夏になると思い出す

 日に日に暑さが厳しくなるこの時期、あまりいい思い出ではないのですが、決まって思い出すことがあります。
 私は学生時代に教育学、主に不登校について研究しておりまして、当時「フリースペース」といって、何かしらの事情(家庭の事情や健康上の事情は除く)で学校に行くことができなくなってしまった子どもたちに、昼間の居場所、同じ悩みを持つ者同士の交流の場、社会の接点となる空間を提供することを目的に設置されたところがあって、私はフィールドワークの一環として、都内のとあるフリースペースに定期的に通っておりました。

 私はそのフリースペースで、当時18歳になる利用者の方と出会いました。このフリースペースには延べ15人程度の利用者がおり、彼はこのフリースペースには今年の春から通うようになったらしいのですが、最年長ともあって、6~7歳くらいの利用者の面倒をみたり、10数歳くらいの利用者には自首学習で勉強のアドバイスをするなど、フリースペースではリーダー的な存在でした。

 定期的に顔を合わせるうちに、少しずつ打ち解けることができまして、彼の話では、小学校の頃は普通に通っていましたが、中学に進学した時、当時の担任の先生との折り合いが悪く、またクラスメイトともなじむことができなかったことから、夏休み明けの9月くらいから不登校になってしまったらしいです。
 数年間ずっと自宅に引きこもっていましたが、少しずつ自分の将来について向き合えるようになり、今は某私立学校の通信制教育を受けながら、昼間はこのフリースペースに通っているとのことでした。
 そんな彼から聞いた話です。

 ちょうど1年くらい前、今日のように蒸し暑い日のことだったそうです。当時、引きこもりになってまる4年が経過しており、昼夜は逆転し、一日の大半をゲームやインターネットに費やすという毎日を送っていたそうです。
 しかしながら、心のどこかではいつも「このままではいけない」という気持ちがあり、特に最近その気持ちがプレッシャーとなって重くのしかかり、「何かしなければ」と非常に焦っていたそうです。
 取りあえず、外に出るきっかけが欲しいと考えた彼は、インターネットを使って何か自分にもできそうなアルバイトはないかと探し始めました。
 幸い、興味のあるアルバイト求人が見つかり、早速履歴書を作成しようとしましたが、あいにく履歴書に添付する写真がないことに気づきました。
 しょっぱなから躓いてしまい、どうしたものかと少々途方にくれましたが、自宅から2~3キロほど離れた農道にスピード写真のボックスがあったことを思い出しました。
 時間は午前2時を回ったところでしたが、昼夜逆転の生活のせいで目は冴えているし、早く履歴書を送りたいという気持ちもあったので、彼は記憶を頼りに自転車を飛ばして、農道傍のスピード写真のボックスを目指しました。
 その農道、少し山手に入ったところで、道の片側はうっそうとした木々に覆われ、反対側は元々は田んぼだか畑だったところが荒れ果てたような平地になっており、当然人の姿はありません。
 少々心細くなりながらもペダルをこいでいると、思ったとおりスピード写真のボックスが見つかりました。さっさと写真撮って帰ろうと思いましたが、近づいてみるとボックスのカーテンは閉じられており、下のカーテンの隙間から明かりが漏れていました。
 よく見ると、その隙間から女性のものと思われる赤いハイヒールが覗いています。
 こんな真夜中に先客がいることを不振に思いつつも、少し離れたところに自転車を止めて終わるのをまっていると、ボックスの傍に真新しい花束が置かれているのに気づきました。
 しばらくその花束を見つめ、ふとボックスのほうに目を移すと、カーテンが開けられており、中はもぬけの空でした。
 「いつの間に?」と思いつつも、当初の目的を果たすため、彼はボックスの中に入ってカーテンを閉め、高価を投入しようと財布の中を探っていると、ふと人の気配を感じ、思わずカーテンのほうに目を向けました。
 明らかに、カーテンの向こう側に誰かが立っている気配がします。おそるおそる視線を下のほうに向けると、カーテンの隙間から先ほど見た赤いハイヒールが見えました。
 悪寒が走り、財布を握り締めたまま身動きひとつ取れないでいると、風もないのに一瞬カーテンがふわりと動き、音もなくカーテンがすーっと開きました。
 そこには無表情で空ろな目をこちらに向けた若い女性が経っており、胸元から腹部にかけて血がべったりとついていました。
 その姿を見た次の瞬間、彼の記憶はぷっつりと途絶えてしまいました。

 気がつくと、彼は農道に横たわっていました。すでに東の空が白み始めており、ゆっくりと上半身を起こして周囲を見回しましたが、スピード写真のボックスは影も形もありません。足元を見ると、最初に見たときには真新しかったはずの花束がボロボロに朽ち果てていました。
 すっかり動転した彼は傍にあった自転車にまたがり、全速力で自宅に戻ったそうです。
 後からわかったことですが、数ヶ月前、このスピード写真のボックスの中で若い女性が殺されていたそうです。死因は胸や腹部を複数回刺されたことによる出血死で、この事件のときにボックスは撤去されていたそうです。
 地元ではかなり話題になっていたそうですが、ずっと自室に引きこもり、新聞はおろかテレビニュースですらも見ていなかったので、彼はこの事件のことは全く知らなかったそうです。
 この事件を機に、夜に恐怖心を抱くようになった彼は、頑張って生活リズムを昼型に戻し、一人でいるとその当時のことを思い出してしまうので、このフリースペースにも通うようになったとのことです。

夏になると思い出す

夏になると思い出す

真夜中、履歴書に添付するための証明写真を撮りに行くと……

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-27

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