黒銀の奏者②

その噂は・・・

目が覚めたのは赤の太陽が空の頂点を過ぎたころ。腕の中の子供がもぞもぞと動き出した。
惰性的な眠気を振り払ってようやくレティシアが目を開けると、ケインもコロンと寝返りを打って向い合せになる。目が合うと一瞬不思議そうな顔をしたあと思い出したようにバッと起き上って周りを見渡しはじめた。
それが落ち着いて声をかけると、丁寧に挨拶されたのでこちらも返す。ついでに気になっていた言葉も正す。

「ケイン」
「あ、・・・おはようござます」
「おはよう。それと、『ございます』な」
「?」
「『ござます』じゃなくて、おはよう『ございます』だ」
「おはようございます!」

元気よく言い直して笑うケインの頭を軽く撫でて、外出するために着替える。ケインの服はすぐ干していたうえに風魔法をかけておいたのできっちり乾いていた。
朝に太陽が完全に顔を出していた時刻から今が昼過ぎなので睡眠は短時間だったが、熟睡できたのか体はかなり軽くなっており気分もよかった。ケインも寝足りないということはないようだ。
食事に行くと伝えると昨晩と同じように目を輝かせて、寝間着として着ていたシャツを畳んだり顔を洗ったりとせっせと準備し始める。ちょこまかする様子によく動くもんだと笑いを誘われつつ、レティシア自身も簡単に身支度して水を一杯飲みほした。
ちょうど足元に戻ってきたケインの手を引いて部屋を出る。
この宿屋は重厚な作りになっており、建物の中央の大きな吹抜けには階下につながる中央階段がある。フロアの床は磨き上げた黒花石のタイルで鏡のように自分の姿が映る。今朝は寝ていたため初めて全貌を眺めるケインはかなり驚いているようだ。周りに気を取られて足元をよく見ていないので、階段だけは抱えて下りた。
1階のエントランス横に設けられている吹抜けに面した休憩スペースに軽食を出している場所があるため2人でそこに向かった。と、こちらに気づいたヴィルトが手を振っている。

「2人とも、おはようさん」
「おはようございます」
「おはよう。ってもう昼だけどな」
「細かいことは気にせんと座りや。ケイン、好きなもの頼んでええよ」
「あーっと、椅子が大きいよな。小さな台かクッション持ってくる」

椅子によじ登って立った状態のケインを見かねて背丈を補えるものを探す。給仕も事情を察してくれたのか何か適当なものがないか探しに奥へ引っ込んだ。その間にヴィルトはメニューを開いてケインに説明しているようだ。本人はすでに済んでいるようで、手元のコーヒー以上に注文する気はないらしい。
給仕が見つけたあまり沈まない大きなクッションを提供してもらえたので礼を言って戻る。敷いて座るとぴったりだった。

「ケイン、何にする?」
「ん~、たまご」
「卵ね・・・、ハムエッグでいいか」
「あ、わいはコーヒーおかわり」
「はいはい。すみません、ハムエッグとマフィンのセットとホットミルク1つ。それと彼にコーヒーをもう1杯。俺は、ハニートーストとオニオンスープのセットに紅茶をレモンで。あと適当にサラダ1つ」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

オーダーを済ませるとホットミルクはすぐ出てきたので角砂糖を1つ放り込んでケインに渡した。カップを両手に抱え、一口飲んで甘さに安心したのか、ほぅと幸せそうなため息をついている。

「他は?」
「アレインは茶会の予定最終チェックのために城に行っとる。ナッシュは未だ爆睡中や。お2人はまぁ、言わんでもええわな」
「ヴィルトの予定は?」
「今日はなぁ~んもない」
「なら、話もあるし俺らと一緒に行こう」

口のまわりにミルクで白いひげを作っているケインを拭いてやる。

「どこへ?」
「ケインの服、買わないと着替えがない」
「あ~・・・」
「ふく?」
「せや。新しいの買うたるさかいな」
「ありがとございます。・・・・あの、うぃる・・・びる・・・」
「?」
「ケイン?」

ヴィルトに頭を撫でられながらお礼を言った後、ケインが何か言いかけて迷うようにもじもじしはじめた。
ようやく意を決した顔つきでヴィルトを見つめて口を開いたかと思ったら、爆笑の一言だった。

「おなまえ・・・むつかしくて、いえません」
「え・・・」
「ブフォッ!・・・ゲホッゴホ」

口をつけていた紅茶を笑いが込み上げて吹いてしまい、気管に入ったせいで咽る。

「アハハハッ!ケホッ、ヴィルトって、発音できな、いって?プッフフ、ゲホッ」
「笑いすぎや・・・」
「すまない。ご愁傷様」
「そない決め顔で言われとうないわ!」
「ケイン、ビルトでいいって」
「??・・・びると、ありがとございます!」

にっこり笑顔でお礼を言われてしまえば、訂正するのもはばかられる。
それからは給仕が運んできてくれた食事を手早くたいらげ、飲み屋の界隈から表通りの服や雑貨を売っている通りへ繰り出すことにした。
食べている最中に卵の黄身で汚れたケインの口元を拭ってやったり、ちぎったマフィンにバターを塗ってやったり、ヴィルトは意外に子供の世話を焼くのが好きなのかもしれない。今も雑踏の中、足元でこけそうになっていたケインを心配だからと言って肩車している。なんていい保護者っぷり。
レティシアより頭一つほど背の高い彼の肩の上は非常に見晴らしがよさそうだ。
その状態の二人を伴って、訪れたのは通りの隅にこじんまり開いている知り合いの店だ。店の規模は小さいが扱っているものの質がいいのが売りで、主は非常に目の利く魔女である。

「カリーナ、いるか?」
「はいは~い!来たわね、レティー」
「やぁ、繁盛してるか?」
「いつもどおりよ。ずいぶん久しぶりじゃない、イオの右腕連れてどうしたの?」
「ちょっと一通りそろえてやりたい子がいてな」
「その頭の上の子ね?」
「昨日、姫さんが拾ってきてなー」

よいしょとヴィルトがケインを肩からおろすと、カリーナが目線を合わせるようにしゃがんで頭をなでる。

「こんにちは、私はカリーナ。ぼくのお名前は?」
「けいんです!こんにちは」
「さぁてケイン、何が必要かしら?」
「えと、ふくです。れてぃーがいってました」
「わかったわ。まず採寸しなくちゃね」

奥に連れて行き、丸い小さな台の上に立たせる。じっとしているように言ってあちこち測って書き留めている。流れるような作業を感嘆の目で眺めていると、カリーナから質問があった。店舗のさらに奥からは呼び寄せた生地がヒュンッと次々に飛んできて浮いている。

「どういった用途の服が、どれくらい必要?」
「とりあえずは動きやすい普段着が2~3着と、寝る時の部屋着と、ちょっと余所行きの服があればいいかな」
「それに、靴も変えんとな。荷物入れる小さな鞄もあるとええんちゃう?」
「了解!他にも子供用の携帯水筒とか小物入れとかタオル、あと小っちゃいお財布もつけてあげるわね!」
「・・そうだな」
「にしても、可愛い~!ほっぺとかもちもちで気持ちいいわ~。ケインは何色が好き?」
「えーと、あお、すきです」

それから先はカリーナの独壇場だった。ケインの目の前に様々な青色の布を並べ、触ってどれがいいのかを選ばせ、靴を選んでいる間にサクサク縫い上げてしまい。小物も使いやすくシンプルなもので揃える。
あれが可愛い、これは違うとしちゃかちゃやりつつ仕上がったのは動きやすさ重視ではあるが品のいいデザインの服だ。ケインが選んだ色はターコイズブルーとネイビーブルー、コバルトブルー。明るくて青味の強い色合いが好みらしい。ついでに購入する外套はレティシアと同じダークブラウンにする。
斜めに提げる鞄に出来上がった服を順番に入れ、普段着は1着だけすぐに着替えた。今まで着ていた服はずいぶんくたびれているので着替えたが、拾ったときに身に着けていたものなので念のためとっておくことにした。
他に、水筒・小物入れ・タオル・下着。カリーナのサービスで筆記用具と財布。
せっかくなので財布に50テスク入れてやると(お菓子とパンが数個買える程度だ)目を真ん丸にして眺めた後、あわててパチンと閉じると大事そうに鞄にしまった。
とろけるような笑顔でお礼を言いながらしきりにペコペコと頭を下げるケインはとても和める。

その後は、ほかに客も来ないので店内の応接テーブルを陣取って話込むことにした。最近おすすめだというハーブティーを入れ、ヴィルトが最寄りの菓子店で買ってきたケーキを並べる。
ケインはとても気に入ったのか小さな口で必死にパクついている。

「で、明後日そのお茶会に強制参加なわけね」
「そ。カリーナは何か彼の噂を聞いてるか?」
「そうね。私もジード殿下を直接拝顔したことはないけど、噂はかなり聞くし話題には事欠かない方ね」

魔界を統治している王家ヨシュクストレーは、現ケイオスが王として立つまでは先のメランダルス王家に千年以上仕えてきた公爵家だ。好戦的なメランダルス家が泥沼化したイデアとの関係をさらなる悪化へ推し進めるのを懸念して度重なる諫言を行ってきたが、イデア側に対し殲滅作戦を敢行するとなった際にとうとうメランダルス家に反旗を翻してこれを落とした。良くも悪くも魔界は【弱肉強食】、王家配下もすべて吸収する形でまるっと政権を奪い取った。
穏健派のケイオスは、激化していたイデアとの戦況を徐々に沈静化するように努める。必要最低限の出陣に留めて相手を煽るような行動は控えさせ、イデアの地界政府にも即効性のある武力行使ではなく長期的な話合いでの解決を目指す意向を示したのだ。
それが功を奏し、相当数の戦闘が回避され、すでに何百回と会談が行われている。度々小競り合いは起こりつつも大規模な衝突がなくなったのは大成果と言えよう。
5年前にケイオスが病に倒れてからも長男のジードが代わって取仕切り、滞りなく引継ぎされていたはずだ。
ケイオスには4人の子があり、次男のサラムス、一人娘のステラーナ、末子がイオニスである。
サラムスは戦闘に秀でたタイプで飽きっぽい性格をしている。頭の回転は速いが察しが悪く、知識が豊富なほうではない。ステラーナは非常におとなしい深窓の令嬢といった感じだ。決して弱いわけではないが、自ら意見することはなく必要だと言われれば忠実に仕事をこなす。そして末っ子のイオニス、彼からすれば現状の事柄はすべて他人事だ。気の向くままにあちらこちらとフラフラし一つ所に留まらず、面倒臭がって基本的には何事にも関わらない。しかしながら、兄弟の中では一番頭脳明晰で物事の判断も早く非常に敏い。
そして話題のジードは常に冷静沈着な性格で少し神経質な人物だ。イオニスがよく「ジード兄上は本当に生真面目だな(冗談が通じない)」と呆れてこぼすように、優秀であるのに融通が利かない。一旦こうあるべき・こうしなければと思い込むとその考えから状況に応じて柔軟に曲がることができない面があるのだ。

「具体的にはどういった噂だ?」
「そうねー。ケイオス陛下がご病気でお顔を拝見できなくなったころから薄っすらと流れていたのは、ボリビアント公爵家の手の者が活発に裏町に出入りしているらしいって話ね。公爵はジード殿下の非常に親しいご友人だと聞いているわ。そんな方の部下が頻繁に裏町へ何の用事があるのかって」
「へぇー、そないな噂があったんか。裏町はよう出入りせんとわからんなぁ」
「あとは、軍総司令官ゴーレイオが殿下に近づいて何か吹込んでるとか、宰相様たちが殿下に婚約者を探しているとかっていう話があったわね」
「婚約者探してるのか?」
「まぁ、ええ年やし、うちの主が婚約者おるし、サラムス殿下は既婚者やし?ジード殿下にもそろそろ、ちゅーことやろ」
「ジード殿下は格好いいって結構人気があるわりにはあの性格のせいか、今まで女性関係の話は全くなかったように思うわ」
「殿下に奥方ねぇ、難しそうだな・・・。ゴーレイオが殿下に何か吹込んでるってのは、会談の様子からいってもありそうだ」
「せやな」
「それと、これは噂じゃなくて私が目撃したの。3ヶ月前、青の太陽から赤の太陽へ変わる頃だったかしら・・・ボリビアント公爵家にイヴォルテっていうすんごく頭が切れる執事がいるんだけど、ゴーレイオの腹心とその人が一緒に高級料亭『エルミナージ』へ入っていった」
「うわ、あからさまにキナ臭いな」

イヴォルテは軍総本部にいた前参謀で、ケイオスが軍部を縮小し始めた際に真っ先に引退している。他にも様々な顔を持ち、マッドサイエンティストとしても有名だ。

「でしょう?それで私、カードで読んでみようかなって思ったんだけど、さすがに全くの無防備になっちゃう状態でやるのは危険な案件だからヤキモキしてたの!」
「なんや、いつも平気でばんばんカードめくっとるやないか?」
「カードで読む対象が対象なのよ。気配に敏い人物には十分に準備してかからないと、甘くみてたら反撃くらっちゃって火傷どころじゃすまないわ」
「だから俺たちを待っていた、と」
「その通り。レティー、お願いね!」

席を立ちいそいそとカードを手に戻ってくるカリーナにため息をつくが、今回は自分も気になるので大人しく結界をはることにした。魔女のカードは余程のことがない限りあるがままを答えてくる。さらにカリーナは非常に腕のいい魔女だ。得られる情報が多い。
何があっても大丈夫なようにケーキと格闘しているケインはヴィルトが膝に抱える。ケインは一瞬小首を傾げてレティシアを見たが、自分に関係ない話だと確認するとまたケーキ攻略に取り掛かったようだ。

と、そこへ城から戻ったアレインが顔を出した。

「ヴィルト、レティシア、ここで何してるんです?」
「アレイン、おかえり」
「嬢ちゃんがカード出してんねん」
「ナイスタイミングね。あなたも座って」

始める前にとうとう今日は店も閉めてしまうようで、アレインにお茶を入れた後に表へ行ってガタガタと片付け始めた。アレインはケインの服に気が付いて声をかけた。

「ケイン、服を新しくしたんですね」
「ちょきちょきってきって、すいすいくっついて、すぐできました」
「よかったですね、すごく似合っています。ケインが選んだんですか?」
「あお、いっぱいありました!」
「そうですか。帰ったらさっそくエメロードに見せましょう」
「はい」

戻ってきたカリーナがカードを手に腕まくりし、気合は十分だといったようにレティシアへ目配せしてきた。それを受けて足と腕を組んで座った態勢のまま目を閉じる。
静かに魔力で結界を発動させると、自分を中心に足元に銀色の魔法陣が出現し球体となってその場を包み込んだ。
【絶対防壁】といって、内から外への干渉は可能だが外から内へはあらゆる事象を拒絶する結界だ。ちなみに魔族が常用する魔術にはこの結界は存在しない。

「さすがです。相変わらず無茶苦茶ですね」
「アレイン、あなた褒めてるの?貶してるの?」
「呆れてるんです」

兆しは・・・

『我求めるは、彼の者における汝が得られしすべての事の葉。我の開示に応じよ』

魔女の手の中からカードが浮き上がり、かざす手の周りを一枚一枚等間隔に並んで回転し始める。結界の外から集まってくる目には見えない情報が結界を通過してカードへ飛び込むために、その軌跡が銀色の光の尾を引いている。情報そのものは見ることも聞くことも触れることもできない。だがカードに宿らせることによって、繰り手がカードが情報から示す内容を読み取るのだ。世界から収集される情報はひどく曖昧なため繰り手がいかに多く情報を集め正確に読み取るかによって腕の良し悪しが決まる。
こういうときのカリーナは神秘的で、普段の陽気で快活な表情からは一変し謎めいた妖艶ともいえる雰囲気を醸し出す。そんな彼女を我が物にしようと多くの者から声をかけるが結局は彼女についていけず、己の手の届かないものと諦めていくらしい。
カードの光は徐々に収まっていき、答えを示すために選択された9枚がカーリナの目の前の所定位置へ落ちた。残りは一束となって彼女の手元に戻る。
同じように光っていたカリーナの瞳が紅玉からいつもの翠玉へ戻った。
彼女はふぅと一息つき呼吸を整えて、カードを自らの左手に置く。

「あぁ~、大がかりなのって久々で肩凝るわ~。一杯やりたい」
「今の一言ですべて台無しです」
「アレインは嬢ちゃんに夢見すぎや」

一瞬その光景に見とれていたアレインが、今にも酒盛りを始めそうな一仕事終わった感を出すカリーナの言葉にあんまりだとつっこんだ。

ふとケーキを食べ終わって紅茶のカップを抱えたケインを見ると、景色や食べ物を見たときのような反応はなく、大人しくヴィルトの腕に収まったままぼーっと無表情にカードを見ている。
気にかかって呼びかけるとその状態のままレティシアに向かって手を伸ばしてくるので、中身がこぼれそうなカップを回収しヴィルトに代わって抱っこした。目はまだカードを見ている。
ケインには強い呪術はまだ影響が強すぎたのかもしれない。

「こりゃ、ケインにはあかんかったか?何やったら寝かしたらどうやろ」
「そうだな。ケイン」
「?・・・れてぃー」

ぼんやりと答えたケインのカードへの視線を掌で遮って、頭をこちらに向かせて抱える。背中をポンポン叩いて眠るように促した。うとうとと始めた頭をヴィルトも横から撫でる。

「あれは気にしなくていいから、このまま寝よう。疲れたろ?」
「・・・おきて、ます」
「だめ。皆で夕飯食べる時に起きてられないぞ?」
「や、です。・・・ごはん、おきてます」
「せやろ?ちゃんと起こしたるから、今寝とき」
「ぜったい、れす・・・」
「あぁ、約束だ。おやすみ」

すぐに寝息が聞こえてきたので、抱きかかえている状態からそっと膝上へとおろし自分へ寄りかからせた。
他の3人も大人しく眠ったケインに安堵しその後はカードへと話を移した。この時のケインの様子について思い起こすのはしばらく先のこととなる。

黒銀の奏者②

黒銀の奏者②

一人の青年が友人たちとともに、長きにわたる人間と魔族の戦いを終結へと導くファンタジー

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-27

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  1. その噂は・・・
  2. 兆しは・・・