寝台列車

それが一番、比較的安くて比較的居心地が良いとのことで、我々は寝台列車に乗り込んで

それが一番、比較的安くて比較的居心地が良いとのことで、我々は寝台列車に乗り込んで、遠くに行くことになっていた。たしかにその方法は、その時代において遠くに行くときの普通の方法だった。だけど、当時の私にとっては普通じゃなかった。寝台列車に乗ることが生まれて初めてだった。そもそも、遠くに行ったことが無かった。電車に乗った回数も少なかった。あまりにも都会に住んでいたので。
列車の出発は夜の7時23分だ。夏だったので、まだわずかに日が残っていた。駅は煌々と、隙間なく明るかった。とても大きな駅だった。プラットホームがとても長く幅も広かった。そしてしばらく待った後、やってきた列車は普段見かける列車とは形が違い、寝台を持っている感じがした。プラットホームから見える列車の中は廊下だ。その時は明かりがついていた。外観は金属質な見かけで、おもおもしく、塗装は深い青だった。列車も正面も来た時にわずかに見ることができたが、丸みを帯びていて、真ん中に大き目なライトが一つ、それだけだった。そして、僅かに細く窓が見えた。警官が盾から外を伺うように、車掌は列車を操縦するのだろうか。今思えば奇妙に思えるけれど、だがそれが何だというのか。
我々は、ここが重要なキーワードになるかもしれない、11号車の6番という部屋をとっていて、右と左の壁際二段ベッドが閉めていて、まさにベッドの為だけの部屋だった。中央に窓がった。広くはないけれど、そこから流れる景色を見ることができた。ここまでは良く覚えている気がする、それから我々はトランプとかして、酒を買いにいって、いろいろと意識しながらふざけ合っていた。そこからがはっきりしなくなる。誰かが寝ようと言い出したのか、列車が消灯し始めたのか、あるいは自然と、自分がベットに入って、カーテンを閉めたことは覚えているが、その時既に部屋が暗くなっていたのか、明るかったのかは覚えていない。つまりどの時点がかが、ハッキリしないのだ。とにかくある時点で、今が夜中だと知り、自分が寝れないことが気になりだして、それからしばらく我慢し続ける時間が続いた。

まるで……埋められたばかりの棺桶みたいなベッドの中だった。手を伸ばすと天井に触れられた。カーテンは分厚く、最後に見た時は緑色に見えた。シーツはやたらと白くパサパサしていて、毛布は紙みたいに薄く無視できない程にちくちくしていた。僕はどこに向かっているのだろうか。目的地には明日着くことになっている。明日はいつ来るのだろうか。思い切ってカーテンを開けてみると、真っ暗な客室に、窓から夜空の明かりがさしこんでいるのが見えた。それは銀色の光に見えた。うっすらとした膜のような…
タタン タタン タタン
誰もいない無人の部屋だ。カーテンを開けて見える狭い個室には僕だけしかいないようだった。他のベッドのカーテンは閉められている。こうしてカーテンを開けたことで、この部屋に一人でいることになった。何事も考えず、俺は、室内を眺めていた。しばらくすると、そこに変化があることに気が付いて、それを観察し始めた。時々、僅かに明るくなるようだった。それが何の光なのか、分からなかった。わずかに水色を含んでいる。何度か光は現れては消えていった。7回目の光で、それが何らかの信号ではないかと気が付いた。一定のリズムがある。これはもしかすると、とんでもない遭遇になるのかもしれない。UFOなのかもしれない。私は、…いや、まさかなぁ…しばらく動くことを忘れるくらい怖くなってきた。
タタン タタン タタン 
なるべく音を立てないようにして、避けておきたいことだったけど、ベットから降りた。タイルの床はペタリと冷たかった。そして、飛び込むような心地で窓に顔を向けた。
    キラ
なんだ、灯台だ。ああ、良かった遠くに灯台が見える。それから海が見えた。両手を窓ガラスに付けて、僕は窓に映る景色を眺めた。海に届いたんだ。我々は、いつのまにかどんどん遠くに運ばれて来ていたんだ。どうやら列車は海岸沿いの崖の上を走っていて、そして、崖の下には月に輝く銀色の海が横たわり、対岸に細長い別の陸の黒くなだらかなラインが見える。その一角に灯台が見えた。こうして流れる風景を見ていると不思議な浮遊感があった。
   キラ
こんなところで、俺は何をやっているのだろう?ここはどこなのだろう?何で今、家に居ないのだろう?あれからどれくらいたったのだろう?
いろんなことが疑問に思われた。それから、自分が寝ていたベットを見ると、そこだけカーテンが開いていて、中には捻じれたシーツと、押し込まれた毛布が見えた。それは、何か古くて汚れたものの殻の様に見えた。何かの殻。もともとは汚れていなかった何かの。
列車は僅かに揺れてた。緩やかに、微かに。また、それとは別の、一定のリズムを刻む節目があって、それが、列車の進む先端から、一番遠い後部にまですごいスピードで通り過ぎて行った。右から、左へ。
 タタン タタン タタン


        ユラ    ユラ

この列車の通路は、乗車したときよりも狭くなっている気がする。これは気のせいなのだろうか?照明は、とても不便なことに、極めてわずかしか灯されていなく、何かを見失う程に物が見えて、全てがオレンジ色の光に浮かぶか、真っ黒な何色か分からないシミしか見えなかった。古い潜水艦の通路を歩いているような心地になってきた。こちらの窓には黒い影のようなものしか見えない。窓に触れると冷たかった。それにしても、落ち着かない夜だ。まず匂いが嫌だった。大量に洗濯されたものが乾いた後のような、使い古されたものをまた新しく見せようとする匂いが隙間なく漂っていた。この滅菌された感じで眠ることができなかった。あと、毛布のちくちく。何両か通り過ぎた筈、そして、この列車の先の方には、たしかマップ上では、喫煙室があったはずだった。そこで、何本か吸って、持ってきたウィスキーの小瓶を飲み干せば、ここの雰囲気にもなれるかもしれない。もしくは朝が来るかもしれない。ウィスキー残しといて本当に良かった。誰が買ったウィスキーだっけ?
  タタン
着いた。だが、ライターにオイルを入れるのは忘れていた。マップは嘘をついていなかった。ただ、火が出てこないだけだった。とてつもないめぐり合わせというか、超越したものの巧妙ないたずらにしか思えない。喫煙室は、客室の広さと同じくらいに思えた。ただ、ここに二段ベットはない。細長いテーブルと、椅子の用途のパイプのようなものがあった。室内に入っても明るくなったりしなかった。そして、探してみるところ、照明のスイッチも無かった。窓から漏れる銀色の海の反射で辛うじてテーブルに激突しないですんだ。
 タタン タタン タタン
何べん試しても、火は付かなかった。シュッと火花を散らして、1m周辺を明るく、一瞬照らすだけだった。カメラのフラッシュみたいだった。残るのはオイルの香りだけ。蓋を閉じて振ってみたが、なんの効果も無かった。思いっきり願いを込めてみてもだめだった。体温で温めても。
ウィスキーしかないようだった。パイプ状のベンチに腰かけて、窓の方を向いて、それからウィスキーの原液を口に含んだ。口の中と喉が思いっきり痺れた。その感覚や、香りを含めて俺は美味しいと感じた。ふたを閉めて、テーブルに置いた。それから、また灯台の光を眺めた。
キラ…………………
一瞬の瞬きというか、何もかも根こそぎ剥ぎ取るような闇が辺りを包んだ。僕は身を固めた。どうやら、列車はトンネルの中に入ったようだった。差し込める明かりは無くなった。辺りのものはトンネルの闇と同化してしまった。唯一残っているのは、ここのドアの上にあるオレンジ色のライトに光だけ。それもとても弱く。しかもそれは、廊下側にあったので、光が直接ここに届くこともなかった。
タタン タタン タタン
これはなかなか、奇妙なことになったのかもしれない。そういえば、ここでも私は一人だった。こうして、本来は人がいっぱい居る筈の場所で、自分一人だけでいて、おまけにそこは何をやっていたとしても目に映らないくらい暗いときている。一生の内、何度こんなことがあるのだろうか。なかなかわくわくしてきた。テーブルの手を這わせ、ウィスキーをつかんで、もうひと口のんだ。思い切って服を全部脱いでみても良い気もした。そうすると、まったく経験したことのない感覚を味わえるかもしれなかったが、もちろんそんなことしなかった。

頭の中に、この夏の思い出が駆け巡り始めた時、一点の光が突然目についた。ホタルのようだったが。ただ、赤い光だった。それは半円状を描いて、下から上に上がり、一度光を強くした。そしてたら、人の姿が見えた。俺は心の底からぎょっとした。そこに人がいるなんて、予想だにしていなかったからだ。
フゥー      ゆっくりと、タバコの香りが僕まで届いた。
本当に、本当に人がここにいるんだ。…いつからいたんだ?本当に…人なのか?

「あの?」
 オレンジ色の蛍の光がピクリと震えた。真っ暗な闇の中で。
「こ、こんばんは」と僕。
「……………こんばんは」女の声だった。オレンジ色の光の傍から返ってきた。
「あ、えっと、あの?」
「…」
「実は、火を忘れてしまいまして。それで、たばこは持っているんですが、どうにも、何もできなくて。あの、火を貸してくれませんか?もし、よろしかったらなんですけれど」
 また、声が返ってきた。何故か納得できるくらい枯れた声だった。水商売している女の人の声みたいに、多量のアルコールと笑ったり歌ったりの繰り返しで、もうすっかり形を変えてしまった声だった。秋を拾ったような心地がした。
「ああ、いいですよ?………あ、ふふ、まさか、こんな真っ暗なところに先客がいたなんてな。気が付かなかったなぁ。ちょっと、びっくりしたよ!あ、もう一度、声を出してくれませんか。火、貸しても良いけど、マッチの火だから、直ぐ消えるから、できるだけ近くで付けたくて。」
「ここにいますよ?」
「もう一度?」
「えっと、ここです!」
「そこかぁ…」
 赤い小さな火の光が、ゆっくり上下に揺れていた。近づいているのか、ただ、揺れているだけなのかここからでは判別できなかった。シュッっと音がした。もう一度シュっと。
 大きな焚火の様なマッチの火が手に届くところ浮かびあがった。ちょっとした、感動を呼ぶくらい綺麗な光だった。そして、彼女の姿が見えた。極短い間、俺達の視線は重なりあった。目と目があった。男の子のような髪型をした女の人で、おもったよりも華奢で、目が大きくて、鼻がわずかにツンと上を向いていたようの思えた。女の瞳は煌めく漆黒だった。若い女だったが、それも広い意味で若く見えた。そして綺麗な人だと思った。広い意味で。
「ほら、はやくたばこ出さないと。」と女が目の前で話しかけてきた。
 僕は急いで、ポケットから煙草を取り出して、いや、想像よりも急がされた。女はアチっアチっとつぶやいた。僕は急いで謝った。ウソだよんっと女。ようやくたばこを咥えて、火に先端を触れさせた。吸った。女が俺を見ているのを感じた。目を細めているのが分かるくらい静かな見つめ方だった。やがて、たばこの先端がちりちりと赤くわずかに崩れ出した。真っ白な煙が胸いっぱいに広がった。何故だかわからないけど、おいしいと感じた。
 フっと女は息を吹きかけて、火を消した。また、著しく真っ暗になった。
「あ、マッチ、どうしよう…」と女。
「ちょっと、まってください」何故、私だけが敬語なのだろうか。
 火のつかないライターをシュっとして、一瞬の火花で、ウィスキーの瓶を見つけ出した。それのキャップを取り出して、テーブルに置いた。シュッとする。
「ここに、捨ててくださいよ」と僕。
「いいの?蓋、無くなっちゃうよ?」
「いいです。全部飲んでしまうつもりだったし」
 僕は何度か、ライターの火花を弾かせた。女がマッチの燃えカスを蓋に乗せた。
「それにしても、いい香りだなぁ」
「ウィスキーですけど、一緒に飲みます?」
「いいの?」
「も、もちろん」

   タタン     タンタン     タタン

一緒にたばこを吸って、ウィスキーを変わりばんこに口にした。真っ暗だったけど、列車はユラユラ揺れて、時々高速で通り過ぎる節目があり、自分がどこにいるのか感じられた。そして、その感じはとても頼りない感じだった。
「で?」
「はい?」
「お兄さんは、何処に行く予定なの?」
「え?」
「目的地。」
「も、目的地?えっと…」私は受け取ったウィスキーをもう一口、流し込んだ。しっかりと口に含んでから。「あ、遠いところに行く予定なんですよ。どこだったかなぁ~、ええっとぉ、それに目的地っていうか、そういうんでもないんですがね。ただ、明日には着くってことは、ハッキリとしてますよ?とにかくどこかはハッキリとは知らないけど、明日の早朝に、一番初めの駅に」
「何でこの列車に乗っているの?もしかして?」
「何で?」
「あっはっはっはぁ★」と、急に女が大声で笑いだした。それは、全く唐突に闇の中から飛び出してきたので、僕は危うく椅子から転げ落ちるところだった。けたたましく弾ける星屑みたいな声だった。いやはや「もう! 兄さん、自分が何でこの列車に乗ってきているのかわかってないでしょぉ、けけけけけ★ こりゃあ、あかんわ! まったく、あ、ごめん! 悪い意味にとらないでね?違うんだよ…ただね?けけけけ…もう、不思議で愉快なだけで。でも、兄さん、大変だねぇ、よりにもとって、こんなに特急で、引き返すのも大変な夜行列車に乗って。」
「寝台列車でしょ?」
「夜行列車だよ? まあ、寝台列車でもいいよ。あたしもどっちだか、でも、そうだ。旅行かなにかじゃないの?」
「えっと、うん……そうですね、大学のグループで、友達なんだけど、我々でどっか行こうぜってことに。」
「我々は宇宙人である」女がまた訳分からんところで笑いだした。
「もう………困ったなぁ」
「ごめん、ごめん、そっかぁ、兄さん大学生かぁ。あたしも、大学生だったのよ?」
「おやや、じゃあ、何んていうか、先輩? 年上の方ですか?」
「いや、分かんないね。あたし、大学一年で大学なんて行くのやめたから。」
「それは、何ていうか」
「あたしが稼いだ金で行った学校だから、これはいいの。」
 私はそのあたしが稼いだことにいろんな想像をめぐらせずにはいられなくなった。
「兄さん、一人じゃないんだね」

 タタン タタン タタン

「え?ええ、そう、一人じゃない。でも、今は一人ですよ?」
「今、一人なの?そう感じるの?何故、今あたしと話しているじゃない?」
「あ、そうか。いや、そうじゃないんです。つまり、連れとは一緒じゃないっていう」
「なんで、兄さんが今、連れと離れているのさ?」
「どうしてだろう? でも、そんなこと、どうだってよくないですか?」
「行先は連れが知っている。」
「そうです。あれ?言いましたっけ?そうなんですよ、一人仕切ってくれる奴がいて、そいつがいるおかげで僕は何も進めることができなくて、そいつのせいで、僕は二段ベットの下に寝ることになってけど、どういう訳か、旨く寝れなくて、だって、そいつがですよ? 明日は物凄く早いって、だから、絶対すぐに寝てしっかり睡眠時間を取れって言ったんですよ。でも、上からそいつの気配がしていたんですよ。最初の内は。僕は気を使って名一杯静かにしていたってのに!それがそもそもの初めりなわけで?」
「そいつの他には知っている人はいるの?そもそも、何人で?」
「そいつ以外は、どうなんだろう?僕達の意志の伝達というか、お互いの役割への気の回し方って、けっこう複雑で、つまり、言わないことで、何となくうまく運ぶというか?これは日本のしきたりみたいなもんなんですよ。それについては、日ごろから考えています。でも、いいんだそれで。」
「どうしたの?兄さん、とても口数が多くなってきている。」
「へ?」
「他の人は知っているの?」「だから、僕達の事の運びはとても複雑ででしてね」「結果を言って」
「知らないんんです。」
「どうして?」
「どうしてって、……………あ、なんですか?なんでそんな、さっきから質問ばっかりだ。どうして、こんなに質問されなけりゃならないんです?なぜなぜ?ってそんなもん、一個で十分じゃないですか?そんな根ほり葉ほり意地の悪い子供じゃあるまいし。小さい子供の抵抵抗みたいなもんですよ」
「なぜ?」
「………」
「兄さん。あたし、とっても親切心でこんなに質問しているんだ。純粋に、兄さんの為に。兄さん、きっとこういうのって、人生の内でそうないことだと思うよ?100%の真心で、君に問い質す人って、今を逃したらそうないよ? いま、ギリギリそういう機会を得たの」
「なぜ?そんなこと言いきれるんです?」
「どうしてだろう?なにもかも、今のあたしはちょうど良い感じなの。ゆっくりと、これから深く、アルコールと混ざっていく、入り口に立っているから。」
「ちょっと、何を言っているのか。」
「ねぇ、明日っていつからあしたなの?」
「そりゃあ、犬陽が見えたころからかな。」
「あ、今敬語じゃなくなった。それと、明るくなってからじゃないんだね?」
「そうか。」
「兄さん、太陽って書ける?」
「え?」
「うひひ★ 何でも無い。くっくっく、けけけ、でも、君は面白い人だよ。ここにすっかりなじんでいる。それはつまり、ずっと今みたいな生き方をしていたってことだ。だから、逆に言えば。あるいは。君、何も知らないんじゃない。覚えていないんだよ。君はそいつのことを覚えているの?そいつの名前言える?フルネームで!」「えっと」「2秒で言え!」「k!」
「え?ケー?…圭?どっち?」
「kです。」
「そっかぁ、kかぁ。」

 タタン タタン  タタン

 今までで、一番大きな蛍の瞬きみたいに、隣のたばこの火が強く光った。微かな音が聞こえた。チリチリ。女の姿の輪郭が、僅かな光で大理石の象のように、艶々と見えた。
「ふぅー………君はここで、暗闇に塗れているあいだ、何を考えていたの?それに、いつも、何を想っているのかな?君はたばこを吸いに来て、火も持ってなくて、それでウィスキーを飲んでいた。でも、ウィスキーは蓋を閉められたまま、封じ込められていた。君はこんな特急列車の外れで、一人で、真っ暗で、そこでなにもすることなく、潜んでいた。君は何を考えているの?」
「わ、分からないですよ。いちいち、そういうこと、考えたことないし。それに、ずっと真っ暗だったわけじゃないです。僕がここに来たときは、灯台の光とか、夜の海がここの窓から見えたんだ。真っ暗になったのは、そこからで。」
「灯台の光?」
「そうです。みませんでしたか?少なくとも、ここに来る途中で、見れたかもしれないけど。いや、そうか、全部暗くなってからここに来たとしたら。」
「灯台の光は何色だった?それに、いつ消えたの?正確には君が何を考えた時?」
「灯台の光は、確か、白かったと思う。いつ消えた?そんなこと、トンネルに入ってからですよ。瞬きみたいに光が消えて。パッと、窓の向こうが真っ暗になったんです。」
その時、赤い火がユラリと移動して、無くなった。女がたばこの火を消した。ライターの火花をしゅっとすると、女がまだ傍にいるのが確認できた。女は赤いTシャツを着ていたことにその時、気が付いた。それと、腕一杯に何やら細かい刺青が一瞬だと分からない模様を描いていた。僕達は黙っていた。僕は待っていた。女は何も答えなかった。シュッッシュッ、ボァ大きな火がまた起きた。女がマッチの炎でたばこに火を。
「瞬き…兄さん、それ、上から下に向かって黒くなったんだよ。目を瞑るみたいに。」
「? 違いますよ。横からですよ?」
「それは兄さんの常識、とって離れない潜在的は情報処理による、誤解だ。闇は上から下に落ちる。ここはトンネルの中じゃない。だから、兄さんは瞬きといったんだ。」
「トンネルですって。」
「兄さん、静かだとは気が付かないかい?トンネルの中って、もっと轟きがあるだろう?確かにこの列車は良い列車だ。上等な車両だ。でも、これが列車である限り、トンネルに入ればそこの轟を耳にせずにはいられないんだ。今何が聞こえる?」
何も聞こえない。この真っ暗な闇の様に。僕達の吐息と、高速で通り過ぎる節目の音だけ。
タタン タタン 
「君は時計を見つけなければならない。それも、寄り道せずにまっすぐに。時間に余裕はない。ゴメンね。私はいろいろ話していたもんだから。でも、私が居なかったら、君は時計にはたどり着けなかったと思う。この場合、時計のことを思い出せなかったということ。時計は持っているの?」
「今は。」
「どこ?」
「………僕のベットの枕元に腕時計を置いている筈。寝る前に、一回時間を確認したんですよ。あれ?………そういえば、何時だったかなぁ?」
「何号室だったのか、覚えている?」
「えっと、いや、番号までは………番号?でも、そこに行ったら分かると思います。その車両の雰囲気で。微かに覚えているんだ。僕はそういうことは覚えていられるんです。」
「ああ、もう番号すら意味がなくなっているんだ。」
「あの………あなたはさっきまで一緒に居た人と、同じ人ですか?」
「…そうだよ?」
「そうですか。」
「ま、いいや。とにかく、今すぐ、時計を探しに行くの。こんなところで、トンネル気分に浸っている場合じゃないわ。」
僕はウィスキーを深々と口に含んだ。どうも口と喉が痺れるくらいしか感じられなかった。味も、甘いに似ているしか。
「兄さん、それあたしにも分けてよ。」
「いいですよ。」
暗闇の中で、渡せるかどうか、怪しいものだったけど、ウィスキーと差し伸べると、女はそれをすんなり見つけ出した。指が微かに触れた。暖かかった。
「………おいしぃ」と女がシミジミとつぶやいた。

タタン タタン  タタン

「あの……僕ももう一杯飲みたいな。」
 返事がしない。そういえば、いつの間にか、女のたばこの火が消えていることに、気が付いた。「あの………」僕は手を差し伸べた。そうすれば、いつも女がウィスキーを届けてくれたから。そういえば、そうだった。どうして、そこに手があることが分かるんだ?
ライターを取り出して、火花を散らした。
シュ!

 ここには私以外誰もいなかった。
僕は取り残されてしまったんだ。…でも、ウィスキーは?あれは僕のだ。今、自分がみたものが信じられなくて、しばらくジッとしていた。自分が何を考えているのか、考えていた。この得体のしれない違和感を…手元にあるライターが、何か不思議な重みを増したように思えた。この、ライター大きくなっていないか?このライターはいつだったか、少しばかりジメジメした路地裏に落ちているのを拾ったものだった。いわゆるライターで、形はどこでも売っているライターと同じで、角がわずかに削られてなめらかになっている。少し、大きくなっている。俺はここにいるよ?って感じた。
 シュ  シュ   シュ
 自分の頭がおかしくなっている可能性が高かった。部屋の中を一つ一つ確認して、あの女が居なかったという証拠を探した。だけど、まず、ウィスキーは無くなっていて、テーブルには蓋だけが置いていあり、そこにマッチが数本、大分短かったり、長かったりするたばこの吸い殻が、2種類(フィルターの色が違った)、自分以外の人間がいる根拠は見つかった。となると、自分の頭はおかしくなくなっているのだろうか?
窓の向こうはあいかわらず何も見えなかった。火花が散れば、僕の姿が一瞬だけ移った。今日は青いTシャツを着ていた。そこに黄色い字で、英語がかいてある。NEW YORKって。恥ずかしいダサいTシャツだ。もう、ずっと長いことこのTシャツを着ている。このシャツを買ったのは、中学生3年生の時だった。その年に、僕の上に伸びる成長は中断されることになった。もう、5年中断している。買ったのは8月8日だった。友達の一彦と一緒に、駅近くの商店街にいって、映画を見た帰り、一彦が古着屋寄ろうぜっていったんだ。それが何か、すごく大人っぽく感じて、しかも一彦と一緒に服を買うことも、何か優越感を感じれることだったので、僕は了解した。一彦は当時学校で一番の不良グループに居ながらにして優等生で硬派で、何より爽やかでカッコよく、それ以前に悪いことはしない奴だった。一目を置かれる存在だった。その一彦と古着を選びあうのだから、僕としては、たとえどんなに服に興味がなくても、悪い気はしなかった。ただ、つまらないってことだけは正直感じていた。そこで、買ったのが今着ているシャツだった。この色が実際自分に似合うと良いなって思ったから。似合いたい色だ。青。まっさおな、ペンキみたいな。K…一彦。…何故、今、Kという文字が頭に浮かんだんだろう?

タタン タタン タタン タタン

女だ。ウィスキーが飲みたくて、テーブルの上を探した時、それを女が持って行ったことに気が付いた。そして、痙攣するようなゾクっとした悪寒が末端から全身に走った。なんで、僕は女にKと言ったんだ。我々のリーダーの友達を…リーダー?K? 思い出せない。そういえば、女が居なくなってから、今、どれくらい時間がたったんだ? 時間を確かめるにも腕時計がなかった。それは、僕のベッドに置いてあるままだ。時計。
それに、おかしい…入り口の非常灯は、あんなにも弱い光だっただろうか? どうも上だと思えるところに、かろうじて光があると思えるシミみたいなものがあった。シュ ッシュ 僕はライターを使って、慎重にドアの向こうに行ってみた。そして確認した。非常灯の光は弱まっている。いまでは、ライトの形が辛うじて分かる程度の強さだった。そして、廊下も、断然、暗くなっていた。そして、窓の向こうも暗いままだ。確かに、これはおかしい。
タタン タタン  タタン タタン
列車は走っている。
ユラ  ユラ  タタン タタン
 真っ暗な通路を歩いて渡る。ライターの火花で足元を照らしながら。車両を一つ越えた時点で、列車に残る全ての明かりが、いつの間にか消えた。実感したのは、消えてからしばらく時間が経過したのではないかという、妙な既視感に似た時間の感覚だった。ライターの火花で、くまなく見覚えのある特徴を探さなければならない。自分の部屋の番号が完全に思い出せなくなっていた。そんなものがあったことすら実感がない。ただ、女が聞いたってことだけが、頭に残っていた。女の言うことは正しいと直感で分かっていた。
自分が妙な夢のようなものに巻き込まれていることは、やっと納得することができた。それは、今まで経験した悪夢とは比較にならないくらい強力なもので、今が夢だという実感ばまるで無かった。どう考えても、今自分が目覚めているとしか思えなくて、しっかりとこの世界に自分の足で立っていることは嫌に感じられた。非常に困ったことになった。これは、結構まずいことなのかもしれない。顔や手が、冷汗や脂汗で、べとべとになっている。気が付くのが遅すぎたのではないだろうか?あの部屋で女を待ち過ぎた。ちょっとでも、進めば、今が不思議なことの只中にいることがわかったはずなのに。
列車の変化は進行していた。異様に短い車両もあれば、ほとんど永遠に続くとさえ思える車両もあり、そして永い車両の終わりは常に唐突だった。特に、番号とか、文字に対しての変化が著しく、『ロック』という表示が、閉めるに変わっていたり、閉じたや、『と』に変わっていた。ただ、部屋の鍵表示の色は常に赤だった。ドアを開けようとしても、開かなかった。まるで、壁の様に。
「だれかいませんかぁー」と大声を出してみたが、何の返事もしない。しゃがみこみ、頭を抱えてなにもかも放棄したいという欲求がすごくなってきた。暗闇が濃厚だった。この世の全てを丸のみするほどの空洞だった。これが太古からこの世界に根をはる怪物なんだ。命綱はライターだった。絶えずこの火花で闇を飛ばす必要があった。悩みはどんどん親指が疲れてきて、とにかく痛いことだった。それも、とことん痛くなるまで気が付かなかった。いまは持ち替えて、人差し指で火花を付けている。あの時、このライターを拾わなかったら、今の僕は居ない。

タタン  タタン  タタン  タタン

やがて、私はトイレとか洗面所が沢山並ぶ車両に辿りついた。

タタン  タタン

シュ  シュ  シュ
ここでも、私はライターの火花と散らして歩いていった。一度、ドアの近くまで進んで、窓の近くで光を出したが、窓に映るのは僕の姿だけだった。その背後にも、何も映ることも無く。洗面所が並んでいる、蛇口とか紙が見える。どれも乾いていて、ここを通った時と変わりなかった。通った?ただ、このフロアにたどり着いた時、今まで寝台の脇の廊下しか通ってなかったので、変化を感じたのか…何か、落ち着けるものがあった。ここは良いかもしれないと思った。何故いいのだろうと疑問に思い、床から壁まで探り続けた。ここに留まった。そして、ここにはさっきからこの列車を支配している例の進行が届いていないことが分かった。変なものが一つもないのだ。トイレのドアを見れば、ちゃんと青い字で開くと書いてあり、男子便所と女子便所の表示もしっかりしていた。何度も見ても、同じ表示だった。
開く?
私は一つのトイレの前に立って、もう一度火花を散らしてから、ドアを開いてみた。ゆっくりと、だが、1センチ度を開いた時点で、信じられない程の量の光が一斉にその隙間からあふれ出てきた。光の爆発のようだった。僕は悲鳴を上げて、反対側の壁に勢い体をぶつけた。そのまま、激しい痛みに耐えた。目を瞑っても、赤と緑の靄が蠢いて消えなかった。やけどしたかもしれない。だが、光があった。本物の光だ。やがて、ゆっくりと慎重に目を開けていくにつれ、自分の目に映る現実の風景がはっきりと分かり始めてきた。
目を開けると私はまぎれもなく、トイレの洗面所のコーナーにいた。そして、トイレのドアは僅かに開いたまま、こぼれる光を投げかけていた。急に周りのものが引き締まっている印象を受けた。これが光なんだ。この世界における金の輝きのようだった。これは凄いことなんだ。光があるということは。
もう一度、トイレのドアに近づいて、また慎重にその隙間を広げていった。確かに光はより激しく(まるでとても大きな音を聞いているようだった)、大きく巨大になっていたった、今度はそれほどショックもなく、徐々に慣れて行った。もちろん、ゆっくりと時間をかけて。
トイレは普通の列車にあるトイレだった。壁、便器はぼやけた光を放つ鉄の色で、床にはゴムシートが付いていた。便座の脇には手すりもついている。ものすごく狭い、やはり列車のトイレだった。ただ、ここにはだからこそ、きちんとした秩序と正常な世界があった。ここはまぎれもなく現実の空間だった。そこに、強烈に落ち着いた。そして、わずかに無視できない程の匂いが立ち込めてもいた。ションベンが渇き始めている匂いだ。別にどこかに子べりついているようには見えなかったけど、見えないところにそれはのこっていて、匂った。花の香りの芳香剤の隙間にぺったりと。だからこそ、そこに秩序を感じた。現実感がわいてきた。ここが正常な列車のトイレだと感じられた。
とにかく光が気持ちいい。永い冬を越えた北の人々が、久しぶりに朝日を浴びるように、全身で味わった。そして、目を瞑った。瞼の向こうに光があり、目に映るは赤い瞼だ。片隅には小さな鏡とその下には手を洗うための蛇口とわずかな受け皿があった。僕は疑問符を持って蛇口から水を流した。水はあった。それを手ですくい、とても冷たい水で顔を洗ったのだった。水が滴った。床に散った。友達と買った青いシャツで水の滴る顔を拭った。
タタン タタン  タタン
鏡に映るのはいつもの僕だ。もう一度顔を拭って、トイレと、廊下の境界上に立って、それから、私は待つことにした。しっかりと腕を組んで。ここから、現実が広がっていくと考え始めていたから。それが一番自然でありうることに思えた。
タタン
       タタン

                       ッタタン

 タタン     
              タタン



        そして、ふと思った。

    自分が既に詰んでしまっているのだと。




どれほど、時間が過ぎたんだろう?自分が今、立っているのか、どこにいるのかも変わらなくなっていた。頭に何か固いものが重く当たっている気がする。不思議なゆっくりと落下していく感じが断続的に続いた。そして、あるとき、その不思議な渦をかき分けるようにして、ウィスキーの香りが身に染みてきて、そして、気が付けば、腕時計を手渡されていた。しっかりと、指と指を重ねて、誰かに、丁寧に時計を握らされた。それを無くさないようにという、メッセージがあった。メッセージが。やがて、ある時決心が付き、死ぬもの狂いで腕を上げて、手に持つ時計の針を見つけ出した。

寝台列車

寝台列車

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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