公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(16)
十六 エピローグ
「ふう。やっと終わった」
作者は今、トイレの中。便座に座りながら、膝の上にパソコンを置いている。これまで、ただ単にトイレでは用を足すことしかしてこなかった。普通の人はそうだろう。だが、よくよく考えてみると、休憩であり、安堵の時間を、ただ単に、排泄のみに使用するのはもったいない。皆さんにも、よくあることだろう。例えば、散歩をしていたり、スーパーで買い物をしていたり、風呂の中で鼻歌を歌っていたり、洗濯物を干していたりしていた時に、突然、仕事で悩んでいたことの解決方法や人を笑わせる ネタなどを思いつくことがあるはずだ。
作者の場合は、たまたま、その場所がトイレなのである。だが、折角思い付いたアイデアも、用を足し、水洗のレバーを回し、手を洗っている最中に、排泄物と一緒に流れてしまうことがよくある。そして、よくあるように、一度、忘れたことは思い出せない。ただし、忘れたということを覚えている。このもどかしさは、譬えようがないほど、もどかしい。つまり、もどかしいのである。だが、素晴らしいアイデアを忘れるなんて、国家的損失があっていいものか。それはよくない。日本は資源最小国だ。個人が持つ才能、思い付いたアイデアと言う資源を最大限に生かす必要がある。
それ以来、作者は、トイレの中にパソコンを持ち込み、妄想を書きとめ、いや、打っている。わざわざ、パソコンじゃなくて、紙のノートでもいいのではないかという突っ込みもあるが、作者は字が汚く、自分で書いた字さえも、読めなくなることがある。こんな、悲劇的な、いや、喜劇的なことがあるものか。
それなら、携帯電話を活用して、思い付くことを打ち込めばいいじゃないかと言うだろう。その通りだ。どうだ、素直だろう。
あなたの御指摘を作者は、甘んじたり、苦み走ったり、少し辛口であったり、塩けが足りないなどと、言うつもりはない。作者は、ただ単に、携帯の片手打ちが苦手なのである。そんなことでいのか。苦手だから、逃げるなんて、卑怯だ、進歩がない、もっと積極的にという罵声も聞えてくる。それはその通りだ。どうだ、素直だろう。
その言葉を甘んじたり、いや、二度、同じセリフを続けるのは、しつこいからやめよう。だが、物語を語る人なんて、偏執狂じゃないとできない。取り合えず、自分を弁護しておく。
兎に角、トイレにパソコンを持ち込むのは、作者のライフスタイルなのだから、読者の皆さんは、見逃して欲しい。例えは悪いかもしれないが、朝、起きた時に、顔を洗い、歯を磨き、うがいをするのと同じだ。先に申し上げましたように、例えが悪く、全く、何の例えにもなっていない。
このことから離れるために、話を元に戻す。
何の話だっけ?そうだ、時間の有効活用だ。今日が人生最後の日だと思って生きている人は何人いるだろう。何の保証、保障、補償もないまま、あしたが来ると思っているのか。それこそ、クルクルジャンケン、グー、チョキ、パーだ。
作者も、今、書いている(正確には、キーボードを叩いている)物語の続きをあしたも書くつもりである。こんな中途半端なままじゃ、本の発売さえもならない。
この作品が、未完の大作か、中作か、小作か、は、後世の人が決めるのだろうが、現在、思い付きで、さわりの部分だけ書いている作品は、二十から三十はある。このまま日の目をみず、データー書庫のなかのまま、パソコンと一緒に処分され、消えてしまうおそれがありながらも、それもまた一興であると思いながら、やはり少しは外の空気を吸って欲しいと願うのが、作者としての親心である。
そう、作品は、自分の子どもであり、自分の排出物でもある。恥ずかしい気持ちもあり、自慢したい気持ちもある。この気持ちから、この作品を書こうと思い至ったわけではない。結果的に、トイレの話になったわけである。臭いものに蓋をするように、この作品が人々の目に触れないのは、寂しい気持ちであり、かつ、排出物のように、そのまま健康状態を確認することなく、全く状況・状態を見ずに、水に流したいと思う気持ちもある。
この相反する気持ちが浄化された時に、人々が驚嘆する作品が生まれるのであろう。残念ながら、この長ったらしい題名の作品が、その余りある名誉や栄誉を受けることはないだろうが、少なくとも、読者の皆さんには、作者の意図が伝わったと思う。
この物語の言いたいことは、
「公衆トイレよ。空を飛んで、顔を真っ赤にして立ち尽くしているあの娘の元へ飛んで行け!」
である。
繰り返し言う。
「公衆トイレよ。空を飛んで、顔を真っ赤にして立ち尽くしているあの娘の元へ飛んで行け!」
だ。
構想二十年。ほぼ毎日、わずか五分の間、トイレで書き続けたこの作品が、読者の皆さんの心に、刻み込まれることなく、水洗トイレのように、爽やかに流れることを期待している。
賢明なる読者の皆さん。本当に、最後まで、作者のたわごとにつきあっていただき、お礼を申し上げたい。また、お会いできることを、本当に楽しみにしています。
「バタン」
トイレのドアが閉まった。男はパソコンを大事そうに両手で抱え、自分の部屋に戻っていった。トイレは、便座が男に温もりを奪われたにも関わらず、温かい気持ちで彼を見送った。
公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(16)