魔都上海の街角で
1930年代の上海は魔都と呼ばれ、そこには、あらゆる快楽と退廃と犯罪、そしてそれと同じ大きさの夢と希望があった。
特に日本人にとっては特別な街だったに違いない。夢を追って日本から来た若い男達はこの上海(シャンハイ)を、親しみを込めて、「ハイシャン」(とびきりのかわいコちゃん)と呼んだ。
「あそこでまってるわ」とオルガが云っていたとふと思い出した。
虹口(ホンキュ)から上海城内の方向に歩いた。夕闇に街燈が灯りはじめ、その光が夕刻の街の輪郭を余計にあいまいにしていた。
ブ ロードウエイマンションの巨大な建物のふもとからガーデンブリッジ鉄橋を抜け、外灘(バンド)に出た。そこからは英国租界である。黄浦公園を左に見ながら しばらく歩くと、南京路(ナンキン・ルー)の入口にキャセイホテルの入っている銀行の建物がある。その建物をエレベーターで上に上がると、ナイトクラブと 同じ階に、こ洒落たカフェがあった。
入店してすぐにオルガのいるテーブルを見つけそのテーブルの彼女の向かいに腰をかけた。
眼が合うと開口一番彼女が云った。
「昨日また、黄浦江(ワンプージャン)に死体が浮いていたって聞いたわ。すぐに日本軍がやってきてその死体を運んで行ったそうよ。イポーニェツ(日本人)毎日殺されてるわね、あなたも気をつけてね・・・」
(昨日の奴はササガワのとこの若い衆だな)と思い起こしながら、私は無言で、ひきつるように口元に笑みを浮かべてみた。
運ばれてきたスコッチを一気にあおると、口元にティーカップを運ぶオルガの白い指を見つめた。その指先が煽情的だと漠然と思った。
隣のナイトクラブでは、そろそろジャズの演奏が始まる時間だ。
「そろそろ隣に移ろう・・・」
と言ったときに、オルガがぽつんと言った。
「今日は49日目ね。今日はみんなあっちの世界へ行く日なのよね・・・」
一瞬何が云いたいのかわからなかったが、49日前というのが、この街が被った激しい空爆の事を言っている事はわかった。
それは日本軍が行ったものだと喧伝されたが、この地区で多くの日本人も被爆した。
そしてオルガが云う49日目とは、彼女は、多分仏教でいうところの四十九日(しじゅうくにち)の喪明けのことを言ってるのだと悟った。最近彼女は日本文化にとても関心を示している。
「それはちがうよ・・・」
と私は言った。
「死んだ人間がこの49日間ちゃんとした供養を受けてきたのなら・・・彼らはあっちの世界へ行くことはできるけど、供養を受けてこなかった身元不明者や行方不明者たちはあっちの世界に行けず、この辺で漂っていることしかできないんだよ」
「じゃあその人たちのために祈ってあげなきゃ・・・」と彼女が云った。
その瞳を見つめながら、私はこの日初めて、このロシア娘を愛おしいと思った。
1937年10月2日 上海にて
魔都上海の街角で