LITTLE
HOPEに次ぐ、私の生涯で二度目の長編小説となります。
Prologue 昼下がり ?Nightmare?
小学五年生への進学を間近に控えた、春の昼下がりの事。
トラックの大きなクラクションと、タイヤの擦れる音が、自宅前の道路に響いた。
気付いた頃には、もう遅かった。
道路の真ん中には、長い髪を乱れさせ、額から真っ赤な血を垂らす母の姿がある。
周りには野次馬ができ始め、トラックの運転手は、あまりの衝撃に混沌としていた。
僕は手に持っていたサッカーボールを、その場に落とし、母の元へ駆け寄った。
母の体を軽く揺らす。
手に触れた母の体には、温もりと言うには程遠い冷たさを感じた。
「ねぇ、お母さん?」
次は一声掛けてみた。
それでも、何も反応がない。
「お母さん! お母さん!」
どれだけ声を掛けても、母は起き上がらない。
『お母さん!』
その言葉を発したつもりだった。
『お母さん!』
何度も、そう言い続けたつもりだった。
それでも、聞こえて来る筈の自分の声は、聞こえて来ない。
暫くして、ようやく気付いた。
僕は声を失っていたのだ。
これは母を死に追い合ってしまった、自分への代償。
自然と、そんな考えが頭に浮かんでいた。
転がるサッカーボールを追い掛けて、道路に飛び出した僕を、母は迫るトラックから身を挺して守ってくれたのだ。
罪悪感で堪える事の出来ない涙を流し、小さな腕で冷たくなった体を抱える。
そして、声なく叫び続けた。
Episode1 平井優子 ?三人暮らし?
隣の家に住む、同級生の麗太君のママが亡くなった。
その事を知ったのは、麗太君が私の家に預けられる事が決まった日であった。
=^_^=
自宅の玄関先で、麗太君のパパと私のママが何かを話している。
その場の空気は、今年から小学五年生へ進学する私にとっては、居合わせたら泣いてしまいそうな位に重苦しかった。
「それじゃあ、今日から息子を宜しくお願いします」
とても背の高いスーツ姿の、麗太君のパパ。
彼の後ろから、ひょっこりと麗太君が顔を覗かせた。
どうやら、先程からそこにいた様だ。
彼の手には、なぜか大きな旅行鞄がある。
ママが麗太君に顔を近付けて、にっこりと笑う。
「麗太君、よろしくね。今日からは、私と優子と一緒に暮らすのよ。ここを自分の家だと思って、好きに使ってちょうだいね」
麗太君は首を縦に振る。
「えぇ!?」
廊下の隅から玄関を見ていた私は、唐突な自宅への入居者に、つい驚きの声を上げていた。
ママ、麗太君のパパ、麗太君の三人がこちらを振り向く。
「あら、優子。いたんだ。ほらこっちに来なさい。麗太君に挨拶して」
言われた通りに玄関へ行き、麗太君の前に立つ。
「さあ、麗太。優子ちゃんに挨拶しなさい」
背中をパパにぽんと押された麗太君は、私に一礼した。
どんな対応をしていいのか分からず、私はママの方を向いた。
ママは何かを察した様に、私に言う。
「じゃあ、挨拶も済んだ訳だし。ママは麗太君のパパと大事なお話があるから、優子は麗太君と部屋に行ってなさい。麗太君の部屋は、後で用意するから」
「ちょっと……えぇ!?」
ママに押され、私は麗太君を二階の自室に招いてしまった。
そういえば、部屋に男の子を上げるのは初めてだ。
中央に置かれている小さなテーブルの周りに、クッションが三つ置いてある。
私はいつも座っている、キティちゃんの可愛らしいプリントが成されたクッションに、逸早く座った。
なんとなく、これだけは男子に譲れないのだ。
「どうぞ」
そう言うと、彼は私の向かいのクッションに座る。
「えっと……麗太君。お母さんは、大丈夫だった? えっと……ほら! あの……この前、事故に遭っちゃったでしょ? それで……えぇっと……今日から私と住むっていうのは……」
訊きたい事は多々あるのに、言葉が上手く出て来ない。
ぶっきらぼうな私の言葉に、麗太君は俯いてしまった。
「あぁ、ごめんね。そんな事を聞かれても困るよね……」
どうして、私がこんなに喋っているのに、麗太君は無口なんだろう。
これでは、沈黙を作るまいと頑張って話をしている私が馬鹿みたいだ。
こんな麗太君を見たのは、今日が初めてだった。
学校で見る彼はもっと明るく、クラスではムードメーカーの様な存在であった筈だ。
やはり、ママの安否が心配なのだろうか。
そんな考えを浮かべている内に、既に部屋には沈黙が下りていた。
どうしよう……。
なんか、お腹が痛くなってきた。
昔から、こんな堅苦しい状況に陥ると、いつも私はお腹を壊す。
「ごめんね。ちょっと、トイレに行ってくるね」
立ち上がり、私は逃げる様に自分の部屋から出た。
二階のトイレで用を済ませた。
そういえば、ママと麗太君のパパは、まだ玄関で話しているのだろうか。
階段の上から玄関を覗くと、そこには誰もいない。
どうやら、話は終わった様だ。
一階のリビングへ行くと、ママは頭を抱えた状態でソファーに座っていた。
「ちょっと、どうしたの!?」
ママはゆっくりと顔を私の方へ向ける。
その表情は、涙に濡れていた。
「麗太君のママ……。さっき、病院で息を引き取ったんですって」
「そんな……」
私には、直接の接点はない。
しかし、ママにとっての麗太君のママは、近所付き合いでありながら親友の様に仲の良かった存在だ。
勿論、麗太君にとっては、それ以上の存在でもある。
身近な人が亡くなった。
きっと、これは私の人生経験では初めての事だ。
少しだけ、気分が悪くなった。
「麗太君に……何て言うの?」
「あの子には今日の夕食の後で、私からどうにか言って聞かせるわ」
ママは私の頭を強く抱いた。
豊満な胸部が、私の顔面を包む。
それと同時に、少しだけきつめの香水の香りが私の鼻を突いた。
いつもと同じ、ママの香り。
なんだか安心した。
「優子、よく聞いて。あなたが麗太君の支えになってあげるの。あの子のパパは、仕事が多くて家に帰れないの。それに、まだ言っていなかったけど、今の麗太君は喋る事が出来ないのよ」
ようやく理解した。
私がどれだけ喋っても、彼が口を開こうともしなかった理由。
「麗太君のママが交通事故に遭った事は知ってるでしょ?」
「うん、知ってる……」
しかし、私とママはその現場を直接見た訳ではない。
丁度その頃、私達は買い物に出掛けていた。
買い物から家に帰った時、麗太君の自宅前には警察がいて、私達は初めて事情を知ったのだ。
「麗太君は、その現場を見てショックを受けちゃったの?」
「そうよ。麗太君を一番に支える事が出来るのは、あなただけ。これから一緒に住んで、一緒に学校へ行って、大変な事もあるだろうけど、麗太君の事をお願いね」
胸部に埋めていた顔面を離し、ママを見た。
やはり、まだ涙を浮かべている。
「大丈夫だよ、ママ。麗太君の事は、私に任せて」
泣いているママに代わって、歯を出して笑って見せた。
とりあえず部屋に戻ろう。
でも、私が部屋に戻って麗太君とお話するにしても、彼が喋れないのでは、どうしようもない。
ふと、電話の隣に置いてある、メモ用紙の束とシャーペンが視界に入った。
「ねえ、このメモ用紙とシャーペンなんだけど、貰って良い?」
ママは私の考えを理解してくれたのか
「頑張ってね」
とだけ言って笑い掛けた。
部屋に戻り、麗太君に一本のシャーペンとメモ用紙の束を差し出した。
「これを使って。言いたい事が伝わらないと、不便だから」
麗太君は、私が差し出したそれを横目で見たかと思うと、勢いよく左手で振り払った。
メモ用紙の束を挟んでいたピンが外れ、部屋中にメモ用紙が散らばる。
一緒に払われたシャーペンは壁に強くぶつかり、欠けてしまった。
「ちょっと、何て事するの!?」
散らばったメモ用紙を、そのままにしておく訳にもいかず、仕方なしにそれを拾う。
腰を屈めてメモ用紙を拾う私を、麗太君は表情を変えずに見つめていた。
どうして、こんな事をしたのか。
しっかりと、その事を訊かなければならないと思った。
しかし、訊く事が出来なかった。
彼の表情が、あまりにも悲しげで、それでいて辛そうに見えたから。
私は一段ベットの上で雑誌を読み、麗太君はクッションの上でずっと俯いている。
どうして自分の家で、こんな嫌な想いをしなきゃいけないんだろう。
もう、最悪。
暫くして、ママが私の部屋に来た。
「麗太君、部屋の準備ができたわよ。いらっしゃい」
ママが麗太君を部屋から連れ出す。
私も、その後に付いて行った。
麗太君が案内された部屋。
それは二階の一番奥の部屋で、かつてパパが使っていた書斎だった。
私のパパは仕事の都合で、今は海外に単身赴任中だ。
だから今、この部屋は誰も使っていない。
壁際に、ぎっしりと難しい本が詰まった棚が一つ。
窓際に置かれた殺風景な机と、その隣に位置する一段ベット。
これらは全て、かつてパパが使っていた物だ。
「この部屋は好きに使ってくれて構わないからね。棚の本も読んで良いし」
麗太君は頷き、一段ベットの上に弾みを確かめる様に座った。
そんな光景を見たママは、安心した様に部屋を出てしまう。
一段ベットに座る麗太君をそのままにして、私も部屋を出た。
「ママ、どうして麗太君の部屋をパパの書斎に選んだの? まだ空いてる部屋が一つあるでしょ?」
ママが私の方を向く。
「あれで良いのよ。あの部屋に誰かがいてくれる。あの部屋から物音がする。それだけで、パパがいた時の事を思い出せるの」
パパが単身赴任をして、まだ一年も経っていないというのに、どうしてママは、こんな事を言うのだろう。
これでは、まるでパパがもう帰って来ないみたいじゃないか。
「パパは……帰って来るんだよね?」
恐る恐る訊く私に、ママはからかい気味に笑う。
「馬鹿ね。パパは只の単身赴任よ。仕事の都合によっては、すぐに帰って来るわよ」
私の額に軽くデコピンをして、その痕にキスをした。
「はぁ、う……」
つい、そんな声を上げてしまった。
額がむずむずしていて……何と言ったら良いのだろう……よく分からないが、少しだけ気持ち良い。
「パパの事は、あなたが気にする事じゃないわ。まず麗太君の事を考えなさいね」
「……うん」
頭に霧がかかった様な感覚になり、少しだけボーっとしてしまった。
「二人とも、ご飯よ!」
夕日が沈み切った七時頃、ママが一階から私と麗太君を呼んだ。
私が部屋から出ると同時に、彼も部屋から出て来た。
一瞬だけ目が合い、すぐに反らした。
なんとなく、彼の事を直視する事が出来なかったのだ。
リビングでは、ママがテーブルに夕飯と数枚の皿を置いていた。
テーブルの上に置かれた夕飯を見る。
今日は野菜炒めだ。
あと、いつも通り茶碗に盛られたご飯と味噌汁が置かれている。
私とママはいつもの様に、向かい合って椅子に座った。
「麗太君は、ここよ」
ママが隣の椅子を引いて、麗太君を招く。
彼は頷き椅子に座った。
私、ママ、麗太君、全部で合わせて三つの椅子。
麗太君が座っている椅子は、かつてパパが座っていた物だ。
この家に、確かにパパがいたという証拠が、麗太君という存在によって埋められていく。
ママを事故で亡くしてしまい、更には声まで失ってしまった麗太君。
不幸で、可哀想な子。
彼を見る度に、そう思う。
しかし、私のパパの存在と摩り替わる様にして、今ここにいる麗太君。
いつまで続くか分からない同居生活を共にする同居人としては、あまり好きになれなかった。
テレビを点けると、ポケモンがやっていた。
私は、この番組を毎週見ている。
ママには「もう、五年生なんだから」と、よく茶化されるていたけれど、最近ではそれもなくなった。
ママ自身も、私と一緒に毎週見ているから、それが決まりになっているのだろう。
小皿に野菜炒めを盛り、テレビを見ながらご飯を食べる。
いつもと同じ光景。
ただ、ママの隣に麗太君がいなければ。
なんとなく、麗太君が気になってしまう。
もう小学五年生だというのに、ポケモンなんて見てる私を、内心では嘲笑しているのかもしれない。
喋る事が出来ないから、その事を伝えようとしないだけ。
勝手な想像をしただけで、勝手に頬が熱くなる。
まったく、私は何を考えているのだろう。
彼の事など気にせず、いつも通りにご飯を食べよう。
そう思っていた矢先、ママが麗太君に話し掛ける。
「うちのご飯、お口に合うかな? 野菜炒めとかは、わりと自信作なんだけど。おいしい?」
ゆっくりと、麗太君は頷く。
「そう! 良かったぁ! ご飯のおかわり、いっぱいあるからね」
そんな遣り取りを前に、私はテレビに視線を集中させた。
食事が終わった後、ママは麗太君をリビングへ呼び出した。
きっと、麗太君のママに関する事を話すのだろう。
私はママに言われ、その場を外した。
一度は部屋に戻ったものの、どうしてもリビング内での出来事が気になってしまってしょうがない。
少しだけ。
そう思い、私は擦り足で階段を降り、リビングのドアのすぐ横に立った。
ママの声が聞こえて来る。
「あなたのママに関しては、私もとってもショックを受けたわ。勿論、麗太君。あなたもそうなのよね」
数秒の沈黙が下り、再び声が聞こえて来る。
「落ち着いて、聞いてちょうだい。今日、あなたのママが亡くなったわ」
その知らせと同時に、椅子やテーブルをバンバンと叩く音がした。
きっと、麗太君が取り乱しているのだろう。
当然だ。
隣の家に預けられて、その日の晩にママの死を知ってしまうなんて……残酷過ぎる。
やがて、椅子やテーブルを叩く音が止んだ。
「辛いのは麗太君だけじゃないの! 私も辛いのよ。でも、過ぎた事はどうにもならない。だから……」
麗太君を宥める為の勢い付いた声は、やがて弱々しい泣き声の様なものに変わった。
「だから、あなたはこれからの事を考えるの。過ぎた事は……どうにもならないんだから……」
ママと麗太君は、このドアの向こうで泣いている。
麗太君のママを、親しい仲と捉える事が出来ず、あの二人と共に悲しむ事が出来ない自分が、嫌でしょうがなかった。
部屋に戻り、ベットに飛び込み枕に顔を埋めた。
なぜか、麗太君に関する悩みが次々に浮かんでくる。
私は、これから麗太君にどう接していけばいいんだろう。
麗太君と、どうやって会話をすればいいんだろう。
これから麗太君は、私を頼れる同居人として受け入れてくれるだろうか。
「あー、もう! どうして、こんなにモヤモヤするの!?」
部屋の中で、一人で叫んでみても何も変わらない。
麗太君と二人で話をしないと。
ふと、階段を上がる足音が聞こえた。
階段を上がり切ったその足音は、一番奥の部屋へ向かって行った。
この足音は、麗太君だ。
その事を確信するなり、私は先程のメモ用紙の束とシャーペンを持って、彼の部屋へ向かった。
廊下の一番奥の部屋の前で、呼吸を整える。
「よし!」と小声で言い、ドアをノックした。
「入るよ」
ドアノブを引いたが開かない。
部屋に鍵はない筈だ。
おそらく、麗太君がドアを押さえているのだろう。
「麗太君……」
私には、彼の名前を呼ぶ事しか出来ない。
彼自身が、ドアを押さえて私を拒絶しているのだから。
きっと、こういう時は怒ってはいけないのだ。
なんとなく、そう直感した。
一回だけ呼吸を整えて、再び言葉を発する。
「ねえ、そうやってるだけじゃ何も変わらないんだよ? 確かに、麗太君のママの事は辛いと思う。でも、このままじゃ何も変わらないよ……」
私の言葉に、彼は物音一つ返さない。
落ち着いて。
イライラしちゃ駄目。
そう自分に言い聞かせ、話を切り出した。
「麗太君がいる部屋。そこって、元々はパパの部屋だったの……」
ドアの向こうから、少しだけ床の軋む音がする。
「この部屋に誰かがいてくれるだけで、パパがいてくれた時の事を思い出せる。ママが、そう言ってたの。馬鹿だよね。パパは、只の単身赴任なのにね」
いつもはにこにこと笑っているけれど、きっと一番に泣き出したいのはママの筈だ。
「だから、麗太君にはパパに代わって、私達を守って欲しい。そう思って、この部屋を麗太君に選んでくれたんじゃないかな?」
麗太君の息使いが、段々と荒くなっているのが、ドア越しからでも分かる。
それほど動揺しているのだろう。
「だから麗太君は、もう私達の家族なんだよ」
我乍ら、かなり恥ずかしい事を言ったと思う。
頬が熱くなってくるのが、なんとなく分かる。
きっと、真赤に赤面してるんだろうなぁ。
ふと、ゆっくりと部屋のドアが開いた。
麗太君は頬を赤らめ、必死に涙を堪えている。
しかし彼の目蓋には、僅かに涙が浮かんでいた。
私から必死に視線を反らそうとしているのを見るに、強がっているのだろう。
俯く麗太君に、先程、部屋から持ちだしたメモ用紙の束と、シャーペンを手渡した。
「伝えたい事があったら、これを使って」
麗太君は、メモ用紙の上にシャーペンを走らせる。
書き終えた様で、それを見せる。
『僕は、平井の家族になって良いの?』
不安そうな表情を浮かべて問う麗太君に、私は笑顔で答えた。
「勿論だよ。ママも言ってたでしょ? 麗太君が、パパに代わって私達を守ってくれるって。何も遠慮しなくて良いんだよ。麗太君は、私達の家族なんだから」
その瞬間、何かが外れた様に麗太君の目蓋からポロポロと涙が零れ出す。
やがて、彼は床に膝を付き、大きく泣いた。
麗太君が声を失っていなければ、きっと大きな声を出していた事だろう。
しかし、麗太君に声はない。
いくら叫びたくても、泣きたくても、声には出せないのだ。
ならママに言われた通り、私が彼の支えになってあげるんだ。
春休みが終わったら、一緒に学校へ行って、友達と遊んで。
休みの日には麗太君と、ママに買い物に連れて行ってもらおう。
きっと、これから毎日がもっと楽しくなる。
麗太君の悲しい気持ちを消せる様に、私が頑張らないと。
床に膝を付いて大泣きする彼の前に、目高を合わせてしゃがみ、頭を撫でてやった。
少しだけ長めに伸ばされた彼の髪は、程良くサラサラで、私から見ても羨ましい位に柔らかかった。
なんだか、麗太君って女の子みたいだ。
見ていて、私が逆に守ってあげたくなる。
「今は泣いて良いんだよ。私は、笑ったりしないから」
どうしてだろう。
麗太君を見ていると、妙に親近感が湧く。
その原因を考える程に、なぜか胸が苦しくなった。
=^_^=
麗太君が私の家に預けられて、三日が経った。
今日は、麗太君が私の家で迎える初めての日曜日という訳だ。
私の日曜日の朝は、いつも早い。
八時半より少しだけ前に起きて、テレビの前にスタンバイしなくてはならないのだ。
何度寝も出来る日曜日の朝から、なぜ、そんな事をしなくてはならないのかというと、八時半からプリキュアを見る為だ。
ママからは「もう、小学五年生なんだから。そんなの、小学校低学年が見る番組よ」と、以前はよく茶化されたものだが、最近ではそれもなくなった。
きっと、何を言っても無駄だと気付いたのだろう。
懸命な判断だ。
私にとって、週に一度の楽しみにしている番組へ掛ける情熱は、他人からとやかく言われて揺らぐものではないのだから。
パジャマのまま部屋を出て、階段を駆け下りてリビングへ行くと、テレビ前のソファーには先客がいた。
麗太君だ。
私と同じで、まだパジャマを着ている。
「おはよう」と挨拶をし、麗太君の隣に座った。
麗太君は私に、軽くお辞儀をする。
やはり喋れない事ほど不便な事はない。
挨拶をされても、それを単純に返す事すら出来ないなんて。
しかし、いつも麗太君は笑い掛けてくれた。
そういえば、私より早く起きて、麗太君は何を見ているのだろう。
テレビに視線を向ける。
どうやら、プリキュアの前の時間に放送中の特撮番組の様だ。
この番組、なんとなく知っている。
たしか……クラスの男子達が、よくポーズを決めて『俺、参上!』等と言っていた事があった。
おそらく、それだろう。
麗太君も、やっぱりこういうのが好きなんだ。
「やっぱり、男の子なんだなぁ……」
テレビの画面を見ながら呟いた時だ。
「優子だって、プリキュアとか見てるじゃないの」
私と麗太君が座るソファーの後ろには、いつの間にかママが立っていた。
「ちょっと、いつからいたの?」
「少し前よ。来てみたらリビングのドアが開いてて、覗いてみたら……」
少しの間を置いて、ママは「キャー!」とわざとらしく黄色い声で叫んだ。
「二人でソファーに座って、テレビ観てるんだもの。なんか、ママが入り込む隙がないっていうかぁ」
「違うよ! そんなんじゃなくて……」
麗太君は、メモ用紙とシャーペンを片手に慌てている。
「まあ、二人とも仲が良いって事よね。そうでしょ?」
私達二人の頭を、ママはグシャグシャと撫でた。
「うん!」
麗太君も、私に合わせて頷いた。
「そういえば、これって新しい仮面ライダーでしょ?」
テレビに目を向けたママが、麗太君に訊いた。
仮面ライダーという特撮ヒーローの話題を振られた事が嬉しかったのか、麗太君は嬉しそうに頷く。
「え? 仮面ライダーって、昭和のヒーローなんじゃないの?」
「そんな事ないわよ。平成になっても続いてるのよ。こう見えてもママは、昭和の仮面ライダーと平成の仮面ライダーを網羅してるの!」
胸を張って自慢げに語るママに、麗太君は輝かしい眼差しを向け、何かの書かれたメモ用紙を見せる。
『クウガ、アギト、龍騎、555、ブレイド、響鬼、カブト、電王』
メモ用紙に書かれた単語を見て、私は目を丸くする。
「これ何?」
「ああ、平成の仮面ライダーの名前ね!」
ママは彼の手を握り、一気に体を抱き上げた。
「気が合って嬉しいわ! 私はね、平成の中だとカブトが一番好きなの! 主人公役の水嶋ヒロ君。格好良かったわぁ!」
仮面ライダーカブトこと水嶋ヒロを、麗太君に熱く語るママが……二人がどこか遠く見えた。
ただ、話に付いていけないだけ、という事もあるけれど。
そういえば、私が幼稚園の頃の事だ。
私に見せる為にと言って、ママが仮面ライダーのDVDをレンタルして来た事があったっけ。
それで、仮面ライダーが気に入らなくて、なんだか凄く感じの悪い事を言った様な気がする。
いったい、何を言ったんだろう……。
記憶が曖昧過ぎて、思い出す事が出来なかった。
=^_^=
一週間後、麗太君のママの葬儀が行われた。
私を含め、皆が黒くて堅苦しい服装をしている。
黒という色が、余計に気分を沈める。
葬儀場には、麗太君のママの親類や友人、もちろんママや私も参列した。
しかし、ただ一人だけ。
一番いなくてはならない人が、そこにはいなかった。
麗太君のパパだ。
ママは彼に関して、何かを言う事はなかった。
「あの子、沙耶原麗太君でしょ?」
「そうそう。まだ、小さいのにお母さんを亡くしちゃって。沙耶原さん家のお母さん、随分と若かったのにねぇ」
周りからの同情の眼差しや声が、麗太君に集中する。
彼は私の服の袖を、ギュッと握った。
そういえば、ママはどこへ行ったのだろう。
周りを見渡すと、他の参列者の人達と何かを話しているのが見える。
今、麗太君を守ってあげられるのは、私しかいないのだ。
お坊さんの棒なお経と共に、参列者が線香をあげる為に、列を作って仏壇を周る。
ママの番が来ると、私と麗太君に「こうするのよ」と言い、線香に蝋燭の火を灯し、灰の積もる線香立てに差した。
次の番が周って来た私も、ママと同じ事をする。
線香を差した時、棺の中で眠る麗太君のママが僅かに見えた。
透き通った白い肌や穏やかな寝顔、およそ遺体には見えなかった。
葬儀が終わると、火葬場へ遺体を運ぶのだそうだ。
参列者も、それに同行する事になっている。
つまり遺体を焼いた後、出て来た遺骨を参列者が専用の箸で拾う、という事らしい。
それを聞いて、背筋が凍った。
遺骨の骨を箸で拾うなんて……そんな光景を見ただけで、私は泣いてしまうかもしれない。
逃げ出したい。
しかし、そんな事をすれば周りの人達に迷惑が掛かる。
麗太君のママの死に、皆が悲しんでいるのだ。
私の自己中心的な行動で、場の空気を壊す訳にはいかない。
今は我慢するしかないのだ。
葬儀場から、参列者貸し切りのバスで、火葬場まで行く事になった。
窓側に私、真ん中にママ、その隣に麗太君で、バスの一番後ろの席に座った。
バスが走り出す。
窓の外では、見慣れた街の景色が流れていた。
ぼーっと眺めている内に、徐々に見慣れない景色へと変わっていく。
街の郊外へ来たのだ。
窓の外の見慣れない景色を見るうちに、私の中では少しずつ恐怖心が膨らんでいた。
暫くすると、火葬場に到着した。
広い駐車場と、その隣に芝生が茂る広い平野。
その中心に、石造りの綺麗な建物から、長い煙突を空に向かって真っ直ぐ伸ばした火葬場があった。
おそらく、燃やした遺体から出る煙は、あの煙突を通って空へ登るのだろう。
停車場に着くと、私達はバスを降りた。
参列者が、ぞろぞろと建物の中へ入って行く。
私達も、それに続く。
近くにいるママや麗太君は勿論、皆が顔色を悪くしている。
先日まで生きていた近しい人が突然死に、遺体を焼かれる。
その有様を、私達は見届けなくてはならない。
誰も良い気分には、なれない筈だ。
目の前には、五つの固い金属扉が並んでいた。
手前には柵で仕切りがされており、私達は柵を挟んで扉の前に立っている。
棺桶に入った遺骨が、火葬場の人達によって運ばれて来た。
扉が開かれ、棺桶が中に入れられる。
そして、扉が閉められた。
「一時間程で火葬は終わります。待合室がありますので、そちらでお待ち下さい。火葬が終わったら、知らせますので」
皆が待合室へ歩いて行く中、麗太君だけはその場を動こうとはしなかった。
ただ強く拳を握り、扉を見ている。
ママは察した様に私に言う。
「麗太君の事、今は一人にしてあげましょう」
私は黙って頷き、ママの後に付いて行った。
火葬が終わったという報告が届き、皆が待合室を出る。
その頃には、麗太君も私の隣に戻って来ていた。
しかし、戻って来ても言葉を交わす事はなく、私もママもずっと黙っていた。
いつもの様に笑いながら、言葉を交わす気分にはなれなかったのだ。
重い足取りで歩く私と麗太君に、ママはこっそりと言う。
「二人とも、収骨が終わるまで外にいなさい」
「いいの?」
「あなた達は、まだ小学五年生じゃない。収骨をする所なんて、残酷すぎて見せたくないの。特に、麗太君には……」
麗太君は何か言いたげな顔をして、メモ用紙を出す。
一度、横目で私を見てメモ用紙をしまい、ママに一礼した。
きっと、私の事を考えてくれたのだろう。
火葬場に来てから、収骨の事ばかりを考えてしまって、ずっと気分が優れなかったから。
「それじゃあ、待合室は閉められちゃったから、あなた達は外で待ってなさい」
ママは私達の頭を撫で「じゃあね」とだけ言って、収骨に向かった。
外に出ると、春の風が優しく頬を撫でた。
駐車場の隣には芝生がある。
「麗太君、あそこ行こう」
麗太君を連れて芝生の上に立った。
気持ちの良い風、草の匂い、先程までの嫌な気分が嘘の様だ。
しかし、私の隣にいる麗太君はずっと俯いている。
折角、重苦しい雰囲気を抜けられたんだ。
何か明るい言葉を掛けなくちゃ……。
「気持ち良いね。風とか草の匂いとか。家の近くに大きな公園があるんだけど、今度、ママと行こうよ。とっても気持ちが良いの。緑がいっぱいで、噴水とかがあって」
必死に言葉を投げかける私を余所に、麗太君は火葬場の煙突の方を見た。
さっきまでは、あそこから遺体を焼いた煙が上がっていたのだろう。
麗太君は私の方へ向き直り、メモ用紙に何かを書いて、それを見せた。
『母さんを殺したのは僕』
良く晴れた日の昼時。
麗太君は、家の庭でサッカーボールで遊んでいた。
麗太君のママは花に水をあげながら、その光景を見ていたという。
誤ってボールを道路に出してしまった麗太君は、慌ててそれを追い掛けた。
自身では気付かなかったのだそうだ。
そこにトラックが走って来ていた事を。
麗太君のママは、ボールを持って道路に立っている彼を突き飛ばし、自分が身代りになった。
これが麗太君の言い分だった。
「でも、こんなの……麗太君が殺した事になんてならないよ。こんなの、ただの事故だよ」
『本当は僕が死ぬ筈だった』
「駄目だよ……そんな事言っちゃ……」
『本当は僕が死んだ方が良かったんだ』
泣きながらメモ用紙に、苦悩の言葉を書きならべる。
「やめて……」
静止する様に言っても、麗太君は聞かずに書き続ける。
『死ぬのは僕で良かった。僕が死ねば良かった。こんな事になるのなら』
麗太君は新しいメモ用紙のページを捲り、その続きを書いた。
『生まれて来なければ良かったんだ』
「やめて!」
気付いた時、私は彼の頬を強く叩いていた。
「そんな事言わないで! 麗太君のママは、麗太君を守る為に犠牲になったんだよ! それなのに、生まれて来なければ良かったなんて……言わないでよ! 麗太君のママは、そんな事望んでないよ!」
麗太君は唖然としている。
私が手をあげるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「……ごめん」
怒鳴って手をあげた次には、謝っていた。
男の子の頬を叩いたのなんて、始めてだ。
でも、きっとクラスメイトの麻美ちゃんなら容赦しないんだろうなぁ……。
ボールをぶつけて来た男子をビンタで泣かせちゃう様な子だし。
『ごめん。もう言わない』
「うん。自分の事を悪く言っちゃ駄目。前にも言ったでしょ? 私達は、家族なんだって」
麗太君は頷いて涙を拭う。
辛い事が重なったからなんだろうけど、麗太君って意外と涙脆い。
震える手で、再びメモ用紙に何かを書く。
『公園の話、もっと聞きたい。皆で行きたい』
麗太君は、堪え切れない涙を目蓋に残しながらも、私に笑い掛けた。
=^_^=
朝の目覚ましの音が部屋に響く。
重い目蓋で時計を見ると、どうやら二、三度の目覚ましが鳴った後の様だ。
私は跳び起きて箪笥をあさり、今日の分の洋服を取り出す。
「もう! どうしてママも麗太君も起こしてくれないの!?」
春休みの反動があったせいか、目覚ましのベルを二、三度も逃すとは不覚だった。
今日が五年生の一学期初登校だというのに。
新しく買ってもらった春物の洋服。
いつもは殆どママが選んでくれている。
私に可愛い服を着せて喜んでは、また別の物を着せる。
ママはしょっちゅう、私を使ってファッションショーをしているのだ。
近頃は麗太君も、その被害に遭っている。
廊下に出ると、麗太君も部屋から出て来ていた。
「おはよう。今、起きたの?」
麗太君は頷く。
二人でリビングへ行くと、隣のママの部屋から悲鳴が聞こえた。
何事かと思った次の瞬間、ママはリビングへ入り込むなり私達に言う。
「二人とも、このままじゃ遅刻よ! 急いで!」
ママに急かされ、身支度を整える。
朝ご飯は抜きで良いと思っていたのだが
「朝ご飯だけは食べて行きなさいよ!」
というママの言葉には逆らえず、黙々とトーストを齧る。
「優子、髪梳かしてあげる」
「え? いいよ。自分で出来るから」
「時間がないんだから私に任せて! それに、優子は髪が長いんだから、余計に時間が掛かるでしょ」
麗太君の前でママに髪を梳かされていると思うと、少しだけ恥ずかしかった。
学校へ行く前、ママは必ず玄関先まで着いて来る。
「二人とも、忘れ物はない?」
「大丈夫だよ」
隣で麗太君も頷く。
「じゃあ、頑張ってね。二人とも仲良くね。いつも言ってるけど、知らない人に声掛けられても付いて行っちゃ駄目よ。えっと、あとは……」
このまま言われると限がなさそうだ。
「ママ。時間、時間」
「ああ、そうね。よし! それじゃあ、行ってらっしゃい!」
元気良く言うままに、私も笑顔で言う。
「行ってきます」
隣で麗太君も、メモ用紙を見せる。
『行ってきます』
玄関の扉を開けると、朝の眩しい光が私達を照らし出す。
春の日差しや風は、私達を祝福しているかの様に暖かく心地よく感じられた。
LITTLE