俊敏のヘルモーズ

第0話

―――――― 2055年。夏の夜。

北の大地の夏は涼しい。
澄んだ空気であるため、光りが良く走る。

宝石を散りばめたような満点の星空。
夏の大三角形が大地を見下ろす。
草原を駆けるそよ風には、草木に潜む虫達が奏でる調が漂う。
それに負けじと、川は清らかな水の音を奏でる。
そして、川岸に打ち上げられた死体は腐臭を放っている。
彼らなりの、調のつもりなのかもしれない。
どの死体もぶくぶくと膨れていて、生前の顔はわかりそうにない程、酷い状態であった。
その死体を慰めるように、月の光りが優しく照らす。
醜さと美しさ。
両者が併存する戦場では、お互いは自分をより一層際立たせる脇役に過ぎない。
死体は一層醜く、自然は一層美しく。

夜空に浮かぶ月。
其処彼処に青く柔らかい月明かりは零れ落ちていた。
死体が転がる川の向こうには樹海が広がっていた。


そして、1人の少年が樹海の中を悠然と闊歩している。
まるでハイキングでもしているかのように、愉快な歩調である。
しかし、少年は迷彩柄の戦闘服を身につけている。
そう、少年は兵士であった。
少年は周囲を見回しながらの奥へと進んでいく。

少年の戦闘服の右肩には紋章がある。
2羽のワタリガラスが翼を広げ互いに向き合っている様子が描かれ、その足元にAsgard(アースガルズ)と書かれた紋章。
神の軍勢の中で一際強大な戦力を持つアースガルズ軍の証である。

15歳の少年がたった1人で隠れる事無く堂々と戦場の前線を歩いている。
傍から見たら、自殺願望者にしか見えない。
しかし、少年の右肩の紋章と少年の年齢が敵の軍隊の注意を引くには十分であった。
第1世代のアースガルズ、間違い無く上級能力を持つ神格者である。
神格者の力を持ってすれば、軍隊など恐るるに足らないのだ。

少年は立ち止まり、辺りを見回す。
闇の中を何かが蠢いていた。
紅い眼光が闇に浮かぶ。
少年を囲んでいるようだ。

―――――― 1発の銃声が空を切った。

弾丸は少年に命中する前に粉々に弾ける。
直後に大気を揺るがす咆哮。
敵軍の兵器が一斉に火を吹く。
そして、少年めがけて無数の鉄の雨が降り注ぐ。
熱を帯びた弾丸は闇夜を、光りを放ちながら飛んで行く。
辺りはぼんやり明るくなる。

鉄の雨が降り注ぐ中、少年は眉一つ動かさない。
弾丸や砲弾は彼に触れること無く、はじける。
爆炎すらも少年の肌に触れることは無い。
鉄の雨が止む。

周りの木々や大地は黒く焼け焦げ、火が燻っている。
しかし、少年は平然としていた。
無傷。
少年にはかすり傷一つなかった。
神のみがなし得る業である。

少年が右手を夜空に高く突き出す。
すると、その手に神々しい黄金の光が宿る。
そして、天を分かち、鐘の音が降ってきた。
鐘が大きく2回鳴る―――――― 死の宣告。

少年は右手に宿った黄金の光を―――――― 放つ。

鋭い閃光に大地が震える。

一瞬にして樹海の闇は霧散する。

強く鋭い黄金の光りに周囲の色すらも消え失せた。



―――――― 。

今の一撃で樹海に潜んでいた敵部隊は全滅しただろう。


風が吹くと、鉄の臭いとクセのある強烈な悪臭が鼻を衝いた。
大勢の人間が死んだ証拠である。

人間は臭い、俺が10歳の時に学んだことだ。

何もない空間から1人の少女が突如現れる。

「冬伍、敵部隊の殲滅を確認、撤退だって。」

秋帆と俺は同じ15歳であり、カラスの紋章を掲げるアースガルズ軍の1人だ。

ショートヘアの金髪が優しく光る。
海のように淡い青色の瞳に、すっと筋の通った鼻、外国人のような顔立ちで、英語で話しかけると怒る。
彼女は心配そうに黙ったままの俺を見つめてくる。

「そうか。」
俺は俯き加減に答えた。

「しょうがないよ・・・私達にしかできないんだから・・・。」
「わかってる。」

そうわかってる。
悪の軍勢には、俺たち神格者でないと勝てないことはわかってる。
そのためにどんなに幼い子供でも戦場に送り込まれることも、戦死者が大人より子供が多いことも、最も戦争が激化した時代に入団した第3世代が壊滅状態であることも、すべてわかってる。

―――――― っ!!。

「秋帆っっ!!。」
秋帆を突き飛ばす。

直後に彼女がいた場所に斬撃が落ちる。
地面が深く、ぱっくり割れた。
続いて何かが舞い降りる。

人間?。

少年の右手には燃え盛る真紅の剣が握られていた。
立ち上がった少年は紅玉のように紅い瞳で俺を見据える。
全身は黒い戦闘服に包まれている。

少年は口を開く。
「アースガルズだな・・・。」

―――――― 敵本隊か。

秋帆が少年の背後で起き上がり、少年の背中に左手を向ける。
彼女の左手が風を纏い始める。

少年の左の胸の紋章―――――― 木の根に巻きつき、噛み付いている蛇、Niflheimr(ニヴルヘイム)の文字。
世界樹の根を齧るニドヘグを表した紋章。
それは、悪の軍勢の一つニヴルヘイム軍の証である。

「秋帆逃げろ!ニヴルヘイムだ!!。」

秋帆は目を瞑り、消えた。

少年の剣が唸りをあげ、俺を目掛け振り下ろされる。
一振りで木々は一瞬で薙ぎ倒され、土煙に覆われる。
凄まじい破壊力。
土煙で周囲が見えない。
土煙の中から突如現れた剣先が俺の首に食い込む。

「ぐっ。」

そのまま俺は吹き飛ばされた。

気がつくと、仰向けに俺は倒れていた。
相当吹き飛ばされたらしい。
周囲には緑が生い茂っていた。

首はある。
右腕、特に傷はない。
左腕、も。
右足、左足。
負傷したところは無い。

―――――― 今日は満月。

月明かりが俺の顔を照らす。
ゆっくりと起き上がる。

―――――― やれる。
そう確信した。

木々の影から少年が現れる。
「本当に傷がつかないんだな。」
そして、少年は手にした紅い剣を自分の身体に突き刺した。
剣は体内へと取り込まれていく。
それと共に、眼光が紅く、鋭く光り始める
少年は不気味な笑みを口元に浮かべる。

俺よりまだ幼い。
弟くらいの年齢に見える。

「神格者同士の戦いは初めてか?。」
そう言い、少年は大柄の黒衣の騎士へと豹変する。

黒衣のマントに漆黒の鎧。
両手には紅い焔を宿している。
紅い牛の角が生えた兜。
兜の奥の目が紅く光る。

―――――― オルクスの神格者か。
なるほど、この幼さで前線に駆り出されるわけだ。

俺の全身を黄金の光が覆う。
光は白いローブとなり、俺を包む。
右手を突き出すと黄金の光が鋭く輝きながら右手に宿る。

少年の両手に宿る紅い焔が激しく燃え上がる。
「死ね。バルドルの神格者。」
少年が両手に宿した焔を放つ。

「滅べ。オルクスの神格者。」
俺は光を放った。

第1話

―――――― 2060年。夏。

2限目の休み時間。
3限目の堅物男教師を惑わすため、各教室に毎朝配られる新聞からあれな広告や写真を切り抜き、黒板に貼っておくというトラップでクラスの男子達と大盛りしている時だった。

「桐野君、ちょっと良い?。」
肩まで伸ばした艶のある黒髪、水晶のように澄んだ瞳の女の子が戸惑った表情で俺に声をかけてきたのだ。
男子達は静まり、女子達も何事かと好奇の目を向ける。
そして、男子達から若干の殺気をひしひしと感じた。

女の子の視線は俺の背後の黒板を見て固まる。
顔が瞬く間に紅潮していく。
俺の手は瞬時にあれな広告を切り裂いた。

「な、何?。」
「・・・ちょっと来て。」

女の子は俺の制服の袖を掴み、引っ張って行く。
階段を降りているとるとき、男子達の怨嗟の声が校舎内に響いきわたった。

「どこ行くの?。」
「ちょっとね。」
女の子は振り返ること無く答える。

「よし!ここなら!。」そう言って連れて来られたのは美術室だった。

「あ、私は5組の七原伶香ね。桐野零士君だよね?よろしく。」
そう言って七原は手を差し出す。
細く綺麗な指だ。

「よ、よろしく。」
「よろしくね!。」
七原は再度そう言って微笑んだ
その笑顔に思わず息を呑む。


「それで、桐野君・・・。アースガルズに入ってる君にお願いがあるの。」
七原は戯けた表情を見せること無く真剣な表情で話す。

そういう事か。
アースガルズに入隊したいから推薦してくれというわけか。
アースガルズに入りたいがために、俺に声をかけてくる人は多い。
その度に断っている。
隊員が採用に口を聞くのは禁止されているからだ。
俺にはどうしようもできないし、それで失望されても困る。

「ごめん、推薦は無理だ。そういうのは・・・。」
「違うよ。能力を見てみたいんだけど駄目かな?。」
七原は上目遣いで俺を見つめる。


「能力?能力は駄目だ。」
「どうしても?。」
七原が俺の手にそっと触れ、甘い声で再度「駄目かな。」と小さく言う。

神格者が特有の能力を他人に教えることは死を意味する。
弱点が露見するだけでなく、対策を立てられてしまうからだ。
隊員達は皆、切り札となる能力は隠して、活動をしている。

しかし・・・。
この状況が一番体に悪い。
心臓の鼓動が大きく早くなるのがわかる。
顔も紅潮しているに違いない。
1人くらいなら・・・

―――――― 見せたところで別に。


「ごめん。ちょっと悪乗りした。」
七原は息を一つ吐くと、俺から離れた。
安堵のような悔しいような、そんな気持ちが渦巻く。


「私はアースガルズ第2部隊所属。第1部隊の桐野君の能力を把握したいんだけど。」
凛とした表情で七原は話す。

―――――― 第2部隊。
一般人は知らないはずだ。
治安維持活動を中心に活動する第1部隊と違い、第2部隊は諜報部隊である。
主に、工作任務や暗殺任務を遂行している暗躍部隊だ。
公式には、アーズガルズには第1部隊しか存在しないことになっている。
第2部隊の存在は公にはされていない。

公にできない要因は、任務内容に寄るところもあるが、最大の要因、それは、所属する隊員、全員が、周囲に危険を及ぼす類の能力を持つからである。

仮に七原伶香が本当に第2部隊だとしたら彼女もまた・・・。
いや、部隊の存在の噂くらいはネットに流れている。

こんなに・・・。

七原が透き通った瞳で見つめている。

そう、こんなに綺麗な目をしているわけがない。

「第2部隊?そんな部隊は存在しない。」
「えっ、ほんと?。」
七原は目を大きくして驚く。

「本当だ。」
「・・・第2部隊は諜報活動を・・・実質は工作活動で工作員なんだけど、それをメインに動いているの。治安維持活動メインの第1部隊と違って訳ありな感じだから、表には出れないんだけど。」

本当に知らないと思われたことが少し悔しい。
七原は続ける。

「それで今回ね、ある任務があって協力して欲しいの。任務に協力できるか能力を見てこっそり見極めようと思ったんだけど。どうしたら信じてくれるかな・・・。」

そういって七原は少し考え込む素振りを見せる。

「アースガルズならIDカードを見せてもらわないと。」
「あーそっか!!忘れてた!!いいよ!!。」

そう言って七原は制服のポケットからパスケースを俺に手渡す。
赤いパスケースの中にはIDカードが入っていた。

「顔写真はあんまり見ないでよ。」
「わかった。」

特に変に写ってないけれどな。
むしろ、十分過ぎるほど可愛く写っている。

―――――― 氏名。七原伶香。
心の中で呪文を唱える。
七原伶香という文字が青色に変化し、戻った。
偽造ではないようだ。

―――――― 所属。第2部隊隊員。
マジか・・・。と思わず口に出しそうになる。
七原の顔と所属の欄を見比べてしまう。
とても、第2部隊隊員とは思えない。

「へぇ。第2部隊、本当にあるんだな。」
「秘密は守ってくれるみたいで安心したよ。」
七原が悪戯っぽく微笑んだ。

試されてたのか。
確信した。
こいつは間違いなく第2部隊だ。
手に触れてきたときに喋ってたら俺は大目玉を食らっていたのだろう。
ハニートラップもお手の物というわけか。

―――――― 能力階級

「上位3級!?。」
「他の人に言わないでよ。学校じゃ中位1級て事にしてるんだから。」
「上位、という事は神格者?。兄貴と副司令官以外で初めてみた。何の神格者?。」
「それは任務に協力できそうだったら話すよ。とにかく、アースガルズだってことは信用できたかな?文字も青くなったでしょ?。」

「確認方法も知ってるなら・・うん、まぁ。」

七原にパスケースを返す。

「で、任務ってのは?。」
「それは言えない。まず、桐野君の能力が任務に適してるか判断できないと。ちなみに、この任務は副司令官からの命令だから。」
「わかった。けど、もう時間だから昼休みで良いか?。」
「桐野君と私は特別早退。すでに、学校から了承済み。」

・・・いつの間に。

「わかった。じゃあ、美術室じゃ無理があるし、アースガルズの訓練場にでも。」
「美術室全体に遮断結界を張ってあるから、音も視界も大丈夫。」
「遮断結界ぐらいじゃ本気は出せないだろ。教室が壊れるぞ。」
「ううん。桐野君は何もしなくていいの。そのまま立ってて。」
そう言って七原は2、3歩下がる。

そして、七原は息を大きく吐いて、俺を見据えると口をぎゅっと一文字に結び、何やら小難しい顔をしたまま俺を見つめ始めた。
その顔が何ともおかしくて、声をかけようとした時だった。

―――――― !

全身を悪寒が襲う。
鳥肌がたち、身が引き締まる。
ただ、漠然と感じる、危険だと。
それと同時に、死期が迫っているような、そんな絶望感が心を満たしていく。

七原の瞳に生気は無い。
紫炎が燃え上がり、彼女の全身を柔らかく包んでいる。

「どう?桐野君?。」
七原が口を開く。
その声に温かみは無く、まるで機械のように冷たい声であった。

「寒気がする。これは?。」
「私の能力。私はタナトス、ていう死そのものを神格化した死神の、神格者。 この姿を見ることは、死に出会う事を意味するから、通常の人は死んでしまうの。だから、死に耐性がある人じゃないと私とは一緒に戦えない。」
「おい、それって・・・もしかしたら俺、死んでたんじゃ・・・。」
「死なない確信はあった。廊下に出てから桐野君に死気を少しづつ、当てていったんだけど、気づいた様子は無かったし。普通の人だったらすぐに気づいて顔色が悪くなったりするんだけど。あ、一応は本気は出してないよ。」

そう言って七原は満足したらしく、彼女の身体を覆ってた紫炎は消え、瞳にも生気が戻った。

それと同時に悪寒も、何もかも消え失せた。

俺は右手を七原に向ける。
途端に、右手に鋭い輝きを放つ白銀の光が宿る。
そして、光は一本の白銀の剣へと変化した。

「すごいね。」
本当に七原は驚いているようだった。
興味心身に剣を覗きこむ。

「実は、俺は特に際立った特異な能力があるわけじゃないんだ。基本能力値は上位なんだけど、神格者らしい特異能力は無い。自分にもヘルモーズの能力はよくわからない。一応、光を使う能力ではあるみたい。」
「綺麗な剣だね。見てるとなんか、元気が湧くっていうか・・・これは力の影響?。」
「さぁね。俺にもよくわからない。これでフェアだね。」
「そうだね。」

七原は制服を整える。


「アースガルズ第2部隊所属、タナトスの神格者、七原伶香。よろしくね。」
そう言って微笑んだ。

死神の神格者七原伶香・・・。

「アースガルズ第1部隊所属、ヘルモーズの神格者、桐野零士。よろしく。」

第2話

―――――― 七原伶香。
学業優秀、スポーツ万能、肩まで伸ばした黒髪は光を柔らかく受け止め艶があり、大きな瞳は水晶のように澄んでいる。
彼女の人気は凄まじい。
ここらへんの学校の生徒は知っているほどである。

そう、あの七原伶香が桐野零士を休み時間に呼び出して何処かへ連れていった、俺が荷物を取りに教室に戻った時にはその事は学校中に知れ渡っていた。
教室に入った瞬間、肉食恐竜達から嫉妬に満ちた荒い歓迎を受けた。
飢えた肉食恐竜に生きた牛を与える映画のワンシーンを彷彿させる。

荷物を取りに行っただけでボロボロなって帰ってきた俺を見て七原は少し驚きを見せ、申し訳なさそうにはにかんだ。
「もしかして・・・騒がれた?。」
「騒がれたよ。大変だった。」
ぶっきらぼうに俺は返す。

くすりと小さく笑い、七原は「ごめんね~。」と微笑む。

「で、なんで、スーツ着てんの?。」

スーツを着た七原は如何にも仕事ができるOLという感じであった。
すらっとしたラインに黒のスーツがよく映える。
そこら辺のモデルよりも似合っていた。
同い年とはとても思えないくらい大人びて見える。


「制服じゃマズイでしょ。これに着替えてきて。」
スポーツバックを受け取る。
中には黒色のスーツに、ダークグレーのネクタイが入っていた。

スーツに着替えた俺を見て七原は優しく微笑む。
「スーツ、似合ってるよ。」
「え?あぁ、ありがとう。」

七原も似合ってる、そう言いたかったけれど、続かなかった。

七原は歩きながら任務の説明をしてくれた。
今回の任務は悪魔側思想を持つ団体の集会へ潜入する事だ。
潜入するだけとは言え、やばい団体の集会である事に変わりは無い。
一応、バックアップはつくらいし。

「もし、潜入がバレて捕まったら?。」
「んー・・・私がいるし、捕まる事は無いと思うけれど、もし、捕まったらバックアップについてる人に敵諸共、口封じとして殺されるかな。」

完全に第2部隊の任務内容である。


バスに乗り込む。
これから任務に向かうと思うと身が引き締まる。
死ぬかもしれない。
治安維持活動とは違う。

妙な緊張感が漂う。
先ほどまで明るく話していた七原も窓の外の景色を眺めている。
バスのアナウンスが2人の沈黙を埋める。

バスが停車し、子供連れの母親がバスから降りた。
車窓から差し込む午後の日差し。
隣に座る七原からシャンプーの香りが漂い、鼻を擽る。

オフィス街に入ったらしい。
車窓の外には高層ビルが建ち並ぶ。
バスのアナウンスが再び流れ、七原は停車ボタンを押した。

夕陽を反射する高層ビルの壁面。
見上げると、空が狭かった。
七原の履くヒールの音が止まる。
目の前には一際高くそびえ立つビルがあった。
全面、ミラーガラス。
周りの風景が映っている。
現代風のデザインだ。
大企業の本社ビルのようだ。


「ここで待ち合わせのはずなんだけど・・・。」と言い、七原はキョロキョロと辺りを見回す。
サラリーマンが忙しく行き交っている。

「今回の任務は潜入するだけだよな?。」
「そう、それだけ。潜入して団体の活動を調査するの。できそう?。」
「1隊を馬鹿にするなよ。」
「良かった。それと、団体が禁忌を破ったら私達の手でその場で抹殺だから。」

ビル風が吹く。

「抹殺?。」
「そう。抹殺。黙っててごめんね。禁忌は冒していないと思うけれど。」
七原は普段と変わらない口調で話し、少し微笑んだ。

七原は人を殺したことがあるのか。
今、この場で問い詰めてもしょうがない。
任務に集中する事が賢明だ。
禁忌を冒していないこと願いながら。
違法集会を開く集団に、どうか法律を遵守していてくれと願うのもおかしいけれど。

「来たか。」
黒縁眼鏡をかけ、きちっと七三に分けた髪型にスーツを着た銀行員風の男が声をかけて来た。

「第2部隊隊長、石田 一(ハジメ)隊長よ。」
「久しぶりだな。桐野零士。」

石田隊長の声は冷たい。
この人の声はいつも温かみに欠けている。
そう、俺が唯一出会った事のある、第2部隊所属の人間だ。
眼鏡の奥の目は鋭い眼光を放っている。
それに、引き締まった顔つきが鬼神のような気迫を漂わせる。

捕まったときはこの人に殺されるのか。

「お久しぶりですね。」
「任務については聞いてるだろ。君ら2人が潜入しろ、俺がバックアップをする。」
そう言って石田隊長はビルの中へと入っていく。

「知ってたの?。」
「ちょっとね。」
「この任務に桐野君を推薦したのはあの人なんだよ。」
「え?。」
「さ、行こう。」


1階のエントランスは大理石でできた床、天井からは豪華なシャンデリアが吊るされ、ホテルのエントランスのような気品のある作りになっていた。

「では、こちらでビラを。」
石田隊長が俺たちを手で受付カウンターへと促す。
石田隊長は案内役として潜り込んでいるようだ。
七原が受付嬢にビラを見せる。
彼女が事前に手に入れた今回の集会を募るビラだ。
違法集会のビラのため、裏の筋からしか手に入らない。
名簿にすらすらと偽名を書く所からも、この手の任務は慣れているようだ。

「ほら、ここに名前を書くの。」
「え?あぁ。」
七原に習い、偽名を書く。

受付を済ませると、スキンヘッドに黒いスーツを着た、ヤクザ風の強面の男が石田隊長に声をかけてきた。
石田隊長と強面の男は一言、二言、言葉を交わす。
石田隊長はビルの外へと出て行ってしまった。
「では、会場までは私が案内いたします。」
外と中で案内役を分けているようだ。
強面の男は若いのに立派な思想をお持ちだと、俺たちを褒める。

通されたのは最上階フロアにあるホールだった。
ガラス張りで東京の夕景を一望できる。
さながら、展望台のような作りになっている。
ホールは既に、大勢の人間で賑わっていた。
お年寄りから高校生くらいの青年まで、性別関係無く幅広い年齢の人間がいる。

「さっきの。」
「そうね。」
一つ前のバス停で降りて行った子供連れの母親がいた。
子供は窓に顔を近づけて外を眺めている。

―――――― 。

「若いのに関心だね。」
中年の男が話しかけてきた。
ヨレヨレのスーツを着てだらしないが、顔の見た目は普通で気の良い人という感じである。
とても悪魔側思想の持ち主とは思えない。
少なくとも見た目は。

男は七原に興味があるらしく熱心に語り出す。
七原が聞き上手であるせいか、ますます熱がこもる。
内容はこの国が如何に人間を物と扱っているか、偽りの情報で溢れているか、悪魔側の国は自由と公平で満たされているなど、中身は聞くに耐えない幼稚な妄想でやはり悪魔側思想の人間だった。

「知っているかい?この国の歴史の教科書には、国軍の兵士は敵国にも紳士な態度とる、素晴らしい軍隊であるかのような記述があるけれど、実は真っ赤な嘘なんだよ。」
「え、ほんとですか?学生の頃は、捕虜を手厚く保護して、敵兵だろうと、遺体を放置せずにちゃんと弔ったりした、規律のある軍隊だと学びましたが。」
「それはぜ〜んぶ嘘、捏造なんだよ。2020年、この国が南中国と戦争になったでしょ、そのとき市民を虐殺して、現地の女性を強姦したらしいよ。」
そんな話にも七原は笑顔で対応をしている。


「君はこの人の彼氏かなんかかい?。」
突然、薄気味悪い笑顔で男は俺に聞いてきた。
鼻の下が伸びきっている。
その顔に吐き気さえ覚える。
七原を一瞥するが七原はニコニコしながらこちらを見てる。

「いえ。友人です。」
「そう。」

男は気持ち悪い笑顔を七原に向ける。
「どう?この集会が終わった後さ、何処かに行かない?こんなに話が合う人は初めてで嬉しいよ。」
「私も初めてで嬉しいです!。えっ!・・ちょっ・。」

男は七原の腰に手を当てて自分の方へと寄せようとしている。
「じゃあさ、決まりだね。何処へ行こうか?あ、君、名前は何て言うの?。」

悪魔側思想の人間はこんなもんだ。
下品極まりない。

俺は七原から離れ窓際のベンチに腰掛ける。
七原は男に寄り添われながらも笑顔で会話を続けている様子だ。
窓の外を見るとすっかり夜になっていた。
夜景が綺麗だ。
東京タワーが見える。
老朽化が問題になっていて、取り壊すなんて話があるがまだまだ元気そうだ。

「お待たせしました!!。」
会場が湧く。
見るとスーツを着た白髪の男性が教壇の前に立っていた。
どうやらこの団体のリーダーらしい。
所作の一つ一つに老いは感じられない、気品ある若々しい老人と言ったところだ。

白髪の男性は自己紹介から始める。
男性はこの会社の会長だった。
七原はというと、群衆に紛れてしまい何処にいるか確認できない。

仰々しい挨拶の後、あの中年の男が話した幼稚な妄想を白髪の男性は話始めた。
中年の男は白髪の男性の話を疑いもせずに鵜呑みにしてるらしかった。
全く同じ内容で、口調もそっくりだ。

ふと入り口を見ると先ほどの案内役の強面の男と、石田隊長が扉の両脇にいた。
石田隊長は俺に気づくと群衆に加われと、目で言ってきた。
他にも群衆から少し外れて話を聞いている人間はいたが、どうやら俺は目立つらしい。
俺は立ち上がり七原がさっきいた場所へと戻る。

「いいですか、この国は間違っている!!国民の多くは騙されているのです!!この国が悪の軍勢と戦っているのなんて嘘です!!全くの、捏造です!!神の軍勢と戦っているのです!!アースガルズは神の軍勢と信じ込まされてきましたが、実は悪の軍勢なので!!私達は悪魔に囚われているのです!!。」

白髪の男性も恐らく、何処かからの話を鵜呑みにしているのだろう、何処か説得力に欠ける。
適時、文献を述べるがどれもこれも自分と同じ、偏った考えの人が書いたものであった。
世間知らずはどっちだか、聞いてて呆れてしまう。
バスのときに感じた緊張感も消えてしまった。

「そこで、今回、私はそれを証明するために用意した物があります。」
そう言って男は係りの者から何かの紙を丸めた物を受け取る。

「これは神降臨式です!!。この国はこれを悪魔降臨式と言っていますが。」

広げると男の上半身を隠すほどの大きさな紙で、そこに書かれていたのは紛れもない、悪魔降臨式であった。
この国では紛い物か本物かを問わず、悪魔降臨式を描く行為は悪魔誘致罪として死刑が定められている。完全に犯罪、いわゆる禁忌である。

禁忌を冒していた。
ーーーーーー 抹殺。自分たちの手で。

七原は!?。
七原の姿は見当たらない。
本当に殺すのか?人間を?。
しかも、こんなに沢山の人間をか?。
ホールには50人程の人が集まっている。

「これで神を降臨させ、神と交信し、この国がいかに、嘘八百を並べているか確かめようではありませんか!!。」

群衆が歓喜に湧く。

入り口の扉から光りが漏れた。
石田隊長が扉を開け、強面の男を連れてホールから出て行くところだった。

―――――― 扉が閉まる。

ホール全体が悲鳴に包まれた。

見ると、教壇の白髪の男は首を失っていた。
直立不動のまま、血飛沫を上げている。

そして、傍に立つスーツ姿の女性。
女性は立ったままの男の体を蹴り飛ばす。
男の体は力無く床に転がった。

―――――― 七原!!。
スーツ姿の女性は七原であった。

男の体を見下ろす七原の横顔は髪で顔が隠れて表情は見えない。
血飛沫を浴びて七原の身体は赤く染まっていた。

七原は右手を群衆にかざす。
すると、右手に鎌が現れた。
身長と同じくらいの大きな鎌。
青紫の布が巻かれた柄。
布はボロボロで所々垂れ下がっている。
そして、不気味に弧を描く、銀色の諸刃の刃。
光を鋭く反射する。

七原がこちらに顔を向ける。
その表情は普段と変わりなく、平然としている。
しかし、感情は無かった。

七原の身体を紫炎が包む。
人々が次々と倒れる。
七原をナンパしていた中年の男も、老人も、子連れの母親も、その・・・子供も。

死そのもの神格化した神、タナトス。
タナトスを見る者は死に出会う事を意味する。

最後の1人が倒れたとき、七原は教壇から降りた。

茫然と立ち尽くす俺に構う事無く、彼女は床に転がる死体を手にした鎌で切り裂き始めた。

鎌が舞うたび、肉が舞う。
肉や内臓を舞き散らし、死体はバラバラになっていく。

子供の死体の首も容赦無く撥ねる。

人間は臭い、感じたのはそれだけだ。

「行きましょう。」
そう声をかけた七原は普段と何ら変わりなかった。

「能力は使わないから脱出までのエスコートよろしく。」
そう言って陽気に彼女は俺の肩を叩く。

ドア開けると、石田隊長がいた。
石田隊長の足元には案内役の強面の男がうつ伏せに倒れていた。

「終わったみたいだな。」

石田隊長は俺たちの背後の血肉が散らばったフロアを見て話す。

「行こうか。」
そう言って石田隊長は七原と俺にスポーツバックを投げ渡し、歩き始めた。

ホールの外の空気が新鮮に感じる。
渡されたスポーツバックの中には新品のスーツが入っていた。

トイレで新しいスーツ姿に着替える。
トイレから出ると七原は「やらかしちゃった。」と、照れくさそうにしていた。
新品のスーツに着替えたみたいだが、髪には血がべっとりついていた。

七原は器用に血が着いた髪を束ね縛る。
「どう?。」
ぱっと見ただけではわからなかった。
エントランスに出ると、人々が倒れていた。
2人の受付嬢も受付カウンターの中で、折り重なるように倒れている。

「尾行に気をつけろよ。」

そう言って石田隊長は再び、ビルの中へと戻っていった。
まだ、何かあるらしい。

七原と並んで歩く。
普通だったら、知り合いに見られていないかどうかの心配をするのだろう、でも、俺にはそんな余裕はなかった。
完全に思考が停止していた。
たった今まで虐殺の現場にいたのに、今こうして、普通に帰路に着いている。

話しかけても何も返さず黙々と歩く俺に、隣の七原は少し困った表情をしている。
バスの中では七原も俺も一言も喋らなかった。

バスを降りると、上智学院高校の制服を着た女の子が、数人の輩に絡まれているのが見えた。
女の子は俯きながら脇の小さい路地へと入って行った。

「ちょっと良い?。」
「えっあっ待って!。」

後を追って路地へと入る。
酒と生ゴミの臭いに満ちていた。

さらに路地を右に曲がるのが見えた。
右に曲がると4人の男達に囲まれて、鞄を両腕で胸に抱え、壁際に追い詰められている女の子がいた。

上智学院高校の制服を着ている。
やっぱりうちの生徒だった。

「ちょっと良いか?。」
全員がこっちを向く。

ありきたりな展開につい口元が緩む。
「ニタニタ笑ってんじゃねーよ。」
1人の男がこちらに近づいて来た。

身体の隅々にまで意識を集中させる。感覚を研ぎ澄ます。

微かに流れる風、他人の心音、地面の小さなおうとつ、全てを感じ取る。

―――――― 男の踏み込む足音。

俺の右の拳が男の顔面を撃ち抜く。
男は崩れ落ちる。
それを見た残りの輩は逃げ出した。

「大丈夫?。」
女の子は答える事無く驚いた表情で俺を見ていた。

「き、桐野?。」

茶髪のショートヘアに目元が涼しい顔立ちに、どこかおっとりした雰囲気。
まさに癒し系と言われるルックス。

「中山!?。何してんの!?。」
同じクラスの中山莉絵だった。

「それはこっちのセリフ。学校早退して、スーツ着て何してんの?。」
確かにと内心納得する。

「いや、課外活動の・・・。」
「あぁ、アースガルズの活動ね。ありがとうね。助かった。」
中山はそう言って笑った。

「桐野君!大丈夫だった!?。」
振り返ると七原が胸の前で手を握りしめ、心配そうな目つきで立っていた。
肩で息をしている。
探し回っていたらしい。

「大丈夫。」
「そう。」
七原の視線が俺の背後の中山を捉え、固まる。
表情に弱冠の動揺が見えた。

―――――― そっか。
七原は第2部隊所属だから学校ではアースガルズに入ってる事も、本当の能力階級の事も隠しているんだった。

「なになに~2人でスーツ着ちゃって~デートですか?。課外活動って嘘じゃーん。」
中山は俺の脇に立ち、俺の顔と七原の顔を見比べてにやけてる。

「ちげーよ。七原がアースガルズの人に会いたい人がいて、その人に会わせてたんだよ。」
「ふーん。・・・七原?七原って5組の七原伶香さん?。」
「そう。」
「ふーん。」と中山はまじまじと七原の顔を見る。

「今日の休み時間見ただろ?。」
「私、今日は午後からだから。桐野が早退した事しか知らない。なに、休み時間に来たの?。」
「え、あぁ。そのときに会わせてくれてお願いされて。」
「ふーん。そっか。」

「桐野君、今日はありがとう。じゃあまたね。えっーと・・・」
「私は中山莉絵、莉絵で良いよ七原さん。」
「あ、うん。じゃあ莉絵さん、気をつけて。それじゃあ。」

―――――― 七原が立ち去ろうした時。

「七原さん。」
中山の声に七原が振り返る。

「髪に血がついてるよ。」

中山は笑顔で七原に手を振る。

七原は何も答えず、足早に立ち去った。

「ペンキか何かかな?。」
中山は明るい口調で言った。

第3話

帰宅してから家で何度も吐いた。

何度も何度も。

寝床につき、目を瞑ると漠然とした絶望感や恐怖感に襲われ眠れなかった。

そして、ぶつけようの無い怒りが湧いて来る。

抹殺と言っても、あそこまで躊躇なくやれるものなのか。
エントランスにいた人間までも。
それに、死体を切り刻む必要は無いはずだ。
七原に対してと、それを良しとした石田隊長に怒りを感じずにはいられなかった。

間違っている。
人間が人間にやることじゃない。
あの気持ち悪い中年男や白髪の男性が言った事はあながち妄想ではないかもしれない。
こんな事をする組織があるなんて、人間を人間として見てない証拠じゃないか、そんな風に思えて来る。

リビングに降りる。

両親は帰って来ないらしい。
兄貴は、まぁ帰って来ないけど。

テレビをつける。

暗闇にテレビの光りがぼんやり浮かぶ。

『続いてのニュースです。各地で流行しているインフルエンザ感染者数が先月から増加傾向にあり、厚生労働省は各自治体の医療機関に-------』

結局、報道機関は都心で虐殺があった事を伝える事はなかった。

―――――― 。

下校しようとすると、校門に七原が立っていた。

鞄の取手を両手で握り、門の壁に寄りかかる姿は映画のワンシーンのように、絵になっている。
七原は俺を待っていたらしく、俺を見つけると駆け寄ってきた。

「昨夜は良く眠れた?。」
大きな瞳で見つめながら俺の顔を覗きこむように聞いて来る。

顔を背け、答える。
「眠れたよ。」

もちろん嘘だ。

「嘘。」
「えっ?。」

七原は風に靡く髪を耳にかけながら俺を見つめる。
その瞳は何処か悲しげだ。
「歩きながら話そう。他に帰る人がいるなら別に良いんだけど。」
そう言って七原は少し目を伏せた。
夕陽が彼女の頬をほんのり染める。

「わかった。」

並んで歩く俺たちを冷やかす声がすれ違う学生から聞こえる。
七原は何か、考え事をしているような、別な事に集中している感じで、特に喋ろうとしなかった。

風が吹き、靡いた黒髪が彼女の横顔を隠す。

ーーーーーー あの横顔と重なる。

七原は靡いた髪を指でそっと、耳にかける。
しばらく沈黙が続く。
昨日の帰りのバスの中の沈黙とは何処か違う。
甘酸っぱい感じがする。

「昨夜、本当は眠れなかったでしょ?。」
突然、七原は口を開いた。

「まぁ、いつものことだから。」
全然誤魔化せていない。

「優しいね。絶望感や恐怖心、不安感とか、もう死にたいって感じたりした・・・よね。」
彼女は何かもわかってて尋ねているらしい。
でも、口調に何処か否定して欲しいような、そんな雰囲気が漂う。

「私の能力はああいう感じだから、能力を見た人は精神的ダメージが大きいみたい。当たり前っていえば当たり前なんだけどね。」

信号が赤になり、立ち止まる。


車が忙しく通り過ぎて行く。
バスに乗った子供が手を振る。

隣の七原は笑顔で手を振り返した。

信号が変わる。

「前にもさ、何回か私とパートナー組んだ人はいたんだ。でもね、みんなおかしくなって死んじゃった。だから、桐野君。選んで欲しい。」

彼女は俺の前に立ち塞がる。
出会った時と同じ真っ直ぐな瞳で俺を見据える。

「昨日の報告書を見た副司令官は、正式に君を第2部隊に転属する事を決定したの。君は私とパートナーになって任務をこなす事になった。
でも、決定権は君にある。嫌だったら断わってくれていいよ。私が何とかする。私と副司令官は仲が良いから。」


七原の瞳にうっすらと涙が浮かぶ。


人間を躊躇無く虐殺する集団。

この国を、悪の軍勢から守るために必要なのか俺にはわからない。

ただ言える事は、それが正しいとは言えない。
俺は正しいとは思わない。

「七原、昨日、能力を出した後、どうして死体を切り刻んだりしたんだよ。」


口を衝いて出た言葉は、七原を見るのに十分だった。

俺には七原伶香がわからない。


「・・・他の団体への・・・見せしめとして切り刻んだだけだよ。」

彼女は表情を変える事なく、答えてみせた。


第2部隊隊員、七原伶香
想像以上にいかれたニンゲンだ。

「いかれてる。悪いけど断わる。副司令官て、神沢さんだろ?。神沢さんには俺から連絡しておく。」

七原の瞳から涙が零れ落ちた。
彼女の泣き顔を見ても何一つ、俺の心には響かなかった。

胸が苦しかった。
それは、七原の能力とは別の苦しみだった。

第4話

七原と別れ俺はいつも通り繁華街を練り歩いてた。
1隊の治安維持活動だ。
治安維持と大それた活動名である。
ようは、ただの寄り道だ。
ゲームセンターや路地裏、飲み屋街に風俗街、とにかく汚い所を練り歩く。


すっかり夜の顔に変貌した都心は、人間の汚い部分で満たされる。
金、暴力、ドラッグなど、どれもこれも犯罪だ。

色とりどりのネオンが灯る。
居酒屋から聞こえる活気ある店員の声。
行き交う人々は皆、陽気である。

「お兄さん、上智学院?カッコ良いね。どう?半額にしておくよ?。」
気品漂う中年の女性だった。

「結構です。」

しばらく歩くと、年配の警察官が2人、パトロールをしていた。
俺を見るなり声をかけて来る。

そりゃあそうだ。
高校生がこんな所をウロついているんだから。

色々質問してくるが、黙ってアースガルズの紋章が入った手帳を見せる。
警官は敬礼して立ち去った。

最後に、昨日、中山が絡まれていた路地裏を見回る。
ホームレスの男が道脇に段ボールを敷いて寝ているだけだった。

俺にはこういう活動の方が大切に思える。
日々の平和も守る。
十分、この国平和に貢献している。

けれど、アースガルズは軍隊だ。
有事の時は、国防軍の兵士より前に出て、戦う事になる。
16歳の子供が、この国の人間を守らなくてはならない。
人も殺す事になる。


俺の考えは甘いのかもしれない。


大通りに出ようとしたときだった。


ふと振り返ると、路地の奥、先ほど俺がいた場所に、スーツを着た人間見えた。
顔は、蜘蛛男の赤いマスクを被っていて、わからない。

男物のスーツに、引き締まった風格で、立ち姿から気迫が伝わる。
身長は、180くらいある。

蜘蛛男は俺の方を見ている。

そしてそのまま、脇に寝ていたホームレスを踏みつけた。

ホームレスが奇声をあげ、身をよじる。

俺は蜘蛛男に向かって走り出した。

蜘蛛男は敷いてあった段ボールを奪い取り、蹲るホームレスの男に被せる。
左足をあげる。
頭部に狙い定めているようだ。

俺は右手を蜘蛛男に向ける。
右手に白銀の光が宿る。

意識を集中し、刃をイメージ。
―――――― 光を研ぎ澄ます。

そして、白銀の研ぎ澄まされた光が閃光を放った。
辺りは一瞬、眩い光りに包まれる。

しばしの沈黙の後、蜘蛛男は大げさに首を傾げて見せる。
そして、蜘蛛男は段ボールを被せたホームレスの頭を踏み抜いた。

地面に血が飛び散る。
段ボールに赤い染みが浮かぶ。
ホームレスの男の手はピクピクと、痙攣している。

―――――― 七原。

蜘蛛男と七原が重なる。

蜘蛛男はこちらに近づいて来る。

やるきらしい。

俺の対策をしている辺りから俺を狙っていたようだ。
右手に白銀の光が集まり、光りは白銀の剣となる。

俺は立ち止まる。

身体の隅々に意識を伝える。
剣先にも意識を伝える。
自分の肉体の一部のように。
白銀の剣が光を帯びる。

構える。

間合いの設定。


蜘蛛男はゆっくりこちらに近づいてくる。

目に意識を集中させる。
意識の時間を極限まで縮める。

男の一歩を、捉える。
靴底、足が地面に着くたび舞う塵。


あともう少しで間合いに・・・。


―――――― 入った。


剣が一閃する。


―――――― 消えた!?

違うっ!!

後ろを振り返る。

―――――― っ!!

蜘蛛男の蹴りが俺の腹に食い込む。
視界がブレる。
俺はその場に膝から崩れ落ちた。

―――――― 内臓破壊。


盾が間に合わなかった。
完全に意識の外。

「何をしている。」

蜘蛛男は声の方へ振り返る。

蜘蛛男の向こう側、男が立っている。
男は脇に抱えたカバンを放り投げ、こちらに近づいてくる。

い、石田隊長?。

慶応学院の制服を着た石田隊長だった。
昨日と同じ、黒縁メガネに髪を七三分けにしている。


蜘蛛男と石田隊長が対峙する。
石田隊長の目つきが一層、鋭くなる。
空気が棘を帯たように、肌がチクチクと刺す。

蜘蛛男が動いた。

石田隊長が蜘蛛男の懐に入る。
拳が蜘蛛男の顎を捉える。
蜘蛛男は寸での所でかわす。
拳は蜘蛛男の頬の辺りを掠めた。

蜘蛛男は頬に手を当てながら、石田隊長から少し下がる。
マスクの頬の部分が破れていた。

石田隊長が追撃の構えを見せる。

蜘蛛男は消えた。

鈍い、嫌な痛みが体を包む。
内臓の一部をやられたらしい。
腹痛とは違う痛みが腹部にある。
なんとか立ち上がる。
「がはっ。」
地面に血が零れ落ちた。

石田隊長は放り投げた鞄を拾い、俺の所に来て、鞄から紙を差し出した。

「ちょうど良かった。次の任務だ。」

は?。

受け取る。

「血で汚すなよ。」
そう言って、石田隊長は踵を返し、大通りへと出て行ってしまった。

壁に寄りかかり、そのまま座り込んだ。
立っていられない。

「いてぇ・・・。」

意識が遠のく。
視界がぼんやりとし、物体の境界線が歪む。
俺は地面に崩れた。


―――――― !!。

気がつくと白い天井が見えた。

誰かが俺の腹部に手を当てている。

肩まで伸ばした息を呑むほど美しいブロンドの髪。
どこか儚げな横顔、透明感のある白く、滑らかな肌をしている。

目が合う。
淡く青い瞳。

「起きられました?。」
神沢秋帆さんは嬉しそうに微笑んだ。

「怪我をしてたところと、せっかくですので、身体の悪いところを全部治しておきましたわ。」
「あ、ありがとうございます。」

俺は上半身を起こす。

「副司令官、どうしてここにいらっしゃっるのですか?病院を回っているのでは?。」
「ええ、北部の病院を回り終えたので昨夜、帰って来ましたの。そしたら、石田くんから連絡がありまして駆けつけてみれば路地にあなたが倒れていらしたのよ。」
「そうですか。」

「零士くん。」
そう言って神沢さんは俺の頬にそっと手を添える。
優しい肌触りに少し冷たい手が心地よい。

「伶香のことを頼みます。あなたにしかできないことなの。」
神沢さんは続ける。
「伶香ね、この前の任務のあと、嬉しそうに電話してきたの。彼女の能力を知るあなたなら理由がわかるでしょ?。」

神沢さんの手は優しく頬を撫で、俺の顎をそっとあげる。
目が合う。
ふと、目を逸らす。

「私の目を見て。」

神沢さんの瞳には俺が映っていた。

「あなたが彼女と一緒に、2隊に染まる必要はないわ。彼女が許せなかったら彼女をあなたに染めて。」
そう言って神沢さんは俺を優しく包む。
ほのかに甘い匂いがした。

これも神沢さんの能力なのだろうか。
まるで、母親の近くにいるような優しさに温かさを感じる。
心の底から何かが込み上げ、頬を伝う。

病室のドアが音を立て開く。
神沢さんが俺から離れる。

ポーニーテールの女の子が眉間にしわを寄せ、猛然と俺に近づいてくる。
「し、しまざ・・・・きっ!?。」
島崎遥は俺の腹に拳を減り込ませた。

「何、神沢さんに癒されちゃってんの?。しかも、泣いちゃって。同じ1隊として恥ずかしいんだけど。」

神沢さんがいると言うことは護衛役の島崎も当然・・・いるわな。

「行きましょう。神沢さん。」
「迎えが来ましたので。行きますね、零士くん。」

そう言って神沢さんは優しく手を降る。

「そうそう。」
神沢さんはドアの前で立ち止まる。

「冬伍が釜山広域市制圧戦に参戦しましたわ。」
背を向けているので顔はわからないが、神沢さんの声は震えていた。

俊敏のヘルモーズ

俊敏のヘルモーズ

2030年。 シベリアの地に悪魔が堕ちた。悪魔は強大な力をもってして当時のロシア帝国を壊滅させた。悪の軍勢の進撃を前に、抗うことなく平伏す国、翻り加勢する国、悪の軍勢の勢力は増し、世界は瞬く間に2/3が悪魔の手に堕ちた。 2040年。 神は人間に力を与えた。この年に生まれた人間を第1世代と呼んだ。第1世代誕生から、人間は力を持って生まれるようになった。抗う人々は第1世代、第2世代、第3世代の力をもってして悪の軍勢の進撃を食い止めた。 2060年現在。 世界は悪魔と人間に二分されている。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-08-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第0話
  2. 第1話
  3. 第2話
  4. 第3話
  5. 第4話