宇宙眼がやってきた。やあ。やあ。やあ。(1)

1 宇宙眼がやってきた。やあ、やあ、やあ。

 春のある日。宇宙の遥か彼方から、地球に一対の眼がやってきた。眼は空に浮かび、地球人を眺めた。地上の人々は、空に浮かんだ眼に誰も気付いていない。オフィスビルの会議室で議論を交わしている者、打ち合わせの時間に間に合わないのか、前傾姿勢で息を切らしながら走っている者もいる。宅急便が急停車した。
 運転手は座席から飛び降りると、荷台のドアを開き、中から荷物を取り出すとビルに飛び込み、すぐに手ぶらで戻って来ると、別の場所に移動した。その空いた場所を待っていたかのように、タクシーが停車し、背広姿のサラリーマンが、しかめ面を笑顔に変え、ビルの中に入って行く。みんな、自分のことが精一杯で空を見上げる暇がないのだ。
 いや、その空も、乱立し、背伸びを続ける高層ビルの隙間にしかない。また、道路の植栽の木漏れ陽から差す光に気付く人もほとんどいない。人間にとって狭小の存在になった空に、ハトやスズメなどが飛び交い、日が落ち、夕刻が迫ると中央通りのクスノキのねぐらに野鳥が群れをなして戻ってくる。そんな空に、宇宙からやって来た眼が漂っていた。
 ある男がオフィスビルから飛び出た。黒いカバンを持っている。営業周りだ。ポケットから携帯電話を取り出す。時間を確認する。まだ、大丈夫だ。その時、背中に視線を感じた。誰かに見つめられている。第六感か、それとも、第七感か。立ち止って、周りを見渡す。誰も自分を見ていない。俯いて足早に通り過ぎる人々だけだ。みんな、他人のことなんか、気にする素振りもない。気のせいか。気のせいだ。自分で納得する。急がないと。男は歩を進める。
 男の眼は歩道のブロックから横断歩道に転じ、赤青黄の信号機に移り、その上の雲を見た。いや、雲じゃない。あんなに輪郭がはっきりとした雲はない。それも黒い。いや輪郭は白い。白い中に黒がある。
 何だ。男は、何回か、まばたきをした。そして、眼を凝らす。眼だ。眼が空に浮かんでいる。空に浮かんだ一対の眼。男の右眼と空の左眼が、男の左眼と空の右眼が見つめ合った。
 その瞬間、空の眼からもう一対の眼が分離した。そう、生まれたのだ。そんな、馬鹿な。男は、眼をつぶり、右手の親指と人差指で眼頭を押さえる。疲れているんだ。さっきまで、パソコンで営業の資料を作っていた。事務所から急に外に出たので、眼が外の明るさに慣れていないんだ。じきに直る。これまでも直ってきた。
 男は、再び、眼を開いた。空を見上げる。信号機は青から赤に変わっていた。その上には、ビルとビルの間に青い空がわずかに見える。雲のような眼、眼のような雲はいない。やっぱり、見誤っていたんだ。よかった。男は、もう一度、眼をつぶり、眼がしらを押さえた。
 その頃、二組になった眼は、示し合わせたかのように二手に分かれると、街を歩く人々やオフィスの窓から見える人々、小学校、老人ホーム、病院などを訪れては、人々を見つめた。人々が漂う眼と眼が合うと、コピーのように、一組の眼が生まれた。
 そうこうするうちに、最初の一組の眼が、かなりの数に増加した。いくら自分以外の世間に無頓着な人々でも、空に浮かぶ眼を眼の当たりにした。だが、まさか、空に眼が浮かんでいるなんて、と、眼の存在は否定した。人々は、眼の疲れから病気だろうと、近所の診療所や総合病院などに飛び込んだ。医師がいくら精密検査を行っても、人々の眼に異常はなかった。
 街中の眼科医師会が集まった。最近、空に眼が見えると言う患者が増えている。パソコンや携帯電話など、電気機器を使用しているため、眼の疲れが原因なのか、それとも、いくらやっても終わらない仕事によるストレスなのか、喧々囂々、侃々諤々などの意見が交わされた。だが、答えはどれも正しくて、どれも誤っているように思われた。ある眼科医が、眼自体に異常があるのではなく、見えた物にこそ問題が隠されているのではないかと進言した。こうした長い議論を経て、ようやく、人々は空に浮かぶ眼を見て、こう叫んだ。
「眼だ。宇宙からやって来た眼だ。宇宙眼だ。やあ、やあ、やあ」
 増殖していく宇宙眼。当初、信号機の上の空中に漂っていた一対の宇宙眼は、二対、四対、八対、十六対と、倍々で増加し、右往左往しながら、四方八方、東西南北、街をぐるりと一周していく。眼たちはそれぞれ、地面に這いつくばったり、宙に浮かんだり、木の上や高いビルの上に、学校の校舎の時計の上、屋根の上に留まった。
 そして、行き交う人々と眼を合わせては、コピーし、増殖した。人々は、増殖する宇宙眼に恐れを抱いた。だが、宇宙眼は、地球に到来した後、ただ、眼を見開いて、人間たちの行動をただ見つめるだけであった。眼が合うと増殖したものの、人々に危害を加えるような行為はしなかった。
 それにも関わらず、放送局や新聞などの記者たちが騒ぎに騒いだ。特集番組を編成し、一日中、テレビカメラを回し続け、放映した。新聞は、朝刊、夕刊だけでなく、号外も出し、詳細に、宇宙眼について記事を流した。やや遅ればせながら、雑誌も、週刊誌や月刊誌で、突然現れた宇宙眼に対し、突然現れた宇宙眼の専門家の意見を掲載した。専門家たちの意見は、「宇宙眼の目的は、人類を滅ぼし、人類に変わってこの地球を征服するつもりである」というSF映画のような論調ばかりで、出版社は、宇宙眼が増殖する以上に、雑誌を増刷し、販売し、利益を上げることに血眼になった。。
 ある学者は、宇宙眼が人間の眼をコピーし、増殖いていく現象を分析し、この能力を活用すれば、病気や事故等で失った眼を再生できるのではないかと論じた。それで、宇宙眼に懸賞金がかけられ、多くの懸賞稼ぎが宇宙眼を捕まえようと街中を奔走した。だが、宇宙眼を捕まえるどころか、かえって、懸賞稼ぎの眼が宇宙眼によってコピーされ、宇宙眼の増殖に寄与するだけであった。
 人々は、こぞって、一日中、テレビを点けっぱなしにして、情報を収集しようとした。その情報は、右耳から入り、左耳に抜け、右眼と左眼の両網膜に映った映像は、瞬間的に消えた。次から次へととめどなく新しい情報が入力されるため、保存しておく必要がないからだ。また、記憶媒体も情報を保存しようにも限界があった。
 そう、頭がパンクしそうで、以前の情報に惑わされて、身動きができなくなったのだ。それならば、行く川の流れのように、情報も流して行った方が効率的ではないかと思った。早速、やってみると、こんな便利な事はない。外部記憶は、テレビや新聞などに任せ、人々は、瞬間的な事象に一喜一憂することで、自分を取り戻した。
 突撃レポーターは、突撃カメラマンと同行し、アポイントは取らず、公園や道路など、あちらこちらに点在する宇宙眼に突然マイクを向け、「宇宙眼さんたち。あなた方の目的は何ですか」と尋ねるものの、宇宙眼は、相変わらず、眼を大きく見開いたままで、何も語らなかった。いや、語る口を持っていなかった。
 レポーターは宇宙眼からのコメントをもらえなかった代わりに、自分の眼をコピーしてもらい、レポーターにそっくりの宇宙眼がこの世に誕生した。その眼を見て、気持ち悪がるレポーターもいたし、子どものいないレポーターは自分のDNAが宇宙人にまで継承された、と喜ぶ人もいた。一喜一憂である。
 この様子がテレビで放映されると、家族からも縁を切られ、友人との付き合いもなく、1LDKの部屋に引きこもりがちであった人たちが、「そうだ、そうだ、全くだ」と、こぞって宇宙眼に会いに出かけ、自らの眼をコピーしてもらい、自分そっくりの宇宙眼が生まれることに喜びを感じた。そう、もう一人じゃないんだ。
 眼をコピーされた者の中には、自分の名前が耕一なので、コピー眼に耕二と名付け、役所に出生届を提出しようとした。また、資産家だが、相続人のいない老婆は、コピー眼に土地や家などの莫大な資産を相続しようとした。だが、そんな人間の勝手な気持ちを知ってか知らないのか、コピーされた眼は、原本である人間には全く興味がないのか、子どもが巣立つように、コピー先である新たな原本を求めて旅立つのであった。
 宇宙眼が出現した際、ほとんどの人々が宇宙眼にコピーされるのを恐れて、ビルや校舎の奥に逃げ込んだり、地下室に閉じ籠った。隠れた人々は、部屋の中で、テレビや新聞などで、宇宙眼の消息に気を配りながらも、普段、家族が揃うことが少ないので、ここぞとばかりに、トランプやカルタ、人生ゲームやカラオケなどの遊びを家族と一緒に興じた。おかげで、バラバラに崩壊寸前だった家族に絆が生まれ、輪が広がった。宇宙眼のおかげだ。仏壇や神棚に、宇宙眼の写真を奉納し、毎日一回、五体倒地で、お祈りをする者もあらわれた。
 また、宇宙眼を信仰の対象とし、宇宙眼の許可もえずに、勝手に写真を撮影し、教祖とし、宇宙眼開眼教と名乗る集団も現れた。しかし、地下組織の集団なので、宇宙眼から著作権違反とのおとがめは受けなかった。
 地下に潜んだ人々の中には、家族団欒に終始するだけでは満足できない人々もいた。勇猛果敢にも、純粋な好奇心から、マスコミ関係の仕事ではないにも関わらず、地下室を抜けだし、表に出た。出た瞬間、宇宙眼に出会った。思わず、会釈をする。だが、宇宙眼は眼を開いたままで、何の応対もしてくれなかった。ただ、眼をコピーするだけであった。
男は、「ちぇっ、冷たい奴だ。学校や家で、挨拶することを教えてもらえなかったのか」と憤慨する。だが、相変わらず、宇宙眼は、男を見つめたままだった。好奇心の塊は、街の中を巡り巡った。好奇心の塊は、単数形ではなく、複数形であった。次々とマンホールが開き、下水管から、地下に隠れていた人々が顔を覗か、街の様子を窺った。
 人々は、街中を散策した。街中の至る所に、宇宙眼が壁や木の葉などにひっついていた。宇宙眼たちは、相変わらず眼を見開いたままで、眼の前を通る人間たちをただ、黙った、そう、口がないので、ただ、黙って、見過ごすだけであった。黙ったまま、不意打ちではないけれど、人々の眼をコピーした。
 街の人々は、宇宙眼が人々に対して攻撃的ではないので、ようやく安心した。このことは、再び、テレビや新聞、インターネットを通じて、街中に広く知れ渡った。好奇心の塊の跳ね返りの輩から、一歩後を歩く、やや先進的な輩が地下室を抜け出た。
 次に、常識的な人々が地上に戻り、普通の生活を行った。取り残されたのは、石橋を叩きつぶす保守的な人々だったが、自分たちが少数で、地上に人々が普段通り、愉快に、快適に、何の恐れもなくおてんと様の下で暮らしているのをテレビなどで観ると、ようやく腰にぶら下げた頑なな意地を捨てて、それでも、おそるおそると地上の生活に戻っていった。
 地上には、元の通り、街の人々の暮らしが戻った。異なっているのは、信号や電信柱、植栽、ビルの壁、道路の表面などに、宇宙眼が存在することであった。それもいつかは慣れ、人々は、会社や学校に行ったり、バスやトラックに乗ったり、スーパーやコンビニなどのお店に買い物に行った。非日常が日常に飲み込まれた瞬間だった。
 人々は、最初、普段通りの生活をしながら、宇宙眼たちに常に見張られているようで、気持ち悪がったが、子どもたちは、何の気にせずに、街中で遊んでいた。
 子どもたちの中には、木に登り、眼の前で宇宙眼を観察した。宇宙眼は、まばたきもせずに、じっと子どもたちを見つめた。
「宇宙眼さん、宇宙眼さん、笑っちゃだめよ、あっぷっぷ」とにらめっこに興じる子どもたちもいた。だが、「あっはっはっは」と笑って負けるのは、いつも子どもたちの方だった。
大人たちは、宇宙眼が何をするわけではなかったものの、何となく居心地が悪く、行動が慎重になった。
 車は、黄信号なのに交差点に突っ込むことは少なくなり、スーパーやコンビニでも万引きが減少した。会社や学校などでのイジメも少なくなった。バカ話に興じていた者たちも、宇宙眼が見えると、すぐに知的な会話に代え、地球人の印象をよくしようと努めた。宇宙眼の純粋無垢なまなざしが、人の行動に少なからずよい影響を与えたのだ。
 治安維持当局は、この事実を知り、宇宙眼たちに、「見守りボランティア隊」の名誉を与えようとしたが、宇宙眼たちは、「はい」とも「いいえ」とも言わず、ただ、じっと、黙って(口がないからしゃべりようがないが)見つめ返すだけであった。折角、任命書を持ってきた治安維持当局の係員は、あきらめて、その場から立ち去った。
 当分の間、宇宙眼たちは、街で生活した。生活したと言っても、何をするわけでもなく、ただ、眼を見開いているだけではあった。 街の人々は、宇宙眼との共存生活が長くなるに従って、以前は、宇宙眼に見つめられているようで、何かと行動にも制約があったが、宇宙眼に見つめられることに慣れてしまい、宇宙眼の来襲前と同じように勝手な振る舞いをするようになった。
 黄色の信号で交差点に車が飛び込んだり、お店の従業員やガードマンなどが見ていないと、ポケットに商品をねじ込んだり、道路にタバコの吸い殻を平気で撒き散らしたり、通りすがりに、近所の家に咲いているの花を手折って、持ち帰ったりするなど、自己の欲望のままに行動した。非日常が日常に飲み込まれた瞬間だった。そんな街の人々の様子を宇宙眼たちは、眼を大きく見開いたまま、ただ、黙って見つめているだけであった。
 宇宙眼たちは、街の人々の眼を全てコピーし終えたのか、一番最初に街に飛んできた眼が眼配せをすると、一斉に、空に舞い上がった。空一面の、め、メ、ME、宇宙眼。この景色を美しいと思うか、おぞましいと思うか、人それぞれである。
 宇宙眼たちが、別れを惜しむかのようにパチクリ、ぱちくりとまばたきをした。多分、コピーした原本である人々にそれぞれが別れのあいさつをしているのだろう。だが、そのささやかなまぶたを閉じる行為が強風を巻き起こし、屋外で活動していた人々はビルや学校、市庁舎、デパート、地下街に逃げ込まざるを得なかった。まばたきも多数になれば暴風になるし、よかれと思ってやった行為が、結果として、他人に迷惑な行為になることがあるのだ。
 空に浮かぶ対になった宇宙眼たち。ひと通りまばたきが終わると一斉に空高く、雲の上、大気圏、宇宙へと飛び去った。
 宇宙眼が去った後、あれほど、宇宙眼が来襲した時に、騒ぎに騒いだマスコミも、今は、何の関心も示さなかった。ケーブルテレビ局のアナウンサーが、公園で遊ぶ幼児や母親たちに、宇宙眼がいなくなってどうですか、というインタビューが放映されるのみであった。インタビューを受けた母親たちは、
「気持ち悪い眼がいなくなってよかったです」
「でも、宇宙眼が悪い人をなんとなく見張ってくれていたようで、いてくれた方が良かったように気がします」
 様々な意見だった。その放送は、定期的に地域の話題のニュースとして繰り返し放送されたが、視聴率は上がらず、テレビを点けっぱなしにしていても、まばたきをしている間に番組が終わっていたので、人々の話題にならなかった。
 宇宙眼が飛び去った後、乱立するビルの隙間から、青空が見え、地面には光が差すなど、日常が非日常になり、時とともに、非が陽によって、日常に焼き付けられた。

宇宙眼がやってきた。やあ。やあ。やあ。(1)

宇宙眼がやってきた。やあ。やあ。やあ。(1)

1 宇宙眼がやってきた。やあ、やあ、やあ。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-03

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