彼と私の誰かの為の嘘(改) part1

七月三日、私は珍しく浮かれていた。
彼に会うのは四年ぶりくらいになると思う。よく彼が私の事を覚えていてくれたものだ。

私?

忘れられるわけなんかない、あんなにも恋焦がれた人を。

          *

久しぶりのメールが送られてきたのは一昨日のこと。内容は、誕生日にプレゼントをくれという催促だった。
私は一方的にプレゼントをあげるのはシャクだったから、交換条件として彼も私に何かプレゼントする、ということにした。
そんなやり取りをした後、私は、何軒もお店を巡った。スポーツショップ、パティスリー、雑貨屋、そしてその末に見つけたのが青と黒のガラス装飾が施してあるブレスレット。値札を見て驚愕したことはさておき、私はそのブレスレットをラッピングして、待ち合わせ場所へ向かった。
らしくもないスカートなんかはいて。

待ち合わせは、近くの公園。集合時間よりもかなり早くついてしまったらしい。しばらく待っていると、道路の向こう側から彼の声が聴こえた。
「お~い。藍原!」
四年前よりも低く太くなったけれど、一瞬で彼だとわかる声だった。
私は、その呼びかけに応えた。
「コウ!元気?」
久々に呼んだ彼の名前は、私の咽喉を熱くした。
彼は、私の記憶の中の姿よりも背が伸びていて、身体つきがガッシリしていたけれど、意地悪で優しい瞳は昔のままだった。
彼は、笑っていた。
無邪気な笑顔。
その笑顔に何度救われて、どれだけ苦しんだか、彼は知らない。どんなに大変でも、悲しくても、笑っている。でも喧嘩っ早い。
そんな人だったなと思い出している間に、信号が青に変わった

          *

その後何が起こったのか、あまり覚えていない。
ただ、私が止めた時にはもう手遅れで、彼は信号無視の車に轢かれた。その車は、彼には目もくれずに走り去っていった。その時私は、救急車を呼ぶことしかできなくて、あとはただただ、彼の傍で彼の名前を叫んでいた。

時が止まったようで、景色も人々も、そこに存在しているすべての物が感じられず、私と彼が、無の空間に取り残されている気分だった。

救急車が到着して、彼と私は救急車に乗せられた。車中では、救急隊員の人が電話で電話の向こう側の人と難しい用語で話し合っていた。
私もいろいろと訊かれていたけど、肯くとか、首を横に振るとかでしか意志を伝えられなかった。
何も訊いてほしくなかった。私に現実を見せないでほしかった。まだ、無の空間に閉じこもっていたかった。
救急車が病院に着くと彼は、ストレッチャーで、緊急治療室へ運ばれた。きっと手術でもするのだろう。私は、看護師さんに誘導されてシャワー室へ向かった。そこでは、血を洗い流して着替えるように言われた。
そこで初めて私は、自分が血で染まっていることに気づいた。

シャワーを浴びながら私の中を様々な考えが廻った。どうして、もっと早く車に気づけなかったのか、気づけていたら彼は助かったかも知れないのに。もし、もし彼が助からなかったら。
病院から早く出ようと思った。薬品の匂いと、周りの喧騒で発狂しそうだったから。しかし、次に案内されたのは診察室。そこには、紳士的な印象の先生だった。訊かれたのはありふれた事だった。車のナンバーや事故当時の状況について。けど、私は、あまりそれらについて相手が期待するような答えを言うことができなかった。

覚えていない、というよりは思い出したくない、の方が近いかも知れない。あの時の映像を頭の中で再生するのが怖かった。医者はいくつか質問をした後、もう訊くことがなくなったのか、一言。
「君は強いね。」
泣かなきゃいけなかった?泣いて、わめいて、それで、あなたがなだめる筋書きだったわけ?言ったら相手の思うつぼだと思ったから、辺事だけしておいた。

帰りたい。素直にそう思った。疲れた。けれど、看護師は手術室の前の長椅子に座るように勧めてきた。どれくらい彼は手術をしているのだろうか。壁にかかった時計を見た。私がシャワーを浴びる前に見た時から、一時間半経っていた。
「コウ」
呼んでみた。応えて。笑っていつもみたいに。
「なんだよ。」
言ってよ。お願い。私、壊れてしまいそう。
 それから、少しすると、遠くに彼の家族の姿が見えた。私は急いで荷物をまとめた。できれば、彼の家族と顔を合わせたくなかった。

涙で顔がグチャグチャだったわけじゃない。事故のことを訊かれたくなかったわけじゃない。
ただ私はその時恐ろしく恍惚な顔をしていたと思う。
彼から流れ出る血液、柔らかな髪の毛、異常に速い脈、火照った身体がこの手に染みついていた。
私はそれらに不謹慎なほどドキドキしていたのだ。

三日後、事故のことがあまり報道されてはいなかった。
それは私にとって幸いだった。
早く忘れてしまいたかった。
彼がどうなったのか、考えるのはやめようと思った。


もし・・・・・・・。


もし駄目だったらつらいだけだから。

彼の家族に私の事は伝えないように病院に言っていたが、どこからともなく私の事が家族に知れたらしく、夜電話がかかってきた。

幸い一命は取り留めたらしい。しかし、いまだに意識は戻らない。そう電話で彼の母親らしき人物に告げられた。
そして、彼に言葉をかけて欲しい。彼の母親は、涙声で絞り出すように言った。
もしかしたら、最後に会おうとしていた貴方ならコウも目を覚ますかも知れないから、と。
「わかりました。」
としか返せなかった。会うのが辛いなんて、言えるわけがなかった。
私にも事故の責任の一端はあるわけだから。

           *

次の日、私は病院に向かった。六〇五号室、個室だった。
その病室があるのは、重症の患者さんが集まっているフロアだったようで、空気は冷たく張りつめていて、どこからともなく人の泣き声が聴こえてきた。
病室のドアをノックした。どうぞ。生気の無い声が聴こえてきた。
「失礼します。昨日お電話を頂いた者です。」
そう言って入ると、彼の母親は驚いたように、
「あら。未帆ちゃんだったの?」
「はい。」
私と彼は昔からの知り合いで、彼の母親とも何度か会ったことがある。
「そう。未帆ちゃんだったの。ごめんなさいね。巻き込んでしまって。」
最後の方は殆ど吐息も同然だった。
「謝るのは、私の方です。すみませんでした。もっと早く気づけていれば、コウはこんな目に遭わなかったんです。」
すると彼の母親は、もういい、というように首を振った。
彼は、眠っていた。不気味なほど柔らかな顔で。
「コウね。時々誰かの名前を呼ぶのよ。」
胸が疼いた。ずっと前の苦い想いが蘇ってきた。
「アンって言っているんだけど、未帆ちゃん誰だか知ってる?」
杏。
やっぱり彼はまだ杏の事を想っていた。
「小五の時に転校してきた子で、ずっとコウが好きだった子です。」
「そうなの?いっちょ前に恋なんてしてたんだね、この子は。」
恋という言葉が頭を離れなかった。


彼は一目惚れだと言った。
杏が転校してきて初めて自分の隣に座った時、その仕草と声と笑顔に心をごっそり持って行かれた、と彼は照れながら私に話した。
秘密だよ、私に念を押した。誰かに言うはずなんてなかった。そんな自分の首を自分で絞めるようなことを。
それから、彼の片想いは始まった。
彼は大胆なアピールはしなかった。
けれど、ふとした時に、重い荷物を代わって持ってあげたり、係の仕事を手伝ったりして、少しずつ彼女との距離を縮めていった。
けれど私の知る限りでは、彼の恋が実のることはなかった。彼女には別に好きな人がいて、彼はその人を超えられなかったのだと思う。
彼は卒業式の日、彼女に想いを伝えた。
緊張した面持ちで、私に、「伝えてくる。」と言った。私はその背中を押すことしかできなかった。「頑張れ。」それしか言えなかった。
本当はもっと他に言いたいことがあった。けれど、その時の彼の瞳が今までで一番綺麗で何も言えなくなってしまったのだ。

その告白が成功しなかったことは、風の噂で知った。彼の口からでなくて良かった。もしも彼から直接聞いていたら、私はこの想いを抑えることができなくなっていただろう。
そんなことを思い出しながら、私は彼の顔を見つめていた。
「コウは、杏の話をする時、とてもいい顔をしていました。絶対に振り向かせてみるんだ。ってずっと言っていました。」
彼の母は、そんな私の言葉を嚙みしめるようにして聞いていた。しかし、ふと思いたったように私にこう訊いた。
「未帆ちゃんは、そのアンって子と連絡なんて取れないわよね。」
「え!?」
「いや、もしかしたら好きな子の声を聴けばコウも何かしら反応してくれるんじゃないかなと思ってね。」
そうかも知れないと私は思った。杏の声を聴けば、彼はこっちの世界へ戻ってくるかも知れないと。けれど私は、
「すみません。そこまで親しくなかったので。」
嘘だ。杏とはそれなりに親しかったし、連絡先も知っていた。でも、知らないと言った。なぜだかは、私にもわからない。勝手に口が動いていたのだ。
「そう。ごめんね、未帆ちゃん。あと、救急車を呼んでくれてありがとう。コウの名前を呼び続けてくれありがとう。」
「いえ。」
「そうだ。未帆ちゃん。コウの血で、洋服汚れちゃったでしょ?ずっとコウの近くに居てくれたんだものね。」
「大したことありません。」
「そう?クリーニング代出すわよ?」
「そんなわけには。それに、処分するつもりですから。」
「そうね。そうよね。忘れてしまいたいものね。」
痛いところを突かれた。忘れてしまいたい。事故の後ずっとそう思い続けてきた。
けれど、彼の母からしてみれば、彼が意識を戻すまで、あるいは命が消えるまで、時は止まったままだ。
忘れられるはずなんかない、忘れることのできない記憶となるのだ。
「そんなことありません。忘れたいなんて。コウは、今もこうやって苦しんでいるんです。なのに元凶の私がそれを忘れるなんて。あってはならないことです。」
それもまた、忘れたいという思いと反対にあった私の気持ちだった。
彼は私がいたから、彼をまだ好きでいたから。会いたいなんて思ってしまったから。
「ありがとう。ありがとう。」
彼の母は涙を流した。その姿を見ているのが辛かったから、私は、彼の母に彼と二人きりにしてくれるように頼んだ。すると彼の母は快諾してくれた。

部屋の中に二人きりになった。部屋がとても広く感じた。
「ねぇ。コウ。」
彼はピクリともしない。結局、私ごときでは彼の心を、命を揺さぶることはできない。
「コウ。告白失敗したんだって?やっぱり。杏好きな人いたでしょ。」
コウには届かない。でも、それでも止めない、止めることなんてできない。
「バカ。私なんかに会おうとするから。脇目も振らずこっちに来ようとするから。だから轢かれちゃうんだよ。
でも、それだけで死んじゃうの?生きることを諦めるの?」
息が荒くなる
「そりゃ、辛いことだって沢山ある。意識が戻ってもリハビリきついのかも知れない。でも、だからって、死ぬの?苦しんだ分良いことだって必ずある。」
もう、夢中だった。
「杏の事だって、絶対好きにさせてみせるんでしょ?言ってたじゃん。なのにたった一回で終わり?それで想いを遂げたつもり?」
泣きそうだった。
「なんとかいいなよ。そんな弱っちぃアンタなの?」
今まで流れることのなかった涙が、一粒だけ流れた。
「私が好きになったのは、そんなアンタじゃない!」
私は、外で彼の母が聞いているのを知らずに想いをぶちまけた。
ずっと伝えられなかった想い。こんな形でお披露目なんて。
コウは聞いてはくれないけれど、私にはそれで十分だった。
弱っちぃのは私だ。私の方こそ諦めて友達をやっていたのに。彼のことを非難する資格なんてない。
「コウ。アンタは私にいろいろくれたんだよ。恋をする苦しさも、誰かひとりを好きだと思う気持ちも、全部、全部、コウがくれたんだよ。
なのに、私は何もお返しできてない。そんなの悔しい。貰ってばっかりなんて。」
私がそんな気持ちであったことを、彼は知らないけれど。
「死んだら駄目。みんなを悲しませる気?」
最後にそれだけ言った。

それだけ言った。

帰ろう。そう思って病室を出ると、偶然彼の母と遭遇した。
「あら。もういいの?」
「はい。伝えたいことは伝えました。」
「そう。わざわざありがとうね。また来てね。」
そう彼の母は優しく私に告げた。その時の顔が少し驚いたようだったが、私にはそれを気に留める余裕がなかった。

家まで、誰とも目を合わさないように下を向いて早歩きで帰った。

           *

家で私は、自分でも驚くほどに泣いた。声を押し殺して、溢れる想いを流した。

彼と私の誰かの為の嘘(改) part1

多少の加筆、訂正を加えました。
おそらくpart3まで続くと思います。
終わりはまだまだ遠くに見えますが、きっと終わります。
エンディングは考えてあるのですがそこまでの道のりが大変です。

part2も続きを書いていますので、ぜひ。

彼と私の誰かの為の嘘(改) part1

あなたを好きなことも あなたが好きな人のために努力していることも あなたと私の間にある秘密も あなたが望むなら偽っていける

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-22

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