原色の夏の墓参り

盆の墓掃除は、容赦ない猛暑の中で、嫌々なものですが、終わってみると責任を果たしたみたいな達成感でやや偉そうな気分になります
その時の自分の近況をご先祖に対して、頭の中でいう事と愚痴として表にいう事とを勝手に話したりします
死んだ人のそれまでの知った話をテープを巻き戻すように繰り返し再生するのです
毎年の決め事も出来ているうちは善いのですが、出来なければ簡単に立場が入れ替わります
評価される実績がある人とそうでない人、死んだらどんな扱いを受けるのか気になると言えば気になります

自分を盾にした自分の影が妬ましく、その陰に入って涼んでやるなどと、酷暑で感覚がマヒしていた。
あまりの暑さに青空も色あせたかのようで、どこにも雨を抱えていそうなふくよかな雲はただよっていない。
午後8時近くまで明るい事を思えば、4時半くらいなら少しは暑さの勢いはないだろうと盆の墓掃除に行った。
周りの雑木林から飛んできた枯葉を掃いて腐葉土と言ってはそこへ返し、留守の蜘蛛の巣と今逃げ出してゆくヤツを嫌気に掴み払い、ネジ山みたいにくっ付いたかたつむりを欠き取り、人のような悪気はない(さすがに墓場で糞をする人は見たことはない、幼児が漏らしたのはあるかもしれないが)鳥の糞を洗い流しては拭い、コケの映えた墓石の狭いところを磨いてタオルを緑にしては天日風雨の日々の厳しさに面倒が生きることのような気がした。
仕事が激減した理由は自分にあると、親の信用で頼んでくれていたお客が芽が出ない自分に愛想を尽かしたと、非力怠慢を誤魔化した自分を戒める真面目さにすがっていると、情けない様を平気で腹の中でぶつぶつ言いながら墓石の名前に無言の甘えた依存をしてしまったので、誰もいない墓場に自分でくしゃくしゃにしたみじめな様が散らかってはいないかとバカな狼狽をした。
家の墓場には、新しい墓石とは別に、和菓子の金つばみたいな見た目の古い小さな分家初代当主の墓石がある。
太平洋戦争に工兵として行った祖父は、買えるだけの土地を買って祖母と子供たちである親父たちに残した。
「これだけあればいいだろう」と出来るだけのことをして骨壺の中に小さな木切れになって帰って来た。
新しい墓には祖父の奥さん、むすめさん(叔母)、祖父の死後、後入り夫になった実弟と、祖母の死後の後妻さんの骨壺が入っている。
死んだ後もぎくしゃくしていそうな墓の中に、墓石には生存者を表す赤文字で刻まれた自分たちは戦々恐々としてヒソヒソとした足踏みである。
心臓手術中に亡くなった叔母は、両親のゴタゴタで行き場のなかった自分を一時、叔父と、預かってくれてあったかい優しさで撫でてくれた。
夕方の買い物で叔母の自転車の荷台に乗っていたとき、、タイヤのスポークにいたずらにサンダルの先を当てていた自分が足を巻き込まれ、踝をすりむいてヒリヒリと一緒に泣く自分に、赤チンを塗ってくれる叔母の薬筆の優しい触り方に浮気をしまくる母親の与えた虚しさを下等なものに貶めていた。
自分のせいで買い物が遅れ、有り合わせで作った夕食の大波のようなレタスがスクランブルエッグにかぶさろうとしている洒落た盛り付けを50才手前になった今でも覚えている。
亡くなった人のいいところの思い出にどっぷりとはまり、そうでない話は成長のない幼稚とも純粋とも言いたい気持ちで相変わらず突っぱねているのが昨今解るようになってきた。
脛を超える大きい草を刈払機で薙ぎ払うと、上がり始めた日差しで体温を上げていたらしい黒光りのヤツが雑木林と墓場の境のフェンスを急ぎ黙ってくぐって行った。
一瞬に今日一番のびっくりをして、目を凝らし周りを警戒しながらしゃがみ、無精ひげ程度の雑草を引き抜き始め、小一時間程度の労働に脇も腹も頭髪もべたべたとして汗臭くなっていたようだ。
先に死んだ祖父や祖母、叔母叔父が一生を完了できた事が偉く思えて平身低頭に付き従う気持ちで返事のない墓を尊敬していた。
水田の穂先がオタマジャクシを思わす温い風をこしらえ、いたずらな同級生のドッジ・ボールの一撃のようにこちらに飛んで来る。
数が減った涼しい風が空元気に頬を撫でる鮮やかな青の空の下、太陽の子らみたいな日差しの輝きが悪戯に暑く弾け出した中に、自分の呑気な溜息に相槌を打つように紛れ込んだおばあさんの声が
「うちの墓には誰も来ないね、ユリの花もとっくに枯れて、葉がススキみたいだよ」と愚痴って来た。
「へへ」と笑って、来ない人への文句に乗るのを敬遠してみせると「あんたは偉いねぇー」と身内には嘆くだけにして他人には羨望皮肉に言って来た。
寂しさの落胆で出来た三角形の斜辺を下った視線が虫でも突っ転がすみたいに悪戯に笑ってくすぐって来た。
冷笑と言うか、他人事だからと思うが、何かとっても些細な事に思えて自分の家の墓周りの最後の雑草の一掴みを捨てると、刈払機を取り直して婆さん所の草を薙ぎ始めてやった。
機械が酷く五月蠅く鳴って恩を着せると、「いいよ、いいよ」と、してやったりの嬉しさに断る言葉をもてあそぶ婆さんの喜ぶ声が耳元ではっきり聞こえた。
あっという間に刈り終って機械を止めると、墓周りは床屋に行った子供の刈り上げのようにすっきりして、気が済んだ顔のばあさんと同調して気持ちよく感じた。
その隙を突かれたような背中に突き刺さる視線を感じたので振り返ると、墓場へ来るときに雑草瑞々しい狭い道を互いにゆっくり車をすれ違わせて笑顔で譲り合ったおばさんが軽トラックの暑そうな影の中にオキシドールのヒリヒリ感を漂わせてお経のような皺のたった顔と会釈を組み合わせていた。
「盆くらい生花を挿してやんなさい」と車の窓越しに菊を分けてくれたおばさんは軽トラックでゆっくり小石を弾きながら転がし、厳しい顔をしてこっちを見て何軒分かの沢山の菊の花をさっきより多く積んだまま寄って行く様子を棚上げに墓を通り過ぎて行った。
そのあと、余所の人に墓掃除をさせるんじゃないと言った旨の電話をしたらしく若い夫婦が後日、盆でもない日に花を添えに来て、曇天に狙われたかのように急な爆雨に肩を叩きのめされていたらしい。
おばあさんに会って虫の糞みたいな愚痴を食らったのは自分だが、家まで買ってもらったおばあさんの怒りだと曇天と雨を感じ、迷信にも思えたのはその若い夫婦だった。

原色の夏の墓参り

事実と嘘を織り交ぜて人を口説くと騙すことになりますが、ただ見てもらうと面白いかどうかのこちら側の期待になります

原色の夏の墓参り

墓参りに行って会ったおばあさんは本当にいた筈だが、それを見ていた別のおばさんは厳しい顔をして、後日、おばあさんの親族に注意したらしい もしかして、自分の愚痴が、死んだおばあさんを呼び寄せて愚痴を語らせて外面のいい自分を利用したのかと思うと情けないとも言える 自分たちが住んでる家だけでなく、親族が死んでる墓もきれいにしておくほうがいいというお話し

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted