Ace combat 5 総力中枢のトータル・ウォー 

Ace combat 5 総力中枢のトータル・ウォー 

幕開

幕開

2010.Sep.18 Osea Hollister ―2010年 9月18日 オーシア連邦 ホリスター市

 「報道班員、ですか」
突如告げられた謎の異動―オーシア空軍基地への報道班員命令の辞令。まるで晴天の霹靂の如く舞い降りてきた1枚の”それ”は、俺への左遷ととっても良いのだろうか。
「…というわけだから、とりあえずは荷物を纏めて、また明日に、私の所に着て欲しい。そこでチケットと、詳細の書類を渡すから」
そう言って編集長は、俺を社から追い出した。途中私がなんと言おうとお構いなしだった。社の目の前のアスファルトは残暑に照らされて赤熱されているかの如く、俺の体を無意識に蝕んでいく。
俺は堅く閉ざされた社の玄関をじっと見つめた。―帰れそうに無いな。こりゃ参ったなァ…
 俺はロバート。ロバート・キャパ。新聞社で一応記者をしている。勤め先はノヴェンバー市に本社を置くオーシア・タイムズ…の社員達に配布する広報誌を作っている、名も無き下請け会社だ。
一応正式な社名はあるのだが、そんなもの入社式や面接の時に言ったぐらいで、今では社の看板すら見向きもしていない。
”学級新聞社”と呼ばれるウチの会社だが、なぜかコネだけはちゃんとある。このホリスター市はオーシア大陸の北、西海岸に面する街。そこから十数キロ離れた場所に空軍の基地がある。名は聞いたこと無いが、練度は高く…おっと。
往来の老紳士に肩をぶつけてしまった。あの老紳士め、薄汚い目で俺を見やがって。記事に書いてやるからな。

2010.Sep.23 AM:10:35' HollisterCity in The Suburbs Osea Air Force Region Air Defense ”North island” Base―2010年 9月23日 午前10時35分 ホリスター市郊外 オーシア国防空軍「ノースアイランド」基地

 「ようこそ当基地へ。どうぞどうぞ、席におかけください」
俺を空軍基地へと誘いの車を出したのは、あの陰鬱な顔をした編集長でも、椅子にふんぞり返る基地のトップでもなく、ただの看守兵一人だけであった。
当然であろう。大学にも出ていない貧民層のバカが書いた馬鹿げた学級新聞社に勤める記者など、歓迎されるはずもない。
俺は全身に恐れ入った様なオーラを纏って守衛に案内されたソファに腰を下ろす。…合成革特有の当たり障りの無い嫌な感じだ。
しばらくして案内嬢らしき娘が深々と頭を下げてやってきた。これには俺も一礼せざるを得ない。おそらく広報担当の女性兵士だろうか、きっちりとシャツの第1ボタンにまで上げられたネクタイと、グリーンのベレー帽が眩しい。
「お飲み物は何が如何?」と聞いてくるので、無難に「珈琲」でいってみることにした。…うん、インスタント特有の安っぽい香りが鼻を擽る。7割を残したところでカップを置いた。チン、という音がして、またしばらくして彼女がやって来る。
今度は「担当者をお呼びいたしますので、しばらくお待ちください」だと。彼女が静まり返った応接間にドアのバタン、と閉じる音が響く時、かすかに、シャネルの五番の匂いがした。

 遅い。親父からのお古の腕時計のハリが、前に彼女が部屋を出て行った時からもう一巡はしている。俺はわざとらしく腕時計を叩いてみたり、ガキの頃からの癖の指パッチンをしてなんとか彼女の気を引こうと、呼び出そうとしてみるが、やっぱり一向に現れない。
『ハメられたんじゃねぇの?』胸中のもう一人の俺が懐疑の溜息を吐き出した。『いやいや、天下のオーシア国防空軍様が…』っとアイロニーな発言で自分自身の不安をぬぐって見せようとする。その時。
―突如として轟音が、応接間の鎧板をがちゃん、がちゃんと揺らし始めた。『なんだなんだ?交通事故?』そう独り言ちり、まるで殺人事件の雲行きを憂うボスかの如く、意味深にブラインドの隙間に視線を通した。
そこには、今にも飛び立とうとしている戦闘機たちの姿があった。どれも堰を切ったように尻から火を噴出して、今か今かと離陸を待っているようだった。
「なんだありゃ。スクランブルか?領空侵犯?」
偶然にも、この俺の憶測は的を得ていた。

 このノースアイランド基地は、北セレス海と、オーシア北西部における重要な防衛拠点である。仮想敵国である、太平洋を挟んで向かい側の超大国、ユークトバニア連邦の領空侵犯などに備え、年200回を越えるスクランブルや、練度の高い航空部隊を配備させ、
南のサンド島基地と並んで西海岸防衛の要となる基地である。…筈だったのだが。
長きに渡ったユークとの冷戦も、15年前に勃発したベルカ戦争の集結からは核弾頭を含む軍縮や融和路線へ突き進み、冷戦期には年300回に迫る勢いであった領空侵犯によるスクランブルも、いまやセレス海は平和の海そのもので、荒波ひとつすら立たない。
それによって練度の高い航空部隊も鳴りを潜め、各地の航空基地に散らばっては平和な空を悠々と飛んでいる。日々ネットやら討論番組などで平和ボケと右翼に詰られる現状を維持していたオーシア空軍であったが、今回に限ってはその表情を強張らせなければいけなくなった。
オーシア標準時午前8時54分。国籍不明の高高度偵察機によるオーシアへの領空侵犯だった。だが歴戦のオーシア空軍。冷静に国籍不明機に向け警告を続けていたが、痺れを切らした沿岸防衛隊がSAMを発射。普通ならば高高度を航行する偵察機は、回避行動を取らずとも自然にミサイルが自尽してくれるので、ただの威嚇射撃に過ぎなかった。
しかし、はるか真下の地表から放ったミサイル弾頭は偵察機に命中、直近の基地であるサンド島による偵察機の観測は続き、被弾した機は針路を一転し洋上へ避退しつつある。サンド島は警告の為航空機4機をスクランブル発進。これにより、同じく西海岸の防衛線であるノースアイランド基地にもスクランブル出撃の命令が下されたのであった。

2010.Sep.23 AM11:43’  North Island Base ―2010年 9月23日 午前11時43分 ノースアイランド基地 滑走路

 基地を東西に貫く、まっすぐ伸びる一本のアスファルトの道。生身でそこにいれば熱に躰を持っていかれそうになるほどの炎天下、4機の先鋭なシルエットがタキシーウェイを駆け抜けていく。
陽炎の揺らぎに混じってまっすぐ空へと向かうその視線は、さながら戦う隼【ファイティング・ファルコン】。F-16C【ファイティング・ファルコン】の4機編隊は滑走路の脇にぽつりと聳え立つ管制塔の指示を受けて、等間隔に従うように滑走路を駆け上り、空へと翔けて行く。
[こちらスウィートウォーター、全機聞こえたな]編隊の長である1番機―TACネーム「スウィートウォーター」こと、ルイス・マルティネスが、真後ろで這い蹲ってる3機へと釘を刺すように言った。
[アイアイ・サー]
お気楽者の声がルイスの耳たぶを叩いた。その声の主にルイスはしぶしぶ、といった相貌でインカムに手をかけると、罵声染みた”訓示”を一言、”弁じられた”。
[ファッキンガイ、ドクターはお前の口に針を通してくれなかったのか?俺にはまだ幻聴がする]アイロニー100%の芳醇な皮肉の香りが3番機―TACネーム「ファッキンガイ」こと、カイル・ブランクス少尉へとぶっ掛けられた。
ルイス編隊長様の渾身の一撃を浴びせられたカイルは、そのにへらっとした表情を少しも変えることなく、さらなる反撃の引き金を落とし始めた。
[ドクターは俺よか、隊長への診察をご所望だろうよ]オーシアンジョークはつまらない洒落と、容赦の無い皮肉が受ける要因となっている。この”クソ野郎”はオーシアンジョークが何たるかを骨の髄まで分かっているらしい。
<ファッキンガイ、黙れ。離陸した瞬間お前を墜すぞ>編隊にさらなる皮肉接近!…ではなく、上から目線の管制塔からのお達しであった。声は連帯責任システムによって4機全員に達せられた。関係の無い残りの2機が些か可愛そうに思える。
[了解。よし、上がるぞ]1番機が3機へ離陸命令をはぐらかす様に言った。彼は少々口が多いが、それを除けば従順で頼りになる軍人だったといえる。4機のF-16は鈍色の一本道を駆け上がるように加速し、各々空へと舞い上がっていく。
なだらかな傾きを描いた空力特性の優れる2つの銀翼が残暑の陽光に照らされ、無味乾燥の空に秀麗な星座を描いた。その星々たちは地上からの指令を受けて、機体を翻して西へと飛んでいった。

2010.Sep.23 PM12:02’ Ceres Ocean ―2010年 9月23日 午後12時43分 セレス海上空

 その海は「平和」そのものであった。しかし、今彼等が下を見やると、平和な海に白い波が立ちつつある。―萌芽。3つ目のF-16、ライアン・ラドウィック少尉の脳裏に浮かんだ二文字である。
4機のF-16は針路を方位2-8‐0を取り、西へ前進。オーシアの防空識別圏を警戒飛行し、そしてノースアイランドへと帰投する予定である。彼らの翼下には2基のAIM-9サイドワインダーが装備され、機銃のM61バルカンが装弾数いっぱいに積まれている。
彼らは管制塔からの指示を受けながら、オーシア領空を抜け、防空識別圏の端へと近づいていく。その時だった。
<コントロールよりスウィートウォーター、レーダーに不明機3機探知>管制塔からの緊急報告に、4人に緊張が走った。静かに耳を傾け、雑音と轟音の最中に潜む声を探る。
[こちらスウィートウォーター、距離は?我々よりどれぐらいだ]<方位2-7-6、距離17マイル。貴君らが一番近い>即答だった。だが、その声は切迫そのものであり、それは鈍感な4番機―ブラッド・ホープ少尉にも感じ取れていた。
ルイスはHUDを一瞥して、管制塔が告げた不明機のいる方位2-7-6を見やった。HUD下のMFDの隣にあるレーダーは、その方向に三つの斑を示していた。全機とも防空識別圏の中にある。通告、および警告射撃が必要となる。
[全機、針路を2-7-6に変更、これより不明機に対する通告を開始する]ルイスが指示を下したやいなや、3機のF-16はまったくの同タイミングで機首をずらし針路を変えた。一足遅れた先頭のルイスもそれに続いた。
<不明機3機、依然健在。…>絶え間なく続いていた管制塔からの通信が止まった。すぐさまルイスが声を出すが、管制塔は静かに、<そんな筈は…>と狼狽の声を漏らすだけだった。
[どういうことなんだ!?もうすぐ不明機とコンタクトしちまうぞ!]たまらずカイルも声を荒げる始末だ。こいつにだけは喋る機会を与えてはならないというのに。
<…スウィートウォーター以下、4機に告ぐ>不明機との接触が残5マイルに迫った時、やっと管制塔から正式の通信が飛び込んできた。その時、HUD正面の遼遠に映る影が垣間見えようとしていた。
<不明機の侵入コース、方位0-9-6。ヘッドオンだ>[ヘッドオンだと!?]すかさずお喋りクソ野郎が素っ頓狂な声で叫んだ。ルイスは無線を塞ぐ不細工な声にイラつきながら、インカムに息を吹き込んだ。
[スウィートウォーター了解。全機いいな。ヘッドオンは避け、フォーメーションそのままだ]確認するかのようにルイスのF-16は機体を振って、編隊はそのまま、不明機と頭打ちで向かい合う。
距離が2マイルを越え、サイドワインダーのシーカーは捕捉を始めていた。それと同時に、HUDのIFFが不明機の識別を開始、情報がHUDに割り込んでくる。不明機の機種はTu-95ベア【熊】であった。
[こちらスウィートウォーター、ボギーに接触。国籍赤国、Tu-95型、爆撃機。これより通告を開始する]ルイスの言葉を端緒にして、4機編隊は一気に散開、ヘッドオンを避けつつ、Tu-95の真横を掠め過ぎって旋回、相対速度を保ちながら戻ってくる。
[アテンション、アテンション。こちらオーシア国防空軍。貴機はオーシア連邦の防空識別圏下にある。すぐさま反転し、識別圏を離脱せよ。繰り返す―]こういう芸当は適材適所であのお喋りカイルに任せれば良い。彼の話術スキルが生きる唯一の機会だ。
だが、再三の通告を受けても、Tu-95はうんともすんともせず、依然オーシアの防空識別圏下にあった。このことの報告に、ルイスも困ったような顔をして、そして管制塔も同じように、困ったように匙を投げることしか出来なかった。
ルイスはやけくそに機銃を発射、警告射撃の火線をTu-95編隊の真横に引くも無視。虚仮にされてるようにしか思えなかった。[こうなりゃ実力行使だぃ、ファッキンガイ、ファイア]今度はお喋りクソ野郎、ルイスに倣って機銃を発射。20ミリの弾丸がTu-95の斜め上を掠めて、虚空へと飛んでいく。
それを見て、3番、4番も続けて機銃を発射。計4つの火線がTu-95を取り囲むように展開、東への針路を塞ぐ形となった。[どうだぃ、これで帰らざるを得なく]<コントロールより全機へ、警告射撃を続行せよ。繰り返す、警告射撃を続行せよ>
カイルの言葉封じはまるで管制塔が意図的にやったようにタイミングがばっちり合っていた。もはや口頭の警告で済まなかった彼の暴走が、このような事態を引き起こしたのであろう。自業自得である。
一方、至って冷静な3番と4番は、新たな敵意の矛先が来るのを予知していた。レーダーに幾つも光点が映し出されている。3番ライアン少尉は爆撃機の第二波かと勘ぐったが、この速度は爆撃機の出せるスピードではない。すると即ち、この爆撃機の護衛にきた戦闘機か。その答えは、他ならぬ管制塔が出した。
<警告、警告。コントロールより全機。方位2-7-6から新たな機。依然国籍は不明である。機へ向けての発砲は許可しない>やはり管制塔も嗅ぎ付いていたか。4番、ブラッド少尉がぽつり言う。ルイスは管制塔の声と、自身の電探を照らし合わせてこの情報に確信を得ると即座反転、アフターバーナー光を閃かせ、新手の4機へと向かう。
[各機散開、降りかかる火の粉は払え]ルイスの声が3人に轟き、即座に独自の翻訳がなされて、改めて脳がその言葉を理解する。”好き勝手やれ、但し、なにがあっても自己責任でな”放任主義の彼らしい訓示であったといえる。
[ファッキンガイ了解。敵の動向を待つ]カイルのF-16が取り付いていたTu-95を離れ、針路を新手にへと変えた。ちょうどその頃、新手の戦闘機と、ルイスがコンタクトポイントに到達。管制塔へ報告を行っていた。[ボギーの第二波とコンタクト。国籍は赤国、ミグの4機]<コントロール、了解>
ルイスは鈍色に塗装された、赤星のMiG-29ファルクラム【燕】の4機に視線を固定させ、バルカンのトリガーに指をかけた。[警告警告。こちらはオーシア連邦国防空軍。貴機はまもなくオーシア領空へ侵入する。即刻針路を変更し、現空域から退去せよ]相変わらず、相手側の返答は無音のままであった。
彼は『ユークの野郎のことだ、言い訳でもなんでもぶっ飛ばしてくるだろう』と内心高をくくっていたが、実際は相手方が何も答えてこないということに不安と苛立ちを覚えていた。なにやら不穏な雲行きに、不安が脳を揺らし、苛立ちがトリガーに指をかけさせる。だが彼は一方で至って冷静であった。理性はまだ失ってはいなかったのだ。
<スウィートウォーター、不明機からの返答は無いか>これにはさすがの管制塔も不審に思ったのか、ルイスに直接話しかけてきた。ルイスはそれにただただ首を振って[ネガティブ]と答えるばかりであった。
[ユークの野郎は何を考えてんだ、このままじゃ本当に撃っちゃうぞ]ルイスと合流したカイルが開口一番に言う。さすがにこのユーク機、何かがおかしい。するとその時、1機のファルクラムが反転、ルイス機へ再接近を仕掛けてきた。
ざっと見て距離2000ヤード、ヘッドオン。茫然とするルイスを尻目にファルクラムはエンジンナズルに熱を溜め、最大出力で迫ってきている。管制塔が不審がって、ルイスに警鐘を鳴らす。その時だった。
[撃ちやがった!]カイルの視界には、R-73アーチャー【弓矢】を撃ち放って、すぐさま反転、退避行動を取るファルクラムの姿がくっきりと映っていた。そしてその視線はアーチャーの弾頭に釘付けとなり、その矛先は…
<スウィートウォーター被弾!>[ぐぅっ!]ルイスの躰と機体に猛烈な衝撃が襲い掛かった。ルイスは分かっていた。空を這うように進むアーチャーの矛先が自分に向いていたことを。そしてそれを見た瞬間、自分が回避行動を取れなくなっていたことを。
ファルクラムの放ったアーチャーはルイス機のインテークへと突進、推力と航行システムのすべてを失った機体は力なく黒煙を上げ、海上へと墜ちていく。管制塔とカイルが叫び声をあげてルイスの応答を求めたが、その願いは叶うはずも無く。ただ海上には、着水し、沈み行くF-16の残骸が浮かんでいるだけであった。
もはやそこにフライトリーダーのルイスの姿は無く、ただの亡骸となって海に浮かんでいた。[あぁ・・・・]唖然とその残骸を見つめるカイル。その時、影から迫る射手が自分を狙っていると知らずに。

2010.Sep.23 PM14:47'  NorthIsland Base ―2010年 9月23日 午後2時47分 ノースアイランド基地
 「―おかしいな」
すでに戦闘機がこの飛行場を飛び立ってから時計の針はゆうに三回は廻っていた。これは素人でも分かる。ただのスクランブル発進ごときに3時間も掛かるはずが無い。よろい戸の隙間から管制塔を覗く。すると窓の向こうには塔のてっぺんで慌てふためく幾人もの人影が見て取れた。
『こうしちゃいられない!』俺はわざとらしげに厚手の黒いスーツを羽織ると、まるで敏腕記者であるかのように応接間を飛び出した。むっとした熱気が部屋を出た途端に襲い、俺の体力を蝕んでいくが今はそんな場合ではない。すぐに管制塔に殴りこみだ。俺は”報道班員”なのだからな。
多数の職員達が行交う渡り廊下を練り歩いて、やっと管制塔へ続く階段の踊り場へとたどり着いた。ここからあそこまではかなりの段数がある。正直、俺の体力はもう限界だった。へばりつくように、階段を一歩一歩上っていくと、遥か上から階段を下る軍靴の音が聞こえた。『これはチャンスだ』
俺は敏腕記者の如くにやりとほくそ笑むと、ジャケットの胸ポケットから赤い表紙の手帳を取り出すと、軍靴の音が近づいてくるのを待った。こつ、こつ。未だ遠いが、その音は確実に俺に近づきつつある。
「どうされたのです?」上から、と思いきや下からの声だった。内心ヒヤリとしたものを抱えながら振り向くと、そこには初老の、口に髭をたくわえた軍服の男が、にこやかな顔つきで俺に話しかけてきたのだった。
胸に光るリボンバーと、肩の階級章が煌びやかに、蒸し暑い室内に光る。そう、このお方こそが、この基地の長。ドナルド・カークランド大佐である。
「いえ、あの」まさか基地司令官が一介の新聞記者ごときに話を仕掛けてくるなんて、―いや、こんな辺鄙な場所に民間人らしき人物がいたら、声をかけるのは当然か。どうやら俺は熱でぼんやりとしているらしい脳回路をフル稼働させ、自分が抱いた疑問をぶつけてみた。
それに彼は「うーむ」と唸ったものの、すぐさま別室を用意してくれ、案内してくれた。いやはや、話の分かる男である。
別室―基地司令官室は冷房の冷たく乾いた風が、汗の水分を気化熱で持っていった。そんなことはさておき、あたりを見回してみる。まさか、とは思っていたが、別室で基地司令の自室に御呼ばれになるなんて、と。本当に恐縮である。
司令の誘導通り、長ソファに腰掛ける。うむ、合成革ではない。それから司令はお付の方に、なにか冷たいものを、と言い、私のほうを振り向いて「少々お待ちください、すぐさま冷たいものを持ってこさせますので」とおっしゃった。本当に畏れ入る。
ぎこちない「はい」の返事を繰り返し、それがひと段落すると、私はふたたび、辺りを観察し始めた。高価な調度品の無い部屋。あるのは大きなデスクと、俺が座っている来賓用の長ソファセットだけ。嫌に小ざっぱりとしているなぁ、と俺は思った。
一般大衆が思う基地司令のイメージは、高価な調度品に囲まれて、日々冷房の行き届いた室内でお付きの人とアヴァンチュールな展開になるというものと相場は決まっている。だが、彼の部屋はそんなアヴァンチュールの欠片も感じぬ、ただただ無粋というか、殺風景というか―。
「はは、よく言われますよ。この部屋は殺風景だとね」心を読まれた。いや、あんな挙動不審な動きを見ていれば分かるのは当然か。俺は『恥ずかしながら』と最初に付け加えて、胸中で思ったすべてを彼へとぶつけた。無論返答には期待しない。おそらくは軍の最高機密に匹敵するほどの出来事だ、一介のブン屋に教えてくれることなどないだろう。
しかし、彼は一回だけ頷いて、あっさりとこの異変のすべてを話してくれた。「昼過ぎ・・・当基地からスクランブル発進した4機の戦闘機が行方をくらましました。事故か、と思ったのですが、彼らの無線記録にユーク軍機との接触、との報告が入っていたのです」
「なんだって!」気がつけば俺は素っ頓狂な声を上げ、ソファから立ち上がっていた。消息を絶った4機の戦闘機。通信記録にはユーク軍機と接触。これらが導き出す答え、それはユーク軍機によって墜落したという、信じられない事実だった。しかしユークも分かっているはずだ。そんなマネをしてみろ、そうなれば・・・

「超大国間の全面戦争じゃないか!」

ACECOMBAT5 ―総力中枢のトータルウォー

「牛鬼蛇神のアヒルの子」

 10月5日、午前7時半。久々の快眠だった俺を妨げたのは、上空からどよめくジェットエンジンの唸り声だった。『なんだぁ・・・』と滑走路を望む窓の紗幕をかき分け、窓の外を眺める。そこには、1機の輸送機が鈍重な躰を滑走路に滑らせている真っ最中だった。
『ん・・・』と寝ぼけで言葉にもならない声を上げつつ、今日の予定が書かれたコピー紙を眼に通す。・・・そうだった!今日は彼らが来る日なんだった!
すぐさま襟のくたびれたシャツとスーツを着込み、自室としている兵舎の一室を飛び出した。無論、じいさんの形見の一眼レフも忘れない。・・・おっと。手帳を忘れた。記者である手前、モンブランの万年筆と赤革の手帳は必需品なのだ。
 兵舎を出た俺はまず、滑走路に我が物顔で座り込む輸送機にフレームを合わせた。そして一枚ぱちり。次に、ソイツのケツから出る荷物と、それを運ぶ若い男どもをぱちり。これが今日の主役というやつらだろう。すかさずもう一枚。その中の一人と眼が合った。少し会釈をしてぱちり!

 10月5日、午前7時29分13秒。ハイエルラークから差し向けられた十数人の雛たちは、着陸の震動に眠気を吹き飛ばされた。轟音をあげて速度を墜していく機に、雛達は『到着した』のだと、まるで屠殺を待つ家畜の如く、皆震えだした。
そんな中、ある一人の少尉の階級章を持つひよっこの男がいた。新品のフライトジャケットには各々の刺繍が施されており、この男の名も例に漏れない。名はスタンリー・マッコーキンデールと言う。士官学校では、クラスメイトからよく名前のことでからかわれた、といって、今でも少しコンプレックスを持っている23歳の青年であった。
その横、イーノス・バース少尉は、周りの男どもが不安に戦いているにもかかわらず、暢気にも早くここから飛び出したい気分だった。だが、鉄の扉は一向に開く気配がない。暇をもてあました彼は、名も知らぬ横の男へと話しかけた。
「よう、お前はどこからだ?」イーノスに話しかけられて、少々嫌そうな顔をして振り返る男。その男とは、前述のスタンリーだった。「お前と同じハイエルラークだよ」素っ気無い態度で言い捨てると、奴は鈍感なのか、声色など気にしない、という顔で機関銃のように言葉を連続発射した。それにスタンリーは心から嫌そうな顔をした。
「おいおい、今からそんな顔してたら、戦争が終わる頃にはムンクの叫びになるぜ」クリントの背後から声。イーノスがにょき、と首を出して声の主を探ると、無精ひげを生やした34、5くらいの中年男に視線が定まった。向かいの列の5番目であった。
「これから始まる生活は地獄だ。毎日のようにスクランブルが来るだろうよ」まるで悟ったかのような、冷静で渋い声と不摂生な髭。おそらく二人と同期なのだろうが、どうも親父臭いのだ。それはスタンリーも同じだった。思わずその疑念を彼へとぶつけてみる。
「アンタは俺らと同じなのか?微妙にオッサンくせえぞ」中年男は喉をかすれさせて下品な笑いを上げた。「よく言われる。実は今年で23歳だ」―まさかな。引きつった笑みを浮かべるスタンリーとイーノス。それを中年男―チャック・オーウェンはかすれた声で、もう一度笑った。
 軍隊というものは時に過酷である。年功序列というものも、それに同じく過酷なものである。この基地に着任したばかりの文字通りひよっこである彼らは少々無理を強いられるのが世の常だ。現に今、着任したばかりだというのに、乗ってきた輸送機の荷物の積み下ろしを手伝わされているのだ。
「おいおい、マッコーキンデール、あっこ見てみろよ」だが中には無駄口を叩くものもいる。特にスタンリーの両隣にいる奴ら2名。イーノスとチャックはスタンリーを絶好の”カモ”と見たらしく、さっきからずっと彼に付きっ切りで言葉の波状攻撃を仕掛けていた。
それにスタンリーはあんぐりと口を開け、ほとほと困ったような顔で自分の仕事をただただ片付けていった。
 配属初日、新入りはやるべき仕事が多い。~式だとかなんとかで、一日の殆どを公に持っていかれる。その後は自分の住む兵舎や自分の物の整理。自由時間など軍隊生活に一秒たりともない。夜、ようやく今日の仕事を終え、へとへとになった彼らを迎えたのは新歓のパーティだった。
キンキンに冷えたビールを喉に通し、ローストビーフの塊を奪い合う。ひよっこたちに訪れた、安堵のとき。皆当初の緊張感はどこへやらで、テーブルを囲んで談笑する声もちらほら聞こえている。対して士官達と食事を共にしていたロバートは、滾るジャーナリスト魂に欲望を持っていかれ、グレイビーソースの具すら喉を通らなくなっていた。
早く彼らをファインダーにおさめたい、話を聞いてみたいと、自分の中に眠る記者としての使命がそうさせていた。だが結局、話を聞くことは明日へ持ち越しになってしまった。

 翌日。また俺は昨日と同じ夢を見ているらしい。これは所謂明晰夢という奴なのだろうか。変に現実感があって、ちゃんと自我がある。あれ?
硬いベッドから上体を起こし窓に視線を移すと、紗幕が小刻みに震動をしている。まるで昨日と同じようだった。そう、まるで昨日を繰り返しているような。しぶしぶと俺は窓を開け、晩秋のひんやりとして空気を楽しんでいると、一際大きな轟音が上空を独占した。
見上げてみると、そこには青空に浮かぶ塵の様な点々が、不器用ながら編隊を組んでいた。そこから少しの間意識が飛んだかと思えば、気がつくとその様子をフィルムに収めていた。

 午前7時57分。その時ひよっこ達は地上から遥か離れた上空にいた。編隊の先導をする隊長機に列をなして、ぎこちない操縦でその後を追う。まるで親鳥を一心不乱に追い続けるひな鳥のようだった。
[こちらルプス。どうだ貴様ら、早朝フライトもいいもんだろう]
編隊長機のF-20 タイガーシャークのコックピットで、親鳥の使命を任せられたブラッドリー・プレスリー中尉がひな鳥たちに言った。彼はこのノースアイランドでも古株の一人で、かつては15年前の戦争に従軍していた、基地のベテランパイロットである。
今ではその現役時代の風貌もどこへやら、基地でもっぱら新人達に手厳しい指導で卓越した技術を叩き込む、熟練の教官の顔に様変わりしていた。今ではこの基地に来る新入りたちの教育は彼の仕事になっている。
[いいかお前ら、40秒後にブレイクだ。2から4は俺が、6から8は5番、お前だ]プレスリーが真後ろの5番機に白羽の矢を放った。その5番機、スタンリーは無線から聞こえた隊長機の声に『えっ』と反応を漏らした。
「じ、自分でありますか」吃音ってうまく言葉が出ない。しかしプレスリーはそんなことお構いなしに飛行指令を叩き込む。スタンリーがあわあわとしている間に、編隊はブレイクの時間である40秒後を間近に控えていた。
[スティックを右に倒すだけだ。味方にぶつかるんじゃないぞ。そら、ブレイク!]
プレスリー機以下4機が左へ進路をとり、鋭角な弧を描いてブレイクした。スタンリーはその機動を見て、機体を右に反転、そのまま操縦桿を強く引き込んでブレイク。それはまるで初飛行とは思えない、綺麗なブレイクであった。
[5番!やればできるじゃないか]称賛するプレスリー。彼は決して何にでも叱りつける鬼教官などではなく、部下がそれ相応の働きをすればちゃんと褒める”人道的”な教官であった。それゆえに、この基地を去ったパイロット達は今でも恩師として彼を慕うという。
「あ、ありがとうございます!」士官学校に入ってから褒められるというのは滅多にないことだ。それに、飛行訓練中の教官機に操縦のことで賞賛されるなどどんなエースパイロットであっても稀であろう。それをスタンリーは、着任二日目で師から感心を示されたのである。
[5番、お前は格上げだ。今日から、この分隊を二つに分ける。第一分隊は俺、第二分隊は5番、貴様に任せる。名前は!]「は、は!スタンリー・マッコーキンデールであります!」咄嗟に出た、自分が忌み嫌う名前。スタンリーはプレスリーに弄られるのを覚悟していたが、目の前の老師はそんな子供じみたことを言うはずもなく、
ただただ理解の言を放つだけであった。
[良かったなスタンリー]突如、6番の機が横に着いて喋りだした。スタンリーはそれに不快感を露にしようとしたが、いつになく機嫌がいい。少しは話も聞いてやろうかという気分になった。
[初日にお前とつるんだ俺も鼻が高い。これからはお前のサポートに入る]「了解した。イーノスだっけか、これからよろしく」それを聞くと横に着いた男は、ぐっとサムズアップで答えた。
<警報!複数の国籍不明機、当基地の防空識別圏に侵入>刹那、管制塔からの緊急通信が飛び入りで舞い込んできた。すぐさまプレスリーは編隊を組みなおさせ、管制塔に情報を乞うた。
[こちらルプス、不明編隊のコースと高度を教えよ]<方位2-8-4、高度24000>手馴れたスクランブルの対応。管制塔は即座にパイロットへと情報を伝え、パイロットはそれを聞きすぐさま実行に移す。これまで何回繰り返されてきただろうか。
しかし、彼らには”マンネリ感”というものが存在せず、ただただ課せられた任務を真剣にこなしている。少なくとも、タイガーのコックピットに座るひよっこたちの目にはそう映っていた。
[お前ら避退するぞ。管制塔、スクランブル発進の隊は]プレスリーが地上へ向け吠えたが、返答がない。すなわち―プレスリーに戦慄が走る。
<稼動機が足りないんだ。現在サンド島に救援を要請している。諸君らは安全な空域へ退避せよ>それは彼の精一杯の強がりだった。障害の無くなった敵機は、この基地、そして街に無差別に攻撃をするだろう。その様子を黙ってみていろというのか。
[馬鹿野郎!街が燃やされるのを黙ってみていろってか!]猛るプレスリー。彼が激高するのも無理は無い。しかし、管制塔は自分が犠牲になることを覚悟して言っていることに気がついていた。葛藤する裏と表、それが表情に現れて影を落とす。
<これ以上稼動機を失いたくない。ましてや乗っているのは将来有望なひよっこ達だ、なおさら―>[自分が何を言ってるのか分かってるのか!]怒号によって会話が途切れる。そして、激高の先導機は機種をぐっと反転させて、管制塔の言った不明編隊の方角へとアフターバーナー光を閃かせ向かった。
[どうする]「どうするたって・・・」[着いていくのか]親鳥の離脱に動揺を隠せない小鳥達。だがそんな中―親に認められた一匹の雛が、2羽の兄弟を連れて親の元へと飛び出した。
「ダック5から8、着いていきます」それはスタンリーとイーノス、そしてチャックの三人だった。彼らは各々が出せる最大速度でプレスリーの元へ寄り、左右に展開。フィンガーチップ編隊を形成した。
[こちらルプス、了解した。・・・へっ、お前らは絶対に守る。いいな]雑音交じりの通信機越しにも感じられる。プレスリーは感極まっているのだろう、いつものかすれ声が湿気を帯びていた。
スタンリーたちはそれを黙って聞き入れ、きっと視線を尖らせる。―接敵まであと4マイル。HUDの下のレーダーには幽かに光点が見え始めていた。
 高度2万5千の高空。冷たい大気を切り裂いて飛翔するプレスリーたちの前に不明機とみられる不審な機影が姿を見せた。1マイルを切り始めたところで翼端パイロンに装備されたサイドワインダーが捕捉を始め、同時にIFFも起動。解析の結果がHUDに表示される。
[ベアの野郎か。基本無防備な爆撃機、直掩機の姿も無い。自ら死にに来たのか]プレスリーが不明機もといTu-95 ベアの編隊を一瞥して、神妙な面持ちで言った。確かに彼の言うとおりだ。尾部ターレットに機銃砲座を装備しているとはいえ、直掩機無しでは的同然の重爆撃機編隊。自殺行為ともとれるこの行いに疑いを持つのも不思議ではない。
囮、とも考えられるが、それでも貴重品の重爆を持ち出してくることは考えがたい。ユークは何を考えているのか、プレスリーは奴等の頭の中をのぞいてみたくなった。
[もしかしたらステルス機、とか]チャックが進言したがプレスリーはそれを一蹴した。たとえレーダーに映らぬステルスとはいえ、この距離ではそのステルスも意味を持たないのである。それにステルス機がたとえ直掩にいたとしても、それならばAWACSとのデータリンクによって数百キロの距離からミサイルを撃ち込んでくるはずである。
そもそも現在ユークにはステルス性を持った機自体が公表されておらず、それを前提としてステルス機を存在させることなど荒唐無稽だ。
「隊長、本当に発砲してもいいんでしょうか」スタンリーがおどおどとした口調で告げる。彼は優れた技量を持つとはいえ、訓練でしか銃器を持ったことの無い素人同然だ。それを初飛行で撃て、などとはさすがにプレスリーとて言えるはずも無く。お茶を濁すプレスリーに、右翼の端、お調子者のイーノスが能天気にもこう言ってみせた。
[こちらバース、自分は撃てます!]彼の無神経な発言はプレスリーの目に止まった。『やれるものならやってみな』―その返答にイーノスは顔を顰めた。
[ほれ見ろ。お前らはただ見ていればいい。まだ人様に向けて銃を撃つなんざ200年早い]それは彼なりの優しさだったに違いなかった。しかし今のスタンリーたちには、それが自分らを押さえつける足かせにしか思えなかった。だから―『ダック8、交戦!』1機が編隊を離れて飛び出す。それはスタンリーの機だった。
突然の盲進に呆気に取られるひよっこ。だが、まるでそのことを分かっていたかのような冷静さで、プレスリーはすぐさま無線機に向け大声で吠え出した。[ようし針路そのままだ、行け!]それにビクつくスタンリー。プレスリーには一番分かっていた。発砲する覚悟も無く突撃したスタンリーの心情を。
無限にも思える広大な空に一人ぽっちの四面楚歌。彼が15年前の戦争で味わった苦い記憶。あのときもそう、今目の前に突貫する若人の如く、アフターバーナー全開空域に突っ込んでいった。プレスリーも昔は血が滾る情熱の若者であったのだ。
だからスタンリーのことはよく分かっていた。そして15年前自分が経験した厳しい現実を、ひよっこたちに知らしめるために、わざと雛を手放したのだ。『獅子の子落とし』―若い子に試練を積ませ、その才能を試し、大空の厳しさをその身で知る。
ひとつ間違えれば命をも落とすこの空、危険と隣り合わせなのはプレスリー自身でも自覚は出来ていた。だからすぐさま無線機に向かって吠えたのだ。
「ロックオンした」震える声。高まる震動、自然とトリガーに指がかかる。その瞬間、一筋の飛弾が真横を掠めよぎった。前方に視界を戻すとそこには炎を上げて墜落するTu-95の機体。はっとスタンリーが後ろを振り向くと、そこには翼端パイロンに弾頭の無い、プレスリーのF-20があった。
[敵爆撃機1機撃墜]管制塔に向け吠える隊長。重荷を外され、肩で息をするスタンリー。その瞬間、隊長機が人の仮面を被った悪魔のように見えた。―『人を殺したんだ、今』自分が手を下したというわけではないというのに、手の震えが止まらない。
幸いオートパイロットのお陰で飛行には支障は無かったが、このままでは一直線にセレス海を横断するハメになる。なんとか震えを止めて、反転せねばと、プレスリーは戦慄する感情を宥めようと、脳裏で一生懸命気丈を振舞った。
<了解。敵爆撃機の撃墜を確認した>管制塔から撃墜確認の報が入った。間髪着かずに次の声が無線を独占する。[敵、針路を変えた、反転した!反転!]イーノスの声だった。声色は初めての実践に困惑と動転しているらしく、妙に上ずっていた。
[落ち着け!お前らは見ているだけでいい!]さすがのプレスリーも大声で怒鳴る。その間にも敵爆撃機は機首を反転させ、今来た航路を引き返そうとしていた。だが、それをプレスリーが見逃すはずも無く。―『また撃った』隊長機の次なる発砲。左翼翼端パイロンから放たれたサイドワインダー空対空ミサイルは確実に目標を貫き、目標ごと爆散した。
[ルプスより管制塔、これより追撃に移る。お前らも着いて来い]機体を振って追従を促すプレスリー機。無論従わない訳は無い。なんとかスタンリーの手も平然を取り戻したようで、しかとした手つきで操縦桿を握ると加速、先行の3機に追随する機動を取った。
<待て、方位2-8-0から新たに高速で進入する機影、5つ捕捉>管制塔が新たな敵機侵入を告げる。電探上に浮かぶ光点は凄まじいスピードでプレスリーたち、いや爆撃機の元へ向かっていた。[戦闘機か。こちらでもコンタクトした]眼はパイロットの資本である。とっくの昔にプレスリーは増援機の機影を視界に収めていた。
プレスリーはすぐさま機首を反転、スタンリーたちに避退を命令した。『あの数はさすがの俺でも捌けん。各機避退するぞ』機首を上げて、4機の編隊は不明編隊のコースを外れた。その最中、スタンリーが爆撃機の方向を見やると、増援の直掩機と合流し、機体を反転させて撤退していくのが見えた。
[海を越えて出張るとはなんとも神妙な護衛機だ。管制塔、敵爆撃機とその直掩機、方位280へ引き返していく]<こちら管制塔、了解。よくやってくれた>管制塔の声が途切れたその刹那、レーダー上の敵性反応が消えた。―『終わった』。帰投する編隊の中でスタンリーは静かに呟いた。
 藍色の空に浮かぶ、暖かな誘導灯の光が、疲弊した4つの翼を癒すかの如く、明々と輝いていた。各機着陸決心高度を経て、ノースアイランドの滑走路に滑り込む。エアブレーキの稼動音が止んだ時、彼らの初陣は終わった。

「飛兎竜文のアクトグラム」

 10月19日。もはやあの華々しい凱旋は二週間も前の出来事だったのだと、俺はつくづく時間の速さを思い知らされる。それはさておき、俺もこの基地で彼らと寝食を共にし始めて早一ヶ月が経とうとしている。
断言しよう。朝っぱらの耳障りな喧噪は慣れる。初日から数日はほとんど眠れない日々が続いたが、一週間を過ぎると何も感じなくなり、今ではそれを目覚まし代わりに利用している自分がいる。ほとほと、人間という生物の適応力の高さには驚かされるものだ。
身支度を整えて食堂へ向かう。もう既に兵達の食事は終わったようで、中は閑散としていた。隅っこの一席に腰掛けて、一息つく。30を過ぎると一休みを入れないと身体が動いてくれない。20代の頃が懐かしいというか、恨めしい。あの体力に満ち満ちた情熱、それはもうどうやっても戻っては来ないのだから。
『よし』と掛け声を上げて席を立ち、遅刻気味な朝食を摂る。戦時中とはいえなかなかバランスの取れた献立ではないかと俺はシェフに言った。するとシェフは、『これ、仕出しのものをガワだけ移し変えてるだけなんですよ』と。がっかり。
 食事を終えると、早速カメラ片手に基地へと繰り出した。基地という施設は一日たりとも暇な日は無い。増して戦時中である。どっぷり腹を蓄えた輸送機が飛来してきたり、スクランブル発進の訓練をしたりと、毎日激務を過ごしている。
やはり俺も一般人とてその生活に慣れるもので、先日初めての健康診断で初めて70キロの大台を割った。もうこれでゼロカロリーのコーラを飲まなくて済むぞ!
すると、上空からなにやらエンジンのどよめく声が聞こえてきた。上空を見やる。機影を見つけた。大きな飛行機がひとつと、金魚の糞のようにそれに追随する4つの影。大きいのは輸送機だと素人目の俺にもわかる。だがその後ろの機影がよくわからない。
俺がよく目を凝らしていると、背後から聞きなれた声が耳たぶをノックした。308整備中隊のギーリング・サコ兵曹長だった。これは話が早い。『あの機体は何なのだ』と問うと、彼は毛髪の乏しい頭を光らせ即答した。
「あれは彼らに与えられた新しい機体だよ。さすがにタイガーじゃ、この戦争は戦えないからね。大統領からのささやかな贈り物、てところかな」「はぁ・・・」相変わらずサコっさんの例え話は難解だ。俺の口からは生返事しか出やしない。
華麗な三点着陸でタッチダウンする戦闘機。サコっさんが言うにはレガシーホーナットとか言うらしい。ナットとかネジとかボルトとか、戦闘機の名前に関してはちんぷんかんぷんだ。

 基地内のある一室。そこに先日初陣を終えた新人パイロット達がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。ブリーフィングである。オーシア軍のブリーフィング形態はデータベース GASAから送付される音声データと座標データに基づいてブリーフィングがなされる。
それに加えて、現場指揮官である編隊長が直々に指令を下して、ブリーフィングは終了となる。今日の予定もそれに漏れず、滞りなくブリーフィングは終了した。おそらくこれは編隊長の性格によって、時間が変動するものと思われる。
「おい、おいってば!」「なんだよ」イーノスがスタンリーに会話を一方的に始めた。先日からイーノスはスタンリー、チャックとつるみ始めた。偶然なのか相部屋ともあって、3人の仲は少しずつだが、縮まっているように思える。
とはいえ、未だ距離を置こうとするスタンリー。彼は無思慮なまでに突っ込んでくるイーノスに、内心腹を立てていた。
「見たかよあの機体!あれが俺らの機体になるんだぜ」イーノスの言葉のトリガーによって、スタンリーはブリーフィングの内容を思い返す。
まずは先日の管制塔の命令を無視した行動等の処罰通告。そして、敵爆撃機撃墜の戦果を上げたことへの昇格辞令。すなわち彼らは、命令無視によって降格させられて、そして戦果を上げたことにより、一階級昇格したのである。つまりは階級そのまま。
この経緯を実行するのに多大な時間と困惑を要した。まずはパイロット資格の剥奪をしてから云々~と、言葉にすれば文に収まりきれるかどうか些か不安なほど。それはさておき、後者の戦果獲得によって、彼らに贈り物が届けられた。それが先ほどイーノスが発した『あの機体』というものである。
スタンリー達4人は渡り廊下を練り歩いて、格納庫へ到着すると、そこには制空迷彩に彩られた新型機―若干傾斜した垂直尾翼、大きなストレーキ。そして空母での運用を主眼とした、多目的戦闘を可能にするアビオニクスと機体の意匠。F/A-18C ホーネットの機影が、目前に広がっていた。
これが彼らに授けられた新たな力。そしてその為に、彼らはこの機に乗って、機種転換の実践訓練に繰り出した。
 爽秋の候、秋風吹くノースアイランドの一本道にタキシングする、戦闘機4機。管制塔に届く無線の声も、なんだか浮き浮きとしていた。1番機のプレスリーが上機嫌な声で、僚機に向け吠える。
[飛行初日だ、初日で機体を壊すんじゃねえぞ]簡単な動作チェックを済ませ、4機のF/A-18C ホーネットは加速を始める。リヒート光閃かせ、轟々とエンジンの音が呻る。ぐんぐんと加速していき、速度は180ノットを越えて、安全離陸速度に到達。操縦桿を強く引いて、身体に強い衝撃が走ったと思うと、全身から重力の感覚が消えていた。
[こちらルプス、全機上がったな]上空へ上がった開口一番、プレスリーが点呼を取るような口調で言い放った。[ダック・・・いや、シグナス2から4、全機上がりました]2番機の称号を与えられたチャックが代表して返答した。
彼らは先日までの”アヒル”の部隊章をスーツに貼り付けてはいない。その代わり、はくちょう座の星座線を模った部隊章を身に着けている。本日のブリーフィングに先立って、晴れて彼らはオーシア空軍の正規部隊”シグナス隊”として任命され、オーシアの空を守る戦士となったのである。
[声だけは一丁前な奴等だ。だが―]プレスリーが言葉を溜めて、『―まさか、俺がまた前線に戻るとは思わなかったな』そして吐き出した。シグナス隊の創設による話で一番驚いていたのは何しろ彼だった。御年45にもなる中年の男が、一個飛行隊の長を任されるなど、近年若年化が進むオーシア軍では考えられないことだったからである。
その話を先任士官から聞いた際、彼は年齢的な理由で辞退しようとしたが、飛び入りで入ってきた基地指令の鶴の一声によって、それを撤回させられた。ここ数日でも心労の耐えぬこの若造どもと長く暮らす破目になる。プレスリーはそれを考えただけでベイルアウトしそうになった。
[自分もです。15年前の戦争から飛んできた熟練の隊長と飛べて、本当に光栄です]お調子者ポジションの3番機、イーノスが心にもないことを言う。それにプレスリーはカラカラと笑って、[過労死で死んじまうかもなあ]と、大層に言った。
<シグナス隊私語をやめろ。防空無線に筒抜けだ、私語を慎め。いいな>管制塔の横槍が入る。それにイーノスはケラケラと笑って、『了ー解』と軽い返答。無論それを赦す管制塔でもなく、自分の今言った言葉を忘れオープン回線筒抜けで地上対空の論舌戦を始めた。
『これを防空無線マニアが聞いたらどう思うのだろう』と、最後尾の4番、スタンリーが静かに笑う。4機とプラス1人は訓練という大事な任務を忘れて、皆雑談と笑いに耽っていた。

 敵襲!その時スタンリー達は雲上にいた。雲海を真下に飛ぶ昼の空は格別なもので、平和な時代に飛べばなんと楽しかろうと誰もが思うだろう。だが今は”いつもの方位”から来るとされる敵機とHUD、そして眼下のレーダー反応に全神経を持っていかれていた。
<こちらコントロール、不明機編隊は方位2-8-0でADIZに進入中>[またいつもの方角かぃ。まったく奴等は面白みが無いねえ]方位2-8-0を凝視しながらイーノスが口走る。無論いろんな方角から敵機が来たらそれはそれで溜まった物ではない。まだ来る方角が限定されているから、ちゃんと防空対策を取る事ができるのである。
[ルプス了解。シグナス2はとっととその口を閉じてろ!]隊長機から雷が落ちる。だがイーノスはそれにも動じず、[あー、自分でありますか?次からは自分のことは”サドル”と呼んでください、オーバー]とまで言った。『とんでもない軽口野郎だ』と、チャックが笑って言う。
「こちらシグナス4、TACネームデネブ。レーダー上の敵影に動き]そんな中で、唯一つ真面目に仕事をしているのはスタンリーだけだった。彼の言うとおり、電探上の光点は不自然に変則的な動きを見せており、それを感じ取った彼は、独自に管制塔に観測を依頼した。管制塔は断るはずも無く、刻一刻と動きを見せる敵編隊の動きを逐次報告し始めた。
<不明機編隊のコース、2-9-5に変更。ソロ島方面に向かうと思われる>管制塔と電探の情報を参照し、操縦桿を傾ける。すると機体はゆっくりと傾いていき、大きくぐるっと旋回したかと思うと最加速。スタンリーのホーネットは編隊からはぐれて、独断で敵編隊の方へと向かっていく。
[シグナス4、この方角で確かか。レーダーの全てが正しいって訳じゃない]プレスリーの機が接触を仕掛けてきた。基地からのレーダーとこの機体のレーダーを参照して座標を求めだす。この位置座標データは正しいはずだ。スタンリーは電探上の情報に大きな自信を持っていた。しかし、それは反面机上の理論でもあった。
電波の反射などで正確な位置が知れたらどんなにすばらしいか。そんなフィクションに出てくるレーダーを開発するとなれば後数十年は掛かるだろう。現実、レーダー索敵というものは実にあやふやなもので、大雑把な位置情報しか分からない。ましてやステルス性能を持ちレーダーをかく乱する機体も実戦配備に向けびゅんびゅん飛んでいる。
もはやこれからの時代、レーダーを頼らなくなり、20世紀初頭の近距離目視戦闘が主流になるやもしれない。そうなれば生きてくるのは眼なのだ。パイロットに求められることは身体の丈夫さと眼の良さ、そして頭の良さ。たとえ如何に頭が切れようとも、敵を目視できなければ撃墜されるのである。空は学校の試験などではない。
[レーダーを信じすぎるのも良いが、ちゃんとよく味わってから飲み込め。与えられる餌を鵜呑みにしてちゃただの家畜だ]―実戦経験を詰んだ人は言うことが違うな。スタンリーは変に納得した態度で頷いた。与えられた情報はよく吟味し、選んで嚥下することを覚えなければならない。そうしなければ最悪生死にかかわることもありうるのだ。
<管制塔よりシグナス1。方位2-8-0より新たな敵機。高速で進入する機影多数。警戒せよ>鵜呑みにしてはいけないと言ったが、この空の上では情報こそが命を繋ぐ。プレスリーはそのことも分かっていた。俯瞰してレーダーを一瞥すると一閃、機体を翻して編隊からはぐれると反転。一転して哨戒に向かった。
[シグナス2は俺の後ろにつけ、編隊を二つに分ける。ブービー!お前にその敵は任せた!]どん尻ことスタンリーに敵編隊第一波を任せて、プレスリーはチャックを連れて第二波へとアフターバーナー光閃かせて向かった。彼らの離脱を確認したスタンリーとイーノスは連絡を取りながら敵編隊に接近。管制塔から飛び込んできた交戦許可の免罪符を手に取り思うままにトリガーを引いた。
[えーとシグナス3、フォックス2!でいいんだよな。あれ1か?3?どっちだ!]この期に及んで攻撃の符丁などどうでもよいだろうに、イーノスは放たれたミサイルの行方を心配した。だがその心配はすぐ無用の不安と化した。攻撃の数秒後、HUD上のコンテナと、電探上の光点が同時に爆光と共に消滅したのである。そして空には二筋の薄煙。それはまっすぐに爆光のもとへと向かっていた。
「やった・・・」爆光が閃いた瞬間、撃墜の感覚が脳へと押寄せてくる。その快感にスタンリーは脳漿を震わせて、身を捩じらせるが、すぐさま不愉快な機械音によって現実へと引き戻される。[スタンリー、後ろ!]すかさずイーノスがスタンリーのフォローに入る。敵機との直線上の距離、おおよそ900ヤード。あともう少しエンジンをふかせばサイドワインダーのシーカーに収まる。2機目の撃墜を前に、イーノスははやる気持ちを抑えて一生懸命にスティックを握っていた。
[おい!]突如として上空からの声。その刹那、二人の頭上に一本の矢が落ちて来た。符丁無しで射られたその矢はイーノスやスタンリーが装備するものではなく、ましてやユークの使用するR-73 アーチャーの弾頭でもない。追われる身であるスタンリーが眼下のレーダーを見やる。するとそこには、新しい光点の蒼が瞬いていた。[隊長機!]後ろのイーノスがそう口走る。そんな馬鹿な。隊長は3000向こうの空で飛んでいるはずだ―半信半疑のまま、スタンリーは操縦桿を振ってそこにいるはずの敵機を振りほどくと、すばやく後方を向く。
するとそこには、炎上する黒い影と、それを眼下に悠々と飛ぶプレスリーのホーネットの姿があった。「なぜです」寄ってくる隊長に向け開口一番にスタンリーが静かに怒鳴る。「隊長は2番機と編隊を組んでいたはずです。それがなぜ」[あのなぁ]堅苦しいスタンリーの物言いに痺れを切らしたのか、後ろからイーノスがさっきの声を掻き消すように怒鳴った。
[隊長さんは俺達、いやお前の身を案じて救援に来てくれたんだ。助けて貰った癖に感謝もせずただ不平不満をぶちまける。いい加減にしろっての!]イーノスが怒るのも御もっともな話である。だが彼に怒れるほどの立場や、今までの功績があるのかというと、残念ながらそうではない。
「うるさいな、お前がただぼけっと突っ立ってたから隊長が来るハメに」[もういい!]御託はたくさんだ―とプレスリーが二人の口論を強制的にストップさせた。教官を怒らせてしまった―二人に緊張が走る。『貴様ら帰ったら覚悟しとけ。いいな』―隊長のその一言に二人は了承せざるを得なかった。

 4機の戦闘機に乗って、彼らが夕焼けの基地に帰ってきた。甲高いエンジンが鳴りを潜めて、滑走路にその残響がこだまする。タキシングウェイを辿り、4機の戦闘機は格納庫へ身を預け、その機体を休ませた。任務終了である。
だが、それに乗る4人の人間に任務の終了は訪れない。格納庫の前で、なにやら数人の男達が犇めき合っている。よく眼を凝らしてみると、仁王立ちで他の二人に立ちふさがる隊長と、腕立て伏せの体制でぜえぜえ言っているマッコーキンデールとバース少尉だった。
俺が隊長に、『なぜこんなことをしているのか』と聞くと、笑って彼はこう言った。「空で俺のことをバカにしちゃぁいけねぇ。つまりそういうことだ」。なにやら訳が分からないが、この二人の若者は隊長に歯向かったらしい。いやはや、着任早々反抗期か。この基地の防衛力の先が思いやられる。
腕立てが120回目に迫る頃、おしゃべりバースが音を上げた。ここは軍隊だ、学校の体育授業なんかじゃない。軍隊で音を上げたら教官から暴力の洗礼を浴びせられるという。俺はそのステレオタイプな軍隊観から底知れぬ緊張感を抱いた。『よし、もういい』・・・あれ?
隊長の手には殴る棒も、握られたごつごつの拳も無くて、そこにはへばるバースの手を取る優しさに満ち溢れていた。ぽかんと口を開ける。・・・どうやら俺の常識は現実とはかけ離れたものであるらしい。可及的速やかに俺の常識の更新をするとしよう。

「寸草春暉のインスティンクト」

「寸草春暉のインスティンクト」

 ―白い鳥。白銀に輝くその翼を広げた白い鳥は、海の向こうの人々を殺める矛を持って、ふたたび宇宙へと舞い戻った。11月3日のことである。アークバード、アークすなわち”箱舟”の異名を持つこの機体は、もともとオーシアとユーク共同での平和利用の為に建造されたいわば融和の象徴であった。
だがその架け橋―バセット国際宇宙センターはユークによって破壊を企てられ、融和の言葉は散り散りに破け散った。今ではその融和の鳥も、焼き尽くす光の力を持って、彼らを焼き尽くそうとしている。
10月25日。ふたたび彼らが基地を飛び立っていく。その目標は、海の向こうにあるひとつの街―。

 オーシアの一大反攻作戦、『フットプリント』を間近に迫る25日、プレスリーたち4人の元に辞令が下った。その内容とは、『フットプリント』に先駆けての”ユーク本土攻撃作戦”であった。突如として敵国本土へ侵攻するというのだ。
互いに不安そうに顔を見合わせる若人3人に対し、作戦を説明するGASAは高らかに宣言した。'''作戦の目的を伝える。 それは、ユークトバニア本土侵攻である。'''
 涼秋の高空はもはや真冬の寒さどころではない。常時零下に近い温度をたたき出すこの高度では、エンジンの吹き付けも悪くあまり飛行が安定しない。あのプレスリーでも安定性が保てないのだ。機種転換訓練を済ませたばかりのスタンリー達が安全に飛べるとは到底思えない。
[うぉっ、あぁっ、げぇっ]やはりか――とプレスリーは、無線機から聞こえる惰弱な声に溜息をひとつだけ漏らした。その息は白く高空に残り、ここが本当の寒空であることを示していた。[もうちょっとの辛抱だ。友軍の爆撃隊が待機している]彼が指し示した先には、オーシア軍第12爆撃中隊の黒い機体が直掩機のである自分達の到着を待っていた。
通称『ウォーガンナーズ』、栄えあるオーシア空軍第12爆撃中隊はイーグリン方面隊に所属するB-52H ストラトフォートレス4機編成の一個飛行隊である。
彼らは緒戦のユークの本土爆撃によって帰る基地を失い、今はマクネアリに身を寄せている。ユークに恨みのあるそんな彼らに舞い込んできた初めての報復の機会。それがこの作戦だった。
総勢20人の男達はユークへの怒りに燃え、進発準備中の機体の整備兵に対し作業を急かさせたという。[血気盛んな男ということだ]プレスリーが涼しげな顔でそう論評する。4機のホーネットはそのまま進み、同数のB-52とランデヴーをした。すると、無線機からどこからか声が舞い込んできた。
<こちら空中管制機リードヘッド。シグナス隊、ウォーガンナーズ両隊に告ぐ>それは、まるで嵐の中を突っ切るような美声だった。はるか高空―プレスリーのいる空域から西へ数十マイル離れた空域にいる、AWACS 早期警戒管制機、通称”リードヘッド”の美声である。
その美声の主は狼狽るスタンリー以下3人のことなど気に留めもしないで、事を把握している爆撃隊の面々と、直掩隊の長であるプレスリーに事細かな報告を始めた。
「エーワックス・・・聞いたことはあるけど」スタンリーは飛行教育隊の授業のことを思い出していた。オーシア国防空軍が運用している電子支援機の種類、運用、そして実戦の戦果。そのすべてをハイエルラークで叩き込まれた。そしてそこで蓄えられた知識は決して消えることは無い。
引き出しを引っ張ればすぐさま出て、今の自分に助言を与えてくれる。これは優等生だったスタンリーのたった一つの自信でもあった。だが実戦ではそれがすべて通用するかといえばそうでは無くて、育まれた知識は一発の銃声によって脆く崩れていくのである。そう今まさにイーノスが発した素っ頓狂な文句にかき消される声のように。
スタンリーが意を決して放った第一声は、お調子者のどうでもよいセリフによってかき消されたのだ。届かない声。悲しみと共に横にいる奴への憎しみがこみ上がってくる。そういえばそうだ、こいつは初めからいつもいつも・・・!―不の感情が高まるのを己でも分かっていた。だが激情は留まる所を知らず、理性の檻で閉じ込めてみるものの、格子を捻じ曲げ壊してしまう。
「あぁもう!邪魔なんだよ!」虚を突いたその怒号は、聞いたものすべてを硬直させるほどの威力を持っていた。瞬間的にであるが、無線を独占した主へ多数の目線が向く。それを薄々感じたスタンリーが歯軋りしながらもこう愚痴た。「・・・頼むから、俺の話を聞いてくれよ」
[構って欲しいのか?]――殆どの面々の脳裏に同じ言葉が並んだ。だが、御人好しというのか、言葉を真に受けてしまう人間は中にはいるもので、彼の激高への発端者であるにもかかわらず、イーノスは素直に彼に謝ったのである。
「あ・・・・おう」これにはトリガーを引いた彼自身も驚く。それと同時に、拍子抜けした自分の中の姿もあった。『はなしてこいつは馬鹿なのか?』と。

 ユークトバニア連邦共和国。略称ユークは、北オーシア大陸をセレス海、太平洋で挟んだ西側に位置する、ベルーサ大陸の北部を占める連邦制の国家である。1900年代のユーク革命により富国強兵政策がとられ、周辺諸国を次々と併合し、今のような連邦制をとるに至った。
90年代後期の冷戦時代では、太平洋を挟んだ超大国、オーシアとの対立が目立ち、世界はこの二つの国による核戦争を危惧したが、95年のベルカ戦争以降、冷戦は収束の一途をたどり、2000年代に入ってからは両国共同で、ISS 国際宇宙ステーション建造にも関与している。
一見友好国にも見えるオーシア、ユーク両国であるが、その実”仮想敵国”としての想定は双方ともされており、どちらかひとつの国の台頭を防ぐために、両国とも諜報員の潜入や”アグレッサー機としての運用”との名目で両軍機の購入、譲渡も成されているというのが現実であった。
冷戦は終わったが、依然太平洋側の両軍はぴりぴりとした緊張関係の真っ只中にあったのだ。
 その緊張状態は、9月におけるオーシア軍機によるユーク、超高高度偵察機撃墜事件に端を発した、一連の軍事衝突からエスカレートすることになる。9月末、ユークは初めてオーシアへ対し大規模な侵攻計画を立案、実行に移した。『セント・ヒューレット空襲』である。
その後もユークは次々強硬な侵攻作戦を実行。10月のユーク攻勢は留まる所を知らず、防空システムの穴を抜けてのイーグリン攻勢。さらに共同開発の筈だったバセット宇宙基地を強襲、そして敵の最前線基地であるサンド島への空襲、そして揚陸艦隊による同島の上陸作戦。これには先のイーグリン攻勢においてオーシア空母二隻を撃沈せしめた潜水空母の投入もされている。
このような電撃作戦によってユークはオーシア軍の戦力を疲弊させることに成功。このまま本土侵攻を許そうとしていたオーシアであったが、”サンド島作戦”における超兵器の投入によって状況は一変する。『アークバード』の戦力投入である。バセット強襲の失敗により、宇宙へ上げられたレーザー火器システムにより、潜水空母一隻と、多数の艦艇を損失。
その報告を受けたユーク軍部はすぐさま針路を変更。10月末には、両国との戦力バランスはこう着状態に陥っていた。
 ユークトバニア連邦 ムルスカ航空基地。ここは東部の主要防空基地として、爆撃機多数と、邀撃機を配備する、ユーク国内でも有数の防空能力を誇る基地だ。この背景には、東部の主要都市 オクチャブルスク防衛としての役割を持っていることに由来している。
緒戦においては、この基地が最前線基地もあってか多数の爆撃機、戦闘機隊が集結していたが、戦力バランスの均衡化によって、今では邀撃機が多数を占めるといった状況になっていた。
 天変地異でも起きたかの如く鳴り響くサイレン。それが敵の空襲を知らせるスクランブル発進の号令であることをパイロット達が知るのは、搭乗機に乗り込み、管制塔の指令を受けた時だった。
ユーク、第11独立防空軍第187飛行隊。搭乗割に示されたのは、この、たったひとつの飛行隊だった。その編隊長、ナルヴィク・バイルシュタイン大尉は、すぐさま4人の部下達と共にSu-15 フラゴンに乗り込むと、収まりを見せぬ動悸を引き連れてタキシングウェイに出た。
<プリローダ隊、離陸を許可する。すぐさま離陸せよ>もはや間髪入れている暇は無いのだ。管制塔は口早にそう告げると、すぐに通信を切断した。「大分焦っているようですね」と2番機が言う。ナルヴィクはそれに「あぁ」とだけ答えると、癖である唇をかみ締めた。

 <コンタクト>リードアイの言葉が稲妻のようにスタンリー達に走った。すぐさま直掩隊の面々は真正面に目線を据え、はるか遼遠を睨んだ。<ブルズアイから北西40マイル。高速で接近する機影4>続けてリードアイが詳細オペレートに入る。4人に緊張が走る。
[各機エンゲージに備えろ。ウォーガンナーズは高度20000に退避、迎撃に出たユークどもの相手は俺達の仕事だ]そう言うとプレスリーはぐっと機体のスピードを上げた。「了解」とスタンリー。他2機も、それに追従していく。
レーダーの光点も徐々に近づく。操縦桿を握る手が力む。距離10マイル、ヘッドオンの体制で今、二つの編隊がぶつかり合おうとしている。先にピパーに捉えるのはどちらか、自分、もしくは味方、敵か。FCSに示されたシーカーはアムラーム 中距離空対空ミサイル。もう少し、もう少しだ・・・
 ―交戦!その符丁を先に言い放ったのはどちらでもなかった。ほぼ同時だった。しかし、それから先―ミサイルを発射したのは、ユークではなく、オーシア機の方であった。4機同時に撃ち放たれたアムラームの弾頭は猛スピードで彼らに殺到する。それを真っ先に察したナルヴィクではあったが、回避行動を取ろうかと操縦桿を倒した刹那、正面に映っていたのは他でもない、アムラームの弾頭であった。
<敵航空機全滅を確認>「やった・・・」青空に4つの黒い滲み。それもほぼ同時、たった数秒の出来事だった。『これが空戦・・・』その呆気なさと、残酷さが、勝者であるスタンリー達に重くのしかかった。
<敵第二波接近>「また!」戦いはこれだけでは終わらない。おそらく彼らは全滅するまで飛行機を飛ばしてくるだろう。何度も何度も。『なぜ戦う』もう一人の自分が問いかけてくる。『なぜ・・・戦う』「やめろ」スタンリーはかすれた声で叫ぶ。「やめろ・・・」景色が歪む。「やめろ・・・っ」HUDに新たな敵機が映る。すぐさまIFFがそれを捉え、シーカーが作動する。
電子音が鳴って、早く撃てと急かす。「やめ・・・」トリガーを指にかけた。後はそれを弾くだけ。「やめろ・・やめろ・・・」手が震える。撃てない。やられる。死ぬ。墜ちる。いやだ。
[おい!]
はっと顔を上げるスタンリー。そこには、炎上する敵機が、すぐそこまで迫ってきていた。[旋回しろ!]プレスリーの命令どおり、スタンリーは目一杯操縦桿を倒した。「うわぁっ!」急激なGがスタンリーの身体を襲う。その刹那、後ろで爆発音のような音がした。スタンリーが機体を安定させ、すぐさま後ろを振り向く。とそこには、火線に晒されて火を噴くユーク機の残骸があった。そしてそのそばには、編隊長の機。
『あのときと同じだ』初任務でベアを落とし損ねた時。隊長がフォローに入ってきてくれたおかげで、なんとかベアを墜す事ができた。その光景が今まさによみがえっていたのだ。また隊長は管制塔に向かって吠えるのだろうか、と、スタンリーは怯えた目でホーネットを見やる。しかし。
[大丈夫か、ひよっこ]そこにいたのは、いつもの隊長の姿だった。声も、その目も。温和な中年の親父だった。『今のあの感情はなんだったんだ』―スタンリーは安堵の表情で小刻みに動く肩に手を置いた。「はい、大丈夫です」とは言ってみたものの、その声は微量ながら震えていた。
[いつもの病気か]―プレスリーはすべてを悟ると、二三度通信機に向け吠えた。[4番、お前は上に上がれ]
『は?』と聞き返すスタンリー。やはり突然のことに飲み込めていないようだった。再三再四、プレスリーが諭すような口調で問う。[上に誰がいる]―決まっている。爆撃機編隊である。―つまりは。
[お前にゃ空戦はまだ無理だ。上に避退して、爆撃機の直掩につけ]―それは出来る限りの優しさで伝えた戦力外通告だった。”お前は空戦では邪魔だから、逃げろ”というのである。スタンリーは悔しいというより、今の自分の無力さ、未熟さに腹が立った。

 上空は平和だった。無論これから足を踏み入れることになる基地上空では、高射砲、対空砲などの熱烈的な歓迎が待っているのだろうが、今は平和そのものだった。
[楽ちんな空だ]ウォーガンナーズ3番機、電探担当のウィール・ロングスレイが何気なくボヤいた。[確かにな!]と後ろから声がする。EWO 電子戦士官のウォルト・リーブスだった。彼の言うとおり、”今”は楽チンの空だ。こんないい天気には、鼻歌でも歌いながら司令官の悪口叩きつつバレルロールでもしたら気持ちが良いだろう、と機長のビル・ヒュートンまでもがボヤく始末。
すると、ウィールが突拍子に悲鳴を上げてわめき出したではないか。まるで赤子のようにわめくウィールを一通り落ち着かせて、機長であるビルが問いかけると、レーダーを指差しながら叫んだ。[敵さんだ!敵が来てる!]
[なんだって!]とウォルト。それを聞いた副操縦士のスミス・ロジャースが正面を睨んだが、どこにもウィールの言う敵などは見つからない。レーダーの故障ではないかと思った刹那、天井から恐怖の矛先が突っ込んできた。
[上だ!]着弾の瞬間、強烈な衝撃が走りクルーは皆床に伏せられた。飛び散った破片が身体に突き刺さり、いたるところから血が噴出していた。さらに機内は黒煙が充満し、機体を安定させるどころかコミュニケーションすらとれない。―万事休す。どんなに楽観的な人間でも、これはさすがに死を覚悟するだろう。
彼らの瞳には希望など消えうせ、これからくる死の恐怖を感じてか、目の焦点が合わなくなっていた。だがその時、ウィールは何とか操縦席近辺にまで近づいていた。脱力寸前の腕を振るい、風防を覗き込んだ。するとそこには、こちらを向いたMiG-25 フォックスバットの機体が、とどめのミサイルを放とうとしていた瞬間があった。
『くそ』―それがウィールの最期の言葉だった。彼らの乗るB-52はとどめのミサイルの直撃を食らい、弾薬庫に引火。大閃光と共に大空に散っていった。
 [いかん]3番機の撃墜を受けて、1番機の機長は機首を反転、一路退避行動に入った。2番、4番もそれに続き、直掩隊も援護するとは言ってくれた。しかし、MiG-25 フォックスバットの虎視眈々たる目はそれを逃すはずも無く、連続で正射されるミサイルの弾幕に3機のB-52は回避もままならず被弾していく。
機内にクルーの喘ぎ声が轟く中、甲高い金属音が彼らの真横を掠め過ぎった。[なんだ]と機長が外を見やる。そこには。
 ―アークバード。大気圏の遥か彼方、軌道上を周回する”白い鳥”。もとは小惑星 ユリシーズがもたらした微小隕石の清掃プラットフォームとして打ち上げられた。しかしユークとの戦争が活発化すると共にこの白い鳥は重武装が施され、下方レーザー照射システムが追加打ち上げでドッキング。
これにより弾道ミサイルの迎撃という真価を発揮しただけではなく、ユーク潜水空母 シンファクシを撃沈せしめるほどの戦果を上げた。宇宙から見て、極微小な弾道ミサイルを精密照射で撃ち落とせるのなら、戦闘機の1機2機くらいは楽に撃ち落せる筈である。よってアークバードは本来の弾道ミサイル迎撃任務のほかに、友軍への”遠隔航空支援”任務を担うこととなった。
宇宙から落ちる極光の光軸はピアノ線をぴん、と張ったように海上へと伸びて、そこを通るものすべてを焼ききることすら出来る。それもこれも、AWACSとアークバードとのデータリンクシステムの賜物であることは言うまでも無い。
<アークバード、敵航空機の撃墜に成功。やったぞ>共同の戦果に思わずガッツポーズを上げるリードヘッド。だが、まだたったの1機しか撃ち落してはいない。リードヘッドは更なる敵機の座標データをアークバードへ転送、その数秒後、天から神の炎が落ち、次々とフォックスバットたちは撃ち落されていった。
[あれがアークバード・・・]天から伸びる光芒の先、うっすらと見える”親鳥”の機影に感嘆の声を上げるイーノス。もはや誰とも言わず、ここにいる皆が上を見上げていた。

「四鳥別離のインスティンクト」

「四鳥別離のインスティンクト」

[10月24日--16:47 プレスリー・ブラッドリー中尉 第103戦術航空飛行隊第18分隊”Cygnus” ユークトバニア連邦 ムルスカ航空基地沖89km]

 [あんなものがいて戦える訳が無い。なんとかならんのか!]
残存の邀撃機は口々に言う。一発百中の矢ならまだしも、天から降る光線に抗える術などあるはずが無い。このまま爆撃機をのさばらせていたら、我々の帰る基地が消えるどころか、ユーク本土を蹂躙させてしまうことになる。ユーク軍人としての矜持、それを踏みにじることは出来なかった。
[全機突撃せよ!敵に体当たりしてでも本土を守れ!]覚悟を決めた彼らを止めることはできない。故郷を蹂躙される痛み、それは15年前のベルカと同じ痛み。そんな痛みなど味わいたくは無い。ならばいっそ―!
一挙として突貫する邀撃機たち。そしてそれを迎撃するプレスリーたち。まるで立場が逆転しているような、そんな感覚に陥る。
<アークバードがレーザーを照射する>だがそんなものアークバードの知ったことではない。現にあの鳥は無慈悲にレーザーを放とうとしている。打ち込まれた座標。それは先陣を切る編隊長機。その座標どおりにレーザータレットが傾斜し、レンズに光が満ちる。[くっ]照準代わりの薄い光が編隊長機のフランカーのHUDに入り込む。直視してはならない光が、今まさに落ちてくる―!
 <・・・どうした、アークバード!>振り下ろされるはずの光軸など無かった。リードヘッドがアークバードに抗議の打電を飛ばす。返答は無い。これにはプレスリーも困惑の声を上げる。[どういうことだ!]とイーノス。だがリードヘッドはそれに応じず、ただ『どういうことなのだ』と狼狽の声を繰り返すだけだった。
しかしリードヘッドはここで諦めるわけにはいかなかった。絶えずアークバードへ声を吹き込み、レーザー照射の要請を出し続けた。しかし管制の声はかき消され、親鳥の鳴き声すら聞こえなくなっていた。<やられた…>誰にも声の届かぬ状況、これでは管制機の意義など何も無い。リードヘッドは無念にも自分のヘッドセットを脱ぎ、それを計器にたたきつけた。
 プレスリーのいる空は凄惨を極めていた。管制機の声は遠のき、HUD、レーダーもイカれたのか、敵機が影分身して彼らを包囲していた。『絶好のチャンスだ』狼狽する羊の群れを見るや否や、”獰猛なる鶴”は舌なめずりをして言った。形勢逆転―状況がひっくり返ってしまった。
「どうする・・・どうするどうする!」中でもスタンリーが一番焦っていた。先ほどの肉薄する敵機を見て、敵への恐怖が根付いているのだろう。操縦桿を挙動不審に動きまわして、ストール寸前の危なっかしい機動を取っていた。[くそ―]できれば手を差し伸べてやりたいところであるが、この状況では手を差し伸べた瞬間海へ真っ逆さまになってしまう。
[さすがに新兵と共に心中はゴメンだ]どこにまだ悪態つけられる根性があるのだろうか、プレスリーはそう言って機体を急遽反転させると、右ヨーイングとロールを駆使しバレル旋回を発動。そのまま速度を落としストール寸前まで落とすと再び機体を建て直し、レティクルの中心を睨んだ。そこには、先ほどまで背後で機銃弾をばら撒いていた敵のMiGの情け無い尻があった。あとはトリガーを引くだけだった。
20mmの機銃弾はMiGのいたるところに風穴を開け、これでもかというほどの火線が2機の間に収束する。もはや撃墜の余韻を残さず、MiGの機体は機銃弾と炎によって燃え尽きていった。「隊長機が1機落とした」それを見ていたスタンリーは手近な敵に照準を定めると、残りのサイドワインダーを発射。敵は愚かにもアフターバーナー光を閃かせての回避機動を取ったが、赤外線誘導のサイドワインダーにとってリヒートなぞただのビーコンに過ぎず、無様にその機体を爆散させた。
[グッドキル]チャックが通りざまに賞賛を送る。すると彼も1機のフランカーにシーカーを向けると、FCSの管制を変更。電子音と共に今度は翼下パイロンのアムラームに灯が灯る。もともとは視界外射程のアムラームであるが、サイドワインダーが届かぬ距離ならば近距離での発射も可能である。チャックのホーネットとのフランカーとの距離は凡そ5000。サイドワインダーではあと一歩届かない。
[フォックス3]ミサイル発射符丁を唱え、迷い無く引き金を引く。小気味良い機械音の後、シーカーが捉えた目標を目指し、1基のアムラームミサイルが空に飛びぬけていく。直後、チャックは後方に展開する敵機の存在に憂い、急遽反転。それに気づいた1機のフラゴンと巴戦に入った。[ミサイルは・・・どこやった]アラート鳴り響く中、廻り廻る視界の中であのフランカーを探す。―小さな爆発音が聞こえた。はっと振り向くと、迫り来るフラゴンの奥に黒い染みがかかっていた。
「2番機が1機撃墜」すかさずスタンリーがスコア報告を上げる。フラゴンに追われている身にも関わらず、チャックは己が上げた戦果に口笛を上げた。
 戦闘空域から遥か彼方東へ行ったところに、彼の機体はある。機体の上にどでかいフリスビーを付けた飛行機。頭に”変なの”が乗ってるのを除いては一見ただの旅客機と見まごうその機体は、E-3 セントリー、れっきとした空軍所属の軍用機である。
操縦室近辺にしか窓の無いこの機体はAWACS 早期警戒管制機と呼ばれ、作戦行動中の友軍機への管制や指示を下し、又は敵性・友軍問わず空中に所在する空中目標の分析・探知を主任務としている。
このAWACS、見かけによらず軍事機密の塊で、ユニットコストも並みの戦闘機以上。それにより弱小国ではこの廉価版であるAEW&Cという電子戦機を運用せざるを得ないが、さすがは世界の警察を自称するオーシア軍、E-3に限っては35もの数を運用しているのだ。世界最大の資本主義国家をナメてはいけない。
その35機のなかの1機である、AWACS ”リードヘッド”。イーグリン方面隊の管制を主任務とする彼は今、成層圏を飛翔するアークバードに必死の電文を叩き込んでいた。
「何をしているんだアークバード、レーザーを発射しないと彼らが」
その形相は必死そのものであった。敵のジャミングによって航空機の管制ができぬ今、頼りの綱はあの白い鳥だけなのだ。既存のデータを使用してのデータリンク照準ならば、たとえ敵機に命中しなくともある程度の抑止力にはなれる。そう考えたからである。
絶え間なく声を届け続けるリードヘッド。そんな彼に、ひとつの救いの手が差し伸べられようとしていた。
[アークバードよりリードヘッドへ]
無線の静寂を破って、ひとつの声が彼の耳に入り込んできた。彼にはわかる。その声が誰のもので、どこから聞こえてくる声なのかが。
「リードヘッドよりアークバード。周波数を4に切り替えろ」
[アークバードよりリードヘッド、了解]
無線周波数を変更することによってクリアになった音質に、リードヘッドはぐっと拳に力を入れると、そのご自慢の長口舌をふるった。
「敵のジャミングによって航空機との無線が途絶してしまった。過去の位置座標データを送付する。それに従い、レーザーを照射せよ」
[しかし・・・]
リードヘッドの無茶な注文にアークバードは躊躇いの息を漏らした。[どうした]と追い討ちをかけてくるリードヘッドに、アークバードは彼に指摘を並べた。
まずひとつ、その位置座標データが本当に正しいものなのかということ。現在のデータが分からなくとも、過去のデータさえあれば照射自体は可能で、敵機の撃墜も望める。
ただし、現在この空にいる敵機の座標と、この過去座標データが寸分の狂いも無く合致していたら、の話である。もはや考えることすら滑稽である。戦闘中の戦闘機、ましてや緊急の防空に上がった機が空中静止などできるものか。
次に、たった今アークバードで発生した原因不明の爆発による電気系統の一部損傷。現在他の職員が究明に当たっているが、原因を見つけ出すには相当な時間がかかるとのこと。アークバードのTLS照射にはかなりの電力を消費するため、電気系統の一部損傷している今、照射すればこのアークバードも危ういことになるやもしれないのだ。
そして三つ。アークバードがレーザーを照射し、奇跡的に敵機に命中させたとする。その時レーザーが命中した敵機を追う友軍機が、勢い余ってレーザーに突っ込むかもしれない、ということ。
この三点を踏まえて、アークバードは五里霧中の管制機に忠告の無線を飛ばした。だが、返って来る言葉のすべてが、照射を強行する言葉であった。
「なぜ分からない。敵上空で交戦中の友軍機が危険なのだぞ!」
[あなたの言葉自体が危険すぎます!]
無謀な管制官に向け、思わず声を荒げてしまった。すぐさまアークバードはその言葉を訂正するが、無謀な指揮官は静かにその言葉を甘受していた。ただ安いプライドとは裏腹に彼の信念は折れることは無く、彼に「撃ってくれ」と伝えるためには安い犠牲だった。
[・・・了解]
ここまで来たらもう彼も取るべき手段はひとつしかなくなっていた。アークバードはリードヘッドから送られてきた過去座標データを受け入れると、そのデータを目印に、機体下部に開かれたレーザーの射出口から、青白い光軸を撃ち出した。
リードヘッドはアークバードからのレーザー射出の報を受け取るとその刹那、ヘッドセットに声を吹き込む。「ECCM、通信を回復しろ」それは閉ざされてきた回線を強制的に開かせる、ある意味魔法の言葉だった。
ECCM―対電子妨害手段により、回復した友軍の航空無線にすかさずリードヘッドは声を走らせる。
「アークバードがレーザーを射出する」
[どこにだ!]
リードヘッドの口が閉じるや否や、プレスリーの怒声が怒鳴り込んできた。照射される位置座標が把握できていなければ、誤射も考えられる。それを危惧した故での警告だった。
「データリンクシステム起動・・・レーダーの回復まで・・・今」
次の瞬間、リードヘッドの目の前に現状の光景が広がった。緑色に縁取られたところがアークバードの照射範囲―その中に、赤い点がひとつと、青い点がひとつ・・・―しまった!
「アークバード射撃中止!プレスリー機は左に急速旋回、急げ!」
最悪の事態が起こってしまった。まさか、アークバードが言った言葉が本当に起こるとは―咄嗟に出た指示で危機一髪乗り越えたと思ったリードヘッドが胸を撫で下ろした。しかし、その連鎖反応は止まることは無く。
[レーザー照射中止不能!緊急停止させます!]アークバードが、
[左翼に機銃を食らった、油圧が下がってる]プレスリーが、
「なんだと・・・」リードヘッドが。
味方の青白い光が今、手負いの親鳥へと降り注がれる。その瞬間を予測できるのは彼しかいない。でも、それを止められることは無い。レーザーがプレスリー機に命中する刹那、リードヘッドは最後の力を振り絞り叫んだが、全て遅かった。
海へ墜ちる白刃をかき消す黒煙と、破砕される機体。スタンリーたちは唖然と落ちて行く破片を見やる。その数秒後、今さっき起きた事件の重大さを覚えることになる。
[編隊長機、レーダーからロスト・・・]
絶望の空、若人の声が轟く。

「電探接敵のキルゾーン」

 先導の親鳥を失い、傷だらけの3機が基地に帰ってきたのはその日の深夜のことだった。管制塔の働きで、救急隊に運ばれていく彼らにカメラを向けたが、救急隊にレンズを塞がれた。
翌日、彼らは人員の補充を行うことなく、4番機のポジションであったマッコーキンデール少尉を編隊長機として昇格させられることになった。あの彼の不本意そうな顔を、俺は忘れられそうに無い。ー彼らはあの日以降、飛行を止めている。

[11月1日 -15:30 ヒューゴ・ラミレス大尉 オーシア国防海軍第157戦闘攻撃飛行隊"スラッガーズ” ユークトバニア バストーク半島]

大打撃を受けたセントヒューレットへ救援物資を運搬するはずだったのに、何故かユークへ進発準備を始めさせられたとは、辣腕の彼らも思いも由らなかったであろう。
オーシア国防海軍第5艦隊、USSハーウッド。艦名はオーシア五大湖のひとつ、ハーウッド湖に由来する。四半世紀も前に就役したこの艦は、年々に近代化改修を重ねて、幾回もの航海を続けていた。
無論その中には実戦参加の経験もあって、今はなき左舷の端には、空対艦ミサイルが掠った大きな破孔があったという。出撃と着艦を延々と見て来た彼女。それがまた、獰猛な蜂達にお往きなさいと白煙をもくもくと吐き出している。
 「カタパルト装着を確認。バリアー上げ」
空母の射出装置に並んだ2機のF/A-18F スーパーホーネット。機体にVFA-157と描かれたこの機体こそ、オーシア海軍第157戦闘攻撃飛行隊、通称スラッガーズが装備する最新鋭機なのである。
その中の1番機、編隊長のヒューゴ・ラミレス大尉は、後席に座る隊の紅一点、ポーレット・ローネイン中尉と雑談を交わしながら、外で作業を続けるカタパルトオフィサーの仕事っぷりをその眼中に収めていた。
「ローネ、機体の動作チェックだ」
ローネと呼ばれる結婚適齢期のウェビエイターは、前席の操作に合わせて敏捷な動きを見せる翼を見て、サムズアップを出した。外にいて、機体のチェックを見ていたカタパルトオフィサーも拳を掲げる。
「エンジン最大出力だ、ローネ、振るい落とされるんじゃないぞ」
薄ら笑いを浮かべて後席の身を案じる”ボス”に、後席の乙女は頬を膨らませて言った。
「了解です。しっかり握ってます。ボスは女の操縦も不得意ですもんね」
彼女の口は怖いもの無しらしい。セレス海の荒波に揉まれた海兵は、皆恐怖という感情を無くすというが、その真相は誠のものであった。
「さすがだな嬢ちゃん」
対する”首領”は不機嫌な顔ひとつせず、発進の手順を続けた。上官であるラミレスを対してでも大口を叩ける。空母のような包容力を持ちながら、戦艦のように高い攻撃力をもつ女。だからこそラミレスはこの小娘を自分のWSOに選んだのかもしれない。
カタパルトオフィサーが姿勢を崩し、海上へと腕を伸ばした。カタパルトも準備万端とばかりに、白い蒸気を噴出している。射出である。
ローネが【出撃】と手信号を出し、手のひらを開いてそのまま前方へと傾けた。その合図を受けて、ホーネットのエンジンの高鳴りが始まる。その数秒後、ふと気がつくとそこはもう空であった。
低高度を保ったままリヒート光を閃かせ、その身にヴェイパーを纏わせるホーネット。そのコックピットの中では、小刻みな震動と音をも超える”速さ”を間近に体感した人間だけが味わえる、ある種の高揚感に見舞われる二人の男女があった。
[風速は高度5000で4-5-0,4-2-6の突風あり、作戦区域南方の天候は荒れ具合]
「スラッガーズ了解、帰ってくるときもそのでかいケツに降ろさせてくれよ」
[大丈夫ですよ。レーダーサービス終了。成功を祈ります、大尉]
空母管制室からの無線通信が終わったと同時に、僚機である3機のホーネットが彼らの真横を掠め飛んでいく。豪速で駆け抜けていく鋼鉄の塊に管制室の風防ががたがたと震えたが、その中にいるクルーたちは至って冷静に、次に射出する機の到着を待っていた。
彼らにとって、戦闘機が真横をかっ飛んでいくことなど日常茶飯事なのである。半年前着任した新兵でさえ、今ではけろっとしたような顔で4つのリヒート光を見送っている。『人間、慣れが一番怖い』誰が言ったか分からないが、管制室に一人の男の呟きが響いた。
 ユークトバニア、バストーク半島はベルーサ大陸の最東端に位置する広大な半島である。かつて冷戦期、ここはオーシアともっとも近い場所であったため、海岸線を望む丘陵地帯には無数のトーチカ、要塞設備が建設、設置されていた。
90年代に入って以降、ユークで起きた政権交代により軍縮の道を辿ることになったユークはオーシアとの融和路線を推進。よってこのバストーク要塞も放棄、またはバリケード等の撤去が進められたが、今回の戦争によって計画は頓挫することになった。
今では海岸線を望む全ての丘陵地帯に要塞施設を建設。最前線としての強固な防衛線を確立している。
ラミレス以下VFA-157が遂行する任務とは、このバストーク半島への上陸作戦、『フットプリント』の事前調査であった。地形データや新たに建造された敵施設の位置座標を採取し、『フットプリント』の糧とする。いわば強行偵察であった。
本来ならばUAV―無人機が遂行すべき任務なのであろうが、オーシア西海岸にある無人機の殆どが緒戦の混乱で喪失、東側から持ってこさせようにも作戦決行に間に合わない。よって迅速な行動ができ、イーグリンで大打撃を受けた第3艦隊以外でセレス海付近を任務地としている第5艦隊の彼らが選ばれたわけである。
[こちらブリンガー、VFA-157聞えますか?]
雲海を突き進む4機のホーネットに突然の声が飛び込んできた。この無線機の主はVFA-157と同じく、ハーウッド所属のE-2C ホークアイ早期管制機、ブリンガーであった。出撃直後における母艦直々の管制と打って変わって、空中にて警戒行動を行っていたこのブリンガーにバトンタッチをしたのだった。
「こちらVFA-157」
もはや特別なことなど言わなくてよい。応答を求められたのだから、無線機の向こうの彼に、この声が届けばいいのだ。
[こちらブリンガー、無線機の感度、メリット5です。これより、貴隊の管制を担当します]
丁寧な言葉使いで喋るブリンガーに対し、がさつな海の男は、潮を幾度と無く浴びたがらがらの声で返答をする。
「VFA-157了解。今度こそ正確に頼む」
その文言によると、以前ブリンガーは少々ミスをしたらしい。機動力が売りの空母航空隊で、管制官のミスによる作戦の失敗は誇り高き海兵にとって大失態だ。さぞ、一度失敗した彼らは今度こそ、の気持ちでこの作戦に望んでいることだろう。
 四機の視界に、半島の離れ小島のシルエットが映った。眼下に広がる海は低気圧が接近しつつあるともあって荒れ狂う荒波を立てていた。
VFA-157はボスの鶴の一言で先頭陣形に再編成、フィンガーチップの編隊でバストークの東端へと足を踏み入れた。その刹那、突如降り出した豪雨と共に、激甚な対空砲火が4機の戦闘機に向けて撃ち出された。
敵の先制攻撃に遅れて数分、ブリンガーからの索敵情報が彼らの元に飛び込んできた。既に近接信管の爆風を食らった1番機が、遅刻魔に向け大声で吠えた。
「遅いぞ、なにやってる!」
敵の対空砲弾を掻い潜って放つその声はまさしく荒海に立つ漁師さながらであった。
[ボス、後方にSAMターレット]
ミサイルアラートの警鐘がラミレスの鼓膜を劈いた刹那、操縦桿を強く引いて急旋回をかけた。突然の衝撃に喘ぐ後席であったが、その瞳はたった今凶弾を仕向けてきた敵の誘導弾発射装置に向いていた。
「JDAMスタンバイ」
ローネの声と共にFCSが翼下パイロンに装備されたGBU-31統合直接攻撃弾の管制に切り替わる。そしてHUDには投下効果範囲の光点が表示され、電子音と共に目標のSAMターレットを完全に捕捉した。
「ボムズ・アウェイ」
投下の符丁と共にローネはトリガーを弾き、JDAMは捕捉されたターゲットの直上へ落ちて行く。きれいな弧を描いて目標へと落下したJDAMは儚げな大閃光を閃かせた。
「目標破壊」
ご丁寧にバンクまでして、着弾の効果を確認したローネは、さらなる地上から自分へと向く殺意に気づくと、前席に反転を上申。ぐっと力強い重力の壁がローネの華奢でいて、しかしがっちりしている身体を震わせたかと思うと、その目と鼻の先に、真上に打ち揚げられる9M33ミサイル弾頭の姿があった。
「よくやったローネ」
その類まれなる危機感知能力にお褒めの言葉を出す首領。それに小娘はこくりと頷いて、今さっき殺気を突き刺してきた9K33 オサーの位置を把握すると、バイザーにHMDを装着、首領にそのままの針路で反転を具申した。
エンジンの推力が上がっていくことを知らせる甲高い駆動音に鼓膜を震わせながら、反転した世界でローネはHMDに標的を見据えた。
「ボムズ・アウェイ」
翼下パイロンから切り離され、宙を彷徨うJDAM。一見的外れに見える彼女の投擲は、決して暴投などではなかった。JDAM最大の特徴は、外部からの誘導なしに設定された座標へ精度の高い着弾能力。
すなわち、親機が必要である、AIM-7 スパローに代表されるセミアクティブレーダー誘導ではなく、爆弾に装備されたシステム自体が目標の位置を把握し、自らの力で誤差を修正、着弾ができるのである。
それにはGPSや慣性誘導装置が必要不可欠であるが、天下のオーシア軍が用意をしていないわけが無い。なにしろこのシステムを開発したのはオーシア軍なのだから。
「命中」
バストークの密林に人一倍大きな火柱が上がる。それはローネが落としたJDAMによるものであったことは言うまでもない。
 ボスとローネは一通りの地上戦力を片付けたことを自らの視界で悟ると、眼下の電探装置へと目を向けた。前方にしか融通の利かないこのレーダーには、時折映るノイズの他には何も見当たらなかった。―そう、そのときまでは。
暗黒の湿った空、甲高い風切り音と共に、5機もの先鋭なシルエットが鋭角に機体を翻して、招かれざる客のもとへ飛翔する。彼らの接近に、”客”が気づいた時、それは目と鼻の先の距離しかなかった。
「敵機だ!」
素っ頓狂な声を上げて、猪突する敵機を躱したボスは、すぐさま後席のローネに攻撃を指示した。無論彼女は断るはずもなく、翼下JDAMの管制から翼端のAIM-9 サイドワインダーへと管制装置を変更、彼女の機は対地から対空戦闘へとシフトした。
「落ち着いてやれ、後ろにも目を配るんだぞ」
最新鋭のフェーズドアレイレーダー AN/APG-79を持ってしても、真後ろの敵機に対しては脆弱さを隠せない。それを分かっていたボスが後席に注意を促す。前席からの忠告を聞いたローネは、女性らしからぬ鍛えられた首を回し、視線をホーネットの垂直尾翼へと移した。
「敵機の数は分かるか」
[もう少しで接敵します]
無線機から聞こえてきた言葉を聴いて、ボスは自らの采配に舌打ちを漏らした。敵地上空、増しては敵の配置すら分かっていない状況で編隊を解くなど自殺行為だった。
編隊を組んでいれば、みすみす敵に先手を取らせることは無かったはずだった。「くそ」とボスは操縦桿を巧みに操りながら敵の包囲網を潜り抜けていく。
その時、彼らの眼前に、敵機とおぼしき機影が真横を掠め過ぎった。
「あの機体は」ローネの顔色が青く染まっていく。恐怖の慄くその姿はまさしく乙女そのもの。そして彼女の戦慄を感じ取ったボスがおもむろに視線を向けた。
「フランカー」
―勝てない。二人の脳裏にそんな言葉が過ぎった。ユークトバニアが誇る、大型の制空戦闘機。その丸みを帯びたフォルムと、空戦では凄まじい性能を発揮する空力特性。現代戦闘機の一つの到達点とさえ呼ばれるほどのポテンシャルを持つその機体―Su-27SM。
冷戦時代に設計、開発されたSu-27フランカーは21世紀に入って以降、今までどおりのポテンシャルを発揮できずにいた。西側諸国における爆発的な高度な電子工学技術の発展が、東側諸国に苦戦を強いられたからである。
ユークトバニア連邦は潤沢な資源を持つ国家であったが、所謂近代テクノロジーと呼ばれるものに疎かった。1970年代、西側諸国を発端として産声を上げた近代テクノロジーに、彼らは見向きもしなかったのだ。
その背景には、1968年のペイトン戦争の戦闘にあった。当時黎明期のテクノロジーだった”ミサイル”を戦力投入したオーシア軍は、ペイトン上空における戦闘でユークトバニア製のミグに大敗北を喫した。
この頃より、ユークトバニアの戦略ドクトリンにあるひとつの欠陥が生じていた。これから発展するであろう、近代テクノロジーを放棄した。彼らは時代が変わったことに気づかなかった。
二つの超大国間に軍事衝突は無かった。だが次第に勢いを増す西側諸国の文明開化に、東側諸国は追いつけなかったのだ。
そんな時代錯誤の時代は、80年代以降、序々に雪解けを見せる。90年代にはSu-37、Su-35デモンストレーション機が次々にロールアウト。そして技術が成熟してきた2000年代、とうとう原型機Su-27に老朽化の波がやってきた。
老朽化は兵器にとって最大の敵である。時代遅れのロートルとなった機体は捨て去られ、歴史の表舞台から消える。このフランカーもその波に飲まれそうになった。だがユーク軍はフランカーを助けた。それが近代化改修を受けたSu-27、Su-27SMなのである。
90年代に開発されたデモンストレーション機で蓄積された技術が投入されており、アビオニクス面で大幅に強化されている。武装に関してはR-77 アッダー、通称アムラームスキーの搭載能力を得、10目標探知2目標追尾のレーダーを装備したことによる同時交戦能力を獲得するに至った。
これを人は「鬼に金棒」と言うのだろう。恐ろしいまでの運動性に、西側とほぼ同等の戦闘能力を手に入れたフランカーは、まさしく畏怖の対象。
このホーネットをもってしても、彼と一戦交えるのにはかなりの勇気がいる。ノースポイントのF-4がこの機体と出会った時、パイロットは死を覚悟したという逸話さえ残っている。恐怖を感じられずにはいなかった。
[ブリンガーよりスラッガーズ、更なる敵性航空機の接近を確認。方位3-1-5より4機捕捉]
増援まで来たと鷹の目は言った。雀蜂に戦慄が走る。あの恐ろしい鶴が徒党を組んでなだれ込んでくるのである。『生きて帰れるのか』冷や汗が頬を伝った。
[各機交戦は避け、上空8000に避退せよ。ロイヤルメイセスが上がる。それまで凌げ]
そうブリンガーが言うものの、彼らにはその指示が達成できないことは目に見えていた。ホークアイの電探上に、巴戦を繰り広げている彼らとフランカーの機影が映っていたからであった。
フランカーはもう既に旋回半径を縮めて、ミサイルのシーカーを捕らえようとしている。”戦闘攻撃機”のホーネットはその鈍重な尻を抱えて飛び回るも、限界を感じ始めていた。
「ボス、真後ろです!」
「しっかりつかまっててな嬢ちゃん!」
ローネが悲痛な声を上げた刹那、ボスは荒々しく操縦桿を左に倒した。それと同時に左にヨーイングし、機体は横倒しの樽をなぞる様に旋回していく。急激な減速に伴うGの中で、意識の狭間を漂うローネの目には、回る世界と、まんまと攻守を逆転されてしまった哀れなフランカーが見えた。
「ローネ今だ!」
またとないチャンスに声を荒げるボス。しかし引き金を引くはずの後席は、座席にぐったりとうな垂れていた。
「くそっ」
失神してしまったローネに苛立ちを覚えたラミレスではあったが、自分もこれ以上の戦闘行動は望めそうになかった。幸いフランカーはもう一度背後を取るためのマニューバを繰り出す気はないらしい。まさしく天佑であると、自身も崩れそうな意識の中で思った。
[スラッガー1、状況を報告せよ]口早な管制官の声に、ラミレスはのんびりと応えた。
「嬢ちゃんがおねんねしちまった。WSOがGLOC。戦闘行動は不可能と判断、これより帰投する」
後席でぐったりとするローネを一瞥して、娘の身を案じる父親のような表情をしたラミレス。4機の蜂はふたたび編隊を組みなおし、暗雲の空に消えていった。

「幕間―ジュディ一家の楽しい休暇」

 「ねぇパパ!見て見て!ジャンボジェット!」
愛娘シェリーがきゃっきゃっとはしゃいで、空港の窓ガラスに小さな手のひらを重ねる。今日、私達ジュディファミリーは、ノーム幽谷での長期休暇を切り上げて、本国アピート国際空港に帰ってきたのである。
今年の夏はいろいろと忙しく、家族になんにもしてやれなかった。せっかくの夏休みだというのに、愛娘シェリーは家から一歩も出れずにいたのだ。
シェリーの機嫌を直すべく企画したノームへの休暇。山間に転々と建つログハウスを貸しきって、1ヶ月を過ごす。夏を越えたノームはこれから秋へと向かう美しい季節、妻ジェニファーも喜んでいた。
だがその旅行も、戦争によって儚く消え去った。旅行3週間目のことだった。旅行の最後にはとびきりすごいサプライズを用意していたのに、それは水の泡となってしまったのだ。
このときばかりは、戦争を憎んだ。なぜいつもそうは思わないかって?私は兵器工場に勤めているからだ。
私の職場復帰を望んでいる部下たちは口々にこう言うだろう。『今回もオーシアの”正義”の戦争でうまいメシが食えそうだ』と。
私たちはこのオーシアに忠誠を誓っているが、何もそこまで忠実な愛国心を持った国民ではない。今までにオーシアが進めてきた強欲に塗れた戦争は分かっていたし、そしてそれを見ないふりもした。食べていくために。
家族を養うためために。どこか知らない国の人々を大勢殺した。だがそれは違う。兵器工場で働く人間は殺人鬼ではない。そう、それを使うものによるのだ。
おそらくほとんどのオーシア国民はそう思いながら日々を営んでいるだろう。気違い染みた愛国心で働く人間なんてクソ食らえだ。
「シェリーが言っていたわ、パパも戦争に行くのって」
妻ジェニファーがベンチに腰掛けながら言う。それを私ははは、といって笑った。
「シェリーと同じ歳の子はそう思うだろうな、俺もそうだった」
「あら、15年前の戦争のときあなたはティーンエイジャーだったんじゃ?」
うふふと微笑みながらジェニファーが言う。私は『ばれたか』などと言って、ジェニファーを抱き寄せた。その時。
「パパ、見て!飛行機からでっかい車が!」
シェリーが指差す方向を見て、私はこれまで以上の無い戦慄を覚えた。そしてその刹那、私は素っ頓狂な声を上げてシェリーへと駆け寄った。
「逃げろ!」
その場にいた乗客たちが一斉にこちらを見る。まるで変人を見る目のように冷たい目だ。だが次の瞬間、それは恐怖へと変わった。
「戦車!戦車だ!」
ターミナルの窓ガラスの向こうに、51口径の主砲を向けるT-90戦車の姿が見えた瞬間だった。
「パパ!」
シェリーもあの戦車が殺意を持っているのを感じ取ったらしく、涙声で私に抱きつく。私はジェニファーの腕を掴んで非常口に韋駄天の如く駆けた。しかし―

Ace combat 5 総力中枢のトータル・ウォー 

Ace combat 5 総力中枢のトータル・ウォー 

  • 小説
  • 中編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-23

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 幕開
  2. 「牛鬼蛇神のアヒルの子」
  3. 「飛兎竜文のアクトグラム」
  4. 「寸草春暉のインスティンクト」
  5. 「四鳥別離のインスティンクト」
  6. 「電探接敵のキルゾーン」
  7. 「幕間―ジュディ一家の楽しい休暇」