ルーツ
特に音楽と機械に興味がある人へ。
届くべき所に届いた電子機材のツールによる音楽のルーツ
「子供の頃に遊んだ海辺にでも行ってみるか。」会社を休み、地元に帰った彼は、ふと思った。
子供の頃は外で遊ぶのが好きだった彼が、思春期に差し掛かった頃に出逢った好きな遊びが、機械いじりと音楽だった。好きなカセットテープを繰り返し聞いているうちにテープが摩耗してカセットから飛び出た。思わずテープを引っ張り出したのが、機械いじりと音楽が好きになったきっかけだった。
小さい頃にピアノを習っていた彼は気に入った曲のテープを早くかけたり、ゆっくりかけたり、2つのカセットプレーヤーで好きな曲と別の曲を同時にかけたり、かけるタイミングを少しずらしたりして遊んでいた。
ギターを持った友人が家に来た時、「これも聞いてみて!」そう言いながら友人は自分の好きな曲に合わせて好きなようにギターを弾いてみせた。
一緒にいるもう一人の仲間はギターに合わせて歌っている方が楽しそうだった。
やがて少年は、好きな曲を好きなタイミングや好きなテンポでかけてみたいと思うようになった。そして彼は、自分で電子機材を造って試してみたいと東京都の工学系大学に進んだ。希望の通り、彼は電子機材を造っているメーカーに入社した。
彼は電子音楽機材の製品開発の仕事をしていた。ミックス作業の時の手の動かし方やボタンの配置などに工夫を重ね、彼のアイデアは幾つか採用されたが、製品化されず発売中止になることが多かった。彼は「ユーザーメリットだ。」と説明するが、同僚や上層部には伝わらず何度も製造過程で中止にされてしまった。
開発途中の電子機材は、部品の一部が製造中止になると会社の廃棄場に置かれていた。上層部からは、高音質で小型の安い電子機材を開発することが求められていた。スペックが高く、小さくて安い、それだと目指すところは他の電子機材と同じになってしまう。良い音楽は、それだけでは生まれない。楽器としての工夫が必要だ。そう思い直した彼は、ミュージシャン相手にアンケートを取ったりもしたが、やればやるほど彼自身もよく解らなくなってしまった。
思うように行かない日々が続いた。ある日突然、上司に「休みをとり、実家にでも帰って来い。」と彼は言われた。「休んでいる暇なんか、ないですよ。もう、いくらやっても上手くいきっこないですよ。」彼は思わず本音を言った。ますます居づらくなった彼は、仕事を休んでしまった。
連休にはしてみたものの、特にすることもなく上司に言われた通り実家に帰省した。実家の近くにある海に向かった彼は、子供の頃によく遊んだ砂浜に向かった。すると砂浜には大きな洞窟があった。気になった彼は、洞窟に入るとそこは深く、真っ暗だった。彼は暗闇の先の道へと進んでいった。歩いている途中に、地面に足を取られ体が重くなったと思ったら、今度は軽く歩きやすく、フワっと移動するような感覚になった。しばらく歩くと洞窟の出口が見えた。
外に出ると、周りに見た事もないような人達が居た。何か集まっている彼らは電子音楽機材を触っているようだった。よく見ると、それは彼が造った試作品の1つだった。ミュージシャンにサンプルとして渡していた試作品が回り回って彼らの物になったようだ。彼らのかけている音楽は聞いたことがあるようでないような奥深い感覚の音に聴こえた。彼が意図した電子機材の機能や配置を彼が意図した以上に、彼らは使いこなしていた。
彼は驚いた。彼らの身なりは質素だが、奏でている音楽は素晴らしかった。嬉しくなった彼は、じっくりと彼らの電子機材の使い方を見て覚え、もと来た洞窟へと引き帰った。
彼は、慌てて仕事に戻った。そして、以前廃棄場に送った試作品を持ち帰り、彼らが使い易いように修正した。その電子機材は、同僚や上司の心を動かすようになり新製品として世界に販売された。
会社勤めが楽しく、忙しくなってきた頃、ふと彼はまた地元の海辺を訪れたくなった。洞窟の向こうの彼らは、どうしているのか。彼が開発した新製品の電子機材は、また洞窟の向こうの彼らにも届いているのか。以前よりも彼らの音楽は良くなっているのか。考え始めるときりがなかった。
彼らの音楽を聴きたい。彼らの姿を見たい。そう思った彼は、再び休みをとりあの洞窟へ行った。
海辺に行くと、以前にあったような洞窟は見当たらなかった。それでも気になった彼は砂浜を歩き続けた。やがて彼は、見覚えのある小さな鉄板を見つけた。手に取って見るとさびれているが、確かに彼が開発した電子機材の一部のようであった。彼は愛おしむように砂をはらった。すると彼には覚えのない刻印が現れた。その刻印は“Detroit”だった。
ルーツ
デトロイトテクノとは、アメリカのミシガン州デトロイトから発信されるテクノ、またはデトロイト出身のアーティストに共通してみられる特徴を多く含んだテクノの楽曲をさす。主に「16ビートのシーケンス」「アナログシンセサイザーとドラムマシン、及びそれらのサウンドをエミュレートしたデジタル・シンセサイザーの多用」「ストリングス・パッド系音色の多用」「ノンヴォーカル」などの特徴がある。
ホアン・アトキンス、デリック・メイ、ケビン・サンダーソンら、1980年代中期にデトロイトにて活動していたDJ、プロデューサーたちが開祖といわれている。
ビル・ブルースターとフランク・ブロートンによる著書「Last Night A DJ Saved My Life」によると、もともと「デトロイト・テクノ」はデトロイト近郊にあるシカゴから生まれたハウス・サウンド(シカゴ・ハウス)をデトロイトのアーティストが独自解釈した音楽であったとされている。
その呼称の起源は、欧米のジャーナリストの取材にて「あなた方の音楽を何とよぶのか?」と問われたホアン・アトキンスが「We Call It Techno」と答えたことによるといわれる。
〜ウィキペディア「デトロイトテクノ」より。