思ってるけど、優月は何も知らないって信じたい」

「…私は…本当に何も聞かされてないの。巻き込まないつもりだと思う」

「…そっか、わかった。…ごめん」

悲しそうな優月を、優しく抱き寄せる。

「雪…大丈夫?疲れてるの?」

「…そうかもしれない」

「私じゃ癒されないでしょう?」

メフィストに抱きしめられたときと、何かが違う気がした。

「そんなことないよ。あたたかい…月の光みたいで、安心する」

「…ごめんなさい」

「どうしたの?」

「…何でもない。でも…ごめんなさい」

これから先、何があるかわからない。

貴方と自分の心を裏切るかもしれない。

優しい月の光は、貴方の心の闇を照らさなくなるかもしれないわ…。

「無事全員、候補生(エクスワイア)昇格…!おめでとうございま~す★」

翌日の祓魔塾に、優月と雪男を率いたメフィストの声が響く。

「お…おおおっしゃああぁー!!」

「よ、良かった…!」

「やったぁぁ!!」

フフフ…、と笑うメフィスト。

「では、皆さんの昇格を祝して…」

「おっ」

「この、リッチな理事長である私が皆さんに…」

「お?お?」

「もんじゃをごちそうします☆」

ガクッとコケた生徒一同。

「えー?!」

「もんじゃかい!」

「せめて焼き肉…」

「ほら、行きますよ」

ポンッと煙に包まれ、自分だけ一瞬で浴衣姿になった。

「──ネイガウス先生の件は申し訳ありませんでした」

もんじゃ屋さんに着くと、中は生徒に任せ、3人は少し離れていた。

「…」

「まさか先生が私情に走るとは思っていなかったものですから…。今後はこのような事はないようにしますよ」

「…よろしくお願いします」

先生ぇ、と呼ばれた雪男が中へ入る。

「…お義父様は、一体何を考えているのですか?」

「優月…。…私は私なりに、末の弟のためを思っているということです」

「燐のため…?」

更に声をひそめた。

「ええ。出来れば貴女を巻き込みたくはありませんがね…」

「ネイガウス先生は、巻き込んでも構わない、と…?」

「彼は…本望でしょう。お互いに利用しているようなものですし」

「…どういう意味──」

「うっまそー!いただきまーす!」

「え…ちょ…待っ!貴方達!!…ここのチーズ豚モチもんじゃは、私の大好物ベスト3なんですよ!!」

「…」

優月そっちのけで慌てて中へ入る。

(…ああしてると、年も感じさせないし、普通の人間みたいなのにね…)

フッと頬を綻ばせ、養父の後に続いた。

仲直りしよう

「…暑いわね…」

自覚ナシのお嬢様──羽丘優月は、まるで廃墟の寮が地獄のように思えた。

(みんなはいつも、こんな暑さを耐えているのね…)

とりあえず私服──オーダーメイドの“なんちゃって和服”──に身を包む。

この服は似合わないと思っているのだが、メフィストが注文してくれた服の中では1番動きやすくて戦闘向きなのだ。

ブーブーッ、とバイブ音が鳴る。

(電話…)

「はい、羽丘です」

《南裏門の門番である、ケット・シーのクロが凶暴化!応援お願いします!》

「!わかりました」

右太もものアルテミスを確認し、祓魔師(エクソシスト)ジャケットをばさりと羽織った。

(あのクロが…)

ジャケットのボタンを閉めながら廊下へ出ると、メイドが立っている。

「五十鈴、どうしたの?」

「あ、優月様、おはようございます。──燐様と雪男様のお部屋のご様子が…」

「あぁ、確かに騒がしかったわね。…私達は任務に行くから、私達の部屋も掃除をお願いできるかしら?」

「かしこまりました」

五十鈴が優月の部屋に入ると同時に、奥村兄弟が出てきた。

「おはよう。…あら、雪、コンタクトに変えたの?」

「優月、おはよう。…兄さんに割られたから、今からスペアに変えるだけだよ」

「わざとじゃねーよ…」

話は他愛もない日常会話だが、身なりや装備を確認しながらの小走りである。

「…それより、燐は呼ばれていないはずよ?寮に戻りなさい」

「雪男の2番目の眼鏡が心配で」

「意味がわからない…!兄さんの相手をしてる暇はないんだ!帰れ!」

「やーだねっ!」

燐は意地でもついて来るようだ。

「中一級祓魔師(エクソシスト)の奥村雪男です」

「同じく羽丘優月です」

立ち入り禁止のテープの所に立っている祓魔師(エクソシスト)に、2人が免許を見せる。

「お待ちしてました!どうぞ!」

「…そして候補生(エクスワイア)の奥村燐です」

「調子に乗らないで…」

グルル…、といううなり声が聞こえ、南裏門から裏門通りへ向かった。

「クロ…!」

大量の麻酔を撃たれても尚暴れる、巨大化した黒いケット・シー。

《──うそつき!》

「えっ…?!」

「…どうしたの、燐?」

他の祓魔師(エクソシスト)に話を聞く雪男を横目に、優月は燐に話しかけた。

「今、聞こえなかったのか?」

「え?いいえ…何が聞こえたの?」

「“嘘つき!”って」

「本当?…まさか、クロ…?」

「わかんねー」

雪男達の会話に耳を傾ける。

「──藤本神父が亡くなったこと、うっかり口を滑らせて…」

「それをクロが聞いてしまったようで…。あの…クロはどうなるんでしょう…?」

「…大丈夫です。我々祓魔師(エクソシスト)が処分します」

「どういう事だ?」

話についてこれない燐が、優月と雪男を交互に見る。

「ジジィが死んだのと何の関係があるんだよ」

「…あのケット・シーは…」

「藤本神父の、使い魔なの」

驚く燐を尻目に、クロに襲われる祓魔師(エクソシスト)たちに駆け寄った。

「大丈夫ですか?!」

「奥村くん…羽丘さんも、来てくれたのね」

「…!クロ、落ち着いて!」

祓魔師(エクソシスト)たちを庇うように立った優月に、クロが襲い掛かる。

「ぐっ…!!」

容赦なく地面に叩きつけられた。血の味がする。

「優月!何してっ…?!君が落ち着いてくれ!」

倒れた優月を抱き起こし、怪我の具合を確かめた。

「自分の身を盾にして、誰が喜ぶと思っているんだ…」

「…ごめんなさい、雪…。クロにはこれ以上、誰も傷付けてほしくなくて…」

「…僕が楽にしてやる」

月の祓魔師

月の祓魔師

青の祓魔師にオリキャラを加えた二次小説です! メフィストの娘/雪男オチ予定

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-04

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 月光の加護を
  2. 祓魔師は一人では闘えない
  3. 仲直りしよう