マサムネ

マサムネ

我が家の一員、末っ子の「マサムネ」
ほんの一時を家族と共に過ごし、逝ってしまった猫の思いでを綴る

 マサムネが死んだ。娘はポロポロと涙をこぼして泣いた。僕も、悲しくて泣きたかったけど、大の大人が猫のために泣くのもちょっと恥ずかしい気がして、涙を堪えた。
 二年三ヶ月を、我が家で過したマサムネを、庭の樹の根元に埋めた。僕がシャベルで穴を掘り、マサムネの死骸を埋める間、娘と息子は線香をあげて、泣きながら手を合わせていた。


 マサムネが我が家にやってきたのは、秋が冬に変わろうとしている寒い晩の事だった。
妻はいつものように
「深夜の徘徊に出かけてくるね。」
と言って、夜のジョギングに出かけた。
そして、いつもより早く、息を切らして家に帰って来たときには、その両方の手のひらには一匹づつの小さな仔猫が入っていた。
 途中でミーミーと泣き声が聞こえたので、見回したら二匹の仔猫が捨ててあったのだという。
すぐにも凍え死にそうな、そんな二匹は、我が家に暖かく受け入れられ、大騒ぎが始まった。ミカン箱に僕の着古したセーターが敷かれ、妻はどこからか出してきたスポイトで、目も開いていない二匹に暖めたミルクをやった。
「こんな、目も開いてないのは、このまま死んじゃうかもしれないな。」
と言ったおばあちゃんの言葉は、僕も半分はそう思ったのだが、一生懸命に世話をしている妻と娘の前では、口に出せなかった。


 数日後、二匹のうちの大きくて元気な方は、どうやら生き延びそうだった。そいつにヒデヨシと名前をつけたのは、息子だった。息子が愛読している「アタゴオル」という漫画の主人公がヒデヨシという名前の猫だったのだ。
 漫画のなかのヒデヨシはデブで、大声で音痴で、食い逃げが得意で、そのくせ友達から見放されず、なんとなく憎めないというキャラだった。こんなに小さな仔猫が、そのうちにそんなふてぶてしい猫に成長するんだろうか、とちょっと気になったが、一方ではそんな風になるくらいまで、たくましく成長して欲しいという願いもあった。なにせ、いつ死んでしまうのかも判らないくらいの仔猫だったのだから。
 片方に名前が付いたのだから、もう一方にも名前をつけようと言い出したのは、僕だったと思う。ヒデヨシの相棒だから、マサムネという名前にしようと言ったのも僕だった。
 ヒデヨシの両目が開いた後も、片方の目が目脂で塞がれて、うまく開かないので、独眼竜正宗から思いついたのだ。ヒデヨシと張り合うには良い名前だと思った。その頃、我が家のラジカセでよく流れていたスピッツの曲からも、そのイメージは広がった。もっともスピッツのヴォーカルの名前が、草野マサムネだというのを知っていたのは、家族の中で僕だけだったのだが。


 二匹は、今思えば二匹だったからだろうが、幸いにも生き延び、我が家の最小のメンバーとして迎え入れられた。双子の男の仔。やんちゃな末っ子たち。トラ縞の兄弟で、ヒデヨシは黒、マサムネは白と、はっきりと区別も付き、家族に溶け込んでいった。キャットフードを食べ、皿の飲みものもミルクから水に変わった。
 トイレも用意されて、猫用の砂に2匹が揃って手足を踏ん張っているようなこともあった。その姿がかわいらしかったので、台所の隅の土間に砂場が置かれていたのだが、家族が食事中にトイレをしても、かわいいという理由で注目を浴びた。
 
 悪戯もするようになった。二匹だったので、その賑やかさは大変なものだった。お互いの尻尾をつかまえようとしては、座敷中を走り回り、カーテンには爪を立てて、天辺まで登り、空中戦のようなじゃれ合いを繰り返した。
「まったく、こんなにカーテンをボロボロにして。」
と言いながらも、おばあちゃんまでが目を細めて、それを眺めていた。
 もしかしたら、それは年の近い娘と息子が、幼かった頃に、まるで双子のようにじゃれあっていた姿を、思い起こさせたのかもしれない。
最初は台所のミカン箱の中だけだったテリトリーは、たちまちのうちに広がっていった。家の中から、庭に出て行くようになったばかりの頃は、近所の野良猫の影が横切っただけでも、怯えて家の中に逃げ帰って来たものだったが、次第に壁を背にして、全身の毛を逆立て、フーと生意気な声をあげるようになっていった。実際には一人前の野良猫には、相手にされないようなチビだったのだが、通過儀礼のように、庭先でテリトリーを防衛し、こてんぱんにやられては、家の中に逃げ帰り、二匹してまた敵に立ち向かうという、賑やかな日々を過し、チビ猫たちも少しづつ成長していった。

 季節も巡り、暖かな時期になると、二匹の行動範囲はさらに広がった。猫たちの恋の季節も重なっていたが、まだ生後半年のチビ猫が相手にしてもらえるはずもなかった。しかし、夜を屋外で過ごし、朝帰りをすることも当たり前のようになってきていた。
朝、玄関を開けるとそこで待っていて、当然のことのように、ニャーと鳴いて餌をねだる。悪びれもせず、夜遊びをしてくる姿には、青年の逞しさがすこしづつ見え隠れするようになった。相変わらず、近所の野良猫とはテリトリー争いを繰り返していたが、その頃には、我が家の庭は二匹のテリトリーに確定しつつあった。
庭の樹に登って、飛んでいる蝶めがけてジャンプしたり、蝉を捕まえたりと、行動も逞しくなり、悪戯もやんちゃになっていった。さすがにネズミは捕まえはしなかったが、蝉はよく捕まえてきた。しかも、自慢げに家族の前まで、まだ生きている蝉を見せに来たりした。

 そんな初夏の頃だった。ヒデヨシが3日ほど家に帰らない日が続いた。雄猫は家に居つかないで、出て行ってしまうという、世間での話も有ったので、そんなこともちょっとは考えたのだが、マサムネが居るのにヒデヨシだけが、どこに行ってしまったのか、家族みんながいぶかっていた。
 子供達もヒデヨシの不在を淋しがって居たし、マサムネは相棒の不在を持て余して、どことなく所在無さげだった。
 ヒデヨシの姿が見えなくなってから3日目。隣の家の脇を、おばあちゃんが通りがかると、屋根の上から弱々しい猫の鳴き声が聞こえたそうだ。もしやと思い、その場に有ったはしごを借りて、屋根の上を覗くと、ヒデヨシが居たという。
 どうやら、野良猫に追われて、屋根に上がった挙句、降りられなくなっていたらしい。そんな事でおばあちゃんに助けられて、ようやく帰宅したヒデヨシは、だいぶ懲りたのか、家の中でのんびりと、マサムネとじゃれあって過す日々を1週間ほどおくった。
 そして、ある朝家族が起きていくと、ひっそりと冷たくなっていた。

 おそらく熱射病やら脱水症状やらで、体力も衰えてしまったのだろう、と家族の中では納得したのだが、死因が何であれ、ヒデヨシが死んでしまったことには変わりは無く、残された家族達には悲しみが残った。マサムネもまた、双子の相棒の死をどう受け止めて良いのか困惑している様子だった。
猫という生き物に、死という概念やそれに伴う感情があるとは思えないが、今までそこに居たものの不在という喪失感は感じるのかも知れない。


 しかし、家族にとっても、マサムネにとっても、日々は流れ、庭先にヒデヨシを埋めて一週間も過ぎると、ヒデヨシの不在にも慣れてきた。
 マサムネはテリトリーを一人で守れるようになってきていた。しかし、以前のように二匹でじゃれまわることはなくなったので、その分行動はおとなしくはなった。

 秋が過ぎ、冬が来て、マサムネが我が家に来てから、丸一年が過ぎた。
マサムネも、もうすっかり大人になり、近所の野良猫たちとも、十分に対抗できるようになっていた。次第に貫禄が付いて来るマサムネの体型は、もう子供の頃の姿から、すっかり壮年へと変わって行った。
 最初の頃の、みかん箱は片付けられ、居間のティッシュカバーのぬいぐるみの上がマサムネの居場所になった。妻や息子に遊んでもらう時以外は、その上で転寝をしている姿が、当たり前のようになっていた。
 家族で揃って夕飯の時間になると、当然のようにやってきて、娘のひざの上に上がった。食卓の上に顔を出して、好物が無いか眺め回して、僕やおばあちゃんに頭を叩かれるのも、恒例だった。家からの出入りは台所の掃き出し窓を、カリカリと引掻いては意思表示をした。それは、昼も夜もかまわずだったから、深夜、家族が誰も居なくなって、外で寝ることもあったし、間一髪滑り込みで、帰宅することもあった。
 どちらかと言えば、外泊の方が多かったかもしれない。多分、車庫の隅のダンボールの上にでも上がって、近所の野良猫たちに、睨みを利かせながら、夜を過したのだと思う。
 朝一番に台所に行き、まだ薄暗い部屋に灯りを点すと、すぐにカリカリとマサムネの合図が聞こえる。ファンヒータのスイッチ入れ、マサムネを入れてやり、ラジオをオンにして、マサムネの餌をやる。そんな一連の作業がパターン化してきていた。


 暖かい季節がやってくると、毛の生え変わりが目立つようになった。妻と娘で、マサムネの衣替えと言っては、体中をブラッシングしてやると、驚くほど沢山の抜け毛が取れた。
 それは自然の摂理でもあるのだろうが、マサムネの持っている野生や生命力を、誇っているような感さえあった。
逞しさが身についてからも、我が家の中では、相変わらず末っ子のポジションに居たから、マサムネが娘や息子のおもちゃにされることも、頻繁だった。もっとも、どちらが遊ばれていたのかは良く判らなかったのだけれど。

 息子が、猫じゃらしのおもちゃで散々からかって、それを電燈の紐に結んだことがあった。マサムネはしばらくジャンプして、奪取しようとしていたのだが、あきらめた様子で自分のポジションに寝転んだ。息子はもう遊びは終わりだと思って、そのおもちゃを取ろうとした。
 その時、マサムネがいきなり息子の背中を駆け上り、そのおもちゃに飛びついたのだ。息子の背には、マサムネの爪跡が付き、電燈の紐は切れてしまい、結局息子が全て悪いと言うことで、妻にさんざん叱られたのだが、あれはマサムネが悪戯を企んでいたようにも思えた。
僕には、その後いつもの居場所でくつろいでいるマサムネの表情が、叱られている息子を薄目を開けて眺めて、満足そうにニヤニヤと笑っているように見えた。

 外遊びの時に、何をしていたのかは、家族の誰も知らなかったが、帰ってきて、体調を崩すこともあった。何か悪いものを食べて来たらしく、吐いたりしたこともある。
 日頃の食事はキャットフードをやっていたが、その他にも、食卓の魚の骨や皮を、家族皆の分もらったりしていたので、そういう余分の食事もあって、次第にメタボ猫の体型になりつつあった。


 そんな当たり前の日々が続き、マサムネが居なくなることなど、思いもしなかった頃だった。
 ある朝、いつものように朝帰りをしたマサムネは、餌を食べようともしないで、ファンヒーターの前に寝そべった。皿から少し水を飲んだが、その皿に泡のようなものを吐いて、具合が悪そうだった。吐いたものは片付けたが、またいつものように、外で悪いものを拾い食いしたのだと思い、特別深刻には考えなかった。マサムネはそのまま、夕方まで台所のテーブルの下で、うずくまっていた。
 野生の動物は、体調が悪いと、食餌も取らず寝て、体調を整えると言う話を聞いたことがあったし、以前もそうしたので、今回もそれで回復すると信じていたのだ。

 夕方、僕がちょっとした用事で外出した隙に、マサムネはヒデヨシを追って逝ってしまった。
 誰も、その時を見てはいないのだが、妻が見たときには、横向きに足を投げ出すように、横たわって事切れていたそうだ。

 マサムネの死骸は、ダンボールのミカン箱にバスタオルに包まれて一晩安置された。その箱は二匹が我が家に来たときに、最初に入れられた箱と、ちょうど同じサイズだった。
 二匹が入って、中でじゃれあっていた箱一杯になるほど成長して、最後にはまたこの箱の中で眠ることになったのが、不思議な暗合のようだった。

 そして翌朝、僕はヒデヨシを埋めた処の近くにマサムネを埋葬した。庭先の梨の樹の根元だった。あの頃、二匹がこの樹に登っては、蝶に飛びついたりしていた事を思い出していた。
 ふと梶井基次郎の小説のフレーズが頭を過ぎった。我が家の庭の樹は、桜では無く梨と花梨だったのだが。マサムネとヒデヨシは双子の兄弟として、生まれた時と同じように一緒に眠っている。我が家の庭の梨の樹は、春になると白い花を咲かせる。きっと今年からは、双子の花が咲くような気がする。そして僕は、毎年その花を見るたびに、双子の男の子たちを思い出すのだろう。

マサムネ

ほとんどが実際に有ったストーリーです。
この二匹は 我が家の子供たちの弟分として 多感な時期を共に成長して来ました。
動物は人間ほどには寿命も長くは無く、いずれその死を見届けなければなりませんが、
その喪失感は大きく、周囲の家族に響くものです。
また、天寿とまで言えないまま不慮の死を迎えたヒデヨシとマサムネは、家族としては
自らの心に責めを負う出来事です。
でも、家の中に閉じ込め、ペットフードだけを与え、去勢をして、愛玩動物として飼うのではなく、
野性を残し、テリトリーの中を自由にうろつき、おそらく恋もして、その結果、不慮の死を迎えた
二匹の生き方は、私にとっての指針のような気もします。

亡くなった二匹の墓標代りに捧げ
猫を愛するすべての人に送ります。

マサムネ

末っ子の「マサムネ」 双子の兄弟「ヒデヨシ」とともに我が家のメンバーとなり ほんの一時を家族と共に過ごし、逝ってしまった猫。 そんな猫と家族の思い出をつづるストーリーです。 野性を残し、自由に生きた「マサムネ」と「ヒデヨシ」 彼らが家族に残してくれた思い出は・・・

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-14

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