公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(15)
十五 長いお別れ
トイレは思う。俺は、今まで、何年、ここにいたのだろう。人間のように、赤ちゃんで生まれて、成人して、老人になっていく人生を過ごすのではない。いきなり、成人となって、トイレとしての役割を担い、排水管が詰まったり、電球が切れたり、ドアが開かなくなったり、水漏れが起きたり、外壁にひびが入ったりするものの、その都度、修理・修繕がなされ、トイレとしての機能は維持されてきた。年を取るという感覚はない。
二十四時間、三百六十五日、そして、何十年間、ここに存在してきた。つまり、あるがままだ。そして、ある日、もう必要がなくなったという張り紙が貼られると、壊されてしまう。つまり、存在しなくなる。つまり、死だ。なんだか、あっけないような、あっけがあったような、人生、いや、トイレ生だった。
これまで、様々な人間の愚痴を聞いたり、ゲロを吐かれたりするなど、全てを受け入れてきた。今、思い返すと、この生き方はよかったような気がする。別に、取り壊されるからといって、感傷的になっているわけでない。あっ、ユンボのつめが俺の体を掴んだ。
「バキバキバキバキ」
幾星霜を経て、古びることはあっても、壊れることは決してなかったコンクリートの塊が、粉々に崩れ落ちる。
「公衆トイレの取り壊し、はんたーい。もっと、市民の声を聞け。あたしたちの居場所はどこにあるんだ」
シュプレヒコールの波がうねる。これまでの自分を愛用してくれた人々の声だ。ひどい使われ方もしてきたが、今となっては、思い出がある分だけ、よかったのかもしれない。
体に飾れられていた風船たちが、糸が切れ、空に向かって飛んで行く。外壁の造花は、無残にも、周囲に飛び散る。
これまで、顔を合わしたことのなかった人々が、スクラムを組んで、俺の周りを取り囲んでいる。掃除道具の箒を振り回している中年女。風船を手にしたままジャンプしている女。座薬を掴んだ右手の拳を突き上げている男。トイレットペーパーを体中に巻いている女。タバコをくゆらせている男。口に花を咥え、ダンスを踊っている女。短パンにランニングシャツのランナー。酸素缶を周囲に振り撒いている女。段ボール箱を楯代わりにして行進しているサラリーマン。
みんな、名前は知らないけれど、顔は知っている。深く、長い付き合いだったからだ。その内側には、機動隊員と役所の人間がいる。取り壊しの業者は、黙々と、自分の仕事をこなしている。そう、みんあ、自分の仕事をしているのだ。
「グシャ」大きな音がした。トイレの天井部分がはぎとられ、ダンプカーの荷台に運ばれた。
「あああああ」周囲から悲鳴のような、あきらめのような声が出た。だが、トイレに痛みはない。人間が作ってくれたトイレだが、幸運にも、痛みを感じる神経までは配線されていなかったからだ。これも、人間のささやかな思いやりなのか。
便器が太陽の光の下にさらされた。これまで、電球の明かりしか知らなかったので、眩しい。じっと陽射しが当たっていると、暖かい。また、天井がなくなると、開放的だ。風が吹く。気持ちいい。たまに、ドアが開けっぱなしになって、風が吹き込んできたことはあったが、全方位から吹く風と戯れるのはいいもんだ。取り壊しと同時に、水が撒かれているので、ほこりは舞わず、咳き込むことはない。
「ああ、いい天気だ。本当に、いい天気だ」
公衆トイレの意識は薄れた。
「わっしょい」
「わっしょい」
元気な掛け声の下、トイレが宙に舞う。そう、トイレは神輿のように担がれ、駅の周辺を練り歩いている。トイレが神様になったのだ。
トイレは見た。駅の二階につながるエスカレータ、その隣にはデパート。駅ビルの中の銀行、自転車が乱雑に置かれた歩道、女子高校生がだべりながらショートケーキを頬張る喫茶、部活帰りの男子高校生が小腹を満たすため、たむろしているコロッケ屋。コンビニもドラッグストアもカラオケ屋もある。何故だか、仏壇屋もある。再び、駅ビルが見えた。神輿がぐるり一周したのだ。
自分の周りにはこんなにたくさんの店があったのか。トイレは、今さらながら驚く。地域に根ざして数十年。強固な基礎で地面にへばりついていたため、自分から出歩くことができなかった。お客さん(トイレの使用者)がつぶやきから、ある程度の情報は仕入れていたものの、実際に目の辺りにすると、全く異なる。ここは、一大ワンダーランドなのだ。そして、自分も、その一部だった。
トイレの担ぎ手は、掃除おばさんに、風船姉ちゃん、ダンスお姉さん、ジャージのランナー、段ボールを被った箱男などだ。その周りを、通勤客や学生などが取り囲み、その周りを役所の職員や警察官、取り壊し業者などが取り囲んでいる。みんなが声を合わせ、
「わっしょい」
「わっしょい」
と、トイレを持ち上げる。その度ごとに、トイレは空にわずかだが近づく。こんなことは初めてだ。これまで、トイレは、がっちりと基礎は固められ、何十年も駅前で地に足(足はないが)を付けてきた。 それが、取り壊しの運命とともに、これまで、経験することのなかった移動ができるなんて。生きて来てよかった。最後の、最後に、胴上げまで、神様の扱いしてくれるなんて。だが、気をつけなければならない。人間世界では、持ち上げるだけ持ち上げて、後から、手が離され、奈落の底に落とされることはよくある。トイレ使用者からよく愚痴を聞いたものだ。その時だ。
「うああ、水だ」
トイレを担いでいる人の頭に、肩に、胸に、水が飛び散る。トイレから水が溢れたのだ。老朽化していたので、屋根や壁の隙間から雨水がしみ込んでいただろう。ひょっとしたら、水道管や排水管の亀裂から水や汚水が漏れていたのかもしれない。
「かんべんして。この服、昨日洗ったばかりなのに」
神輿を担いでいた掃除おばさんが、手を離す。
「いやん」
風船姉ちゃんも、手に持った風船もろとも担ぎ棒も肩から外す。
「段ボールがべちゃべちゃだ」
サラリーマンも列から外れる。
「ドスン」
大きく傾き、地面に落ちた神輿のトイレ。
「ガラガラガラ」
構造物が、夢が崩れて行く。
やっぱりそうか。トイレの予想未来図は、現実になった。ただし、ジャージのランナーだけが、
「みんな、どうしたんだ?誰かが水を掛けてくれたんだろ。汗を掻いた後のシャワーは気持ちいいぞ」
と、斜めに傾いたトイレから離れることなく立ち尽くしていた。
「冷たい」
トイレは夢から覚めた。頭に水を掛けられたからだ。いや、もうトイレではない。トイレの外壁は壊されたものの、どういう訳か、基礎だけは遺った。おげで、今は、花壇の底床になっている。基礎まで掘り起こしたら、費用がかさむため、多分、再利用したのだろう。その基礎部分に土が乗せられ。周囲にレンガが積まれ、花壇が一丁出来上がったわけだ。花の根元に水が撒かれ、水が土に浸み込み、底床まで、そう元トイレの基礎にまで、到達したのだ。
「さあ。みんな元気かな」
お掃除おばさんの元気な声が聞こえる。いや、違う。今は、公園管理おばさんだ。おばさんは、水道栓をゆるめると、花に向かって、水を遣っている。今は、夏。花壇には、ひまわりの花が揺れている。あれから、公衆トイレは予定通り、取り壊され、風船も造花も、タオルも酸素缶も一緒になくなった。その後の残地には、ポケットパークが整備され、花壇とベンチができた。このポケットパークの管理が、これまで掃除に専念していたおばさんに任された。お掃除おばさんは、春の到来とともに、公園おばさんに衣替えした。
公園おばさんの仕事は、花壇への水やりなど花の管理と周辺の掃除だ。以前と同じように、掃除を終えた後、ベンチに座って、花を眺め、憩いの時間を過ごすのだろう。
「さあ、終わったよ」
おばさんは花に話し掛けると、拾ったゴミを持って、公園から立ち去った。背が高く伸びたひまわりの花が、風に吹かれておじぎした。
おばさんが立ち去った後、若い女性がやってきて、ベンチに座ると、風船を膨らまし始めた。その横では、お尻をベンチに押し続けている男がいて、花壇の周りでは女がダンスを踊り、花に向かってタバコの煙を吹きかけている男や、トイレットペーパーの代わりにティッシュで洟を拭いている女、股関節やアキレス腱を伸ばしているジャージ姿の中年ランナー、酸素を辺りに撒き散らしている女、そして、段ボールをベッド代わりに昼寝しているサラリーマンがいた。
公衆トイレよ。顔を真っ赤にして立ち尽くしている、あの娘の元へ飛んで行け!(15)