ある老人

私の友人に、ずっと布団にこもっていた人がありました。
病気ではありません。
いや、一種の病だったのかもわかりません。
いうなれば恋の病。

彼はひとめぼれをしました。
町ですれ違った女の子にね。
なんでも、目が合ったとたん電流が体中に走ったそうです。
彼女と僕のいままでの歴史が全部この瞬間につながってきている。
そう言うんですよ。
そのときから彼の頭は彼女で埋め尽くされました。
寝ても覚めても、何をしても、
考えるのはその子ばかり。
でも、彼女のことは「夏子」という名前以外何もわからなかった
そんなわけで彼女のことを追うことはどうやってもできなかった。
そうしたら、いつしか彼はまったく外に出なくなってしまってね。
心配して、家に行ったら彼は寝ていたんです。
体調が悪いのかと聞くと、絶好調だと言う。
なら起きろと言えば、私の幸せを邪魔しないでくれと言う。
「あの子は夢の中にいる。夢で逢いに来てくれるのだから、私はずっと待っていなければならない。もう、手もつないだ。接吻もした。私の幸せはここにあるんだ。」
彼は幸せそうに目をつぶって話しました。
それから何度か彼の家を訪ねましたがもう家に入れてくれることはありませんでした。
そして、何年かしたあと彼が死んだことを知りました。
彼の亡骸のそばには睡眠薬のビンが転がっていたそうです。

老人はそういってため息をつき、微笑んだ。

でも、彼は夢の中で死ねたんだ。きっと、本望だったでしょうね。
それと、無知だったことも幸せだったはずです。私にとっても。

老人の家の表札には二つの名前があった
一つは老人、もう一つは「夏子」

ある老人

ある老人

  • 自由詩
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2013-07-28

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