J≠Y~本当の愛を知るために~

-登場人物-

二階堂 樹理(にかいどう じゅり)
二階堂  理(にかいどう おさむ)
二階堂 一樹(にかいどう いつき)

須田 敬一(すだ けいいち)
須田  悠(すだ ゆう)
小林 健吾(こばやし けんご)
志田  宗 (しだ そう)

伊崎 馨 (いざき かおる)

水上 智子(みずかみ さとこ)


人を愛する事に臆病で、何かにいつも怯えながらずっと生きてきた樹理。
母一樹を亡くしてからずっと自分の本当の気持ちを打ち明けられずにいた。

けれど自分を愛してくれる人をずっとずっと探し続けて生きてきた・・・。
誰も気づいてくれない自分の心の闇を分かってくれる人が現れるまで、硬い殻に閉じ込めた本当の心。

この樹理の心を誰が取り戻す事が出来るのだろうか。
そして、本当の愛を知ることが樹理には出来るのだろうか。

樹理の生活の過去と現在を行き来しながら話は進んでいく。

エピソード1:満たされない心

無機質な部屋の中でひときわ光を放つ水槽にてらされる部屋に、包み込むような灯りがともる。
「ただいま・・・。」
何も泳いでいない熱帯魚用の高価な水槽に語りかける。
「今夜って 何日だっけ?」
カレンダーにたくさんの予定が、書かれている。指をはわせながら今日を探す。 
「なんだっけ?今日って何かのイベントの日だっけ?」
独り言をいいながら、持っていた荷物を凛とした部屋の空気を消すように放り投げた。
昨日の夜一人で開けたワインのデキャンタに触れながら、少しだけ苛々していた。
 小さな音を立てながら空気を水槽に送るエアポンプのスイッチに目を向けた。
「これ切ったら私も終わっちゃえばいいのに。」
そう呟きながらキッチンまでデキャンタを運んだ。樹理は、水温も確認せず流れ出した水道の蛇口に空のデキャンタを放り投げた。
「あちっ・・・」
昨日の夜少し熱めに設定したお湯を、バスタブに入れたことを思い出した。
「私の気持ちに従うオート機能ってないのかな。」
そんな風に自分を責めるしか出来ない1人暮らしに、少しだけ疲れを感じているのかもしれない。
「まっ、苛々してても仕方ないし。今日は終わったんだし。」
リビングにあるワインセラーの中を眺めながら、ふと今日がまた何日なのか気になった。歩み寄るカレンダーには、おびただしい数の色分けした予定が書いてある。1つ1つに思いをはせながらたどっていく。気がついて 笑いそうになった。
「私の誕生日だったんだ。」
樹理の周りの人は両親と悠以外誰も本当の彼女の誕生日を知らない。でも樹理だけは分かる。誕生日の主人公だから。
「おめでたいじゃん・・・。」
ワインセラーに戻り今日のワインを選ぶ。
 樹理にとって自分が生まれた日に特別を感じることはない。何も特別ではないからだ。 選んだのは1970年のブルゴーニュのワインだった。一般的には高級なワインになるだろう。
「とりあえずこれかな。」
誰に語りかけるわけでもなく迷わずそのワインを抜き取った
赤ワインは、空気に触れると味わいが柔らかくなると誰もが知っている。樹理もその一人。教わったわけではなく、何かの雑誌に書かれていた程度の知識の中しかない。しかし、彼女の部屋のワインセラーは、かなりの数を蓄えている。
ナイフで口を切り取った後コルクを優しくえぐりとって行く。
「少し 若かったかなぁ」
温度は十分なはず、味は今日にあっているかもしれない。そんなことを思いつつ、洗い立てのデキャンタに注ぎいれる。
樹理はこの瞬間が好きだ。淡い赤が泡立つ瞬間。そしてすぐに消える泡を見ているだけで、何故かほっとする。 
「じゃぁ、適温までお風呂かな。」
キッチンのスイッチを消してバスルームへ軽い足取りで行く。
「そうか、昨日の温度じゃ今日は熱過ぎるね。 ちょっとだけバブルバスしたいし、温度下げてみよ。」
樹理は独り言が多い。一人でいることを認めたくないのかもしれない。
 こもっていくバスルームの息苦しい湯気を感じながら、洗面台でコンタクトレンズを右目からはずす。これは樹理の習慣だ。そして、決まったように青いホルダーにレンズを納める。そして左目、左のホルダーは白だ。決まっている規則的な習慣を終え、ガラス越しに今日を振り返る。
「私の誕生日なんて、こんなものか。」
ふっと笑いながら
「わたし、またおばさんになったよ。パパ。ママ。」
 必ずというわけではないが、自分の誕生日はいつも一人だった。母一樹が亡くなってからずっとだ。
ふと立ち寄ったバーで飲んだジントニックが回った感じがしながら、いつものように 部屋に明かりをつける。
「花が一番迷惑なんだよね。」
そんなことを言いながら、添えられたカードを見る。 
「またいつもの二人からかな。この花って悠の結婚式のメインの装花・・・私が大好きなルレーブ。」
毎年の事だが、今日は妙に気になる。カードのコメントに目をはせた。 
『おめでとう。これで君は君になれる。僕らはいつも一緒だ。』
樹理には意味がわからない 
「悠のヤツ!イタズラしたな、まったく。」
と笑みがこぼれる。気づくとカードは2枚ある。折り重なったもう2枚目を見て、樹理は ゾッとした。 
『あなたは、本当は独りが怖い。わたしは分かっているよ。本当のお誕生日おめでとう。』
気が遠くなりながら キッチンのカウンターにしがみ付いた
悠は樹理の異母姉妹だった。知らずに過ごした時間が多かった二人の共通点は、美しい顔立ちだけだ。一緒に過ごした事は殆どなく、 互いに知らない時間が多い。  
樹理と悠の関係を知っているとすれば、父と母、そしてわずかな友人だけだ。美しく咲き誇るルレーブに目を奪われつつ樹理は少しだけ恐怖を覚えた。 
「誰だろ・・・。悠じゃない。じゃぁ誰・・・?」
この花束は、樹理のマンションの管理人室に届いていた。届けた人を聞いても 
「どこかの花屋の店員だと思うよ。」
というだけで、何も覚えていないらしい。しかし、樹理はこの花束に悪意を感じないではいられなかった
 樹理にとって今まで、悠が結婚するまで誰よりも自分が一番だった。何もかもに自信に満ちた毎日だった。結婚するはずだったのは『わたし』とまで考えるほどだった。悠の結婚式当日まで樹理は思っていた。 
『彼の隣にいるのは私だったはず。』
『どうしてなの?何が違うの?同じ顔なのに。』 
言えない筈の心の声を、空っぽの 水槽に語りかけてみる。 


樹理はこっそり悠に言った。
「ブーケトスは、絶対わたしの方に投げてね。」
「えーっ!?後ろ向きだし、そんなの約束できないよ。」
あっけらかんとした悠を微笑ましく思った。この日、樹理の心の中は嵐だった

樹理は、戸惑いながら口を開いた。いつもの樹理とは違い緊張していた。
「ねぇ悠、紹介したい人がいるんだ。」
キッシュを頬張りながら悠は
「紹介?わたしに?」
その時二人の間に不協和音が、奏で初めていたのかもしれない。樹理は、母親は違っても 同じ日に生まれた悠を大切に思っていた。だからこそ、誰よりも早く自分が好きになった人、そしてこれから愛していきたい人を会わせたかっただけだった。 
勘違いをしたのは悠だったのか、それとも樹理があまりに正直すぎた言い方をしたからなのか。誰もこの二人の関係を推測することは出来ない。
数日後、樹理・悠・敬一は会うことになった。樹理はこの日を待ち望んでいた。誰よりも自分を祝福してくれるはずの悠に、初めて自分の心を打ち明ける食事会だった。
樹理らしいレストランで三人は楽しく食事をした。樹理が選んだワインと、敬一が好きだろうと樹理が用意してもらった料理。でも三人の間に吹いた風は、今までと違う意外な方へ流れ始めた。 
敬一の心が樹理から離れた瞬間だった。何も知らない樹理は、いつも通り空の熱帯用の水槽に酸素を入れながら呟いた。
「ねぇ、わたしは幸せだよ。悠も彼を気に入ってくれたんだ。」
本心だった。同じリズムで酸素を送るエアポンプとは違って、人の心のリズムは崩れやすい。  
いつものような苛々はなく、平和な夜が 樹理を包んだ。片付けていなかった部屋を少し片付けてみようと思うほど、樹理は満たされた気分で幸せだった。めったにしない携帯のメールを敬一に送りたくなった。 
『敬ちゃん、今日はありがとう。』
他にも湧き出る言葉を伝える術をしらない樹理にとって、愛する人への最高のメールだった。すぐに返信が来た。
『今日ほど君に感謝したことはないよ。』
樹理は
『愛されている。』
そう思った。自分が敬一から愛されていると感じた最後の一瞬だった。その気持ちが自分が描いた幻の愛情でもだ。

バスルームからリビングに向かいながら、 キッチンのテーブルにある赤ワインの色を眺めていた。 
「いいじゃない。若くてもよさげ。」
樹理のワインコレクションのなかでは若いとは言え、高価なワインだった。
タオルで濡れた髪を拭きながら、バスローブのままソファに腰掛けた。興味もないテレビをつけてみる。 
「また、争いごとか・・・。」
樹理はボリュームを下げた。映像だけがチラチラと部屋を明るくしたり暗くしたりしていた。
 風呂から上がった樹理は、部屋のあかりを最小限にする。ぼんやりとともるルームライトは亡き母が好きだったステンドグラスのカヴァーがかかっている。
 テレビのボリュームを落としたのは、世の中の情勢に、少し関係がある仕事をしている樹理にとって、メディアの中にまで自分の心を支配されたくなかったからだ。
深くソファに座り、お気に入りのボディークリームで少しずつ全身をマッサージしながら、お湯で温まったからだをクールダウンしていく。
 部屋の片隅に置き去りにされたSHOPの袋に目を落としてみた。
「さぁ、Hitはあるかな。」
実は、偶然とはいえ本当の誕生日に送られたプレゼントには心を弾ませる。 
樹理にとってブランド物など無意味である。 彼女が本当に心ときめかす物こそが、最高のプレゼントになる。けれども、樹理の本当の誕生日を知っているのは、亡き母とそして父と悠以外いなかった。
すべてブランド名がかかれた袋にため息をつきながら、それでも几帳面に大切に開いていく。ブランド名の袋に包まれた、高級そうなバッグ。樹理が大好きなブルーのセーター、これもイヴサンローラだ。ブランド物は好きではなかった。
 たくさんのプレゼントの中に、小さく潰れそうな小包を見つけた。
「何だろ?」
樹理は少し怖かった。いつも冷静で仕事もでき、誰にも隙を見せない樹理にとって、さり気ないものが一番怖い。送り主を見てみる。
『志田宗』見当がつかない。 
「誰だろう?」
樹理の誕生日を知っている。そしてこのマンションの住所も知ってる謎の人物だ。 
「志田さん・・・。」
乾きかけた長い髪をバナナクリップでまとめて、樹理の母が大好きだったボヘミアグラスを取り出す。
「ママ・・・、1つ割っちゃったんだ。ごめんね。」
このボヘミアグラスは、両親の結婚記念何年目かの品だった。この部屋に引っ越す事を決めた時、樹理は父に我が侭をいった。それはこの母が大好きだったグラスと水槽を自分が受け継ぐ事だった。
別のグラスを2つ樹理は用意した。
「今日は私のお誕生日。パパとママがくれた命。ありがとう。乾杯!」 
いい具合に空気に触れた赤ワインの色が部屋を染めていく。樹理にとって1年の中で一番満たされる時だ。忘れていた自分の誕生日。
しばらくして、小さな小包が気になりだした。きれいとはとても言えないその小包に、何かを感じた。
『何が入っているんだろう?』
ワインを飲みながらその包みを触ってみたが、 何が入っているのかさっぱり見当もつかない。 何度手で感触を確かめても分からなかった。
「爆発しないだけいいか。」
肩をすぼめながら言った冗談は、樹理自身が信じたかったことだ。
 結局その夜、樹理は小包を開けることはなかった。
 実は、樹理を取り巻く男性が知っている樹理の誕生日は、毎月設けられている。プレゼントがたくさん欲しいわけじゃない。自分から誘えない樹理にとって、食事に誘ってもらう口実にしてもらいたいだけだった。
誰かに自分の誕生を祝ってもらい、存在を認めて欲しいだけだった。そして、マンションで一人で過ごすだけの日常にはない賑やかな時間が欲しかった。 
毎日でもいいと樹理は思うくらいだった。 それほど彼女がさびしくなったのは、あの時からだった。敬一を失ったあの時から。

いつもと同じ寝不足の朝だった。樹理にとっては普通の日だったある日、同僚に声をかけられた。明日は彼が知っている樹理の誕生日だった。
「樹理、明日はどこで食事しようか?何が食べたいかな?あと・・・。プレゼントなんだけど・・・。給料日前でさぁ。」
毎月のことではあるが、事実この日が自分の誕生日ではない樹理にとって、ごく普通の日である。特別にプレゼントや食事を、用意できない事が、その男性にとって申し訳ない事だと言う事は、大した問題ではなかった。
しかし、こんな時樹理はわざと高飛車に出る。
「プレゼントなしで食事?誰を誘ってるか分かっていってるの?」
困り果てる男を見るのが好きになっていた。 
「でも、一緒に祝いたいんだよ。ちゃんと給料もらったらプレゼントするから。」
頼み込む男の情けない姿を見て、心で笑うことはなかった。樹理は捻くれた女ではなった。 こんな自分に、一生懸命になってくれる人がいるという事が、愛を実感する時だった。
 つまり、それが多くの男性と楽しむことで、満たされているかのように感じる儀式のようになっていた。いつものように微笑みながら
「ありがと。嬉しい!この前のフレンチのお店がいいな。とても美味しかったもんね。また行ってみたかったの。」
泣きそうだった男に答えるように、微笑む樹理は本当に美しかった。その時必ず思う事があった。
『この人は 私を裏切ったりしない。あの時の敬一のようには』
もちろん誰も悪くはないと思いつつ、敬一を責める事で自分の行動を肯定していた。

エピソード:2謎の人物

エピソード2: 謎の人物

 『志田宗さん。一体この人は、誰なんだろう?』
考えない日はない。破ることが出来ない封に怯えながら、もう2週間が経つ。いつものように空っぽの熱帯魚の水槽に語りかける。 
「これって何だろう?開けてもいいのかな?」
この行動を何日も繰り返している。けれども開ける勇気が樹理にはない。 
こんな小さな袋に怯える樹理は、毎回もらうプレゼントを開いてはため息をつく。本当に欲しいと思うものと、それは違っていたからだ。
すっと立ち上がって、クローゼットを開けた。転げ落ちるくらいのブランド物に囲まれた。こんなもので樹理は満足しない。唯一、手に入れたかった敬一の愛を失った樹理にとって、どんな高価なものでも嬉しくなかった。 当然だが失った心の隙間などどんな事があっても埋められる筈はなかった。 

樹理の本当の誕生日には、必ず須田夫妻からのカード付花束が贈られてくる。樹理と悠は同じ日に生まれた。だから悠は誕生日を知っているのだ。そして皮肉にも、必ず贈られてくるものがある。ルレーブの花束だ。
けれどそれは、つらい一日を思い出す贈り物だ。忘れたはずの敬一への思いを再び思い起こさせる花、それがルレーブだ。 
結婚式のあの日、幸せそうな二人の前に ピンク色の清楚な薫り高いルレーブが溢れていた。 樹理が一番大好きだった花だ。もちろん敬一も知っていると思っていた。 

ゆりの花の中でもルレーブは薄いピンク色でどちらかと言うと小ぶりな方だ。大ぶりで豪華な雰囲気のあるカサブランカやマルコポーロを好む女性が多いい中で、樹理はルレーブを好んだ。敬一はその事をよく知っていたはずだった。それなのに、悠との結婚式で飾られた花はルレーブだった。式場で窒息しそうなくらいショックだった。装花を眺めがら悠は言った。
「淡いピンク色ってわたしの好みじゃないんだけど。可愛いからいいかも。ねっ!樹理」
披露宴会場で、二人にお祝いを伝えたくてシャンパンを持って駆け寄った。
「悠本当に綺麗!!私の次にね。」
言いながら上ずった声に自分で気づいていた。
「敬一さん・・・。悠をお願いします。」
一礼しながら張り裂けそうな心で敬一に言った。俯きながら涙が出そうだった。
樹理はこの日でさえも、敬一をまだ愛していた。手が届くことがなくなった今日ほど愛しく思った日はなかったかもしれない。
式場のどこを見ても、樹理が大好きでたまらなかったルレーブが飾られ、幸せそうな悠と敬一が祝福されている。 
『これは夢なのかも。悪夢なのかも。』
そう願わずにはいられなかった。
樹理は、披露宴の時間が悪夢なのだと願った。甘い香りの中に幸せそうな妹が樹理が愛した男と寄り添っている。そしてこれは夢ではないと気づいき、ありえない現実に途方もなくシャンパンを一気飲みした。この日の事を樹理は、あまりよくは覚えていない。会場ですれ違う人達に祝福されるはずだったのは、自分だったのにと独りよがりな気持ちでいっぱいだった。 
この悪夢とも思える日を、もしかすると忘れたいのかもしれないと樹理は思い続けていた。嬉しそうに花嫁の父になった理を見て、せせら笑いたかった。
母を裏切り産ませた隠し子の結婚式で、悠の実父として、そして二階堂家の主として出席した父に反吐がでそうだった。悠の結婚式の思い出は父への憎悪となった。
そんな樹理のことを、披露宴会場の隅で見つめていた男がいた。男の眼には、悲痛な叫び声を上げそうな瞳で、会場の窓から遠くに霞む高層ビルを見つめている樹理の後姿があった。触れると一瞬で壊れてしまいそうなほど危うく、今を信じる事が出来ないように見えたのだろう。どんな時も冷静で、周りに気を使う樹理だったが、今日は誰とも話をしたくなかった。一言声に出すと、我慢している涙が一気に溢れだしてしまうような気がしていた。
その男は、樹理の心の叫びに気づいているようだった。彼は、シックなスーツを纏い、綺麗な顔立ちをしていた。窓辺にたたずむ樹理の横を、ゆっくり歩いて行った。そのまま、悠と敬一の元へ行き
「悠さん、おめでとう。」
「健ちゃん!さすがカリスマ美容師だけある。最高に綺麗でしょう?私。」
「おめでとうございます。初めまして須田さん。小林健吾です。悠さんのコーディネート担当させて頂いています。」
「ありがとう。ゆっくり楽しんで行ってください。」
「どうも、では失礼します。」
 悠の知人らしく、人目を引く顔立ちとスタイルだった。披露宴会場のどこを見ても、まるで有名人のパーティーのように、華やかな人ばかりだった。その賑やかな中で樹理だけが一人浮いていた。
どこまでも幸せそうな悠と、どこかで間違ってしまって不幸のどん底にいる樹理。救われないと思うくらい、樹理は悲痛そうだった。時間を巻戻して、悠と敬一を会わせなければ、悲しい思いをしなくて済んだのかもしれないと、その言葉だけが頭の中を占めていた。
幸せそうな二人は、未来へと進んでいるのに、樹理は過去ばかりを追っていた。
『誰でもいい、側にいて欲しい。』
強く思った。一人暮らしがしたかったわけではなかった。理が自分にあまりに無関心過ぎる事に冷たさを感じていた。自分の事を娘ではなく、単なる二階堂グループの後継者としてしか見てくれていないように思っていた。
 離れて暮らす事で、想像の中の理はとても優しく、いつも側で見ていてくれて独りぼっちではなかった。あまりにも現実とはかけ離れている樹理の想像の中だが、理の気持ちを引きたくて、実家を出たのだ。
一樹が生きていた時は、理が家に居なくても寂しいと思った事はなかった。最愛の母の最期も、樹理は独りぼっちだった。せめてもの救いは、家政婦のマキが側に寄り添ってくれた事だ。
 理に我儘を言い、マンションを借りてもらった。家を出る話をした時、本当は引き止めて欲しかった。樹理も、理も言わなければならない言葉を相手に伝える事が苦手だ。欲しいものを、欲しいと言えない。手を伸ばせばある幸せにさえ、気づかぬ振りで通り過ぎてしまう。お互いを求める気持ちがあっても、言葉や行動に出来ない不器用すぎる悲しい性格だ。
 樹理を心の底から愛してくれていた一樹はもういない。全身全霊で愛情を表現してくれた、優しい母はもう居ない。温かく樹理を抱きしめてくれる人は、もうこの世には居ないと思い、樹理を心の底から深く愛している理の愛情を感じる事ができなかった。
 またさっきの男が樹理の側を通り過ぎた。悠のコーディネートを担当していると敬一にあいさつをした小林健吾だった。結婚式の披露宴で、まるで葬式に参列しているような雰囲気で、悲しそうな後姿が気になった。いつもの彼なら、軽いノリで声をかけて会話を楽しむのだろうが、小林健吾は樹理に声をかける事はしなかった。
お祝いの席で、暗い顔をした女性は、大概花婿にフラれたか、片思いで気持ちが通じなかったに違いない事を分かっていたからだ。気になって仕様がなかったが、
「面倒な事には、手を出さないのが俺流。」
そう呟くと、楽しげに会話している友人達のもとへ歩いて行った。
 樹理の瞳には、遠く霞む高層ビルと、指で潰せそうなくらい小さい道路を行きかう車だけが映っていた。この小さく見える世界を壊せたら、この悪夢から開放されるのではないかとずっと見つめていた。
『披露宴会場のこの窓から飛び降りたら、粉々になれるのかな。心も全部。どうせ独りぼっちだし、悲しむ人なんていない。』
今ある世界を壊すより、自分の存在が消えてしまえばいいと思っていた。
今度は違う男が樹理の側を通りかかった。ドリンクをトレイにのせたボーイが立ち止り、樹理に飲み物を渡した。
「お飲物をどうぞ。」
「あっ、ありがとう。」
何も言わずに一礼しボーイは去って行った。寂しそうな樹理に、声をかけたのはこのボーイだけだった。
『私、寂しいよ。一人ぼっちは寂しいよ。』
この日から樹理の歪んだ愛を求める強烈な行動が始まった。いつも誰かに愛されていたい、愛を求めていたい。敬一が気づかなかった樹理の愛情が溢れ出た。敬一以外の誰でもいい、それが敬一以外の誰かと一緒に過ごす毎月のウソの誕生日だった。

J≠Y~本当の愛を知るために~

J≠Y~本当の愛を知るために~

恋愛に不器用で、いつも満たされない心を持ちつづけて生きてきた主人公(二階堂 樹理)が 自分の心にある小さな躓きから解き放たれて、自分の気持ちを見つけるお話しです。 恋愛論というわけではないのですが、心理面でありがちな誤解や勘違い、そして一般論とかイロイロ・・・ 人は裏切る生き物だと分かっていても、信じてしまう。 いつか幸せになりたいと女性は思うもので、その思いを募らせながら読んでいただきたい。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-29

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND
  1. エピソード1:満たされない心
  2. エピソード:2謎の人物