日盛り
1
太陽の光をたっぷり浴びた風が髪を撫で、緩やかに吹き抜けてゆく。翻ったカーテンの隙間から覗く空は青く、そして眩しい。
「……暑い」
言葉の端から溶けそうな声で呟くと、大和は床の上に転がった。肌が板に触れた瞬間、えも言われぬ冷涼感に口からふぁっと息が漏れる。
フローリングは体温ですぐに温まったくなってしまうが、転がることで半永久的にリセット出来る。畳は寝心地こそ良いものの、涼をとるには今ひとつだと大和は思う。顔に跡が付くのも、いただけない。
流浪の民よろしく居間をごろごろと移動していると、省エネモードの頭がろくでもないことを考え始める。例えば、冷蔵庫を冷房として使用した場合のコストとリスクについて、床で涼を取るより良い方法について、等々。纏めると多少はまともな気もするが、実際のところは『ああ、冷蔵庫のドアを全開にして涼みたい……でも、見つかったら怒られるだろうなー……生モノ、腐っちゃうよね……確実に。床でも気持ちいいけど、転がるの面倒臭いんだよね……ああ、もう、いっそのこと板になりたい……板に……』である。『実際にやったら、人間として大事な何かを失いそう』となけなしの理性がストップを掛けているだけ、まだ幾分マシなのかもしれない。尤も、実行したところで着地点は変更を余儀なく
されるであろうが。
思考によって消費されるエネルギーについての知識は皆無だが、例えそれが限りなくゼロに近いとしても嘆かわしい状況であることに変わりはないだろう。
怠惰な時間はしかし、永遠に享受出来るものではない。
悪びれることなくだらだらとしていると、顔にすっと影が落ちた。
「背中痛くないか」
「んー」
すっかり聞き慣れた呆れ声に、大和は唇すら動かさずに答える。言われてみれば肩甲骨の辺りが痛むような気もするが、涼しさには代え難い。
「どっちだよ」
諦めにも似た感情を滲ませながら、それでも嵐は投げ出すことなく続けた。
「修理、二時に来るんだろ。あと……三十分ぐらいか。それまでにちゃんとしろよ」
「あー、そうだった」
床と一体化しつつある原因を思いだし、大和は緩慢な動きで瞼を擦った。
「しっかりしろよ」
暑さはここまで人を堕落させるのかと嘆く声に、力は無い。それが少なくとも昨夜の酒宴のせいでないことは、確かだ。彼が二日酔い知らずであることは、飲酒解禁一年目にして既に立証済みである。飲み過ぎる前に眠ってしまう自衛能力を、誠邦は羨み、史司は気の毒だと言う。
「だって、暑いんだもん」
文明の利器がただの箱と化してから何度口にしたか知れない台詞が、心太のように大和の口をついて出る。悪気は無いが、回す気も遣う気もまた同じく皆無である。
「暑くても寒くても、地球は回ってるし世界は動いてる」
散乱している蓙の座布団を押し入れに仕舞うと、嵐はモップ掛けを始めた。てきぱきと掃除をする姿は、夏休みにも関わらず毎日学校のグラウンドや体育館で部活に励んでいる学生のように眩しい。
そんな働き者の働きっぷりを床にへばりついたまま眺めていると、
「諦めて起きろ」
通りざまに足首をとん、と蹴られた。
「鬼……」
一時は転生の可能性まで考えた床との別れは辛く、しかし、といよいよ意を決して立ち上がった。その瞬間、むっとした空気が全身に容赦なくまとわりつき、大和は如何ともし難い気怠さに襲われた。
暑い、怠い、無理……。
「ねえ、このままじゃ」
気付けば、なけなしのやる気が全面降伏に乗り出していた。
「それで、その頭で、立ち会う気か」
さすがの嵐も、もう我慢ならんとばかりに勢い良くぶった切った。
暑さは人を変える。
「あ、らし……」
「……悪いが、お願いだから少しはまともな格好をしてくれ」
様々な感情を滲ませながら、しかし静かに告げると、嵐は背を向けて掃除を再開した。
自分の髪型が本来の癖に寝癖が加わり無造作ヘアなどという万能な言葉ですらカバー出来ない域に達していることは、暑さで沸いている頭でも容易に想像がつく。
「……だよね。ごめん」
罪の意識に苛まれているであろう背中に心の中で手を合わせると、大和はふらふらと洗面所へ向かった。
日盛り