DOOR SELLER
東京都文京区白山。とある中高一貫校の、道路を挟んだ向かい側に、「GUARDIAN」という店がある。基本予約が必要なのだが、そこの店長はどこか抜けた人間であるため、別に予約をしていなくても入ることが出来る。
店は小さく、薄暗い部屋の中には1点も商品が置かれていない。カウンターの奥にも部屋があるようだが、そこは客が来たときでなければ開かれない。店員は、春夏秋冬焦げ茶のコートを着続ける黒ぶち眼鏡の30代の男性店主【目黒】と、バイトなのか正社員なのか、男性なのか女性なのか、あらゆることが曖昧な高校生【目白】のみ。いや、学校に通っているのかどうかも曖昧である。
インターネットでの宣伝は全く行っていない。人様の家のポストに小さなDMを入れるのみ。これで客が来るのかって? ……ひと月に1人2人は来る。それでも彼等は金目当てで仕事をしている訳ではないから特に問題はない。曖昧な10代の方はわからないが。
「なぁ、お向かいの文化祭っていつだっけ」
「10月の……下旬じゃなかったですか?」
「ああ、そっか」
毎日毎日、こういうことばかり話している。3本の矢もミサイルも領土問題も2人にはどうでも良いこと。それらの事象や問題を生んでいるのは政治家であって、それに国民を巻き込まないでほしい。ただ、ほったらかしにしておくと政治家先生方が何をするかわからないから、毎回選挙に参加して投票してあげている、というのが彼等の考えである。
と、そこへ1人の客がやって来た。20代くらいの男性だ。白のタキシードを着て、やたら大きな花束を持っている。恥ずかしくなかったのだろうか。
「いらっしゃいませ」
目白が言った。すると、男性は目白に向けてウインクした。された方はニコニコしながら何かを叩き落とす仕草をした。
「どうしましたぁ?」
目黒が面倒くさそうに聞くと、
「いつもお世話になってます」
と男が言った。目黒はとりあえず返事をしたが、全く覚えていなかった。
「何処に行きたいんですか?」
「アメリカ、ケイト・ハドソン宅に」
「はぁい、わかりました。往復ですか?」
「ええ。お願いします」
「はぁい。じゃあちょっと待ってて」
そう言うと、目黒はカウンター奥の部屋に入っていった。中の様子は絶対に見せてくれない。目黒が何かをしている間、目白が客と世間話をする。
「どのようなご用件で?」
「ああ、実はケイ……」
「へぇ、そうなんですかぁ!」
「あ、まだ何も」
「聞かなくてもわかりますから」
そうこうしているうちに、目黒があるものを持って戻ってきた。
それは1枚のドア。白く塗られていて、所々傷がある。表札には【KATE HADSON】と書いてある。目黒はそれを床の上に立て、男に小さな機械を手渡した。ボタンがついている。
「じゃあ、いってらっしゃい」
男は2人に会釈すると、機械のボタンを押した。少しすると、ドアが耳障りな音を立てて開き、中から女性のけたたましい悲鳴が聞こえた。歓喜の悲鳴だった。男は花束を持って中に入った。音はよく聞こえないが、きっと素晴らしいことが行われているのだろう。
10分後、男が満面の笑みを浮かべて中から出てきた。花束は持っていない。目黒に代金20000円を支払って、男は店から出て行った。貰ったお札をポケットにしまうと、目黒は扉を持って奥の部屋にしまいに行った。
これが彼等の仕事である。彼等が取り扱っているのは【扉】だ。それも家具として機能するものではない。ここにある商品は全て、あらゆる場所と繋がっている。ドアを開けば好きな所へ出られる。日本国内は勿論、アメリカ、中国、オーストラリアといった国々ともリンクしている。先程の客はアメリカの恋人に用があったらしい。素晴らしいサプライズになったことだろう。
しかし、どんな相手にもドアを貸す訳ではない。嘗ては特に制約は無かったが、犯罪に繋がるケースもあるため、貸す前に顧客の情報を調べることになった。前科は無いか、ドアの所有者とはどんな関係なのか、などなど。審査を経て認められた者のみが扉を開ける権利を得る。ここに来る客が少ないのはそのためでもあるのだ。マンション等に繫がっている場合は、先程のような小さな装置が渡される。インターホンの代わりだ。ドアが決まった時点でインターホンも接続される仕組みになっている。
「少しは慣れたか? 僕が死んだら、次からは君がこの仕事をやるんだからね」
「大丈夫ですよ、全部ここに入ってますから」
言いながら目白が自分の頭を指でつついた。
「あれ? 店長も昔はバイトだったんですか?」
「話してなかったっけ? 僕は8代目なんだよ」
目黒曰く、この店は江戸時代に開業された。当然何度も名前が変わっているが、仕事内容は全く変わっていない。当初の範囲は国内のみだったが、時代が進むに連れて扉が増え、それに応じて範囲も広がっていった。あの坂本龍馬も顧客だったという記録もある。つまりこの店は、日本の政治や文化の発展にも一役かっているわけだ。
「海外支局なんてのもあったらしいけど、跡継ぎの関係でどんどん減ってきている。ここぐらいだよ、バイトに後継がせるの」
「へぇ〜」
「まぁそのおかげで、今日までここが残ってるんだけどね」
そんな話をしているとまた客がやって来た。予約が入っていたのは先程の男だけだった筈。DMを見て来たのだろうか。
店のドアを開けて入ってきたのは、30代前半の男性。目の下にクマが出来ていて、顔がやつれている。
「予約無いですよね?」
「すいません。チラシを見て、居ても立ってもいられなくなって」
「良いですよ。どうぞこちらへ」
目黒に促されて、男は彼の反対側の席に腰掛けた。
「ええっと、チラシに書いてある通り、ここはドアを貸す店です。まずはあなたの名前と行きたい所を教えてください」
「はい。秋川信也、希望は、パークハウス北千住の307号室です」
「はぁい、わっかりました。じゃあ今から……」
「いえ、違うんです」
「は?」
秋川は深呼吸をして、こう言った。
「私が行きたいのは、1年前のその部屋なんです」
2人はすぐに答えることが出来なかった。普通は海外など、遠方に行くことを希望する客が多いのだが、時間指定をする客は目黒も初めてだった。目白は困惑している。過去に行くことの出来る扉など存在するのだろうか。ここに入って半年が経ったが、そのような扉についてはまだ聞かされていない。
「お願いします」
「どのような目的で?」
「彼女を、救うために」
秋川が経緯を語り始めた。
1年前まで、彼は恋人の岸秋恵と同棲していた。高校時代に知り合って以来ずっと交際を続けていた。
ある日、急に仕事が入ったため、秋川は大急ぎで家を飛び出した。すぐに仕事を終わらせて帰って来るつもりだった。そして予定通り、どうにか短時間で仕事を完了させ、秋川は駆け足で部屋に戻ってきた。
「ただいま」
返事が無い。いつもならすぐに「お帰りなさい」と言ってくれるのに。出かけているのだろうか。少しがっかりしてリビングに向かう。だが戸を開けた瞬間、秋川は凍り付いた。
床一面が赤く染まっている。その中心に人が倒れている。心臓の鼓動が激しくなる。そこに倒れているのは、ここで留守番をしていた岸秋恵だったのだ。
その後、犯人はすぐに捕まった。強盗目的で家に行ったのだという。犯行時は郵便配達員に成り済ましていたそうだ。秋川は気が動転していて部屋をよく見ていなかったのだが、確かに金が10万無くなっていた。
たかが10万。そんなもののために秋恵は殺された。犯人は勿論許せなかったが、それよりも彼女を助けられなかったことがやりきれなかった。
事件は目黒と目白も知っていた。まさか彼が、被害者の恋人だったとは。
話を聞いて、目白はどうにか彼の願いを叶えたいと思った。目黒を見ると、彼はずっと下を向いたまま悩んでいた。
「お願いします! 1年前の部屋に行かせてください! 秋恵を助けたいんです!」
目黒の返答はない。
「店長!」
目白が思わず叫んだ。目黒はため息をつくとゆっくりと立ち上がり、奥の部屋に入って行った。あるのか、過去に行けるドアが。秋川も身を乗り出して閉められた扉を見つめている。
数分後、目黒が1枚の扉を持って部屋から出てきた。秋川は目を大きく見開いた。嘗て自分たちが暮らしていた部屋のドアが、目の前にある。
ドアを床に立てる。簡単に願いが実現してしまったので、顧客は戸惑いが隠せない様子だ。
「秋川さん」
目黒が呼びかける。いつもよりトーンが低い。
「このドアの先に何が待っていようと、何があろうと、当店では一切の責任を負いかねます。それでも宜しいですね?」
「は、はい」
「では、どうぞ」
いよいよ、恋人が戻って来る。唾をひと飲みして、ノブに手をかけた。他の物とは違ってインターホンを鳴らさなくともすぐに開いた。
あのときの部屋。靴もまだある。ピンク色のスニーカー。秋恵のお気に入りだ。
奥で物音がする。そちらへ行くと、生前の秋恵が夕食の支度をしていた。あの日、彼女はこうして自分の帰りを待っていてくれていたのか。胸が熱くなった。
「あの……」
声をかけようとするが、緊張して上手く言葉が出せない。もう1度声をかけようとしたとき、インターホンが鳴った。店長だろうか。
秋恵が玄関に向かう。このとき、秋川はハッとした。ヤツだ。ヤツが来たのだ。大急ぎで彼女のあとを追う。扉の開く音がした少し後、秋恵の小さな悲鳴が聞こえた。見ると、配達員がナイフを出して刃を秋恵に向けていた。
「金を出せ」
「は……はい」
従うしかない。強盗に言われるがまま、奥へ現金を取りに向かった。強盗も部屋に上がってリビングへと歩を進める。ここぞとばかりに、秋川が強盗に飛びかかった。ところが相手を掴むことが出来ず、床に体を強く打ちつけてしまった。何故触れることが出来なかったのだろう。
その間にも強盗は秋恵の所へ。無理矢理体を起こし、秋川もリビングに入る。ちょうど秋恵が、現金を渡そうとしているところだった。強盗はニヤリと笑みを浮かべてそれを受け取ろうとする。しかしその直前、秋恵が現金を床に放って相手に果敢に立ち向かった。
「何すんだ!」
リビングへと場所を変え、2人がもみ合う。強盗がナイフを振り回す。刺されないよう秋恵が相手の手首を掴む。だが、体力差があるため簡単に手を解かれてしまう。その隙に男がナイフを上げた。
「秋恵っ!」
ナイフを取り上げようと秋川が飛び込む。
触れたいのに、触れられない。何故だ、何故強盗を倒せない! やり場の無い怒り。秋川は拳を固めて床を殴った。……それと同時に、ナイフは振り下ろされた。
「うっ」
目を伏せる秋川。恋人の死ぬ瞬間など見られない。
僅かに目を開けると、強盗が先程の金を取って逃げ出すところだった。そして秋恵は……。
気がつくと、秋川はあの店に戻っていた。扉は閉まっている。もう1度開けるが、部屋に行くことは出来なかった。ただの扉になっていた。
「何でだ? 何で秋恵を助けられなかった?」
誰も答えない。
こんな筈ではなかった。秋川が目黒の胸ぐらを掴む。
「どんな場所にも行けるんじゃないのか? どんなことも出来るんじゃないのか? 答えろ!」
「言った筈です」
服の襟を掴む手を外させ、目黒が静かに言った。
「どんなことがあっても、責任は負いかねると」
「ふざけるな! これじゃぼったくりだ!」
「代金は要りません。それよりも、わかっていただけましたか?」
「何がだ?」
「どうやっても、過去を変えることは出来ないのです」
そう、目黒が持ってきたこのドアは、過去に繫がる物ではない。あくまでも過去の情景を映し出すものに過ぎないのだ。秋川は部屋に移動したように感じていたが、実はずっとこの店の中にいた。過去の映像が店内に投影されていただけだったのだ。だから、秋恵達に触れることも出来なかった。映像だからだ。この類いの扉は、警察関係者がよく利用する。捜査のためだ。
現実を知り、男は落胆する。目からぼろぼろと涙が溢れる。これでは、彼女に対する罪悪感がより深まっただけではないか。
「秋川さん」
目黒は更に続ける。
「くれぐれも、死のうだなんて考えないでください」
「何?」
「あなたが死んだところで何かが好転するわけではありませんし、秋恵さんもあなたに会ってはくれないでしょう」
「何でお前にそんなことが……」
「彼女に対して申し訳ないと思っているのなら、あなたはこのまま生き続けるべきだ。自ら命を絶つことは、あなたに課された使命を全うしないまま放棄する、卑怯な手段だ」
「卑怯……」
秋川はすっと立ち上がり、しばらくその場で考えたあと、会釈をして部屋から出て行った。
目黒は扉を片付け、再びカウンター席に腰掛けた。先程まで秋川が座っていた所に目白が座り、話しかけた。
「あの人、大丈夫ですか?」
「どうだろうな。未来を決めるのは彼自身だからね」
「えっ?」
「大丈夫だよ。秋恵さんが許さないよ、そんなこと。たとえ死のうとしても、彼女が意地でもそれを止めるだろうさ」
このような仕事をしていれば、幽霊や妖怪といった存在も素直に信じられるようになる。目黒は霊を見ることは出来ないが、そのような存在は必ずいると信じている。
相思相愛だったなら、秋恵は今も彼の近くにいて見守っている筈だ。
「目白君」
「はい?」
真剣な顔つきで目黒が尋ねた。
「あのような状況が、これから先も必ず訪れる。それでも君は、この仕事を続けられるか?」
目白の感情も彼は察していた。秋川に同情する目白。彼女……或いは彼……もショックだったに違いない。
少しの間考える目白。だが、すぐに顔を上げてこう答えた。
「はい、勿論です!」
その目は澄み切っていた。信念は曖昧なものではないようだ。
これなら心配要らない。彼女にこの仕事を任せられる。奥の部屋の鍵を閉めカウンターから出ると、いつもの笑顔で目黒が言った。
「よし、じゃあ今日はおごるよ」
「えっ? いいんですか?」
「いいよ。たまには」
「結構食べますよ、私」
「へえ、1人称は私なんだな」
「あっ。良いじゃないですかそんなこと! ほら、早く行きましょうよ!」
「やれやれ、ご褒美が絡むといつもこうだな」
2人は外に出た。扉を閉めて【CLOSED】の札をかけると、目黒と目白は近所のファミレスに向かった。
DOOR SELLER