僕の窓

人物名、団体名は架空のものです。

『僕の窓』

「心の声を聞け」とパパは言った。それは僕が小学一年生にあがったばかりの春だった。場所は風呂場で、僕らは湯船の中にいた。そのときパパが言ったのだ。「心の声を聞け」と。
まるで『グリーングリーン』の歌詞みたいだな、と思い出すだびにそう思う。
とうに成人した僕が、今さら父をパパと形容するのも変だけど、でもしかたがない、小学一年生の僕にとって、父は確かにパパだったのだから。
「心というのは」と、小学一年生の僕はパパに訊ねた。「どこにあるの?」
「おまえのちょうど」とパパは答えた、ように記憶している。「真ん中あたりにあるんだよ」
幼い僕はイメージしてみた。僕の中の公園。その真ん中あたりに心は、給水塔のように高く聳えていた。給水塔というのは、各住宅に配水するための水をためているタワーのことで、当時僕が住んでいた団地の共有公園には、これがあった。
「心はしゃべるの?」と僕はまた訊ねた。
「しゃべるよ」とパパは答えた。「ときどきしゃべる」
給水塔のてっぺんあたりから声がするのを、僕は目を閉じるようにして想像してみた。そしてさらに訊いた。「どんなときにしゃべるの?」
パパは答えた。「おまえが迷ったり、道をまちがえそうになったとき、そんなときに心はしゃべる」そして続けた。「心はいつも正しいことを言う。だからね」と、そこでパパは笑った。ように僕は記憶している、ということだ。「だから自分の気持ちがわからなくなったら、耳を澄ませて心の声を聞きなさい。心がおまえの真ん中で、行くべき道をきっと教えてくれるから」
へえ、と僕は思った。
でもってその夏、僕は早速、心の声を聞いた。そのとき、蝉時雨のシャワーの中に僕はいた。周りに何人かの友達がいた、ように記憶している。その中に丈太郎くんがいた。丈太郎くんの家はお金持ちだった。だから丈太郎くんのダンボールには、数え切れないほどのビックリマンシールが入っていた。僕のビニール袋の中に入っていたシールは、たぶん十枚かそこらだった、ように記憶している。団地の外壁に沿ってできた小さな日陰に、丈太郎くんのダンボール箱はあった。そのとき、アイスクリームかなにかを買ってきた友達がいて、仲間はみなその友達に群がって、僕はひとり日陰の静寂に残されて、そこから日なたの彼らを見ていた。実にはっきりと記憶している。蝉時雨が作り出す、おかしな言い方だけど、うるさい静寂。日の当たるところにいる何人かの仲間を、とりわけおそらくはその中心にいたであろう丈太郎くんのことを、日陰から一人じっと眺めていた僕。スポットライトの外にいる僕は、眩暈がするような静けさの中、丈太郎くんのダンボールに、少しずつ少しずつ近づいていった。どうせダブリのシールがあるんだから。と、これはおそらくはあとから考えた理屈だったかもしれない。そのとき僕は、何も考えていなかったような気がする。
胸の鼓動が時を刻んだ。僕はダンボールを背中にして立ち、仲間たちのいる方向に対して、真っ直ぐに顔と体を向けたまま、屈伸するように足を曲げ、背中に組んだ手をダンボールに向けて、ゆっくりとゆっくりと降下させていった。
指先にシールが触れた。日陰に置かれたダンボールの中のシールは、ハッとするほど冷たかった。ラミネート加工の施された、シール表面のあの冷たさを、今でも僕の指先が記憶している、ような気がする。人差し指と中指の間にその一枚を挟んで、僕は体をそっと上昇させた。丈太郎くんも仲間も、僕のその動作に気がつかなかった。僕は半ズボンのお尻のポケットにシールを隠した。
日なたにいる彼らがひどく遠くに感じられた。蝉は相変わらずのテンションで鳴き続けていた。行為の前も行為の後も、世界はなにも変わっていない、かのようにそのとき僕には思えた。なので僕は、再び[休め]の姿勢をとると、ダンボールに向けて二往復目の体をたたんだ。トンボを採るときの呼吸で、ジワジワと。丈太郎くんも仲間も、誰も僕を見ていない、と僕は思った。だけど。
〈待て〉
と、そのとき声がした。誰かの視線を感じて、団地の狭間の空を見上げた。向かいに建つ三号棟の五階、最上階あたりに視線を走らせた。声はそのあたりから響いた、ように感じられた。
誰かが見てたんだ。と僕は悟った。
わずかのポーズ、そしてリバース、そろそろと、用心深く僕は立ち上がった。
そのとき、丈太郎くんと目があった。丈太郎くんはニコッと笑って手を降った。
僕は笑えなかった。なんとか手を上げ、力なくヒラヒラと振ってみせるのか精一杯だった。
アイスクリームを漁り終わった仲間たちが戻ってきて、そしてシールの品評会が再開された。
仲間に誇れるようなシールなんて僕にはなかった。ビニールの中のシールは、友達のいらなくなったシールを分けてもらったようなものばかりで、つまりはどれもクズシールだった。パパもママも働いていたし、お小遣いなんて雀の涙だった。だからビックリマンチョコなんて買えるわけはないのだった。
お小遣い、で思い出したことがある。少し脇道にそれるけれど、そのことも語っておこう。ビックリマン事件を遡ること二年くらい前。僕は幼稚園の年少組だった。僕にはクミちゃんというガールフレンドがいた。ある日近所を、クミちゃんと一緒に歩いていると、アキオくんとノコちゃんがいた。二人はならんで、ペロペロキャンディを一本ずつ舐めていた。当時そのキャンディは十円だった。
アキオくんのお母さんに買ってもらったんだ、とノコちゃんは嬉しそうに言った。ふうん、と曖昧に応えてその場を去ろうとした僕に、クミちゃんは言った。あたしも舐めたい。僕は考えた。というほど頭が回らない齢だったことを思えば、ここは感じたと語るべきかもしれない。ともあれ僕は責任、とでもいったものを感じた。クミちゃんにキャンディを舐めさせてやりたかった。クミちゃんのことを、たいして好きだったわけではない。ペロペロキャンディを舐めたいと思ったわけでもない。男の子としてのメンツみたいなものが僕を動かした。僕はクミちゃんの手をひき、団地の階段をあがり、三階にある自宅の玄関を叩いた。
ママに頼んだ。二十円頂戴。
ママは尋ねた。どうして?
クミちゃんとペロペロキャンディを買いたいから、と僕は説明した。
ママはもちろん厳しく言った。ダメです。
アキオちゃんとノコちゃんが舐めてたんだ、と僕は精一杯の交渉を試みた。
だけどママの眉毛は開かなかった。よそはよそ。
その続きは聞く前からわかった。うちはうち。いつもの台詞だ。
そんなわけで自宅の玄関は、冷たい音をたてて目の前で閉まった。
僕はクミちゃんを見た。クミちゃんは黙って僕を見た。いいこと考えた、と咄嗟に僕は言った。それはその頃の僕の口癖だった。
二階の安藤のおばちゃんとこに行こう。安藤のおばちゃんは優しいからきっとお金をくれるよ。僕がそういうとクミちゃんは、嬉しそうに頷いた。
僕らは階段を二階におりた。そして安藤さんの玄関を叩いた。背が足りなくてチャイムには届かない。恥ずかしいくらいの大きな音で鋼鉄製のドアは鳴った。
中から安藤さんが現れた。あら? という顔をして僕らを見た。
二十円頂戴、と僕は言った。
男ってのはそういうものだ。映画とかでよくあるだろう。ヒラヒラの服着てニパッとか笑う女に、安物の指輪かなんかを買ってやるために、ヤクの密売に手を染めちゃったりする内気なチンピラの話。男という存在の、おそらくは普遍的な角度なんだろうな、きっとそういうの。幼稚園の年少さんにして僕はその点、すでに立派な男の角度を尖らせていたといえる。
安藤さんは尋ねた。何に使うの?
僕は答えた。クミちゃんと十円キャンディを一本ずつ舐めるんだ。
安藤さんは独身の女性だった。だから感性が鋭かったのかもしれない。ママとは大違いだった。僕の瞳の中に、いたいけな男の、切なる願いでも見たのであろうか、アキオちゃんたちのことを説明するまでもなく、財布を開いて十円玉を二つ僕らにくれた。
僕は決して無邪気じゃなかった。他人様にいきなり金をくれと無心できるタイプの幼児ではなかった。だから実はそのときも、九分九厘ダメだろうな、と思っていたような気がする。やるだけやったけどごめんな、ってただクミちゃんにそれを示してやりたかっただけだったように思う。
だから僕は驚いた。当たるはずがないと思って投げた石が雀に当たって、茶色い落下物にハッとするような、そんな軽い罪の意識を感じて、僕は若干うろたえた。
しかし後には引けない。よかったな、とクミちゃんの頭を撫でてやり、安藤さんにありがとうと頭を下げると、僕らは階段を駆け下りた。
信じられない気分だった。強奪は見事に成功したのだ。
クミちゃんは間違いなく、尊敬の眼差しで僕を見ていた。
そのような瞳の色を、これまでに何度か、僕は見てきた。従兄弟の男の子が間違えて買ってしまったプラモデルを、オモチャ屋さんに取り替えてもらいに行った、例えばそんなとき。
オモチャ屋さんは、そのプラモデルのボディは初めから透明で、自分で塗装するように設計されているから不良品じゃないんだよ、と見当違いのことを言った。
僕は小学二年生、従兄弟は小学一年生で、難しい交渉はできなかった。従兄弟は諦めたような瞳で僕を見た。そしたら急に力が湧いてきて、僕はオモチャ屋さんに言った。不良品とかそういう問題じゃなくて、買ったけど気に入らないから他のに替えてくれ、って言ってるんだけど、それはダメなの?
僕の剣幕に、オモチャ屋さんは驚いたみたいだった。そして従兄弟に新しい別のプラモデルを選ばせてくれた。
あのときだ。あのオモチャ屋さんからの帰り道、従兄弟は幼きクミちゃんの瞳で僕を見ていた。僕らは手を繋いで帰った。僕は即興の歌を作って歌った。今でも覚えている。こんな歌だ。足取り軽く?。心も晴れて?。目指すは楽しい、わ、が、や?。
小学二年生にしてはたいしたボキャブラリーなので、自作というのは僕の思い違いで、テレビかなにかで当時流行っていた歌なのかもしれない。
ともあれ思うのは、幼きクミちゃんと僕とのあの日の角度は、オモチャ屋さんを勇んで後にする別の日の、従兄弟と僕との角度に等しい、というそういうことだ。
それでは、話をキャンディ事件まで戻そう。
安藤さんからもらった十円玉二つを握りしめ、僕らは手をつないでスーパーに行き、十分ののちには、仲良く並んでキャンディを舐めていた。スーパーから団地に帰る途中の、変電所の青い金網にもたれて僕らは、青い空を眺めていた。その青を今でも覚えている。青は僕に優しかった。安っぽいキャンディは永遠みたいな味がした。ところが、絵に描いたようなタイミングで、そこに買い物帰りのママが現れた。当然のことだがママは頬を赤く染めて僕に詰め寄った。それ、どうしたの?
安藤のおばちゃんにお金をもらった、と僕は答えた。安藤のおばちゃんは優しいから、と付け加えた。
するとママは、耳を掴んだかどうかは今はもう忘れたけれど、ともかくそんな勢いで僕を引っ張り団地に急いだ。振り返ると、キャンディを手にしたままのクミちゃんが、不安そうな瞳で僕を見ていた。僕は精一杯頑張ってクミちゃんに笑ってみせた。
でも角を曲がってクミちゃんが見えなくなると僕は、すぐに泣いた。
乞食じゃないんだから、とママは言った。お金を恵んでもらうんじゃない。
厳しいママだった。僕は小学校にあがるやいなや、自分の口座を作るために、ひとりで銀行にやられたこともある。社会勉強と独立心の育成のためだ。千円札一枚を握りしめ、どうしたらよいのかわからずに僕は、銀行の窓口カウンターの前に立っていた。誰かが声をかけてくれたら、これで普通預金口座を作ってくださいと言いなさい、とママには教わっていた。暗記した言葉を胸中呪文のように唱えながら僕は、声がかかるのをじっと待っていた。一時間待ったころ、カウンターの向こうからお姉さんが僕を覗きこんだ。あらあら坊や、どうしたの、とお姉さんは訊いた。
カウンターの下にいた僕は小さすぎてお姉さんからは見えなかったのだ。お姉さんは僕を抱き上げカウンターに座らせてくれた。つまりそれほど僕は小さかったのだ。カウンターの上で体育座りをした僕はお姉さんに呪文を唱えた。するとお姉さんは尋ねた。ママはどこ?
ママはうちにいる、と僕は応えた。お姉さんは目を丸くした。
ひとりで来たの? と聞かれて僕は頷いた。ひとりでバスに乗ってやってきたのだ。
お姉さんは、偉いねと言って笑った。そして飴をくれた。
あの頃僕は、郵便局や、小児科や、いたるところで飴をもらった。
そんな荊のママだった。だもんであの日、ママに連れられて僕は、安藤さんのところにお金を返しに行った。安藤さんは笑って許してくれた。
お金をもらうなんて恥ずかしいことだって知っていたけど、でも男のメンツを失うのはもっと恥ずかしいことなのだ、とママに説明したくても僕にはそれを語れるだけの語彙がなかった。だから黙って泣いた。
クミちゃんがあれからひとりで、どんな気持ちでキャンディを舐めたのか、それだけが気になった。でもすぐに忘れた。そして僕は月に二十円のお小遣いをもらえることになった。
とはいえその後も僕は、クリスマス会のプレゼント交換に、尻尾の千切れたトカゲのゴム人形を、広告チラシにくるんで持参して、恥ずかしい思いをする程度には貧乏だった(^_^;)。
なので、それよりもう少し大きくなったビックリマンシール時代の僕も、まあ、あまり豊かではなかったのだと思う。
だからといって、盗みは恥ずべきことだった。生涯一度の窃盗罪に、罰はすぐさま下された。
品評会で僕の番になり、僕はクズシールを披露することが忍びなく、後先考えずにポケットのシールをつまみ出した。
それもまたおそらくは凡庸なクズシールなのかもしれない、と僕はそう思ったが、それでも、何十回も穴があくほど見慣れたシールを、クズだとわかりきったそれを、わざわざビニール袋から引っ張り出す気にはなれなかったのだ。
ついさっきまで他人様の持ち物であったそのシールを、トランプをめくるような気分で僕はお日様に晒した。
レアシールだった。めったにお目にかかれないシールだった。コロコロコミックの最新号がスクープしていたシールだった。
眩しいばかりのレアシールを見て僕は泣きたくなった。ダブりのシールなんてとんでもない。それは宝だった。
仲間がどよめいた。みな羨ましがった。
そのシールなら、と丈太郎くんが言った。俺も持ってるよ。
そして丈太郎くんはダンボール箱の中を探した。でも見つからなかった。見つかるわけがない。これがそのシールなのだから、と僕は思った。謝ろう、と僕が思うより一呼吸早く丈太郎くんは言った。みつからないや。
仲間は口々に言った。丈太郎はシールありまくりだからな。
そんなふうにしてその場は収まった。
それからの一週間は残酷なまでの罰の日々だった。僕は机がわりの折り畳み式卓袱台の前でシールを睨み続けた。シールに罪がないことはわかっていた。だからシールを睨むことはすなわち僕自身を睨むことだった。鮮やかなレアシールのキャラクターは夢の中まで追いかけてきた。卑怯者だとか、カッパライだとか言って彼は僕を蔑んだ。
一週間ほど経って、僕はレアシールをポケットに家を出た。
団地の土台の部分には、湿気を防ぐために設計された、高さ五十センチくらいの空間があった。そこは秘密の場所だった。前歯が抜けたとき、ママがそこに埋めなさいと言った。抜けた歯を縁の下に埋めると丈夫な歯が生えるのだと教えられた。それからその場所は僕の秘密の洞窟となったのだった。
洞窟は夏でもひんやりとしていた。そしてうす暗かった。おまけに少し黴臭かった。でもそれが不思議に落ち着いた。剥き出しの大地からは土の香りがした。大人が覗きこむ心配はなかった。
レアシールを手に僕は僕の洞窟にもぐった。ひんやりとした闇の中、土の香りに包まれて、しばらくじっとしていた。
洞窟の一番奥に穴を掘ってシールを埋めた。そしてしばらく独りで泣いた。
ひとしきり泣いてしまうと気分はよくなった。
洞窟から出ると外は夏だった。太陽をこれほどまでに眩しく感じたことはなかった。足早にそこを立ち去ろうとする僕は、誰かの視線を感じてふと足を止めた。
振り返って、空を仰いだ。空の高いところから、団地の最上階なんかよりもずっとずっと高いところから、誰かが僕を見ていた。その視線をあのとき僕は、どのように感じてよいのかわからなかった。
今ならわかる。あのときの眼差しは、肯定でも否定でもなかった。厳しくも優しくもなかった。ただ僕を見守っていた。包容力、というと凡庸だけれど、それに近い眼差しだ。そして責任感、に近い色も帯びていた。
なんてことはでも今だからこそいえることで、幼い僕にわかったことは、あのときたったひとつだった。知らない人じゃない。と小さな僕にもそれだけが確信できた。
丈太郎くんとの関係はその後もそれまでと変わらずに続いた。彼は尊敬できる友達だった。背か高くてハンサムで勉強もできてクラス委員をやっていた。僕らは何度か同じクラスになった。
一度だけ彼を助けたことがある。休み時間、登り棒で遊んでいたときのことだった。クラスで一番喧嘩の強い熊谷くんが丈太郎くんをからかった。その理由も内容も忘れてしまった。丈太郎くんが泣きそうな顔をしていたことだけを覚えている。
熊谷くんと丈太郎くんのまわりには誰も近づかなかった。二人はまるで舞台の上の役者のようにスポットライトを浴びていた。
スポットライトなんて浴びたこともない当時の僕が、なぜそんなことをしたのかわからない。チビで勉強もできなかった僕が、ツカツカと熊谷くんに歩みよったのだから、きっと誰もが驚いたことだろう。僕はありったけの言葉を並べて熊谷くんを責めたてた。
どんなことを喋ったのか、もちろん今では覚えてないけど、当時の僕にだって、自分が何をしゃべっているのかなんて、ちっともわかってなかったんじゃないかと思う。
熊谷くんの表情はよく覚えている。熊谷くんは唖然とした顔をしていた。怒るでもなく、怯むでもなく、ただただ意外そうな顔をしていた。
そのうち面倒になったのだろう。熊谷くんは舌打ちひとつを残して舞台を降りた。舞台には僕と丈太郎くんだけが残された。
僕は仲間の視線を感じながらそこにいた。丈太郎くんの目はクミちゃんの瞳で僕を見ていた。僕は急に照れくさくなって、ぎこちなく笑うと慌てて舞台を降りた。仲間と丈太郎くんの視線を背中に感じながら教室に向かって全力疾走した。
走りながら僕は気がついた、地上の視線とは別の天空からの視線に。その視線を振り切るように、僕は腕を目一杯振って、走った。
後日熊谷くんとその仲間たちに呼び出されて、体育館の裏で殴られた。でも僕は泣かなかった。ビックリマンシールを埋めたときの痛みに比べたら、拳骨の雨なんて夕立ほどにも苦痛じゃなかった。相手は五人もいたのだから。僕は胸を張って体育館の裏を後にした。
放課後担任の先生が団地にやってきた。ボロボロのシャツの理由を僕は一言、ケンカしたとだけママに告げていた。勝ったのかと訊かれて、残念だけど負けたと正直に応えていた。
先生はママに、ケンカではありませんと言って頭を下げた。複数によるイジメです。
先生が帰ったあと僕はママに訂正した。イジメなんかじゃないよ、五対一のケンカだったんだ。
ママは笑って言った。今度は勝ちなさいよ。その目は温かかった。
丈太郎くんと最後に言葉を交わしたのは、僕の引っ越しの直前だった。
パパは郊外に小さな家を建てたのだった。ママの節約のお陰かもしれない。
僕は小学五年生になっていた。引っ越しを数日後に控えたその日、僕と丈太郎くんは、あのビックリマン事件のあった、団地前の広場にいた。どうして二人だけでそこにいたのか覚えていない。僕が丈太郎くんを呼び出したのかもしれないし、ひょっとしたらその逆だったのかもしれない。あるいは天空の誰かが仕組んだ偶然だったのかもしれない。
団地前の広場からはクジラ山が見えた。クジラ山の向こうに夕日が沈みつつあった。世界はオレンジ色だった。そのとき僕は膝小僧を擦りむいていた。はっきりと覚えている。僕らは地面に体育座りをしていて、僕は膝のカサブタをいじっていた。カサカサだったカサブタは、いじっているうちに金魚すくいのモナカみたいにやわらかくなった。丈太郎くんと話している間、僕はずっとカサブタを触っていたのだ。
だから今でも夕日を見ると、僕は反射的にカサブタを連想する。傷口に染み入るように痛いオレンジ色。それが僕の夕日であり、僕の切なさだ。
その日限りでもう会えなくなるかもしれない丈太郎くんに、気がつくと僕はビックリマン事件の罪を打ち明けていた。
丈太郎くんは黙って話を聞き終わると笑ってこう言った。かもしれない、とは思ってたんだ。
僕はうなだれたようにカサブタをいじり続けていたのだと思う。おでこのあたりでオレンジ色を感じていた。
すると丈太郎くんは意外なことを言った。でもなんだか嬉しいな、と丈太郎くんは言ったのだ。
僕が顔を上げると彼は嘘のない瞳でこう続けた。キミにもそんな一面があったんだな、って思ったら、日頃の劣等感が少しは癒されたような気がするよ、とかなんとか。
劣等感? と僕は心底驚いた。丈太郎くんのいったい何が、僕なんかに劣っているというのだろうか。
丈太郎くんは続けてこんなふうに説明してくれた。キミはサッカーがうまいだろう。なのにちっともエバらない。目立とうとしてないのに、いつも目立ってる。そして一言口を開けば一瞬にしてまわりの空気を変えてしまうんだ。みたいなことを丈太郎くんは言った。
僕は本当に驚いた。彼は嘘をつくような男ではない。と僕は感じていた。だとすれば彼のいうことは彼の目から見たホントウなのかもしれなかった。僕の目から見たホントウとは随分違っていたけれど、それでもそれは僕のとはまた別のホントウなのかもしれない。
サッカーなんてなんだってんだ、と僕は思った。あんなの、毛糸玉にじゃれつく猫みたいなもんだ。
だから僕は異議を唱えた。僕から見るとぜんぜん違うんだよ、と少ない脳味噌をフル回転させて僕から見た世界を語った。丈太郎くんのことがずっと羨ましかったよ。カッコよくて友達がいっぱいいて(遠足のとき僕は、嫌われ者の熊谷くんと二人で弁当を食べたこともある)、頭がよくて親切で、女の子にもモテて(遠足のとき彼は、男女がいがみ合う年頃のその常識を覆し、たくさんの女の子のレジャーシートを花びらのようにはべらせて弁当を食べていた)、僕から見たらキミは王子様だったんだよ。
僕がそんなふうに語っても、彼は寂しそうに短く笑っただけだった。
やはり今ならわかる。みなそれぞれに事情はあるのだ。王様の一生も乞食の一生も、客観的にはどうであれ、喜びや苦しみの主観的な濃度は、たいして変わらないものなのだ。
僕らは日が暮れる前に立ち上がると握手した。
あのときは本当にごめんね、と僕は言った。それが僕の彼への最後の言葉だった。
いつだかは助けてくれて有難う、と丈太郎くんは言った。それが僕の聞いた丈太郎くんの最後の言葉だった。
涙がこぼれる前に僕らは別れた。夕日に背中を向けて歩きながら僕は声を出してわんわん泣いてしまった。誰かの視線をどこかに感じながら、でもそんなの構うもんかと、泣きたいだけ泣いてやった。
そして何日か経つと僕は、呆然と知らない町にいた。山梨県の田舎町だった。知らない町で僕は知らない僕になった。引っ越しってそんなもんだ。
父の仕事の都合で、その後も何度か引っ越しをした。
建てたばかりの家に二ヶ月間ほどいたあと、我が家は次に大阪の町に引っ越した。山梨県の田舎町での二ヶ月間、僕は勉強のできる生徒として先生に可愛がられ、級友にも尊敬された〈おまえ頭いいし〉。でもサッカーがうまいやつはクラスにたくさんいて、僕はからかわれた〈勉強ばかりできてもダメだし〉。
大阪の学校は文教地区の学校で、僕はここでは再び落第生になった〈ほんまにおまえはアホやなあ〉。サッカーをやるとこちらでは僕の独り舞台だった〈なんや、めちゃめちゃうまいやん〉。
たかだか数ヶ月で僕の何が変わったわけでもないのだけれど、環境との相対的な関係により、僕は違う僕として周囲から見られた。
僕が僕だと思っている僕と、まわりが僕だと思っている僕は、違う種類の僕なのだと僕にはわかった。
その後も父の転勤は続き、高校生になるまでに結局僕は、実に七回もの転校を体験することになる。
引っ越しは恋愛に似ていると思う。付き合う女の子が明るいと僕は明るい僕になり、暗いと僕は暗い僕になった。
今でもそうだ。僕は誰かといるとき、一緒にいるその誰かによく似てしまう。ときどき思う。僕の思ってるこの僕なんて、ちっとも確かな僕じゃない。
ほんとうの僕とはなんだろう。僕は成長するにつれ、そんなことを考えるようになった。
最初の恋について語ろう。彼女を初めて見たのは高校一年生の夕方だった。それは文化祭の最終日で、全校生徒はグラウンドにいた。膝を抱えて座り、朝礼台に立った生徒会長の後夜祭演説を聞いていた。
夏だった。三日間続いた文化祭の熱を、風が心地よく宥めていた。僕は若く、もちろん健康で、初めての文化祭を存分に楽しみ、そして祭りの後の淋しさの中にいた。そこは不思議な時間の中だった。
そんな僕の左手、十メートルほど向こうに、ジャージ姿で彼女はいた。
僕は一目で恋に落ちた。なんて書くとウソみたいだけどホントウだ。一目惚れって確かにあるのだ。それは予感のようなものだった。僕は僕の目ではなく、誰かの瞳で彼女を見ていたような気がする。
ふと目を逸らすと、煙のように消えうせちゃうような気がして、僕は彼女から目を離すことができなかった。
一言で彼女を形容できる。ラファエロのマドンナだ。長い睫毛を重そうにのせた二重目蓋。ほんの少し開いたマシュマロの唇。丸い額。正しく栗色な、ゆるやかにウェーブする髪。長くて真っ直ぐな鼻筋。パステルホワイトな肌のうち、頬だけが淡く色づいている。そんな外見。
夕方のグラウンドで見たのは、そんな彼女の横顔だった。
だからだろうか。今でも彼女を思うとき、現れるのは横顔で、正面からの顔ではない。風の中の横顔こそが、僕にとっての基本的な彼女だ。
そのとき、夕日は斜め後方から彼女を照らしていて(まさにラファエロだ)、その角度が作り出す陰影は、僕にまさしく永遠を思わせた。
隣の隣の隣くらいのクラスだろうか。声を掛けることのできない距離で、彼女はその髪を揺らしていた。
高校二年生の冬、三省堂書店の二階でラファエロを見かけた。参考書売り場だった。彼女は世界史の参考書を手にしていた。高校三年生に上がるとき我が校の生徒は、各自の大学受験科目に合わせて、世界史か日本史のどちらかの履修を選択するのだった。僕は翌日、履修希望書に迷わず世界史と書いて提出した。
世界史を選択したのは失敗だった。日本史に比べて世界史はひどく入り組んでいて(当たり前だ)、受験には明らかに不利なことが翌年わかった。おまけに蓋を開けてみると、彼女はあろうことか日本史を選択していた。十二クラスもある中で、彼女と同じクラスになりたい一心で選択した僕の決断は、そんなわけでまったく意味をなさなかった。
でも予感は物語を裏切らないものだ。高校三年生のクラスに僕は、ラファエロの丸さをちゃんと見つけた。世界史履修者も日本史履修者も関係なく、クラスは混合で編成されたのだった。だから僕は、週に数回の歴史の授業のときのみ彼女と別れるだけだった。神様は思いを、ちゃんと見ていてくれるのだ、と僕は悟った。
とはいえ、すべてを神様にお任せするほど、僕は謙虚じゃなかった。席順を決めるくじ引きのとき、僕はクラス委員に焼きそばパンを掴ませてズルをして、まんまと彼女の隣を勝ちとった。教室の前から二番目の席に、彼女と並んで僕は座った。
でもこれもまた失敗だった。いざ席に着いてみると、彼女はあまりに近すぎた。二年越しの思いに温められた偶像なのだ。ドキドキしてしまって僕は、彼女を見ることができなかった。彼女は僕の右側にいて、彼女の右側はすぐに廊下に面した壁だった。つまり彼女を壁際に追い詰めたような絶好の位置に僕はいた。なのに僕は、首を右に曲げることができなかった。寝違えたみたいに首は、カチカチに固まってしまっていた。休み時間、すぐ後ろに座る悪友と雑談をするそのときも、僕は左側からクルリと後ろを振り向いて、つまりは彼女に背を向けた。
授業中に何かの加減で、右隣がハァなんて溜め息をつこうものなら、僕は途端に苦しくなって、息もできないほどに悶々とした。
そしてついには僕は逃げ出した。一番後ろの席にいるクラスメートを、体調が悪いから席を替われとオドしたのだった。体調が悪いことと席を替わることの因果関係を疑うこともなく、善良な友人は僕に従った。
一番後ろの席に座ってほっとして、僕はノートに絵を描いた。
隣に座っていた美術部部長が、僕のノートを覗きこんで訊いた。何を描いてるんだ?
ラファエロのマドンナだ、と僕は応えた。
休み時間になって美術部部長は言った。すごいな、おまえのそれには何かがあるよ。
当たり前だ、と僕は思った。これは二年間も見つめ続けた僕の永遠なんだから。
綺麗な線だ、と美術部くんは、僕の丸い永遠を指差して、真剣に言った。一度おまえが本気で描いたデッサンを見てみたいな。
美術部くんにデッサン見せることはなかったけれど、自宅の勉強机の前で僕は、何枚も彼女のイメージをスケッチした。
だから今でも僕は描ける。実にすべらかな線で、海のような母性を。
僕がその海に潜ったのは、その年の夏のことだった。
その夏、間近に迫った文化祭の準備で、日曜日なのに登校していた。
僕らのクラスは[和風縁日]を開くのだった。縁日に洋風のあるわけもなく、今から思えば和風縁日とは、屋上屋を重ねるようないかにも迂闊なネーミングであるが、当時は誰もそんなことに気がつかなかった。
女の子たちは、主として自宅で、さまざまなゲームの景品用に、ひよこのマスコットを作っていた。
片や野郎どもには、力仕事がゴマンとあった。この日僕は、精鋭の竹取部隊を編成して、学校裏手の竹林に分け入っていた。
竹林の所有者に学校名と、文化祭における和風縁日の趣旨を伝えて、手土産のモナカを差し出した。僕らの県立高校はその辺りじゃ歴史のある学校で、竹林の所有者も期せずして我が校の卒業生であったため、交渉はスムーズに進んだ(おまけに僕らはスイカをご馳走になった)。ノコギリで切り倒した青竹を、リヤカーからはみ出させながら学校に運ぶと、Tシャツはもうぐっしょりだった。
高校生ってかわいそうだ、と今の僕は思う。そんなときにビールが飲めないなんて、哀れなことこのうえない。
でもあの日、よい汗をよい風が、よいビールほどではないが優しく労ってくれた。僕らはそれで満足だった。
若さって素晴らしい。空には積乱雲。蝉時雨は労働に恰好の、絶対無比なるBGMだった。
時が止まってしまったような夏。遠くに見える私鉄の高架を、芋虫のように眠たげに電車が進む。どこかの水面で、ポチャンと魚の跳ねる音がする。シャクシャクと誰かが、かき氷にスプーンを立てていたりする。ああ、そんな夏。
あの夏は今でもここにある、と思えたりもする。ここってどこだろ。
ここっていうのはつまり僕の心の中、ってことかもしれない。でも逆に、僕の心こそが今、あの夏の中にあるのかもしれない。過ぎ去った日々はふとした加減で、現在であるようにも思える。ときに僕にはそう思える。そしてそれが例えば、今なのだ。
現在進行形の僕は今、こうして過去を語っているけれど、時の流れとは垂直に上昇したところにいる僕は、あるいはビックリマンシールの広場に、あるいは高校のグラウンドに、なぜだか同時にいたりする。
あの夏の真っ只中で僕は、この僕の視線を感じていたようにも思うのだ。
そしてドラマは始まった。あの日の僕は白いTシャツにブルージーンズ、そしてスカイブルーのコンバースを履いていた。当時流行っていた麻のジャケットは、竹取部隊従軍の際には着用せず、教室に残して出かけていたようだ。ジャケットは薄い茶色の地に濃い茶色の縦縞の入ったものだった。初めて女の子を抱いた日の服装を、これほどまでに明確に記憶している、ということは、果たして一般的なことなのであろうか?
あの日の僕の姿を僕は今、ドラマの主人公の姿のように思い描くことができる。
集めた竹を、校舎中庭の隅に立て掛けてから僕は、教室に戻り、買ってきた炭酸飲料を仲間と分け合って、ラジカセから流れる歌謡曲に、そして蝉の声に、交互に耳を傾けたりして、のんびりしていた。
教室の窓から吹き込む風が、それこそ抜群に気持ちのよい午後だった。
教室の隅では、何人かの女の子が、熱心にひよこを縫っていた。
一方教室のど真ん中では、何人かの男どもが、あろうことか人間大の藁人形を組み立てていた。
その妖しき物体こそが、我らが和風縁日のブラックな目玉であったのだ。センセイ方の顔写真を写真部の男が撮影して、その顔面を原寸程度に引き伸ばした。お面に加工されたその顔は、お客様生徒のリクエストに応じて、お好みのセンセイに差し替えられる。ハリセンでバチンと殴っていただいて、日頃のストレスを解消していただきましょう、とそういうわけだ。
僕の父なんかは田舎者だったせいか、その呪わしげなジョークについて話すと、真顔で反対を唱えたりしたけれど、被写体兼被撲体であるところの当のセンセイ方が、物わかりのよい大人を装い、鷹揚に頷いたりしちゃったもんだから、計画は愚かにも滞りなく実行に移された、とまあそういうわけだ。
藁人形は二体あって、そのうちのひとつは、女教師を象徴しているのか、頭にかわいらしく赤いリボンを付けていた。ちょっとしたキ○ガイ沙汰だ。に留まらずさらにアホなことには、暑さにやられたのか余った藁で、ミニ藁人形なんて作っちまったバカがいたのだけれど、これがまた、かわいい! みたいなことになって、女子に人気を博してしまった。でもってうちのクラスの生徒の鞄には、揃って藁製のマスコット人形(!)が揺れることになったのである。半年後に受験を控えた緊張からか、みな少しおかしくなっていたのだと思う。
僕の恋物語は、そんなクレイジーな午後の、ドサクサに紛れるようにして始まった。
陽が傾いて、その季節にヒグラシが鳴いていたかどうかは定かではないが、物語の演出としては実に、テテテテテテテテと鳴いていてほしい、そうであればまったくもってふさわしい、といわんばかりのそんな空気の漂う中、クラスの女の子が近寄ってきて僕に言った。ねえ、これを、愛しのあのコに届けてくんない?
手渡されたのは、百匹ばかりのひよこだった。もちろんフェルト製のマスコットだ。
あたしたちのグループのひよこに赤い紐を縫い付けるのはあのコの役目なの、とクラスメートは言った。
なんで僕が? とか僕は訊ねた。
すると、ひとのよい狸みたいな風体のクラスメートは、ニンマリ笑って言ったのだった。あのコ、あんたのファンなんだってさ。
ファン? と僕は混乱した。ファンとはいったいどういった在り方を指すのであろうか。
僕の眉毛を映す鏡のように、狸の眉毛も複雑にうねった。
とはいえ、悪い気はしなかった。同じクラスになってからも、プリントを分け合うときとか、せいぜいそんな事務的な二三回しか言葉を交わしたことのない彼女が、ラファエロのマドンナが、永遠の月が、なんとこの僕のファンであらせられますですと?
それにね、と愛らしく狸は、内緒の話のボリュームで、語尾を軽く上げるようにしてこう続けた。あんた好きなんでしょ、あのコのこと。
ガーン、と漫画ならその類の描き文字が飛び出すくらいに僕は驚いた。
僕がマドンナのことを話したのは、世界でただひとり親友の赤シャツに対してだけだった。赤シャツというのはもちろんこの場合、夏目センセイへのオマージュであり、実際の親友にそのような都合のよい渾名がついていたわけでは決してないが、ここで重要なのはその親友の渾名でも本名でもなく、ヤツが紛れもなく僕の親友であったという、ただひとえにそこんとこだけだ。だから別に赤シャツだっていいのだ、なんでもいいのだ、ヤツの名前なんて。
ともあれ、おかしい。親友のヤツが女子などに僕の秘密を漏らすわけはない。だとしたらいったいなぜ、と僕が考えるか考えないかのうちに狸は言った。竹田くんから聞いたんだよ。
そうなのか、とあのとき僕は思い、そしてまた今思った。そうであったか、竹田から聞いたのであったか。書いちまったじゃねーか、赤シャツ(仮)の本名を、あのヤロー!
てなわけで、親友は口が軽かった。
んなわけで、思わず言葉も乱れちゃうけど、竹田のクソヤローが狸に秘密をチクりやがったのだ。
でも安心して、と狸はさらに小さな声で囁いた。あたし、そのことは他の誰にも話してないし、今後も話したりはしないから。
狸はよい狸であったのだ。
今ならわかる。こういう狸を嫁さんにもらえばよかったのだ。なんて書くのは危険である。なぜなら僕の嫁は、書きかけの小説くらい平気で盗み見る女なのだから。
それに、嫁に気を遣って書き足すわけじゃないけれど、狸だってそれほど善人だったというわけでもない。その証拠には、狸の友達のうちの、少なくともあと二三人が、例の秘密に通じていたことを僕はのちに知ることになるからだ。誰にも話さない、って言ったくせに。クラス中に言いふらされるリスクだってあったことを鑑みるに、狸はまあまあ中くらいに、いい狸であったと、ここではそう結論させていただこう。
ともあれともあれ、気を取り直して、言葉も正して、はじめよう、僕の初恋物語。
麻のジャケットの右ポケットに五十匹、左ポケットに五十匹のひよこを突っ込み、というのは小説を面白くするための多分にフィクションであるわけだが、賢明なる読者のこと、んなこた当然わかってんだろーから、気にせず核心を書き進めると、ともあれ僕はたくさんのひよこたちとともに、長い影ひく夕暮れの坂道をいそいそと、そしてかつ、せかせかと下り、私鉄の駅へと向かったのである。
彼女の家までの地図は、狸が描いて持たせてくれた。僕がひよこを届けるというそのことも、校内電話から彼女あて、狸が伝えてくれていた。
私鉄でふた駅も行けばそこが彼女の街だった。
今思い出してもつくづくとそう思うのだけれど、あのときの僕は僕じゃなかった。
なんていうと変だけれど、つまり、通常の僕には、そんな勇気があるわけがないのだった。僕は時々僕らしくもない行動力を発揮する。熊谷くんに立ち向かったあのときや、二十円を手に入れるために安藤家の扉を叩いたあのときや、丈太郎くんに真実を告げて謝ったあのとき、僕はあやつり人形になったような気分だった。空から糸で操られているみたいに、状況に沿った僕を僕は演じるのであった。
ともあれ、恋物語である。よりによって恋である。僕は三メートルくらい後ろから、僕の後ろ姿を眺めているような気分だった。スカイブルーのコンバースを見て、ブルージーンズを見て、麻のジャケットを見ていた。そんな感じ。
街のショーウインドウに映る僕を、僕は見た。ジャケットの色に靴の色が似合っていないのではないか、とか、僕は僕を見て不安になったりした。
気後れする自分の心と、飽くなき前進を続ける自分の体の両方に、同時に気づいて呆然としているような、そんな感じだった。二つのベクトルの間に立って、僕は外から僕を眺めていた。
と、今この文章を、僕はミロンガ・ヌオーバで書いている。ミロンガ・ヌオーバはアルゼンチンタンゴを聞かせる店だ。天板の分厚い無骨なテーブルの上にはベルギービールの瓶が載っている。家で書くと嫁が邪魔をするのだ。あひるのぬいぐるみガーコの声で、今日の天気の話なんかをする。
いい天気ねー。あたし公園に行きたいわー。でチョコとか食べたいわー。とか、そんな感じで。
僕は物語を生きることができない。だもんでミロンガ・ヌオーバにやってきたわけだ。
つい今しがたまで、僕はかつての僕になりきって、物語の中を生きていた。なのに、隣にやってきたバカップルがとんでもなくうるさい。男はきどってくだらない話をしゃべりまくっている。ときに手を叩いてバカ笑いをしたりもする。女も同様だ。
おいおい、と僕はヤツらに言いたい。ここはタンゴを聞くための店だぜ。おまえらのバルバロイな単語を大ボリュームで聞かせられるのは迷惑なんだ。大声で騒ぎたいなら近所の珈琲館かシャノアールにでも行きやがれ(珈琲館さんとシャノアールさん、すみません)。
でも実際にそんなことを口に出したりはしない。僕はすでに大人なのだ。高校生の僕ならにこやかに、それでも妥協のない正論を、若い二人に対して表明したかもしれない。でも今の僕はそんなことはしない。
現在進行形の僕の窓枠から見える世界は、高校時代の僕とは違う僕を抱いてそこにあるのだ。それでいいのだ、とぼくは言った。
というわけで、現在進行形の僕は伝票を掴んで席を立つ。ここではないどこかに移動するために。
現在進行形の僕はにぎやかなカップルから逃げ出して街に出る。でも、ぼくの視線から逃げることはできない。僕はぼくの視線を感じながらシャノアールの階段を地下に降りる。
さて。と僕は思う。それでは再びあの頃の僕に戻ろう。初恋物語の第二章に戻るのだ。
彼女の駅の改札を抜けると、正面に尋ね人のポスターがあった。どんなデザインだったかは忘れた。でもあの日あの時、誰かが誰かに捜されていたことは事実だ。僕はそれを記憶している。
地図をたよりに街を歩いた。暮れかかる夏。斜めからの日差しに僕は、カサブタの疼きを感じた。遠い夏の夕暮れ。膝小僧のカサブタ。空を仰いだ。誰かに見守られていた。その誰かに僕は僕を任せて、僕の窓枠に切り取られた世界を凝視した。
やがて地図は僕を、幹線道路からひき離し、小さな林の奥へと導いた。林の中ほどに集落、という形容がぴったりとくるような、二三軒のバラックがならんで建っていた。狸の地図はそのうちの一軒を指していた。地図上で、ココ! と書かれた小屋の前に僕は立った。そこがラファエロのマドンナの住処だった。
インターホンを鳴らしてしばらく待ってから僕は気づいた。インターホンは壊れているのだった。僕はドアを叩いた。安藤さんの扉を叩くように扉を叩いて息を殺した。
出てきたのはもちろん安藤さんではなく、マドンナだった。マドンナは白とグレーの中間くらいの色の丸首の上に、細い肩紐のついた、ベージュのワンピースを重ねた格好でそこにいた。
やあ、とか僕は言った。ひよこ。と、そして続けたように思う。
入って、とかマドンナは言った。笑っていたので僕はほっとした。ような気がする。
中はガランとしていた。まるで倉庫のようにそっけなかった。なんというか非常に実用的な空間だった。台所では鍋が錆びていた。ティッシュボックスはケースにも入れられずにむき出しのままテーブルにあった。スリッパは起毛した冬用のものだった。窓にかかるカーテンは陽に焼けてやや黄色かった。
マドンナは僕を自分の部屋に案内した。
幅の狭いベッドに腰掛けて、僕はぐるりとあたりを見回した。覚えているのは、制服が壁にかかっていたこと。机が子供っぽいスチール製の、いわゆる学習机であったこと。その足には何枚かのキャラクターシールが貼られていたこと。机上のブックエンドには参考書の類が並んでいたこと。それから。と思いを巡らせるのだが、彼女が着ていた服に比べて彼女の部屋は、なぜだかあまり記憶に残っていない。そうだ、窓が開いて、網戸になっていた。外がまだ完全に暗くなる前の、でも夕方と呼ぶには光量の乏しい、そんな時間に僕らはいた。あのときの風の匂いは確かに今でも僕の中にある。
何か飲む? と彼女が訊ねた。ビールがいいな、なんて少し背伸びをしてみようか、いやそれでは嫌われてしまうだろうか、なんて迷った記憶があるので、たぶん彼女はそんなふうに訊いたのだ。何があるのかわからなかったので、麦茶かな、なんてきっと僕は曖昧に応えたのだと思う。僕が言いそうなことだ。僕らはプラスチックの容器から分け合って、その日麦茶を飲んでいた。
そうだ。CDがかかっていた。あれはなんの曲だったっけ? 洋楽だったような気もするし、そうではなかったような気もする。おかしなことだ。僕は彼女の胸に耳を当てるようにして、確かにあの日、もう片方の耳で何かのメロディを拾っていたのだ。と書いて突然に思い出した。『メロディフェア』だ。そうそう、あの年の文化祭では生徒会が『小さな恋のメロディ』という古い映画を上映したんだっけ。だからきっとその関係なのかもしれない。彼女の部屋であの夜流れていたのは『小さな恋のメロディ』のサントラ版だ。待てよ。ということはアレはCDじゃなかったのかもしれない。そうだった。カセットテープだ。すっかり思い出した。彼女は古いカセットテープレコーダーで、『メロディフェア』を流していたのだ。AIWAだった。記憶なんて曖昧なものだから、以上のような景色を、まるで思い出したかのように僕は今、実は創作しているのかもしれない。銀色のAIWAの四文字だって、僕の捏造によるニセモノなのかもしれない。でもだとしたら、なんだ?
それでなにか不都合があるか。そんなことを言い出したら、例えばビックリマンシール事件だって、カサブタに染みる夕日だって、ニセモノの記憶であるかもしれない。描かれた物語であるかもしれない。丈太郎くんに会って確かめてみることができない以上、丈太郎くんと僕しか知らないそれらの景色が、ホンモノであるかニセモノであるかなんて、いったい誰にわかるだろう?
『小さな恋のメロディ』が象徴するもの、その中にあの日確かに僕らはいて、その同じく象徴するものに似た崖の上から、あの日の僕は転がり落ちた。それで十分じゃないか。
ディテイルにとらわれることなく僕は書こう、あの日の崖の高さと、残酷な万有引力と、そしてそれに続く衝撃を。僕の窓枠の中で変わっていった景色を。
竹取部隊の活躍や、赤いリボンの藁人形のことなんかを僕を話した。彼女は淡い微笑みを浮かべて静かに話を聞いていた。のに、たぶん違いない。僕のマドンナはいつでもそんなふうだったから。教室でも、話をしている姿よりも、話を聞いている姿がよく目撃される、そんな存在だった。髪の色の淡さと、肌の白さも手伝って、彼女にはどこかフワフワとした印象があった。髪はゆるやかにェーブしていたし、サクランボの唇はいつもわずかに開かれたような形で、もの言いたげなまま固まっていた。まるで宗教画のように、優しかった。すべてを許すように丸く、造形にはただの一本も直線がなかった。喩えていうならフレンチトーストの食感みたいな柔らかさ。近くで見ると瞳の色も、茶色と形容するには色素が足りないほどに淡かった。彼女の姿は僕にとって、この世のものではなかった。
そんな存在が、手を伸ばせば届くような距離に、僕だけのためにいたもんだから、僕は非常に混乱した。
沈黙を恐れたそのためであろう、「清水から聞いたんだけど」と、僕は思い切った言葉を口にしてしまった。
彼女は開いた眉をよりいっそう開いて、首を傾げるようにして僕を見た、ような気がする。
「君が僕のファンだって」と僕は続けた。
なんという不遜な発言。と、思い出しただけで僕は赤くなる。僕なんかのファンがいてたまるか。あのときだってそんなことはわかっていた。僕は勉強もできなかったし、張りきって入った陸上部は三ヶ月で退部していたし。物理化学部化学班という、今から考えても何をする部なのかわからないような文系サークルに拾われて、部室で毎日お菓子を食べたり、フォークギターを弾いたりして怠惰をむさぼっていた。そんな僕を肯定してくれる女の子がいるわけないじゃないか。と、当時の僕は確信していた。
だから驚いた。マドンナは言ったのだ。「そうなんだ、ファンなんだ」
伸びをする猫の尻尾みたいに語尾を丸く上げて、ゆっくりと彼女はそう言った。ウェハースみたいに軽く、カサカサ乾いた感じの、ちょっとハスキーな声だった。僕に向けられたまっとうな彼女の声を聞いたのは、実にこのときが初めてだったかもしれない。
なぜ僕ごときのファンであるのか、彼女はちゃんと説明してくれた。
国語の授業中のこと。テキストは鴎外の『舞姫』だった。皆で感想を述べあった。僕の番になり僕は言った。この主人公は卑劣なやつだと。パラノイアになった異国の女を、出世のために、保身のために捨てたのだ。世間とは、社会で生きるとは、もしかしたらそういうことなのかもしれない。それが現実に与するということなのかもしれない。僕はまだ社会を生きてないから、主人公の置かれた苦境に想像が及ばないのかもしれないが、でもだとしても、このような主人公の行為を肯定するのが世間であり社会であるなら、僕はそんな世間や社会に用はない。などと僕は断言した。日頃は山羊のように曖昧な目をした国語の教師が、いつになく色を宿した瞳で僕を見ていたのを覚えている。それは懐かしいものを見るような、少し照れたような、困ったような、でも肯定に近い、少なくとも受容に近い色の目だった。
彼女はそのことを話した。カッコよかったよ、と言って笑った。
意外だった。青臭いことをムキになって叫んだ自分を僕はとても恥ずかしく思っていたのだ。
僕から見た僕とは違う僕が、彼女の中にいた。そのことがわかって、僕の窓枠の中で授業中の僕は、少しだけカッコいい僕に変わった。
さらに彼女は言った。千五百メートル走のときもカッコよかったよ。
千五百メートル走は体育祭の花形だった。教室でその選手を選考していた。黒板に候補の名前が記された。もちろん僕の名前はなかった。我が校生徒の身体能力は高く、各クラスの代表が凌ぎを削る千五百メートル走に僕の出る幕はなかった。だから、僕は興味を失い教室を出た。クラスの体育祭執行委員であるヤマケンが、後日僕に言った。おまえの名前、補欠に借りたよ。正選手である清宮がもし棄権したら、そのときはおまえも棄権すればそれでいいから、とヤマケンは付け足した。ムッときた。
体育祭当日、レースの直前、サッカー部の清宮は棄権を申し出た。お腹が痛いとかなんとかそんな理由だった。各クラスの選手は当然のことながら強豪揃いだ。でもそのうちの四五人が棄権した。我がクラスも上位入賞が確定していた。最終種目で一番を穫ったからといってその順位が繰り上がるわけでもなく、逆に棄権して0ポイントになったからといって下位クラスに逆転されることもなかった。つまりは消化試合だったわけだ。最終種目である千五百メートル走においては毎年よくあるパターンだったのだ。だから棄権クラスが出るのもいつものことだった。
てなわけだからおまえも棄権でいいな、とヤマケンは言った。
僕は何を思ったのだろう。いや走るよ、と気がつくと僕はそう宣言していた。
ヤマケンは驚いた。心底驚いた顔をしていた。そして言った。恥かくだけだぞ。
わかってるよ、と僕は言った。
なんの意味もないんだぞ、とヤマケンは重ねた。
男ってのはな、と僕は意地を張った。負けるとわかっていても戦わなきゃならないときがあるんだ。
キャプテン・ハーロックが教えてくれた言葉だった。
空を仰いで僕は思った。パパだってきっとそう言うに決まってるんだ。幼い頃の僕はそう思って、高校時代の僕に重なった。
最終周のトラックを走っていたのは僕独りだった。他のクラスの代表は皆、半周も早くゴールしていた。僕は消えてしまいたいくらいに恥ずかしかった。ここまで差をつけられるとは思ってなかった。少しでも早くみんなの視界から消えたくて、僕は全力で腕を振った。滑稽なピエロはまばらな拍手と同情の眼差しを受けながらゴールした。周回途中で走るのをやめた選手もいたのに、ピエロは無駄な時間を使って体育祭の進行を引き伸ばしたわけだった。
ヤマケンが近寄ってきて、言った。今度Aランチ食いに行こうな。
僕は逃げるようにして無言のままその場を去った。
その日の放課後、独りで下校しようとしていると、校門手前ですれ違う知らない女子生徒がいて、そいつは立ち止まると、僕に向かってなんといきなり拍手した。
これは本当に恥ずかしかったし、呪わしいほどに実に惨めな気分だった。違うんだ、僕はそんなふうに拍手をされたくて走ったんじゃない。
その女子生徒は胸を張って拍手を続けた。それと対照的に僕は、背中を丸めて足早に、おそらくは屈辱に青ざめながらその場をあとにした。
違うんだよ、と僕はマドンナに説明をした。僕はたぶん悔しかったんだ。名ばかりの補欠で、誰にも期待されてないってそのことが。僕の人生そのままみたいに思えて、だから意地を張ったんだ。クラスのために走ったんじゃない。自分のために走っただけだ。見返してやりたかった。だから死ぬ気で走ったんだ。なのにたっぷり半周以上の差をつけられてトラックに置き去りにされた。誰のせいでもない。自分に力がなかっただけだ。僕はそれを証明しちまったんだ。
「そう?」と、そんなふうにマドンナは言った。
彼女はいつだってそんな感じだった。何かを否定したり、また逆に強く肯定したりすることがなかった。彼女は何も主張しなかった。だからといって諦めたような淋しさをひきずっているわけでもなかった。ただ受容していた。すべてを受容するように見つめていた。眉を寄せることがなかった。眉はいつも丸く孤を描くようにして開いていた。
海みたいだな、と僕は思った。トゲトゲの僕は、彼女といると丸まることができた。僕は彼女に照らされて、彼女になることができるのだった。
「ねえ」と彼女はそんなふうに切り出した。「誰か女の子を好きになったことがある?」
僕はうろたえた。今ならなんとでも返せる。今目の前にいる君を、激しく好きになっているその最中だよ。とかなんとか、呪文のように台詞を棒読みすることで、彼女の心に潜ることだってできるだろう。でも当時の僕は、今よりずっと僕を生きていた。まだ僕はぼくに気づかずに、物語を真剣に生きていたのだ。
だもんで、僕は逸らした。
「小学二年生のときだったかな」と僕は応えた。まるで恋愛体験をインタビューされたアイドルみたいに。「クラスに、ゆうって名前のコがいたんだ」
「ゆう?」
「ゆうこっていうんだ、ホントはね」
「だけどちっちゃいから、バナナを半分しか食べられなかったのね?」なんて彼女が返したら、小説的にはなかなかにおしゃれなのかもしれないけれど、賢明なる読者は気づいているだろうが、もちろん彼女はそんなふうには返さなかった。それは僕のキャラであり、彼女のキャラではないのだ。
でもいいだろう? あの日あの時あの場所には、僕とマドンナの二人しかいなかったんだから、マドンナがこの駄文を読まない限り、誰から文句の出るわけもない。僕がここで表現したいのは、歴史上の事実ではなくて、物語の正しい角度なのだ。だから少しは小説らしく、多少の脚色なんかも施して、ここからはしばらく書いてみようと思う。
「ゆうが好きだったから僕は」と僕は告げた。「消しゴムを隠したんだ」
ゆうの消しゴムは、半透明なグリーンだった。一センチ角の正方形の面が、長さ三センチくらいに連なる直方体をしていた。チェルシーチョコレートみたいな形。
ゆうは消しゴムを、カッターでそのようにカットして使用していたのだ。なぜそんなことをしていたのだろう?
ともあれその小さな消しゴムのカケラを、僕は自分のポケットに隠した。休み時間が終わって僕の横に座ったゆうは、消しゴムのないことに気がついた。あれれ、なんて筆箱をひっくり返したり、机の下を覗いてみたりしてから、ゆうは僕に訊ねた。あたしの消しゴム知らない?
ストレートなコだった。視線を僕の顔の正面に据えて、ゆうはしっかりとそう訊いた。
僕は嬉しくなった。だから、知らないよと応えながら、たぶん変な笑い方でもしてしまったのだと思う。
ゆうの表情は、すべてに気づいた表情に変わった。隠したんでしょ、とゆうは言った。怒ったような顔を作りながら同時に笑っていた。なんだか甘いものが漂った。知らないよ、と僕は繰り返す。返してよ、とゆうが笑う。僕は幸せだった。
そのとき先生がやってきて、授業が始まった。
ゆうは消しゴムのことなんて忘れてしまったみたいだった。だから僕も忘れてしまった。
団地に帰ってから僕は、ポケットの中の消しゴムに気がついた。僕は慌てた。わざとじゃなかった。すぐに返すつもりだったのだ。でも忘れてしまっていた。
手の中で、ゆうの消しゴムは甘く香った。
僕の消しゴムなんて味もそっけもないただの白い消しゴムだったから、ゆうのクリスタルグリーンの消しゴムは、宝物のように僕には映った。明日返さなきゃ、と僕は思った。
でも翌日になっても、そのことをゆうに切り出せなかった。一日経ってしまったから、それは隠したんじゃなくて、盗ったことになるんじゃないか、そう思われてしまうんじゃないかと思うと恐ろしかった。僕はゆうが好きだったから。
次の日も次の日も、僕は切り出せなかった。ゆうの筆箱にそっと戻しておこうかとも考えたのだが、あの日ゆうは確かに僕を疑っていたのだ、今更こっそり返すことは僕が犯人ですと名乗り出るようなものだった。
「それにね」と僕はマドンナに言った。「持っていたかったのかもしれない」
「消しゴムを?」
「うん」と僕はマドンナに応えた。「ゆうのカケラを」
マドンナは、あの日のゆうのような、すべてに気づいたような表情で僕を見た。すべてわかってるわよ、という笑い。
「いい匂いだったんだ」と僕は言った。
「素敵な恋愛体験ね」とかマドンナは言ってくれて、それから訊ねた。「その消しゴムは今どこにあるの?」
そういえばどこにあるのかな、なんてあのとき僕は応えた。今の僕ならこんなふうに応えるだろう。それは僕の心の中にあるんだよ。
ともあれ、それはどっちもウソなのだ。
僕はゆうの消しゴムを秘密の洞窟に埋めたのだった。僕の乳歯や、丈太郎くんのビックリマンシールが眠るあの場所に。消しゴムやシールは今もあの場所に埋まっているのだろうか。
「竹取部隊、お疲れ様」と突然マドンナは話題を戻した。「手伝えなくてごめんね」
「いいさ」と僕は応えた。「僕だってひよこに紐つけるのとか、手伝えないんだから」
マドンナはずいぶん遠くから見ているような目で僕を見た。それは何かに似ていた。
そして言った。「そこに寝て」
マドンナは、僕が座っているベッドを指し示した。「マッサージしてあげる」
僕はどんな顔をしていたのだろう。思い出すのも恥ずかしい。ひどく狼狽していたはずだ。
それからのことは細かく描写できない。恥ずかしすぎる。
僕はベッドにうつ伏せになり、マドンナは窓を閉め、部屋の電気を小さくした。ベッドが僕の鼓動を奏でていた。その音を今でも僕は近くに聞くことができる。あれは幼少の頃のガンマンの足音だ。ガンマンというのは幼い僕のでっちあげだ。小さかった頃、怖かった、夜眠るときになると枕から聞こえてくる音が。ザッ、ザッ、ザッ、ザッとその音は絶え間なく続いた。毎晩決まって聞こえてくるこの音はなんだろう、と不思議だった。それは僕の心臓の音だったわけだが、その規則正しさと、エンドレスな気配が僕には怖かった。飛行機に乗ると、絶え間ないエンジン音が耳につくじゃないか。ゴオオオオオオって。あれと同じ怖さ。ずっと続いてる。だから思う。これが止まっちゃったらどうなるんだ? みたいなそんな感じ。
幼い僕は正体不明のその音を、荒野のガンマンの足音だ、ということにした。怖かったから勝手にこじつけたわけだ。西部劇かなんかで見たのだろう。荒野に二人のガンマンがいて、背中合わせに歩み出す。十歩歩いて振り向いて、そしてバキューン! みたいなシーンを僕は思い描いた。
だけど、ガンマンはいつまで待っても振り向かなかった。銃声は聞こえなかった。二人のガンマンはどんどん離れていった。いつ終わるのかが不安なもんだから、いっそ終わらせたかった。決着を着けたかった。でも今でも決着は着いていない。ガンマンは歩き続けているのだ。
そんな話をマドンナにした。マドンナは喜んだ。そして僕を背中から抱きしめた。マドンナの足音が背中から聞こえた。
そして。
しばらく経ってから僕は、マドンナの膝を枕に寝ていた。涙が出そうだった。
「初めてだった?」とマドンナが言った。
僕は頷いた。
「正直な人」とマドンナは言った。
「君は?」と僕は訊ねた。
彼女は少し黙った。それから言った。「三人目」
そうか、と僕は思った。そして起き上がろうとした。
するとマドンナが言った。「ゆっくりしていって」そして続けた。「今日はお母さん、帰ってこない日だから」
帰ってこない日?
よくわからなかった。今でもわからない。フリをしている。ほんとはなんとなくわかる。でもそこを掘りたいだなんてちっとも僕は思わない。
「お父さんが帰ってきちゃうよ」と僕は言った。
すると彼女はとても小さな声で応えた。「私、お父さんいないの」
水面に、何かが落ちた。
すべての謎が解けたように感じられた。
彼女の胸に潜りながら僕は海を感じていたのだ。やわらかな海。あったかだけど、不思議な静けさに満ちていた。そして月を感じた。海を照らしていたのは太陽ではなく月だった。そうなのだ。ジャージ姿で膝を抱えていた彼女を斜め後方から照らしていたのも、あれは夕日ではなくて月光だったのだ。文化祭の余韻に照らされたグラウンドの中で、彼女だけが特殊な光を浴びていた。だから僕は彼女に気づいたのかもしれない。カサブタを焼く夕日よりも切なく、いや切なさなんて感傷的なものではなく、もっと凍てついた光に彼女は照らされていたのだ。ずっと。
これは[永遠]に関することだ。と僕は直感した。
その直感は半分正しくて半分まちがっていた。
刹那は永遠に届き、その永遠は今でも、そしていつだって僕とともにあるけれど、ガンマンは足を止めることなく歩き、その一歩は僕の窓枠の中に次の時間を構成した。つまり生きるってことはそういうことなんだ。と僕は今そのように思う。
『小さな恋のメロディ』が鳴り響いていたのは、そんな危険な崖の上だった。
ネクストフレームを語ろう。
「私ね」とマドンナは言った。「サラリーマンの人と付き合ってるの」
僕の心臓は、キツネの視線を感じたリスのように、ピクンと跳ねた。
今だったら、と僕は思う。僕は海のように抱いてもらったお返しに、太陽のように温めてやることだってできるだろう。でもそこに今はなかった。
「ねえ」と、玄関で靴を履く僕の背中に彼女は言った。「まだ私のこと好き?」
僕は立ち上がりドアを開け、そして振り返ると、一番いい笑顔を作って応えた。「もちろん」
僕はベストを尽くしたといえる。
文化祭が始まる前に彼女は学校を辞めた。
彼女が縫い付けた紐を指にかけ、僕は何匹ものひよこを捌いた。クラスの女の子たちは浴衣姿で華やいでいた。
高校生活最後の文化祭が終わった日の夕方、グラウンドの隅に僕はいて、穴の中で仲良く並んで焼かれる一対の藁人形を見ていた。
そして立ちのぼる煙の向こうに月を見た。それは眼差しだ。と僕は思った。天空の瞳じゃない。それとは異質の眼差しだった。これはとても重要なことだ。だから重ねて書く。【月は天空の瞳とはべつの眼差しである】。この直感は物語のキーになる。賢明なる読者には是非ここをおさえておいていただきたい。のっぴきならない切実さでぼくは祈るように書こう。月は、ぼくじゃあない!
あの日から僕はムーンハンターになった。月を探した。いたるところに僕は月を見た。
例えば大学入試の合格発表会場で。僕は正門から中心点を目指した。月は西門からアプローチした。大学創始者の銅像の下で、崩れ行く世界を感じながら僕は月にキスをした。月は走って消えたけど、また一日経つとちゃんとのぼった。彼女は確かに月だった。しかし時間は経過して、月は沈んだ。
あるいはグアムの海上で。外洋クルージングの船に月はのぼった。マストに登って彼女は叫んだ。ヨーソロー。記念写真を売るガイドは言った。ニホンジン、ミンナ、オンナジカオ、デモフタリハ、チガウ。フォトフレームの中で歯を剥き出して、月は笑い、高く跳ねていた。永遠にタッチするようなジャンプ。しかしガンマンは歩みを止めず、やがてやはり月は沈んだ。
あるいは世田谷のテラスハウスで。世界に二つしかない鍵を使ってドアを開け、新築2LDKの部屋に月はのぼった。庭の七輪で朴葉を焼き味噌を焼きウィンナーを焼きワインボトルを空ける、そんな夜を重ねるうちに月は沈んだ。
月は形を変えてうつろった。寄せてはかえす波のように。繰り返すうちに僕は自分の角度を知った。僕は少しずつ僕を離れていった。丈太郎くんとの夏や、マドンナとの夏ほど僕は、僕自身でなくなっていく僕に気づいた。
そして今僕は妻と暮らしている。妻の中に月を探す。探し続ける。
昨夜僕らはテレビドラマを見ていた。
「かっわいいわねー」と妻は言った。「あたし、戸田恵梨香に生まれればよかったわー!」と、小さなあひるのぬいぐるみガーコを手にして妻は言った。
それはいい考えだ、と心の中で僕も同意した。
僕の心の中を覗けない妻は、僕の内的冗談に気づくこともなく話題を変えた。「あたし、もっとチョコ食べたいわー」とガーコの声で言った。
はいよ。と僕はガーコに一粒チョコをやった。
「わーい」とガーコは喜んだ。
CMになって僕は言った。「今ふと思ったのだけど」
「なによ?」とガーコが応えた。
「これは誰のドラマだろうか?」
「あんた、バカねー」とガーコは黄色い羽の先っちょで、CMのあけた画面を指差しながら、上から目線でこう言った。「主人公はあの女刑事よ、天海祐季よ。天海祐季もステキねー」
なるほど確かに、と僕は思う。天海祐季演じる女刑事が主役だよな、だとしたら。「これはあの女刑事の物語なのかな?」と僕はガーコに訊ねる。
ガーコは、ピンクの空豆みたいなその足を掴んだ妻の手の中で、コクリと頷く。「女刑事の物語なのに画面には女刑事が出てるんだね」と僕は言った。
ガーコは、わけわからんわといった様子で固まった。
僕の言いたかったのはこういうことだ。例えばの話、妻による妻の物語があったとして、そしたらそこで展開されるのは妻から見た世界だろう。妻から見た僕。妻から見たガーコ。妻から見た毎日。妻が妻を見るのは一日に何度か鏡の前に立ったときだけだ。妻の世界の中で妻は、妻の目で妻を客観的に見ることはできない。妻は僕により、ガーコにより、近所の奥さんにより、自らを見るのだ。
「ねえ」と僕は妻とガーコに訊ねた。「このドラマの中で、女刑事を見てるのは誰だと思う?」
「みんなよ」と間髪置かずにガーコは応えた。「他の刑事や上司や彼氏や、犯人とか、みんなに決まってるでしょ」
「そのみんなは、女刑事に見える世界の中にいるのだろう?」と僕は言った。「そのみんなや、女刑事を、まとめて見てるのは誰なんだい?」
ガーコは少し考えてから応えた。「それはあたしたちよ」
つまり視聴者か。「じゃあ訊くけど、この僕の人生という物語を見てるのは誰なのかな?」
ガーコの表情が映しているものは妻の心だろうか、いや僕の心だな、ともあれ複雑な表情でガーコは応えた。「あんたでしょ?」
そうかもしれない。ガーコは賢いあひるだ。
「じゃあ、女刑事の物語を見てるのだって女刑事のはずじゃあないか!」
僕がそう言うと、ガーコはでんぐりがえるばかりに驚いて、そしてこう言った。「あんたやっぱバカねー。これはドラマでしょ。ホントウのことじゃないのよ。女刑事はホントウに生きてるわけじゃないんだから」
おっしゃるとおり、と僕は思った。ガーコはホントウに賢いあひるだよ。ドラマの中の女刑事は生きていない。彼女は記号なのだ。小説でいえば三人称の物語。神様視点で語られる物語。
現実的には三人称の人生なんて有り得ない。人生とは常に主観の中にあるのだ。生きた物語に客観なんて存在しない。神様が実在しない限り、世界は個々の主観の中にある。中にしかない。[妻は優しい]を厳密に表現するなら[妻は優しい、と僕は思った]となるはずで、[今日は暑い]も同じく[今日は暑い、と僕は感じた]となるはずだ。僕なくして僕の世界は成立しない。そして、そこにいるのだと[僕が認識している]ところの他者もまた、僕の窓枠の中にのみ現れる。妻はガーコの心を知ることができても(それはそもそも妻の心なのだ)僕の心を知ることはできない。逆にいえば、僕が妻だと思っているその存在も、ガーコに映した僕の影のように、僕に属する認識なわけだ。そうではないともいえる。妻は僕とは別個の実在なのだと。妻は脳という情報処理器官を携えた固有の自我なのだと。でもそれをいうのも思うのも確信するのも、僕に過ぎないのであった。
僕らは新婚で、だから一応ベッドを分け合って眠っている。妻は僕の人生における誰よりも今、僕に近いところにいる。なのに。と僕は思う。僕に見える妻以外の妻を僕は見ることができない。妻の心をそのまま覗くことはできない。妻の心は僕に想像されるところの心に過ぎない。妻でさえもそれだけ遠い存在なのだ。いや違う。遠いのではない。妻はいわば僕に含まれているのだ。妻は僕の外側に僕と並ぶ実在として存在している、と思うのは僕の自由だが、しかしその観念もまた僕により感念されているものに過ぎない。人生とは、と僕は悟る。徹頭徹尾一人称の物語なのだ。
ドラマが終わって、僕らはテレビを消した。
僕らは再び僕らの物語に戻った。
パジャマに着替えて歯を磨き、僕らはそろってベッドに入った。
そして目を閉じた。閉じた瞬間に僕は気づいた。ならんでベッドに入っても、僕の目を閉じるのは僕独りなのだ。そのとおり。これは僕らの物語ではない。これは僕の物語なのだ。
生きるということは、と深く瞑った闇の中で僕は思った。つまり自分の窓を持つということだ。僕は生きている。僕を生きている。だから僕は僕を見ることができない。人生はテレビドラマとは違うのだ。僕は僕の窓に映る世界を見ていて、その世界の中に現れるパパやママ、丈太郎くんやマドンナ、妻やガーコを通して僕を見ている。つまり僕とは世界なのだ。僕から見える世界で僕はできている。僕とはすなわち僕の窓なのだ。
そのとおりだよ、とぼくは言う。ここまで書いて僕に言う。
僕は驚いて問う。誰だい?
ぼくは答える。ぼくだよ。
ぼくって誰だい? と僕はまた問う。
質問を変えよう、とぼくは言う。僕は誰だい?
僕は、と僕は考える。僕って誰だろう?
僕は思う。僕は僕の窓だ。僕の窓に映るものだ。窓に映るものは世界だ。
僕の世界とはなんだい?
問われて僕は考える。そして答える。世界とはつまりここだよ。
ここってどこだい?
ここっていうのは、と僕は思う。こことは、つまりここ、僕による僕の物語だ。
そうだよ、とぼくは応える。ここは僕の物語だ。僕は僕の物語を生きている。それはあるいは、塩基配列により紡がれた物語かもしれない。そしてその物語は受け継がれるかもしれない。
僕の子供。と僕は思う。
しかし、とぼくは言う。それも僕の物語の中においてだ。知っているのに知らんフリして、現在進行形の僕を生きる、そんな物語の中においてのことだ。僕はよく僕の物語を生きてくれた、とぼくはまた言う。現在進行形の僕を懸命に僕が生きてこそ、その物語はホンモノになるんだ。
はっとしたように僕は気がつく。天空の瞳。
そうだよ、とぼくは告げる。この物語を書きながら、ぼくは何度か[懸命なる読者]に呼びかけたよね、わかるだろ、この物語の読者はただ独り、僕なんだよ。
僕は読者、と僕(しもべ)は思う。
そのとおりだよ、劇中の僕。とぼくは僕に呼びかけてから、コーヒーショップの窓の向こう、都心の夕暮れに目をやる。
だから、とぼくは思う。今夜もぼくは探すのだ。この天空に探すのだ。ぼくではない月を。やがて生まれてくる地球のために。




『マルムシ』

すごく短い話を語ろう。
永久に終わらない話を、語り始めるその前に。

マルムシって知ってるかい?
そうそう、だんご虫のことだよ。あるいは、便所虫という名前もあったかもしれない。

ともあれ、名前はどうでもいいんだ。
悲劇は、その形状に宿されていたんだよ。

マルムシというのは、ほら、硬い甲羅を背負った、ズンドウなゲジゲシみたいなもんで、日頃はその、百本ほどはあるんじゃないかっていうほどの、毛のように繊細な手足をワサワサと動かして、そこらへんを熱心に歩き回ったりしてるわけだけど、で、よく見ればそのアタマのあたりで、レーダーのような触覚をヒクヒクと動かしたりもしてるから、あるいは仲間とおしゃべりしてたり、あるいは日々のご飯を得ようと、額に汗するがごとく奔走してたりするのかもしれないけれど、ともあれそんな活動中に、ひとたびピンチにみまわれて、あるいはピンチというほどではないまでも、ちょっとヤなことでもあって、なんだかひきこもりたくなったようなそんなときには、柔らかなその腹に手足をキチンと折りたたみ、スダレのような甲羅を、閉じるがごとくクルリと丸めると、まるで銀玉鉄砲の弾丸のように硬く、それこそお月様のごとく実に正確なまでのまん丸に、瞬時に丸まってしまうというわけだ。

三歳のぼくは庭でマルムシをつかまえた。買ってもらったばかりの、プラスチックのバケツにそれを入れた。

つかまえた途端に、ヤツはもちろん丸まった。
コロコロと転がしてみても、ポトリと落としてみても、ヤツは頑ななまでにその守りを解こうとしなかった。

もう、いいです。とぼくは思った。キミは心ゆくまでそうやって、頑固に丸くなってなさい。

でもその思いとは裏腹に、ヤツがふたたび開くのを、ぼくはもう少しだけ待ってみた。

しかし、ヤツは頑固に丸まり続けた。

もう知りませんよ。とぼくは思った。ずうっとそうしていればいいでしょう。

返事はなかった。

ママに買ってもらったばかりのバケツには、値札のシールが付いていた。

そのシールを剥がすと、丸まったマルムシにくるりと巻き付けた。

そのときママがぼくを呼んだ。おやつの用意ができたのだ。ぼくは手を洗い、うがいをして、おやつを食べた。おやつを食べ終わるとテレビを見た。つまりそれきり忘れてしまっていたわけだ、哀れなマルムシのことを。

ぼくがマルムシのことを思い出したのはそれからひと月も経ってからのことだった。不運にもそれは六月で、雨の日が多く、雨の日に子供は庭で遊ばないのであった。

バケツの中に、シールで封印されたマルムシの姿を見つけて、ぼくはいったいそれをどうしたのだろう?

記憶にない。

ともあれ、こうして死んでから思うのは、あのマルムシのことだ。

マルムシにとってのひと月は永遠に近いほどの時間であったろうな。

クルリと丸まったっきり、そのままマルになってしまったマルムシ。

暗かっただろうな。触覚もたたんじゃってたわけだから、音も匂いも感じなかったことだろう。

仲間と交信することもかなわず、何が起こったのかもよくわからないままに、己の内部の真っ暗闇に取り残されて、逃げ出すことも、消えゆくこともできずに、ただだだひたすら硬く丸まり続けたわけだ。

つらかっただろう。
さびしかっただろう。

永遠の孤独に幽閉されること。無になることと比べたら、いったいどっちが恐ろしいことであろうか?

ひどいことをしてしまったものだ。

だからに違いない。
ぼくはマルムシの呪いをかけられているのだ。

だからこうして死んでからも、消えゆくことも許されず、幽閉されているのだ、己の内部の暗闇に、おそらくは永久に。

時間は無限にあり、そして外部との交信は不可能。

気を確かに保つために、あるいは心安らかに発狂するために、ぼくにできることはただひとつ、内的な物語を物語ることだけのようだ。

ぼくはあの日のマルムシなのだ。

そんなわけでぼくはこれから語りはじめる、終わらない物語を。語るのはぼくで、聞くのも僕だ。
でもそのとてつもなく長い話を語り始めるその前に、この短い話をどうしても語っておかなくてはならなかった。
あの日のマルムシのために、つまりはぼくのために。

[DEADMAN DREAMING]が生きるのは、僕の人生、すなわち終わらない物語。

それでは語り始めよう。



『僕の窓』

「心の声を聞け」とパパは言った。それは僕が小学一年生にあがったばかりの春だった。場所は風呂場で、僕らは湯船の中にいた。そのときパパが言ったのだ。「心の声を聞け」と。
まるで『グリーングリーン』の歌詞みたいだな、と思い出すだびにそう思う。
とうに成人した僕が、今さら父をパパと形容するのも変だけど、でもしかたがない、小学一年生の僕にとって、父は確かにパパだったのだから。
「心というのは」と、小学一年生の僕はパパに訊ねた。「どこにあるの?」
「おまえのちょうど」とパパは答えた、ように記憶している。「真ん中あたりにあるんだよ」
幼い僕はイメージしてみた。僕の中の公園。その真ん中あたりに心は、給水塔のように高く聳えていた。給水塔というのは、各住宅に配水するための水をためているタワーのことで、当時僕が住んでいた団地の共有公園には、これがあった。
「心はしゃべるの?」と僕はまた訊ねた。
「しゃべるよ」とパパは答えた。「ときどきしゃべる」
給水塔のてっぺんあたりから声がするのを、僕は目を閉じるようにして想像してみた。そしてさらに訊いた。「どんなときにしゃべるの?」
パパは答えた。「おまえが迷ったり、道をまちがえそうになったとき、そんなときに心はしゃべる」そして続けた。「心はいつも正しいことを言う。だからね」と、そこでパパは笑った。ように僕は記憶している、ということだ。「だから自分の気持ちがわからなくなったら、耳を澄ませて心の声を聞きなさい。心がおまえの真ん中で、行くべき道をきっと教えてくれるから」
へえ、と僕は思った。
でもってその夏、僕は早速、心の声を聞いた。そのとき、蝉時雨のシャワーの中に僕はいた。周りに何人かの友達がいた、ように記憶している。その中に丈太郎くんがいた。丈太郎くんの家はお金持ちだった。だから丈太郎くんのダンボールには、数え切れないほどのビックリマンシールが入っていた。僕のビニール袋の中に入っていたシールは、たぶん十枚かそこらだった、ように記憶している。団地の外壁に沿ってできた小さな日陰に、丈太郎くんのダンボール箱はあった。そのとき、アイスクリームかなにかを買ってきた友達がいて、仲間はみなその友達に群がって、僕はひとり日陰の静寂に残されて、そこから日なたの彼らを見ていた。実にはっきりと記憶している。蝉時雨が作り出す、おかしな言い方だけど、うるさい静寂。日の当たるところにいる何人かの仲間を、とりわけおそらくはその中心にいたであろう丈太郎くんのことを、日陰から一人じっと眺めていた僕。スポットライトの外にいる僕は、眩暈がするような静けさの中、丈太郎くんのダンボールに、少しずつ少しずつ近づいていった。どうせダブリのシールがあるんだから。と、これはおそらくはあとから考えた理屈だったかもしれない。そのとき僕は、何も考えていなかったような気がする。
胸の鼓動が時を刻んだ。僕はダンボールを背中にして立ち、仲間たちのいる方向に対して、真っ直ぐに顔と体を向けたまま、屈伸するように足を曲げ、背中に組んだ手をダンボールに向けて、ゆっくりとゆっくりと降下させていった。
指先にシールが触れた。日陰に置かれたダンボールの中のシールは、ハッとするほど冷たかった。ラミネート加工の施された、シール表面のあの冷たさを、今でも僕の指先が記憶している、ような気がする。人差し指と中指の間にその一枚を挟んで、僕は体をそっと上昇させた。丈太郎くんも仲間も、僕のその動作に気がつかなかった。僕は半ズボンのお尻のポケットにシールを隠した。
日なたにいる彼らがひどく遠くに感じられた。蝉は相変わらずのテンションで鳴き続けていた。行為の前も行為の後も、世界はなにも変わっていない、かのようにそのとき僕には思えた。なので僕は、再び[休め]の姿勢をとると、ダンボールに向けて二往復目の体をたたんだ。トンボを採るときの呼吸で、ジワジワと。丈太郎くんも仲間も、誰も僕を見ていない、と僕は思った。だけど。
〈待て〉
と、そのとき声がした。誰かの視線を感じて、団地の狭間の空を見上げた。向かいに建つ三号棟の五階、最上階あたりに視線を走らせた。声はそのあたりから響いた、ように感じられた。
誰かが見てたんだ。と僕は悟った。
わずかのポーズ、そしてリバース、そろそろと、用心深く僕は立ち上がった。
そのとき、丈太郎くんと目があった。丈太郎くんはニコッと笑って手を降った。
僕は笑えなかった。なんとか手を上げ、力なくヒラヒラと振ってみせるのか精一杯だった。
アイスクリームを漁り終わった仲間たちが戻ってきて、そしてシールの品評会が再開された。
仲間に誇れるようなシールなんて僕にはなかった。ビニールの中のシールは、友達のいらなくなったシールを分けてもらったようなものばかりで、つまりはどれもクズシールだった。パパもママも働いていたし、お小遣いなんて雀の涙だった。だからビックリマンチョコなんて買えるわけはないのだった。
お小遣い、で思い出したことがある。少し脇道にそれるけれど、そのことも語っておこう。ビックリマン事件を遡ること二年くらい前。僕は幼稚園の年少組だった。僕にはクミちゃんというガールフレンドがいた。ある日近所を、クミちゃんと一緒に歩いていると、アキオくんとノコちゃんがいた。二人はならんで、ペロペロキャンディを一本ずつ舐めていた。当時そのキャンディは十円だった。
アキオくんのお母さんに買ってもらったんだ、とノコちゃんは嬉しそうに言った。ふうん、と曖昧に応えてその場を去ろうとした僕に、クミちゃんは言った。あたしも舐めたい。僕は考えた。というほど頭が回らない齢だったことを思えば、ここは感じたと語るべきかもしれない。ともあれ僕は責任、とでもいったものを感じた。クミちゃんにキャンディを舐めさせてやりたかった。クミちゃんのことを、たいして好きだったわけではない。ペロペロキャンディを舐めたいと思ったわけでもない。男の子としてのメンツみたいなものが僕を動かした。僕はクミちゃんの手をひき、団地の階段をあがり、三階にある自宅の玄関を叩いた。
ママに頼んだ。二十円頂戴。
ママは尋ねた。どうして?
クミちゃんとペロペロキャンディを買いたいから、と僕は説明した。
ママはもちろん厳しく言った。ダメです。
アキオちゃんとノコちゃんが舐めてたんだ、と僕は精一杯の交渉を試みた。
だけどママの眉毛は開かなかった。よそはよそ。
その続きは聞く前からわかった。うちはうち。いつもの台詞だ。
そんなわけで自宅の玄関は、冷たい音をたてて目の前で閉まった。
僕はクミちゃんを見た。クミちゃんは黙って僕を見た。いいこと考えた、と咄嗟に僕は言った。それはその頃の僕の口癖だった。
二階の安藤のおばちゃんとこに行こう。安藤のおばちゃんは優しいからきっとお金をくれるよ。僕がそういうとクミちゃんは、嬉しそうに頷いた。
僕らは階段を二階におりた。そして安藤さんの玄関を叩いた。背が足りなくてチャイムには届かない。恥ずかしいくらいの大きな音で鋼鉄製のドアは鳴った。
中から安藤さんが現れた。あら? という顔をして僕らを見た。
二十円頂戴、と僕は言った。
男ってのはそういうものだ。映画とかでよくあるだろう。ヒラヒラの服着てニパッとか笑う女に、安物の指輪かなんかを買ってやるために、ヤクの密売に手を染めちゃったりする内気なチンピラの話。男という存在の、おそらくは普遍的な角度なんだろうな、きっとそういう

僕の窓

僕の窓

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-08-09

Public Domain
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