安曇野の亡霊

これは数年前に実際に起こったことである。
訳があって人物の名前は変えたけれど、それ以外は事実だ。

小説家になるために勤めていた会社を辞めて数ヶ月したころ、事情があって松本市に住んでいたときに1人の建築家と出会った。年は五十代にさしかかったばかりのハンサムな男で、若々しく日焼けした肌の持ち主だった。髪は黒々として短い。毎日早朝に10キロ走り込み、たまに植物の写真を撮るために登山にいくため身体は引き締まって実年齢より十は若く見えた。名前は仮に、椎名さんとしておく。独身で、安曇野のログハウス風の大きな家にひどく無口な時計技師と一緒に暮らしていた。その時計技師を、僕は圭太さんと呼んでいた。たぶん三十代なかばで、長身でほっそりとしており、小さな円形の眼鏡をかけている。上手にコーヒーを淹れる人で、夜になると静かでスタンダードなジャズをアコースティックギターで弾いた。僕がまだ設計者だったころあちこち海外で撮った写真をアップロードするためにホームページを立ち上げた。会社勤めの傍ら、時間のあるときにマッキントッシュで細かく調整した写真を細々と投稿していたのだが、椎名さんはその中のひとつの写真に大変興味をもったらしい。それはスウェーデンで撮った共同墓地の写真で、青空と広大な草原の中に巨大な十字架がそびえたっていた。椎名さんはホームページに書かれていた僕のアドレス宛てにメールを送ってきた。あなたの写真を見てあなたに興味がわいた。私も仕事でスウェーデンを訪れたときに同じ場所に行ったことがあるが、他のどの写真よりもあなたの写真は、そのときの私の印象と近いのだとメールには書かれていた。僕と椎名さんは何度かメールをして、僕は椎名さんの家を訪ねることになった。ネットで出会った顔の知らない相手と実際に会うのは初めてのことだ。不安感や不信感がまったくなかったといえば嘘になる。だけど、僕は自分の写真に共感を持ったという人が連絡をくれたことをうれしく思っていたし、椎名さんの書くメールの文面を見るだけで彼の穏やかで礼儀正しい人柄が伝わってきた。松本市から安曇野の椎名さんの家までは車で30分ほどだった。そしてなによりも僕は10年間勤めてきた会社をやめたばかりで社会からどこか置き去りにされた気分だったし、実際に人と話したり食事をしたりする機会がぐっと減ってしまっていた。そのころの僕は、人との他愛無い世間話に飢えていたのだと思う。
安曇野と言っても観光地の真ん中に椎名さんの家があるわけではなかった。山野を分け入って人里を離れた自然豊かな湖の湖畔に椎名さんの家があった。周囲には趣向を凝らした瀟洒な邸宅やペンションが点在していた。僕が訪れたときには身の丈ほどもあるザックを背負った登山者を数人見かけた。都会の喧噪を離れた凛とした空気に僕の心もおどった。
林の中にできたエアポケットのような場所に椎名さんの家があった。初夏の強い日差しを遮る林の下は涼しく、庭先にはバーベキューができそうな設備の庭があった。僕は家の前に停められていた黒いアウディの隣に駐車した。
玄関の足拭きマットの上に寝そべっていた毛足の長いゴールデンレトリバーがのそりとこちらをみながら身体を起こして、機械的に低く一度だけ吠えた。まるで気乗りはしないけれど決められているから吠えたのだといわんばかりに。そのあとで犬はまた元のように丸くなった。まぶたを閉じているが、ひくひくと耳が動いてこちらの物音をさぐっている。
玄関から椎名さんが出てきた。白い襟ぐりのしっかりしたラコステのポロシャツにベージュの麻のジャケットと、グレーのスラックスを履いている。僕の顔を見ると、椎名さんはくしゃっと笑い皺を作って「やあ、いらっしゃい」と挨拶をした。

椎名さんは闊達で人当たりのいい人だった。年の差が10歳以上離れていたが、友達に接するような気軽さで僕を扱ってくれたので僕はほとんど気を遣うことなくすぐに打ち解けることができた。椎名さんにはおしつけがましいところはまったくなく、会社勤めで会った他の年上の男性とはまとっていた空気がまるで違っていた。年齢を傘に着て高圧的になることもないし、卑屈なところもない。ありのままの1人の人間として僕に敬意を払って接してくれた。親密ではあるがよく気配りのいきとどいた人というのが僕の椎名さんに対する印象だった。
椎名さんは自宅を仕事場にしていた。椎名さんの家はネット環境が完備されおり、自室の中央にオーク材でできた大振りのデスクがあった。その上にはiMacと製図台と、こまごまとした道具がきちんと整理されていた。彼は自分の仕事について多くを語らなかった。ただ、僕としても訊いたところで建築のことはさっぱりわからなかっただろうと思うけれど。古い大型のレコードプレーヤーに新しいレコードを入れるときに書斎にあるレコード棚のコレクションを見せてもらった。おびただしい数のレコードが棚の中に綺麗に陳列されていた。ジャズのレコードが中心で、何枚かはクラシックが含まれていた。僕はジャズやクラシックについてよく知らなかったが、レコードでジャズを聴くために払われる労力を考えると、椎名さんは相当なジャズファンであるようだ。僕が彼のコレクションの中からコルトレーンのレコードを選ぶと、まるで生まれたばかりの赤ん坊を扱うように丁寧に椎名さんがプレーヤーまでレコードを持っていって、針を当てた。すると古めかしい真空管アンプから音楽が奏でられた。
僕が知る限り、椎名さんはそれほど真面目に仕事に取り組んでいるように見えなかった。いつも椎名さんはリビングでレコードをかけながら、独り掛けのリクライニングチェアで優雅にワインを飲んでいたり、僕や圭太さんをもてなすためにキッチンで手の込んだスペイン料理の前菜を作り、大きなパエリア鍋で伊勢エビの入ったパエリアをこしらえたりしていた。
椎名さんの父親は全国的に有名な精神科医で、その分野では古典とも言える書籍を6冊ほど出版している。精神科医として精力的に活動した数年ののち安曇野に移り、執筆業の傍らこのログハウスで奥さんと2人でカフェを経営していた。そのころには臨床医としての活動はさすがになくなったが、彼の書籍のいくつかはその間に出版されたのだそうだ。カフェの売り上げは上々で、地元の瀟洒な奥さんや、彼の登山仲間たちが途切れなく訪れていたようだ。安曇野に越してきてしばらして妻が亡くなると、カフェはたたんで、この家は椎名さんと父親の2人だけの家になった。
ほどなく椎名さんは大学進学のためにスイスに渡って、卒業後はヨーロッパを転々としていたが、十年前に父親が膵臓癌で亡くなったとき、このログハウス風のカフェと財産と、膨大なレコードコレクションは椎名さんのものになった。

知り合って半年ばかり立ったある日、椎名さんは僕に電話をしてきて留守番を頼んだ。仕事の関係で数週間パリに出張になったのだそうだ。普段は椎名さんが旅行に出るときには圭太さんに留守番を頼むのだが、圭太さんは東京にいる彼の母親の具合が悪いので帰省していた。
「悪いけれど、君しかおもいつかなかったんだ。なに、留守番といっても日に2回、朝と晩にヘルベチカ(それが犬の名前だ)に餌をやってくれさえすれば、あとは好きにしていてくれてかまわない。食料は大量に買い込んであるし、ワインも好きなだけ飲んでくれてかまわない。今の季節はトレッキングしながら写真を撮るのにもいいと思う」
それは悪くない提案だった。松本にある僕のアパートは近々引っ越すために家具を持ち出していた。仕事を辞めて執筆業に入ったことを知った友人がルームシェアをしないかと持ちかけてきていたからだ。彼はロンドンでルームシェアをしていたのだが、ルームメイトが結婚にともなって退居するという話が出てきた。そうなると、世界一家賃の高いロンドンで1人では家賃を払うことができないからと、僕に話を持ちかけてきたのだ。以前から海外で暮らしたいと思っていた僕は、一も二もなく飛びついたのだが、ルームメイトの引っ越しのごたごたが長引いているらしい。気の早い僕は家具をすっかり実家に送ってしまったあとだった。松本のアパートにはMacbookとマットレス程度しか持ち合わせておらず、わびしい思いをしていた。椎名さんの提案を受けると、Macbookとタブレットに読みかけの歴史書を入れて椎名さんの家に行った。約束通りの時間に家についたとき、椎名さんはグレーのスーツを着て、大きなスーツケースをタクシーに運んでいる最中だった。
「やあ、よくきてくれたね」と椎名さんはさわやかに笑った。
「道中気をつけて」と僕が言うと、「ありがとう。ヘルベチカをよろしく」といって、タクシーは空港まで出発していった。

椎名さんが行ってしまったあと、僕はヘルベチカの餌を確認しにキッチンへ行った。ヘルベチカが後からついてきて僕の足に身体をすり付けてきた。餌はまだあげたばかりらしいので、僕は彼の首を撫でてリビングへもどった。リビングに隣接した書斎で僕はレコードを聴きながら1時間ばかり仕事をした。ネットにつないで2、3通のメールに目を通し、文章を書いた。
古いオーク材の机はかなり年季が入っている。椎名さんの家はどの部屋もこぎれいでよく片付いていたが、書斎の中はあらゆるものが時間の流れの中に取り残されたようだった。もちろん、ほこりをかぶっているわけではない。それどころかとりわけこの書斎の中はちりひとつなく念入りに手入れされていた。もともとは椎名さんの父親が使っていた部屋だそうだ。ここに置いてある調度品の全てはかつて椎名さんの父親のものだった。父親が亡くなってからも、椎名さんはまるで主の帰りを待つ召使いのようにこの部屋をそのままの状態に保存してきた。古めかしい調度品たちは、主がいなくなってから彼らの時間を止めてしまったようだ。この部屋では時の流れは親密で優しく心地よい。まるで誰かの夢の中に迷い込んでしまったかのようだ。
部屋の隅にはヘルベチカが丸くなって目をつぶっている。ひどく寂しがりやの犬だ。どの部屋で過ごしていようとも僕が移動するといっしょについてきて部屋の隅で丸くなっている。呼べばうれしそうに身体をこすりつけてきた。眠るときだけはキッチンのわきにある古い毛布の中に入るようにしつけられているが、それ以外の時間は常に人がいる部屋で寝そべっていた。
リビングと書斎は戸口で仕切られていた。リビングには煉瓦で組んだ暖炉があり、三人掛けの革張りのソファがひとつ。コーヒーテーブルをはさんで同じようなデザインの一人掛けのソファが二つ。他にも小さめのコーヒーテーブルが三つとそのまわりに独り掛けソファが二つずつあった。椎名さんの両親はここでカフェを経営していたのだそうだ。大きな窓からは土曜日の朝の日差しが降り注いでいて気持ちがいい。ジャズのレコードをかけながらゆったりとコーヒーを飲むのにちょうどいい。壁には何枚かの山岳写真が飾られていた。雪をかぶった山頂の写真だ。雪はいかにも硬そうで、冬の厳しい寒さのなかで降り続けた厚い雪の層が山頂の山肌を覆っていた。天気はよく晴れており、強い日差しの中で白い稜線がやわらかに波打っている。美しくもどこか寂しげな写真だ。
写真の下には棚が置いてあって、そこに古いコニカの一眼レフとレンズがずらりと並んでいた。棚はガラスで覆われていてカメラショップのようにきれいに陳列されたレンズとカメラにはちりひとつついていなかった。これは椎名さんの父親のものだ。あの山頂の写真ももしかしたら椎名さんの父親が撮影したものなのかもしれない。写真を撮ることが椎名さんの父親の趣味のひとつだった。椎名さん自身もたまにこのカメラを持ってでかけているらしい。

その夜、僕は椎名さんの用意してくれた白のマコンをリーデルのワイングラスに注いで飲んだ。椎名さんが勧めるだけあってなかなかおいしいワインだった。冷蔵庫からローストしていないアーモンドを小皿に移して食べた。ワインは3分の1ほど飲み、持ってきたタブレットで歴史書を30ページほど集中して読んだ。そのあいだ辺りは静まり返っていた。昼間の間は森から聞こえてきた鳥の鳴き声や木々のざわめきがなくなっており、虫の音すらもきこえなかった。時折車の音が聞こえてくるが、あたりに公道はない。近隣の住人が車を移動するときにだけ家の前を通るために聞こえてくるのだが、それも夜が更けていくと一切なくなってしまう。松本のアパートにいたころは駅が近かったために学生や会社員でいつもにぎわっていたのにくらべると、安曇野の椎名さんの家はまるで月の裏側のようだ。
時計が11時をまわるといつものようにだんだんと眠くなってきたので、僕はソファの近くの読書灯を消してヘルベチカにおやすみと言った。犬は残念そうな目でこちらを向いて尻尾を振ったが、僕が首の後ろをなでてやると仕方なく寝床に帰っていった。古い毛布の上に丸くなってその匂いをかぎながら小さくため息のような音をたてて目をつぶった。僕は一杯キッチンで水を飲んでから二階の客間に行って眠りについた。その晩は疲れていたのか、ほとんどすぐに眠りついた。

目が覚めたときうまく状況が呑み込めなくて混乱した。まどろみのなかにいた脳はまるではちみつのなかを泳ぐ金魚のように緩慢だった。次第に意識が覚醒してくると自分が椎名さんの家のベッドで眠っていたことをおもいだした。そうだ、僕は留守番を頼まれていたのだ。ベッドサイドのグローランプをつけて、シルバーのLCDクロックを見た。時間は1時15分だ。
ベッドの上で小さくうなって、目をこすりながらシーツを脇にやった。ベッドサイドの集中コントロールパネルのスイッチをいくつかひねると、部屋は白熱灯の暖かい光に包まれた。ベッドのふちに両足をそろえて、手のひらを額にこすりつけた。うっすらと汗をかいている。ベッドに座ったままドアを眺めていた。ムク材でできたすべすべした手触りのドアだ。白熱灯の明かりを浴びてドアはアンバー気味に変色している。とりとめのない霧のような思考が徐々に晴れてくる。そうしてようやく気がついた。音だ。木々のざわめきのような音が僕を深い眠り淵から引きずり出したのだ。
誰かが下にいる。
足音を忍ばせてドアに耳をつけた。音ははっきりと聞こえた。ざわめきは人の話し声だ。1人や2人ではない。それに音楽のようなものまで聞こえる。僕は眉をひそめた。僕が眠っている間にこの家では何が行われていたのだろう?
まず思い浮かんだのは眠っている間に自分がどこか別の家に入り込んでしまったということだ。夢遊病患者のように無意識に椎名さんの家から抜け出してどこか別の家まで歩き回る自分を想像してぞっとした。ところが幸いにも、この部屋は眠る前とまったく同じ、確かに椎名さんの家の客間なのだ。帰りが遅くなった日にはこの部屋に泊まらせてもらったこともある。
それとも。と僕はドアにもたれたままで考えた。椎名さんの友達が、留守であることを知って、しかも僕が留守番しているということを知らずに押し掛けてパーティーを開いているのだろうか。いずれにしても彼らは泥棒ではなさそうだ。泥棒はわざわざ忍び込んだ家で音楽をかけておしゃべりしたりはしない。
このままなにもせずに布団をかぶって朝まで目覚めずにいたらどんなにか楽だろうと考えたが、曲がりなりにも僕は留守番を頼まれた身だ。パジャマを脱いで、眠る前まで着ていた服に着替えた。手に何か武器が欲しかったが、この部屋にあるものときたら、ベッドとサイドテーブルと僕が持ち込んだノートブックとタブレットくらいだ。心もとなかったがあきらめて手ぶらでドアを恐る恐る開けた。ドアの向こうは音がより鮮明に聞こえた。話し声の輪郭はよりはっきりとしていたので、どうにか言葉のようなものが聞き取れそうだ。おしゃべりに混じって笑い声も聞こえてくる。品のいい笑い声だ。音楽もより鮮明に聞こえる。流れているのは有名な曲だと思うのだが、どうしても思い出すことができない。最初のショックから立ち直って冷静になってみると、下でパーティーを開いている連中というのはそれほど恐ろしいものではないような気がしてきた。見つかったらとしても乱暴な扱いをうけたりしそうな雰囲気ではない。和やかで品があり、楽しげだ。
僕は一度大きく深呼吸をして階段を静かに降りていった。スリッパが音をたてないように気をつけて、ゆっくりと一歩一歩踏みしめていった。ホールにつくと、キッチンへ行って包丁を手にした。よく手入れされた肉切り包丁だ。顔が映りそうなほどぴかぴかに研ぎすまされている。椎名さんは料理が好きなので立派な包丁セット持っており、しかもこまめな手入れを欠かさなかった。僕は手の中でずっしりとした重みのある包丁を両手で構えた。しかし、これからあのにぎやかなパーティー会場へ大きなドイツ製の肉切り包丁を構えて入っていく自分を想像すると、急にばかばかしくなって包丁を元の場所に戻した。
犬はどうしたんだろう?
そうしてみて初めてヘルベチカがどこにもいないことに気がついた。彼の寝床には、僕が眠りにつく前と同じように、毛だらけの毛布だけがあった。ヘルベチカがそこで寝そべっていたと思われるへこみに手を当てても、彼のぬくもりを感じることはできなかった。だいぶ前からヘルベチカは寝床から抜け出してしまったようだ。
僕はキッチンを出て玄関ホールへ行き、そこにある無垢材でできたベンチに座って考え込んだ。そこからも人々の話し声や音楽は聞こえてきたし、間断なくそれは続いていた。いったい何人くらいの人がそこにいるのだろうか?10人や15人くらいだろうか?この家でカフェをやっていたころは今と同じようににぎわっていたのだろうか。あのリビングのソファに座ってカクテルやビールを飲んでいるのかもしれない。
扉を開けて入っていくべきかどうか、ずいぶんと長いあいだそればかりを考えていた。それは僕にとって難しい選択だった。確かに僕はこの家の留守番を頼まれているが、パーティーに招待されているわけじゃない。
僕は扉の隙間から聞こえてくる会話に耳を澄ませてみた。会話の断片、単語、言葉尻だけでも聞き取って中にいる人間のことをすこしでも知りたいと思った。それが人間の口から出た言葉であることは間違いがないのだが、その単語は何一つ聞き取ることができなかった。
ズボンのポケットに手を突っ込んでそこにあった1ポンド硬貨をもてあそんだ。その金色のぶ厚いコインは僕のお気に入りで、ロンドンから帰ってからお守りとしていつも持ち歩いていた。そのソリッドな感触がぼくを現実に引き戻してくれた。
突然木槌で打ったような衝撃の中で僕は気がついた。
ーあれは幽霊なんだ。
リビングに集まって音楽をかけて、談笑しているのは生きた現実の人々ではないのだ。思えばこんな時間にあれだけの人数がやってきてがやがやと準備を始めたらいくらなんでも僕だって目を覚ますだろうし、犬だって吠えたりするはずだ。冷たい汗が僕のわきを伝うのがわかった。
ヘルベチカにそばにいてほしかった。彼の首に手を回してその毛の感触とあたたかみを肌に感じていたかった。だが、どこにも見当たらなかった。僕はその間、1ポンド硬貨をぎゅっと握りしめたまま扉の向こうを眺めつづけていた。その間音楽は鳴り続いていたが、今度はそのディティールを知りたいとは思わなかった。それは何か彼らが話している内容は生きている生身の人間は聞いてはいけないもののような気がしたからだ。そしてたぶん、中にいる者と顔を合わせることもしてはならないのだ。もしこの扉が開いたら、という具体的な想像に思い至って、不安に駆られた。すぐに部屋に戻らなくてはという思いが僕を突き動かした。だしぬけに1ポンド硬貨をポケットに戻すと、元来た道を音を立てないように静かに戻っていった。階段を一歩一歩登っていくうちに、僕の中で正常な感覚が少しずつ戻ってくるような気がした。脈拍は落ち着きを取り戻し、冷えきった身体は徐々に温かみを帯びてきた。空気のよどみがなくなって息苦しさもなくなった。ずれた位相がすこしずつもとに戻っていくような感覚があった。部屋に帰ってくると、ぐったりと疲れていた。それでも頭は興奮状態にあってうまく寝付けなかった。その間中音楽と会話は続いていたが、しかたなく明け方近くまでそれにつきあうはめになった。ベッドボードに背中をあずけて白熱灯の下でまどろんでいたが、やがていつの間にか眠ってしまっていた。

目が覚めたときには全ては何もなかったかのようだった。外では細い雨が地面を濡らしていたが、リビングは何の形跡もない。僕が昨日眠る前とまったく同じ状況だった。時刻は九時半になっており、ヘルベチカは寝床の毛布の上で丸くなっていたがすでに起きていたようだ。僕がキッチンに行くと、うれしそうに尻尾を振って身体をすりつけてきた。僕はドッグフードを彼のために準備してやり、犬はそれをおいしそうに勢いよくすべてたいらげた。

あの夜起こった出来事がなんだったのか、僕はうまく説明することができない。それから椎名さんがパリから帰ってくる間僕は椎名さんの家で寝泊まりしていたが、最初の晩に起こったような出来事には遭遇することはなかった。ところがどういうわけか眠りについたあとで毎晩決まって一時から二時のあいだに一度目を覚ました。環境が違うために興奮していたのかもしれないし、あるいは、心のどこかでもう一度あの夜のパーティーに遭遇したいと考えていたのかもしれない。僕は目がさめるとベッドの中で何か物音がしないか耳を澄ましてみた。
ある夜、ベッドから身を起こして階下に降りていったこともある。キッチンでヘルベチカが眠っているのを確認してコップに水をいれてごくごくと飲んだ。物音を聞きつけて目を覚ましたヘルベチカが僕のすねをなめるので、僕は彼の頭を撫でてやった。
それからリビングのほうにヘルベチカを連れて様子を見に行った。リビングに異常は見当たらなかった。昼間と同じようにどこか寂しい感じのする雪化粧した山の写真が飾ってあるだけであとはひっそりとしていた。僕はソファに腰をおろしてそこに5分ほどとどまってぼんやりとしていた。確かにあの晩にはこの部屋から何人もの人の気配を感じたのだ。ソファに座って音楽を聞きながら談笑していた誰かについて思いを馳せてみた。今ではない過去にはこの場所は誰かが集う場所だったのだ。でも今はその気配は何も感じない。郊外のひっそりとした夜だ。時折吹く風が遠くの木の葉を揺らして、ふくろうが鳴く声が聞こえた。
椎名さんは一週間ほどしてパリから帰ってきた。僕は椎名さんにはあの夜に起こったできごとについて説明しなかった。説明したとしても信じてもらえるかわからないし、たぶん椎名さんにとって聞いていて気持ちの良い話でもないだろうと判断したからだ。
「留守中何かかわったことはあったかい?」椎名さんは玄関でリモワのスーツケースを引きながら僕に尋ねた。「いや、特になにもありませんでした。静かでよく仕事がはかどりましたよ」それは本当のことだった。
「それはよかった」と椎名さんはうれしそうな顔をした。スーツケースから高価そうな凝った意匠の瓶に入ったコニャックを取り出すと、おみやげとしてくれた。僕らはそのまま別れ、僕は松本のアパートに戻った。

それから3ヶ月近く椎名さんとは会わなかった。その間、何度かメールは交換した。圭太さんの母親が亡くなってもうずっと東京から帰ってきていないらしい。でも僕はちょうどそのとき仕事にかかりきりになっていて、どうしても必要なときをのぞいては誰かと会ったり、どこかにでかけたりという時間を持つことができなかった。僕はそのころ一日に12時間は机の上で文章を書き、松本の家から車で5分以内の場所にしか出かけなかった。椎名さんと会ったのは松本にある大きなショッピングセンターだった。一週間分の食材を買いにいった帰り道で椎名さんに出会った。僕たちは近くのスターバックスに入ってコーヒーを飲んだ。どういうわけだか椎名さんはぐっと老け込んでいて元気がなかった。声をかけられるまで彼だと気がつかなかったくらいだ。はつらつとしたオーラがまるでなくなっていた。髪はいささか薄くなって伸びていたし、白いものが混じっていた。目はくぼんで肌にはつやがなかった。あるいは、何か病気をわずらっていたのかもしれなかったが、椎名さんがなにもいわなかったので、僕の方も何も聞かなかった。
圭太はもう安曇野にはもどってこないかもしれないな、と椎名さんは悲しそうに首を振った。「ときどき電話で話すのだけど、母親の死んだショックで人が変わってしまったようだ。昔の圭太とはまるでちがう。何を話してもうわのそらで、まるで会話にならないんだ。うわごとのように何年も前に母親と行った旅行の話を繰り返している」
「それは気の毒ですね」と僕は言った。圭太さんに対していったのか、椎名さんに対して言ったのか、僕自身にもよくわからなかった。
「僕の母が死んだとき、僕はまだ十歳だった」と椎名さんは切り出した。「僕には兄弟がいなかったから、母が死んだ後には父と僕だけが残された。どこにでもある交通事故だった。あのころは母が死ぬなんて考えられなかった。父より十歳も若かったし、とても元気だった。だからいつか母が死ぬかもしれないなんてこれっぽっちも考えていなかった。僕たちはまったく彼女が死んでしまうということに精神的な準備ができていなかったんだ。それなのに、彼女はふっとこの世からいなくなってしまった。まるでシャンパンの泡のようにあとかたもなく、あっけなく。母は明るくて聡明な人で、誰からも好かれていた。何をするときにも機嫌がよくて、決して騒がしくないのにただそこにいるだけでその場の雰囲気がぱっと華やぐような人だった。僕は今でも母のことを思い出す。カフェのテーブルで楽しそうに父と話す姿を。彼女の淡いアイボリーのサマードレスが風にそよいでいる姿を。
父は彼女のことをいつくしみ、とても大事にしていた。おそらく息子の僕よりもずっと。父は自分の力で手に入れたものをより愛する人だった。結果的に手に入った僕よりも、だから母のことをより強く愛していたのだと思う。母が死んで以後、父は誰も愛さなかった。かつて母を愛したようには誰も愛することはなかった。もちろん、再婚もしなかった。
母の葬儀が終わってから父はどこかに出かけたまま2週間もいなくなったことがあってね。何しろどこに行ってしまったのかわからなかったので探しようがなかった。親戚に相談すると警察に連絡してくれて数日間は家のまわりをしらみつぶしに探してくれた。車は家にあったし、財布もなにもかも家にあったから、家の近くで何か事故にあっているのではないかということだった。でもどこを探しても父は見つからなかった。彼は何も告げずにいなくなった。十歳の僕は途方にくれて、親戚は僕の引取先を相談しはじめた。そのときの恐怖は今でも覚えている。世界が小さく狭くなってその中に押し込められているようだった。誰からも必要とされていない、厄介な存在になってしまった気がして僕は消えてしまいたかった。行方がわからなくなったときと同じように、何の前触れもなくふらりと父は帰ってきた。見違えるほどやせこけてヒゲもひどく伸び放題になっていたが、それは間違えようもなく父だった。衰弱しているようだったけれど、父はじきに元にもどっていった。社会復帰して見た目もすっかりもとの父に戻った。
いなくなった2週間に何をしていたのか聞いてみたことがある。父は森をさまよっていたのだと言った。誰かに呼ばれたような気がして、気がついたら森にいた。いつから迷い込んだのかわからず、出口の見えない森の中をずっと歩き続けていたのだそうだ。それはとても奇妙なことだった。僕たちの家は山がすぐそばにあるので、警察はまっさきに遭難を疑った。だから捜索範囲は近隣の山にまで及んだ。このあたりはよく遭難者が出るので、探すのも手慣れている。大規模な捜索中、天気はよく晴れていたから訓練された捜索隊が遭難者を探し出すのにはうってつけの日だった。それでも父は見つからなかった。では、どうやって森を抜けて家までたどり着いたのかと聞いてみた。父は何も覚えていないのだと言った。重要なプロセスを踏んでここまでやってきた。でもそれは今となってはすでに頭から完全に消えてしまって取り戻すことはできない。父は残念そうにそう言った。
十五年前に父が亡くなったとき、僕は不思議と無感動だった。もちろん僕は父のことを深く愛していたし、大きな喪失感と悲しみがあった。でも母がいなくなったあとの父は、まるで生きている感じがしなかった。生きながらにしてその魂は死んでいた。だから僕は父の死がしっくりくるような気がした。とうに死んでいるものが何かの拍子に生きながらえて、その帳尻がようやく合ったような感覚だった。父の葬儀の喪主を務めあげて、親戚たちがいなくなったあと、不思議なことに父の身におきたこととまったく同じことが僕にも起きた。誰かに呼ばれた気がして靴を履いて家を出ると、気がついたら深い森の中にいた。どれくらいその森をさまよったかわからない。そのときの僕は時間の感覚がまるでなかった。今が何時なのか、ここにどうやってきたのか、どこを目指して歩いているのか、そういうことがすっぽりと抜け落ちてしまっていた。森はむせ返るような生命のにおいに満ちていた。そのにおいに当てられたのか、僕の身体に不思議なことが起こっていた。不思議な生命力が身体からあふれてきていくらでも歩くことができた。ひどい空腹とのどの渇きを感じていたが、森にいるあいだ僕は飲まず食わずで歩き続けることができた。父が僕に話してくれたのとまったく同じ世界がそこに広がっていた。不思議な血統の儀式を継承するかのように、僕は父と同じ世界に迷い込んでいた。それから、どこをどうやって家に戻ってきたのか、僕にはわからない。今となっては思い出すこともできない。ともあれ、僕は自分の家に帰ってきた。僕は結婚していないし、子供もいないから誰が待っているということもなかったのだけど」
椎名さんは自嘲するように唇の端をわずかにゆがめて笑った。ショッピングモールのなかで、母親に手を引かれて歩く女の子が僕たちのテーブルの脇を通り過ぎていった。僕の買い物かごの中のミネラルウオーターが細かい汗をかいていた。
「ひとつだけ言えることがある」と椎名さんは顔を上げて、いつものスマートな微笑みを口に浮かべて言った。「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のために森にはいることはない」

僕はときどき安曇野で出会った亡霊たちのことを思い出す。椎名さんの両親が残したカフェでにぎやかな宴を催していた連中のことを。安曇野の美しい湖と山々に囲まれて昼夜をまたいで歩き回った親子のことを。それらはみな遠くはるかな過去のできごとのように感じる。
強烈な思い出であるはずなのに、その遠さ故に、僕にはそれがちっとも不思議なことに感じないのだ。

安曇野の亡霊

本作は習作です。
村上春樹の短編「レキシントンの幽霊」のプロットを使用しています。

安曇野の亡霊

風変わりな年上の友人「椎名さん」に頼まれて彼の家で留守番をしていた「僕」は、彼の家で風変わりな体験をする。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-07-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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